陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

突き刺さる視線

2007-08-31 23:09:03 | weblog
知り合いのなかに、人生の半分ほどを日本で過ごし、日本人と結婚したにもかかわらず、日本語をほんの片言しかしゃべれない外国人がいる。聞くのは、早口でなければ、だいたい聞き取れるのだそうだ。だが、もちろん日本語は、カタカナ、ひらがなもほとんど読めないし、漢字はなおさらそうで、十年以上住んでいる自宅の住所の漢字表記も読めない。使える日本語は、単語をいくつか、あとは「ソウデスネー」「アリガトゴザイマシター」ぐらいで用を足している。二十年ほどそういう状態で来た、ということは、日本では日本語が使えなくても生活ができるということなのだろう。

もちろん、彼は日本が大好きだ。浮世絵、京都、神社、寺、着物、お茶、生け花、家は和室だし、仕事のないときは作務衣で過ごしているのだそうだ(ずいぶん大きなサイズが必要だろうが)。相撲が大好きで、以前、用事でこの人の家へ行ったときに、ちょうどいいところなのだ、としばらく待たされた。しかたがないので、一緒に見ることになったのである。

相撲というのは、実際の取り組みが始まるまでに、ずいぶん時間がかかるもので、わたしは力士が土俵に上がっても一向に始まらないので、すっかり飽きてしまった。
相撲をまともに見た経験もないし、力士も知らない。谷崎潤一郎が相撲がきらいだった、というエピソードをたぶん丸谷才一のエッセイだったと思うが読んだことはあるけれど、わたしの場合は嫌うほどの知識もないのだった。
それでも辛抱して見ていると、取り組みが始まった。確かに、しゃがんだ態勢から立つまでの速さとか、一瞬で技が入るところとか、見ているとおもしろい。それでも、一瞬の取り組みを見るために、ずっと辛抱して見なければならないのだから、大変なのである。これなら、用事を片づけながら、取り組みの瞬間だけ見れば良いのに、と思ったが、そういうわけにはいかないらしかった。

やっとのことで最後の一番になった。驚いたことに取り組みが終わると、観客が大勢、土俵に向かって座布団を投げ入れている。
彼らはいったい何をしているのか、と日本人であるわたしが、アメリカ人に対して英語で相撲のことを聞くという、不思議なことになってしまったがしかたがない。そこでモンゴルから来た大変強い、「アサショーリュー」という名前のお相撲さんのことを知ったのである。

それからしばらくのちに、「アサショーリュー」とは「朝青龍」であることを知った。その文字を新聞の見出しやネットのニュースのヘッドラインで見るたびに、座布団が乱舞していた情景を思いだしたのだった。

異国で生活するというのは、それだけできついものである。しかも、大勢の人間から注目を浴び、さらにそれが好意的な視線ばかりでないとなると、そのきつさはどれほどのものだろう。

たまに外国人と一緒に歩いていると、こんな経験をする。
人通りを歩く。店に入る。さまざまな視線が、まず自分の隣にいる外国人に留まり、それからすっとそらされ、わたしの方へ向かう。ジロジロ見るわけではない。まるで、見てはいけないものを見たように、視線はそれて、わたしに向かう。そうして、わたしのほうは、まるで珍しい動物を、場違いな場所に連れて入った飼い主であるかのように、上から下までジロジロと遠慮のない視線にさらされる。

日本語を覚えない、というのは、おそらくそうした視線に対するひとつの対応策だ。
自分は彼らとは関係ない。彼らとはコミットしない。だから、視線を向けられても関係ない。
言葉を覚えないというのは、意識して距離を縮めないということなのだろう。そうやって、距離を保つことで、その人は自分を守ろうとしているのだ。

相撲という世界にいれば、日本語を覚えないわけにはいかないだろう。自分に向けられる視線の意味も、言葉を理解することで、余計にはっきりと向き合わざるを得なくなる。防護膜もなしに、直接さらされることになる。

朝青龍をめぐる一連の報道を、別に関心を持って見ていたわけではない。ただ、ときどきニュースサイトや新聞の記事を見るだけだ。

ただ思うのは、その人間が負わされている条件というのは、それぞれに応じてまったく異なるということだ。ある行動が良いか悪いかという判断も、その条件に応じて決まってくるもののはずなのである。当然、ある行動に対する評価というものは下される。けれど、その行動の評価は、それを下す立場の人間が、あくまでもその行動に対する評価であるべきで、たとえば人間性であるとか(そもそも人間性ってなんだ?)、あるいは周囲の諸関係とか、そういうことまでが取りざたされるのは、おかしいように思うのだ。

少なくとも、なんらかの責任を持たない人間、所詮、観客(あるいは野次馬)でしかない人間であれば、批判的なことをいう前に、日々彼が受けていたであろうプレッシャーのきつさに、一度、思いを馳せて見てはどうかと思うのである。

その昔、東西線の中で、とある芸能人を見かけたことがある(とある、と書いたのは、わたしがその人の名前を知らないからだ。一緒にいた友だちが、あれは××よ、と教えてくれたのだが、わたしはその人を知らなかったので、全然記憶に残らなかったのである)。
背の高い人で、昼間、がらがらの電車だったが、ドアの近く、手すりにもたれるように立っていた。だが、その人は、地上190センチあたりに目をやったまま、決して誰とも目を合わそうとしなかった。そうして、その人の周りには、確かに、「おれを見るな。おれに話しかけるな」というアウラが漂っていたのである。


(※ええと、既にアナウンスしていますが、サイト更新しています。「ジョコンダの微笑」のアップです。お暇なときにでも読んでみてください)

サイト更新しました

2007-08-31 12:12:49 | weblog
先日までここで翻訳をやっていた「ジョコンダの微笑」まとめてサイトにアップしました。長さもさることながら、あとがきがうまく書けなくて、ずいぶん苦労してしまいました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

