陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

レイ・ブラッドベリ 「壜」 その2.

2013-05-31 22:54:00 | 翻訳

その2.


 ホローでは、おびただしい数の若草色と血のような赤のランタンが、けぶったような光を男たちに投げかけていた。集まった男たちは雑貨屋の店先に腰を下ろして、ひそひそ話をしたり、唾を吐いたりしている。

 彼らには、ギーギーガタガタとチャーリーの荷馬車がちかづいてくるのはわかっていたが、荷馬車の停まる音がしても、さえない色合いの髪におおわれた頭がそちらを振り向くことはなかった。ちらちらと光る葉巻の火はホタルさながら、さざめく声は夏の夜のカエルのようだ。

 チャーリーはいそいそと身を寄せていった。「よお、クレム! よお、ミルト!」

「ほい、チャーリーがおいでなすったぞ」ざわめきの中から声があがったが、政治談義は一向に止む様子もない。チャーリーは、言葉がとぎれるのを待って、そこに割りこんだ。

「ちょいとしたものを手に入れたんだ。おまえらが見たくなるような!」

 雑貨屋の張り出し玄関にいたトム・カーモディの目が、緑のランタンの光を受けて、ぎらりと光った。トム・カーモディときたら、いつだってポーチの暗いところだとか、木陰だとか、かりに部屋にいたとしても、一番隅っこの暗いところから、目を光らしているんじゃないか、とチャーリーは思った。あいつがどんな顔をしているか、ちっともわからなくても、やつの目はいつも人をからかうような色を浮かべている。それでいて、こっちを見る目つきも、おもしろがるようすも、絶対に同じじゃない。

「おれたちが見たいものなんて、おまえに手に入れられるわけがねえじゃねえか、このスカタンが」

 チャーリーはぐっと拳を握りしめたが、例のものに目を遣った。「ビンの中にある」彼は続けた。「脳みそみたいにも見えるし、クラゲの酢漬けみたいにも見えるし、それから……ええと、まあとにかく自分の目で見てくれ!」

 中のひとりが葉巻のピンクになった灰を落としてから、ぶらぶらと見にやってきた。チャーリーはもったいぶったようすで、取ったビンの蓋を高々と掲げる。すると、揺れるランタンの光の下、男の表情がさっと変わったのがわかった。
「おい、こいつは……こいつはいったい何なんだ?」

 これを機に、その夜が動き出した。ほかの面々もだらけていた上体を起こして、身を乗り出す。重力に引き寄せられたかのように、そちらに近づいていった。意識もしないまま、脚が勝手に前に出る。前のめりに倒れまいとすれば、そうするしかないのだ。面々はビンとその中味のまわりを取り囲んだ。するとチャーリーは、生まれて初めて秘密の戦略というものを理解した。そうしてガラスの蓋をパチンと閉めてしまった。

「もっと見たけりゃ、おれんちへ来い! 家に置いとくから」と太っ腹なところを見せた。

 トム・カーモディはポーチからペッと唾を吐いた。「けっ」

「もいっかい見せろよ!」メドノウのじいさんが怒鳴った。「ありゃ、タコか何かか?」

 チャーリーは手綱を引いた。馬がよろよろと走り出す。

「ウチへ来な! 歓迎するぜ!」

「かみさんが黙っちゃないぞ!」

「俺たちみんな、かみさんに蹴り出されるさ!」

 だがチャーリーを乗せた荷馬車は丘を越えて行ってしまった。男たちはみんな、突っ立ったまま、押し黙り、暗い道を目を細めて眺めていた。トム・カーモディひとりが、ポーチから低い声でののしりの言葉を口にした……。



(この項つづく)

レイ・ブラッドベリ 「壜」 その1.

2013-05-30 23:14:27 | 翻訳


The Jar (壜)

by レイ・ブラッドベリ


その1

それはいかにも、寂れたちっぽけな町のはずれにかかった見せ物小屋のテントに並んでいそうなものだった。ありがちな青白い物体が、ビンの中、アルコールの海にたゆたいながら、命のない目玉をこちらにじっと据えて――その実、決して誰のことも見ていない――永遠に覚めない夢を見ている。

夜もふけて物音も途絶え、聞こえてくるのはすだくコオロギの音と、沼沢地でむせび泣くカエルの声だけ。こんなしろものが大きなビンのなかに浮かんでいるのだから、実験室のタンクに切断された腕に出くわしたようなもので、胃袋も驚いて飛び上がるにちがいない。

 チャーリーはもう長い間、目玉を見つめかえしていた。
 長い間、大きな粗野な手、甲の毛深いが、物見高い客を押しとどめるロープをしっかりにぎりしめている。十セントを払ったあとは、ずっとこうして目をこらしている。

 夜がふけていく。メリーゴーランドも動きを落とし、もの憂げな機械音をさせるだけになった。杭打ちの連中がテントの裏でタバコを吸いながら、ポーカーのことで悪態をついていた。ライトが消えて、サーカスを夏の宵闇がすっぽりと包む。三々五々、家路につく人びとの流れが続いていた。どこかで不意にラジオが鳴り出したが、すぐに止む。あとにはルイジアナの広い星の瞬く静かな夜が残された。

