陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

どう考えたら良いのかわからないときに

2011-04-30 23:38:39 | weblog
福島で、小学校の校庭で取り除いた放射線濃度の高い土の、埋め立て予定地付近の住民が、勝手に持って来られてはこまる、と反対しているというニュースを読んだ。
NIMBY、Not In My Back Yard(うちの裏庭にはゴメン)という言葉は、刑務所や斎場、ゴミ焼却場などの建設・移転をめぐってよく出てくる言葉だが、反対される施設の性格にも、事態の緊急度にもよるものではあるし、簡単に住民エゴと言ってすませるわけにもいかない問題である。

わたしたちは誰でもある面では道徳家であって、異常な行為、たとえばさしたる理由もなく人を殺すような人間、利益を追求したあげく、多くの人に危機をもたらすような企業に対しては、ひどく腹が立つし、許せない、という気にもなる。

それが、たとえば殺人を犯したとしても、容疑者が法律で保護されるような人間であったり、企業の行為が法律的に見て問題がなかったりして罪を免れたりすると、何とも言えない気持ちになってくる。現行の法律や規則が、正義にかなっているものだろうか、と、疑いの目を向けたりもする。

それに対して、法律や規則がそう決まっているのだから、個々の具体的な事例がそれをはみ出しているように見えても、感情的になることなく、その法律や規則に従うべきである、という人も出てきて(多くは「専門家」と呼ばれる人びとである)、そういう人びとは多くの場合、「余計なもの」を切り捨てながら進んで行く。

だが、実際の生活の中では、わたしたち自身が、全体的な関連のうちにいろいろな規則を配分し、人に守ってもらうことを前提に、さまざまな案配を行っている。そんな中で起こる具体的な出来事に対し、いちいち対処を求められれば、困ってしまうだろう。

そのように、わたしたち自身が、一面、道徳家であり、また別の一面では組織の一員でもある。だからこそ、ふたつの乾し草の山の間に連れて来られたロバのように、どう考えたら良いかわからなくなって、立ちすくんでしまうのだろう。

けれど、そういうときにこそ、「自分の考え」というものが生まれてくる可能性があるのではないだろうか。さまざまな立場にいる人、これからの社会を作っていくはずの子供のこと、実際にその被害に遭うかもしれない人、さまざまな人の話を聞くことで、それぞれの考えの背景と周囲を持っていることを知る中で、自分だけの考えを作っていくことができるかと思うのだ。

もしかしたら、それは他愛のない一時の感傷かもしれないし、実現不可能な夢想かもしれない。つぎの日にはもう顧みられることのない気持ちかもしれない。それでも考え、言葉にし、人に言ってみる価値はあると思うのだ。ときに、嘲罵や非難を浴びせかけられるかもしれないし、盲点を突かれて、驚き、腹を立てることになるのかもしれない。それでも、その非難や嘲罵さえも自分の考えに取り入れ、さらにもっとよく考え、新しい結論を出すことができれば、と思うのだ。

現実を見るとともに、はるか彼方にあるはずの「正義」をも凝視しながら。


不吉な話

2011-04-28 23:34:22 | weblog
11日というのは、いろんな災害が起こる不吉な日だ、ということを言う人がいた。こちらは冗談だと思って、なるほどねえ、といい加減なあいづちを打っていたら、相手は大まじめで、いま話題になっているんだよ、という。9.11も先日の東日本大震災もみんな11日に起こっている、そもそも1855年の11月11日には 安政の大地震が起こって……と、なんだかんだ二十ほどあげてくれた。30日か、31日ある中で、その日ばかりにいろいろなことが起こるなんてあり得ない、というのである。

だけどさ、月は別々なんでしょ、どの月でもいいのなら、11日というのは、1年のあいだに12日あるわけだし、1855年から今年までなら156年ある。そのあいだに11日は1872日もあるのだから(実はわたしはこのテの暗算は、中学の時にコツを教わって以来、得意なのである。割り勘のとき以外、ほとんど発揮する機会のない能力なのだが)、1872日ものあいだ、それぐらいしか大きな事件がないんだったら、多いとは言えないんじゃない? と言ったら、ずいぶん冷ややかな目で見られてしまった。
また世間を狭くしてしまったかもしれない。やはり、一緒に驚くべきだったか。

こうした「不思議な暗合」というのは、考えに一定のバイアスがかかった結果、いくつかの点が見えなくなってしまっているだけのことで、実のところ、不思議でもなんでもない。だが、おもしろいのはこのように取りざたされるのは、決まって「不吉な日」であって、「幸運な日」「すばらしいことがたくさん起こった日」ではない。星占いなどではかならず「今月のラッキー・デー」などという項目があるのに、たとえば「毎月22日は幸運なことばかり起こる」という話は聞いたことがない。

