陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

恐いものの話

2006-10-31 22:42:14 | weblog
恐いものの話

ここだけの話なのだけれど、わたしは恐いものがたくさんある。
とくに恐いのが、歩道にはまっている金属板である。
おそらく、その下には排水溝が通っているのだろうと思う。
たまに緩くなったり、部分的に反ったりしていて、通るたびにバカバカと音がしているようなものは恐くてたまらない。
自転車でそこを通るときは、可能な限りそこを避けて、その上を通らないようにする。

ところが図書館に行く道の途中、歩道の幅一杯に金属板がはまっている場所があるのだ。
しかもその金属板は古く、端が反っていて、しかも隙間まで空いている。
わたしにとっては悪夢のような金属板なのである。当然、わたしの乗る自転車は、その部分は避けて車道を走る。一方通行の、道幅がせまいところなので、車道を走っているとクラクションを鳴らされたりもするのだが、歩道など走れたものではないのである。

なんでそんなに恐いのか、自分でもよくわからない。
やはりどこかで、そこを通って落ちたらどうしよう、と思っているからなのだろうか。
歩道の脇にふたのない排水溝が通っているところもあって、落ちる危険はそちらのほうがはるかに高いはずなのだが、そちらはまったく恐くない。
危ないな、気をつけなくては、と思うだけだ。
ふたがはまっていて、そこの上を通るのが恐いのだ。

ボブ・グリーンの『マイケル・ジョーダン物語』のなかに、シカゴ・ブルズのチーム・メイト、スコット・ピッペンの話がでてきた。ピッペンは、スコア・ボードが頭に落ちてきたら、と思うと、恐くてしょうがないらしい。だから、いつもその下に立たないようにしている、と言っていた。2メートルをはるかに超す大男のバスケット・ボール・プレイヤーがそんなことを言うなんて、と、ボブ・グリーンはおもしろがっていたのだけれど、「恐い」と思う気持ちは、理不尽なものなのではあるまいか。

昔から排水溝のふたの上を通るのが恐かったのだろうか。
遠い記憶のなかに微かに母の声がする。あそこに気をつけなさい。ぐらぐらしてるから。そこを踏むと落ちるよ。

うーん。それなのだろうか……。

ただ、以前は通り道にそういうものがなかったのかもしれないのだけれど、あまり意識にのぼらなかったように思える。
やはり、図書館に行く道のそれが、意識の底に沈んでいた小さな時の記憶を呼び覚ましたのだろうか。

小さい頃、よく熱を出していたわたしは、熱を出すたびに見る悪夢があった。
地面の中から手がにゅっと出てきて、わたしの足をつかむのだ。
わたしの水色のズック靴と、白いレースがついている三つ折りソックスが、地面から出てきた、茶色い節くれ立った手につかまれる。そうして、その手はわたしを地面に引きずり込もうとする。
わたしは一体、何度、悲鳴を上げて目を覚ましただろう。

後年、ブライアン・デ・パルマが監督した映画『キャリー』を見たとき、そのエンディングがどれほど恐かったか。
いまでこそあの手法はすっかりあたりまえになって、ホラーというと、最後の一撃を「来るぞ、来るぞ」と待ちかまえるようになってしまったけれど、それの元祖が『キャリー』なのである。
そのシーンを、何の予備知識もなく見たわたしは、文字通り、心臓が停まるほどの衝撃を受けた。夢であまりによく知っている場面だったからだ。

地面に引きこまれる恐怖と、排水溝のふたが恐いのと、やはり関係があるのだろうか。

さらに言えば、狭いところが恐い。
小学校の修学旅行で東大寺に行ったときのこと。
大仏殿の柱の下に、大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が開いている場所がある。
クラスメイトたちは列をつくって穴くぐりをやっていたが、わたしは、冗談じゃない、と思ったのだった。

たぶん映画『大脱走』を初めて見たのはそのころだったような気がする。リバイバル上映をしていたのを、父親に連れられて見に行ったのだけれど、そのなかで、トンネル掘りのプロフェッショナルであるチャールズ・ブロンソンが、実は閉所恐怖症で、そこに入っていけない、と泣くシーンがあって(記憶だけで書いているので、ちがっているかもしれない)、その気持ちは実によくわかった。実際、匍匐しながら通るのがやっと、という土の中を、それも長い距離、進んでいくというのは、考えただけで気が遠くなる。

もうひとつ、脱走ものといえば思い出すのが『ショーシャンクの空に』である。これは『キャリー』と同じく、スティーヴン・キング原作の『刑務所のリタ・ヘイワース』が元になっているのだけれど、原作とはまったくちがう味わいになっている、いい映画だった。
とくに、原作では「レッド」というニックネームの語り手は、おそらくアイルランド系の白人だと思うのだけれど、映画では、モーガン・フリーマンが扮していて、人種問題を底流に置く映画になっているのだが、まぁそんな話をしようと思ったわけではない。
そのなかで、主人公のティム・ロビンスが脱走するために、壁の中に掘った細い穴を、匍匐しながら進んでいく場面があるのだ。時間にして、1分に満たない場面だったろうと思うが、あれは見ていて息が詰まりそうになった。あの場面は恐かった。

ところが、こんなに恐がりのわたしなのだけれど、「恐い」と言って、鼻先で笑われたことがある。

学生時代、寮の物干場に、すずめばちではなかったけれど、かなり大きな蜂の巣ができていたので、大学の寮を管理する部所に出向いて駆除を頼んだ。
ところが出てきた係長が、わたしの顔を見るなり、「あんたが取ったらよろしいやないの」と言う。
「そんなことできません」と言うと、
「新聞、丸めて、はたき落として、ライターで火をつけて燃したったらよろし」と言うのである。
「そんな恐いことできません」というと
「ほっほっほっ(ちなみにこの係長は男性である)。あんたが恐いわけがない」

