陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ワインズバーグ・オハイオ ―「哲学者」その1.

2005-10-13 21:54:02 | 翻訳
今日から数日に渡って『ワインズバーグ・オハイオ』のつづき「哲学者」を訳していきます。
原文はhttp://www.bartleby.com/156/5.htmlで読むことができます。 


パーシヴァル医師は、大柄な男で、金色の口ひげに半ばおおわれた口はだらしなく開いていた。いつも薄汚れた白いチョッキを着て、そのポケットにつっこんだ黒い安葉巻が、何本も頭をのぞかせていた。不揃いで虫歯だらけの歯をしていて、眼はいささか奇妙な具合だった。左のまぶたが痙攣しているのだ。まぶたがばたっと落ち、また急にパチンと開く。ちょうど窓の日よけそっくりで、まるで医者の頭の中にいるだれかがいたずらしてひもを引っ張っているみたいだった。

 パーシヴァル医師は、ジョージ・ウィラード青年が気に入っていた。ジョージが一年間、「ワインズバーグ・イーグル」紙で働いていたころにつきあいが始まったのだが、知り合いになったのも、一方的に医師のほうからのはたらきかけだった。

 午後も遅くなって、イーグル紙の経営者であり編集長でもあるウィル・ヘンダースンが、トム・ウィリィの酒場に出かけた。路地を抜けて、裏口から酒場へ滑り込むと、ジンのソーダ割りを飲み始めた。ウィル・ヘンダースンは漁色家で、四十五歳になっており、ジンは自分を若返らせる効果があるのではないかと思っていた。漁色家にありがちなことだが、彼も女の話が好きで、一時間もトム・ウィリィを相手にゴシップをだらだら話していた。酒場の主人は背の低い、肩幅の広い男で、両手に際だった特徴がある。男と言わず女と言わず、顔に赤く塗ったようなあざがある人がいるが、トム・ウィリィにはそれが指と両手の甲にあるのだった。カウンターに立って、ウィル・ヘンダースンと話しながらも、トムは両手をしきりにこすり合わせていた。話に夢中になればなるほど、その赤みも強くなるのだった。まるで血の中に浸した両手が、乾いて、色あせてきたようにも見えた。

 ウィル・ヘンダースンはカウンターにもたれ、赤い手を見ながら女の話をしているちょうどそのときに、助手のジョージ・ウィラードはワインズバーグ・イーグル紙の編集室で、パーシヴァル医師の話を聞いていた。

 ウィル・ヘンダースンが姿を消すやいなや、パーシヴァル医師が現れた。まるで診察室の窓から、編集長が路地を抜けるのをずっと監視していたのではないか、と思うほどだった。表のドアから入ってくると、椅子を見つけて自分から腰をおろし、安葉巻に火をつけて脚を組み、やおら話し出したのだった。君はひととおりの処世術を身につけなきゃいけないぞ、と青年を熱心に説得していたが、、自分自身、きちんと定義づけることもできないものだった。

「ちゃんと自分の目を持っている人間なら、おれが自分で医者だと言ってても、患者なんてほとんどいやしないことを知っているはずだ」とまず切り出した。「それにはわけがある。偶然じゃないし、おれの医学の知識なんて、ここの連中と似たり寄ったり、たいしてあるわけじゃないんだが、それが理由でもないんだ。理由ってのは、おれが患者を来させないようにしているからだ。もちろん表になんて、出しはしない。実はおれの性格なのさ。おれの性格、っていうやつは、考えてみりゃ奇妙なところがいっぱいある。どうしてこんな話を君に始めたんだろう。黙ってれば、君も信用の眼で自分を見てくれただろうに。君に尊敬してもらいたいんだ。ほんとだ。なんでだか、わからないんだが。だからこうやって話してるんだ。考えてみりゃ、おかしいことだよな?」
(この項 つづく)


-----【今日のおまけ】------

この間から図書館に行くたびに、延滞の本がありますよ、と言われていた。
めぼしい場所は探し尽くし、新聞の隙間に入り込んでないか、ストッカーのなかも探し、ありとあらゆる場所を探したのだが見つからない。外で忘れてきた可能性もほとんどないし、これは返却の際の処理の不手際にちがいない。そう結論を出して、仕事帰りに図書館に寄った。
事前に検索して書棚を確認し、一冊ずつ丁寧に背表紙を見ていく。ビンゴ! それをカウンターに持っていき、これ、書棚にありました、やっぱり返却していましたよ、と処理してもらう。
すいません、と職員の女性に頭を何度も下げられて、家捜ししていた時間はどうしてくれるんだ、という怒りの持って行き場がなくなってしまい、「あ、もういいです」と腰砕けになってしまった自分が悲しい……。
悔しいのでアイスクリームを食べて帰った。