陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

お詫びと更新のお知らせ

2005-02-28 21:03:43 | weblog
まずはお詫びから。
昨日当ブログにいらっしゃってくださった方、お見苦しいものをお目にかけまして失礼いたしました。
リンクのタグ、最後に「 " 」を入れ損ねてしまっていました。
いつもアップしてから、本文をチェックするんだけど、昨日の夜、ちょっと急ぎの仕事が入ったものでバタバタしてたんです。せっかく来てくださったのにごめんなさいね。こんどからそんなことのないように気をつけたいと思います。

昨日までブログに連載していた「英語の詩を読む」、ロバート・ブライの詩を除いてサイトにアップしました。ブライはいまhtmlに起こしている最中なんですが、なにしろ詩が長い。ちょっとした短編くらいありますから大変です。うーん、時間がいくらあっても足りないなー。ブライ、なんとか明日中にはアップしたいと思います。

さて、今日は風のない穏やかな日でした。
まだ気温は低いけれど、陽射しの色はずいぶん春めいてきました。

今日の逢ひいや果ての逢ひと逢ひにけり村々に梅は咲きさかりたり(中野重治)

英語の詩を読む 補足

2005-02-27 19:07:20 | 翻訳
ロバート・ブライの詩に関する若干の補足
(詩とその訳は、昨日のブログを参照してください)

まず、詩の語句について簡単に。
タイトルにもなっているTeeth Mother、これは神話から来ているとブライはインタビューやエッセイ"Sleepers Joining Hands." にも記しているのだが、詳しいことは不明。

まずブライの紹介によると、大地母神は四人の女神から成る。
真上に地母神、これは善き神である。すべてを生みだし、すべてに愛と滋養を与える。
その真下にいるのが死母神である。この死の女神は、犠牲と殺しを司る。
右には、もうひとりの善き神、恍惚の女神がいる。この神はさまざまな芸術を通じて、ひとびとを美と恍惚に導く。
そうして左にいるのが歯母神で、一切の破壊的なもの(精神病や憂鬱症、薬物中毒、好戦性など)をもたらし、ひとびとを死と滅亡へ導く女神なのである。

インタビューの中でも簡単にふれられているが、ブライは脳の浅いところからくることばと、もっと深いところ――魂――から来ることばがある、という。昔の人はおとぎ話にみられるように、抽象的なことばを使うよりも、イメージを用いたことばを使っていた。新聞や雑誌などのことばは、表層から出てきたことばであるのにたいして、詩はイメージによって語りかける。魂から出たことばは魂に届く。そうしたものが詩なのだ、という。

この詩においても、ヴェトナム戦争を始めたのが、ジョンソン大統領とラスク国務長官ではなく、死母神と歯母神であるという考え方を提示する。そう考えることによって、より深いイメージの世界へ、みずからを投げ入れることになる、という。

この詩のなかで歯母神が姿を現すのは、最終章である。
『ロバート・ブライ詩集』(谷川俊太郎・金関寿夫訳 思潮社)の解説にはこう記されている。

この詩の週末部には、……一種気の狂ったケモノ、というヴィジョンが出て来る。そのケモノがヨーロッパ風の髪をしているのは、この最終的にはヴェトナム戦争にと発展した好戦的な活力が、ヨーロッパ系アメリカ人から出たものだ、という事実を示す。この巨大なイノシシのようなケモノは、マサチューセッツから西に走って、いまやカリフォルニア州西端メンドシーノ郡の、太平洋を見下ろす断崖の所まで来ている。次の行には、キリストによって体内に悪魔を入れられた豚のむれが現われる。そして「狂ったケモノ」が台丘に向かって突進し、「ブタどもが」それに続いて海に跳び込むと、海が左右に分かれてふたつの半球が浮かび上がって来る。一つには「法悦状態の毛深い男たち(ウッドストックに集った対抗文化の若者たちやビートルズを想起してもいいようだ)、そしてもう一つには、「ついに裸身となった歯母神が出現する」


この詩のなかでは、あたかも映画のように、非常にリアルな描写が、強い緊張感を保ったまま、詩のなかで積み重ねられていく。それは読者を深いイメージの世界へ誘うための助走でもある。
歯母神というイメージの世界へ跳躍することはむずかしいのだけれど、それでも、この詩に描かれた残虐な行為の数々を、「他人事」として見るのではなく、内側でとらえ、自分の奥深くへと落としていくことは可能ではないだろうか。

この詩が発表されたのはヴェトナム戦争のさなかの1970年。
それから三十五年がすぎたけれど、この詩はいささかも古びてはいない。

(※個別の語句について、一応注解は書いたのだけれど、ブログの構成上わかりにくくなってしまったので、サイトに掲載することにしました。後日そちらでアップします)

英語の詩を読む その6.戦争をうたう 後編

2005-02-26 19:30:49 | 翻訳
III

This is what it’s like for a rich country to make war.
 金持ちの国が戦争をする とは こういうことだ。
This is what it’s like to bomb huts (afterwards described as "structures")
 掘っ建て小屋(後に「建造物」と説明)を爆撃する とは こういうことだ。
This is what it’s like to kill marginal farmers (afterwards described as" Communists")
 そこらへんの農民(後に「共産主義者」と説明)を殺す とは こういうことだ。

This is what it’s like to watch the altimeter needle going mad;
 高度計の針が狂っていくのをじっと見ている とは こういうことだ。

Baron 25, this is 81. Are there any friendlies in the area?
 バロン25、応答せよ。こちら81。この地区に友好要素はありますか?
81from 25, negative on the friendlies. I’d like you to take out as
 25から81へ。友好要素なし。81には可能な限り多くの建造物の除去を願います。
many structures as possible located in those trees within 200 meters
 場所は当方の煙幕の東西200メートル圏内 林のなかです。
east and west of my smoke mark.

diving, the green earth swinging, cheeks hanging back,
 急降下、ゆれる緑の大地、後ろに引っ張られる頬、
red pins blossoming ahead of us, 20-millimeter cannon
 前方に花開く赤いピン、20ミリキャノン砲発射、
fire, leveling off, rice fields shooting by like telephone
 水平飛行、電柱のように飛び去る水田、
poles, smoke rising, hut roofs loom up huge as landing
 立ち上る煙、着陸上のように巨大な姿をあらわす掘っ建て小屋の屋根の群れ、
fields, slugs going in, half the huts on fire, small figures
 散弾が飛び込む、燃え上がる半数の小屋、走っていく小さな人影、
running, palm trees burning, shooting past, up again
 燃え上がるシュロの木、高速で通過、
. . . blue sky . . . cloud mountains . . .
 再上昇……青空……雲の山脈……


