陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その8.

2010-04-30 23:09:05 | 翻訳
8.


それから彼女は手紙の入った箱を開けて、ナスコスタに住む寝たきりのセバスティアーノおじさんから来た手紙を読み返した。開ける手紙、開ける手紙、いずれも悲痛なものばかり。秋が来るのが早く――と彼は書いていた――まだ九月というのに寒い。そのためにオリーブやブドウもだめになってしまい、原子爆弾(ラ・ボンバ・アトミカ)のせいでイタリアの季節までおかしくなってしまった。いまでは渓谷に町の影が落ちるのも、すっかり早まってしまった……。

冬の始まりは、いまでも覚えていた。ある日、急に霜がブドウや野の花の上におりるのだ。記憶にあるのはそのことばかりではない。夕暮れ時、ロバに乗って農夫たちが帰ってくるときのようすも、根や木片を担保に金を借りたことも。木はあの地方では見つけるのが難しく、伐採したグリーンオリーブを束ねるための木ぎれさえ、10キロ四方をロバで探し回らなければ見つからないのだ。骨にしみいる寒さも、夕暮れ時の黄色い光を背にしたロバを見たことも覚えていたし、ろばのひづめが蹴った石が、急な勾配の道を転がり落ちる寂しい音を聞いたことも忘れたことはなかった。

十二月にセバスティアーノおじさんは、オオカミの季節のことを書いてきた。恐ろしい季節がまたナスコスタにもやってきた、オオカミがシニョーレの羊を六匹も殺したから、もう子羊の肉もないし、パスタを練ろうにも卵もない。広場は泉の端まで雪に埋もれてしまった……。飢えと寒さがどういうものものか知らない者はなかった。もちろん彼女も両方ともはっきりと覚えていた。



 手紙を読んだ部屋は暖かかった。あたりを電灯がピンク色に照らしている。彼女はシニョーラさながらに、銀の灰皿を持っていたし、いつでも自分専用のバスルームへ行って、暖かい浴槽に肩まで浸かることもできた。聖母マリアはわたしに荒野に住み、飢え死にせよとおっしゃるのだろうか? 自分に差し出されたものを受け取って、快適に過ごすことはまちがっているのだろうか?

故郷の人びとの顔がまた浮かんできた。肌も髪も目も、なんと暗い色をしているのだろう。淡い色合いの人びととともに生活しているうちに、いつしかそれを偏愛するようになったのだろうか。

その顔は、咎めるように彼女を見つめていた。土に養われた忍耐、優しさ、威厳、そうして絶望のまなざしで。だが、なぜわたしが帰らされなくてはならないのだろう。暗い丘陵地帯で酸っぱいワインを飲まなくちゃならないんだろう。ここの人たちは、新世界で若さを保つ秘訣を見つけた。天国の聖者さまは、もし神様がお命じになったら、若さも放棄してしまうのだろうか。

ナスコスタでは、絶世の美女も、世話をしてやらなかった花のように、あっというまに萎れてしまう。どんなにきれいでも、腰は曲がり歯が抜け、暗い色の服はママの服がそうだったように、タバコと堆肥の臭いをさせるようになるのだ。

だが、この国にいれば、これから先もずっと、白い歯といまと同じ髪のままでいられるだろう。死ぬまでヒールのある靴を履き、指には指輪をはめ、男の注目を集めることができる。ひとりの人間が十通りの人生を生きることができるのが新世界だし、年齢を感じて苦痛を味わうことなどない。ジョーと結婚しよう。ここに留まり、十通りの人生を生きてやろう。大理石のような白い肌と、肉を噛みくだく歯を持って。



(この項つづく)



ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その7.

2010-04-29 22:56:11 | 翻訳
7.

 相変わらず日曜日になるとジョーと映画を観に行った。映画館ではジョーに筋を説明してもらい、結婚を申し込まれてつねられた。ある日のこと、映画館に行く前に、ジョーは立派な家の前で立ち止まった。木造でペンキの仕上げも美しい。感じの良いアパートメントで、ドアの鍵を開けて二階へ上がっていくと、壁紙が張ってあり、ワックスで磨かれた床は輝いていた。部屋は全部で五つ、モダンなバスルームもついている。わしと結婚してくれるなら、ここは全部あんたのものだ、とジョーが言った。皿洗い機も買うし、電気泡立て器も、奥様が持ってなさるようなサルティンボッカ・アラ・ロマーナをひっくり返せるような電気フライパンも買ってやろう。

このお金はどうやって工面したの、と聞くと、ジョーは、一万七千ドルを貯めたんだ、と言ってから、ポケットからなにやら取り出して見せた。貯金通帳だった。17,230ドル17セントのところにスタンプが押してあった。

もし嫁に来てくれるなら、全部おまえのものだ、という申し出に、それはできないわ、と答えたのだが、映画を観終えて、ベッドの中で機械のことを考えると悲しくなってきた。新世界になんて、来なきゃ良かった、と考えた。こんなことはもう二度とないだろう。ナスコスタに戻って向こうの人に、一人の男が――ハンサムではないけれど、正直で優しい人が――自分に17,000ドルかけて五つ部屋がある家を買ってくれた、と言ったとしても、絶対に信じてはくれないだろう。みんな、あたしはどうかしてると思うだろう。また寒い部屋でわらをかぶってぐっすり眠るなんてことができるだろうか。

