陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

祖母の話

2007-01-31 22:17:36 | weblog
母の左手の中指の第一関節は奇妙にねじれたあとがある。
母が幼いとき、庭先で脱穀をやっているのを見ているうちに、ふと刃先に手を伸ばしたのだそうだ。あっと思う間もなく、指先が飛んだ。近くにいた母の母、つまりわたしにとっては祖母にあたる人は、それをつかむといそいで元の場所にくっつけ、包帯でぐるぐる巻きにしたらしい。それがあまりに早かったために、元通り、動かせるようになったのだ、と母は主張する。ねじれたのは、その跡だ、と。

人間の指がそんな具合に簡単に修復できるものなのかどうか、わたしにはよくわからない。
それでも母はそう信じている。

母の母は、母が八歳のときにまだ二十代で亡くなった。
小さな子供をふたり残して逝くときは、どれほど心残りだっただろう。ほんとうに、死んでも死にきれない思いであったにちがいない。子供を殺して、とまで思うことさえあったのではないか。

それでも、たとえどれほど苦労を舐め、つらい思いをしたにしても、母は生き延びた。
わたしに対しても、ことあるごとに「お祖母さんにお祈りをしなさい」と言っていた母だから、おそらく自分でも何かにつけ、若くして亡くなった祖母のことを考え、心の支えにしていたのだろうと思う。
そのとき、指先に残るねじれた跡は、自分の指をつなぎとめてくれた記憶のよすがになっていただろう。繰りかえし、それを見ながら思い返すことで、祖母は亡くなったあとも、ずっと母の傍らにいたのだ。

たとえ傍にいることはできなくても。
たとえ、声を聞くことも、姿を見ることもできなくても。
人は、誰かと共に在ることはできるのだ。
ともに過ごした微かな記憶をたぐりよせ、かき集め、繰りかえし、繰りかえし思い返すという在り方で。
そうして、その記憶は、ほかにどれほどの経験を積み重ねたとしても、思い返すたびにその人を暖め、力づけ、心の支えとなっていく。

おそらく祖母はそういう在り方で、母の傍らにいつもいてくれたのだし、そうして、母の話を通じて、わたしの記憶ともなっていっている。

母はよく祖母のことを話してくれた。
歌のうまい人で、良い声でよく歌っていたこと。
大変きれいな人であったこと。
服装にやかましく、特に色の好みにうるさかったこと。
八歳の子供の記憶だから、それは限られたものだったのだろうけれど、わたしにとってはどんな人にも負けないぐらい、リアルな存在でもある。

もうずいぶん前になるけれど、祖母の兄という人に会ったことがある。その人はわたしの顔を見て、額から鼻、眉のあたりの骨相がそっくりだと言っていた。わたしの会ったことのない祖母は、そういう形でわたしの中にも生き続けているのだ。

霊魂などということをわたしはあまり考えても仕方がないと思っている。あると考えたければ考えればいいし、ないと考えたければ、それもまたよかろう、と。どちらにせよ、だれにもわかることではないことを考えても仕方がないように思える。
それでも、命というものは、そういう形で受け継がれていくのだ、と思う。そういうレベルで考えれば、個々の命を超えた大きな命のようなものがあるのかもしれない。

わたしも既に祖母の亡くなった年を追い越してしまった。
それでもわたしは「お祖母さん」と考える。
お祖母さんがいたから、わたしがいたのだと。
わたしのなかにも、お祖母さんは生きているのだ、と。

服装にやかましい人だったらしいから、いまのわたしの格好を見ると、眉をひそめるかもしれないけれど。

あなたのなかの「子供」―描かれた子供たち 5.

2007-01-30 22:11:31 | 
(※レッシング『破壊者ベンの誕生』のつづき)

ベンは赤ん坊のころから異常行動が目立ち、一歳になるとすでに暴力行動が始まっていく。そうして家族とすらコミュニケーションがとれない。
家族の中で唯一、そうしたベンをかばったのが母親だった。ほかの家族たちがベンの異常行動に耐えかねて施設に送り、見殺しにしようとしていたときも、そこから救い出したのは母だった。だがそのために、家族はバラバラになってしまう。
「ベンは、自分がどうしてこんなにみんなとちがうのか、自分で考えたことあるかしら?」
「どうかしらね? 彼が何を考えているのか、とてもわかりやしないわ」
「たぶん、彼はね、どこかに、自分の同類がもっといるはずだと思っているのよ」
「たぶん、そうでしょう」
「それが、女性といったものでなければいいけど!」
「ベンを見ていると、つい考えてしまうの……かつてこの地上に住んでいた、こういう変わった連中が――みんな、どこか、わたしたちの間にいるにちがいない、とね」
「みんなすぐに、ひょっこり出てきますよ! でも、おそらく、彼らが出てきたところで、わたしたちは、まったくそれに気づかないでしょう」ドロシーはいった。
「だって、わたしたち、気づきたくないものね」と、ハリエットがいった。
「わたしも、絶対にいや」
ドリス・レッシング『破壊者ベンの誕生』(上田和夫訳 新潮文庫)