考えてみれば、戦争の勃発や、火山の噴火や大地震や大たつまきなどの大規模自然災害、多くの人が巻き込まれる大事故などのように、わたしたちが「出来事」としてとらえるのは見方によっては「不吉」と呼べるようなことなのかもしれない。

そしてまた、「11日が不吉な日」と考えることは、一種の予言でもあるのだろう。毎月11日が来るたびに、「今日は11日だ、何か良くないことが起こるかもしれない」とあらかじめ予期しておいて、悪いことが起こったときのショックを最小限にくい止めようとする心理が、どこかで働いているのではあるまいか。

そこで思い出すのは、今回の原発事故をめぐる報道に関してひとしきり言われたのが、事態は報道されるよりよほど危機的なもので、政府や東京電力が事態を隠蔽している、「安全」というデマを垂れ流している、ということだった。

確かに「身体に危険のあるレベルではない」「安全と考えられる」といった発言は、繰りかえされれば繰りかえされるほど不安になる。だが、ここまで多くの計測器が設置され、日々数値が報道されているのだから、「隠蔽」を完遂しようと思えば、よほど組織的計画的になされなければならないように思える。

計測データにしても、さまざまなところでさまざまな人がおこなっているわけだし、なにしろ相手にしているものが微量だし、放射性物質の特定すらも簡単ではなかろう。それこそ空気を集めて、水を入れてシャカシャカ振って、リトマス試験紙を浸して……というものなどではないのだ。だから、厳密な整合性が得られないにしても、それだけをもって「隠蔽」と批判することは、あまり意味がない。

「隠蔽」を主張する報道の中には、ソースを海外メディアに求めているものも少なくないが、たとえば文部科学省から出されるデータとそれが異なっているからといって、たちまち「隠蔽」ということになるのだろうか。いまの段階でどちらが正確であると果たして結論を出すことができるのだろうか。

さらに言ってしまえば、「どのくらい危険か」の根拠となる過去のデータそのものが、圧倒的に不足している。幸か不幸か大規模な原発事故のデータは、チェルノブイリ、スリーマイル島の二回分しかないし、それに加えても広汎な人体の被爆/被曝の経験は、その二つの原発事故を除けば、二度の原子爆弾と第五福竜丸ぐらいしかないのだから、蓄積されたデータといっても限りがある。この面でも「未曾有の災害」なのである。どう考えても、的確な分析を時々刻々と出し続けよ、という要求は、気の毒な話のように思える。

「隠蔽」を批判する人は、おそらく「東電」と「政府」が邪悪な意図をもって「隠蔽」工作をおこなっていると考えているのだろうが、記者会見の映像を見る限り、そんな工作が行えるほどの戦略もありそうではなく、行き当たりばったり、首尾一貫した方針もないまま、弥縫策に追われているようにしか見えない。さまざまな情報が出てきて、自称他称の「専門家」がいろんなことを言っているのは、「隠蔽」しているのではなく、炉の中がほんとうのところ、どのような状態になっているのか、まだはっきりとはわかっていないからないからではないか。

誰もほんとうのことがわからない状態よりは、いっそ「隠蔽工作」を行っている「悪の権化」がいるもの、と想定できる方が、いっそ良いのかもしれない。そうなら、悪辣な彼らを取り除けば、事態は好転するのだから。

事態が危機的なことはわかっている、自分はそれを知っていて、こうやって批判しているのに、無能な政府が、悪辣な東電が……と責任を転嫁させる対象がほしいのではないか。

「11日に起こる不吉なこと」のように、ある仮説を裏付けようと思えば、数字だろうが、出来事だろうが、いくらでも引っぱって来ることができる。だが、それがほんとうに仮説を裏付けているのか。それをどうとらえるかは、結局は自分なのだ。

まあ、その結果、世間を狭めることになるのかもしれないのだが。

行列の話

2011-04-26 23:33:02 | weblog
昨日、郵便局に振り込みに行ったら、25日ということで、三台あるキャッシュ・ディスペンサーの前には、長蛇の列ができていた。ディスペンサーの機械は、郵便局の入り口脇の壁に沿ってあるのだが、そこから伸びた行列のシッポは、奥まで伸び、そこからさらに折り返している。つまり、さして広くない郵便局のほぼ半分は、行列に並ぶ人で埋め尽くされていたのである。

わたしは例によってカバンから本を出し、読み始めたのだが、並んでいる人は、うなだれて携帯をのぞきこんでいる人をのぞけば、頭を右にずらし、左にずらししながら、行列が少しずつ前進していくのをいらだたしそうに見ている。先頭が進んでも、それに気づかず前に出ない人がいれば、後ろの人は舌打ちし、ディスペンサーの前に立つ人が、ひとつ用事が終わってもそこをどかず、もう一度、いらっしゃいませ、と機械の音が聞こえてきたりすると、これみよがしのため息が聞こえたりする。不機嫌な空気があたりには充満しているのである。