彼女の一時滞在ビザは四月で切れることになっていた。帰国が迫っていたが、シニョーレは、もし望むなら延長申請をしてあげよう、と言ってくれ、彼女も、どうかそうしてください、と頼み込んだ。ある晩、台所にいるとき、シニョーレたちが低い声で話をしていたので、おそらく自分のことを話しているのだろうと思った。けれども、直接話してくれたのは、それからずいぶん時間が過ぎてから、ほかの人びとがみんな寝室に上がって、彼女もお休みなさいを言いに行ったときだった。

「すまない、クレメンティーナ」とシニョーレは言った。「君の延長申請が却下されたんだ」

「仕方ないです」と彼女は言った。「この国があたしにいてほしくないんだったら、あたしは帰るまでです」

「そういうことじゃないんだよ、クレメンティーナ。法律なんだ。残念だけど。君のヴィザは12日で期限切れだ。それまでに君の船を手配するよ」

「ありがとうございます、旦那様」彼女は言った。「おやすみなさい」
あたしは帰るんだ。船に乗って、ナポリに着いて。それからメルジャリーナから汽車に乗って、寝台車でローマに着く。ティブルティーナ駅をバスに揺られ、紫の排気ガスをカーテンのようにたなびかせながら、ティヴォリの丘を登っていくのだ。

ママにキスして、ママのためにウールワースで買った、銀のフレームに入った映画スターのダナ・アンドリュースの写真をプレゼントしているところを思い浮かべると、目に涙があふれた。広場に坐ったあたしのまわりを、まるで事故現場か何かのように人が取り囲む。そうしてあたしは自分の国の言葉でしゃべり、イタリア人の作ったワインを飲む。新世界では、自分で判断するフライパンがあることや、トイレ掃除用のパウダーすらバラの香りがすることを話すのだ。

その場面がまざまざと目に浮かんでくる。泉のしぶきが風に乗って顔に吹きつけてくることさえ感じた。集まった町の連中のいぶかしげな顔も見える。あたしの話を信じてくれる人がいるんだろうか。耳を傾けてくれる人が。もし、あたしがいとこのマリアみたいに悪魔に会ったとしたら、みんなは感心してくれるだろう。だけど、あたしがこの世の天国を見たとしても、誰も気になんてしてくれやしない。ひとつの世界を離れて、別の世界に来て、あたしはその両方を失ってしまったんだ。




(この項つづく)



ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その6.

2010-04-28 23:31:13 | 翻訳
6.

 日中、シニョーレは仕事に行ったが、ローマにいた頃は王女のように暮らしていたシニョーラが、新世界では秘書になってしまったようだった。もしかしたらおふたりは貧乏になったのだろうか。だから、奥様も働きに行かなくてはならなくなったのだろうか。いつも電話で話したり、なにやら計算をしたり、手紙を書いたりと、秘書さながらの仕事をしている。日中はいつも何かに追い立てられて、夜になるとぐったり疲れているところも、秘書そっくりだ。シニョーレたちがともに、夜は疲労困憊しているせいで、家の中はローマにいたころのように、心安らぐ場所ではなくなってしまっていた。

とうとうたまりかねて、シニョーレに、どうして奥様に秘書なんかをさせていらっしゃるのですか、と聞いてみた。ところがシニョーレは、家内は秘書をしているわけではないんだ、貧しい人びとや体や心の病気の人びとのために、お金を集めるので忙しいだけなんだよ、と教えてくれた。話を聞いて、クレメンティーナはひどく不思議な気がした。

気候も彼女には何だかおかしいように思われた。蒸し暑いし、肺や肝臓に悪いような気がする。ただ、いまの季節、木々の色鮮やかなこと――これまでには紅葉など見たことがなかった。木々の葉が金色や赤や黄色に変わって、ローマやヴェニスにある天井の壁画から、絵の具が落剥するように、葉が宙にひらひらと舞うのだった。



 同郷人がひとりいた。牛乳を配達しているジョーという老人が、南イタリアから来ていた。六十代かもう少し上で、腰をかがめて牛乳瓶を運んでいる。それでも一緒に映画を観に行き、映画の筋をイタリア語で教えてもらった。つねられたかと思うと、結婚を申し込まれたのも映画館だった。クレメンティーナにしてみれば、まったくの冗談としか受け取れなかったのだが。

新世界では奇妙な祭りを祝った。七面鳥を供えるのだが、祀るはずの聖者がいない。イタリアではナターレの時期だったが、ここまで聖母マリアや聖なる御子に対して無礼な祝祭は見たことがなかった。

まず、彼らは緑の木を買ってきて、それから応接間に据える。そうしてその木が悪しきものを鎮め、祈りを聞き届ける聖者であるかのように、きらきら輝くネックレスをぶらさげるのだ。マンマ・ミーア! 木だなんて!

彼女が告解に行くと、神父は日曜ごとに教会へ来ないと言って、おまえには悪魔の尻尾を与える、と告げるような厳しい人物だった。ミサに行けば、三度も献金箱が回ってくる。ローマに戻ったときには、新世界の教会では、キスをするための聖者の手根骨すらない(※カトリック教会では崇敬の対象に聖人の遺骨の一部が保管されている)ことを新聞に投書してやろう、と考えた。緑の木を祀り、聖母マリアの受難を忘れてしまっていることや、献金箱が三度も回ってきたことも書かなくては。

やがて雪が降ったが、ここでの雪はナスコスタより、ずっとすてきなものだった――オオカミはおらず、シニョーレたちは山でスキーをし、子供たちは雪遊び、家はいつも暖かに保たれていた。




(この項つづく)


ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その5.