この子は人間ではないのかもしれない、と思いながらもたったひとり、ベンを見守る母ではあるが、ベンは中学生になるころから、いつのまにか同じようなおちこぼれたちとつきあいはじめ、やがてグループのリーダーとなっている。
そのすぐあと、ベンと仲間たちは、数日の間、またもや出たきりだった。彼女は、彼らをテレビの中で見た。ロンドンの北部地区で暴動があった。「騒乱」はすでに予想されていた。彼らは、れんがや、鉄のかたまり、石などを投げている連中のなかには加わっていなかったが、片側に一団となって立ち、含み笑いをしたり、冷やかしたり、声援をおくったりしていた。
 つぎの日に、彼らはもどって来たが、腰を落ちつけてテレビを見ようともしなかった。休む間もなく、また出て行ってしまった。あくる朝、ニュースによると、ある小さな商店に押し込み強盗が入り、店には郵便局のカウンターがあった、約四〇〇ポンドが奪われた。店主はしばられて、さるぐつわをかまされていた。女郵便局員はなぐられ、意識不明だった。

子供がまったくの「他者」としてあらわれたとき、人は怯えるのだ。

かつて「新人類」という言葉があった。あるいはその前に「団塊の世代」という言葉があった。
それまでの世代とはちがう言葉とちがう感覚を持つ子供たちを見た人びとは、そのようなレッテルを貼ろうとする。このレッテルの背後に、わけのわからない感覚を前にしたおびえがあるのではないだろうか。


イーフー・トゥアンは『空間の経験』のなかでこのように言っている。
われわれにとって、過去はどのような意味をもち得るのだろうか。人は様ざまな理由で過去を振り返るが、しかし、すべての人に共通しているのは、自己の感覚とアイデンティティの感覚を得たいという欲求である。その欲求から、人は、たとえば次のように思ったりする。「私は、薄っぺらな現在によって規定されてしまうような人間ではない。今このときに自分の考えを言葉でうまく表せずに悪戦苦闘している人よりも優れた人間なのだ。つまり、私は過去に著作のある著述家でもあって、ほらここに、私のそばに、ハードカバーのその本がある」。……
 われわれは、自己の感覚を強めるためには、過去を救い出して近づきやすいものにする必要がある。
イーフー・トゥアン『空間の経験 身体から都市へ』(山本浩訳 ちくま学芸文庫)

作品の中で、一人称の登場人物が、「いま」の自分を語るために、そのルーツを過去のできごとから取りだして、「いま」とつながる物語として語る。そのとき語られる「子供」は、まぎれもなく「いま」の自分の原型なのだ。

たとえ自分とは何の関係がなくても、無垢な子供を見ていると、そのころの自分を重ねあわせて見ずにはいられない。そうして、自分の失われた無垢に気がつくのだ。

自分との共通項をまったく見いだすことができない、完全な異者としての子供は、ただただ恐ろしくおぞましい。なんとかレッテルを貼って、カテゴリーにおしこめ、理解した気になろうとするが、それさえもできない子供は、遠くで見ているしかない。

人のなかの「子供」は、おそらくその人にとって必要な存在なのだ。だからこそ、おりにふれて思い返し、また見知らぬ子供でもその中に自分との共通項を見いだすことで、また思いだすことが必要なのだ。

長田弘は『記憶のつくり方』のあとがきで、記憶についてこのように書いている。
 記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、自分の現在の土壌となってきたものは、記憶だ。
 記憶という土の中に種子を播いて、季節のなかで手をかけてそだてることができなければ、ことばはなかなか実らない。自分の記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う。
長田弘『記憶のつくり方』(晶文社)

子供は、わたしたちの記憶の姿だ。わたしたちは子供に会いながら、自分のなかの子供、つまり、自分の記憶を、思い返し、取り出し、確かめるのだ。この記憶は、過去のできごとなどでは決してない。いまの自分が生きていく、その伴走者として必要なのだ。

自分の身体に刻まれた、自分の腕をつかむ父の手の記憶。
雨上がりの校庭の、雨と太陽のにおいと土埃のまじるにおいの記憶。
小説で、登場人物が子供に会うことで、いまの自分を確かめるように、わたしたちは子供の姿をした記憶とともに生きている。

(この項おわり)

あなたのなかの「子供」―描かれた子供たち 4.