「行列の出来る店」というのが世の中にはあるが、ラーメン屋であろうと、イタリアン・レストランであろうと、そんな店の前で行列を作っている人は、不機嫌そうな顔はしていない。行列の後ろで舌打ちやため息が聞こえてくるのは、郵便局やスーパーや、デパートや映画館のトイレなど、ある用件をすませるためには「並ばない」という選択肢がない場合に限られる。逆に言うと、わざわざ並ばなくても良いのに、何か特別なモノを求めてのモノやサービスを求める場合、行列の一員に加わることは、自分の「意思」なのである。自分から選んだ行為であるから、手に入れるまでの時間は「行列に並んだ」というイベントになる。

ゲームソフトを買うためや、試合やコンサートのに、チケットショップの前で、前の晩から寝袋持参で並ぶ人たちは、なんだか楽しそうだ。隣り合った見知らぬ人とも言葉を交わし、行列を構成している人びとの間に、同じ目的を共有したことから来る一体感すら生まれることがある。

だが、強いられる行列にせよ、自発的行列にせよ、モノやサービスの需要-供給関係に、不均衡が生じているから行列が生じるのだ。閑古鳥の鳴くスーパーであれば、レジで行列を作る必要もない。

さらに、封建制の時代であれば、貴族などは行列に並ぶ必要はないだろう。身分の高い順に、取りたいものを自分のものにしていくからだ。

こう考えていくと、行列が成立するためには、いくつかの条件があって、それを満たしていなければ出現しないものだとわかってくる。

さらに、行列は平等原則によって貫かれている。年齢にも性別にも拠らない、職業も、年収も関係ない。美人であろうがブスであろうが、同じこと。ただひたすら先に着いた者が有利。そう考えていくと、きわめて民主主義的なもの、と言えそうだ。

平等原則至上主義が行列だからこそ、唯一のルールでもある「順番を抜かす」ことが、重大なルール違反となってくるのだ。小学生の低学年の子供でもあるまいし……と思えることもあるのだけれど、実際、スーパーで順番を巡って激しい口論をしている人たちを見たこともある。

震災後、避難先での炊き出しで、行列を作っていた人びとと、モノが消えてしまった都内のスーパーで行列を作っていた人びとの表情は、おそらくずいぶんちがったものだったはずだ。環境がより劣悪な方が、人びとは苛立ったりせず、並んでいられる、というのも、人間の感じ方を考える上で興味深い。

いまでは見なれたものになってしまった行列だが、その成立条件や歴史を考えると、そこまで「ありふれた」ものではないはずだ。一口に「行列」といっても、いつの、どんな「行列」かによって、並ぶ人の心情は驚くほどちがっているのだ。



お久しぶりです

2011-04-25 23:21:06 | weblog
またずいぶん間があいてしまった。
元気だったんですけどね。
三足のわらじをはいて、あちこち行ったり、いろんな人に会ったり、話したり、交渉したり、文章を書いたり流したり、何かと忙しい。まあ、忙しい内が花と思って、しばらくはこの生活を楽しもうと思っている。でも、遊牧民のような生活はいったん終わったので、しばらくは更新に精を出そうかと思っているので、以降よしなにお願いします。コメントくださった方もどうもありがとうございました。また返事を書きますから。遅れてしまってごめんなさい。

なんだかんだ、スケジュール帳を日に何度も取り出して、やり終えたことを線で消し、やっていないことに印をつけて、さらに人に会う時間と場所を確認し、やり残したことを書き加えていく……という日々は、以前の決まり決まった生活、スケジュール帳すらさして必要のない、用がなければ机に向かい、本を読むか、パソコン開けて何ごとか文章を打ちこむかしているだけの、「半引きこもり」のような毎日にくらべれば、ずいぶんバラエティ豊かではある。だが、そのふたつの生活を対比して、忙しくなったからといって別に「充実している」とは思えないし、逆にいまが「しんどい」とも思わない。さらに言ってしまえば、多少いろんなところに行こうが、知らない人に会おうが、これまでなじみのないことをやろうが、いわゆる「人生経験」なるものが、この間、格段に自分に蓄積されてきたかというと、そんなことがあるようには全然思えないのである。

世間ではしばしば「人生経験豊か」という言い方をする。けれど、考えてみればよくわからない言葉ではあるまいか。誰だって「人生」というのは一度きり、となると、その「人生」の経験すらも「一度」以上できるわけではない。誰だって一回こっきり、終わってしまえばハイそれまでよ、の人生を生きるしかないのだから、「人生の経験が豊か」な人なんて、実際にはどこにもいないのではあるまいか。

