陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

二週間後(※一部加筆修整)

2011-03-26 23:33:44 | weblog
東北関東大震災から二週間が過ぎた。
先週の今頃は原発のニュースを固唾を飲んで見守っていたが、一週間後も事態がほとんど進展していないとはまさか思ってはいなかった。爆発や蒸気と一緒に大気中にばらまかれた放射性物質が、この後、さまざまな形で現れてくるだろうとは思っていたが、事故そのものに関しては、何らかのかたちで収拾の方向に向かっているだろうと、漠然と思っていたのだ。

定時のニュースばかりでなく、携帯で twitter の情報を追い続けていたのは、「何がいま起こっているか」を知らないでいることが怖かったからだが、それ以上に「もう大丈夫」の一言を待っていたのだと思う。時間がかかればかかるほど、事態は確実に悪くなっていく。だからこそ、一刻も早く「これでもう安心」の報せを待ち続けていたのだ。

放水が始まれば冷えるだろう、外部電源が復旧すればさらに効率的に冷却がなされるだろう、「冷やす」の行程が確立されれば、つぎの「閉じこめる」の行程に入れるだろう……。

わたしの頭の中には、そうしておそらく多くの日本人の脳裡にも、そんな「段取り」ができていたはずだ。

ところが一歩前進すれば、別の何かが起こる。外部電源を引くところまできた、中央制御室に照明が点った……というニュースがある一方で、黒煙が上がった、放射線量が増えた、あげくの果てには作業員の方が被曝された、という不慮の事態が起こって、そのたびに作業は中断する。他方で、その間にも空気や水や食物への汚染が進行しているというニュースが刻々と入ってくる。

阪神大震災のころは、二週間もすれば、復興への力強いニュースがあちこちから聞こえてきて、自分にできることはないかと思う気持ちにも力がこもっていた。だがいまは、たとえ被災地から離れていても、不安ばかりがのしかかってくるようで、復興どころではない、という気持ちが偽らないところである。

けれども、ここまで事態を見守り、さまざまな記事や本を読んでみてわかったことは、いまの状態に留めておくために、多くの人が、それこそ体を張って、懸命に頑張っておられるということだ。もっとひどいことになっていたかもしれないのに。

おそらく「危機的な事態」はいましばらく続くだろうし、「これでもう安心」という状態になるまでには、おそらく相当な時間が必要だろう。長丁場になる。それを覚悟した上で、いたずらに不安になるでもなく、煽りに惑わせられることもなく、情報を集めよう。

誰も経験したことのない事態なのだ。失敗が許されないという重圧の中で、試行錯誤が重ねられている。わたしたちにいまできるのは、日々の営みの中で自分ができることを責任もってやっていく傍ら、現場にいる人びとに感謝し、心からの応援を送ることなのだろう。



小学校の、まだ低学年の頃だった。
学校が引けてから、よく一緒に遊ぶ子が近所にいた。仮にここではみつこちゃんとしておく。わたしの家で遊ぶこともあったし、みつこちゃんの家で遊ぶこともあった。みつこちゃんはリカちゃんの食器セットを持っていて、それには小指の爪ほどの大きさのトレーや、2ミリほどのナイフやフォークを並べて遊ぶのが楽しくて、遊びに行くのを楽しみにしていた。

ところがみつこちゃんの家ではほとんど一日おきに「遊べない日」があるのだった。
「今日はお父さんがいるから、うちでは遊べない」という具合に。

というのも、みつこちゃんのお父さんは消防士で、夜勤明けの日はずっと寝ているからだった。
「消防士だなんてカッコイイ。いいなあ」とわたしが言ったことがある。
すると、みつこちゃんは「良いことなんてないよお」と言うのだった。
家で寝ているときは、ちょっとでも音を立てると怒られるし、地震とか、ほんとにそばにいてほしいときは絶対にいてくれないんだよ。火事が近所であったりしたら、たとえわたしの家が燃えかけてたって、家を優先するんじゃなくて、大きな火事の方へ行かなきゃいけないんだよ、と。

おそらくそのときに、なんだか大変そうだなあ、と思ったからこそ、いまもわたしは覚えているのだろう。
みつこちゃんのお父さんばかりではない。

「地上の星 - 本当の「フクシマ50」」にもあるように、「数百人の名もない現場作業員」が、いまも放射線量の値が少しでも下がるのを待ちながら、「Jヴィレッジ」に待機しているのだろう。

以前のわたしは「誰それのために」という言葉を、疎ましいものと思っていた。おそらくその言葉のなかに含まれる、押しつけがましさと尊大さを嗅ぎとっていたのだろう。親や先生は「あなたのため」と言うけれど、これはただ自分の意に添わそうとしているだけじゃないか、と。

けれど、それは平時の感覚であったことに気がついた。もっと言えば、保護され、守られている子供の発想なのだ。自分の「当たり前」の毎日が、さまざまな人の「あなたのため」の集積の上に築かれているということに気がつかない。

水道をひねれば安全な水が出ることも。
用事があれば電話をかけられることも。
夜、明るい電灯の下で本を読むことができることも。

大勢の人が、それぞれ自分の仕事をやっていて、その仕事の何割かは、利潤の追求や、自分が少しでも安楽に生きていくためのものであったとしても、「みんなが安全に暮らせるように」「みんなが少しでも居心地よく過ごせるように」という側面はかならずある。そうして、その「みんなのため」をわたしも享受している。

平時であれば、あたりまえのことをあたりまえにするだけの、ごくふつうの人が、こんなときにはヒーローになる。たぶん、その人にとってみればヒーローになりたくはなかっただろう。みつこちゃんのお父さんだって地震や近所の大火のときは、みつこちゃんの側にいてやりたかったはずだ。

けれど、それはわたしにはできないことだ。
自分にしかできない、そう思って、そういう人たちは、危険きわまる仕事を、平時なら当たり前の仕事としておこなってくれている。

原発推進も、容認も、反対も関係ない。
わたしの代わりにそこにいてくれる人に、心からの感謝の念と、応援を送りたい。

どうか、ご無事で。
無理をなさらないで。

ほんとうに、ありがとう。





もう知っている人も多いと思いますが、まだご存じない方は
「「最悪シナリオ」はどこまで最悪か」
は参考になるかと思います。




サマセット・モーム「九月姫」最終回

2011-03-22 22:59:55 | 翻訳
その3.



「あら、結構よ」と九月姫は言いました(とても優しい九月姫らしくない物言いですが、シャムのお姫さまたちというのは、ときどき自分たち同士なら、無愛想になることもあります)。「わたしにはどんな鳥よりすてきな歌をわたしに聞かせてくれる小鳥がいるのだもの、緑と黄色のオウムがいったいどうして必要なのかわからないわ」

 一月姫が鼻を鳴らし、それから二月姫が鼻を鳴らしました。つぎに鳴らしたのは三月姫。こうしてお姫さまはみんな鼻を鳴らしたのですが、そんなときでも長幼の順はきちんと守っていましたよ。こうしてみんなが鳴らし終わったところで、九月姫がみんなにたずねました。

「どうしてお姉さまたちは鼻を鳴らすの? みんな鼻風邪にかかってしまったの?」

「えっ、まあ、ね」みんなは言いました。「あんなふうに出たり入ったりする小鳥を、自分のものだなんて言うのは、ずいぶんおバカさんじゃなくて?」姉姫たちは部屋をぐるりと見回しながら、眉をぐっと持ち上げたので、みんなのおでこはすっかりなくなってしまいました。

「おでこにしわが寄るわよ」と九月姫は言いました。

「あなたの小鳥がいまどこにいるか、心配じゃないの?」と姉姫たちは聞きました。

「小鳥さんは義理のお父さんのところへ行ってるの」と九月姫は答えました。

「あら、あなた小鳥が戻ってくるとでも思ってるの?」

「戻って来るに決まってるじゃない」と九月姫。

「まあねえ」と八人の姉姫たちは言いました。「わたしたちの言うことを聞きさえしたら、もうこんなふうにヒヤヒヤしたりしないことよ。もし小鳥が戻ってきたら――でもね、もしほんとに戻ってくるなんてことがあったら、あなた、ほんとに運がいいのよ――かごの中に閉じこめてしまいなさい。小鳥を確実にとどめておこうと思ったら、それしかないわよ」

「でも、わたしは小鳥さんがお部屋を飛び回っているのが好きなの」と九月姫は言いました。

「安全第一よ」と姉姫たちは思わせぶりに言いました。そうして立ちあがると、頭をふりながら部屋から出ていき、とても不安になった九月姫だけをそこに残していきました。

 なんだか小鳥さん、ずいぶん帰って来ないみたい、小鳥さんはいま何をしているんだろう、と九月姫は思わずにはいられませんでした。きっと何かがあったんだわ。タカに襲われたのかもしれないし、人間が作った罠にかかったのかもしれない。小鳥さんがどんな困った目に遭っているのか、誰にもわからないんだわ。