This is what it's like to have a gross national product.
 国民総生産 とは こういうことだ。
This is what it's like to send firebombs down from air-conditioned cockpits.
 エアコンの効いたコックピットから焼夷弾を落とす とは こういうことだ。
This is what it's like to be told to fire into a reed hut with an automatic weapon.
 一軒の葦の小屋に向かって自動小銃を発砲せよ、と命じられる とは こういうことだ。
It's because we have new packaging for smoked oysters
 こっちにはスモーク・オイスターの新しい缶詰があるから
that bomb holes appear in the rice paddies
 水田に新しい爆弾穴が開いたってかまいやしない。

When St. Francis renounced his father's goods,
 聖フランシスコが 父親から受け継いだ財産を放棄した とき
when he threw his clothes on the court floor,
 自分の着衣を 宮廷の床に脱ぎ捨てた とき
then the ability to kiss the poor leapt up from the floor to his lips.
 貧者に口づけることのできる力が 床から口元に跳び上がってきたのだ。
We claim our father's clothes, and pick up other people's;
 ぼくたちは 父親の服を要求し、おまけに他人の服まで剥ぎ取る。
finally we have three or four layers of clothes.
 しまいには三重にも四重にも重ね着する。
Then all at once it is fated, we cannot help ourselves,
 そこで運命は急転直下、ぼくたちは我が身を助けることさえできない。 
we fire into a reed hut with an automatic weapon.
 そこで一軒の葦の小屋に向かって 自動小銃を発砲するのだ。

It's because the aluminum window-shade business is doing
so well in the United States
 合衆国ではアルミサッシ事業がうまくいっているから
that we spread fire over entire villages.
 村中 焼き払ったってかまいやしない。  
It's because the trains coming into New Jersey hit the right
switches every day.
 毎日切り替えがうまく作動して ニュージャージーに列車が入ってくるから
That Vietnamese men are cut in two by bullets that
follow each other like freight trains.
 銃弾でまっぷたつになったヴェトナム人の身体が、貨物列車みたいに一部だけつながっていたって かまいやしない 
It's because the average hospital bed now costs two hundred
dollars a day
 病院ではベッド一床あたりの平均コストが一日二百ドルだから 
That we bomb hospitals in the north.
 北ヴェトナムの病院を爆撃したって かまいやしない。

It is because we have so few women sobbing in back rooms,
 舞台裏で泣く女なんて知れたものだから、
because we have so few children's heads torn apart by high-velocity bullets,
 高速弾で引きちぎられる子どもの頭も知れたものだから、
because we have so few tears falling on our own hands
 この手に落ちる涙だって知れたものだから、
that the Super Sabre turns and screams down toward the earth.
 スーパー・セイバーは旋回し 雄叫びをあげ 地上めがけて急降下するんだ。

IV

I see a car rolling toward a rock wall.
 車が 岩壁にそって走っていく。
The treads in the face begin to crack.
 タイヤの溝に ひびが入りかけている。
We all feel like tires being run down roads under heavy cars.
 ぼくたちは重い車体を乗っけられて 道を進んでいく タイヤみたいな気分だ。
The teen-ager imagines herself floating through the Seven Spheres.
 ティーン・エイジャーの女の子は 七つの天球を浮遊しているところを想像する。
Oven doors are found
 オーブンの開け口が見つかる
open.
 開いたまま。
Soot collects over the doorframe, has children, takes courses,
goes mad, and dies.
 開け口の枠には煤がたまっている。女の子は子どもを生んで、学校へ通って、気が狂って、そして死ぬ。
There is a black silo inside our bodies, revolving fast.
 ぼくたちの身体のなかには黒いサイロがある、そして高速で回転している。
Bits of black paint are flaking off,
 黒い塗料があちこちで はがれかけている、
where the motorcycles roar, around and around,
 そこでバイクが唸りながら、くるくる くるくる走り回っている。
rising higher on the silo walls,
 サイロの壁をだんだんのぼっていく、
the bodies bent toward the horizon,
 地平線に向かって 車体は傾き
driven by angry women dressed in black.
 操縦するのは 怒れる黒衣の女たち。

* * *

I know that books are tired of us.
 ぼくは知っている 本がぼくたちにうんざりしてるってことを
I know they are chaining the Bible to chairs.
 ぼくは知っている 聖書を鎖で椅子に縛りつけようとしてるってことを。
Books don't want to remain in the same room with us anymore.
 本は もうぼくたちと同じ部屋にいるのはまっぴらなんだ。
New Testaments are escaping . . . dressed as women . . .
 新訳聖書は逃げだそうとしている……女装して……
they slip off after dark.
 暗くなったら こっそり出ていくつもりだ。
And Plato! Plato . . . Plato
 それから、プラトン! プラトン……プラトンは
wants to hurry back up the river of time,
 時の河を 急いで遡るつもりでいる。
so be can end as a blob of seaflesh rotting on an Australian beach.
 オーストラリアの浜辺で 腐った魚の身となって その生涯が終えられるように。

V

Why are they dying? I have written this so many times.
 やつらが死んでいくのはなぜだ? ぼくはそのことをもう何度も書いてきた。
They are dying because the President has opened a Bible again.
 やつらが死んでいくのは あの大統領が聖書をまた開いたからだ。
They are dying because gold deposits have been found among
the Shoshoni Indians.
 やつらが死んでいくのは ショショーニ・インディアンの集落で 金の鉱床が見つかったからだ。   
They are dying because money follows intellect,
 やつらが死んでいくのは 知性のあとに金(かね)がついてくるからだ。
And intellect is like a fan opening in the wind.
 その知性なんてものは 風のなかで開いた扇ぐらいのもの。

The Marines think that unless they die the rivers will not move.
 海兵隊は 考える やつらが死ぬまでは 川というものは流れることはあるまい と。 
They are dying so that the mountain shadows will continue to fall
east in the afternoon,
 やつらが死んでいく 山の影が午後いっぱいかけて 東へ東へと落ちていくために
so that the beetle can move along the ground near the fallen twigs.
 カブトムシが 落ちた小枝のそばを 這っていけるように。

VI

But if one of those children came near that we have set on fire,
 だが もし ぼくたちが火をつけた家の子どもが近よってきたら
came toward you like a gray barn, walking,
 きみのほうに 灰色の納屋みたいになって、歩いてきたら  
you would howl like a wind tunnel in a hurricane,
 きみは吠えるだろう ハリケーンのときの風洞のように 
you would tear at your shirt with blue hands,
 青い両手で シャツを引き裂くだろう。
you would drive over your own child's wagon trying to back up,
 バックしようとして きみのうちの子どもの手押し車を 轢いてしまうだろう。
the pupils of your eyes would go wild.
 きみの眸は 半狂乱だ。