ほんとは昨日のうちにアップするつもりだったんですが。

またお暇なときにのぞいてみてください。

「見える」人々

2007-08-29 23:30:49 | weblog
ときどき「見える」人がいる。
「あー、後ろ、いまいるんだけど、あなた、気がつかないから大丈夫ね」といった言い方をする人である。中学~高校時代にもそういう子はいたし、大学に入ってもいた。
「さっき、いたでしょ」
「ああ、いたいた」
という会話をしている人の話を聞いたこともある。

わたしはそういう感受性はまったくないので、何かを感じたこともないし、もちろん見えたこともない。それでも、そういう人が嘘を言っているとは思わない。おそらくほんとうに「見えて」いるのだろう。

たとえばどこかの風景をスケッチするとする。
スケッチしようと思えば、その場所をよく見ることになる。すると、いかに多くのものを自分が見落としているかに気がつく。

あるいは石膏デッサンをする。
どうもバランスが悪い。いったい何が悪いんだろうと思って、定規を取りだして、目と目の間隔、あるいは鼻と口の間隔を測ってみる。そうやって、正確な縮尺をあてはめて、デッサンをしてみる。やはりおかしい。バランスのずれは直らない。そこで初めて気がつくのだ。実際には、どこにも線などないということを。あるのはただ面と、さまざまな角度の面で区切られた空間である。そのことに気がつく前まで、わたしの目は、線で囲まれたようにとらえていた。いったんそれに気がついてしまうと、石膏像は線で囲まれてはいなくなる。前と同じには見えなくなる。

百聞は一見に如かずというけれど、実は「見える」ということは確かなものでもなんでもない。知らない色は見分けることができないし、気がつかない柱の上の飾りは目に入らない。
わたしたちは「見える」ものが一番確実なものとしてよりどころとしているけれど、それは思考の癖でしかないように思う。


「見える」人には「見える」のだ。
わたしたちはどれほど親しい相手でも、たとえ家族であっても、自分ではない他人がいったい何を見ているのか、どんなふうに見えているのか知ることはできない。一緒に赤い秋海堂の花を見ていて、ともに花びらを「赤」、おしべの部分を「黄」と話し合ったとしても、もしかすると、相手の目にはその色が逆に映っていて、わたしが「赤」と呼んでいるその色を、相手は「黄」と呼んでいるのかもしれないのだ。わたしの「赤」と相手の「赤」が一致しているという保障はどこにもない。
「見える」人にいったい何が見えているのかわからない以上、その人が「見える」と言っているのだから、見えているのだと思うしかない。


アーサー・ミラーの戯曲に『るつぼ』というものがある。
17世紀末、セイラムの魔女裁判を描いた戯曲である。実際には1950年代の赤狩りを、魔女裁判になぞらえて批判したものなのだが、ここではそのことはおいておく。

主人公のジョン・プロクターは、一時、魔が差して、手伝いに来ていた少女アビゲイルを関係を持ってしまったが、そのことを後悔し、彼女を遠ざけるために解雇した。ところがアビゲイルの方はそれが納得できない。なんとかプロクターの心を取りもどそうとする。

アビゲイルは同時に、同年代の少女たちに影響力を持つリーダーである。
彼女が悪魔や魔女が見える、と言い出すと、実際に見える少女たちが続出する。なかには憑き物に襲われたように、あらぬことを口走ったり、気絶したりする子まで出てくる。

そうして、彼女たちを中心に魔女裁判が始まる。

それまでセイラムという町で、地位も低く、誰にも重きをおかれず、いてもいなくても同じだった少女たちが、一転、権力を手中にしたのである。
彼女たちが告発すれば、たちまちその人間は「魔女」となる。そうして百人以上の人間が「告白」し、19人が絞首刑になる。

戯曲では、アビゲイルには、はっきりとした意図がある。けれどもそれ以外の少女たちは、ほんとうに「見えて」いた。

「見える」か「見えない」かというのはどういうことなのだろう、とあらためて思ってしまう。「見える」ことは、それだけで何かを意味するわけではない。けれど、わたしたちはそこにそれ以上の意味を与えてしまうことがあるのだ。

問題は、結局は自分が「見える」ものが、自分にどういう意味を持っているか、ということではないか。

ここは以前墓地だった。だからそこらへんをうろうろしている気味の悪い姿が見えるという。
見えるならそれでいい。けれど、それはわたしとは関係がない。わたしのなかで、どういう意味も持たない。だから、ああ、そう、としか言いようがない。

金縛り愛好家

2007-08-28 22:24:40 | weblog
金縛りのことを知ったのは、小学生のころ、横溝正史の『八つ墓村』を読んだときだ。

『八つ墓村』は特に最初のあたりが恐くて、読んでいると後ろから何かが来そうで、壁にぺたりと背中をつけて、床に座り込んで読んでいたような気がする。そのなかに、主人公の語り手が夜、寝ていて、金縛りに襲われるという場面があったのだ。

部屋の中に人の気配がする。
だが主人公は目覚めているのに、目を開けようにも開けることができない。物音を聞くことはできるのに、体を動かそうにも、指先一つ動かすことはできない。のしかかられたように体が重く感じる。別に不気味な場面ではないのだが、やはり恐くて、恐いものが何より好きだった当時のわたしは、恐いながらも胸がワクワクした。以来、「金縛り」というと、「八つ墓村」と、すっかり刷り込まれてしまったのである。

高校のころ、基本的に勉強というものはほとんどしなかったわたしであるが、それでも試験前になると、なんとかしなくちゃなあ、という気分になって、ちょこちょことやっていたのである。そうして、草木も眠る丑三つ時を過ぎたころ、そろそろ寝なくちゃなあ、と思って、蒲団に入ってから一時間もしたころだろうか。体がしびれたような感覚にはっとした。これが金縛りだ! 寺田辰弥の経験したあれだ! 恐怖感というより、本に出ていたことが体験できたうれしさに、ワクワクしたのだった。

わたしはふだんからかなり血圧が低いのだが、深夜を過ぎると、いっそう血圧が低くなる感じがすることがある。脳貧血とまではいかないが、頭がぼうっとして、体の感覚が鈍くなるのだ。こういう状態で眠りにつくと、一時間ほどすると金縛りが来ることがわかった。
以来、その金縛りを体験したさに、夜遅くまで本を読んだり勉強したりして、実際、何度となく金縛りを経験した。じきに体調を本当に崩したのでやめてしまったが、「こうすればかなりの高確率で金縛りを体験できる」とわかったので、それで十分だった。