それだけじゃない。小鳥さんがわたしのことなんて忘れてしまって、誰かほかの人が好きになってしまうかもしれない。なんてひどいこと。ああ、無事に戻ってきてくれさえしたら。そうして、あの金のかごに入ってくれたら。金のかごは空っぽのまま、そこにありました。というのも、侍女たちがオウムを埋めてやったあと、かごは元あった場所に残しておいたからです。

 不意に、九月姫の耳元で、チッチッとさえずる声が聞こえてきて、そちらに目をやると小鳥が肩に留まっているのが見えました。小鳥はひどく静かにやってきて、そっと留まったので、お姫さまにはわからなかったのです。

「どうしたのかしら、って不安でたまらなかったのよ」とお姫さまは言いました。

「ぼくもきっと心配していらっしゃるだろうなと思ってました」と小鳥は言いました。「実際、今夜は帰れそうになかったんです。義父がパーティを開いていて、みんながどうしてもぼくにいてほしい、と言うものですから。でも、あなたはきっとぼくのことを案じているにちがいないと思って」

 こんなときでしたから、小鳥の言葉はひどく不吉に響きました。九月姫は心臓がどきどきし、もうこんな怖い思いはたくさんだ、と心を決めたのです。お姫さまは手を上げて小鳥をそっとつかまえました。小鳥の方は、よくあることでしたし――というのも、お姫さまは、小鳥の心臓がピクピクととても早く打っているのを、抱いている自分の手で感じるのが好きだったのです――、わたしが思うに、小鳥の方もお姫さまのやわらかく暖かな、かわいらしい手が好きだったにちがいありません。小鳥は別にいぶかしく思うこともなかったのですが、お姫さまが自分をかごまでつれていき、戸を開けてぱっと放したかと思うと、カシャンと戸を閉めてしまったときには、驚きのあまり、しばらく口もきけませんでした。

 けれども、しばらくすると小鳥は象牙の止まり木に留まって言いました。

「これは何かのご冗談ですよね?」

「冗談なんかじゃないの」九月姫は言いました。「お母様のネコが何匹も、今夜はうろついているの。だから、そこにいる方がずっと安全だと思って」

「お后様はどうしてあんなにネコを飼おうなんて思ったんでしょうねえ」と小鳥は少し機嫌を損ねて言いました。

「あれはね、みんな特別なネコなのよ」と九月姫は言いました。「青い目をしていて、かぎしっぽの、王家にしかいないネコなのよ。わたしが言ってる意味、わかるかしら」

「もちろんですとも」小鳥は言いました。「でも、どうしてあなたはこんなことをするって一言も教えてくださらなかったんです。こんなところは好きにはなれませんね」

「だってあなたが確かに安全だとわからなかったら、わたし、夜になっても目をつむることさえできないもの」

「仕方がない。一度きりなら良しとしましょう」と小鳥は言いました。「朝になったらかならず出してくださいね」

 小鳥は豪華な夕食を食べ、それから歌い始めました。でも、途中でやめてしまったのです。

「自分でもよくわからないのだけれど」と小鳥は言いました。「でも、今夜はもう歌いたい気分じゃありません」

「いいのよ」と九月姫は言いました。「それよりもうおやすみなさいな」

 そこで小鳥は羽の中に頭を埋めて、一分もたたない内に眠ってしまいました。九月姫も眠りました。けれども夜があけると小鳥が声を振り絞って呼ぶ声に、目を覚ましてしまいました。

「起きてください、起きてください」と小鳥は呼んでいます。「かごの戸を開けて、ぼくを外に出してください。朝露がまだ残っているうちに、ちょっと飛んで来たいんです」

「いまいるところの方がずっといいのよ」九月姫は言いました、「あなたがいるのはとってもきれいな金のかごなのよ。お父様の国で最高の職人が作ったの。おまけにお父様はすごく気に入ったものだから、職人の首をはねて、これ以上もう作れないようにしてしまったの」

「出してください。ぼくを外に出して」小鳥は言いました。

「ごはんは毎日三度、侍女たちがあなたのために運んできてくれるのよ。あなたは何の心配もせずに、朝から晩まで、心ゆくまで歌っていられるの」

「ぼくを外に出してください。どうか外に」小鳥は言いました。そうしてカゴの隙間から、どうにかして抜け出そうとしましたが、もちろんそんなことができるはずもありません。今度は戸に体をぶつけてみましたが、もちろんそんなことで戸が開くはずもありません。

 そこに八人の姉姫たちがやってきて、小鳥を見ました。みんなは九月姫に、わたしたちの言うことをちゃんと聞いてくれて、あなたはとてもおりこうさんね、と言いました。小鳥だってカゴに慣れるでしょうし、二、三日もすれば自分が自由だったことだって忘れてしまうわよ、と言いました。

小鳥は姉姫たちがそこにいるあいだは何も言いませんでしたが、行ってしまうとまた泣き始めました。「出してください、出してください」

「そんなわからず屋みたいなこと言わないで」と九月姫は言いました。「カゴに入れたのは、あなたが好きでたまらないからなの。あなたにとって何が一番良いのか、わたしの方があなたよりよくわかってるんだから。ねえ、わたしのためにちょっと歌ってもらえない? 赤砂糖をひとかけあげるわ」

 けれども小鳥はカゴのすみで、青空をじっと見つめたまま、ほんの一節も歌おうとはしませんでした。一日中、歌うことはありませんでした。

「そんなにすねてばかりで、何かいいことがあるのかしら?」九月姫は言いました。「歌って、いやなことなんて忘れてしまえば?」

「歌えると思いますか?」と小鳥は言いました。「木々や湖や田で伸びている青々とした稲を見たいんです」

「そんなものが見たいのなら、わたしが散歩に連れて行ってあげましょう」と九月姫は言いました。

 鳥かごを持って外へ出ると、ヤナギの木々に囲まれた池の端を歩いたり、見渡す限り広がる水田のほとりに立ち止まったりしてみました。

「あなたを毎日連れてきてあげる」と九月姫は言いました。「わたし、あなたがほんとうに好きだし、わたしがただただ願うのは、あなたを幸せにしてあげることだけなの」

「そのふたつは同じことじゃありません」と小鳥は言いました。「それに、田んぼも湖もヤナギも、カゴの間から見たのでは、まったく別のものなんです」

 そこで九月姫は小鳥を連れて宮殿に戻り、夕食を与えました。けれども小鳥は口を開きません。九月姫はすこし心配になって、姉姫たちにどうしたらいいかたずねました。

「甘やかしてはだめ」姉姫たちは言いました。

「だって何にも食べてくれないんだもの。死んでしまうわ」

「だとしたら、ずいぶん恩知らずな鳥だってことよ」と姉姫たちは言いました。「あなたがよかれと思ってしているんだって、あいつもわからなくちゃ。意地を張り通して死んだとしても、それは身から出たサビよ。あなたはいい厄介払いができたようなものじゃない?」

 九月姫はそうなったらいいとはどう考えても思えませんでしたが、相手は八人、こちらはひとりですし、みんな自分より年上です。ですから何も言いませんでした。「きっと明日になれば、カゴにも慣れてくれるのではないかしら」とだけ、言いました。

 つぎの日、九月姫は目を覚ますと、元気よく「おはよう」と言いました。でも、返事はありません。ベッドから飛び出して、カゴのところへ駆けよりました。そこで、あっ、と叫び声をしまいました。というのも、カゴの底に小鳥が、目をつむったまま、まるで死んだように横たわっていたからです。九月姫は戸を開けて、小鳥を手に取りました。ほっとして、涙があふれてきました。まだ小鳥の心臓が打っているのが感じられたからです。

「起きて、起きてちょうだい、小鳥さん」

 九月姫は泣き出し、涙が小鳥の上に何粒も落ちていきました。小鳥は目を開き、鳥カゴの金網が自分のまわりにないことを知りました。

「自由じゃないと、ぼくは歌えないんです。死んでしまうんです」と小鳥は言いました。

 九月姫の涙は止まりません。
「だったら、自由になっていいのよ」と九月姫はいいました。「あなたを金のカゴに閉じこめたのは、あなたが大好きだったから。そうして、わたしひとりのものにしたかったのよ」。でも、そうしたらあなたが死んでしまうなんて、夢にも思わなかった。お行きなさい。湖の周りの木々のあいだや青々とした田圃の上を飛び回っていいのよ。あなたが大好きだから、あなたのやりかたで幸せになってほしいの」

 九月姫は窓を開け、小鳥を敷居の上にそっととまらせました。小鳥は少し、身震いしました。

「行ったり来たり、好きなようになさい、小鳥さん」九月姫は言いました。「もう絶対にあなたをカゴになんて入れない」

「ぼくはまた来ます。だってあなたが好きだから。かわいいお姫さま」と小鳥は言いました。「そうしてぼくの知っている一番すてきな歌をあなたのために歌いましょう。ぼくは遠くへ行きます。でも、いつだって戻ってくる。そうして、あなたのことを忘れたりはしません」小鳥はもう一度、身を震わせました。「やれやれ、なんと体がこわばってしまっているんだろう」