あるいは、これは「人生において豊富な経験を積んでいる」ということなのかもしれない。だが、これも変てこな話で、どんな人だって何十年か生きていれば、生きた分だけの経験を積んでいるわけで、実のところ、その多寡があるとも思えない。
もし「豊富な経験」が「多種多様な経験」となのであれば、中学を出てからこちらずっと畳屋をやって四十年……という人は、ずいぶん貧弱な人生経験と言わざるをえないし、それに対して転職を繰りかえし、さまざまな職種を渡り歩いた人は、経験豊富、ということになる。なんだかその言葉から受ける印象とは正反対ほど遠いものであることは言うまでもない。

人によっていろんな経験の受け取り方はさまざまである。同じ教室で勉強したクラスメイトでも、数年も経てば「覚えていること」「血となり肉となりしたこと」はずいぶんちがうし、同じ経験をしたとしても、その人がどこにいるかによって、見方がまるでちがうことも、よくある話だ。そんなふうに考えていくと、「経験豊か」かどうか、というのは、ひとつの経験からどれだけ「豊か」なものを引き出すか、ということなのかもしれない。

スケジュール帳がスカスカだろうが、真っ黒になっていようが、一日、一日に起こることをきちんと受けとめて、時間を掛けながら考えていければ良いのだけれど。

J.G. バラード「時の庭」最終回

2011-04-16 22:53:41 | 翻訳
最終回


 一瞬、喧噪がいくぶんおさまり、アクセル伯爵ははっとわれに返った。花から放たれる鮮やかな光が、妻の青ざめた顔や怯えた目を浮かび上がらせる。
「できるだけしっかり持っていなさい。最後のひとしずくが死に絶えるまで」

 ふたりは寄り添ってテラスに立ち、伯爵夫人は鮮やかな末期の光をきらめかせながら死んでいく宝石をにぎりしてめていた。外の群衆の声がふたたび聞こえ始めると、あたりの空気もふたりを押しつぶさんばかりに緊張の度合いを高めた。暴徒の群れは重い鉄の門を叩き、屋敷全体がその衝撃で揺れた。

 微かな日の名残りもあっという間に弱まって、伯爵夫人はまるで目には見えない鳥を放してやろうとするかのように、てのひらを空にかざした。それから最後の勇気をふりしぼって夫の手の中に自分の両手をあずけ、消えていく花の輝きにも似た笑みを浮かべた。
「あなた……」

 あたかも刃が振り下ろされたかのように、暗闇がふたりの上に落ちた。


 うなり声やののしり声をあげながら、暴徒の集団の外縁に位置する部隊が、崩れ落ちて膝の高さの石塀が残るだけの廃墟となった屋敷に到達した。荷車で塀の残骸を越し、かつては美しく飾られていたのに、いまは干からびたわだちだらけとなった小径を、引いていく。豪勢な屋敷の廃墟は、絶え間なく押し寄せる人波の前に、なすすべもなかった。湖は干上がり、底では倒木が重なって腐り、年を重ねた橋も錆びるにまかせている。芝生は雑草が伸び放題となり、飾り小径も石の仕切りも雑草におおわれていた。

 テラスもあらかたが崩れ落ち、暴徒たちはうちのめされた屋敷など目もくれず芝生を真っ直ぐに進んだが、ひとりかふたり、好奇心の強い者がよじのぼって内部を探索に行った。ドアの蝶番が腐り、床が落ちている。音楽室の年代物のハープシコードは、切り刻まれて薪にされたが、いくつかの鍵盤がほこりにまみれて転がっていた。書斎では、本棚の本は残らず崩れ落ち、カンバスは切り裂かれ、金箔をかぶせた額縁も床に散乱していた。

 主力部隊が屋敷に到着し、石塀のあらゆる場所から乗り越え始めた。大勢の人びとが一時に殺到し、干上がった池を越えてテラスを乗り越え、押し合いへし合いしながら屋敷を抜けて、開いた北側の扉へと向かっていく。

 途絶えることのない人波さえも寄せ付けない場所が、たったひとつだけあった。壊れたバルコニーと塀の間に、二メートルほどの高さまでも生い茂った、深いイバラの茂みだった。トゲだらけの枝が密生しているため、通り抜けることもできず、しかもその枝には有毒のベラドンナがからみついているために、そこは慎重に迂回されていたのだ。群衆のほとんどはひっくり返った敷石のあいだの足場を確かめることに夢中で、イバラの奥をのぞくこともなかった。そこには二体の石像が寄り添うように立ち、イバラに守られ、眺めの良い場所からあたりを見渡していた。丈が高い方は、あごひげを生やした男の像で、立て襟の上着を身にまとい、ステッキを小脇に挟んでいる。その傍らに立つのは女性の像で、凝った仕立ての床まで届く丈のドレスである。女性の穏やかでほっそりしたおもだちは、風雨の痕跡をいささかも残していない。その左手は、一本のバラをそっと握っていた。繊細に彫琢されたその花びらは、透き通るほどにかぎりなく薄かった。