やがて大学に行って、寮生活をするようになる。わたしの部屋は北向きの部屋だったのだが、そこに入ってしばらくして、上級生たちが「何ともない?」と聞くのである。いったい何ごとか、と思ったら、とにかくそこの部屋に入った寮生は、金縛りにあいやすい、という評判なのだそうだ。感じやすい人は気持ち悪がっているのだが、あなたはどう? ということだった。
全然平気ですよ、とわたしは元気に答えたのだが、そのなかには「たとえ金縛りにあったとしても平気」という気持ちももちろんこもっていた。

ところがそうは受けとられなかったことに後になって気がついた。
わたしは霊的な感受性の極めて低い、言葉を換えれば大変に鈍い新入生である、とレッテルが貼られていたのだった。


※サイト更新しました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

先日までここで連載していた芥川龍之介関連の記事を「文豪に聞いてみよう~芥川龍之介と不安」としてアップしました。
「ジョコンダ」は明後日ぐらいにはアップできると思います。
そうそう、カウンタがもうすぐ29700になりそうです。
トップページのわかりにくい位置にひっそりとあるんですが、30000番のキリ番踏まれた方はご連絡ください。一週間くらいのうちにはいきそうです。

回覧板と近所づきあい

2007-08-26 23:29:08 | weblog
回覧板というものがある。

わたしが現在住んでいるところでは、平均すると週に一回程度、回ってくるだろうか。
地域の清掃やゴミ出しについての諸注意など、具体的に関係あることもあるし、まったくわたしには無関係のこともある。いずれにせよ回ってきたら中身を読んで、読んだしるしをつけて、隣の家の玄関にぶらさげておくのだ。

ところが帰省してみると、回覧板は、玄関のチャイムを鳴らして隣の人が持ってきてくれ、そうして「暑いですねえ」「いつになったら涼しくなるんでしょうねえ」などと、言葉を交わしあって渡していき、そしてまた家からもそういう言葉と共に、さらに隣の家へ手渡されていく。いまもわたしが子供の頃とまったく変わっていない受け渡し方法が続いていたことに驚いてしまったのだった。

わたしの実家がある地域のように、住民の移り変わりがそんなに頻繁ではなく、互いが顔見知りで「地域コミュニティ」というものが成立しているようなところでは、いまでもそんなふうな回覧板の受け渡しが成立しているのだろうか。それとも、日中、人がいないようなところでは、いきおい受け渡しもむずかしくなるので、住民の年齢というのも大きな要素かもしれない。

ファックスがたいていの電話の機能についたころは、ファックスというのはずいぶん便利なものだと考えられた。ファックスを送るよ、という連絡を入れたのちにファックスを送ることもあったが、やがてこちらの要件を一方的に伝えるだけでいいようなときは、電話もせず、いきなりファックスだけを送るようになっていった。コールが入ってすぐに受話器を取ってしまうと、送信されなかったり、たとえば紙がつまるなどの機械トラブルがどちらかの側に起こっても気がつかずにいたり、いろいろ失敗も多かったが、相手と話をしないで、要件が片づけられるというのが、ひどく心理的にラクなように思えたのである。

そこからさらにメールが一般的になった。
ファックスなら、送ろうと思えば、その分量に差があるにせよ、自分の手で要件を書かなければならない。自分の文章が相手に届き、自分の書いた字が相手に届くのである。
それに対してメールは、その人の痕跡が、ファックスよりもさらに残りにくい。こうして人と人の関係は、どんどん「見えなく」なっていく。

考えてみれば、電話が登場する前は、何かを伝えようと思えば、手紙を書くか、直接会うしかなかったのである。コミュニケーション技術の発展とは、人と人の関係を近づけているのか、遠ざけているのか、いよいよよくわからなくなってくる。

ただ、ひとつだけ言えるのは、「安全」ということを考えたとき、地域住民が互いに顔見知りであることは重要だということだ。
以前、バスジャック事件が起こったことがあるが、たとえ武器を携帯していたとはいえ、犯人はたったひとりの高校生だったのだ。直接言葉を交わして事前に協議できなかったとしても、もし乗客が互いに顔見知りで、自分がこうしたら、○○さんは協力してくれる。××さんも力を貸してくれる、という読みが可能であれば、乗客同士が協力して拘束したり、武器を取り上げたりすることは可能だったのではないか、と考えたことがある。
同じように災害が起こったときでも、地域住民が顔見知りであれば、協力態勢もずいぶんスムーズにいくだろう。

家族の規模が小さくなればなるほど、わたしたちが血縁を介して知り合うことのできる他人の数は減っていく。職場で会う人というのも、その職業にはよるけれども、ずいぶん限られているのではないか。毎年、半ば強制的に何十人かと知り合いになる学生時代を終わってしまえば、わたしたちのつきあう人の数というのは、極めてかぎられてくるのかもしれない。

一方で、昔は、そうした「近所づきあい」というのは鬱陶しいものでもあった。近所の目、詮索、噂、いまのわたしたちのありかたは、そうしたわずらわしいものを排除した結果なのかもしれない。他者が他者を気遣う、というのは、両面があるのだ。

昨今の犯罪報道など見ていると、日本もずいぶん物騒になったような気がする。一方で、そうした「印象」がきわめてあやふやなもので、どれほどの根拠があるのか、という意見もある。そうした意見を聞けば、それももっともだと思う。それでも、新しい形での近所づきあいのありかたを考えていく必要はあるように思うのだ。
何かあったときに、助け、助けられることができるような、関係のあり方。それぞれが安全に日々を過ごすことができ、なおかつ、放っておかれる権利も有するようなあり方。
具体的にはどんなことから始められるのかは定かではないが、とりあえず、同じ集合住宅の人とは、エレベーターで会ったとき、ゴミ捨て場で会ったとき、挨拶は交わしたいと思うのである。

