陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リング・ラードナー 「散髪」その6.

2006-07-31 21:58:50 | 翻訳
「散髪」その6.

 ところで、ジム・ケンドールなんですが、ジムってのは笑わせ屋の呑んべえってだけじゃない、なかなかの女たらしでもあったんです。カーターヴィルにいたころも、あっちこっち行く先々で、たいした凄腕で鳴らしたようですよ。おまけにここでだって、二、三の色恋沙汰はあったみたいだ。さっきも言ったみたいに、かみさんとしてみりゃ別れてしまいたかったんだろうけどね、なかなかそうもいかなかったんです。

 ところがジムだって、たいがいの男や女とたいしてちがってやしませんでした。自分が手に入らないものがほしくなるんですな。ジュリー・グレッグがほしくなって、ものにしようと頭を働かせたんです。やつの口癖を借りれば、頭じゃなくて「ドタマ」ってことになるんでしょうが。

 ま、ジムの格好も冗談も、ジュリーのお気には召さなかったってことです。もちろん所帯持ちってこともあって、ものにできる可能性なんて、その、なんだ、ウサギにも及ばない。これまたジム一流の言いまわしでね、選挙とかそんなもんに出た人間が、これっぱかりも当選する可能性がないようなときに、ジムはいつも、ウサギほどの望みもない、って言ってたんです。

 ジムは自分の気持ちを隠そうともしてませんでしたね。ここでも一度や二度じゃなく、みんながいるところで、おれはもうジュリーにくびったけなんだ、だからだれかおれに世話してくれよ、そしたらおれの家を喜んで進呈するぜ、女房、子供こみでな、なんて言ってましたっけ。ところがジュリーの方は鼻も引っかけないんです。往来で会っても、口ひとつ開かない。とうとうジムもいっつもの手管じゃどうにもならない、と悟ったんでしょう、荒っぽい出方をしてみることにした。ある晩、家に直接押しかけて、ジュリーがドアを開けたところで力ずくで中に入ると、抱きついたんです。ジュリーはそれを振り切って、やつが引き留めようとするまえに、隣の部屋に駆けこんで、鍵をかけてからジョー・バーンズに電話をかけた。ジョーっていうのは警察署長です。ジムは、ジュリーがだれに電話をかけたかわかったんで、ジョーがそこに来るまえに、逃げだしちまいました。

 ジョーはジュリーのおやじさんの古くからの友人だったんです。だから次の日、ジムのところへ出向いて、もう一度こんなことをしたら、どうなるかわかってるだろうな、と、どやしつけたんですよ。

 これっぱかりの事件のニュースがどうして外に漏れたのか、あたしにはよくわかりません。せいぜい、ジョー・バーンズが奥方にしゃべったのを、奥方がまただれかにしゃべって、奥さん連中が、今度はダンナにしゃべった、ってところでしょうか。ジムはあっさり認めると、笑い飛ばしてから、みんなに言ったんです、いまに見てろ、って。おれのことをバカにしようとしたやつはこれまでにもたくさんいたが、おれはその借りはきっちり返してきたんだ、ってね。

 そのうち、町中みんながジュリーが先生にぞっこんだって知るようになりました。あたしは思うんだが、ジュリーは気がついてなかったんだと思うんですよ、先生と一緒のときの自分の顔が別人みたいに変わっちまってることにね。もちろん、わかるはずがありませんや。そうでなきゃ、あの娘も先生を避けるようにしてたでしょうからね。おまけにあたしたちが、ジュリーが何度口実を作って診療所に通ったか、通りの反対側を歩いて先生の姿が見えやしないかと窓を見上げているのも、全部知ってるってことも、気がついてなかった。あたしはそんなあの娘がかわいそうでね、だけどたいていの人間は同じ気持ちだっただろうなぁ。

 ホッド・マイヤーズはジムをしつこくからかってましたね、おまえ、医者に負けちまったんだな、って。ジムはそんな冷やかしなんぞ、ちっとも気にしてるふうはありませんでしたが、やつがまたわるふざけをたくらんでることは、みんな気がついてましたね。

 ジムにはもうひとつ芸当があったんです、声色を使うんですよ。若い娘がしゃべってる、って思わせることだってできたし、どんな男の物まねだってできた。そいつがどれだけたいしたもんだったか、あたしも一度やられたんで、そのときの話をしましょう。

 大小にかかわらずほとんどの町じゃ、人が死んでひげを剃ってやらなきゃならなくなると、床屋が呼ばれます。そうして床屋はひげをあたって、五ドル、もらうことになっている。もちろん払ってくれるのは仏さんじゃなくて、頼んだ人間なんですが。あたしは仏さんだろうが気にしやしませんから、三ドルだけ、いただいてます。いや、仏さんってのは生きてるお客よりずっと静かに横になっててくれてますからね。ただ、仏さん相手におしゃべりはできませんから、ちくっと寂しくて、それだけがちょっとね。

 で、こんなに寒い日はないってぇくらいの寒い日だったんです、二年前の冬だった。家に電話があってね、あたしはちょうど晩飯を食ってたんですが、電話に出てみたら女の声が、ジョン・スコットの家内なんですが、主人が亡くなったので、家に来てひげを剃ってもらえませんか、って言うんです。