If a child came by burning, you would dance on your lawn,
 もし その子が火だるまになってやってきたら、きみは芝生のうえで踊りだすだろう、 
trying to leap into the air, digging into your cheeks,
 空に跳び上がろうとして、自分の頬を穿ちながら、
you would ram your head against the wall of your bedroom
 自分の頭を 寝室の壁に激しくぶつけるだろう、
like a bull penned too long in his moody pen.
 陰気な檻に ずっと閉じ込められていた雄牛のように。

If one of those children came toward me with both hands
 もし その子たちのひとりがぼくのほうにやってきたら  
in the air, fire rising along both elbows,
 空にあげた両手の その腕からは炎が吹き出していたら、
I would suddenly go back to my animal brain,
 ぼくはその瞬間 獣の脳みそに戻るだろう、
I would drop on all fours, screaming,
 四つん這いになって、叫び声をあげて、
my vocal chords would turn blue; so would yours,
 ぼくの声帯は 青くなる。きみのもだ。 
it would be two days before I could play with one of my own
children again.
 また自分の子どものひとりと遊べるようになるまでに 二日はかかるだろう。

VII

I want to sleep awhile in the rays of the sun slanting over the snow.
 雪の上に斜めに射した陽のなかで ぼくは しばらく眠りたい。
Don't wake me.
 起こさないでくれ。
Don't tell me how much grief there is in the leaf with its natural oils.
 葉に含まれる天然油に どれだけ嘆きが含まれているか なんて教えていらない。
Don't tell me how many children have been born with stumpy hands
 聖アウグスティヌスの影のなかで ぼくたちが生きてきた年月のあいだに
all those years we lived in St. Augustine's shadow.
 太くて短い手の子どもたちが どれだけ生まれてきたのか なんて教えていらない。
Tell me about the dust that falls from the yellow daffodil
shaken in the restless winds.
 教えてほしいのは 休むことを知らぬ風にふるえる黄色い水仙から 落ちてくる塵。
Tell me about the particles of Babylonian thought that
still pass through the earthworm every day.
 教えてほしいのは 虫けらのような人間の頭を毎日よぎる バビロニアの思想をほんのすこしだけ。 
Don't tell me about "the frightening laborers who do not
read books."
 「本を読まない怒れる労働者」について なんて教えないでくれ。 

The mad beast covered with European hair rushes
towards the mesa bushes in Mendocino County
 ヨーロッパの毛に覆われた 狂った獣が メンドシノ郡にある高原の灌木に向かって 突進してくる。
Pigs rush toward the cliff.
 豚たちは断崖に向かって突進する。
The waters underneath part: in one ocean luminous
globes float up (in them hairy and ecstatic men);
 崖下の水面は分かれている。片方の海には 光る球体がいくつも浮かび上がってくる(なかには恍惚とした毛深い男たち)。
in the other, the Teeth Mother, naked at last.
 もう一方の海には 歯母神が。ついに裸形となって。
Let us drive cars
 車を駆って 行こう
up
 上へ
the light beams
 光の射してくるところへ
to the stars . . .
 星に向かって……

And return to earth crouched inside the drop of sweat
 それから 縛られ 炎に包まれたプロテスタントのあごからしたたり落ちる汗の一滴のなかにうずくまって
that falls from the chin of the Protestant tied in the fire.
 地上にもどってこよう。

(注釈は明日) 

英語の詩を読む その6.戦争をうたう 前編

2005-02-26 19:29:13 | 翻訳
The Teeth Mother Naked at Last
 歯母神 ついに裸形となる

 By Robert Bly
 ――ロバート・ブライ
I

Massive engines lift beautifully from the deck.
 巨大な航空機がデッキから美しく舞い上がる。
Wings appear over the trees, wings with eight hundred rivets.
 翼が木立の上に現れる、八百個のリベットが打ちつけてある翼だ。

Engines burning a thousand gallons of gasoline a minute sweep over the huts with dirt floors.
 一分間に千ガロンのガソリンを燃やす航空機は、地べたに立つ小屋をかすめて飛ぶ。
The chickens feel the new fear deep in the pits of their beaks.
 ニワトリたちは嘴の小さな孔で新たな畏れを感じとる。
Buddha with Padma Sambhava.
 パドマ・サンバヴァをともなった仏陀だろうか。

Meanwhile, out on the China Sea,
 その間に、シナ海海上には、
immense gray bodies are floating,
 巨大な灰色の船体が浮かんでいる、
born in Roanoke,
 ロアノークで生まれだ
the ocean on both sides expanding, "buoyed on the dense marine."
 艦の両脇には大海が広がる、「濃紺の海原に浮かびつつ」

Helicopters flutter overhead. The death-
 ヘリコプターが頭上にはためく。
bee is coming. Super Sabres
 死のハチたちがやってきたのだ。 
like knots of neurotic energy sweep
 神経エネルギーの結節のように編隊を組んだスーパーセイバーは
around and return.
 あたりを掃討し、また戻ってくる。
This is Hamilton’s triumph.
 これぞハミルトンの勝利
This is the advantage of a centralized bank.
 これぞ中央銀行の威力
B-52s come from Guam. All the teachers
B-52がグアムからやって来る。
die in flames. The hopes of Tolstoy fall asleep in the ant heap.
 教師たちは炎に包まれて死んでいく。トルストイの抱いた希望は蟻塚のなかで眠ったまま。
Do not ask for mercy.
 慈悲など 乞うてはならない。

Now the time comes to look into the past-tunnels,
 いまこそ過去のトンネルをのぞきこむ時だ、
the hours given and taken in school,
 学校で 与えられ、奪われた時間を、
the scuffles in coatrooms,
 更衣室での 取っ組み合い、
foam leaps from his nostrils,
 やつの鼻孔から 泡が吹き出す、
now we come to the scum you take from the mouths of the dead,
 いまやぼくらが目にするのは おまえが死体の口からぬぐう泡だ
now we sit beside the dying, and hold their hands, there is hardly time for good-bye,
 いまやぼくらは死んでいくやつらのとなりにすわる、 そうして手を握ってやる、じゃあな、という間もないのに、
the staff sergeant from North Carolina is dying? you hold his hand,
 ノース・カロライナ出身の二等軍曹が死にかけてるって? おまえは手を取る、
he knows the mansions of the dead are empty, he has an empty place
 やつは「死の家」が空っぽなのを知っている、自分のなかに空っぽの場所があるってことも
inside him, created one night when his parents came home drunk,
 ある晩、やつの両親が酔っぱらって帰ったときに空けたんだ、
he uses half his skin to cover it,
 自分の皮膚で半分隠してるけど、
as you try to protect a balloon from sharp objects. . . .
 ちょうど風船をなにか鋭いものから守ろうとするみたいに……