 そうして小鳥は羽を広げ、まっすぐに青い空へ飛んで行きました。けれどもお姫さまはわっと泣き出してしまいました。自分の幸せより、愛するひとの幸せを大切にするというのは、とてもむずかしいことですからね。それに、自分のかわいい小鳥が遠くなり、見えなくなってしまうと、お姫さまは急に寂しくなってしまったんです。

 姉姫たちはこのことを知ると、小鳥が戻ってくるわけがないわ、とバカにして笑いました。

 けれども、やがて小鳥は帰ってきたのです。そうして九月姫の肩にとまり、姫の手からエサをついばみ、それから世界中の美しいところを飛び回っているあいだに覚えた美しい歌を聞かせてくれました。

九月姫は小鳥がそうしたいときはいつでも自分の部屋に入ってこれるよう、昼も夜も窓を開けておきました。そうして、このことはお姫さまにとって、とても良いことでもあったのです。そのせいで、お姫さまは大きくなるにつれ、それはそれは美しくなっていったのですから。そうして大人になると、カンボジアの王様にお輿入れが決まり、王様の住む街まで白い象に乗って行ったのでした。

けれども姉姫たちはいつもいつも窓を閉めて寝たので、それはそれは醜く、不愉快な大人に育ちました。そうして結婚の時期が来ると、枢密院の顧問官たちのところに嫁にやられました。嫁入り道具はお茶を一ポンドとシャム猫一匹でしたよ。







The End



(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)




U2 -" Walk On" とサマセット・モームの「九月姫」第二回

2011-03-20 23:15:47 | 翻訳
U2 - Walk On


Walk on
 やっぱり愛ってのは簡単なことじゃない
 君が持っていけるただひとつの荷物だけど……
 愛は簡単なことじゃない……
 それでも持っていけるただひとつの荷物なんだ
 あとには残していけないただひとつのもの……


もしぼくたちを引き離す暗闇があったとしても
日の光のもとでは、それがどんなに遠く思えたとしても
振り向いた瞬間に
君のガラスの心にはひびが入ってしまうかもしれないけれど
だめだよ、強くならなくちゃ

歩き続けるんだ
君は手に入れなくちゃ、やつらに盗めやしないものを
歩いていくんだ
今夜はここで安らかに過ごしたとしても

君はいま荷造りをしている
だれも行ったことのないところへ行くための
ことばでは決して言い表せないところへ行くための

君は飛んでいくことだってできた
扉の開いた鳥籠で歌っている鳥のように
自由を求めてまっすぐに飛んでいくことだって

歩き続けるんだ
君が手に入れたものは、やつらに否定なんかできない
売ることもできないし、買うこともできないのだから
歩き続けるんだ
今夜はここで安らかに過ごしたとしても

それが痛みをともなうことはわかってるさ
心が張り裂けそうなことも
時間をかけるほかないよ

歩いて行けよ
歩き続けるんだ

ホーム……
持ったことがない人間にはわからない

ホーム……
どこにあるかなんて言えないけれど、
自分がそこへ向かっているんだっていうことはわかる

ホーム……
心が痛むところ

それが痛みをともなうことはわかってるさ
心が張り裂けそうなことも
時間をかけるほかないよ
歩き続けるんだ

置いていけばいい
あとに置いていかなくちゃ
君が築くどんなものも
君がつくり出すどんなものも
君が壊すどんなものも
君が試すどんなものも
君が感じるどんなものも
そんなものはどれもあとに残していける
君が判断したことも
(愛はぼくの心の中にあるたったひとつの感情だ)

君が気がつくどんなものも
君が計画するどんなものも
君が飾り立てるどんなものも
君が見てきたどんなものも
君が作るどんなものも

君が毀すどんなものも
君が憎むどんなものも


(以上私訳 以前訳したものに、少し手を入れています。サイトの方もそのうち手を入れる予定。
原詞はこちらのものを使いました。 http://www.macphisto.net/u2lyrics/Walk_On.html



阪神大震災が終わって一ヶ月ほどして、西宮に住む友だちを訪ねたことがあります。梅田を出て川を渡ると、いきなり景色が変わって、わたしは自分の目の前に広がる光景をどう考えたらわからなくなって、言葉を失いました。

そのときの違和感というのは、つまり、日常自分が置かれている世界が、よそでも同じだろうとばくぜんと予想していたことから来たのだろうと思うのです。ニュースで見たりして、頭ではわかっていたはずなんです。でも、反面、自分を取り巻く状況が、他人も同じだろう、よそも同じだろうと思いこんでもいた。ふだんはそれを「思いこみ」と思うこともなく生活していて、何の齟齬も起こらなかったのですが、それがまったくの「錯覚」であることを、そのときにはっきりと思い知らされたのです。

自分がふだんいるところと、埋めがたい断層があるところを目の当たりにしたとき、わたしたちはおそらく自分が目にしているものが信じられず、立ちすくむしかないのでしょう。

TVで見ているだけでは、どれほど「未曾有の災害」と言われたとしても、ほんとうのところは何もわかりません。けれども、自分を取り巻く環境と、大きな断層のある環境に取り囲まれている人びとがいる。もしかしたら自分がそこにいたかもしれないのに。
自分がここにいて、ほかの人がそこにいる理由なんてどこにもないというのに。

自分が取り囲まれているたどこまでも続くわけではない、という当たり前のことを知ったあと、どうするか、です。その断層をなかったことにして、見て見ないふりをするのか、そんな場所があったことなど、頭の中から閉め出してしまうのか。それとも、情報を得、知識を得、距離を埋める努力をしていくのか。おそらく「理解」というのは、その努力を指すのかもしれません。

「未曾有の災害」という言葉が新聞に踊ります。これから先どうなっていくのか、おそらく誰にもわからない。それでも、それ以前と同じようにはいかないことだけは確かでしょう。ひとり不安に怯えるのではなく、共に歩いていくことこそが、未来を切り開いていくことなのだろうと思います。



――歩みだけが重要である。歩みこそ、持続するものであって、目的地ではないからである。


――だが、おまえの振舞いを変えてはならぬ。思うに、おまえはひとたび選んだのである。おまえが受けとるものをおまえから盗み去ることはできようとも、いったい誰が、おまえが与えるものをおまえから盗み去る力を持っているか?

(引用はともにサン=テグジュペリ『城砦』I 山崎庸一郎・粟津則雄訳 みすず書房)



新たに踏み出そうとしているすべての人にこの曲を捧げます。





* * *

「九月姫」 第二回



その2.


 九月姫はベッドに横になって、少しお腹が空いたまま、まだ泣き続けていました。そこに、一羽の小鳥が部屋に飛びこんできたのです。お姫様はしゃぶっていた親指を出して、すわりなおしました。すると小鳥は美しい歌を歌い始めたのです。宮廷の中にある湖や、しずかな水面に映る自分の姿に目を奪われているヤナギの木々、水面に映る枝のあいだをすべるように行き来するキンギョのこと……。小鳥の歌が終わると、お姫様の涙はすっかり乾いて、晩ご飯を食べなかったことも忘れてしまいました。

「とてもステキな歌ね」九月姫は言いました。

 小鳥はお辞儀をしました。もともと芸術家というのは礼儀正しいもので、とりわけ認められるのがとても好きなのです。

「オウムの代わりにわたしを飼ってみてはいかが?」と小鳥は言いました。「たしかにぼくはそんなに見かけはよくありませんが、声はずっといいですよ」

 九月姫はうれしくてうれしくて、手をたたきました。すると小鳥はベッドの端っこに飛び乗って、お姫様のために子守歌を歌ってあげました。

 つぎの朝、九月姫が目を覚ましたとき、小鳥はまだ同じ場所に留まっていました。そうしてお姫さまがぱっちりと目を開くと、おはよう、と言いました。

侍女たちがお姫さまの朝食を運んでくると、お姫さまは米をつまんで小鳥に食べさせてやりました。それから小鳥はお姫さまのお皿をお風呂にして、そこで水浴びをしました。それからお皿の水を飲み干しました。侍女たちは自分が浴びた水を飲むなんて、なんて不作法なんでしょう、と言いましたけれども、九月姫は、そういうところが芸術家気質なんだわ、と言ってやりました。そうして朝食がすむと、小鳥はまた美しい声で歌い出したので、侍女たちはみんなすっかりびっくりしてしまいました。だって、誰もそんな美しい歌は、これまで聞いたことがなかったからです。九月姫は、とても誇らしく、そうして幸せでした。