いや、その数箇月前、寮の洗濯機が壊れたので修理を頼みに行くと、その係長が「あんたら自分の心の洗濯をしたほうがよろしなぁ」などとわけのわからないことをぬかしたので、そういう態度は学生にたいしてまったく不当であると、縷々訴えただけなのである。
それをもって「あんたが恐いわけがない」と言われるのも、これまた不当なのである。
もちろん、それがいかに不当であるか、声を荒げることもなく、理路整然と(わたしの主観では)、道理を尽くしてお願いして、後日駆除に来てもらえるよう話をとりつけることはできたのだけれど、別れ際にやはり言われてしまったのだった。
「あんたやったらできますて。あんたが蜂が恐いわけがない」

確かに、一匹や二匹の蜂が恐かったわけではなかった。蜂の巣が危険だと考えただけだ。
わたしが「恐い」のは、そういう理屈を超えたもの、具体的には、排水溝のふたと大仏の鼻の穴なのだ。

ものの値段の話

2006-10-29 22:28:42 | weblog
ものの値段の話

先日、母親が電話でこんな話をしていた。

弟は小さい頃、ウルトラマンだかなんだかのビニール製の怪獣の人形を、それはそれはたくさん持っていた。当時、わたしなどよりずっと甘やかされていた弟は(これは姉のひがみではなかったように思う)、何かあるたび、どこかへ行くたびに人形を買ってもらい、ウルトラマンシリーズは全部制覇し、やがてもっとマイナーなシリーズに移っていったように思う。

同時に弟は怪獣図鑑の類も大量に持っていて、さまざまな怪獣の身長・体重ばかりでなく、その特徴も教えてくれた。メトロン星人は木造アパートに住んでいた、とか、「タッコング」というタコの化け物のような怪獣は「IQが2億」あった、とか、――ああ、ほんとうにどうしてわたしはこんな愚にもつかないことだけは忘れないんだろう――そういう何がなんだかよくわからないような豆知識を、弟はわたしのところへ来ては、読んで聞かせてくれていた。

小学校に入って何年かたつうち、怪獣の人形もかえりみられることもなくなり、やがて段ボール箱ごと、押入の奧に仕舞いこまれることになる。何かの拍子に押入の奧をごそごそしていたわたしは、偶然、その箱を探り当ててしまい、ふたを開くと、小さな弟が一緒に抱いて寝ていたグロテスクな怪獣たちが、古びることも壊れることも知らず、つやつやとしたビニール素材独特の質感で、当時のまま出てきたのだった。

ものというのは、悲しいものだ。
情況は変わっても、ものは変わらない。
その変わらなさが、悲しい。

のちに何度かそう思うことになる初めての体験を、わたしは怪獣相手にしたのである。
まったく結構な初体験である。

それはともかく、母親の話によると、やがてそれは「邪魔でしょうがないから」全部ゴミの日に出してしまったのだそうだ。塩化ビニールの人形たちは、さぞや大量のダイオキシンを発生したことだろう。

ところが母が悔やんでいるのは、ダイオキシンの発生に自らが関与したことではなく、どこからか、それがかなりの金額で売れものるらしいと聞きつけたからなのである。

ああ、残念だった、捨てずにとっておけば良かった。ああいうのに、マニアみたいな人がいて、そういう人はいくら払ってもいいんだってよ……。

捨てちゃったんでしょ、しょうがないじゃん、あきらめなよ、とすげなく言う娘に対し、ああ、なんで捨てたんだろう、そんなことならアンタの本や雑誌を捨てるんだった、となおもくどくどと続ける母なのだった(もしかしたら、お金に困っているのだろうか……)。

実際に「マニアみたいな人」が高い金額を払って買い求めているようなレアものは、きっと実家にはなかっただろうとは思うのだけれど、それにしても、ものの値段というのは、実によくわからないものだ、と改めて思ったのだった。
30年ほど前に作った原価がいくらもしないような怪獣の人形一体が、集めている人にとっては、おそらくはかりしれない、「いくら払っても惜しくない」ような価値を持つのだろう。

別に、そういう人のことをとやかく言うつもりはない。
こんなふうに見られたいから集めている、というのではなく(「シャネルをコレクションしているワタシってなんてお金持ちなのかしら」と思ってる人の発想って、ずいぶん貧乏くさいとわたしは思う)、ほんとうにその人がそれが好きで、所有していることで心からの喜びが得られるものであるのなら、それが線路の枕木だろうが(わたしは枕木を宝物にしている人を知っている)、サインを求めたプロレスラーのポケットから落ちたコンビニのレシートであろうが(それを宝物にしている人も知っている)、冷蔵庫に貼っているために、あちこち染みのできた詩のプリントアウトだろうが(これを宝物にしているのはわたし)、十分に理解できる。

他人から見ればまったく無価値なものでも、その人にとってはまぎれもなくそれが宝物なのだ。そこに汲めどもつきぬほどの意味を見いだすことができ、所有する喜び、そのものとともに生きる喜びがそこにあるのなら、その人にとってそれは幸せなことである。

ただ、それとは別個に、やっぱりものの価値というのは、どこまでいってもよくわからない、と思ってしまう。

ふだん、わたしたちは189円のリンゴには、189円の価値があると思っているし、220円の食パンには220円の価値があると思っている。あまりそういう買い物をしているときに、価値だの価格だのということは考えない。それは、わたしたちはここで価値=価格であると受け容れているからなのだろう。

それでも、たとえこうした見慣れたものであっても、この「価値」と「価格」のあいだに裂け目が生じるようなことがある。
以前、雪が積もった日にスーパーに行ったら、ほうれん草がひと束350円、とか、キャベツ一個500円とか、尋常ではない値段がついていて、いったいこれはどういうことなんだ、と思ってしまう。
少なくとも、スーパーが仕入れた段階では、雪が降っていなかったはずなのに。つまり、それは、翌日の入荷がどうなるかわからないことを見越して、設定された価格だということなのだろう。けれども、その数字にどこまで根拠があるのだろうか。

こういうことを考えると、わたしたちがふだん漠然と思い描いている、ほうれん草ひと束百円~二百円、というのも、どこまで根拠がある数字なのか、よくわからなくなってくる。