 ジョン爺さんはながらくウチのお得意さんでした。だけど家は十キロ以上も離れた田舎のほうのストリーター通りです。それでもどうしていやだって言えますか。

 だからあたしは言いました。そっちへうかがいます、でもバスに乗りますから、ひげ剃り代のほかに三ドルか、四ドル、いただきますよ。そしたら女は、というか、その電話の主は、それはかまわない、って言うもんだから、あたしはフランク・アボットに頼んで小型バスを出してもらって、その場所まで行きました。さて、そこでドアを開けてくれたのは、だれあろう、ジョンその人だったんですよ。死んでる可能性は、それこそ例の、ウサギほどもないようなありさまでした。

 だれがあたしにこんないたずらをしかけたか、なんてことは、私立探偵を雇わなくたってわかります。ジム・ケンドールを除いたら、こんなことを思いつくようなやつはいませんからね。まったくもって実におかしいやつだった。

 このときのことをお客さんにお話ししたのも、ジムのやつがどれだけ声色が巧みだったか、ほかの人間がしゃべっているように信じこませることができるか、知っておいていただきたかったんです。あたしだってあのときはほんとうにスコットのかみさんが電話してきたんだと思いましたからね。

 ともかくジムはステア先生の声色が完璧に使えるようになるまで待っていました。それから復讐に取りかかったんです。

(明日最終回、かもしれない)

リング・ラードナー 「散髪」その5.

2006-07-30 22:06:03 | 翻訳
「散髪」その5.

 そうそう、あたしが話したかったのは、ジュリー・グレッグのことでした。先代のグレッグは材木を商っていてね、ところが酒に飲まれちまって、身代をすっかり潰した挙げ句に死んじまったんです。残ったのは屋敷と娘がかつかつ生活していけるぐらいの保険金だけ。

 おふくろさんは半ば病人みたいな状態で、ほとんど家から出ることもなかった。おやじさんが亡くなってからというもの、ジュリーは屋敷なんぞ売っぱらっちまって、どこかよそに移りたいと思ってたようですが、おふくろさんときたら、わたしはここで生まれたのだから死ぬのもここよ、とかなんとかそんなことを言ったらしい。ジュリーにしてみりゃかわいそうな話です、なにしろこの町の若い連中ときたら――ま、何です、やつらにゃもったいなさ過ぎる娘ってことです。

 ジュリーはよその学校へ行ってますし、シカゴだってニューヨークだって、もっとほかの場所だって行ったことがある、だもんだから、どんな話題にだってついていける。そこへもってきて、ほかの連中と来た日には、グロリア・スワンソンだの、トミー・メイハンだの、映画スター以外の話でもしたもんなら、おまえ大丈夫か、ってなもんだ。そりゃそうと、お客さんはグロリアの『美徳の報い』はごらんになりました? え? そりゃ惜しいことしましたねぇ。

 ともかくステア先生がいらっしゃって一週間もしないころ、先生はウチにひげを当たりに見えたんですよ。あたしは誰だかすぐにわかりましたね、まるで指さして教えてもらったみたいに。だからあたしはうちのおふくろの話をしたんだ。うちのおふくろはここ数年ずっと具合が悪くて、ギャンブル先生にかかっても、フット先生にかかっても、ちっとも良くならない、って。そしたら、往診に行くのはかまわないけれど、外出できるようなら診療所の方へ連れてきてもらえないか、そのほうが細かい検査もいろいろできるから、っておっしゃってくれたんです。

 だからあたしはおふくろを診療所に連れてって、見てもらってるあいだ、待合室で待ってたんです、そこへジュリー・グレッグがやってきた。ステア先生の診療所にだれか入ってくると、奧の診察室のベルが鳴って、だれか見てもらいに来た人がいる、と、先生にわかる仕組みになってるんです。

 そこで先生はおふくろを診察室に残したまま、表の部屋に出てきました。それが先生とジュリーが初めて会った瞬間だったんです。一目惚れってえのは、ああいうのを言うんだろうな。だけど、そいつは五分五分じゃありませんでした。この若いお医者は、ジュリーがこれまでここで会った中でもとびっきりのいい男です、だから夢中になっちまったんだ。先生からすりゃ、ジュリーも自分のところへ来た、ただの若い娘にすぎなかっただろうね。

 ジュリーがそこへ来たのも、あたしと同じ理由でした。ジュリーのおふくろさんも、もう何年もギャンブル先生とフット先生に診てもらってるんだが、ちっともよくならない、って。この町に新しい医者が来たことを聞きつけて、一度診てもらうことにした。先生はその日のうちに、ジュリーの母親を診に行くって約束してました。

 あたしは彼女の側からの一目惚れって言いました。それはあとになってジュリーが見せたふるまいから、そう判断したってだけじゃない、ジュリーがあの日、診療所で先生をどんな眼で診ていたか、ってことなんですよ。あたしには人の心を読む力なんかないけれど、あのときのジュリーの顔には、一目で彼に参った、って、書いてありましたっけ。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「散髪」その4.

2006-07-29 22:18:32 | 翻訳
「散髪」4.