Artillery shells explode. Napalm canisters roll end over end.
 大砲の砲弾が炸裂する。ナパームの散弾がごろごろ転がっていく
800 steel pellets fly through the vegetable walls.
 八百発の銃弾が生け垣の向こうから飛んでくる
The six-hour infant puts his fists instinctively to his eyes to keep out the light.
 生まれて六時間の赤ん坊が 閃光を遮ろうと、その本能で握り拳を目に当てる。
But the room explodes,
 だが 部屋は吹っ飛ばされる、
the children explode.
 子どもたちも 吹っ飛ばされる。
Blood leaps on the vegetable walls.
 血しぶきが生け垣に飛び散る。

Yes, I know, blood leaps on the walls...
 ああ、そうだよ、血しぶきが生け垣に飛び散ったんだろ。
Don’t cry at that.
 そのくらいのことで泣くんじゃないって。
Do you cry at the wind pouring out of Canada?
 じゃ、おまえはカナダから吹いてくる風に 泣くか?
Do you cry at the reeds shaken at the edge of the sloughs?
 沼地の端で震える葦を見て 泣くか?
The Marine battalion enters.
 海兵大隊の登場だ。
This happens when the seasons change,
 これが起こるのは、季節の変わり目だ
This happens when the leaves begin to drop from the trees too early
 これが起こるのは、その季節にもならないのに早すぎる落葉が始まるときだ
"Kill them: I don’t want to see anything moving."
 「奴らを殺せ。動いている者はひとりのこらず」
This happens when the ice begins to show its teeth in the ponds
 これが起こるのは、氷が池のなかで歯をむき出しにするときだ
This happens when the heavy layers of lake water press down on the fish’s head,
 これが起こるのは、湖水が重たい層になり 魚の頭を抑えつけ、
  and send him deeper, where his tail swirls slowly, and his brain passes him
  もっと深みへと沈めていく、水底で魚の尾びれはゆっくりとまわっていき、魚の脳みそには
pictures of heavy reeds, of vegetation fallen on vegetation. . . .
  密生する葦や重なり合う水草の映像がよぎっていく……
Now the Marine knives sweep around like sharp-edged jets;
 いまや海兵隊のナイフは 尖端の鋭いジェット機のよう なにもかも手当たり次第に切り裂いてゆく、
they slash open the rice bags, the reed walls the mattresses
 米袋を切り裂き、葦の壁 マットレス
Marines kill ducks with three-hundred-dollar shotguns
 海兵隊は 三百ドルの散弾銃でアヒルを殺し
and lift cigarette lighters to light the thatched roofs of huts.
 ほったて小屋の茅葺き屋根に火をつけようと タバコのライターをかざす。
They watch the old women warily
 用心のために老婆たちから目を離さない。

II

Excellent Roman knives slip along the ribs.
 すばらしい切れ味のローマ人のナイフが あばら骨にそってすべってゆく。 
A stronger man starts to jerk up the strips of flesh.
 強い男は 切り取った肉片をもち上げる。
"Let’s hear it again, you believe in the Father, the Son, and the Holy Ghost?"
 「もう一回聞かせてくれよ、おまえは父なる神と神の御子と聖霊とを信じてるんだろう?」
A long scream unrolls.
 長い悲鳴がこだまする。
More.
 もういちど。
"From the political point of view, democratic institutions are being built in Viet Nam, wouldn’t you agree?"
 「政治的見地から鑑みれば、ヴェトナムには民主的諸機関の建設が端緒についておると言えます。ご賛同いただけますね?」

A green parrot shudders under the fingernails.
 爪の下では 緑色のオウムが羽根を震わす。
Blood jumps in the pocket.
 ポケットのなかで血が跳ねる。
The scream lashes like a tail.
 悲鳴は 尻尾のように打ちかかる。
"Let us not be deterred from our task by the voices of dissent. . . ."
 「異議の声にひるんで 我々の任務を遅滞させることのないようにしなくてはなりません……」
The whines of the jets
 ジェット機のすすり泣きが
pierce like a long needle,
 長い針のように貫いていく。

As soon as the President finishes his press conference, black wings carry off the words,
 大統領の記者会見が終わるやいなや、黒い翼がそのことばを運び去る
bits of flesh still clinging to them.
 その羽根のあちこちに 未だ肉片をへばりつかせたまま。

* * *

The ministers lie, the professors lie, the television lies, the priests lie. . . .
 閣僚たちが嘘をいう、教授たちが嘘をいう、テレビが嘘をいう、神父たちが嘘をいう……
What are these lies?
 そうした嘘というのはいったいなんだ?
These lies mean that the country wants to die.
 そうした嘘が言わんとしているのは この国は死にたがっているということだ。
Lie after lie starts out into the prairie grass,
 嘘また嘘が 大草原の草のなかへと旅立っていく、
like enormous caravans of Conestoga wagons crossing the Platte.
 プラット川を渡る コネストーガ幌馬車のキャラバン大隊のように。

And a long desire for death flows out, guiding the enormous caravans from beneath;
 そして死の欲望が流れだしてどこまでもつづく、キャラバン大隊を密かに導いているのだ。
"a death longing if al longing else be vain,"
 「せめて死を請い願う、ほかのものへの願いが すべて虚しいのなら」
stringing together the vague and foolish words.
 曖昧で愚かなことばで唱和しながら。

It is a desire to eat death,
 それは死を喰らおうとする欲望だ、 
to gobble it down,
 飲みくだし
to rush on it like a cobra with mouth open.
 口を開けたコブラのように突進する。
It’s a desire to take death inside,
 それは死を内に取り込もうとする欲望だ、
to feel it burning inside, pushing out velvety hairs,
 内に燃えるのを感じるために、ヴェルヴェットのような毛を押し出そうとする、
like a clothes brush in the intestines.
 はらわたのなかにブラシでもかけるかのように。

This is the thrill that leads the President on to lie.
 大統領が嘘をつくのも、そのスリルのためだ。

* * *

Now the Chief Executive enters; the press conference begins,
 さて 最高責任者の登場だ。記者会見の幕が開く。
First the President lies about the date the Appalachian Mountains rose.
 最初に 大統領は アパラチア山脈の隆起した年代について 嘘をいう。
Then he lies about the population of Chicago,
 それから シカゴの人口について 嘘をいう。
then he lies about the weight of the adult eagle, then about the acreage of the Everglades
 それから 成体の鷲の体重について、それからエヴァーグレイズ湿地の面積について 
He lies about the number of fish taken every year in the Arctic.
 北極海における毎年の漁獲高について 嘘をいう。