さらに、食料品や生活必需品を離れると、ますますその裂け目は拡がっていく。
百均で売っている一本百円の化粧水と、デパートの化粧品売り場(わたしは未だかつてそういうところで買い物をしたことがないのだが――だって、臭くありません?)で売っている二万円の化粧水は、いったいどうちがうのだろう。そうして、どうしてどちらも同じように売れるようなことが起こるのだろう。

たぶん、その二万円の化粧水を使っている人は、わたしは直接には知らないので話を聞いたわけではないのだが、おそらくそこに価値を見出しているから、それを買い、さらに買い、使い続けているのだろう。そうして、その価値を、日々実感しているのだろう。

けれども、成分一覧表を百円のものと見比べたりはしないはずだ。
というのも、その差たるや、極めて微々たるものにちがいないからだ(その「極めて微々たる成分の違い」が決定的な効果となってあらわれる、と信じている人のことをとやかく言うつもりももちろんないのだが)。

おそらく、二万円の化粧水の価値は、極めて微量の、ナントカカントカ酸が入っているから、というよりも「二万円」という価格にあるにちがいない。「二万円」だから、価値があるのだ。

ところが、ブランド品を持つ人の多くは、そんなことは認めたがらないだろう。
おそらくは「ものがいいから」「一生ものだから」と理由づけているのではあるまいか。
なら、一生使い続けるのか、というと、そんなことをする人ばかりではないのである。
ひとつ持っている人は、つぎのモデルが出るたびに、新しいものがほしくなる。新型モデル、またつぎのモデル。
生まれ変わりを信じているのならそれも結構なことだけれど、残念ながら、ヴィトンは来世には持っていけない。

たぶん、ブランド品に価値があるのは、高いから、価値があるのだ。
その価格が、価値を決めているのだ。
そうして、それを買う人は、自分がそれを買える人間である、と認めてほしい、という気持ちが、少なからずあるように思う。

なんだかな、と思うのである。
価格が価値を決めるというのは、やっぱりどこか転倒してはいないだろうか。

もしかしたら、わたしが単に価値のわからない人間なのかもしれないのだけれど、そういうものの価値なら、わからなくてもまあいいか、と思うのである。
そうじゃない、ほんとうにエルメスが好きなんだ、というのなら、一生使い続ければいい。おそらくそうやって使い続けるうちに、ものと人間のあいだにも、やはり絆が生まれるはずだ。そのときどきの歴史が刻まれ、思いがこめられていくはずだ。

母親も、単なる場所ふさぎが宝箱だったかもしれない、と後悔していたようだったが、もし、実際に手元にあったら、売る気にはなれないような気がする。
怪獣の人形ひとつひとつに、小さかった弟の記憶は結びついているし、その記憶はやはり値段なんかつけてほしくないものにちがいない。
もはや手元にないものだからこそ、ああ、取っておけばよかった、もったいないことをした、と言っているのではあるまいか。

ところで、わたしはつい最近、3035円のDream Theater の"The Number of the beast" を買ったのである。こんな音楽を3035円で自分のものにできるなんて、夢みたいなのである。この一枚のおかげで、どれだけ至福の時を過ごしていることか。
ただ、その間、魂を抜かれて、ぼけーっと聞く以外、何にも手につかないのが、悩みではあるが。

お相撲さんの話

2006-10-28 22:41:18 | weblog
お相撲さんの話

その昔、わたしが通っていた歯科医院は、近くに相撲部屋があってよくお相撲さんと待合室や診察室で一緒になった。

虫歯だけでなく、相撲の稽古で歯が折れたり、差し歯が飛んだり、ということも少なくなかったのかもしれない。鬢づけ油のいい匂いをさせているお相撲さんもいれば、髪の毛をまだ伸ばしている途中の人や、体もまだ細いお相撲さんもいた。

待合室のお相撲さんで一番気になったのは、当然、どんな本を読むのだろう、ということだった。ジロジロ見ないように気を遣いながら、それでも興味津々で観察していたのだけれど、わたしが見た限りでは、不思議なことに、置いてある新聞や週刊誌、週刊マンガの類ではなく、子供向けの「恐竜図鑑」や「動物図鑑」を手にしていることが多かった。その頃はお相撲さんはみんな大人に見えていたのだけれど、考えてみれば中学を卒業してすぐの、わたしと歳もどれほどもちがわない、「男の子」たちであったのかもしれない。
もっともマンガの類は、相撲部屋ですでに読んでいたのかもしれないけれど。

お相撲さんが先にいるときは、入り口には白い鼻緒の雪駄があった。ずいぶん大きな雪駄は、鼻緒の付け根のあたりに油性のマジックで部屋の名前が書いてあった。
入り口にあったのは雪駄でも、お相撲さんはいつもスウェットの上下で、浴衣姿は見たことがない。体格の良いお相撲さんのときは、いったいどんなサイズなのだろうと思ったものだ。

外で見かけるときはたいてい自転車に乗っていた。大きな体で、まるで大人が三輪車にのっているかのように、バランスをとりながらふーわりふーわりと乗っている。
それでも、そんな格好でもお相撲さんは確実にわかるのだった。

まだ髷を結えないお相撲さんは別として、髷を結っているお相撲さんは、たとえどんな服装をしていても、どこにいても、確実に職業がわかってしまう。
歯医者の近くばかりではない、ディズニーランドで見かけたこともあるし、いまも二月の終わり、お相撲さんの姿を見ると、ああ、大阪にも春が来たのだなぁと思う。
それが何という名前のお相撲さんかわからなくても、髷と浴衣(あるいはスウェット)と雪駄で、職業が確実にわかってしまうのだ。

考えてみれば、いまのわたしたちの住む社会では、なかなか私服姿でその職業はわからない。スーツ姿にデイパックを背負っているのは先生が多いような気がするけれど、これは統計を取ったわけではないから、なんともいえない。

以前入院しているとき、院内をうろうろしていたら、不意にわたしの担当だった看護師さんとばったり出くわしておどろいたことがある。ひっつめていた髪をたらし、極端に体にぴったりしたミニのスーツ、お化粧もくっきりとし直していて、一瞬だれだかわからないくらいだった。