「ねえ、これから八人のお姉さんたちにあなたを見せてもいいかしら」と九月姫は言いました。それから右の人差し指を伸ばすと、小鳥はそこに飛び乗りました。それからお姫さまは侍女を従えて、宮殿の中を歩いて姉さま方のところへ、一月から順々に歩いていきいました。なにしろ九月姫は礼儀を重んじる人でしたからね。そうして八月姫のところまでまわっていきました。お姫さまひとりひとりに、小鳥はちがう歌を歌ってあげました。ところがオウムときたら、「王様に栄えあれ」と「かわいいオウムちゃん」としか言えませんでした。

おしまいに、九月姫は王様とお后様に小鳥を見せに行きました。ふたりとも驚き、また、たいそう喜びました。
「あなたを晩ご飯ぬきで寝かしたのがよかったのね。わたしにはわかっていましたけれどね」とお后様は言いました。

「この鳥はオウムよりよほど歌がうまいな」と王様は言いました。
「『王様に栄えあれ』だなんて、みんながのべつまくなしに言ってるんですから、きっとあなたもすっかりあきあきしていらっしゃると思ってましたよ」とお后様は言いました。「だのに、どうしてあの子たちはオウムにまでそんなことを言わせたがったのかしら」

「いや、その心持ちは感心なものだよ」と王様は言いました。「その言葉にしても、何度言ってもらってかまいはしない。だが、わたしがうんざりしているのは、あのオウムたちが言う別のせりふだよ。『かわいいオウムちゃん』だなどと!」

「だって七つのちがう言葉で言うんです」お姫さまたちは言いました。

「それはそうだろうさ」と王様は言いました。「だがな、それをやられると、わたしは大臣たちのことを思いだすのさ。連中もまったく同じことを、七つの別の言い方で言うんだ。おまけにそれにはどういう言い方で言ったにしても、ちっとも意味がない」


 お姫さまたちは、前にもお話したように、事情によって恨みを募らせていましたので、この出来事のことですっかり腹を立ててしまいました。そうしてオウムたちもまたむっつりした顔つきになりました。

けれども九月姫は宮殿の部屋という部屋を、ヒバリのように歌いながら、駆け回っていました。小鳥はお姫さまのまわりを飛び回りながら、ナイチンゲールのように歌っています。小鳥はほんとうにナイチンゲールだったのです。

 このようにして、それから幾日かが過ぎたある日のこと、八人のお姫さまたちは頭を寄せ合っていました。それから九月姫のところへ行き、姫を取り囲むようにして、シャムのお姫さまらしく、きちんと足を折り畳んですわりました。

「かわいそうな九月姫」と八人は言いました。「あなたのきれいなオウムが死んでしまって、ほんとにかわいそうだったわねえ。わたしたちみたいにペットがいないだなんて、すごくつまらないでしょうね。だからわたしたち、みんなでお小遣いを出し合って、あなたのために緑と黄色のかわいいオウムを買ってあげることにしたのよ」




(この項つづく)





前口上とサマセット・モームの「九月姫」

2011-03-18 23:17:10 | 翻訳
この間、ずっと仕事が忙しかったのもあったのですが、ずっとTVをつけっ放しにして(職場でももちろんみんな見てました)地震のニュースや原発関連のニュースやtwitterを見ていました。

もうほんとうに、見ないではいられない、という感じでした。見ていないあいだにまた爆発が起きてないか、放射線被曝量はどうか、東京の状況は、と、不安が募るばかりでした。

そんなときに、ツィッターはありがたかったです。
わたしがおもにフォローしていたのは
伊東乾さんのツィート
http://twitter.com/itokenstein
あとはあえて書くまでもないほど、今回のことでは有名になったところですけれども
早野龍吾さんのツィート
http://twitter.com/hayano
でした。
ほかにもいくつかありますけれどもね。

こういうところを見ることによって、何のデータを見るべきなのか、どう見るのかと、自分なりに見通しをつけることができるようになって、結局、いまの自分にできることは、自分のやるべきことをきちんとやるしかない、と腹をくくることができたように思います。

いまになって思い出すのは、中学の地理のテストで「どうして原子力発電所は海辺に建設するのか」という問題が出たことです。当時のわたしは、確か、安全のために人口密度が少ない地域に建てた方が良いから、と書いて、バツをもらったのでした。考えてみれば、その地域にもやはり人が住んでいる、ということに考えが及ばない、めちゃくちゃな回答なんですが。けれど、そのときの「核燃料を冷却するために大量の水が必要だから」という正解の意味を、実に四半世紀後のいまになって、初めてほんとうに理解できました。

自分が「知っている」と思っていたことが、ほんとうには何もわかっていなかった、と思い知らされるのは、多かれ少なかれ、つらくて苦い体験です。けれども、そういう痛みを通してたどりついた理解は、いつだってわたしを変えて来ました。
今回の出来事を通しても、いろんなことをしっかり見て、しっかり考えて、そんなふうな「痛みを伴う理解」をいくつも重ねていきたい。そんなふうに、わたしは思っています。

さて、いまのわたしにできることは何だろう。
ここにときどきコメントを寄せてくださるmaicouさん(http://yaplog.jp/kara_marco/)みたいに歌が歌えるわけではないし、読んでどこまでおもしろいものが書けるのだろうか、と。

だから、またいろんな「おもしろい話」の翻訳をやっていきたいと思います。
いつもやってるじゃないか、と思われるかもしれませんが(笑)、その通りです。

わたしがおもしろいと思った話を、みんなと分かち合いたい。
そう思って、また訳していきます。

よかったら、おつきあいください。

ということで、その第一弾は、サマセット・モームが書いた子供向けの童話「九月姫」です。いくら子供向けといっても、モームはモーム、というところもあります。
三回に分けて訳していきますので、まとめて読みたい人は、そのころにまたどうぞ。

原文は
http://www.miguelmllop.com/stories/stories/princessseptember.pdfで読むことができます。


* * *

Princess September(「九月姫」)

W. Somerset Maugham


その1.

 シャムの王様は、ふたりの娘ができたので、「夜」と「昼」と名前をつけてやりました。じきにもうふたり生まれたので、王様は最初のふたりの名前を変えて、四季にちなんで四人の娘を「春」と「秋」、「冬」と「夏」と呼ぶようになりました。やがて、もう三人、娘が生まれ、王様はまた名前を変えて、週の曜日をひとつずつ、つけてやることにしました。それから八人目が生まれたとき、今度は何と呼んだらいいのかわからなくなりました。けれども不意に、一年の月の名前をつけてやろう、と思いついたのです。

お后様は、月は十二しかないし、そんなにたくさん新しい名前を覚えなければならなくなったら頭がこんがらがってしまいますわ、と言いました。けれども王様は几帳面な方でしたし、一度こうしよう、と決めたら、あとはもう絶対に変えることをしないという人でもありました。

そこで娘たちの名前をみんな変えて、「一月」「二月」「三月」(もちろんシャム語で、ですが)とつけていき、末っ子には「八月」とつけてやりました。やがてつぎの娘ができたときは、「九月」という名前になりました。

「あと残っているのは、十月と、十一月と、十二月しかありません」とお后様は言いました。「そうしてそれが終わると、わたしたち、全部最初からまたやり直すのですね」

「冗談じゃない」王様は言いました。「十二人も娘がいれば、もう十分だ。だから『十二月』が生まれたあとは、残念なことだがおまえの首をはねてしまおう」そう言うと、王様は悲しげにおいおいと声を上げて泣きました。だって王様は王妃様のことをそれはそれは愛していたのですからね。

この言葉を聞いて、お后様もすっかり心細くなってしまいました。もしわたしの首をはねなければならなくなったとしたら、あのひとはさぞかしなげくことだろう。もちろん、お后様にしたところで、そんなことはありがたくないことにはちがいありません。

けれども、その心配はふたりとも必要なくなりました。「九月」で娘はおしまいになったからです。それからあとお后様にできたのは男の子ばかりで、王子たちはアルファベット順に名前をつけられることとなりました。これで心配の種は、しばらくはなくなったのです。というのも、お后様には「J」までしか子供はできませんでしたから。

さて、シャム王のお姫様たちは、名前を変えられてばかりいたことに、すっかり腹を立ててしまっていて、ことに上のお姫様ほど、よけいに何度も変えられたものですから、よけいに恨みをつのらせることになってしまいました。

けれども九月姫は、その名前でしか呼ばれたことがなかったものですから(もっとも、意地悪な性格になったお姉さんたちは、いろんな名前で呼びましたが)、とても優しく愛らしい性質になりました。


 わたしはつねづね思っているのですけれども、シャムの王様には、ヨーロッパでもまねをしたらいいなあというような、とてもすてきな習慣を持っていました。王様の誕生日には、王様がプレゼントをもらう代わりに、王様の方がみんなに、自分の好きなものをプレゼントするのです。王様はそのことがとても気に入っているようで、いつも誕生日が一年にたった一度しかないことを、残念がっていたのでした。

 けれどもそうしているうちに、王様は自分の結婚のときにもらった品々や、シャムのさまざまな市の市長から差し出された貢ぎ物や、ちょっと流行遅れになってしまった王冠などを、みんな贈ってしまいました。