2010-04-27 22:55:18 | 翻訳
5.

 だが、あれはきっと美しいにちがいない、と楽しみにしているものがあった。これまでに雑誌や新聞で、ニューヨークにそびえる塔の写真を何度も見てきたのだ。どの写真も、尖塔が青空を背景に金色や銀色に輝きながら、戦禍を被ったことのない街にそびえていた。

ところが船がニューヨーク湾に臨むナローズ海峡に入っても、雨の中、塔はどこにも見当たらない。塔はどこにあるんですか、と聞いてみると、雨がふってるから見えないなあ、という返事である。彼女はがっかりした。目に入る新世界は醜く、夢を描いた人びとは誰もみな、裏切られたように感じたことだろう。まるで戦時中のナポリみたい。来るんじゃなかった。

彼女の手荷物を調べた税関は、粗野な男だった。一家はタクシーと汽車を乗り継いで、新世界の首都ワシントンへ向かい、そこからさらにタクシーに乗ったが、窓の外から見えるのは、ローマ帝国時代の建物の模造品のようなビルばかりだった。彼女の目には、もやの向こうにフォロ・ロマーノのまがいものが、夜の明かりを浴びて不気味に浮かび上がっているように映った。タクシーは郊外を走る。そこには真新しい木造住宅が軒を連ね、家に入ると洗面台も浴槽も広々として気持ちよく、朝になるとシニョーラは彼女にさまざまな機械を見せて、その使い方を教えたのだった。



 最初のうち、彼女は洗濯機を疑いの目でながめていた。この代物は、石鹸とお湯をふんだんに使った上に、服を洗うために大騒ぎをやらかす。これとくらべたら、ナスコスタでの洗濯は、どれほど楽しかったことだろう。あの頃は泉で友だちと話をしながら、何もかも新品になったかと思うくらい、きれいに洗ったものだったけど。

だが、そのうちにだんだん洗濯機も悪くないと考えるようになった。結局のところたかが機械なのだし、内部をいっぱいにし、空っぽにし、ぐるぐる回っているだけではないか。そう考えると、機械のくせにずいぶんいろんなことを覚えて、いつもそこで、いますぐ働けますよ、とばかりに待ちかまえているところは、たいしたものだ。なんと皿を洗う機械まである。これがあればイヴニング・ドレスを着たまま、手袋に一滴の水も垂らすことなく、食器をきれいにすることができるじゃないか。

シニョーラが出かけてしまい、男の子たちも学校へ行くと、まず最初に彼女は汚れた服を洗濯機に入れてスタートさせた。それから汚れた食器を別の機械に入れて、それもスタートさせる。そのつぎに、すてきなローマ風サルティンボッカを電気フライパンに入れて、それもスタートボタンを押す。そうして自分は居間のテレビの前に腰をおろし、まわりで機械が仕事をする音に耳を傾けるのだ。その音を聞いていると気分は爽快になってくるし、自分がえらくなったような気もした。台所には冷蔵庫があって、中では氷を作ったり、バターを石と同じくらい硬くしたりしている。深い冷凍庫は、ラムや牛肉を、直後の新鮮さのまま保つのだ。そのほかにも、電動泡立て器や、オレンジを搾る機械、電気掃除機もあった。それを全部、一度に働かせることもできるし、トーストを焼く機械――全面、銀色に輝いている――にパンを入れて、それに背を向ければ、さて、そこには二枚のトーストが、お好みの色で焼けている。それもすべて機械がやってくれるのだから。




(この項つづく)


ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その4.

2010-04-26 22:56:34 | 翻訳
その4.

 七月になると、アメリカ人一家について山へ行き、八月にはヴェニスへ、そうしてローマに戻ったときには秋になっていた。一家はどうやらイタリアを離れるらしく、その話をしていることが彼女にも察しがついた。地下からトランクを引っ張り出して、彼女もシニョーラの荷造りを手伝った。

いまや彼女は靴を五足、ドレスを八着持っているし、銀行には預金まである。もうローマ人の屋敷で仕事を探すのはいやだった。ローマ人にまたこき使われるかと思うと、気持ちがふさぐ。ある日、シニョーラのドレスをつくろいながら、意気消沈していた彼女は不意に泣き出してしまった。そうして、これまでローマ人の家で、どれほど辛い仕打ちを受けてきたか、シニョーラに切々と訴えたのだった。それを聞いてシニョーラは、もしあなたが行きたければ、新大陸へ連れていってあげてもいいのよ、と言ってくれた。

六ヶ月間の短期滞在ビザをシニョーレたちが用意してくれた。そのあいだは楽しく過ごせるし、この一家のために働ける。出発準備がすべて終わると、ひとりでナスコスタへ向かった。母親は「行かないでおくれ」と泣きながらかきくどいたし、村の誰からも「行くんじゃない」と反対されたが、村の者たちが自分をねたんで言っているのはわかっていた。この人たちはどこにも行くチャンスがないんだ――コンキリアーノにさえ。