(※帰ってきました。一時的にコメントの事前承認を取っていましたが、いまは解除しています。ゆふさん、コメントの反映が遅くなってごめんなさい。数日、パソコンを開くこともなかったのでした。またぼちぼちとサイトのほうも更新していきますのでよろしくお願いします)

占いとサイン

2007-08-23 23:34:45 | weblog
数年前のことだが、わたしより年長でしかるべき地位にある女性と話をする機会があった。その人が今度香港に行く、という。てっきりわたしは仕事か観光のいずれかだろうと思って話を聞いていたのだが、驚いたことに日帰りだという。忙しい時間をやりくりして、占い師に会いにいき、そのまますぐに帰ってくるのだということだった。

占い、ですか? というわたしの顔には、おそらくうさんくさがっている表情が浮かんでいたのだろう、その人は、キッとした顔で、「占いは科学で裏づけられてるのよ」という。
その人は十数年前に独立して以来、その占い師に要所要所で判断を仰いできたのだそうだ。

まだ起こってもないことがどうしてその人にわかるんですか、と聞いたら、「だから占い師なんじゃない」という返事。「大昔から続いてきたことには意味があるのよ。意味がなかったら、とっくに廃れてるはずでしょ」ということだった。「大昔から続いてきた」ということは、単に大昔から人は行動に指針を与えてくれる誰かを求め、自分の選択が正しいと保障してくれる誰かを求めてきた、という以上のことは意味しないだろう、と思ったが、どうせ平行線をたどるだけの話をそれ以上続ける気にもなれず、わたしは話題を変えた。

わたしはなにも古くからおこなわれてきた、たとえば儀礼やしきたり、慣習といったことを軽く見るつもりはない。たとえいまのわたしたちの目から見れば「非科学的」に見えたり、「迷信」でしかない、と思ったとしても、それがきわめて「科学的」であり「合理的」だった時代もあったのだ。現在のわたしたちの見方が、そうした時代の人々に較べてほんとうに「正しい」のかどうか、それを判定できるような、超越的な立場に立てるような人はいない。

占いだって、確かに意味はある。
知性は自分の無知にぼんやり気づいており、無知の危機を理解している。知性は、行動の結果が確実であり、さし迫った未来が予見されうる、したがってすでに科学が存在するきわめて小さな範囲のまわりに、行動の意欲をそぐような予見できない広大な領域が存在することを見ぬく。しかしそれでも行動しなければならない。そのとき生の推進力の直接の結果にほかならない魔術が介入する。
ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』
それがおまじないでも、だれともつかない人が毎週書いて載せている雑誌の星占いであっても、それがその人の不安を一時的にでもなだめ、決断というしんどい行動に出るときの背中を押してくれるのなら、占いだって十分に意味はある。年に一度、インチキ占いを発表しているのも、そんな気持ちがなくはないのだ(ということで、今年も年末にやるのでそのときはよろしく(笑))。

ただ、それをあたかも未来がすでに起こっていて、自分だけはそれを知っている、というような態度を取る占い師はキライだ。それに加えて、自分のことを知りもしない、会ったばかりの人間に、自分の性格だの行動だのについてああだこうだ言われるのは、わたしはがまんできないし、「占い師」という看板を下げている人間を、ただそうだから、という理由で信頼できる人というのも、なんだかな、と思うのである。だから、そういう人を見ると、一歩引いてしまう。

なんにせよ、人は先のことはわからない。わからないはずだ。まだ何も起こっていないのだから。それでも、過去起こったことから、あるいは他の人に起こったことから、わたしたちはなんとか先を読もうとする。たとえそこに書いてあるのが怖ろしいことであっても、わからないことよりはわかることの方が良いとでもいうように。

昨日もふれた芥川龍之介の『歯車』では、なにもかもが不吉な禍々しいことを指し示す標識であり、何ものかの悪意を示すサインである。その標識を書いたのは自分、悪意を読みこんだのも自分であるというのに。芥川はそれに気がついていたのだろうか。

芥川の不安は、遺書にあるような「ただぼんやりとした不安」という漠然としたものではなかったのだろう。
わたしの好きな作品に「点鬼簿」というものがある。この、死の前年の作品は「僕の母は狂人だった。」という一文から始まる。続いて鬼籍に入った姉、父と三人の身内のことが語られるのだが、若い頃の(といっても芥川の作家活動は二十五歳から三十五歳のたった十年間でしかない)つい披露せずにはおれないような才気、芸術家とはこういうものだ、という自己意識のようなものがすっぽりと抜け落ち、短編小説というのか、エッセイというのか、淡い水彩のデッサンのような作品である。

この「僕の母は狂人だった。」という意識こそ、芥川の不安の根幹をなすものであったのだろう。ちょっとした疲れや体の不調からくる不眠など、ことごとくが自分の狂気の徴候を示すサインと思えたとしても、何ら不思議はない。

だが、やはりそういう事実があったとしても、自分がそうなるかどうかはわからないはずなのである。あらゆる人が、先のことはわからないのと同様、どれほど聡明で感受性が豊かで並はずれた資質を備えていた芥川であっても、先のことはわからないはずだったのだ。だが、その宙づりにされた状態に堪えられず、あたかも何万光年離れている星と星を結んで星座を作り、そこから「占い」を導き出した人々のように、自分の未来を自分で描いてしまった。

だが不思議と「点鬼簿」には「不安」は出てこない。水底には不安が沈殿していたとしても、その上澄みの透明な水を掬ったように。思い出には明るい光が当たっている。
芥川は最後に芭蕉の門人のひとり、内藤丈草の句を引用して、この小文を終わっている。
かげろふや塚より外に住むばかり

この丈草は『枯野抄』にも出てくる。芭蕉の臨終に立ち会った門人たちの最後に登場して「丈草のこの安らかな心持ちは、ひさしく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈していた彼の自由な精神が、その本来の力を以て、ようやく手足を伸ばそうとする、解放の喜びだったのである」と言わせている。あるいはまた、柴田宵曲の『蕉門の人々―俳諧随筆』(岩波文庫)を読むと、ここには芥川の書いた「丈草のこと」という一文が所収されていて、そこでは「蕉門に竜象の多いことは言うを待たない。しかし誰が最も的々と芭蕉の衣鉢を伝えたかと言えば恐らくは内藤丈草であろう」と評価していることがわかる。つまりは丈草というのは、蕉門のなかでだれよりも芥川が近しく思っている人物だったのだろう。