もちろん朝、スーツ姿で電車に乗っている人の多くは、オフィスや役所や学校や病院に勤めているのだろうけれど、その人が具体的にどんな仕事をしているのかまではわからない。そのチームの一員であることを示す制服が職場にあったとしても、そこに着くまでは、そういう面を一切表さない、無個性なスーツなのである。

ところが昔はそんなことはなかったのである。いま、お相撲さんが「あ、お相撲さんだ」と一目でわかるように、服装や髪型で、その人の職業はよくわかった。そうして、その区分を守ることは重要だったのである。
現代社会においては、この姿・形とその人間の身分、階層、職能などの規定性が、ほとんど失われているが、歴史的にみれば、最近までこの両者の関係は、かなり一致した厳密な社会秩序として存在していた。すなわち、その人間の姿・形は、その人間の社会的存在としての身分、階層、職能などを表示していたのであり、前近代社会においては、とくにこの関係は厳しい社会秩序として存在していた。形がその存在を規定するという考え方は、日本の社会においても、古くから根強く存在している。

 日本の中世社会において、人間とはどのようなものと考えられていたかといえば、そこにはいろいろの定義が存在したことはいうまでもないが、その一つの有力な定義に、人間の形をしたものが人間であるという把握のしかたが存在したことは間違いない。人間と動物=異類との相違は、心のありかた、理性の有無より、さらに重要な要素として、姿・形の相違が存在した。形を変えることにより、人間が動物になり、動物が人間に変わることが可能であるという考え方は、今日のわれわれが想像する以上にはるかに現実性をもっていたことは、この時代の物語、説話、民話等の存在形態をみれば明らかであろう。そして当然のことながら、人間社会の内部のあらゆる区分にも、この観念が一貫してその一つの指標として流れていたといえる。男、女、子供という区別も明瞭にその形で区別されていたし、人間の社会的身分、職能も、一見すれば弁別できる形で規定されていた。
勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書)

たしかに、いまは一目でその職業がわかるような外見をしている人はごく限られるようになってしまった。それでも、わたしたちはそこまで思い通りの格好をしているわけではない。

制服は、職能を明らかにするだけでなく、学校や集団に対する帰属意識を培う、という側面がある。
それと同じように、ブランドがはっきりとわかる服や持ち物は、そのブランドのユーザーであるという帰属意識を培っているとは言えないだろうか。

もうひとつ、はっきり何をしているかわかる服装がある。
それはリクルートスーツに身を包んだ学生である。チャコール・グレイや黒のスーツに白いシャツ、黒い革靴という独特の格好は、自分が会社という社会に順応しうる存在であることを訴えているようだ。
この考え方は、いわゆる「身分」というものがなくなった現代であっても、中世の時代とそれほどちがうものではない。

「形を変えることにより、人間が動物になり、動物が人間に変わることが可能であるという考え方」は、就職活動を始める頃になると、髪を黒く戻して切り、そろいのリクルートファッションに身を包むことによって、組織の一員として生きることが可能であることを示そうとする学生そのものだ。
そうして、同時にそれはこれまでとはちがう、組織の中で責任を持って生きる「社会人」になるための、トレーニングの一種でもあるのだろう。

お相撲さんは、「あ、お相撲さんだ!」という視線を常に浴びながら、街中を歩く。
そうしながら、自分が「お相撲さんである」という実感を、日々自分の中に培っていっているのかもしれない。もしかしたら、そう「見られ」ることも、お相撲さんの日々の稽古の一環なのだろう。

報道の読み方 その6.

2006-10-27 22:34:29 | 
6.報道をどう読むか

昨今、マス・メディアの報道のありかたを批判する声が高まっています。

確かに、さまざまな事件の取り上げ方を見ても、そのやり方はどうなんだろう、と思うものも少なくないし、第一回で取り上げた、出産中に意識不明に陥って亡くなられた妊婦さんの報道のように、別の観点から見ると、まったくちがう出来事になってしまうようなこともあります。

けれども、これもすべてマス・メディアが悪いのだ、という見方を、わたしはしようとは思いません。

そもそも記述というものは、ある出来事が起こってから、先行する出来事を探し出し、そのふたつを結びつける、恣意的な解釈であるからです。
そうして、それは「原因」と「結果」をつないで物語を作ることによってしか、出来事を認識できない、わたしたちの思考のクセに起因しているものだからです。

あらゆる記述は、かならず「結果論」です。
そうして、そのなかにはかならず「原因」、つまり「犯人」が含まれています。

あらゆる記述がそうであるということをまず知ったうえで、わたしたちはそのつぎのことを考えていかなければならないのだと思うのです。

出来事を知ったわたしたちは、それが悲惨であればあるほど、正義感が強く刺激されて「いったい誰が悪いんだ?」という方向に意識は進んでいきます。そうして、報道を見ると、そこには原因がありますから、容易に「犯人」を見つけることができる。

そうして、犯人を糾弾し、そんなヤツがいるからこんなことが起こるのだ、そんなヤツは共同体から追い出してしまえ、という発想をするようになります。


こうしたことは、いまに始まったことではない。
昔から人間の集団は、その集団が危機に瀕したとき、集団の内部にいる「誰か」を排除することで、集団を再生し、浄化し、結束を強めてきたという歴史があります。

けれども、現代の消費社会によって、そうした排除の構造は、いっそう促進されているのではないか。

一方で、アイデンティティを持つことは重要である、と言われながら、「自分らしくある」「自分が認められる」場面というのは、消費行動以外ではなかなかむずかしい。

絶え間なく消費を呼びかける広告(TVにしても新聞・雑誌にしても、広告があふれています)を見ながら、わたしたちは互いに互いを模倣しあい、一方で、「差別化」し、自分が選択しないものを排除するということを日常的にやっていきます。微妙な差異によって一方が他方を排除する、そうして、自分が排除される側ではないことを、つねに確認し続けていなければ、落ち着かない状態に追いやられています。