自分が育ち、幸せだった場所も、いまの彼女の目には、過去の世界にしか映らなかった。習慣も、立ち並ぶ壁も、生きている人間よりはるかに長い歴史を持っていた。わたしはきっと新しい世界で、壁も何もかも新しい世界で、幸せになれる、と思った。たとえそこに野蛮人しかいなかったとしても。



 出立が近づいて、一家はナポリへ車で向かった。途中、シニョーレがコーヒーとコニャックを補給するたびに車を停め、百万長者のような悠々とした旅である。ナポリの豪華ホテルには、彼女のために一部屋用意してあった。

だが、船出の朝になると、自分でも驚くほどの悲しみが襲ってきた。どうして自分の国を離れてちゃんと生きていけるだろう? 気を取り直そうと、自分に言いきかせる。ちょっと船に乗るってだけじゃないの。あたしは六ヶ月したら戻ってくるんだ。第一、たとえ見たことがないにしても、そこも良き主がお作りになった世界よ。どうしてそこが、こっちとはまるでちがう、おかしな場所ってことがあるだろう。彼女はパスポートにスタンプを押してもらい、大泣きしながら船に乗り込んだ。

船はアメリカ船で、真冬並みに寒く、昼食に出たのは氷水だった。火の通った料理は、味も素っ気もなく、調理はへたくそで、アメリカ人に対する憐れみの情がここでもわき起こった。この人たちは親切で気前がいいけど、ものを知らないし、男は奥さんの真珠のネックレスを留めてやるようなことまでする。あの人たちはあんなにお金を持っているくせに、皿いっぱいに広がる生焼けのステーキを、薬みたいな味がするコーヒーで飲み下すことしか知らないんだから。

乗船客は、美しくもなければ、エレガントでもない、薄い色の目をした人びとだった。何より、船内の老婦人たちにはうんざりさせられる。故郷のおばあちゃんたちはみんな、誰かしら亡くなった人を悼んで黒い服を来てるし、そのくらいの年齢になると、そういう格好が一番よく似合うわ。動作もゆっくりとして、落ち着きがあるし。だけど、ここにいるおばあちゃんたちはみんな、キーキー声でしゃべるし、派手な服を着て、ナスコスタの聖母みたいに宝石で飾り立てる。おまけにその宝石はみんなニセモノじゃない? 顔を塗りたくって、髪を染めて。だけど、誰がだまされるだろう。あのお化粧の下に老けた顔があるのはすぐわかる。ほっぺたも首も、カメの首みたいにしわくちゃで。おまけに故郷のおばあさんたちは春の野原みたいな匂いがするのに、ここの人たちはお墓の花みたいにしおれて、かさかさになってるし。あの人たちって藁みたい。おそらくこれが未開の国ってことなんだろう。年寄りが、分別もたしなみもないし、これじゃあの人たちの子供も孫も、尊敬することなんてできやしない。亡くなった人たちのことも、すっかり忘れてるんだから。



(この項続く)




ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その3.

2010-04-25 23:04:20 | 翻訳
その3.

こんなこともあった。アパートメントに水がなかったので、階段を降りて泉へ水を取りに行こうとすると、シニョーレが手伝いについてきた。旦那様に水を運んでいただくなんてできません、と断っても、若い娘が大きな瓶を抱えて階段を上ったり降りたりしているというのに、暖炉のそばでくつろいでいられるわけがないじゃないか、などと言い張るのだ。シニョーレは大瓶を彼女の手から取り上げると、泉へ降りていき、門番やほかの使用人たちに見られるかもしれないのに、水を汲んできた。台所の窓から一部始終を見ていた彼女は、たいそう腹が立ち、恥ずかしさのあまりにワインを少しばかり胃の中に流しこまないではいられなかった。きっとみんながあたしのことを怠け者だってうわさするだろう。おまけにあたしが働いているお宅は、下品で無教養な人たちだ、って。

彼らは死者の存在を信じない。黄昏どきに広間を歩いていると、目の前に幽霊がいるのが見えたことがある。あまりにその姿がくっきりしているので、立っているのが男だとわかるまで、そこにシニョーラがいらっしゃるとばかり思っていたほどだった。そうではなかったことに気がついた彼女が悲鳴を上げて、メガネと瓶が載っているトレイを落とした。悲鳴を聞きつけたシニョーレが、いったいどうしたんだ、と尋ね、幽霊がいたんです、と答えたところ、相手にもされなかったのだ。別のときには、ホールの奥にそれとはちがう幽霊、ミトラをかぶった僧正の幽霊がたたずんでいるのを見たこともある。そのときも悲鳴をあげ、シニョーレに自分が見たものを伝えたのだが、一向に興味を引かれたようすもなかった。



 だが、子供たちは夢中で話を聞いてくれた。夜になると、ベッドに入った子供たちにナスコスタの話を聞かせてやる。子供たちが何より喜んだのは、アスンタという美しい娘と結婚したナスコスタの若い農夫の話だった。

ふたりが結婚して一年が過ぎてから、黒い巻き毛に輝くような肌の、かわいい男の赤ちゃんが生まれたの。でもね、生まれつき病弱な子で、泣いてばかりいたのね。だから、ふたりは赤ちゃんはきっと呪われてるんだ、って考えた。だからコンキリアーノに住むお医者さんに診せに、ロバに乗って行ったの。そしたらお医者さんは、赤ん坊は飢え死にしかけているじゃないか、と言ったの。そんなはずはありません、とお母さんとお父さんは言った。アスンタのブラウスにはあふれだしたおっぱいの染みができるほどだったのに。

そこでお医者さんは、夜、何が起こっているか、よくよく注意して見ていなさい、と教えてくれたの。だから、ふたりはまたロバに乗って家に帰った。夕飯をすませて、アスンタは寝たんだけど、お父さんの方は寝ずに様子をうかがっていた。するとどうだろう、真夜中の月明かりの中に、とてつもなく大きなマムシの姿が浮かんだ。マムシは農家の戸口に現れて、ベッドに入り込んだかと思うと、アスンタのおっぱいを吸い始めたの。お父さんは動くことができなかった。だって、ちょっとでも動いたら、マムシはお母さんの胸に噛みついて、殺してしまうでしょう?