 でも、やつはかみさんを出し抜くだけじゃ満足できなかった。かみさんが自分の給料を横取りしようとしたことが、そりゃ頭に来てたんですね。だからきっちり借りを返してやることにしたんです。そのうち、エヴァンズ・サーカスがこの町にやってくるという知らせを見た。だからかみさんとふたりの子供に、サーカスに連れてってやる、って言ったんですよ。当日になると、自分はチケットを買っとくから、おまえらはテントの入り口のところで待っておけ、と。

 ま、ジムはそこに行くつもりも、チケットを買うつもりも、これっぱかりもなかった。ジンをしこたまかっ喰らって、ライトの玉突き場でごろごろしてたんです。かみさんと子供が待てど暮らせど、そりゃもちろん、やつが現れるはずがない。かみさんは十セント硬貨一枚、持ってきてない、おそらくそんなものどこにも持っちゃなかったんでしょうが。だから、とうとう子供たちに、どうしようもないから帰ろうって言ったんです。そしたらおチビさんたちは泣いて泣いて、どうにも泣きやまなくなっちまった。

 そしたら、なんでも泣いているさなかに、お医者さんのステア先生が通りかかったらしいんです。で、どうしたんです、って聞きなすったが、ケンドールのかみさんもがんこでさ、わけなんて話そうとはしない。けど、チビどもが代わりにしゃべっちまって、先生は、どうあっても見に行きなさい、って承知しなかった。そのことをジムはあとで知ったらしいんですが、どうやらそのことでステア先生には腹に一物、持つようになったらしい。

 ステア先生っていうのは、一年半くらい前に、ここにいらした方なんです。そりゃ男っぷりのいい若い人でね、おまけに、いつもあつらえたような服を着てらっしゃる。年に二回か三回、デトロイトにいらっしゃるんで、おそらくそっちにいるあいだに仕立屋で寸法を取らせて、スーツを作らせてるのにちがいありません。店で買うのにくらべりゃ二倍がとこ、かかるんでしょうが、そりゃもうぴったりくる感じは、全然ちがってまさぁ。

 しばらくはみんな不思議に思ってたんですよ、ステア先生みたいな若いお医者さんが、なんでこんな町にやって来たのか、おまけにここにはもう、大昔からギャンブル先生とフット先生っていうお医者がいて、町の人間はこのふたりのどちらかにかかってるんですからね。

 そこでこんな噂が広まった。ステア先生はミシガン州北部の半島のへんで、娘っこに肘鉄喰らったんで、ここに逼塞して、忘れようとしてるんだ、ってね。ご自身では、開業医としてここみたいな町でやっていくことが一番、医者としてあらゆる方面に長けるのに向いてるんだ、っておっしゃってましたが。だからここにいらっしゃったんだそうですよ。

 ともかく、ステア先生が医者として十分やっていけるようになるのに、そんなに時間はかかりませんでした。とはいえ、人の話だと、先生は医療費が払えない患者でも、払えと催促するようなことは決してなさらなかったんだとか。ところがここの連中ときたら、借りっぱなしにしちまうクセがあってね、あたしの商売にしてからがそうなんです。実際、ひげをあたった料金をまるっぽもらえるだけで、あたしもカーターヴィルに行って一週間マーサー・ホテルに泊まって、毎晩ちがう映画を見ることだってできるでしょうね。ジョージ・パーディの親爺ときたら……おっと、人の悪口は止しにしなきゃね。

 ともかく、去年のことです、この町の検死官が亡くなった、流感で亡くなったんです。ケン・ビーティっていう名前でしたが。ええ、検死官をやってたんです。だもんだから、かわりに他の人を選ばなきゃならなくなって、ステア先生はどうか、っていう人たちが出てきた。ステア先生は最初のうち、笑って、そういうことはご免被る、って言ってらしたんですが、結局は、やってみる、って言わされちまった。この仕事は人を押しのけてでも就きたくなるようなもんじゃありませんし、年間通しての報酬だって、庭の花の種が買えるぐらいのものですからね。だけど先生って人は、人にしつこく言われたら、なにごとであれ、いやとは言えないタイプの人だったんですね。

 おっと、もうひとり、この町のかわいそうな若いもんの話をしようと思ってたんだ、ポール・ディクスンっていうやつなんですがね。十歳ぐらいの時、木から落っこったんです。で、頭を打ったのがもとで、どうもぴりっとしなくなっちまったんです。別にどっか支障があるってわけじゃないんですが、ただちょっとどんくさいんですよ。ジム・ケンドールはよくこいつのことを「カッコウ」って呼んでましたけどね。やつは頭がいかれたやつならだれでもそう呼んでたんです。ただジムは人の頭のことを「ドタマ」って言ってた。これまたやつの冗談ですよ、頭を「ドタマ」と呼び、おかしなヤツのことを「カッコウ」と呼ぶなんてね。ポールは別に頭がおかしい、ってわけじゃなかった。ただ、ちょっとどんくさいだけで。

 ジムのことだから、ことあるごとにポールをからかったのはおわかりでしょう。ポールをホワイト・フロント修理工場へ、左利き専用のモンキー・レンチを取りに行かせたんです。もちとん左利き専用レンチなんてものがあるわけがありません(※原文left-handedには「左利き」という意味の他に「左巻き」ということを意味する場合がある)。

 そうそう、こんなこともあったな、この町で品評会があったんですが、そこででぶっちょのチームとやせっぽちのチームが野球の試合をしたんです。始まる前にジムはポールを呼んで、シュレイダー金物店へ行って、ピッチャー・ボックスを開ける鍵を買ってこい、なんて命令するんです(※もちろん「ピッチャー・ボックス」などというものはない。これは「バッター・ボックス」にちなみ、なおかつ「ボックス(=箱)」をあける鍵とも掛けてある)。