塚、つまり、墓の外にただ住んでいるというだけの自分である。
このときの丈草=芥川の意識の中では、外と内の境界は、かぎりなくはかないものだったのだろう。まるでかげろうのように。
こんな静謐な一瞬があったのはよかったな、と芥川のために思うのである。

菊池寛は芥川龍之介のことをこう評した。
彼の如き高い教養と勝れた趣味と、和漢洋の学問を備えた作家は今後絶無であろう。古き和漢の伝統及び趣味と、欧州の学問趣味とを一身に備えた意味に於いて、過渡期の日本に於ける代表的な作家だろう。我々の次の時代に於いては、和漢の正統な伝統と趣味とが文芸に現れることなどは絶無であろうから」(文藝春秋昭和二年九月 吉田精一「芥川 人と作品」『芥川龍之介研究』日本図書センター)



(※明日から出かけます。日曜日に帰ってきますが、日曜日に更新できるかどうかは不明です。ということで、またつぎにお会いできるときまで

ドッペルゲンガーに出会ったら

2007-08-22 23:27:27 | weblog
ドッペルゲンガーというものがある。
以前、「中島敦と身体のふしぎ」でも引用した南伸坊の『仙人の壺』にも出てくるし、『唐代伝奇集』にもある。エドガー・アラン・ポーにも『ウィリアム・ウィルソン』というのがあるし、怪談でも定番かもしれない。近代日本文学では有名なのが、自分自身がそのドッペルゲンガーを見たことのある芥川龍之介である。

さて、『唐代伝奇集』に出てくるのは「魂の抜け出た話」というタイトルで、わたしの場合、ドリーム・シアターを聴いていくら魂を抜かれても、たいてい曲が終わったら戻ってくるのだが、この場合は五年間も戻ってこない倩娘(せんじょう)という女性の話である。

倩娘は王宙と恋仲である。ところが両親は娘を他の男と婚約させてしまう。宙は怒って旅に出るが、その日の夕方、倩娘がはだしで追いかけてきて、ふたりは駆け落ちすることになる。二人は蜀の国で五年間、一緒に生活し、子供も二人生まれる。そのころ倩娘は故郷にいる両親が恋しくてたまらなくなるので、家族で連れ立って帰ることになる。ところが、一足先に宙が挨拶に向かうと、両親は、娘は病で伏せってからもう五年になるというのに、一体、何ごとを言うか、と怒る。つぎに倩娘が訪ねていくと、それまで伏せっていた娘は起き出して服を着替え迎えに出る。ふたりの娘が会ったら、ぴたりとひとつに重なって、着物までが重なったという。

確か、似たような話が『日本霊異記』にもあったような気がするのだが、これは確かめていないのでなんともいえない。ともかく、この「魂の抜け出た話」は、ドッペルゲンガーと出会って、ふたつの体が融合し、その結果ハッピーエンドになるのだが、たいていのドッペルゲンガーものは、芥川龍之介が『二つの手紙』のなかで「ドッペルゲンゲルの出現は、屡々(しばしば)当事者の死を予告するからでございます」と書いているように、たいてい主人公の「死の前兆」の役割を果たしている。

この『二つの手紙』では、まず語り手が、コンサートに妻と出かける。小用にたって戻ってくると、妻が誰かと一緒にいる。
閣下、私は、その時その男に始めて私自身を認めたのでございます。
 第二の私は、第一の私と同じ羽織を着て居りました。第一の私と同じ袴を穿(は)いて居りました。そうしてまた、第一の私と、同じ姿勢を装って居りました。もしそれがこちらを向いたとしたならば、恐らくその顔もまた、私と同じだった事でございましょう。私はその時の私の心もちを、何と形容していいかわかりません。私の周囲には大ぜいの人間が、しっきりなしに動いて居ります。私の頭の上には多くの電燈が、昼のような光を放って居ります。云わば私の前後左右には、神秘と両立し難い一切の条件が、備っていたとでも申しましょうか。そうして私は実に、そう云う外界の中に、突然この存在以外の存在を、目前に見たのでございます。私の錯愕は、そのために、一層驚くべきものになりました。私の恐怖は、そのために、一層恐るべきものになりました。もし妻がその時眼をあげて、私の方を一瞥しなかったなら、私は恐らく大声をあげて、周囲の注意をこの奇怪な幻影に惹こうとした事でございましょう。
 しかし、妻の視線は、幸にも私の視線と合しました。そうして、それとほとんど同時に、第二の私は丁度硝子に亀裂の入るような早さで、見る間に私の眼界から消え去ってしまいました。

、その衝撃もうすれたころ、今度は自宅に戻ってみると、なんと妻と自分のドッペルゲンガーが自分がその経験を書いた日記を読んでいるのである。
私の立っている閾の上からは、机に向って並んでいる二人の横顔が見えました。窓から来るつめたい光をうけて、その顔は二つとも鋭い明暗を作って居ります。そうして、その顔の前にある、黄いろい絹の笠をかけた電燈が、私の眼にはほとんどまっ黒に映りました。しかも、何と云う皮肉でございましょう。彼等は、私がこの奇怪な現象を記録して置いた、私の日記を読んでいるのでございます。これは机の上に開いてある本の形で、すぐにそれがわかりました。

なんともいえず気味の悪い箇所である。ドッペルゲンガーが、そのことを書いた日記を読んでいる。ここには彼らの禍々しい意志さえ感じられそうだ。

同じ芥川龍之介の『歯車』では、主人公は見ていないが、知人ふたりが彼のドッペルゲンガーを見て、自分の死期が迫ってくるのを知る、という部分がある。『二つの手紙』ではまだ創作という体裁を取っているが、『歯車』となると、創作なのかエッセイなのか、あるいは一種の覚え書きなのか、たえずずれながら、追い立てられるようにして書きつづけている。ともかく芥川はドッペルゲンガーを見たと思い、あるいは、自分のドッペルゲンガーがうろつきまわってそれを見た人間がいると思い、それを怖れ、怯えているのである。