おっぱいが出なくなるまで飲んだマムシは、床を這いながら戸口を超えて、月で明かるい外へ戻っていったの。お父さんは警鐘を鳴らして、あたり一帯のお百姓さんたちをみんな集めた。そしてとうとうお百姓さんたちは、農場の壁の裏側に巣を見つけたのよ。そこにいたのは八匹の大きなヘビ! 乳をたらふく飲んだせいで丸々と太って、シューッと息を吹きかけられただけでも死んでしまうくらいの毒をもってるの。だからお百姓さんたちは、ヘビを全部、棍棒で叩き殺したんだよ。これは全部ほんとうの話。だってあたしはその農家の横を、何百回も通ったんだからね。

このほかにも子供たちが喜んだのは、コンキリアーノに住んでいたレディが、アメリカから来たハンサムな外国人と恋仲になる、という話だった。

ある晩のこと、そのレディは恋人の背中に、葉っぱの形をした小さなあざがあるのに気づいたの。それを見て思い出した。そのレディは、はるか昔、赤ちゃんを盗まれたことがあったの。ああ、あの子にはこんなあざがあったわ、って。恋人は、実はわたしの子供だった……。レディは急いで教会に駆け込んで、告解でお赦しを得ようとした。でも、神父様は太った横柄な男でね、そんな罪には赦しは与えられない、って言ったのよ。するとどうでしょう、突然、告解の最中に、骨がカタカタって鳴る大きな音が響いたの。急いで告解場の扉を開けたら、その偉そうで横柄な神父様の姿はどこにもなくて、ただ骨だけが残ってたんだって。

子供たちには聖母マリアの宝石の奇跡の話も、食べるものが何もない冬に、カヴール通りを駆け上がってきたオオカミにでくわした話も、従姉妹のマリアが赤い衣装に身を包んだ悪魔に会った話も聞かせてやった。




(この項つづく)




ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その2.

2010-04-24 22:28:43 | 翻訳
2.

 ローマでは、藁の上で眠り、手桶の水で体を洗う毎日だったが、確かに通りは目を奪うようなものだった。とはいえ、長い時間働きづめで、街をぶらつこうにも、その暇はほとんどなかったのだが。男爵は一ヶ月に1万2千リラ払うと約束してくれていたが、最初の一ヶ月が過ぎてもただの1リラも払ってくれず、二ヶ月目も同じだった。料理人が、旦那はしょっちゅう田舎から娘を連れてきちゃただ働きさせてるんだよ、と教えてくれた。

ある晩、男爵のために扉を開きながら、できるだけ失礼にならないように、給金がどうなっているか聞いてみた。ところが男爵は、おまえには部屋を与えているじゃないか、あの村からだって出してやった、それもローマに、と言い捨てた。ろくに教育も受けていない彼女には、言い返すことができない。通りへ着て歩けるような上着の一枚も持っていなかったし、靴には穴が空いていた、食べるものといえば、食卓の残り物だったのに。わかったのは、ほかの仕事口を探さなければならない、ということだった。ナスコスタに帰ろうにも、帰る金さえないのだから。

つぎの週、料理人のいとこがお針子兼女中の仕事を見つけてくれた。そこで彼女はこれまで以上に懸命に働いた。ところが月の終わりになっても、給金は出ない。そこで彼女は、奥様がレセプションに着ていけるよう頼まれたドレスは、お給料をいただけるまで仕上げません、と抵抗した。女主人は怒って頭の毛をかきむしったが、給金は払ってくれた。

その晩、例の料理人のいとこが、アメリカ人が女中を探しているらしい、という話を教えてくれた。汚れた皿は全部かまどに突っこんで、洗ったことにして、聖マルチェロに祈りを捧げた。思いはローマの街を横切って、アメリカ人の家へ飛んでいく。その晩は、通りの女の子たちがみな、その仕事口を手に入れようとしているような気がした。

アメリカ人の家というのは、男の子がふたりいる一家だった。教養ある人びとという話だったが、彼女の目には、地味で精彩に欠ける人たちにしか映らなかった。だが、給金は二万リラ払ってくれるという。おまけに居心地の良さそうな部屋へ案内すると、ここを使ってほしい、不都合がなければ良いのだが、と言うものだから、その日の朝の内に、彼女はアメリカ人の家に引っ越していった。



 アメリカ人というのがどんなものか、それまでにもいろいろ聞いていた。どれほど気前が良く、無知であるか。うわさのいくばくかはほんとうだった。一家はたいそう鷹揚で、彼女を客か何かのように扱ってくれる。用事はかならず「暇なときでいいから」とお願いされるし、木曜日と日曜日には「出かけてきたら?」と勧められた。