 屋敷の背後の夕陽が、いまや最後の輝きを終えようとしている。崩れかけた軒の隙間から一筋の光が差し込み、バラを照らした。輪を描きながら開く花びらが反射して、その光を石像に投げかける。その刹那、光を浴びた灰色の石像は、肉体を消して久しいそのモデルと見分けがつかなかった。




The End



(※近日中に手を入れてサイトにアップします)

J.G. バラード「時の庭」その4.

2011-04-13 23:30:58 | 翻訳

 そのつぎの日から、夕刻になるたびに、ひとつ、またひとつと伯爵は花を摘んでいったが、テラスの真下にある小さなつぼみだけは、妻のために残しておいた。それ以外は手当たり次第、数を数えることも、節約することも一切せず、必要に迫られれば小さなつぼみをふたつかみっつ、まとめて摘み取ることもあった。迫り来る大群は、いまや二つ目と三つ目の頂きに到達し、膨大な数の人びとのために、地平線はまったく見えなくなってしまっていた。テラスからは、足を引きずりながら、力をふりしぼって最後の丘の手前のくぼちを進む彼らの姿が見える。ときおり怒声やむち打つ音も交えたいくつもの声が聞こえてくる。荷車が右へ左へとかしぎ、何とか安定させようと押している人びとも苦労しているらしかった。だが、アクセル伯爵の目には、群衆の中ではただのひとりもどこへ向かっているのか知っているものはいないように映った。むしろ誰もが前を行く人間の踏むあとをそのまま自分が踏んでいるのだろう。ただ黙々と距離を重ねていくことだけでまとまっているのだ。

 こんなことを期待することに意味がないのはわかっていたが、伯爵は地平線の彼方にいるほんとうの主軸部隊が進行方向を変えてくれないものか、と思った。そうすれば全体の進行方向も少しずつ変わっていき、屋敷を逸れてくれるのではないか、あたかも潮が引くように、平原から退却していってくれるのではないか、と。

 いよいよ明日、という夕べ、伯爵は時の花を摘んだ。群衆の先頭集団は三番目の丘の頂上を越え、そこから溢れ出つつあった。伯爵夫人を待つあいだ、伯爵は残っているふたつの花を見下ろした。どちらもまだ小さなつぼみで、明日の夕刻、彼らを戻すことができるのも、ほんの数分といったところだろう。花が死に絶え、ガラスの茎ばかりが宙に突き出して、庭全体を見渡しても、花はどこにもなかった。



 翌朝、伯爵は静かに書斎へ入っていき、稀覯本の写しを縁飾りのついたガラス蓋のケースに収め、封をした。それからゆっくりと肖像画のかかった廊下を歩いて、一枚一枚、入念にガラスを磨き、それから机を片づけると、ドアを閉めて鍵をかけた。午後いっぱいは客間で妻が装飾品のほこりを払い、花瓶や胸像をまっすぐにならべるのを、出しゃばらないように手伝うことで過ごした。

 夕刻、太陽が屋敷の背後に沈む頃には、ふたりとも疲れ果て、ほこりまみれになっていたが、一日中ほとんど言葉を交わすこともなかった。やがて妻が音楽室へ向かおうとしたとき、伯爵は妻を呼び戻した。

「今夜はふたり、一緒に花を摘もうじゃないか」といつもの調子で言った。「それぞれ一本ずつ」

 伯爵はちらりと石塀の向こうに目をやった。一キロも離れていないところから、ぼろをまとった軍隊の鈍いうなり声や、鉄製の武器や鞭の鳴る音が、屋敷に向かって近づいてくるのが聞こえる。

 アクセル伯爵は急いで、サファイアほどの大きさのつぼみを摘んだ。それが弱々しくきらめくと、その瞬間、外の騒音は止んだが、じきにまた、いっそう大きな音となって戻ってきた。

 喧噪に耳をふさぎ、アクセル伯爵は屋敷を見回し、ポーチコに六本立っている柱を数えた。それから目を芝生から銀色に光る湖に目を移していく。水面に残り日が反射し、丈の高い木々が芝生に落とす影はゆっくりと動いていく。長年、夏になると妻と腕を組んで渡った橋を渡るのを、伯爵はためらった。

「あなた!」

 喧噪が外の空気をふるわせる。わずか二十メートルか、三十メートルのところに千人もの声がとどろいた。石がひとつ石塀の向こうから飛んできて、時の花の中に落ち、ガラスの茎を数本折った。石はさらに塀の向こうから雨のように降り注ぎ、伯爵夫人が夫の所へ駆けてきた。そののち、重い瓦が空気を切り裂いてふたりの頭上を越え、温室の窓をくだいた。

「あなた!」伯爵は妻の体に腕をまわし、抱き寄せた肩がスーツの襟を押し、曲がった自分の絹のネクタイをまっすぐに直した。

「早く、最後の花だ!」そう言って、妻の手をとって階段を下り、庭へ入った。夫人は宝石の指輪が光る指で、つぼみの茎をつかんで手折ると、両手に挟んでゆっくりとゆすった。


(明日最終回)





J.G. バラード「時の庭」その3.