 だがチャーリーにとっては、密閉されたアルコールの海にただようこの青白い物体以外には、なにものも存在していないに等しい。ぽかんと開いたピンク色の口元には、歯がのぞいている。目には不思議そうな、うっとりしたような、いぶかしむような色が浮かんでいた。

 背後の闇のなかから急ぎ足で近づいてくる者があった。ひょろ長いチャーリーにくらべると、小柄な男である。
「おや」影の中から、電球の明かりの下へやってきた男が言った。「まだいらっしゃったんですかい?」

「ああ」とチャーリーは言った。まるでたったいま眠りからさめた男のようだ。

 見せ物小屋の主は、チャーリーが興味津々であることを見て取っていた。ビンの中の古なじみにうなずいてみせる。「みんなこいつのことは気に入るんだ。そんじょそこらにはないものだからな」

 チャーリーは長いアゴをさすっていた。「あんた、こいつを売ろうとは思ったことはないかね?」

 見せ物小屋の主の目が大きくなり、やがて細められた。主は鼻を鳴らすとこう言った。「さあてね。こいつ目当てでお客さんは来るからね。みんなこんなものを見たいんだ。そうだろ?」

 チャーリーはがっかりしたようだった。「そうか」

「まあ」見せ物小屋の主は考えながら言った。「金を払おうって客が来れば、どうかな」

「いくらぐらいなら売る?」

「そうさな」主はチャーリーに目を遣りながら、指を一本、また一本と折りながら、見積もっていく。「三、四、いや、たぶん七か八……」

 チャーリーはそのたびに期待に目を輝かせてうなずいた。それを見て取ると、見せ物小屋の主は値をつりあげた。「……まあ、十ドル、いや、十五……」

 チャーリーは眉をひそめ、困ったような顔をした。主はいそいで引っ込める。「いや、十二ドルもありゃ」
チャーリーはにやっとした。
「ビンの中のブツを売ってやってもいいな」と主は締めくくる。

「そりゃ奇遇だな」チャーリーは言った。「おれのジーンズのポケットに、ちょうど12ドルあるんだ。ずっと考えてたんだ。こいつをウィルダーズ・ホローにあるおれの家に持って帰って、テーブルの向かい側の棚に載っけてみたらどんなだろうなって。そしたらみんな、おれのこと、たいしたもんだって思うにちがいない」

「よし。これで決まりだ」見せ物小屋の主は言った。

 かくてビンの売買は成立し、チャーリーは荷馬車の後ろの席にビンを載せた。馬はビンを見ると、落ち着かなげに脚踏みし、いなないた。

 見せ物小屋の主は、安堵に近い色を浮かべて、それにすばやく目を走らせた。「ま、そいつを眺めるのにもうんざりしてたのさ。礼はいらん。最近はここにほかのものを置いたらどうかってずっと考えてたんだ。何か目新しいものをな。だが……おっと、えらく口が軽くなってた。ま、そんなとこだ、じゃあな、田舎の兄ちゃんよ」

 チャーリーは馬を走らせた。裸電球の青い光が、消滅しつつある星のように遠く弱くなり、代わりにルイジアナの田舎の夜の闇が荷馬車と馬を包み込んだ。あたりにはチャーリーと灰色の蹄を規則正しく走らせている馬と、コオロギがいるだけだった。

 そして後ろの座席にのせたビンが。

 ビンの中では、液体が前へ後ろへと揺れていた。タプンタプンとしめった音を立てて。そうして冷たい灰色の物体は、ぼんやりとガラスにもたれて、ゆらゆら揺れながら、外を見ていた。その実、何も、何も見ないまま。

 チャーリーは体を後ろへひねって、ふたをいとおしげになでた。奇妙なアルコールの匂いに、彼は手を引っ込めた。血の気をなくし、冷え切り、ふるえ、興奮した手を。「イエス・サー」彼は心の中で言った。「かしこまりました」

 タプン、タプン、タプン……。



(この項つづく)



英語の勉強

2013-05-02 23:56:49 | weblog
2011年から小学校に英語の授業が導入されて、この春で二年目になる。「コミュニケーション能力の素地を養う」とかいう授業がどのようなものなのか、実のところは知らないのだが、外国人教師が週に一時間か二時間、"Hello, everyone! How are you?" と言う例のやつではあるまいか、と思っている。そんな挨拶だけ、どれだけ勉強したとしても、何の役に立つわけでもないことは、誰もが十分わかっているだろうに。問題は、挨拶をしたそのあとなのである。

以前から、日本の英語教育の弊害を口にする人は多かった。曰く、文法中心でちっとも話せるようにならない、とか、中学から大学まで十年も勉強したのに、話せない、聞けないで役に立たない、とか。そんな不満が小学校からの導入や、「オーラル重視」という流れを生んだのだろう。