 ひとたび、いたずらとなると、ジムがその気になりさえすりゃ、思いつかないことなんて何ひとつありませんでしたね。

 かわいそうなポールはいつだって人に気を許したりできないみたいでした。それもきっとジムから絶えずからかわれたせいなんでしょうが。ポールはだれとも関わろうとしなくなってたんです、自分のおふくろと、ステア先生と、あと、この町に住むジュリー・グレッグっていう娘をのぞけばね。あ、ジュリーってのはほんと言うと、娘っこじゃないな、三十近いか、過ぎてるか、ぐらいでしょうからね。

 ともかく先生がここにいらしてからこっち、ポールは本物の友だちを見つけた、とでも思ったんでしょう、四六時中、先生の診療所に入り浸ってました。そこらへんにいないときといったら、自分ちに帰って、メシを食ってるときか、眠るときか、あとはジュリー・グレッグが買い物に行くのを見つけたときぐらいだったでしょう。

 診療所の窓からジュリーを見かけたら、階段を転げるように降りてって、ジュリーにくっついて、いろんな店に入っていくようなことをしてたんです。このかわいそうなやつは、もうジュリーにくびったけで、ジュリーの方もとびきり優しくしてやって、いつでも来ていいのよ、みたいに思わせてたんでしょう、ま、もちろん、彼女からすればただかわいそうに思ってたってだけなんでしょうが。

 先生のほうはポールの頭を少しでも快復させようと手を尽くしてらっしゃったし、あたしもこの耳で聞いたんですが、あの子は前よりよくなってる、時によっては、普通の人間と変わらないくらい、利口だし分別もあるよ、なんておっしゃってましたっけ。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「散髪」その3.

2006-07-28 22:28:31 | 翻訳
「散髪」その3.

 昔、ジムはカーターヴィルにある会社に勤めていて、缶詰め製品のセールスをしてたんです。缶詰めを扱ってる会社です。ジムの担当はこの州の北半分で、週のうち五日は移動していましたよ。土曜日になるとここへ寄って、その週、自分が見たり聞いたりしたことを教えてくれたんです。どれもえらくおもしろいもんでした。

 おそらくやつは商売よりも冗談を言う方に熱心だったんでしょう。とうとう会社のほうもやつをおっぽりだすことにしたらしく、やつはまっすぐここへやって来て、みんなに、オレはクビになった、って言ったんです。たいていの人間なら自分から辞めてやった、みたいに言うところなんでしょうが、そんなことはしなかった。

 その日は土曜日で、店は満員、ジムは例の椅子から立ち上がるとこんなふうに言ったもんです。「諸君、重要な知らせだ。オレは仕事をクビになった」

 さて、みんなが、そりゃ本気か、って聞いたところ、ジムは、そうだ、って言う。だからだれもなんて言ったらいいかわからずにいたんですが、とうとう自分から言い出しました。「おれはずっと缶詰めを売ってきたんだが、こんどはオレが缶詰めにされちまったんだよ」

 ほら、やつが働いていたのは缶詰めを作る工場だった。カーターヴィルのね。それがいまやジムが干されて缶詰めにされちゃった。まったく愉快なやつでしょ。

 ジムはセールスに出かけてるあいだ、とんでもないいたずらをよくやってました。たとえば汽車に乗って、どこかちっぽけな、そう、どこなんかがいいかな、ま、たとえばベントンみたいな町に来たとする。ジムは汽車の窓から店の看板なんかを見とくんです。

Fたとえば『ヘンリー・スミス衣料雑貨店』なんてな看板があるとする。そこでジムはその名前と町の名前を書き留めておいてから、どこだっていいんですが、行った先からベントンのヘンリー・スミス宛てに、差出人の名前は記さないまま、ハガキを書くんです。「奥さんに聞いてごらんなさい、先週の午後、一緒に過ごされた本屋さんのこと」とか、「あんたがこのあいだカーターヴィルへ行ってるあいだ、女房殿を寂しがらせなかったのはだれか、聞いてみてくれよ」で、署名はたった一と。ハガキの署名はひとこと「一友人より」

 もちろんこのいたずらがもとで、実際に何が起こるか、なんてなこと、ジムにわかるはずもありません。だけどおそらくこんなことが起きるんじゃないか、って想像することはできたし、まぁそれで十分だったんでしょう。

 ジムはカーターヴィルでの職を失ってから、定職につかなくなってしまいました。やつはこの町のあちこちで半端仕事をやっちゃあ日銭を稼いではいましたが、それももっぱらジンを飲むことに充てられてましたね。いろんな店が便宜を図ってやってなきゃ、ジムの家族は飢え死にしていたことでしょう。ジムのかみさんはドレスの仕立てができる腕があったんですが、この町じゃドレスをあつらえよう、なんてことを考えるような金持ちなんていないんです。

 さっきも言ったみたいに、かみさんとしちゃ、別れたかったんでしょうが、自分と子供たちだけじゃやっていけないと考えてた。おまけにいつか、ジムが悪い癖と縁を切って、週に二ドルや三ドルのはした金じゃない、ちゃんとした額を入れてくれるだろう、という、望みもあったんでしょうな。

 かみさんはジムが働かせてもらってる人のところまで頼みに行って、ジムの給料をもらった、みたいなことがあったんです。ところが一度か二度、こういうことがあってから、ジムは自分の給料をほとんど前借りしちまった。かみさんを出し抜いてやったぞ、って、それを触れ回るんですからね。まったくやつはおかしな男でしたよ。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「散髪」その2.

2006-07-27 22:15:19 | 翻訳
「散髪」その2.