He has private information about which city is the capital of Wyoming,
 大統領は ワイオミング州の州都はどこか 秘密の情報を入手している。
He lies about the birthplace of Attila the Hun.
 フン族の王アッティラの出生地について うそをいう。
He lies about the composition of the amniotic fluid,
 羊水の成分について うそをいう。

He insists that Luther was never a German,
 大統領は ルターはドイツ人ではありえない、と 主張する。
and that only the Protestants sold indulgences,
 免罪符を売り出したのは プロテスタントだったのだ、と。
He declares that Pope Leo X wanted to reform the church, but the liberal elements prevented him,
ローマ教皇レオ十世は 教会の改革を望んでいたのに、自由主義勢力がそれを邪魔したのだ、と。
He declares the Peasants’ War was fomented by Italians from the North.
 ドイツ農民戦争は 北のイタリア人に煽動されたのだ、と 主張する。
And the Attorney General lies about the time the sun sets.
 それから司法長官が 日没時間について うそをいう。

* * *

These lies mean that something in the nation wants to die.
 こうした嘘が言わんとするのは この国のなかにあるなにかが 死を望んでいるということだ。 
What is there now to hold us to earth? We long to go.
 いったいなにが いま ぼくたちを地上につなぎとめているのだろう? ぼくたちは行ってしまいたいのに。
It is the longing for someone to come and take us by the hand to where they all are sleeping:
 それは何者かの激しい願い ここにきて、ぼくたちの手を取り みなが眠っているところへ連れて行きたいという願い。
where the Egyptian pharaohs are asleep, and our own mothers,
 エジプトのファラオが ぼくたちの母親たちが
and all those disappeared children, who went around with us on the rings at grade school.
 行方不明の子どもたち、ぼくたちといっしょに輪になって小学校のまわりを回っていた子どもたちが眠る場所へ。

Do not be angry at the President--
 大統領に腹を立ててはいけない――
He is longing to take in his hand the locks of death-hair:
 大統領は死者の髪の毛の束を 手のなかで握りしめたい と願っているのだ。
to meet his own children, dead, or never born. . . .
 そして自分の子どもたち、死んでしまった、それとも生まれてこなかった子どもたちに会いたいと願っているのだ……

He is drifting sideways toward the dusty places.
 彼はほこりだらけの場所に 横倒しになってすべっていっている。

英語の詩を読む その5.子どものころの輝くような記憶

2005-02-24 22:15:30 | 翻訳
FERN HILL
ファーン・ヒル
 By Dylan Thomas
 ――ディラン・トマス

Now as I was young and easy under the apple boughs
ぼくが幼くて、なんの憂いも知らなかったころ、林檎の木の下、
   About the lilting house and happy as the grass was green,
 楽しげな家のまわりで、緑の草のように幸せだったころ、
   The night above the dingle starry,
    渓谷の夜空は星が瞬き、
Time let me hail and climb
    時はぼくに歓声をあげさせ、舞い上がらせた
Golden in the heydays of his eyes,
    金色に輝く その絶頂で、
And honoured among wagons I was prince of the apple towns
    荷馬車に囲まれたぼくは、林檎の町の王子
And once below a time I lordly had the trees and leaves
    時の流れもまだ知らぬころ、王者のように木々や葉を従えて
Trail with daisies and barley
    雛菊や大麦といっしょに歩いていった
Down the rivers of the windfall light.
    思いがけない贈り物のように光り輝く川に沿って。

And as I was green and carefree, famous among the barns
ぼくが元気いっぱいで、なんの苦労も知らなかったころ、納屋たちの間でぼくは有名だったころ
About the happy yard and singing as the farm was home,
    幸せな庭のまわりで、農場を我が家と歌っていたころ、
In the sun that is young once only,
    ただ一度だけの若い陽光のなかで
Time let me play and be
時はぼくを遊ばせ、金色に染めた    
Golden in the mercy of his means,
  時はその恵みを与えてくれたのだ、
And green and golden I was huntsman and herdsman, the calves
  緑と金色に彩られたぼくは 狩人で、牧人だった、
Sang to my horn, the foxes on the hills barked clear and cold,
子牛は角笛にあわせて歌い、丘の狐は澄んだ冷たい声で啼いた、
And the sabbath rang slowly
安息日の鐘はゆるやかに響いていった
In the pebbles of the holy streams.
聖なる小川の小石の間まで。

All the sun long it was running, it was lovely, the hay
太陽のあるかぎり、陽はかけめぐり、陽は美しく、
Fields high as the house, the tunes from the chimneys, it was air
  牧草地には干し草が屋根の高さまで積み上げられ、煙突からは調べが流れ出る、
And playing, lovely and watery
陽はそよ風となり、踊り、美しく、水のよう
And fire green as grass.
火は草のように緑に燃える。
And nightly under the simple stars
夜ごと無邪気な星のもと
As I rode to sleep the owls were bearing the farm away,
ぼくが眠りに漂っていくと、梟は農場を遠くへ運んでいった、
All the moon long I heard, blessed among stables, the nightjars
月のあるかぎり、ぼくは厩に囲まれて祝福され、聞いていた
Flying with the ricks, and the horses
夜鷹が干し草の山といっしょに飛び、
Flashing into the dark.
馬が闇のなかへと身を躍らせるのを。

And then to awake, and the farm, like a wanderer white
やがて目覚めると、農場は放浪者のように、
With the dew, come back, the cock on his shoulder: it was all
露に白く濡れ、戻ってくる、その肩に雄鶏をとまらせて。
Shining, it was Adam and maiden,
すべては輝き、アダムと乙女になった、
The sky gathered again
  空はふたたび寄り集まって
And the sun grew round that very day.
太陽はその日丸くなる。
So it must have been after the birth of the simple light
だからそれはあの一条の光が生まれたあとだったにちがいない。
In the first, spinning place, the spellbound horses walking warm
最初の回転を始めた場所に、魔法にかかった馬はゆっくりと歩いていく
Out of the whinnying green stable
いななきがこだまする緑の厩を出て
On to the fields of praise.
賛美に満ちた平原へ。