主人(シニョーレ)は長身でひどく痩せており、大使館で働いていた。短く刈り込んだ髪は、まるでドイツ人か囚人か、そうでなければ脳の手術をして回復途上にある病人のようだ。黒くて硬い毛を伸ばしてカールでもさせれば、通りの女の子たちもみんなうっとりすることだろう。だが、毎週床屋に行って、せっかくの男ぶりを台無しにしてしまうのだった。ほかの面ではたいそう慎み深く、ビーチでさえも体をすっぽり隠す水着を着ているくせに、通りを歩くときには、自分の頭のかたちを衆人環視のうちにさらしてはばからないのだから。

女主人(シニョーラ)はきれいな人で、大理石のように白い肌をしており、たくさん服を持っていた。広い屋敷と楽しいことがたくさんある生活がいつまでも続くよう、クレメンティーナは聖マルチェロに祈りを捧げた。

一家は電気代などというものが存在しないかのように、明かりという明かりを一晩中つけっぱなしにしていた。夕方、肌寒いというだけで暖炉で薪を燃やし、冷えたジンとベルモットを夕食前に飲む。

彼らは体臭までもがちがっていた。どうしてこんなにかすかにしかにおわないのだろう。貧弱な体臭。もしかしたら北部人の血と何か関係があるのかもしれない。それともしょっちゅう熱い風呂に入るせいだろうか。あんなにやたらと熱い風呂に浸かって、よく神経衰弱にならないものだ、と不思議に思った。

アメリカ人もイタリア料理を食べ、ワインを飲んでいるのだから、もっとたくさんパスタとオイルを摂るうちに、強い、健康的なにおいを発するようになるにちがいない。そう思ってときどき食卓で給仕をしながらにおいをかぐのだが、一向に強くなるようなこともなく、においなど感じられないことさえあった。

子供たちは甘やかされていて、両親に向かって横柄な口を利いたり、かんしゃくを起こしたりすることもあった。そんなとき、何より必要なのは鞭なのに、彼らは決して子供に鞭を使わない。この外国人ときたら、怒声を上げることすらしないで、ただ、お父さんとお母さんは大切なのだと説明するだけだった。あまつさえ、末っ子が悪いことをしたときには、母親は鞭で打つ代わりにおもちゃ屋へつれていき、ヨットを買ってやることまでした。

さらには、正装して夕方から出かけるようなときには、シニョーレは呼び鈴を鳴らしてクレメンティーナを呼びつける代わりに、まるでヒモか何かのように、自分から妻のボタンをかけてやったり、真珠のネックレスをとめてやったりしていた。





(この項つづく)



ジョン・チーヴァー「クレメンティーナ」その1.

2010-04-23 21:59:42 | 翻訳
今日からジョン・チーヴァーの「クレメンティーナ」を訳していきます。12日くらいを目途にしています。まとめて読みたい方はそのくらいに来てみてください。

これまで訳してきたを見ても、チーヴァーというと、ニューヨーク郊外に住む中流階級の人びとに潜む不安や怖れを描いた都会派の作家、という印象が強いのですが、この作品は珍しいことにイタリアの小さな村「ナスコスタ」から話が始まります。

原文はhttp://members.multimania.co.uk/shortstories/cheeverclementina.html
で読むことができます。


* * *

Clementina (クレメンティーナ)

by John Cheever


1.

 娘はイタリアの小さな村、ナスコスタで生まれ、そこで育った。それは不思議な日々だった。宝石の奇跡が起こり、オオカミの冬があった……。

娘が十歳のとき、晩課の終わった聖ジョヴァンニ教会に泥棒が入った。聖処女マリア礼拝堂に保管されていた宝石が盗まれたのである。宝石は、昔ナスコスタで療養し、肝臓病が快癒した王女が、聖母マリアに奉納したものだった。

翌日、伯父のセラフィノが山に向かって歩いていると、古代エトルリア人の墳墓だった洞穴の入り口で、全身まばゆいばかりに輝く子供が手招きしている。セラフィノは驚き、あわてて逃げ出した。ところが帰るとひどい熱だ。そこで神父を呼んで自分が見たものを告げた。神父がその洞穴に行き、天使が立っていたあたりの落ち葉をかきわけてみると、聖母の宝石が隠されていた。

同じ年、農場の下の道で、いとこのマリアが悪魔に出くわした。角を生やし、尖った尻尾に、ぴったりとした赤い服、絵で見たことのある悪魔とそっくり同じいでたちをしていた。

大雪が降ったのは、娘が十四歳の年のこと。ある晩、暗くなってから水を汲みに行き、当時一家が住んでいた塔に戻ろうとしたところ、オオカミの姿を見つけた。六、七匹の群れが、雪の降り積もったカヴール通りの石段を駆け上ってくる。水差しを取り落とし、塔に飛び込んだ。恐ろしさに舌がふくれあがる思いだったが、それでもドアの隙間から外をのぞいてみた。イヌよりも貧相で、ぼろぼろの薄汚い毛のあいだからあばら骨が浮き出している。口からしたたり落ちる血は、羊の殺戮のあかしだろう。