そうしてある年の誕生日には、手頃なものが何もなかったので、娘たちひとりひとりに、美しい金の鳥かごに入った緑色のオウムを贈りました。九つのかごのひとつひとつに、お姫様の名前でもある月の名前が書いてありました。

 九人のお姫様たちは、自分のオウムがそれはそれは得意で、毎日かならず1時間(というのも、お姫様たちはお父さんに似て、とてもきちょうめんな性格だったからです)、オウムに話すことを教えてやりました。じきに、オウムはみんな「王様に栄えあれ」(シャム語ではとてもむずかしいのです)と言ったり、東洋の七つの言葉で「かわいいオウムちゃん」と言ったりすることができるようになりました。

ところがある日、九月姫がオウムに、おはよう、と言いに行くと、オウムは金のかごの底で横になって死んでいることがわかりました。九月姫は、わっと泣き出し、侍女たちがどれほどなぐさめても泣きやもうとしません。あんまりひどく泣いているので、侍女たちもどうしていいかわからなくなって、お后様にそのことを伝えました。するとお后様は、そんなおばかさんはさっさと寝かせておしまい、夕飯など食べさせてやることはありません、と言ったのでした。侍女たちも、出かけたいパーティがあったので、九月姫をさっさと寝かして、あとはもうたったひとりで放っておきました。


(この項つづく)




エゴイストは生き残れない

2011-03-15 22:53:26 | weblog
阪神淡路大震災のとき、リビアのカダフィ大佐が、日本の地震は日本がアメリカに追随していることに対する天罰だ、と言った。そのとき、なんだか無性に腹が立ったことを覚えている。

別にカダフィが最初でも最後でもなく、ノアの箱船以来「天災=天罰論」というのは根強いものがあるのだが、百歩譲って仮に天災が天罰であるとしても、それがほんとうにキリストだかアラーだか八百万の神だかしらないけれど、真実、「天」の意であるならば、いったいどうしてそのことがわれわれ人間にわかるだろう。結局、誰にもわからないのだから、「天意」であろうがなかろうが、ほかの自然現象とまったく同じことではあるまいか。

不愉快なのは、「天罰」を口にする人が、かならず安全な場所にいて、そこであたかも自分が神の声を聞いたノアであるかのようにふるまっている点だ。なぜ自分が被災を免れたか。それはたまたま被災地区にいなくて、安全な場所にいたという偶然に過ぎないのに。

けれども「天意」を口にする人は、おそらく「偶然」などということは考えないのだろう。そこに「意味」を勝手に読みとり、そうして自分こそはそれを「読みとる」ことができる「選ばれた人間」だと考えるのだ。

だから、大きな災害が起こるたび、かならず出てくる「天罰」を口にする手合いを見ると、何とも言えない傲慢な印象を受けるのである。

ところで、パニック映画やホラー映画の登場人物は、たいていいくつかのパターンに分類される。その中に、もちろん最大の敵は天災や地震やエイリアンや宇宙人なのだが、話の中で、自分だけが助かろうと敵に内通したり、人命より会社の利益を優先したりする「内なる敵」がかならず登場する。

こうした手合いのおかげで、集団は危機に陥り、主人公たちは困難を余儀なくされる。だが、そうした保身にもかかわらず、「内なる敵」はかならず途中で命を落とすのだ。観客は実際の敵よりこうした「内なる敵」の方に怒りを感じているため、彼らをざまあみろ、と思うことはあっても、かわいそうに思うことはない。

こうした「内なる敵」の問題点はどういうところにあるのだろうか。
助かりたい、と思うのは誰もが一緒だが、彼らは「自分だけ」が助かりたい、と考える。けれども、誰もが「自分だけ」助かりたいと考えて、敵に内通を始めたり、それぞれの利益を優先させたりすると、もはや自分の情報は優位性を持たなくなって、内通は内通の役割を果たさなくなるし、集団の持つ利益が分散されて、利益自体がなくなってしまったりする。つまり、「内なる敵」が自分の利益を追求するためには、ほかの人がそれをしない、ということが前提になるのだ。

ほかの人が自分と同じように考えたらいったいどうなるのか、という批判が当然起こってくるが、彼らは決してそれを受けつけない。助かりたい、生き延びたいとすべての人が願う、という考え方を、彼らは一切認めない。「蜘蛛の糸」をよじのぼるのは、自分一人でなくてはならず、ほかの人がそれを試みるのを決して許さないのである。

この傲慢さは、「天意」を口にする人にも通じるものだ。
「天災」を「天罰」と読み替える人は、別の思想信条を持つ人が、自分の頭上に別の種類の「天意」による「天罰」が落ちるとは考えない。リビアに日本の八百万の神が出かけていって「天罰」を与えるとは夢にも思わないのだ。

蜘蛛の糸はぷつりと切れて、カンダタは地獄に真っ逆様に落ちるし、「内なる敵」はかならずやられる。それは果たしてフィクションの世界だけのことなんだろうか。

自分の行動は、ほかの人が一斉にそれをやって、これから先、うまく回っていくような行動なのだろうか。自分の考えは、ほかの人が一斉に同じように考えて、うまくいくような考え方なんだろうか。

こんなときだから、わたしはそんなふうに自分の考えや行動を規準づけたいと思っている。



サキ「返品可能で販売中」その3.

2011-03-14 22:43:25 | 翻訳
その3.


 このポメラニアの画家が、どんな才能や天分を賦与されていたかはさておいて、商業的な評価を得ることには、明らかに失敗したようだった。紙ばさみは売れないスケッチでふくらんだままだったし、レストラン・ニュルンベルクの才人が『ユーストンの昼寝』と称した例の巨大なカンバスの絵は、売れないままそこに残っていた。しかも財政上の逼迫状況を示すしるしは、徐々に顕著なものとなっていったのである。

夕食時に添えられた安いクラレットのハーフボトルは、小さなグラス一杯のビールに変わり、やがてその代わりに水が置かれるようになった。毎日決まって食べていた一シリング六ペンスのセットは、“日曜日のご馳走”となった。普通の日は、画家は七ペンスのオムレツとパンとチーズに甘んじ、やがて姿を現さない日もでてきた。たまに自分のことを話すときでも、芸術という偉大な世界を話題にするより、ポメラニアの話の方が多くなった。

「おれたちにとっちゃ、いまが忙しい時期なんだ」物思いに沈みながら言葉を続ける。「刈り取りが終わったあとの畑に、ブタを放してやんなきゃなんねえ。そうやって、やつらの面倒を見てやんなきゃな。あっちにいさえしたなら、手伝うこともできるんだが。こっちじゃ生きていくだけで一苦労だ。芸術は理解されないからなあ」

「なんでちょっとだけでも帰ってみないのかい?」わざとそう聞く者もいた。

「金がいるじゃないか! シュトルプミュンデまでの船賃だろう、それに溜まった下宿代だ。ここだって数シリング借りがあるし。スケッチが何枚かでも売れたらなあ……」

「もしかしたら」ミセス・ヌガー=ジョーンズは言った。「もう少し安い値段をつけてたら、わたしたちの中にだってお金を喜んで払う人もいるかもしれないわよ。十シリングとなると、お金をいくらでも払えるってわけじゃないわたしたちみたいな人間になると、ちょっと考えてしまうわよ。きっと六シリングとか七シリングだったら……」

 百姓の魂は死ぬまで変わらない。ちょっと取引に入れ知恵をされただけで、この芸術家の目には、眠りから覚めた抜け目ない光が輝き、口元がぐっと引き締まった。

「九シリング九ペンス」画家はたたみかけた。ところがミセス・ヌガー=ジョーンズがそれ以上この話題について話を続けようとしないので、表情は曇った。どうやら画家は、彼女なら七シリング四ペンスは出すだろうと踏んだらしかったのだが。

 数週間が矢のように過ぎ、クノプフシュランクがアウル・ストリートのレストランに顔を出す日はますますまれになり、食事を注文する機会があったにしても、その内容はいよいよ貧弱なものになっていった。ところがついに勝利の日がめぐり来たのである。

彼は夜も早いうちに現れると、まるで宴会でも開くかのように、大得意で凝った料理を注文し始めた。厨房では、いつもの食材ばかりでなく、輸入物のガチョウの胸肉の薫製や、コンヴェントリー・ストリートのデリカテッセンでもめったに手に入らないようなポメラニアの珍味を取り寄せた。首の長い瓶に入ったライン・ワインが盛りだくさんのテーブルに花を添え、テーブルでは盛んに乾杯が繰りかえされた。