And honoured among foxes and pheasants by the gay house
狐や雉は取り囲んでぼくを崇めた 楽しい家の傍らで
Under the new made clouds and happy as the heart was long,
生まれたばかりの雲のした、豊かな心は幸せに満ちて
In the sun born over and over,
なんども なんども 生まれ変わる太陽のもと、
I ran my heedless ways,
ぼくはむこうみずに駆け回る、
My wishes raced through the house high hay
ただ願うのは屋根の高さほどもある干し草を駆け抜けること
And nothing I cared, at my sky blue trades, that time allows
青い空とやりとりしながら、ぼくはなにひとつ気にかけることはなかった
In all his tuneful turning so few and such morning songs
時が音楽を奏でながら変化していくなかで そんなにもめずらしい朝の歌を許していても 
Before the children green and golden
    緑と金色に彩られたこどもたちが
Follow him out of grace.
恩寵を離れ、時の後につづいていくまえに

Nothing I cared, in the lamb white days, that time would take me
ぼくはなにひとつ気にかけなかった、子羊のように真っ白い日々、
Up to the swallow thronged loft by the shadow of my hand,
つばめのむらがる屋根裏に 時がぼくの手の影を引っ張っていったことも
In the moon that is always rising,
いつも昇っている月の光のなかで、
Nor that riding to sleep
眠りに落ちるときも
I should hear him fly with the high fields
ぼくは時が高地といっしょに飛ぶのを聞いていなければならなかったのに
And wake to the farm forever fled from the childless land.
子どものいない国から逃げてきた農場に気がついていなければならなかったのに
Oh as I was young and easy in the mercy of his means,
ああ、ぼくが時のめぐみのおかげで 幼くて なんの憂いも知らなかったころ
Time held me green and dying
ときはぼくをつかまえて 若さと死を結びつけていたのだ
Though I sang in my chains like the sea.
ぼくは鎖に繋がれても 海のように歌っていたけれど。

   
   (訳は陰陽師)
***

ファーン・ヒルは、ディラン・トマスが生まれたウェールズにある丘の名前である。トマスの伯母の農場があった。実際にその農場で子ども時代を過ごしたのだろう。

この詩を知ったのはPat Conroyの"Prince of Tides"という小説のなかだった(この小説はバーバラ・ストライザンドが監督して映画化されている)。
高校教師の主人公がこの詩を読むたびに、涙が出てくる、というものだった。
もちろん小説のタイトル"Prince of Tides"も、詩の一節"prince of the apple towns"から来ていることは言うまでもない。そればかりでなく、この詩がウェールズの農村部で過ごした少年の日々が追憶されているように、その小説では、サウスカロライナで育った幼年時代と「現在」が二重写しされている。

英語の詩はむずかしい、という。散文よりさらに、訳を通じて意味をつかまえることも、見ず知らずの土地をイメージすることもむずかしい。それでも、あふれんばかりの色のイメージ、金色に輝く太陽と、緑の木々は印象派の絵を見ているような気がする。
もっと深くわかりたい、この詩の深いところにふれたい、と思いながら、ずいぶん時が過ぎた。

英語の詩を読む その4.悲しみを声に出してみる

2005-02-22 18:26:19 | 翻訳
Travelogue For Exiles
 追放者たちのための旅行記

 by Karl Shapiro
――カール・シャピロ

Look and remember. Look upon this sky;
 見よ、そして記憶せよ。この空を見るのだ、
Look deep and deep into the sea-clean air,
 海のように澄む虚空を、深く深くのぞきこめ、
The unconfined, the terminus of prayer.
 限りのない、祈りのゆきつく場所を。
Speak now and speak into the hallowed dome.
 いまこそ語れ、聖堂の天井に向けて語るのだ。
What do you hear? What does the sky reply?
 何が聞こえる? 空はなんと答える?
The heavens are taken: this is not your home.
 天は奪われた。ここはおまえの家ではない。


Look and remember. Look upon this sea;
 見よ、そして記憶せよ。この海を見るのだ、
Look down and down into the tireless tide.
 疲れを知らぬ潮の流れを、深く深くのぞきこめ、
What of a life below, a life inside,
 下の命はどうなっている、水底の命は、
A tomb, a cradle in the curly foam?
 墓か、うねる泡の揺りかごか?
The waves arise; sea-wind and sea agree
 波は立ち上がり、風と海は唱和する。
The waters are taken: this is not your home.
 水は奪われた。ここはおまえの家ではない。


Look and remember. Look upon this land,
 見よ、そして記憶せよ。この地を見るのだ、
Far, far across the factories and the grass.
 工場と草地を、遠く遠く越えて。
Surely, there, surely they will let you pass.
 そうだ、あそこなら、きっとおまえを入れてくれるだろう。
Speak then and ask the forest and the loam.
 ならば森や土に話し、訊ねてみるがいい。
What do you hear? What does the land command?
 何が聞こえる? この地はなんと命ずる?
The earth is taken: this is not your home.
 地は奪われた。ここはおまえの家ではない。

 (訳は陰陽師)

***

読んで心地よく、わかりやすい詩というと、これを思い出した。
英語は得意ではない、という人も、ぜひ英語で読んでみてほしい。
韻律もきれいにそろっているし、頭韻も踏んである。とにかく読んで心地よい詩なのである。

内容は一転、重い詩である。シャピロがユダヤ系の詩人であることを考えると、これは故郷を追われたイスラエルの民の詩とも読めるし、社会に受け容れられることのないひとびとをExilesと読んだのかもしれない。
またTravelogue of Exiles(追放者たちの旅行記)ではなく、Travelogue for Exiles(追放者のための旅行記)なのはなぜなのか、詩人は追放者たちの一員ではないのか、など、さまざまに考えることもできるだろう。

1913年生まれのシャピロは、エリオットやパウンドのつぎの世代の詩人であり、パウンドやエリオットを知性偏重主義、と批判する。分析をこばみ、「詩のために詩を読む」ことを提唱する。

そういうシャピロの詩であるから、解釈よりもなによりも、「ルック・アンド・リメンバー」と声に出して読んでみてほしい。高い空を深く深くのぞきこむ、めまいのするような感覚を味わってほしい。そして、「ディス・イズ・ノット・ユア・ホーム」と言われたときの悲しみを感じてほしい。

英語の詩を読む その3.歩いていくリズムで

2005-02-21 21:32:07 | 翻訳
The Road and the End
 道とその終わり
By Carl Sandburg
 ――カール・サンドバーグ

I shall foot it
 ぼくは歩いていく
Down the roadway in the dusk,
 たそがれの道を、
Where shapes of hunger wander
 餓えた亡霊たちがさまよい
And the fugitives of pain go by.
苦痛にひしがれた逃亡者たちが行き交うところを。

I shall foot it
 ぼくは歩いていく
In the silence of the morning,
 朝の静寂(しじま)を、
See the night slur into dawn,
 闇が夜明けへと移りゆくのを見、
Hear the slow great winds arise
 風が立ちのぼる穏やかで崇高な音を聞く
Where tall trees flank the way
 道に沿ってつづく高い木々が
And shoulder toward the sky.
空に向かって胸を張るところを。