そうした意味で、いまのわたしたちは、スケープゴートを必要としているのかもしれません。

マス・メディアは毎日毎日、さまざまな「事件」を報道します。
事件Aでは、A’という犯人を明らかにし、それが下火になると、事件Bでは、B’という犯人を告げ、さらに数日すると事件Cでは……、と報道していきます。

わたしたちは、そうした犯人を糾弾し、排除しながら、自分が排除される側ではなく、する側、集団の一員であることを確認しているのかもしれません。
ちょうど、教室でいじめられている子に向かって「こういう理由があるんだから、いじめられて当然」と思っているクラスメイトのように。
けれど、事件Dでの犯人D’が自分ではない、という保障はどこにもないのです。

マス・メディアが悪い、と犯人をもうひとり作ってしまっても、そんなことをしても意味がありません。
ならば、どうしたらいいのか。
今村仁司はこのように言います。

個々人は、互いに、異者である。異者を同一性の文法にのせて、「秩序のなかでの他者」に作りかえることが、人間社会の余儀ない作法である。異者が「同一性枠内での他者」に切り換えられる(…)としても、だれでも自己の内部に、完全には同一化されざる異者をかかえている。
…自己の内部の異者に気づくことからはじめるのが、排除と差別の回路を断つ第一歩である。自分の内部の異者を見ることは反省の努力である、そこでこそ理性の能力が試される。社会の文脈で、犠牲者の位置に立つ覚悟性も、自己内反省のたえざる反復に支えられる。認識の努力と倫理の実践とは、ここでは不可分のことである。天性無垢の人なら難なくやりとげることを、われわれ凡庸な人間は、認識と反省という理性の力をかりなくてはならない。思想という無力なものが、なお口にされなくてはならない理由あるいはその存在理由は、まさにここにあるだろう。
今村仁司『近代性の構造』(講談社メチエ)

あらゆる記述は「原因」-「結果」からなるものであり、そのなかに「犯人」が描かれているのだ、ということをわきまえて読む。「事実」というものは、記述者の解釈にほかならないのだということを知る。集団の中の異者を探し出し、排除するのではなく、ひとりひとりが異者でありながら集団を形成しているのだ、という認識に立つ。
そうして、不幸な出来事が起きてしまえば、それを「自分の問題」として考えていく。
そのために、報道を読む。そういうものとして読む。

それが報道の読み方ではあるまいか、とわたしは考えるのです。

(この項終わり:後日、たぶん、来週の月曜日あたりに手を入れた形でサイトにアップします)

報道の読み方 その5.

2006-10-26 22:08:05 | 
5.犯人探しから排除へ

ここまで見てきたのは、記述というのは、「原因」と「結果」というふたつの出来事をつなぐものであること、そうして、「原因」は「結果」が出た段階で遡航的に探り当てられるものであること、さらに、原因は「誰が悪いのか」ということを不可避的に含んでいくものであることです。

ここで昨今の目立つ現象として、最初のメディア(新聞やニュースなど)の報道を見て「犯人」を探し出した週刊誌やワイドショーが「犯人叩き」を始め、それを見てさらに一般の人が電話やメールで抗議する、ということです。
そうしてこれは、もはや批判の域を超えた、一種の魔女狩りの様相を呈しています。

これもみな一面的な新聞報道や、それを煽るようなメディアが悪いのでしょうか。
そのことを今日は少し考えてみたいと思います。

ひとりの人間を標的にして、大勢の人間が批判を加える。そうして、批判する人は、結束を強めていく。

これはまるで教室におけるいじめの構造と一緒です。
スケープゴートにされる子が選ばれ、やがてクラス全員を巻き込んでいく。いじめを正当化する理由はかならず見つかります。そうして最初は傍観するだけだった子供たちも、その批判に賛同したり、あるいは自分が標的にされることを怖れてその中に加わっていく。
ひとりのスケープゴートを選ぶことによって、クラスは逆にまとまっていくのです。
ほんの少し前に、個別的な無数の葛藤、互いに孤立した敵対する兄弟の無数のカップルがあったところに、再び一つの共同体があらわれる。それは、単に構成員のひとりがその共同体に吹きこんだ憎悪の中で、完全に一つになったものである。異なった無数の個人の上に分散された一切の悪意、てんでんばらばらに散っていた一切の憎悪は、爾来、ただ一人の個人、贖罪の牡山羊の方に収斂してゆく。
ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』(法政大学出版局)

こうしたことは、いまに始まったことではありません。16世紀から17世紀にかけての「魔女狩り」は犠牲者は数十万人にのぼるといいますし、ナチスのホロコースト、アメリカでの赤狩りも同じ構造をもっています。

新聞が煽る、マスコミが煽る、ということではなしに、人間は昔から集団として結束していくために、集団内部から「いけにえ」を選ぶことで、結束を強め、自分たちの正しさを確認しようとしてきたのです。

さらに、現代の先進諸国ではこれを促進する要因があります。
日本や欧米諸国では、ものがあふれています。わたしたちは実際の必要をはるかに超えて、消費し、さらに「この秋着たい服」と、広告によって消費が煽られています。

この消費を煽る広告は、いったい何を語っているのか。この点を考察したのがデュピュイの『物の地獄』です。
広告の表向きの言説には、製品Xを使用したおかげでへつらいの賞賛に包まれることのできた人物が登場している。彼らのようにしなさい、そうすれば必ず同様の賞賛が得られるでしょう、と広告は語る。…(略)…

だがここでは表現されていないが、より深い水準で表現されている言説がある。…(略)…
もてはやされるとともに仲間に対して見事なほど無関心な主人公は、全く明らかに自立的な存在であり、彼の欲望は自発的なものであり、その彼が製品Xを選ぶとすれば、それは当然彼自身の判断によるものである。…
製品Xに結びついたこの自己充足こそが、取りまき連中の賞賛を主人公にもたらすのである。もはや他者を模倣しなくてもよく、他者のほうがあなたを模倣する、あなたもこの楽園に到達するためには、と広告の第二の言説は語る。あなたのなすべきことは唯一つ、模倣することです、と。
ポール・デュムシェル、ジャン・ピエール・デュピュイ 『物の地獄 ルネ・ジラールと経済の論理』(法政大学出版局 )