「傑作が売れたんでしょうね」シルヴィア・ストラブルが、遅れてやってきたミセス・ヌガー=ジョーンズにささやいた。

「誰が買ったの?」ミセス・ヌガー=ジョーンズも声を潜めて聞き返した。

「知らないわよ。あの人、まだ何も言ってないんだから。だけどどこかのアメリカ人にちがいないわ。ほら、デザートの皿に小さなアメリカ国旗が立ててあるじゃない? おまけにジュークボックスにもう三回もお金を入れて、かけたのは最初が『星条旗』でしょ、つぎが何だったか、とにかくスーザのマーチで、で、いま流れてるのはまたしても『星条旗』でしょ。きっとアメリカの億万長者に法外な高値で売りつけたにちがいないわ。ご機嫌ね、ほら、あんなににたにたしてる」

「誰が買ってくれたか聞かなくちゃ」ミセス・ヌガー=ジョーンズは言った。

「シーッ! だめだめ。それよりスケッチを急いで買わなくちゃ。わたしたち、まだあの人が有名になったことを知らないことになってるんだから、その間に。そうでもなきゃあの人、値段を倍に釣り上げるわよ。わたし、前からあの人のことは買ってたんだから」

 ミス・ストラブルはアッパー・バークリー・ストリートで死にかけているラクダの絵とトラファルガー広場で渇きをいやしているキリンたちの絵に、それぞれ十シリングを払い、同じ値段でミセス・ヌガー=ジョーンズは留まっているサケイの習作を買った。さらに野心作『アシニーアム・クラブの階段で闘うオオカミの群れとシカの群れ』に対しては、十五シリングで買おうという客が現れた。

「ところで今後の計画は?」と美術系の週刊誌にときどき寄稿している青年が聞いた。

「船便があったらすぐにシュトルプミュンデに戻る」と画家は言った。「で、もう帰ってこない。二度とな」

「でも作品は? 画家としてのキャリアはどうするつもりなんですか」

「ああ、そんなもんは何にもならんよ。食ってけないじゃないか。今日まで誰もおれの絵を買っちゃくれなかったんだ。今夜は何枚か買ってくれたがな。きっとおれの餞別のつもりなんだろう。だが、それまではさっぱりだった」

「でも、アメリカ人の誰かが……?」

「ああ、あの金持ちのアメリカ人か」画家はクックッと笑った。「ありがたいこったな。アメリカ人がブタの群れのまっただ中に突っこんだんだ。ブタを畑に出そうとしていたところにな。おれんちの一番いいブタが数頭、轢かれてしまったんだが、アメリカ人が全部弁償してくれたんだ。実際よりかなり高く、つまり、ひと月太らせてから市場へ出すときの値段の何倍も払ってくれたんだな。

「なにしろやつは、ダンツィヒへ行こうと焦ってたんだから。人間、急いでるときゃ言い値で買う以外、ないやな。ま、金持ちのアメリカ人には感謝しなくちゃな。連中はいつだってどこかに大急ぎで行こうとしてるんだ。おかげでうちのおやじもおふくろも、いまじゃすっかり金回りがよくなっちまったもんで、おれにもツケを払って家に帰れるぐらいの金を送ってくれたのさ。月曜日にはシュトルプミュンデに向けて発つ。で、もうこっちへは戻ってこない。未来永劫だ」

「でも、絵は、ハイエナの絵はどうなるんです?」

「ああ、くだらねえ。大きすぎてシュトルプミュンデまで運ぶに運べないから、焼いちまったよ」

 そのうち彼が忘れられる日も来るだろうが、いまのところソーホーのアウル・ストリートにあるレストラン・ニュルンベルクの常連の一部にとって、クノプフシュランクの話題は、スレドンティ同様、胸の痛むものとなっている。





The End



(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)




サキ「返品可能で販売中」その2.

2011-03-12 23:29:29 | 翻訳
その2.

 クノプフシュランクの作品を念入りに検討したり、鑑定したりする機会ならいくらでもあった。レストランの常連との社交生活からは、断固として距離を保っていた彼ではあったが、自分の作品は、連中の詮索好きな視線から隠そうとはしなかったのである。毎晩、というか、ほとんど毎晩のように、七時近くになると彼はやってきて、決まったテーブルに着く。そうしてふくらんだ黒い紙ばさみを向かいの椅子に放り出し、顔見知りの客に向かって均等にうなずいてみせる。それからやっと飲んだり食べたりを始めるのだった。

コーヒーが運ばれてくると、タバコに火をつけ、紙ばさみを引き寄せて、中味を引っかき回す。考え深げな悠々たる仕草で、何枚かの習作やスケッチを選び出し、黙ったままテーブルからテーブルへと渡していくのである。新顔の客でもいたことなら、特別な注意を払いながら。それぞれの絵の裏には、はっきりとした字で「価格 十シリング」と書いてあった。

 彼の作品にはまぎれもない天才の刻印が押してあったわけではないが、少なくとも非凡でありながら、なおかつ普遍的な主題を選択しているという点に、顕著な特色があった。彼の絵はかならずロンドンの有名な通りや公共の場所が描かれていた。しかもそこはすべて廃墟となっており、人間の姿はなく、死に絶えたものらしい。その廃墟に野生動物――外来種ばかりであることを考え合わせると、どうやら動物園から逃げ出したものらしい――が、ほっつき歩いている。

『トラファルガー広場の噴水で水を飲むキリンたち』は彼の習作のなかでももっとも注目すべき作品であったし、『アッパー・バークリー・ストリートで死に瀕したラクダを襲うハゲタカたち』という身の毛もよだつような絵は、さらに評判を呼んだ。彼が数ヶ月に渡って専念した巨大なキャンバスに描かれた写実画もあった。彼はそれをどうにかして投機的な画商や、勇気ある素人に売りつけようと試みているところだったのである。そのモチーフたるや『ユーストン駅に眠るハイエナたち』というもので、計り知れぬほどの深遠さを暗示することにおいては、これ以上望めないほどの作品である。

「もちろんね、すばらしい作品かもしれませんし、絵画に新たな時代を切り開くものなのかもしれませんけれどね」とシルヴィア・ストラブルは自分のファンに向かって言った。「でも、別の見方をすれば、ただの頭のおかしい人とも言えるんです。もちろん商品価値ばかりに目を奪われるのは考えものなんですけれど、それでもあのハイエナの絵とか、スケッチでもいいですから、画商が値を付けてくれたら、わたしたちにもあの人とあの人の作品をどう評価したらいいか、もっとよくわかるのに」

「そのうち、わたしたちみんなが自分を呪いたくなるかもしれませんね」とヌガート=ジョーンズ夫人は言った。「なんでわたしたち、あの紙ばさみごと買ってしまわなかったんだろう、って。だけど、ほんとに才能がある人だって、実際にごろごろいるわけでしょう? だから、ただ物珍しいからって、十シリング、ポンと出すなんて気にはなれませんよねえ。確かにあの人が先週見せてくれた『アルバート記念碑に留まる砂鶏』は印象的なものでしたし、もちろん確かな技術があって、雄大さが効果的に表現されているのを認めるのにやぶさかではありません。それでも、わたしにはどう見てもあれがアルバート記念碑には見えないし、それにね、サー・ジェイムズ・ビーンクエストがわたしに教えてくれたんですけれど、砂鶏って木に留まるんじゃなくて、地面で眠るんですってよ」




(この項つづく)





※しばらく所用で出かけていました。
わたしがいたところではほとんど変わったこともなく、何の実感もなかったのですが、その反面、ニュースで地震の被害状況を見るにつけ、その規模の大きさに言葉を失います。
海外から安否を気遣ってくれるメールが何通か来ているのですが、その文面の深刻さからも、かえって「どれだけの規模なのか」が実感されます。
このブログやサイトを見に来てくださっている方の中にも、被災地区にお住まいだった方もいらっしゃいます。そうした方々の目に届くかどうかわかりませんが、皆様や、皆様の大切な方々がご無事でいらっしゃいますよう、心より願っています。





サキ「返品可能で販売中」その1.

2011-03-08 23:09:39 | 翻訳
第三回目は、前二作とまた少し変わった雰囲気の話です。
原文は"ON APPROVAL"で読むことができます。




* * *

ON APPROVAL (「返品可能で販売中」)

by Saki (H. H. Munro)


--------------------------------------------------------------------------------
その1.