The broken boulders by the road
 道端の砕けた岩が
Shall not commemorate my ruin.
 うちひしがれたぼくの碑になることはない。
Regret shall be the gravel under foot.
 悔恨は踏みしだかれる砂利となるのだ。
I shall watch for
 ぼくは待つ。
Slim birds swift of wing
 かろやかな羽根をもつ華奢な鳥たちが
That go where wind and ranks of thunder
 風吹き雷鳴轟く空を飛び
Dive the wild processionals of rain.
 激しい雨の隊列めがけて急降下してゆくのを。

The dust of the travelled road
 歩んできた道の砂塵は
Shall touch my hands and face.
 ぼくの手と顔を染めるだろう。  
   
        (訳は陰陽師)
***

カール・サンドバーグは二十世紀前半のアメリカの詩人である。スウェーデン移民の子として生まれ、13歳で中学を中退し、日雇い労働者となった。三十八歳のときに出した詩集『シカゴ』で一躍名を馳せる。
『シカゴ詩集』には全部で百四十六篇の詩が収録されており、「シカゴ詩篇」「少しばかり」「戦争詩篇」「道とその終わり」「霧と火」など七つのグループに分けられている。
ここで採った詩は、「道とその終わり」の表題作である。 

「シカゴ詩篇」では、シカゴで魚を売ったり、土方をしたりして生きるひとびとや、地下鉄や公演の風景が歌われているし、また「霧と火」のなかには、"At a Window"のように、「わたしに餓えを与えてください」と言いつつ「しかし、小さな愛だけは残しておいてください」とそっと祈る、チャーミングな詩もある。

平明でわかりやすく、韻も凝ったものではない。それでも"Slim birds swift of wing"と口にしてみると、ほんとうにしなやかな鳥が羽ばたいていくのが見えるような気がする。
なんともいえず健康で、若くて、力にみなぎる詩だ。

英語の詩を読む その2.まるで、俳句のような……

2005-02-19 18:56:56 | 翻訳
In a Station of the Metro ――Ezra Pound

地下鉄の駅で  ――エズラ・パウンド

The apparition of these faces in the crowd;

ひとごみのなか、つとあらわれたいくつもの顔――

Petals on a wet, black bough.

黒く濡れた大枝にはりついた幾枚もの花びら。


***

エズラ・パウンド『地下鉄の駅で』の全文である。
まず、著者自身が書いたコメントを引用してみよう。

三年前(1911年)のパリ、わたしはコンコルド駅で地下鉄を降りた。すると突然、美しい顔が目に入った。それからもうひとつ、またひとつ、そして美しい子どもの顔、さらに美しい女性が。その日、一日中、わたしにとってどういう意味だったのかを表す単語を見つけようとした。けれども意味のある単語、突然湧き上がった感情にふさわしい美しい単語はひとつも見つけることができなかった。その夜、レヌアール通りを歩いて家に帰ったわたしは、まだ探しつづけていた。そして、突然表現を見つけたのだ。単語を見つけたのではなく、単語に代わるもの(equation)が浮かび上がってきたのである。それはことばではなく、色の斑点だった。ちょうど「模様」のような、だがもし「模様」ということばがなんらかの「繰り返し」を意味するのなら、模様とさえ呼べない。けれどもそれはたしかにことばだった。わたしにとって、色によることばの始まりだったのだ。……わたしは三十行の詩を書いたが破ってしまった。それがいわゆる「二次的」な強さしか持たない作品だったからである。六ヶ月後、その半分の長さの詩を書いた。一年後、『地下鉄の駅で』という発句のような文章を作った。あえて言ってしまえば、これはある種の思考の流れに乗っていかなければ意味はない。こうした種類の詩では、外部の客観的なものが、内部の主観的なものへと変形していく、あるいは矢のように移って行くまさにその瞬間を記録しようとするものなのだ。
(Ezra Pound, Lea Baechler, A. Walton Litz "Personae: The Shorter Poems of Ezra Pound")

これは俳句を意識して作られた詩なのである(シラブル数も5・7・6となっている)。

まず"apparition"、思いがけなく現れる人やものを指す。訳によっては「現れた幻影」などとする場合もあるだろう。
二連目のイメージは、非常に日本人にもとらえやすい。黒い大きな枝にはりついているのは、白い、小さな花びら、そう、おそらく桜だろう。

地下鉄からどっと吐き出されてきた人波と、黒い枝にはりついた桜の花びら。
これは対比させているのだろうか、それとも同一視しているのだろうか。
パウンド自身が書いた文章を読むと、同一視、というより、パラレルなイメージをさがしもとめて花びらに行き着いたことがわかる。
人波から、花びらを連想する。
わたしたちはパウンドによって、新しい世界の切り取り方を見せてもらったのだ。

鮮烈なイメージは、いつまでも心に残る。

英語の詩を読む その1.イロクォイの祈り

2005-02-18 19:05:26 | 翻訳
この詩を初めて目にしたのは、土産物屋のタペストリーだった。内容に引かれてすぐに買ったのだけれど、ほかにもこの『精霊の祈り』がプリントされたマグカップやら、記念コインやらがたくさんあったから、法隆寺近くの土産物屋にあまねく置いてある、灰皿や湯飲みに印刷された子規の句のようなものなのかもしれない。
後日、辞書を引き引き日本語にして、机の前に張っていた。タペストリーはどこかに行ってしまったのだが(母親が片付けたにちがいない)、へたくそな日本語のほうは、長く記憶に残っていた。
検索してみると、微妙にちがうものがいくつか見つかる。もともと口承の祈りを英訳したものではあるし、ソースも定かではないのだが、好きなものなので、改めて訳し直してみることにした。

もともとネイティヴ・アメリカンは汎神論で、あらゆるものに精霊の魂が宿ると考えている。それを精霊と呼ぶこと自体、本来の意味からずれているのかもしれない。イロクォイのことばを英語に訳し、それをさらに日本語に訳したものが、どれだけ原意を伝えているのかはなはだ心許ないのだけれど。

http://www.btigerlily.net/BTGSでは短いバージョンながら、イロクォイのことばをアルファベットに起こしたものが載っている。原語で聞きたいものだと思う。
***
Great Spirit Prayer of the Iroquois



Oh, Great Spirit, whose voice I hear in the wind,

おおいなる精霊よ、その声は風のなかから聞こえ、

Whose breath gives life to all the world.

その息吹はあらゆるものに命を与える、大いなる精霊よ。

Hear me; I need your strength and wisdom.