 それがジムときたらそこに座ったきり、しばらくは口を開いても、唾を吐くばかりで何も言いやしません。やっと口を開いたかと思うと、あたしに向かってこんなことを言うんです。「ホワイティ」――わたしの本名、つまり、名前の方はディックってんですが、ここらの連中はみんなホワイティって呼ぶんですよ――で、ジムはこんなふうに言ったもんだった。「ホワイティ、今夜のおまえの鼻ときたら、バラのつぼみみたいだぜ。きっとおまえのオーデコロンなんぞきこしめしてるんだろうさ」

 だからあたしもこう答えたもんです。「冗談じゃない、ジム、おまえさんの方こそコロンだか、もっといけねえもんだかを飲んでたように見えるぜ」

 こうなりゃジムも笑わないわけにはいかなくなるんですが、なおもこんなことを言い張るんです。「いいや、オレんちには飲めるようなものなんぞありゃしねえけどよ、ま、そうしたもんが好きじゃねえってわけじゃないんだな、これが。飲めるんだったらメチルだってかまやしねえ」

 そこでホッド・マイヤーズが「おまえのかみさんだっておんなじだよな」ってなことを言う。ここでみんなはどっと笑うんです、ジムとかみさんが、熱々ってわけじゃないことを知ってますから。かみさんの方は、扶養手当が取れる見込みもなさそうだし、自分と子供たちの口を養う方策も見あたらない、ってんで、離婚しないでいるようなもんだったんでしょうね。かみさんのほうはジムのことなんざ、てんでわかっちゃいなかった。やつにはなんというか、手荒いところがあった。根はいいやつだったんですが。

 やつとホッドはミルト・シェパードにたいしては、ありとあらゆる悪ふざけをしかけたもんです。ミルトにはまだお会いじゃないでしょうね。ま、やつの喉仏ときたら、アダムのリンゴっていうより、つぶれたメロンぐらいもあるんです。だからあたしがミルトのヒゲをあたっていて、ここから首の方へおりていこうとするときはね、ホッドは大きな声でこんなふうに言うんですよ。「おいおい、ホワイティ、ちょっと待てよ。そいつをふたつに割る前にみんなで金を出し合って、そこにあるタネの数、だれが一番近い数を当てられるかやってみようぜ」

 今度はジムも言うんです。「もしミルトがブタみたいにがっつくやつじゃなかったら、メロンを丸ごとじゃなくて半分だけにしといたはずだ、そしたら喉につっかえることもなかったのにな」

 そこにいる連中はみんなして大笑い、ミルトだって自分が冗談のタネにされたところで、笑わないわけにはいかない。ジムは実際、おかしなやつでしたよ。

 あそこにやつのひげ剃り用の鉢があるんです、棚の上、ほら、チャーリー・ヴェイルの鉢の隣です。「チャールズ・M・ヴェイル」って書いてあるでしょ、そいつは薬屋です。週に三回、かならずひげをあたりに来ます。で、ジムのがチャーリーの隣にある。「ジェームズ・H・ケンドール」。ジムにはもうひげ剃り用の鉢なんてものは要りませんがね、当時の思い出のために、そこに残してるんです。確かに、ジムはたいしたタマでした。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「散髪」その1.

2006-07-26 22:05:42 | 翻訳
今日からリング・ラードナーの短編「散髪」をお送りします。原文は

http://www.classicshorts.com/stories/haircut.html
で読むことができます。

* * *
「散髪」

by リング・ラードナー



 ウチにはもうひとり、土曜日になるとカーターヴィルからやってきて、あたしを手伝ってくれる理髪師がいるんですが、ほかの日だったらそこそこひとりでやってけるんですよ。見ての通り、ここはニューヨークなんかじゃありませんし、おまけにたいがいの若い衆は、いちんちじゅう働いてますから、ちょっくらここに寄ってめかしこもうなんて暇もないんです。

 お客さん、新しくいらした方でしょ? いままでここいらじゃお会いしたことありませんでしたもんね。腰を落ちつけたくなるぐらい、ここが気に入ってくださりゃ、あたしもうれしいんですがね。さっきも言ったみたいに、ここはニューヨークやシカゴみたいなとこじゃない、だけど、あたしらみんな、楽しくやってます。ま、ジム・ケンドールが殺されちまってから、っていうもの、前みたいなわけにゃいきませんがね。やつが生きてたときは、あいつとホッド・マイヤーズのおかげで、街中みんな大騒ぎしたもんです。アメリカ広しといえど、ここぐらいの規模の街で、ここほどみんながよく笑ったところはどこにもありませんって。

 ジムは可笑しなやつでした。ホッドがまたジムにお似合いのやつでね。ジムが死んじまってから、ホッドも前とおんなじようなことをやろうとしても、一緒にやってくれる相方がいないところじゃ、なかなかきびしいみたいです。

 昔は土曜日っていうと、ここはいつだってとびきり楽しい場所になってました。土曜日、だいたい四時ぐらいから先、ここはぎゅうぎゅう満員になるんです。ジムとホッドは晩飯をすませるやが早いか、すぐに顔を出しにくる。ジムはいつもあそこの大きな椅子、青い痰壺のすぐそばに座ってました。だれがそこに座っていようと、ジムが顔をのぞかせたら、すぐに立って、場所を譲ることになってたんです。

 劇場なんかにときどきある指定席みたいなものだと考えてくれたら結構です。ホッドはたいてい立ってるか、うろうろしてるか、もちろん椅子に座って、髪を切ってもらってることもありました。

(この項つづく)