美しいモデルや海外でも活躍するスポーツ選手が持っている/身につけている/乗っているものをあなたが買えば、あなたもその人になれる、というだけでなく、これを自発的に選ぶあなたは、モデルやスポーツ選手と同じように、模倣される側に回ることができる、と広告は呼びかけているのです。

ここには微妙な「差異化」が含まれ、ダサイ、イケてないものは排除される。
あるいは、この消費行動に積極的に参入できない人々も、排除される。
現代の消費社会は、排除行為をそのなかに組みこんでいる、とも言えるのです。

こういうことを考えると、犯人探し、そうして、その後の声高な批判・糾弾の責任がマスコミにある、と言うわけにはいかなくなってしまいます。
そう、マスコミを「犯人」として、「マスコミが悪い」と言うのも、同じ轍にはまってしまうことになるのです。

では、わたしたちはどうしたらいいのか。
どうやってマスコミとつきあっていったらよいのか。
明日はいよいよそのことを考えたいと思います。

(この項つづく)

報道の読み方 その4.

2006-10-24 22:22:06 | 
4.犯人探しの問題

昨日は「原因」「結果」という記述は、「犯人」を含む、ということを見ました。
レバノン南部ハルタで22日、イスラエル軍が残した不発弾が爆発して12歳の少年が死亡、弟(9)がけがをした。
(朝日新聞) 2006年10月23日(月)11:31

たったこれだけの文章でも、わたしたちは「イスラエル軍は悪い」という印象を持ってしまうのです。

ところがこの「原因」というのは、出来事が起こってしまってから遡航的に見つけられたものであることは、第二回から指摘している点です。
実際には複雑な要因が絡み合っているうちのなかから、恣意的に選び出されたものにほかなりません。

この出来事が起こったのちに振り返って「原因」を求め、そのうちのひとつだけ(あるいはふたつか三つの場合もありますが)をとりあげ、「原因」とし、「原因」と「結果」を結ぶ物語を作ってしまうということは、わたしたちの日常的な考え方の、ある種のクセ、とも言えるべきものです。
そうして、これは、たとえばこんなあらわれかたをします。

「いじめはいじめられるほうにも問題がある、というのはまちがいである」という考え方も徐々に一般的になってきて、ほんとうにうれしい限りですが、かならずしもその理由はきちんと説明されていないような気がします。

けれどもこれは、実はこの「原因」と「結果」という物語のあらわれでもあるのです。

「いじめ」という現象がP君にたいして起こっているとします。
それを目の当たりにしたあるQ君は、そこから先行する出来事を探します。
あいつは過去先生にチクッた。
この出来事を探そうとした時点で、「いじめられても当然」という認識まであと一歩です。
チクりであろうがなんであろうが、おそらくあらゆる人物に、該当する何らかの出来事は見つかるからです。

ほかの人間なら問題にはならない同じ出来事が、いじめられているP君にたいしてだけは、重要な出来事として、意識にのぼってくる。
こうして、Q君は「Pは先生にチクるようなやつだ」と、ダントの言う「先行するできごとE2」として認識するのです。

「先生にチクる」は、決してP君の専売特許ではありません。
具合が悪そうなR子さんに気がついて、「先生、R子さんが具合が悪そうです」と告げるのも、「先生にチクる」ことです(まぁそういう行為を「チクる」とは言いませんが)。

ほかにいじめられているS君のことを「先生、S君がT君たちにいじめられているみたいです」と告げるのも、「先生にチクる」ことです。

給食の牛乳に虫が入っていた。「先生、牛乳の中に虫が入っています」と言うことも、たとえば牛乳屋さんから見るならば「アイツ、先公にチクりやがって」ということになるかもしれません。

道路の向こうにいる知り合いに挨拶しようと思って手を上げたら、タクシーが停まってしまった経験がだれにもあるはずです。ここで、「片手をあげる」という同じ行為がさまざまな人によって、さまざまに解釈されるように、「あることを先生に告げる」という行為がさまざまに解釈される。

「原因」は「結果」を生んでいるわけではありません。
「原因」というのは、「結果」が起こってから、わたしたちがその「結果」を納得しようと自分に向かってする、さまざまな説明のうちのひとつでしかありません。

だから、「いじめられるほうにも問題がある」というのはまちがっているのです。


ところで、わたしたちはよく「あのときああしていれば、こういうことは起こらなかったのに」と考えます。
そうやって「ああ」しなかった自分を責めたり、反省したりします。
けれども、そういうことが言えるのは、「出来事」が起こってしまったから、なのです。
仮に「ああ」していたとして「こういうこと」が起こらなかったとしても、別のことが起こります。そうしてそれは、わたしたちには決して予想がつかない形で起こります。そうしてわたしたちはそこでまたふりかえって「そうしていたらよかったのに」と頭を抱えるのです。

「あのときああしていれば、こういうことは起こらなかったのに」という考え方が個人のうちに「反省」としてある段階では、それは決して悪いことではありません。
けれども、わたしたちは多くの場合、他人にそれを向けてしまいます。

「あのとき、あの人がああしたから、こういうことが起こってしまったのだ」と考えて、その「あの人」を「犯人」として、「お前がああしたからこういうことが起こったのだ」と糾弾を始めることが、正当なことだと言えるでしょうか?

「あの人がああした」というのは出来事が起こってしまったあとに、遡航して見つけ出された「原因」にほかならないのに。

もちろん、出来事が起こるさまざまな要因のひとつとなったのかもしれません。そうでないかもしれません。

備えあれば憂いなし、と、さまざまな起こりうる事態に対処することは大切なことです。
けれども、百パーセント、不備のない状態というのは、絶対に不可能です。
何ごとかは確実に起こり、起こってから、わたしたちはそのことの「原因」を探しだし、ああ、こういうことをしてなかった、と気がつきます。
「原因」と「結果」はそういう関係にあるのです。

(この項つづく)

報道の読み方 その3.