わたしのことばをお聞きください、わたしにはあなたの力と知恵が必要なのです。

I come to you as one of your many children.

わたしはあなたの前に立っている。あなたの多くの子どもたちのひとりとして。

I am small and weak,

わたしは小さく弱い。

Let me walk in beauty, and make my eyes ever behold the red and purple sunset.

どうかわたしを美のなかに歩ましめ、赤く、やがて紫へと変わる夕陽を、いつまでも見守らせてください。

Make my hands respect the things you have made and my ears sharp to hear your voice

わたしの手があなたの創ったすべてのものをいつくしみ、わたしの耳があなたの声を聞きもらすことのないようにしてください。

Make me wise so that I may understand the things you have taught my people.

教えてくださったことどもを知ることができるよう、わたしを賢明にしてください。

Help me to remain calm and strong in the face of all that comes towards me.

立ち向かってくるすべてのものに対して、穏やかで、かつ強くあり続けられるよう、わたしを助けてください。

Let me learn the lessons you have hidden in every leaf and rock.

一枚の木の葉、ひとつの石ころに、あなたがそっとこめられたお教えの数々を知ることができるようにしてください。

Help me seek pure thoughts and act with the intention of helping others.

混じり気のない思いでほかのものたちを助けられるよう、

Help me find compassion without empathy overwhelming me.

共感のあまりに我を忘れることなく、思いやりを持つことができるよう、わたしを助けてください。

I seek strength, not to be greater than my brother, but to fight my greatest enemy

わたしは強くありたい、仲間に打ち勝つためではなく、最大の敵、

Myself.

わたし自身と闘うために。

Make me always ready to come to you with clean hands and straight eyes.

汚れのない手と真っ直ぐなまなざしをもって、いつでもあなたの御許に行くことができるように、

So when life fades, as the fading sunset, my spirit may come to you without shame.

やがてわたしの魂が、あの夕焼けの空の色のように消えるとき、わたしの魂がなんの恥じ入るところもなく、あなたの御許に行くことができるようにさせてください。



声に出して読むということ その6.自分の声に出会う

2005-02-17 21:23:34 | 


慣習化は仕事を、衣服を、家具を、妻を、そして戦争の恐怖を蝕む。……そして芸術は、人が生の感触を取り戻すために存在する。それは人にさまざまな事物をあるがままに、堅いものを「堅いもの」として感じさせるために存在する。芸術の目的は、事物を知識としてではなく、感触として伝えることにある。(ヴィクトル・シクロフスキー『散文の理論』せりか書房)

これまで見てきたように、ことばは二種類に分類することができる。
情報を伝達するためのことば。
そしてもうひとつは、情報ではなく、わたしたちの身体のより深いところに関わってくることば。
そのことばを理解するときも、わたしたちは二種類の「わかりかた」をする。
情報を処理する理解。
そのことばを身体でなぞり、受肉化するような理解。

現代のわたしたちは、速く、たくさん読むために、黙読がすっかり中心になってしまった。たとえ文学作品を読んでいるときでさえ、ストーリーを追っていく、つまり、情報を受け取るのに夢中になってはいないだろうか。
標準的な散文を読むときは、音に耳をすましたりしない。新聞を読んだり、雑誌を読んだりするときは、それでもいい。けれども、ことばを等しく「情報」として扱ってよいのだろうか。

竹内敏晴の『日本語のレッスン』(講談社現代新書)は、声に出して読むことをすっかり忘れてしまっているわたしたちに、具体的なレッスンを施してくれる本である。

まず、この本では「自分の声に出会う」ことから始める。
「自分の声」は知っている、と思っている。けれども、竹内はそうではない、という。

ああ、これが自分の声だ、と納得した時、自分が現れる。これが自分だ、と発見するということは、自分をそう見ている自分もそこにしかと立っているということで、ふだんの自分が仮構のものだった、固まった役割を演じていたのだと、霧がはれたように見える。世界が変わってしまう。目が開く。比喩ではない。実際に相手の顔が、周りの世界の隅々が、くっきりと、初めてのように見えて来るのだ。深ぶかと息をすると、自分の存在感が変わる。世界のまん中に自分が立っていると気づくと言ってもいいか。自分がこの世に落ち着くのだ。自分の声に出会うということは、自分が自分であることの原点である。

声に出して読む、ということは、自分が表現する主体となる、ということだ。内的に理解する、感じとることを越えて、さらに、声によって、他者と共有する存在しないものを創り出すことだ、と竹内は言う。
たとえひとりしかいなくても、それは同じことだろう。
ひとは祈るとき、かならず声に出す。祈りの対象を呼び出し、自分の声を届けるために。なにもない空間に、祈りの対象を生み出す、といっても良いかもしれない。

本を読み始めた人間は、最初はみんな音読をしていた。豊かな音読の歴史を持っていた。さまざまな理由はあるけれど、いまのわたしたちはひたすら情報を消化し、処理するために黙読をむしろ強いられているのかもしれない。そうするうちに、自分の声や身体をどこかに置き忘れたまま。
けれども文学は、シクロフスキーの言うように「生の感触を取り戻す」ために存在しているのだ。

何千年かたった。地上にはひとが増え、もはやひと以外の動物を養うほどの植物を栽培する余地がなくなってしまった。地上には、ひとと、ひとのための諸施設、住宅とか道路とか食料生産施設などしかなくなった。海中には食用のための魚が泳いではいたが、もはや空中には一羽のとりもみられなかった。「とり」は伝説の生きものとなった。
 ある日、すべてを知る機械にひとがたずねた。
「とりとは何か?」
 機械は答えた。
「鳥とは以下の遺伝子的特徴をもつ生物である。即ち……」
 ひとは伝説を思いだして、問いかたを変えた。
「とりは飛ぶというのは本当か?」
「鳥のあるものは空中を飛翔し、あるものは水中を泳ぎ、あるものは地上を高速で走行する」
 ひとは感動した。言い伝えは本当だったのだ。空飛ぶ生きものは実在したのだ。
「それはすごい! じゃ、とりはこの世でいちばんすばらしいからだを持った生きものなんだ」
「すばらしい? どうして? 鳥のあるものは二階から落とせば死に、あるものは水につければ死に、あるものは地上を幼児よりも遅くしか走れないのだよ」
 すべてを知る機械は肉体をもたないことを思いだし、ひとは問答をやめて外に出た。そして空に向かって全身の筋肉を揺るがして叫んだ。
「とり!」 
 ひとはからだが風を割って進んでいるのを感じた。(尼ヶ崎彬『ことばと身体』勁草書房)

 あなたの「とり!」は風を切りますか?

(この項終わり)