2011-04-11 23:12:44 | 翻訳

その3.


 伯爵が振り向く直前、不意に二番目の丘の頂きに出現した先頭の隊列が、平原へと降り始めていた。だが、伯爵を驚かせたのは、視界から外れていた間に、平原をおおう群衆の幅が、信じられないほど広がっていたことだ。人びとの姿は二倍ほども大きくなり、それぞれの顔がはっきりと見て取れる。

 アクセル伯爵は急いでテラスの階段を下り、庭から時の花を一本選び、摘み取った。花が内包された光を開放したところで、テラスに戻った。花がしぼみ、手の中で氷の真珠に変わったところで、ふたたび地平線に目を向ける。幸いにも軍隊は、ふたたび地平線まで後退していた。

 そのとき伯爵が悟ったのは、地平線そのものが以前より前に出てきていて、これまで地平線だと思っていたものは、最初の頂上にすぎないのだった。



 伯爵夫人とともに夕刻の散歩に出た出たとき、伯爵はそのことについては何も言わなかったが、夫人の方は、夫のいつも通りの“我関せず”の表情の裏に隠されたものを見て取って、なんとか夫の不安を追い払おうと努めた。

 階段を下りながら、時の庭を指さす。「なんて見事なのかしらね、あなた。まだ花があんなにたくさん」

 伯爵はうなずき、妻の自分を安心させようという努力に笑顔で応えた。だが妻が口にした「まだ」という言葉は、やがて来る最期の予感を抱いていることを、無意識のうちに明らかにしていた。実際のところ、庭に何百と咲いていた花も、いまやたった十数本を残すだけなのである。しかもその中のいくつかは、小さなつぼみとさえ呼べないほどのもので、大輪の花を咲かせているのは、わずかに三つか四つだった。

 ふたりは湖まで脚を伸ばした。伯爵夫人のドレスが、冷ややかな芝生の上で衣擦れの音を立てる。伯爵は、先に大輪の花を摘み取るべきか、それとも最後のときのために残しておくべきか、決断しようとしていた。厳密に考えれば、小さな花に成長と成熟の時間を与えてやるべきなのだろう。だが、自分が考えているように、大輪の花を後々まで残しておいて、最後に斥けようとするなら、花の成長は諦めなければならない。だが、いずれにせよ、たいしたちがいがないことはわかっていた。ほどなく時の庭が死ぬ日はやってくるのであり、小さな花のまだ固い花芯に、時を蓄積させるためには、それよりはるかに長い時間が必要だった。伯爵が生涯を通じて花の成長を見届けたことはただの一度もなかった。大輪の花はつねに咲き誇っていたし、つぼみがかすかでも成長している気配を見せたこともなかったのである。

 湖を渡りながら、伯爵夫妻は暗い水面に映る自分たちの姿を見下ろしていた。一方をあずまや、他方を庭の高い石塀で守られ、遠くには屋敷がある。ここでなら、平原を少しずつ侵蝕してくる群衆の悪夢を見ないですみ、アクセル伯爵も静かで安らかな気持ちでいられた。伯爵は腕を夫人のなめらかな腰に回し、自分の胸に愛おしげに引き寄せた。ここ数年、妻を抱くこともなかった、と伯爵は思った。自分たちの人生がひとつになってからは時間を超越した歳月で、妻をこの屋敷に迎えて共に暮らすようになった日も、あたかも昨日のことのようだ。

「あなた」不意に真剣な面もちになって、妻は言った。「庭が死んでしまう前に……わたしに最後の花を摘ませてくださいますわね」

 妻の言わんとするところを悟った伯爵は、ゆっくりとうなずいた。


(この項つづく)


J.G. バラード「時の庭」その2.

2011-04-10 22:48:13 | 翻訳

その2.