 ソーホーのアウル・ストリートにあるレストラン・ニュルンベルクには、ボヘミアン気取りの連中が集っている。そこにときおり、正真正銘のボヘミアンがふらりとやってくるのだが、その中でもゲプハルト・クノプフシュランクほど、興味深く、なおかつ得体の知れない人間は、誰も見たことがなかった。

彼には友だちがひとりもいない。レストランの常連全員とつきあいはあったが、その関係を、ドアの外、アウル・ストリートやその先まで続けていく気は、まったくなさそうだった。しかもそのつきあいというのが、まるで市場で商いをする女が通行人に相対するようなもの。商売物を見せながら、いい天気だねえ、とか、こう景気が悪くちゃねえ、とか、あたしもリューマチがひどくって、などという話はするが、客の日常生活に立ち入ったり、ひそかに抱いている野心を分析したりするようなことは決してないものだが、彼の場合もそれとまったく同じだった。

 話によれば、なんでも彼はドイツ北部、ポメラニアの百姓の家の出らしい。わかっていることをすべてつなぎあわせると、二年ほど前にブタやガチョウの面倒を見る仕事と責任を放りだして、ロンドンで画家として一旗あげようと目論んだものらしい。

「どうしてパリやミュンヘンではなくて、ロンドンだったんだい?」彼はつねづね、おせっかいな連中からそう聞かれたものだった。

 実のところ、シュトルプミュンデ港からロンドンへ月に二度出航する船が、客船ではないために安く乗ることができた、というだけの話なのである。ミュンヘンにせよ、パリにせよ、汽車賃は安いものではなかった。それだけの理由で、彼は果敢な冒険の舞台にロンドンを選んだのである。

 レストラン・ニュルンベルクで長いこと真剣に議論されたのは、このガチョウ飼い上がりの移民が、真に魂を揺さぶるような天才、翼を広げて光に向かって羽ばたいてゆける逸材なのか、はたまた単に、自分に絵が描けると思いついただけの向こう見ずな若者、ライ麦パンの食事と、砂とブタにおおわれたポメラニア平原の単調なことを思えば無理もない話だが、そこから逃げ出すことだけを夢見た青年なのか、ということだった。

事実、みんなが疑いを抱き、慎重になるのも、理由のないことではなかった。
この小さなレストランには、ずいぶん大勢の芸術家が集まるのだが、自分こそ音楽や詩や絵、演劇に対する並はずれた才能のもちぬしであると主張しながら、その主張を裏付ける証拠の品を、ほとんど、もしくはまったく持っていない、髪の短い若い娘や髪の長い青年なら掃いて捨てるほどいたのである。彼らのただ中に現れた「自称天才」が疑われるのも、いわば自然の摂理といえよう。

だが一方で、天才とつきあいながらその才能に気がつかず、バカにしているのではないか、という危惧とは隣り合わせでもある。現に、スレドニという悲劇的な実例があるではないか。

スレドニは劇詩人で、アウル・ストリートという劇場にあっては、見くびられ、鼻であしらわれるという評価を受けていた。ところが、のちにコンスタンティン・コンスタンティノヴィッチ大公によって、“偉大なる詩人”と賞揚されたのである。ちなみにこのコンスタンティノヴィッチ大公とは、シルヴィア・ストラブルによれば「ロマノフ家最大の教養」ということである。さらに言うと、このシルヴィア・ストラブルなる女性は、ロシア王室一族についてなら、ひとりひとりに至るまで詳しくしっていることで名高い人物なのだが、その実、彼女が知っているのはたったひとりの新聞社通信員、「ボルシチ」をあたかも自分が発明した料理であるかのように食べる若い男だけだった。

ともかく、このスレドニの『詩集 死と情熱』は現在ヨーロッパの七つの言語で千部が売れ、さらにシリア語に翻訳されるところである。こうなってみればレストラン・ニュルンベルクの眼力高き批評家の面々も、みずからの軽々かつ粗忽な判断に、恥じ入るほかなかったのだった。





(この項つづく)







サキ「運命の猟犬」その3.

2011-03-07 23:16:44 | 翻訳
その3.


 通用口で馬を降りたとき、一瞬、痩せた老婦人がこちらをのぞいているのがちらっと見えた。どうやら「大伯母さん」らしい。

 自分を待っていた、十分過ぎるほどの昼食のおかげで、ストーナーにも自分の置かれている極めて特殊な状況がこれからどうなっていくのか、考える余裕が生まれた。本物のトムが、四年間の不在を経て急に戻ってくるかもしれないし、いつ何時、手紙を寄越すかもしれない。もしかしたら農場の相続人として、このニセモノのトムが書類に署名しなければならなくなるかもしれず、これもひどく困ったことになるだろう。親戚がやってくるかもしれないし、その人物は伯母さんのよそよそしい態度を見習ってはくれないかもしれないのだ。いずれにせよ自分の恥ずべきふるまいが、白日の下にさらされることに変わりはない。

だが、それより外の道というと、自分を待ち受けているのは、果てしない空と海へ続くぬかるんだ道だった。とにもかくにも農場は、すかんぴんの自分に、ほんの一時ではあっても避難所を与えてくれたのだ。農作業なら自分がこれまで経験してきた数多くの仕事のうちのひとつである。本来、自分には受ける権利がなかったもてなしに見合うような仕事だってできるはずだ。

「夕食は豚肉の冷製でよろしゅうございますか」いかつい顔のメイドが、テーブルを片づけながらそう聞いた。「それとも温かい方がよろしいでしょうか」

「温かいのにしてくれ。タマネギを添えて」ストーナーは答えた。人生の内で、いま、この時初めて、彼は即断した。そうして、そう命じた瞬間に、自分がここにとどまるつもりであることがわかった。



 ストーナーは暗黙のうちに決まり、割り当てられたらしいこの家における「自分の分」というものを、厳格に守った。農場の仕事に加勢するようになっても、指図を受ける側にまわり、まちがっても自分から命令を出すようなことはなかった。ジョージ老人と葦毛の子馬、そうしてバウカーの子犬だけがこの世の友であり、それ以外は身も凍るほどの沈黙と敵意に囲まれていた。農場の女主人は、一向に姿をあらわさない。一度、大伯母が教会へ出かけたすきに、こっそりと客間に忍び込んでみたことがあった。自分が非合法的に譲り受けた地位と悪評の本来の持ち主である青年について、いくばくかでも知ることができれば、と思ったのである。

 写真は何枚も壁に貼ってあったし、きちんと額装してあるものまであったが、探している写真は、それに類するものさえなかった。だが、とうとう人目につかないところにしまいこまれたアルバムの中に、求めるものを見つけた。

『トム』とラベルに記された一連の写真である。まるまるとした三歳の子供、風変わりな服がちっとも似合っていない十二歳ぐらいの少年、いやでたまらないというふうに、クリケットのバットを持っている、なかなか顔立ちの整った十八歳の青年は、髪を真ん中でぺったりと分けている。最後に、どこかしら向こう見ずな表情を浮かべた若い男の写真があった。この最後の写真をストーナーは食い入るように見詰めた――彼との類似点は見間違いようがない。

 ふだんからあれやこれやと話好きなジョージ老人の口から、トムのどのようなところがあそこまでみんなに憎まれ、疎んじられているのか、何とか聞き出そうと幾度となく探りを入れてみた。

「このあたりの人間は、ぼくのことをどんなふうに言っているんだろう?」ある日も遠くの畑から帰る道すがら、ストーナーは聞いてみるのだった。

 老人は頭を振る。
「やつらはろくなことは言いませんで。ひどいもんでございまよ。つらいお気持ちは、ようわかりますよ」

 それ以上はっきりしたことは何も、老人の口からは明らかにはならなかった。

 クリスマスもほど近い、澄んだ空気が凍てつくような夕方のことだった。ストーナーはあたり一帯を見渡す果樹園の一隅に立っていた。そこかしこにランプやろうそくの火がまたたいているのが見える。その火が物語るのは、クリスマスの善意や喜びに彩られた人びとの暮らしだった。背後には、陰気で静まりかえった農場の屋敷がある。そこでは誰も笑わず、ケンカのにぎやかささえ無縁の場所だった。

暗い影におおわれた家の、灰色に浮かび上がる横長い正面を、振り向いたまま眺めていると、扉が開いて、ジョージ老人が急ぎ足にこちらにやってくるのが見えた。ストーナーの耳にかりそめの名が、不安げに呼ばれるのが届く。瞬時に何かしら厄介なことが起こったことを悟った。彼の目には、突如、この聖域がまさに平和で満ち足りた場所に映り、ここから追い出されることが耐えがたいまでに恐ろしく思えてきた。

「トムぼっちゃま」老人がしわがれたささやき声で言った。「ここから二、三日、お逃げになってください。マイケル・レイが村に戻ってきて、見つけ次第、撃ち殺す、と言うております。そうとも、やつならかならずやりましょう。人殺しでもやりかねない形相でしたから。夜影に紛れて行ってくださいまし。なんの、一週間かそこらでございますよ。やつもそうそうこっちにゃおれないでしょうから」

「でも、ど…どこへ行ったらいい?」ストーナーは口ごもった。老人に取り憑いている明らかな恐怖が、自分にも乗り移ってくる。

「海岸沿いにまっすぐ進んで、パンチフォードへ行って、そこで隠れていてくださいまし。マイケルがつつがなく帰っていったら、わしはあの子馬でパンチフォードのグリーン・ドラゴン亭まで行きます。グリーン・ドラゴン亭に子馬がつないであったら、戻っていらっしゃって大丈夫だという合図でございますよ」