ただ、ひとつ疑問なのは、そんなことを言っている人が、現実にいま、過去の学校教育のおかげで困ったことになっているのだろうか。

なんだかんだ言っても、日本で生活している限り、英語とは無縁でいられる。ほとんどの人は英語など不要な生活を送っていて、過去に英語のテストで痛めつけられた苦い記憶だけが残っているから、つい、そんなことを愚痴混じりに言っているのではあるまいか。

ユニクロの社長始め、仕事で英語を日常的に使っている人は、どこかの段階で、相当しっかり勉強したはずだ。わたしもそうだけれど、必要に迫られれば、その必要に応じて勉強し直すよりほかなく、そうなってみれば記憶の隅に引っかかっている切れ切れの文法の知識が、意外と役に立つことを思い知らされたのではないか。少なくともわたしの場合はそうだった。文法というのはゲームのルールと同じで、ゲームを進めていくためには基本的なルールを身につけないわけにはいかない。それだけでゲームで勝つところまではいかないが、ルールを知らなければ、ほかのプレイヤーと同じスタートラインにさえ立てない。

文法なんて必要ない、子供を見てみろ、子供なんて文法など覚えなくても、外国で生活していればすぐに英語を覚える、と乱暴なことをいう人もいるが、これも相当にアヤシイ。実際に見てきた限りでは、子供が大人より早く覚えるということはなく、どれだけ「英語漬け」の環境にあったとしても、ちっとも「自然に」身につけることなどはないのである。まして、両親とも英語が使えない家の子となると、いくら現地の学校に放り込まれても、大人よりもひどいストレスを被ることはあっても、ちっともしゃべれるようにはならない。そんな子供たちは、英語を母語としない子供向けのメニューで、結局英語を文法から勉強していくしかないのだ。

もちろん、文法なんかムダだ! という語学の達人もいる。たとえばトロイの遺跡を発掘したシュリーマン。この達人は、どんな勉強方法で十数カ国語をモノにしたのだろうか。彼はこうやってギリシャ語を習得したのだそうだ。
語彙の習得はロシア語のときより難しく思われたが、それを短時日で果たすために、私は『ポールとヴィルジニー』の現代ギリシャ語訳を手に入れて、それを通読し、この際、一語一語を注意深くフランス語原文の同意語と対比した。この一回の通読で、この本に出て来る単語の少なくとも半分は覚え、それをもう一度くり返したのちには、ほとんど全部をものにした。しかも、辞書を引いて一分たりとも時間をむだにするようなことはしなかったのである。このようにして、私は六週間という短い期間のうちに、現代ギリシャ語をマスターすることに成功し、それから古典ギリシャ語の勉強に取りかかった。(略)

…ギリシャ語文法は格変化と規則動詞および不規則動詞だけを覚えた。一瞬たりとも、文法規則の勉強で貴重な時間をむだにはしなかったのである。(略)私の考えでは、ギリシャ語文法の根本的知識は、実地練習、つまり古典の散文を注意深く読むことと、模範的作品を暗記することだけで身につけることができる。私はこのきわめて簡単な方法に従って、古典ギリシャ語を生きた言語のように学習したのである。だから私は、決して言葉を忘れることなく、完全にすらすらと書き、どんな対象についてもらくらくと思うことを表現することができるのだ。
(ハインリヒ・シュリーマン『古代への情熱――シュリーマン自伝』新潮文庫)
なるほど、さようでございますか。
対訳本を使えば、辞書をまったくひかなくても、一回で単語の半分を覚えて、二回目にはそのほとんどをものにすることができるんだって!!「格変化と規則動詞および不規則動詞だけ」覚えれば、あとは「実地練習」だけで、「完全にすらすらと書き、どんな対象についてもらくらくと思うことを表現することができる」???

いや、確かにその勉強法はシュリーマンには合ったのだろう。勉強法というのは千差万別で、結局のところ、自分に合った勉強法というのは、試行錯誤しながら、失敗を積み重ねながら、自分なりにカスタマイズしていくしかないのだ。『合格体験記』というのがあるけれど、うまくいった人の勉強法を聞いたところで、何の参考にもならない(逆に、「不合格体験記」というのは実際にはないのだが、もしあれば意外と参考になるような気がする。それを避ければよいのだから。少なくとも、人の自慢を聞かされるよりは、失敗談を聞いていた方が楽しいではないか)。

なんにせよ、語学の勉強というのは、時間をかけ、積み重ねていくしかなく、しかも結果は否応なくつきつけられるものなのである。英文は読めないし、話すことが自分の中になければ、挨拶をしたあと、口ごもるしかなくなる。「まだうまく話せないから、話さない」と言っていては、話せるようになる日は永遠に来ない。どこまでやっても、母語としている人の域まで行けないし、レベルの差はあれど、失敗はつきもので、恥はかきつづけなければならない。とにかく勉強というインプットだけでなく、アウトプットをし続け、その結果を自分で受け止める。恥をかき、ほぞをかむその向こうに、自分の勉強の足りないところと、うまくいったところが見えてくるのだ。

がんばっていきまっしょい。