さて、このドッペルゲンガーというのはいったい何なのだろうか。
精神医学的には、自己視、自己像幻視と呼ばれ、また二重身、分身体験などとも言われる。ドッペルゲンガー(Doppelganger ※ a はウムラウト)という言い方は、ドイツの民間伝承に基づくものである。…

…二重身といっても、さまざまの体験があり、それはなんらかの意味で自我意識の異常を示すものであるが、心理的には相当異なる機制によるものと思われる。また精神病理学的に言っても、正常人、神経症、精神分裂病、いずれの場合にも起こり得るし、てんかんや脳腫瘍などの器質的な障害によっても生じるものである。
(河合隼雄『影の現象学』講談社学術文庫)

と、これをまとめれば、見える人には見える、そうしてその理由は定かではない、ということになるのではあるまいか(まとめ過ぎか)。あたりまえのことではあるが、ドッペルゲンガーを見ることが、自分の死期を知ることとは何の関係もないだろう。

フロイトは『無気味なもの』のなかで、老人が入ってきたと思ったら、それが鏡に映った自分自身の姿だったとわかった瞬間、無気味さを感じた、と書いている。本来ならそこにいるはずのない自分がそこにいたから怖かったのか。それとも、自分を外から見る、という体験が怖ろしいのか。あるいは、自分が意識している自分が自分であるという意識が、まったく何の根拠もないもの、幻かもしれないから、恐怖を感じたのか。
そのどれであるにせよ、ドッペルゲンガーの恐怖というのはこのあたりにありそうだ。

『歯車』では、語り手はもはや自分がドッペルゲンガーを見ることはない。その代わり、日常の些細な断片のことごとくに、何ものかの悪意を感じ、死の暗示を見て取っている。そうして右目の瞼の裏に半透明の歯車がいくつも回っているイメージが繰りかえし出てくる。この部分を読んでいると、こちらの頭まで痛くなってくるようだ。死はもはや織り込み済みの未来となった晩年の芥川には、ドッペルゲンガーすらも姿を表さなかったのだろうか。


(強化週間第二弾の今日は「音楽堂」のインデックスを変えて、レビューをふたつ追加しました。ほんとは「歌詞カード」の更新もしたかったのだけれど、そっちまで手が回らなかったんでした)

サイト更新しました

2007-08-21 23:33:18 | weblog
なんと5月に何回か書いていた「空気を読む話」を「読む空気、生まれる空気」としてサイトにアップしました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html
ええと、しばらく強化週間(何の強化だ?)として、これまで溜まった記事を、ガンガン書き直して(笑)、サイトにアップしていきたいと思います。
何か、書きっぱなしで気になってしょうがない記事がいっぱいあるんで、そういうのをなんとかまとめていこうと。
もちろん、「ジョコンダの微笑」もそのうち(笑)。
今週はたぶん金曜日から数日、出かけると思うので、それまでにもう一本仕上げておきたいと思います。
ということで、よろしくよろしく。

不安と「酒虫」

2007-08-19 23:15:34 | weblog
「近年にない暑さである。」
これはわたしの言葉ではない。

いまから91年前、こういう書き出しで中国の伝奇小説をもとに、短篇を書いた人物がいた、とくれば誰だかわかりますね? 中島敦? 中島敦は明治42年(1909)生まれだから、まだ17歳。となると正解は芥川龍之介である。

芥川龍之介は「酒虫(しゅちゅう)」、大正五年(1916)、中国の『聊斎志異』のなかに出てくる「酒虫」をもとに作品を書いた。

『聊斎志異』のほうは多少暑苦しい、というぐらいに留まるが、芥川版は、これでもか、というぐらいである。
 近年にない暑さである。どこを見ても、泥で固めた家々の屋根瓦が、鉛のやうに鈍く日の光を反射して、その下に懸けてある燕の巣さへ、この塩梅では中にゐる雛や卵を、そのまゝ蒸殺してしまふかと思はれる。まして、畑と云ふ畑は、麻でも黍でも、皆、土いきれにぐつたりと頭をさげて、何一つ、青いなりに、萎れてゐないものはない。その畑の上に見える空も、この頃の温気に中(あ)てられたせいか、地上に近い大気は、晴れながら、どんよりと濁つて、その所々に、霰を炮烙で煎つたやうな、形ばかりの雲の峰が、つぶつぶと浮かんでゐる。

確かに今朝の空はこんな感じ、曇っているわけではないのに「晴れながら、どんよりと濁つて」いた。ここに出てくる霰(あられ)というのは、冬に降ってくるみぞれだのあられだのの方ではなく、永谷園のお茶づけ海苔のなかに入っている、あのコロコロしたやつだろう。あれは表面に焼き色がついているので、「炮烙で煎つた」あとの状態が、あのあられにちがいない。つまり、コロコロしたちっぽけな雲が、ぽつり、ぽつりと浮かんでいるわけだ。

その暑さのなかに、太った男が裸になって、炎天下、汗を流しながら寝ころんでいる。熱中症にでもなったらどうするんだ、と言いたいところだが、当時はそういう病名がないので、症状も存在しない。日本に来た外国人が「肩が凝る」という言葉を知って初めて肩が凝るようになるのと同じで、「熱中症」という言葉がなければ熱中症で死ぬ人もいないのである。当時は同じ症状に別の死因が当てられていただけだ。

ともかくその太った男、劉は手足を縛られて横になっている。
それは旅のお坊さんに言われたからだ。酒が好きで、どれだけ飲んでも酔わないのは、「酒虫」が体内にいるからだ、駆除しなくては。