心底おびえながらも、娘はオオカミに心奪われた。雪原をひた走る姿は、さながら死者の霊魂が飛びすさっていくところか。もしかしたら、何かしら人知を超えたものの一端なのかもしれない――生命の核心にふれるような何かが飛んでゆく……。オオカミの姿が消えてしまえば、自分が見たものは、とても実際に起こったこととは思えなかった。もし、雪の中に足跡さえ残っていなかったなら。

十七歳になると、娘は召使いとして丘の上の館に仕える身になった。あるじは地位の低い男爵である。夏のある夜、アントーニオ男爵は牧草地で娘を「露に濡れたバラ」と呼び、娘は気が遠くなりそうな思いをした。神父に一夜のことを告解すると、償いが与えられ、神父は罪を赦してくれた。だがその告白が六度目に及ぶと、神父が、あなたがたは結婚しなければなりません、と言ったので、アントーニオはいいなづけになった。

だが、アントーニオの母親は娘が気に入らず、三年経ってもクレメンティーナはまだ彼のバラのまま、アントーニオは彼女の婚約者のまま、結婚という言葉が出ようものなら、アントーニオの母親は頭をかきむしって悲鳴を上げる。秋が来て、男爵は彼女に、召使いとして一緒にローマに来てくれ、と頼んだ。夜ごと、ローマ法王にお目にかかる夢を見、夜もなお、街灯が昼間のようにあたりを照らしている通りにあこがれてきた彼女に、どうしてそれを断わることができただろう。




(この項つづく)


どんな性格?(※一部加筆訂正)

2010-04-21 23:06:09 | weblog
ここのところ、頼まれた翻訳にかかりきりになっていたので、こちらまで手が回らなかった。よく働きました。
やっと終わったので、また再開します。

* * *

新年度ということで、いろんなところで自己紹介をしたり、人の自己紹介を聞いたりしたのだが、そんなときに血液型をいう人がいた。緊急事態で輸血が必要になったときのため……ではなく、血液型をいうことで、「自分はどんな人」ということを説明しようとしているのだろう。

いわゆる「血液型占い」が当たっていると考える人、というより、そもそも「血液型」や「星座」が何らかの情報として意味があると考える人は、人間の「性格」と「行動」というのは、「原因」と「結果」の関係であると考えているのだろう。

「優しい」から「電車の中で高齢者に席をゆずる」
「几帳面」だから、部屋の中は整理整頓が行き届いている
……というふうに。

だが、こうした考え方は、大きな誤解があるように思える。

たとえば、もし人間が、その人の血液だか「心」だか「脳」だかに含まれている「独創的」という成分が、その人の行動の舵を取って、独創的にさせている、という仕組みになっているのなら、その人の「性格」を知ること、もしくはその目安となる「B型」であるとか「牡羊座」であるとか「丑年生まれ」であるとか「一白金星」であるとかは情報だろう。

だが、「独創的」などというのは、どこまでいっても単なる「言葉」でしかない。
「独創的」というのは、行動や思考に現れたときに初めて言える評価で、「独創的」なるものがあらかじめあるわけではない。逆に、「独創的」という言葉があるからこそ、わたしたちはある種の行動や、表現を「独創的」と理解するのだ。

「優しい」「親切」「意地悪」「知的」……

性格を形容する言葉は、さまざまにあるけれど、いずれもそれは言葉に過ぎない。そうした言葉がわたしたちを行動に向かわせるのではない。そうではなくて、わたしたちはその人の行動をとらえて、そうした言葉で評価するのだ。

もちろん人の行動や思考には、おおざっぱな傾向というか癖というか、言ってみればその人独特の「ゆがみ」がある。生まれつきの要素もあれば、育った環境や、親の影響もあるだろう。ひとりひとり、いろんな具合にゆがんでいるのを、わたしたちは「性格」と呼んでいるのだ。

性格という何かがあらかじめあるものではない。わたしたちは自分や人の考え方や行動の共通点を見出すことで、そのゆがみ具合を知る。
わたしはプレッシャーに弱いから、本番で失敗しないように、しっかり準備をしておこう、とか、なんで自分はいつも焦って失敗してしまうんだろう、とかいうふうに。

「性格」という言葉があるおかげで、わたしたちはつい、ある特定の性質が人に特定の行動を取らせてしまう、と考える。けれども血液にそういう成分があるからでもないし、生まれた日の星の並び方とも関係はない。そんな特定の性質など、どこにもないのだ。

行動がその人の人格といってもいい。
「性格」が原因で「行動」が結果……というのは、原因と結果を取り違えている。

そうではなくて、わたしたちは自分やほかの人の行動を見て、そこから共通する「質」を類推しているだけだ。「行動」こそ、そんな類推の「原因」なのである。

まあ、もっとも「わたしはワガママだから」と言って、好き勝手に振る舞う人は、もしかしたらそのことをわかっているのかもしれないが。


自分以外の人と暮らすということ

2010-04-18 23:40:34 | weblog
先日、阪急電車をおりて、JRまで歩いていたときのこと。
改札の手前のあたりで、すぐ真後ろからくどくどとしゃべり続ける男の声が聞こえてきた。

しゃべるというのは正確ではない。そういうことをするもんじゃない、そんな考え方がダメなんだ、と、一方的に相手をなじっているのだ。おそらく自分の子供に説教しているのだろうが、あんなふうに頭ごなしに言うものではない、子供は萎縮するか、反抗心を募らせるだけだ…いやいや、何も知らないのに、そんなことを考えちゃいけないな、などと考えるともなしに考えながら歩いているうちに、その声の主が隣の自動改札機を抜けていくのが目に入った。