月桂樹

2006-07-25 21:56:20 | weblog
昨日は天気予報によると一日中雨だったので、朝、傘をさして仕事にでかけた。
ところが昼過ぎには上がっていて、帰りは薄日がさし、空気には雨の匂いがまだこもり、まだらになったアスファルトから湯気が立ち上る中を、閉じた傘をぶらさげて歩いて帰ってきた。

毎日行き来する道ではあるけれど、自転車と徒歩ではずいぶんちがう。
塀から歩道に顔をのぞかせているサルスベリも、芙蓉も、木槿も、ふだんよりずいぶんゆっくりと見ることができる。

途中、一軒の家の前で、剪定して切り落とした木の枝をたばねている人の脇を通りかかった。歩道一杯に枝やら葉やらが落ちている。腰をかがめてビニールひもで結わえている人にぶつからないよう、「すいません」と声をかけた。

「ああ、どうも、邪魔でしょ、ごめんなさいね」
そう言って立ち上がったのは、五十代半ばぐらいの女の人だった。長めのゴム手袋をはめている。
「もう月桂樹が伸びてねえ、どうしようもなくなったから、ずいぶん刈り込んだら、えらいことになってしまって」
「あ、月桂樹なんですね、向こうから、何か匂うなと思ってたんです。ローリエの匂いなんだ」
空気も雨をふくんでいるせいか、切り落とした枝からただよう木のにおいはどこにもいかず、みっしりとした固まりのように、あたりを覆っていた。
「ローリエ、使わはる? 使わはるんやったら、持って帰って」
「じゃ、何枚かいただきます」
わたしが落ちた葉っぱを拾おうとすると、
「これ持っていき」と、かなり大きな枝をそのままくれた。煮込み料理のたびごとに、たとえ三枚ずつ使っても、優に一年分はたっぷりありそうなぐらい葉っぱがついている。
「これ、取って干したらいいんですか?」
「枝のまま置いとったらええよ、必要なだけ、そのたびに取ったら」
それにしても、こんな大きな枝を置くような場所はウチの台所にはないなぁ、と思いながらも、その深い香りがいつも家の中にある、というのは、悪くないもののように思えた。

アポロが追いかけたとき、美しい少女だったダフネは、逃げて、逃げて、とうとう捕まりそうになったときに、一本の木になった。それが月桂樹である。
そこの家の塀越しに見上げた木は、美少女というにはずいぶん大きかったけれど、その大ぶりの枝は、どことなく少女が天に向かってさしのべた腕のように見えないこともなかった。

左手でトートバッグと傘を持ち、肘を少し曲げて右手を体の前に持ってくるようにして、月桂樹の枝を下げてわたしは家に帰ったのだった。

あとでスーパーに行って鶏の胸肉を買ってきて、タマネギやニンジン・セロリ、あとローリエもたっぷり入れて味を染みこませ、蒸し鶏にしてサラダを作った。


* * *

サイト、やっと更新できました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/
またお暇なときにでも遊びに来てください。
それじゃ、また。

今日は半分だけ

2006-07-24 22:51:45 | weblog
先日ここで連載していた「マクベス殺人事件」なんとか翻訳部分のみ推敲が完了しました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/
トップから二番目の"latest issue"をクリックしてください。

こういう載せ方がよくないのはわかってるんですが、どうもこのところ、文章書くのがしんどくて。まぁこんなときもある、ということで。
あとがきと更新記録はなんとか気力をふりしぼって書いて、明日までにアップできるようにします。
またお暇なときにでも遊びにいらっしゃってください。

それじゃ、また。

ジェイムズ・サーバー 『マクベス殺人事件』後編

2006-07-22 23:00:25 | 翻訳
(承前)

「ええ、マクダフです、そういうこと」この殺人事件のスペシャリストは言葉を継いだ。「エルキュール・ポワロがいれば、すぐつかまっちゃったでしょうね」
「どうしてそれがわかったんです」
「そりゃ、わたしもすぐにはわかったんじゃないの。最初はバンクォーを疑ったわけ。だけど、ほら、バンクォーもつぎに殺されてしまうでしょ。あそこはたしかによくできてたわ、あの箇所は。最初の殺人で疑われる人って、つぎの被害者になることに決まってるのよね」
「そうなんですか?」わたしはおずおずと意見を口にしてみた。
「ええ、もちろん」と、情報提供者は請け合う。「作家なんてものは読者を驚かせ続けなきゃならないんだから。ともかく二番目の殺人のあとじゃしばらくは誰が犯人だかわからなかった。」
「マルコムやドヌルベインはどうでしょう、王の息子の?」私は聞いてみた。「私の記憶では、息子たちは最初の殺人事件があった直後に、そそくさと国外へ行ってしまうんじゃありませんでしたっけ。なんだか怪しげじゃないですか」
「怪しすぎるのよ」とこのアメリカのご婦人はのたまう。「あまりにも怪しすぎるの。逃亡する人間は、絶対に犯人じゃありません。賭けてもいいわ」
「なるほど。ブランデーを飲むことにしよう」私はウェイターを呼んだ。話し相手は目を輝かせ、紅茶のカップをわななかせながら、こちらに身を乗り出してきた。
「ダンカンの遺体を発見したのはだれだったか覚えていらっしゃる?」
私は、申し訳ないが記憶にないと答えた。
「マクダフが見つけるのよ」彼女の語りには歴史的現在形がまざりはじめた。「それから階段を駆けおりてきて叫ぶの。『破壊の手が、神の宮居を毀ちけがし』とか『極悪非道の弑虐、その命を奪いとったのだ』なんてことをべらべら続けるわけ」この善良なる夫人はわたしの膝を叩いた。「そんなもの全部、前もって練習してきたせりふよ。そうでもなかったら、あんなに長たらしいこと、言えますかって。その場の思いつきでなんて――死体を発見した、なんてときに」私を見据える目はぎらぎらと光っている。
「わ、私には……」と私は言いかけた。
「そのとおり! ふつうならできっこない。前もって練習でもしてなかったらね。罪のない人間だったら『なんてこった、人が死んでるぞ』なんてこと言うぐらいがせいぜいよ」眼に満足の色を浮かべて、その身をどさりと椅子にあずけた。