 伯爵が花を手にテラスに戻るあいだに、花はきらきらと光ながら溶け始めた。核の中に封じ込められていた光が、ついに放出されたのである。次第にクリスタルは溶けだし、外側の花弁だけが無傷なまま残った。アクセル伯爵を取り囲む空気が明るく、鮮やかなものになっていき、翳りゆく中を斜めの光が照らした。不思議な光がしばらくのあいだ、夕刻に作用し、時間と空間の次元を変えた。玄関ポーチを覆う闇も、屋敷に降り積もった歳月も、すっぱりとはぎとられ、不意に、かつて夢で見たことがある、奇妙なほど白い情景が忽然と現れた。

 伯爵は顔を上げ、もう一度、壁の向こうを見た。残照ははるか彼方、地平線のへりだけにかろうじて残っている。いましがたまで平原の四分の一ほどまで来ていた群衆のあらかたは、逆転した時間のなかでいつのまにか地平線の向こうまで後退し、いまや静止しまったかのようだ。

 アクセル伯爵の手の中の花は、ガラス製の指ぬきほどの大きさに縮んで、消滅しかけている花芯のまわりの花びらもしわがよっていた。花芯部からは火花がきらめき、やがてそれも消えてしまうとアクセル伯爵は、花が手の中で冷たい露の粒になってしまったように感じた。

 夕闇が屋敷の上に垂れこめ、平原に長い影を落とし、地平線は空と溶けあった。ハープシコードの音も消え、時の花の茂みも音に反響することもなくなり、まるで霜で凍りついたかのように、塑像のようにそよぐのもやめてしまった。

 アクセル伯爵は、なおもしばらくの間、茂みを見下ろし、残っている花を数えた。それからテラスを横切ってやってきた伯爵夫人に声をかけた。夫人の錦織のイブニングドレスが飾りタイルをこすって衣擦れの音を立てる。

「なんて美しい夜なんでしょうね、あなた」芝生に落ちた屋敷の美しい影や、暗闇にまたたく空が、あたかも夫から自分に贈られたプレゼントであるかのように、夫人はしみじみと言った。夫人の顔は穏やかで知的、後ろへなでつけた髪は宝石をちりばめた銀の髪留めでまとめている。着ているドレスは胸元が広く開いていて、長く華奢な首筋と高貴なあごを際だたせていた。アクセル伯爵は妻を、愛おしさと誇らしさがないまぜになったまなざしで見やった。それから妻に腕を差し出し、一緒に階段をおりて庭へ入っていった。

「夏の間でもいまが一番日暮れが長い時期だ」伯爵は確かめるようにそう言うと、言葉を継いだ。「完全な花を摘んだよ。まさしく宝石だった。運さえ良ければ数日は保つはずだ」かすかに眉間に皺を寄せて、半ば無意識のうちに石塀に目を向けた。「いまでは見るたびに近くなっている」

 伯爵夫人は夫を力づけるようにほほえむと、回す腕に力をこめた。ふたりとも、時の庭が死につつあるのを知っていた。



 三日後の夕刻、伯爵は自分が考えていたより早く、時の庭からもう一本、花を摘まなくてはならなくなった。

 最初に石塀の向こうを見ると、暴徒の群れは地平線の彼方から平原の半ばまでを、とぎれることなく埋めつくしている。低い、とぎれとぎれの声が、さえぎるもののない空間を渡って聞こえてくるような気がした。怒りのざわめきの合間にさしはさまれるのは、悲鳴と叫び声か。だが、伯爵はすぐさま、幻聴だ、と自分に言いきかせた。

 さいわいなことに、妻の奏でるハープシコードの音が、バッハのフーガの華麗な対位法となってテラスを満たし、ほかの音を覆い隠した。

 屋敷と地平線の間の平原は、四つの巨大な丘によって分割されており、それぞれの頂点が傾く日に照らされていた。アクセル伯爵は、決して花の数など数えまい、と心に誓った。だが、調べたりしなくても、その数があまりに少ないことはわかっている。とりわけ群衆が近づいているときには、なおのことそれが顕著だった。いまや、前線の部隊は最初の頂上を越えて、二番目の丘にさしかかろうとしている。本隊はその背後にふくれあがり、最初の丘をすっぽりとおおい、地平線までの広大な距離を埋め尽くしていた。

 本隊を左から右へと目を転じていくと、限りないほどに広がっている部隊であることが見て取れた。しかも当初、中心の集団だと思っていた部隊は、単なる先発の第一陣に過ぎず、同様の部隊がいくつも平原に到達しようとしていた。本当の中心集団はまだ地平線の向こうで姿も見えず、アクセル伯爵は、もしそれが現れたことなら、この平原が完全におおわれてしまうだろうと思った。

 アクセル伯爵は大型車や装甲車の姿がないかと目を凝らしたが、そこにいるのはあいも変わらずの、秩序とは無縁の人びとの群れだった。軍旗もなければ旗もなく、シンボルも槍や矛などの武器もない。こうべを垂れ、うちひしがれ、空を見上げることもない群衆の姿だった。


(この項つづく)


※つづきは明日、かならず。




J.G. バラード「時の庭」その1.