2006-10-23 22:33:14 | 
3.「原因」と「結果」

昨日見たことを簡単にさらっておきましょう。

わたしたちは出来事に遭遇すると、そこから過去を探って、もうひとつの出来事を引っ張り出し、そのふたつを結びつけて「出来事」として認識する。

そうして、それを記述するときは、先に起こった出来事を記述する。
この先の出来事は、通常「原因」と呼ばれます。

この文章も、そのふたつの出来事の組み合わせからできています。
クラスター爆弾の不発弾で子どもの被害続く レバノン
レバノン南部ハルタで22日、イスラエル軍が残した不発弾が爆発して12歳の少年が死亡、弟(9)がけがをした。
(朝日新聞) 2006年10月23日(月)11:31

見出しは「クラスター爆弾の不発弾」として、先に起こった出来事が記述されます。

出来事は「10月22日、12歳の少年が死亡、9歳の弟がけがをした」ということです。
そうして、それと「イスラエル軍が過去爆弾を投下した」というふたつの出来事が関連づけて記述され、先に起きた出来事はその「原因」となっています。

わたしたちがメディアから情報を得ようとするのは、「起こったこと」だけでは、それを「出来事」と認識できないので、「その前に起こったこと」を知りたいからです。
そうして、「その前に起こったこと」として記述されることが「原因」と認識されるのです。そうしてそれを読むわたしたちは「なんでそんなことが起こったか」という形で認識します。

そうして、その発端となる出来事、わたしたちにとっては「結果」として認識される出来事が「よくないこと」の場合(報道の多くはそうなのですが)、わたしたちは「だれが悪かったのか」と、あたかも推理小説を読んで、そのなかから犯人を捜そうとするように、「犯人」を求めます。

報道を読むわたしたちは、そういう操作を頭の中で行っているのです。
良いとか悪いとかということではなく、そういう考え方をするのが人間である、と理解しておいてください。

ところが、現実は推理小説とはことなります。
推理小説が閉じられた世界で、登場人物も限られていることに対し、現実はそうではありません。多くの場合、出来事というのは、複雑な要因がからみあって起こります。

昨日の「転んだA君」にもういちど登場してもらいましょう。

A君が転んだのは、石が地面から出っ張っていたからだ。
A君が転んだのは、道路が舗装されていなかったからだ。
A君が転んだのは、疲労が溜まっていたからだ。
A君が転んだのは、イヤな上司のためにストレスが溜まっていたからだ。
A君が転んだのは、地球に重力があるからだ。

これだけではなく、A君が転んだのにはさらに多くの要因がからみあっている。

これがもっと複雑なできごと、多くの人が関わったりするような情況では、その出来事が起こるのも、無限とも言える要因がからみあってのことでしょう。

にもかかわらず、わたしたちはそのうちのひとつだけを「原因」とし、そのほかのことは意識のうちにのぼらせず、無視します。
それがわたしたちがやっていることなのです。

(この項つづく)

報道をどう読むか その2

2006-10-22 21:54:05 | 
(※タイトル変えました。文体もどうも決まらないので変えてみました。読みにくかったらごめんなさい)


2.出来事の記述

あなたが電車に乗っている、とします。電車が急に止まった。
あなたはまず、「どうしたんだろう、原因はなんだろう」と思いますね。
まもなく車内放送があります。「前方で人身事故がありました」
それで、あなたの疑問はいったん解決します。
しばらく停まったのち、ふたたび電車が動き出します。それっきり忘れてしまうこともあるけれど、つぎの日の朝刊は、地域のことが載っている紙面の、ふだんは気にも留めないような細かな記事を探し、その「人身事故」の詳細を知りたく思う。

あるいは、予期しないような事件が起こる。
たとえば、地下鉄サリン事件ののち、オウム真理教が実行犯とされて、TVでは通常番組の多くを潰して、連日のように特別番組を流していました。

わたしたちは、理解できない出来事が起こると、どうしてそんなことが起こったんだろう、となんとかして理解しようとします。
そうして、その説明を、新聞やTVなどのマスコミに求める。
そういう構造があります。
この点をもう少しくわしく考えてみたいと思います。


わたしたちは、たとえ事件の現場に居合わせたとしても、そのときは「何が起こったか」を知ることはできません。


たとえば、西葛西の家から、飯田橋の職場まで通っているある人がいるとします。

月曜日に東西線の西葛西駅から電車に乗って飯田橋で降りる。
火曜日にも西葛西駅から飯田橋まで電車に乗る。
水曜日にも西葛西駅から乗ったら茅場町で電車が停まってしまった。

このとき初めて、わたしたちは「何かが起きた」と思います。
実際には、月曜日も火曜日も無数の出来事が起こっているはずです。電車に乗った時間だけ取り上げたとしても、実におびただしい出来事、実際には記述できないほど多くのできごとが起こっている。
けれどもわたしたちはそのほかのできごとを意識にも留めず「電車が停まった」ことだけを「起こった」と意識する。
そうして、「何が起こったんだろう」と考えます。

起こった出来事は「電車が停まった」ということです。
でも、わたしたちは「何が起こったんだ?」と考える。
おもしろいですね。
そうして、のちにその原因となる出来事、「八丁堀駅で人身事故があって日比谷線全線が不通になった」ということが明らかになった時点で、「八丁堀駅で人身事故が起こった」と認識されるようになります。

「わたし」が遭遇したのは「茅場町駅で電車が停まった」という出来事なのに、わたしたちは「八丁堀駅で人身事故があった」という具合に認識します。

Aさんが転んだ。
なんで自分は転んじゃったんだろう。何かに躓いたぞ。あたりを見まわすと、躓いたとおぼしいところに石がある。そこで「自分は石に躓いたんだな」と思います。