ふつう、大人が大人に向かってそんな調子で叱責したりするものではないから、てっきり大人と子供だとばかり思っていたのだが、それは中年の男女の二人連れ、おそらく夫婦か、それに類する関係であるらしかった。というのも、一方的に言われ続けている女性は、もうすっかりそれに慣れっこになっていて、あきらめとも疲労ともつかないような顔で、ほとんど聞いてすらいないようだったからだ。

いまはちょうど梅田は工事中で、JRに向かうルートも制限されている。狭い通路をのろのろと進んでいくしかない。おかげでその執拗な声をずっと聞きながら歩いていく羽目になった。人混みの中、決して大声ではないのだが、ひどく耳障りな、意地の悪い声がとぎれることなく続いていく。そちらを振り返って確かめる頭も、いくつも見えた。それでも男の方はそれが目に入らないのか、あるいは逆に周囲の人にも聞かせたいという気持ちがあったのかもしれない。決してなじるのをやめようとしなかった。

自分がなじられているわけではなくても、その声を聞くだけで、気持ちは滅入ってくる。こんな人と果たして生活ができるものだろうか。まるで『死の棘』の中で、ひたすらトシオを責めるミホではないか。

いやいや、何も知らないのに、そんなことを考えるのも滑稽な話だ。ふたりの間には簡単には言えないような歴史があるのかもしれないし、たまたま気に障ることが直前に起こっただけなのかも。

自分の頭の中で、あれこれ考えたり、うち消したりをしているうちに駅に着き、いつのまにか男の声は聞こえなくなっていた。だが、改札を抜け、電車に乗ってからも、身近な人をなじり続ける人のことが頭を去らなかった。

わたしたちはふつう、他人に対しては、批判するにせよ、怒りをぶつけるにせよ、「限度」ということを考える。相手の反応によっては、怒りの火に油が注がれることになることもあるかもしれないし、もう顔も見たくないと、そのまま席を立って、二度と会わなくなるかもしれないが。

ところが家族となると、しかも、自分が正しく相手が間違っている、という情況の下では、家族、相手のため、という意識が、抑えるということを忘れさせてしまうのかも。

そんなことを考えていたら、まったく逆の小説を思い出してしまった。

庄野潤三の短編小説に、『プールサイド小景』という作品がある。
水泳部の選手たちが練習を続ける公営プールの隅で、父親とふたりの小学生が水遊びをしている。夕方になると奥さんが犬を連れてやってきて、家族は連れだって帰路に就く。その後ろ姿を見ながら、コーチの先生は

(あれが本当に生活だな。生活らしい生活だな。夕食の前に、家族がプールで一泳ぎして帰ってゆくなんて……)

と考えるのだ。

ところが青木氏(ふたりの子供のお父さんである)は会社の金を使い込んで、クビになってしまっているのだ。どうやらその使い込みには、女性がからんでいるらしい。
クビになったことで突然、毎日が休暇になった青木氏を喜んだのは子供たちで、父親を引っ張ってプールに連れて行った。青木夫人は、(なんていう人なんだろう!)と心につぶやいたりもするのだが、これまで聞いたこともなかった青木氏の、仕事に対する気持ちを聞くうち、

  いったい自分たち夫婦は、十五年も一緒の家に暮らしていて、その間に何を話し合っていたのだろうか?

と思うようになる。

やがて青木氏はふたたび勤めに行くようになる。
静かな生活は、こうしてまた軌道に戻っていく。

だが、この静けさと平和は何だろう。
声を荒げても不思議のない場面でも、青木氏も、青木夫人も、面と向かって決して相手を批判することはない。思いは内へ内へとかえっていく。まるで家庭生活を続けていくためには、強い意思の力が必要だ、といわんばかりに。

家庭生活とは、こんなにもむずかしい、綱渡りのようなものなのだろうか。
そうなのかもしれない。

そんなことを考えていたら、つぎにはこんな夫婦を思いだした。森鴎外の『じいさんばあさん』である。

この作品では、人もうらやむような仲の良い老夫婦の姿が描かれる。
人の生活はいかにも隠居らしい、気楽な生活である。爺いさんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。毎日同じ時刻に刀剣に打粉を打って拭く。体を極めて木刀を揮る。婆あさんは例のまま事の真似をして、その隙には爺いさんの傍に来て団扇であおぐ。もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆あさんが暫くあおぐうちに、爺いさんは読みさした本を置いて話をし出す。二人はさも楽しそうに話すのである。


「さも楽しそうに話す」のには理由がある。その理由は、短い短篇だから、ぜひ読んでもらいたいのだが、これを読むと、夫婦というのにはある程度の距離が必要なのかもしれない、という気がしてくる。

自分が正しいと思い込むと、家族の中での独裁者になってしまう。
維持することに必死になると、たとえお互いが繊細な心遣いを見せていたにしても、どこか息苦しくなってしまう。

こうあるべき、という理想を掲げて、相手をその枠にはめようとするのではなく、なりゆきにまかせながら、相手に対しては礼儀を忘れない。
そんなことができるのなら。
そんな日々を続けていけたら。

それは人とつきあう上で、誰もが心がける、あたりまえのことなのだろうが。