2011-04-06 22:56:54 | 翻訳
今日からJ.G. バラードの幻想的な短編「時の庭」の翻訳をやっていきます。四日ぐらいを目途に訳していきますので、まとめて読みたい人はそのくらいに。
この話はいったい何を象徴しているのでしょうか。

原文はhttp://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/d9/b7030c4ef4e0c3c5d0fd59f9219e00f5_s.jpg?で読むことができます。


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THE GARDEN OF TIME(「時の庭」)

by

J.G. バラード



 夕方近く、テラスにパラディオ様式の屋敷が影を落とす頃合いになると、アクセル伯爵は書斎を出て、幅の広いロココ調階段を降り、時の花の中に入っていった。長身で堂々とした体躯に、黒いベルベットのジャケットをまとい、ジョージ五世風あごひげの下には金のタイ・ピンが光を投げ掛けている。白い手袋をはめた手は、ステッキをきつくにぎっていた。アクセル伯爵は何の感情もこもらないまなざしで、美しい水晶の花をながめた。妻の弾くハープシコードの音が――音楽室で弾いているのはモーツァルトのロンドだ――、こだましながら響き、透明な花弁をふるわせていた。

 屋敷の庭園は、テラスから二百メートルほど、なだらかにくだりながら続いていく。その先には小ぶりな湖があって、白い橋が架かっていた。対岸には細長いあずまやがある。アクセルがわざわざ湖の方へ足を運ぶことはめったになく、たいていは、敷地を囲む高い石塀で守られた、テラスのすぐ下、植え込みの花の中へおりるだけだった。

テラスからは、塀の向こうに広がる平原を見渡すことができた。広々とした野原がどこまでも続き、はるか彼方、地平線がかすむあたりがわずかに盛り上がっているのは、丘陵が広がっているからだ。四方を取り囲む平原は、黄褐色の土が広がるばかりで、そのなかに建つ屋敷は、くっきりと周囲とは隔絶し、落ち着いた色合いは際だって見えた。ここ、庭にいれば、空気は澄み、陽射しは暖かい。それに対して平原は、一面、荒涼たる眺めだった。

 それが習慣である夕方の散策に出かける前に、アクセル伯爵は平原から彼方の丘陵に目をやる。地平線の丘陵は、翳りゆく陽を浴び、はるか遠くにある舞台のようにきらめいていた。

伯爵夫人の気品ある指先から流れ出すモーツァルトの繊細な調べが身を包んだそのとき、地平線の彼方からゆっくりと近づいてくる、すさまじい数の兵士の一団が見えた。一瞥したときは、一個大隊の長い列が前進してくるのだろうと思ったが、よくよく見れば、ゴヤの風景画に見られる、暗い中に精緻に描かれた細部のように、兵士たちと思えた人びとは、男や女の群れで、ぼろぼろの軍服を身にまとった兵士も一部混ざって、隊列も組まず、ぞろぞろと歩いているのだった。首かせにつながれ、それに重い荷を吊されている者もいたし、重そうな荷車の車輪を押している者もいる。身一つで、とぼとぼと歩いている者は少なかった。だが、すべての者たちは同じ足取りで、沈む日を背にして、歩き続けているのだった。

 こちらへ向かってくる群衆は、見えるか見えないかの距離だったが、アクセル伯爵は、用心深いながらも超然とした表情を浮かべてそれをじっと見つめ、わずかずつではあるが近づいてくるのは、膨大な数の群衆のほんの前衛部隊にすぎず、本体は地平線の向こうにいることを見て取っていた。やがて日の名残りも薄れたころ、群衆の先頭が、地平線の下、丘の頂上にたどりついた。アクセル伯爵はテラスを離れ、時の花の中へ降りていった。

 時の花というのは、高さは約二メートルほど、ガラス棒に似た華奢な茎をもち、十二枚の葉をつける。かつては透明だった葉は、葉脈が化石化したせいで、霜に覆われたようになっていた。茎の先に時の花が咲いている。ゴブレットほどの大きさで、光沢のない外側の花弁がクリスタルの花芯を取り囲んでいた。花芯部は、千もの切り子面を持つダイヤモンドのようにきらきらと輝き、クリスタルは大気の光と風を吸収しているように思われた。夕暮れ時の微かな風に揺れては、先端が炎となった槍のようにきらめいた。

 ほとんどの茎の先には、もはや花は咲いていなかった。アクセル伯爵は注意深く確かめながら、小さなつぼみを見つけると、その目に希望の灯を宿す。そうして最後に石壁にもっとも近い、大きな花を選んで、手袋をぬぐと、指先に力をこめて、摘み取った。


(この項つづく)