本社勤務のBさんは11月から常勤社員がひとりもいない網走出張所勤務になりました。Bさんは「おれは飛ばされたんだ」と認識します。

全部ここには同じ構造があります。

わたしたちがある出来事Aに遭遇する。
すると、過去にさかのぼって、もうひとつの出来事Bをみつけ、それと関連づける。
さらに、「出来事Bが起こった」という形で認識する、ということです。

これをこむずかしく言ったのが、アーサー・C・ダントです。
ダントは「物語文」の定義をこのように定義しました。

私がかかわっている種類の記述は、ふたつの別個の時間的に離れた出来事E1およびE2を指示する。そして指示されたうち、より初期の出来事を記述する。
『物語としての歴史』(アーサー・C・ダント 河本英夫訳 国文社)

ダントはこういう文章を「物語文」と呼びますが、これは物語における文章という意味ではありません。
「この構造はまた、ある意味で通常行為を記述するすべての文に現れている」と言っているように、あらゆる出来事を記述しようと思ったら、かならずこういう形になる、と言っているのです。

転んだ。→なんで転んだんだ(キョロキョロ)→あ、あの石だ!→石に躓いたんだ。

「転んだ」という出来事からさかのぼって、石を発見し、その石に躓いたから転んだ、と因果関係を認識し、さらに、その原因となる出来事を「起こったこと」と認識し、ブログに今日の出来事として「石に躓いてしまった」と書くのです。

けれどもAさんが転んだのは、ほんとうに石が原因だったのでしょうか。

もしかしたら、足が疲れていて、ふだんにくらべて足があがらず、ひきずるように歩いていたために、ふだんだったら躓かないほどのでっぱりにも躓いてしまったのかもしれません。そうすると、疲労が原因で転んだのかもしれない。

あるいは、その疲労というのも、最近職場に配属されてきた新しい上司がイヤなヤツで、気分が鬱々として晴れず、夜も良く眠れない。だから、石に躓いたのも、上司が原因で、となると、上司が来たから転んだのかもしれない。

いやいや、地球に重力があるから転んだとも言える。もし地球に重力がなければ、そもそも石に躓くことさえなかったでしょう。

ですから、「今日転んだ」という出来事ひとつとっても、無限といってもいいほどの記述が可能です。そうして、そのどれもがまったくの嘘ではないのです。

わたしたちは出来事を、時間的に離れたもうひとつの出来事と結びつけて認識します。
そうして、その「もうひとつの出来事」の選び方は任意なのです。

新聞記事も、当然記述です。ダントの言う「物語文」で書かれています。

昨日あげた新聞記事でも、焦点となる出来事は「妊婦さんが出産中に亡くなった」ということだけなのです。
そうして、その「原因」は、書き手の判断によって選択されたのです。

以前、別のところで歴史家のE.H.カーの文章を引用しました。
実際、事実というのは決して魚屋の店先にある魚のようなものではありません。むしろ、事実は、広大な、時には近よることも出来ぬ海の中を泳ぎ廻っている魚のようなもので、歴史家が何を捕えるかは、偶然にもよりますけれども、多くは彼が海のどの辺で釣りをするか、どんな釣道具を使うか――もちろん、この二つの要素は彼が捕えようとする魚の種類によって決定されますが――によるのです。全体として、歴史家は、自分の好む事実を手に入れようとするものです。歴史とは解釈のことです。
E.H.カー『歴史とは何か』清水幾太郎訳 岩波新書

カーが想定しているのは、歴史的記述のことですが、あらゆる記述は、先のダントの指摘にもあるように、「ふたつの出来事を関連づけ、そうして時間的に先に起こったことを記述する」という形式が取られます。

事実を記述する、ということは解釈を記述するということなのです。

(この項つづく)

報道をどう読むか その1

2006-10-21 22:01:45 | 
1.これは同じ出来事なのだろうか

さきごろ、新聞を読んでいて、このような記事を見た。

分べん中意識不明:18病院が受け入れ拒否…出産…死亡(10/17)

出産中に容態が急変し、意識不明に陥った妊婦が、受け入れ先の病院が見つからず、6時間後にようやく約60キロ離れた病院に収容され、男児は出産されたが妊婦のほうは後日死亡した、というもの。

わたし自身はこの記事を読んで、「18もの病院が受け入れを拒否したことで妊婦は死亡したのだ」というふうに理解した。そうして、「たらい回し」という言葉が頭に浮かび、なぜそんなことになったのだろう、と、ばくぜんと思ったりもした。

ところが数日後、この報道とはまったくちがった見方が存在することを知った。

たとえばこのサイトある産婦人科医のひとりごとでは、こうした特殊なケースでは、多くの専門スタッフを確保しておかなければならないことから、受け入れを拒否せざるをえない場合があることが説明されている。

さらにこのサイト新小児科医のつぶやきでは、症状が詳しく説明されていて、受け入れた側が非難されることさえある昨今の情況までが説明されている。

こうしたものを読んでいくと、「18病院(のちに19となる)の受け入れ拒否」が死亡の原因であると考えることはできなくなってくる。


わたしたちは多くの事件を、新聞やニュースなどのマスコミの報道の形で知る。
そうして、その報道をもとに、事件を「知り」、それについてさまざまな感想を持つ。

ところが今回のこの事件の報道でもあきらかなように、出来事は見る角度によって、まったく別の様相を呈する。
どうしてこういうことが起こってくるのだろうか。
公平無私な報道、というのは、ありうるのだろうか。
わたしたちはマスコミの報道を、どう読んだらいいのだろうか。

このことを考えてみたい。
しばらくおつきあいください。

(この項つづく)

サイト更新しました

2006-10-20 22:31:17 | weblog
先日までここで連載していた「あの頃わたしが読んでいた本」(タイトルがちょっとだけ変わりました)、加筆修正してサイトにアップしました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

最初はもうちょっと大きくなる頃までいくはずだったんですが、まぁ今回は子供時代だけで終わることにしました。
もう少し大きくなったバージョンを書くかどうかは不明です。
好評だったら、考えようと(笑)。

さて、明日からまた新しいことをはじめていきますので、よろしくお願いします。
ということで、それじゃまた。