そこで、日に灼かれながら、動かないように手足を縛って、裸で横になる、という「治療」を選択したのである。すぐ近くに素焼きの瓶があり、その中には酒が入っている。酒の匂いが漂ってあまりに苦しい。そこで治療の中止を訴えようとしたところ……。
 すると、その途端である。劉は、何とも知れない塊が、少しづゝ胸から喉へ這ひ上つて来るのを感じ出した。それが或は蚯蚓のやうに、蠕動してゐるかと思ふと、或は守宮のやうに、少しづゝ居ざつてゐるやうでもある。兎に角或柔い物が、柔いなりに、むづりむづりと、食道を上へせり上つて来るのである。さうしてとうとうしまひに、それが、喉仏の下を、無理にすりぬけたと思ふと、今度はいきなり、鰌(どぜう)か何かのやうにぬるりと暗い所をぬけ出して、勢よく外へとんで出た。

こうして見事、「酒虫」を取りだすことに成功する。

それからというもの、劉は酒は一滴も飲めなくなる。それは良かった、と思ったのも束の間、劉の健康は衰え、痩せ、さらには財産も失ってしまう。「酒虫」を体内から取りだしたのに。

『聊斎志異』と芥川の短篇は、大筋同じなのであるが、細かいところでいくつか異なっている。

『聊斎志異』では、このあと劉がお礼をしたいと言っても、お坊さんの方は「金はいらない、その代わりその虫をくれ」と言うのである。実は虫は酒の精で、甕に水を満たし虫を入れてかき回すと、すばらしい酒ができるのだ、という。実際にそうしてみると、確かにすばらしい酒になる、という具合に、虫が何ものかの説明がしてある。

ところが芥川版はそれがない代わりに、どうして劉がそういう状態になったかの考察がでてくる。
 第一の答。酒虫は、劉の福であつて、劉の病ではない。偶、暗愚の蛮僧に遇つた為に、好んで、この天与の福を失ふやうな事になつたのである。

 第二の答。酒虫は、劉の病であつて、劉の福ではない。何故と云へば、一飲一甕を尽すなどと云ふ事は、到底、常人の考へられない所だからである。そこで、もし酒虫を除かなかつたなら、劉は必久しからずして、死んだのに相違ない。して見ると、貧病、迭(かたみ)に至るのも、寧(むしろ)劉にとつては、幸福と云ふべきである。

 第三の答。酒虫は、劉の病でもなければ、劉の福でもない。劉は、昔から酒ばかり飲んでゐた。劉の一生から酒を除けば、後には、何も残らない。して見ると、劉は即(そく)酒虫、酒虫は即劉である。だから、劉が酒虫を去つたのは自ら己を殺したのも同前である。つまり、酒が飲めなくなつた日から、劉は劉にして、劉ではない。劉自身が既になくなつてゐたとしたら、昔日の劉の健康なり家産なりが、失はれたのも、至極、当然な話であらう。

芥川は最後に「これらの答の中で、どれが、最よく、当を得てゐるか、それは自分にもわからない」と白々しいことを言っているが、どれがそのほんとうの理由であると考えているかはあきらかである。すなわち、三番目だ。
つまり、生来持っている資質を捨てると結局は「何も残らない」ことになる、と、この物語に託して言っているわけだ。

さて、芥川はこの「酒虫」をいったい何のメタファーとして使っていたのだろう。それはこの作品を読むだけではよくわからない。劉の性質というか、漠然とした欠点一般を指しているのかもしれない。ただ、わたしはここに「不安」ということを当てはめてみたいのだ。

わたしたちはさまざまな「不安」にとらわれる。
わたしが最初に「不安」にとらわれたのは、小学校の二年の時だった。お風呂に入ろうとして服を脱いでいるときに、ふと、「不安」に呑みこまれてしまったのである。何かの不安、というのなら、それまでにもなんども経験していたのだが、そうではなく、もっとずっと漠然とした不安、何かに焦点化することのできない、「在ることの不安」としか言いようのないものに、すっぽりと呑みこまれてしまったのだ。

昔の人は「心」は「腑」、つまり「胃」に宿ると考えていたのだが、それはわたしもよくわかる。不安が兆すと、てきめんに胃にくる。そのときも、わたしはそれが「不安」であると名づけようもなくて、「お腹が痛い」と訴えたのである。
盲腸ではないか、盲腸だったら痛がりようがちがう、と、父と母がああでもないこうでもないと言っているのを、そうではない、と思いながら、親であってもこれはどうすることもできないのだ、と、絶望的な気分になっていた。

それからわたしの「不安」との長い長いつきあいが始まるが、その過程で気が付いたことがある。「不安」で一番つらいのは、ほかのことが考えられなくなること、文字通りに呑みこまれてしまうことだ。
それでも、あえて「おもしろいこと」「自分の興味のあること」をやってみる。「おもしろいこと」や「楽しめること」ほど効くものはないのである。

そんな気分になれない、と思う。不安の元を取り除かなければ、とも思う。けれどもそうやって、原因をさぐって問題を反芻していっても、結局は不安の環から逃れることはできない。この体内の不安という名の「酒虫」は、どうやっても出ていかないのである。

出ていかないものを、むりやり出そうとすることは、それはもしかしたら「酒虫」を出すことと同じなのかもしれない。わたしたちが「不安」という名前で呼んでいるのは、実はわたしたちそのものなのかも。「おもしろいこと」「興味のあること」が取って代わるのも、実はすべて「不安」も「好奇心」も、同じものの別の現れだからではないのか。
「酒虫」を外に出すと、結局は劉そのものが枯れてしまうように。

日付のある歌詞カード ~"The Dark Eternal Night"

2007-08-19 00:31:27 | weblog
日付のある歌詞カード

Dream Theater "The Dark Eternal Night"(常夜の闇)を聴いて魂を抜かれる


"The Dark Eternal Night"(常夜の闇)

No one dared to
Speak of the terrible danger
The hideous ancient warnings
Forged in the void of night
 怖ろしい危険が迫っているのに
 誰もそれを口にしようとしないでいた
 禍々しい太古の警告が
 夜の虚空の中に響いていく

He is risen up
Out of the blackness
Chaos
The last of the prophets
Sinister
A sickening monstrous sight
 彼は漆黒の闇と混沌から抜けだして
 立ちあがる
 最後の予言者たちは
 邪悪な
 吐き気を催すようなおぞましい光景を目撃する