私はしばらく考えた。「では第三の刺客についてはどうお考えです? 第三の刺客は『マクベス』研究家を三百年、悩ましてきたことですが」
「それは、その人たちがだれもマクダフのことを考えてなかったからよ」アメリカ人女性は言った。「あれはマクダフです。それは確か。被害者のひとりが、そこらへんのチンピラ二人組にやられるようなことがあってはならないの――殺人者は絶対に重要人物でなくちゃならないのよ」
「しかし、あの祝宴の場面はどう考えたらいいんです」少し間を置いて私は続けた。「そこでマクベスは罪の意識にとらわれた行動を取る、バンクォーの幽霊が登場して、マクベスの椅子に腰掛けたときです」
夫人はまた身を乗り出して、私の膝を叩いた。
「幽霊なんていなかったのよ。あんなに図体の大きな堂々たる男が、あっちやこっちでお化けを見て回るなんてことがあるはずがない――とくに、灯りが煌々とついた宴会場で、何十人っていう人がまわりにいるときに。マクベスはある人物をかばったの」
「だれをかばったんです?」
「マクベス夫人に決まってるじゃない。マクベスは、自分の女房がやったんだ、と考えて、自分が罪をかぶろうとするの。亭主っていうのは女房が疑われたらたいていのときそうするもんよ」
「でも、そうなると夢遊病の場面はどう考えたらいいんです?」
「同じことよ、ただ役割が逆転したってだけ。こんどは奥さんがダンナの方をかばったの。眠ってりゃしないわよ。あのト書きを覚えてない?『マクベス夫人、蝋燭を持って登場』」
「覚えてます」
「夢遊病の人が灯りを持って歩くわけがないでしょ!」この友人である旅行者はこう言ってのけた。「ああいう人には予知能力があるの。灯りを持って歩く夢遊病の人の話なんて、聞いたことがないでしょ?」
「確かに」
「ってことは、つまり、眠ってるんじゃなかったのよ。マクベスをかばうために、いかにも怪しげにふるまったの」
「ブランデーをもう一杯飲むことにしよう」そう言ってわたしはウェイターを呼んだ。ブランデーが運ばれてくると、わたしはぐっと飲み干して立ち上がった。
「お話には確かに一理あります。『マクベス』をお貸しいただけませんか? 私も今夜、読み返してみたいのです。何というか、いままでいちどもちゃんと読んだことがなかったような気がするので」
「持ってきてあげるわ。わたしが正しいって、あなたにもわかるはず」


 その夜、私は戯曲を注意深く読み返し、翌日朝食を終えると、件のアメリカ人女性を捜した。彼女はパット練習場にいたので、わたしはそっと後ろから近づいて、腕を取った。驚いた彼女は大きな声を出した。
「ふたりきりでお話ができませんか?」声を潜めてそう言った。
平静を装った彼女を後ろに従えて、私はひとけのない場所に行った。
「何かおわかりになりました?」彼女は息をはずませている。
「つきとめました」誇らしげにそう言ってやる。「殺人者の名前を」
「マクダフじゃないとでも?」
「マクダフはいずれの殺人とも無関係です。マクベス及びその夫人同様にね」

私は持ってきた戯曲を開いて、第二幕第二場を示した。「ここです、ここでマクベス夫人はこう言う。『あいつたちの短剣は、あそこに出しておいた、見つからぬはずはない。あのときの寝顔が父に似てさえいなかったら、自分でやってしまったのだけれど』これ、どうお考えです?」
「別に」アメリカ人女性はにべもない調子で言った。「特に何とも」
「簡単なことじゃありませんか! なんで昔読んだときには気がつかなかったんだろう。ダンカンがマクベス夫人のお父さんの寝顔にそっくりだったのは、実際にお父さんだったからなんですよ」
「おやおや」相手はそっと言った。
「マクベス夫人のお父さんが王を殺したんです。そこに誰かが来る気配がしたので、死体をベッドの下に押し込んで、自分がベッドにもぐりこんだんですよ」
「だけど、話に一回しか出てこないような人間が、殺人者のはずがないわ。そんなことはありえない」
「それも考えました」そう言って、私は今度は第二幕第四場を開いた。「ここに『ロスが老人と登場』とある。ほら、この老人は誰とも書いてない。私の読みではこれがマクベス夫人の父親なのです。自分の娘を后にしようという野心を秘めた。動機もあります」
「だけど、それにしても」アメリカ人女性は悲鳴に近い声を出した。「彼はほんの端役よ」
「いいえ」わたしはうれしさがこみあげてきた。「この老人はさらに三人の妖しの老婆の一人にも変装していたんですよ!」
「あの三人の魔女の一人、ってこと?」
「そのとおり。この老人のせりふを見てください。『まことに不思議なこと、昨夜の事件といい、この前の火曜日、一羽の鷹が、空高く舞いあがり、誇らかにその高みを極めたかとおもうと、いきなり横から飛び出した鼠とりの梟めにあえなく殺されてしまいましたっけが』このせりふ、誰かのものに似ていませんか?」
「確かに三人の魔女の話には似てるわね」相手はしぶしぶそのことを認めた。
「そのとおりです」わたしは繰り返した。
「まぁ、たぶんおっしゃるとおりなんでしょう。でも……」
「私は自信があります。これから私が何をするつもりかおわかりですか?」
「いいえ。何をなさるの?」
「『ハムレット』を買うんです。そうして、秘密を解くんですよ、ハムレットの」
彼女の目がきらめいた。「それじゃ、ハムレットがやったんじゃない?」
「そうです。彼ではない。まちがいありません」
「じゃ、怪しいのはだれ?」
私は含みのある目つきで相手を見やった。「あらゆる人物が」
そう言うと、私は来たときと同じく、音もなく、小さな木立ちの中に入って視界から消えた。