「だが……」ストーナーはためらっていた。

「ここに金が用意してございます」と老人は言った。「奥様も、わしがいま言った方法が一番良かろうとおっしゃって、これをくださいました」

 老人は三枚の一ポンド金貨と、銀貨を数枚差し出した。その夜、老婦人にもらった金をポケットに入れて、農場の裏木戸からひっそりと出て行きながら、ストーナーはこれまでにないほど、自分がいかさまを働いているような気がしていた。ジョージ老人とバウカーの子犬が、庭で黙ったままじっと見送ってくれている。おれはもうここへ戻っては来ないだろう。この忠実なひとりと一匹の友だちが、彼が戻ってくる日を心待ちにするだろうことを考えると、良心の呵責に胸を衝かれる思いがした。おそらくいつかは本物のトムが帰ってくるだろう。そうして、人を疑うことを知らない農場の人びとは、同じ屋根の下で共に暮らしたあの客人はいったい誰だろうといぶかしく思うにちがいない。

自分自身については、さしあたっての心配がなかった。三ポンドばかりでは、たいしたことはできそうもなかったが、金勘定をペニーでやってきたような男にとっては、元手にするには十分だ。以前この道を、何の望みもない浮浪者として歩いてきた自分に、運命は気まぐれな幸運を授けてくれた。だから今度も何か仕事が見つかって、再出発するチャンスがめぐってくるかもしれない。農場から遠ざかるにつれて、彼の意気は上がっていった。本来の自分自身に戻ったことで、安堵する気持ちも生まれていた。もう誰かの影になったような、不安な状態でいることもない。

自分の人生と不意に交錯した執念深い敵のことは、ほとんど念頭になかった。後ろへ振り捨ててしまえば、そんな関係など、もはや気にすることもない。何ヶ月かぶりに、何の憂いもなくなり心も軽くなって、彼は鼻歌を歌い始めた。

そのとき、道に張り出した樫の大木の陰から、銃を持った男がぬっと現れた。誰だろうといぶかる必要はなかった。月明かりにうかびあがる白くこわばった顔には、憎しみの光が放射されているかのようだ。ストーナーがこれまで生きてきた浮き沈みのある人生の中でも、見たことのない表情だった。

ストーナーは横に飛びすさると、道に沿った生け垣を抜け、必死で逃げようとしたが、うっそうと繁る枝に腕をとられた。運命の猟犬は、この細道で彼を待ち受けていたのだ。そうして今度は有無を言わせなかった。



The End







サキ「運命の猟犬」その2.

2011-03-05 23:34:38 | 翻訳
その2.

 老人はマグに注いだビールをストーナーの前に置くと、足を引きずりながら廊下の奥に消えていった。先ほど落ち始めた雨は、いまや雨足も強まりドアや窓を激しく叩いている。しのつく雨のなか、宵闇せまる海辺にいたとしたらどんなことになっていたかと思うと、ストーナーは体の奥がふるえるような気がした。食事をすませてビールも飲み終え、この家の奇妙な主が戻ってくるのをぼんやりと待った。

部屋の隅にある振り子時計が時を刻むごとに、この青年の胸の内に希望の灯がともり、それが次第に大きくなっていく。希望といっても、何かしら口に入れるものと、ほんの一時、休ませてもらえれば、という願いが、どうやらかなえてもらえそうなこの家で、一晩、雨露をしのぎたい、という願いにまで成長したというだけのことだったのだが。足音がちかづいてきて、老僕が姿を現した。

「やっぱり大伯母さまはお目にかからんそうです、トムぼっちゃま。ですが、ここにいたいならいればよい、とおっしゃってますよ。そりゃそうでございますわな。ご自分が土の中にお入りになったあとは、農場の一切合切はぼっちゃまのものなんですからな。ぼっちゃまのお部屋に火を入れておきましたよ。メイドも新しいシーツを敷いたところです。お部屋は元のまんま。さぞかしお疲れになって、早いとこ、おやすみになりたいでしょうな」

 言葉を返すこともなく、マーティン・ストーナーは重い体を苦労しながら持ち上げると、救いの天使のあとについて廊下を歩き、きしむ階段を上ってから、また別の廊下を進んで大きな部屋に入った。暖炉の中で明々と燃える火があたりを照らしている。家具は少なかったが、どれも飾り気のない、古風で良いものばかりだった。飾りといったら、箱に入ったリスの剥製と壁に四年前のカレンダーが掛けてあるばかり。だが、ストーナーにはベッドよりほかは何も目に入らなかった。服を脱ぐのももどかしく、深い眠りにいざなう疲労という恰好の睡眠剤と共にベッドに倒れ込んだ。運命という名の猟犬も、束の間、追跡の脚を休めたようだった。



 朝の冷たい光の中で、ストーナーは陰気な笑い声をもらした。自分の置かれた立場が、少しずつわかってきたのである。おそらく朝飯をかきこむあいだぐらいは、もうひとりの行き方知れずのろくでなしと見間違えていてもらえそうだ。向こうからかぶせられた化けの皮がはがれないうちに、無事に逃げ出すこともできるだろう。

階下の部屋では、腰の曲がった老人が“トムぼっちゃま”の朝食に、ベーコンエッグを並べている横で、ティーポットを手に入ってきたいかつい顔の初老のメイドがお茶をついでくれた。ストーナーが食卓に着くと、小さなスパニエルがじゃれついてきた。

「こいつはあのバウカーの子犬でございますよ」と老人が教えてくれた。いかつい顔のメイドは老人をジョージと呼んでいる。「バウカーはぼっちゃまだけになついておりましたからな。だもんで、ぼっちゃまがオストラリヤにいらっしったあとは、すっかり別の犬になってしまいましたよ。死んでもう一年になりますか。こいつがその仔で」

 ストーナーは母犬の不幸を残念がる気にはなれなかった。もしその犬が生きていたなら、身元確認の証人というだけではすまなかっただろう。

「トムぼっちゃま、遠乗りでもなさいますか」老人の口から思いがけない言葉が出た。「乗り心地のたいそういい、葦毛の子馬が一頭おりましてな。ビディもまだまだ乗れますが、歳には勝てません。葦毛の方に鞍をのせて、戸口に連れて来させましょうか」

「乗馬の装備は何も持ってきてないからな」ストーナーは口ごもったが、着たきりの服に目を落とし、笑い出しそうになってしまった。

「トムぼっちゃま」老人は、聞き捨てならないことを言われたとばかりに、熱をこめて言った。「ぼっちゃまのものは、ひとつのこらず、元のままにしてございますよ。ちょっと火に当てて乾かせば、いつでもお召しになれます。馬にお乗りになったり、鳥撃ちにでもお出かけになったりすれば、気晴らしにもなりましょう。ここいらの連中は目引き袖引き、ぼっちゃまのことをあれこれ言いはしましょうが。そうそう忘れたり、水に流したり、というわけにはまいりませんからな。人が寄らないうちは、馬や犬相手に気晴らしをなさるのが一番でございますよ。動物というのは、なかなかの相手でございますから」

 ジョージ老人が手配のために足を引きずりながら部屋を出ると、ストーナーは夢の中にいるような気分で“トムぼっちゃま”の衣装ダンスを探しに部屋に上がった。彼は乗馬がことのほか好きだったし、トムが旧知の人びとから爪弾きされているのなら、すぐさま化けの皮がはがれるようなこともあるまい。この侵入者はなんとか自分の身に合いそうな乗馬服に体を押し込みながら、近隣一帯の人びとを敵に回すとは、本物のトムはいったいどんな悪事をしでかしたのだろうと、ぼんやり考えた。だがその物思いも、湿った土を足早に蹴る力強いひづめの音に断ち切られた。

「さしずめ『馬に乗った乞食たち』(※ジョージ・カウフマンの喜劇)だな」ストーナーは考えた。昨日はみすぼらしい宿無しとして、ひとりとぼとぼと歩いていたぬかるんだ道を、今日は馬で駆け抜けている。だが、あれこれと考えるのも面倒になり、物思いなどかなぐり捨てて、まっすぐに伸びていく街道沿いの道を馬で駆ける快さに身をまかせた。

開いた門から畑へ向かおうとする荷馬車が二台、出てこようとしている。ストーナーは馬を止めた。荷馬車に乗った若い男たちには、彼をじっくりと眺める暇があったはずだ。すれちがい際に、高ぶった声で「トム・プライクじゃねえか! 一目見ただけでわかった。舞いもどってきやがったんだな」と言っているのが聞こえた。

 よぼよぼの年寄りが間近で見まちがえたほどの顔かたちは、どうやら若い男が至近距離で見てもその人物に見えるらしかった。

 ストーナーが馬を走らせているあいだ、村の人びとがトムの過去の悪行を、忘れてもいなければ許してもいないことの証拠に何度も遭遇した。行方不明のトムがしでかしたあれこれを、彼はそっくり引き受ける羽目になったのだ。ひそめられる眉、ひそひそ話、引かれる袖。誰かに出くわすたび、そんな仕草で迎えられるのだった。敵意に満ちた世界の中で、横を走る“バウカーの仔”だけが、親愛の情を見せてくれた。






(この項つづく)