Through stifling heat
Underneath the pale green moon
 むっとするような熱気のなか
 青白い月の光の下で

I burned with a thirst
To seek things not yet seen
 渇きに灼かれたおれは
 未だ定かではないものを探そうとした

Climbing endless stairs
Leading to the choking room
 つきることのない階段を上り
 息苦しい部屋についた

Eager to explore
His most shocking mysteries
 やつの信じがたい謎を
 探索しようと心は逸る

Drifting beyond all time
Out of a churning sky
Drawn to the beckoning light
Of the dark eternal night
 あらゆる時空をただよい
 逆巻く宇宙を離れ
 吸い寄せられるのは
 常夜の闇がさしまねく光

Black forces
Rage in the vortex
Fighting
Waves of destruction
Swallowing
The echo of the universe
 黒い力
 渦巻く怒り
 戦い
 押し寄せる破壊の波
 宇宙のこだまに
 のみこまれていく

I am the last
Born of the blood of the pharaohs
The ultimate god of a rotting creation
Sent to unleash this curse
 おれは専制君主の血族の
 最後の一人に生まれた
 腐りかけた生き物の究極の神は
 この呪いを解き放つ

Restless crowds draw near
Nameless hooded forms appear
 不安な群集が押し寄せる
 誰ともしれないフードをかぶった姿が現れる

Amidst falling ruins
Grotesque creatures battle
 崩れ落ちる廃墟の中で
 グロテスクな生き物たちが戦う

Shadowed on a screen
Yellow evil faces leer
 スクリーンに浮かぶ影
 黄色い禍々しい顔が流し目を使う

Vacant monuments
Corpses of dead worlds left behind
 無人の記念碑
 死んだ世界の抜け殻が後に残される

Drifting beyond all time
Out of a churning sky
Drawn to the beckoning light
Of the dark eternal night
 あらゆる時空をただよい
 逆巻く宇宙を離れ
 吸い寄せられるのは
 常夜の闇がさしまねく光

Trapped in a hellish dream
Spinning past worlds unseen
And frightfully vanishing
Into the dark eternal night
 怖ろしい夢に閉じこめられて
 見知らぬ過去の世界は渦を巻き
 そうして消えていくのは
 常夜の闇の中

Drifting beyond all time
Out of a churning sky
Drawn to the beckoning light
Of the dark eternal night
 あらゆる時空をただよい
 逆巻く宇宙を離れ
 吸い寄せられるのは
 常夜の闇がさしまねく光

Trapped in a hellish dream
Spinning past worlds unseen
And frightfully vanishing
Into the dark eternal night
 怖ろしい夢に閉じこめられて
 見知らぬ過去の世界は渦を巻き
 そうして消えていくのは
 常夜の闇の中

* * *

Dream Theater のアキレス腱は詞だとわたしは思っている。
まあこれもそれほど悪くはないけれど、それほどいいとも思わない。でも、この曲はすごい。ほんとうに、最初試聴した瞬間にぶっ飛んで、それから何回聴いても、やっぱり魂を抜かれる。

まず第一主題がギターだけで提示され、つぎにギター+ベース+キーードのユニゾン、さらにドラムが加わってリズムをカッチリと提示する。4+1が挟まれるケースもあるが、この主題の基本はダダダッ、ダダダダダダ、ダダダッ、ダダダダダダという4拍子。

つぎに第二主題が主旋律抜きのまま、ギター、ベース、ドラムで提示される。3+3+2が軸(だと思う)のだけれど、さまざまな破格を交えて前進していく。

それから歌が始まる。
例の第一主題はボーカルもユニゾン。ラップのような感じで、ほとんど旋律もなく二連目まで進む。
そのあと、第二主題のメロディが初めて提示される(歌詞でいうと三連目から)。ラブリエさんという人は、基本的にはとてもメロディアスな歌い方をする人なので、この第二主題がそれまでのモノトーンの世界だったのが、はっと色がついた感じがしてくる。

それから第二主題を展開させたような第三主題につながっていく。これがいわゆるサビに当たる部分。歌詞でも七連目の、タイトルにもなった「常夜の闇」が出てきます。

もういちど第一主題、第二主題が多少変化しながら繰りかえされて、さらにサビが出てくる。

さて、そのあと展開部に入っていく。このボーカル抜きの間奏がすごい。折々にさまざまな楽器がメインをとりながら、第二主題、第一主題の順で華麗に変奏されていくのだ。ジャズのインプロビゼイションを思わせるように、それぞれの楽器が主題という束縛を逸脱しながら、放胆きわまりないことをやってのけるのだけれど、あくまでもリズムの土台はこのふたつの主題にある。

そこからまたボーカルを含めた第一主題と第二主題の提示があって、最後、コーダの部分でサビの変奏があって、終わる。
とにかく、おそろしく緻密な構造を持った曲なのである。

この第一主題、単一の音でリズムだけで刻まれるこの部分は、やはりラップを意識しているのかもしれない。
ただ、このリズムは全体のリフではあるのだが、最初から最後まで、同じ性質のリズムが続いていくのではなく、たえず変化していく。土台にシンメトリーな構造を持ちながら、決して機械的に反復していかない。わたしはこれをロックと呼んでしまっていいのだろうか、とさえ思う。ロックというのは(ジャズにしても同じだが)、基本的には単一のリズム、ひとつのリフにメロディが乗っていったものではないのか。こんなふうにリズムが展開していくというのは、まるでベートーベンみたいだ、と思ったのだった。

もちろん、演奏技術とか、全編を貫くものすごい緊張感とか、言っておかなくちゃいけないことはたくさんあるのだろうけれど、とにかくこれはすごいよ(ただ、これがあんまりすごすぎて、ほかの曲のいくつかは物足りなく思えてしまうという欠点はあるけれど)。
書こうと思って聴いていたらやっぱり魂を抜かれるので、こんなに遅くなってしまった。

もう実は自分でも何を書いているのかよくわからないのである。
今朝も五時前に起きていたし。

ありがたいYou Tubeで聴くことができました。
興味のある方はどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=EkF4JD2rO3Q