The End


(※文中の『マクベス』の引用は新潮文庫版福田恆存訳『マクベス』を参考にしました)

ジェイムズ・サーバー 『マクベス殺人事件』前編

2006-07-21 22:21:23 | 翻訳
二夜に渡ってジェイムズ・サーバーの「マクベス殺人事件」の翻訳をお送りします。ごく軽い、あはは、と笑える読みものですが、シェイクスピアの『マクベス』をご存じでなければ、まったく意味がわかりません。ご存じでない方は、ぜひこれを機会に『マクベス』をお読みになってください。

原文はhttp://www.sd84.k12.id.us/SHS/departments/Language/edaniels/English%20IV%20(H)/Macbeth/MacbethThurber.htmで読むことができます。

「マクベス殺人事件」(前編)

by ジェイムズ・サーバー



「それがとんだ勘違いだったってわけ」
そう言ったのはアメリカ人女性、わたしたちはイギリスの湖水地方のホテルで知り合ったのだ。
「だけど、カウンターの上にほかのペンギンブックスと一緒に置いてあったのよ――あの六ペンスの薄っぺらいやつ、ペーパーバックの。だもんだから、これももちろん探偵小説だって思っちゃったのね。だってほかのがみんな探偵小説だったんだから。ほかは全部読んだことがあるものばっかりだったから、中味をよく見もしないで買っちゃったってわけ。で、それがシェイクスピアだってわかって、どのくらい頭に来たか、わかるでしょ」
私は、わかりますよ、といったようなことをもごもごと言った。
「ペンギンブックスの社員は、どうしてシェイクスピアの戯曲を大きさも何も探偵小説とおんなじにして出版しなきゃいけないのかしら」と、相手の不満はつづいていく。
「表紙の色が違ったようにおもいますが」と私は答えた。
「そうかしら、それには気がつかなかったけど。ま、わたしったらその晩、すっかりいい気分でベッドに入って、おもしろいミステリを読む準備がすっかり整った、ってところで、自分が手にしてるのが『悲劇 マクベス』だったわけ……高校生のための本でしょ、『アイヴァンホー』なんかと一緒の」
「あるいは『ローナ・ドゥーン』のような」
「そうそう。おまけにそのときちょうどアガサ・クリスティかなんかのおもしろいものが読みたくてしょうがなかったわけ。エルキュール・ポワロはわたしが大好きな探偵なの」
「気の弱い探偵でしたっけ?」
「あら、全然ちがうわよ」と犯罪小説専門家はのたまった。「ベルギー人の方よ。あなたが言ってるのは、ミスタ・ピンカートン。ブル警部を助ける人(※デヴィッド・フローム
『警視庁から来た男』)でしょ。ピンカートンもいいけど」

相手は二杯目の紅茶を飲みながら、自分が完璧に騙された、とある探偵小説のあらすじを話しはじめた――最初から最後まで、古くから一家の主治医をやっている人物の仕業であると思っていたらしい。けれども私は口を挟むことにした。
「それで『マクベス』はお読みになったんですか」
「そうするしかなかったんだもの。部屋中探したって、活字のカケラすらなかったんだし」
「お気に召しましたか」
「いいえ、ちっとも」と彼女は断定した。「そもそも、マクベスがやったなんて、わたし、一瞬だって信じてないわ」
私はあっけにとられて顔を見た。
「なにをやったんですか」
「わたしが言ってるのは、マクベスが王を殺しただなんて、とてもじゃないけどあり得ない、ってこと。もうひとつ、あのマクベスの女が共犯だなんてこともね。当然、だれだってあの夫婦が一番怪しいですものね、だけどそういう人が犯人だなんてことはあり得ないの――ともかく、そうであるべきなのよ」
「よくわからないのだけれど、つまり私には……」
「でも、こういうものでしょ、誰がやったかなんてすぐにわかったら、おもしろいことなんてなくなるわ。シェイクスピアはそのことなんて頭がいいからお見通し。前に読んだことがあるけれど、『ハムレット』で犯人を見破った人って、いないんですってね。そのシェイクスピアが『マクベス』でそんなに見え透いたことをやると思う?」
パイプにたばこをつめながら、わたしは最初からもういちど考えた。
「あなたは誰を疑っておいでなんです」唐突にわたしは聞いてみた。
「マクダフよ」すかさず彼女が答えた。
「おやおや」わたしはそっとつぶやいた。

(以下後編へ)