2007-01-29 22:15:30 | 
4.恐ろしい子供

もちろん子供の中には純真無垢な子供たちばかりではない。恐ろしい子供たちも登場する。

P.D.ジェイムズの『人類の子供たち』の舞台が幕を開くのは、2021年年。この日、地球で誕生した最後の赤ん坊が、誕生してから二十五年後、パブのケンカ騒ぎに巻きこまれて死ぬ。

この世界では、理由は定かではないけれど、人類は生殖能力を失ってしまう。1995年生まれの子供を最後に、子供はただのひとりも生まれなくなってしまったのだ。
この1995年生まれの子供たちはオメガと呼ばれている。彼らほど研究調査し尽くされ、激しい感情の対象になり、大切に甘やかされた年代もいないだろう。彼らはわれわれ人類救済の希望、望みだった。…
今二十五歳の青年になった男子は、強く逞しく、個性的で知的、まるで若い神々のように端正で美しい。同時に残酷で傲慢、粗暴な者が多い・これは世界中のオメガに共通して見られる性質だ。夜間、田舎道を来るまで走り回り、不注意な旅行者を待ち伏せて襲撃する〈隈取り族〉のグループもオメガたちだという噂だ。
P.D.ジェイムズ『人類の子供たち』(青木久恵訳 早川書房)


「人類の子供たち」オメガは、まるで『時計仕掛けのオレンジ』の登場人物たちのように、狼藉を働くものたちもいる。ほかの世代にとっては、理解不能な「子供たち」なのである。

作品に登場するオメガたちは、実際の子供というにはずいぶん薹が立っているが、ドリス・レッシングの『破壊者ベンの誕生』には、こんな奇妙な子供が誕生する。

60年代のイギリスの自由奔放な空気の中で、古風で保守的なディヴィッドとハリエットはアウトサイダーとしてお互いひかれてゆく。そうして、堅実な家庭を築き、つぎつぎと四人の子供を授かる。元気でかわいい子供たち。
ところが五番目に生まれたベンだけは、様子が異なっていた。
彼女はベンに高い高いをしてやった。彼は身をよじり、もがき、あばれ、独特の泣き声をあげたが、それは唸り声とも吠え声ともつかぬもので、そのうち怒りのあまり、彼は――普通のむずかる赤ん坊のように、赤くならないで――黄色がかった白い色に変わっていった。
ドリス・レッシング『破壊者ベンの誕生』(上田和夫訳 新潮文庫)

ベンは成長しても両親や兄や姉と心を通わすこともできない。わずかな言葉しかしゃべらず、読むことも書くこともできない。ところが十一歳になっておちこぼればかりが集まる学校に進んでから様子が変わっていくのだ。

(変なところで終わってしまいましたが、明日はここから最後にいきます)

あなたのなかの「子供」―描かれた子供たち 3.

2007-01-28 22:17:51 | 
3.子供、その無垢なる生き物

昔のミステリやホラー映画には、子供がつぎつぎに恐ろしいことをする、というタイプのものがあった。周囲はだれもがその子を疑いもしていないために、事態は一層進行していく。
これにはまず前提が成立していなければならない。
子供が純真無垢である、という共通認識を、ほかの登場人物も、読者の側も持っていなければならないのだ。

いまのわたしたちは、さまざまな事件やその報道、あるいは電車などで日常的に目にする子供を通じて、子供がかならずしも純真無垢というようなものではないとかんがえている。

それでも、以下に引く『人間失格』のこの場面はどうだろうか。
主人公の大庭葉蔵は最初の心中に失敗したあと、雑誌記者のシヅ子と知り合い、シヅ子が女手ひとつで育てているシゲ子と三人で生活するようになる。ところが安定した生活も長くは続かない。そういう場面である。
 ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢やらをこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩つづけて外泊して、三日目の晩、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会話が聞えます。
「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」
「いいひとは、お酒を飲むの?」
「そうでもないけど、……」
「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」
「おきらいかも知れない。ほら、ほら、箱から飛び出した」
「セッカチピンチャンみたいね」
「そうねえ」
 シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が聞えました。
 自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。
(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)
 自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。

ここで主人公がシヅ子シゲ子の母子から離れようとするのは、シゲ子の純真無垢なありようにふれたためとも言える。純真無垢な子供のする無邪気な問いは、主人公の胸を刺す。

ジョン・アップダイクの『走れウサギ』にも、無垢な子供は登場する。
主人公のウサギことハリー・アングストロームは、高校を卒業して皮むき器の宣伝販売をしながら、二人目を妊娠中の妻と子と暮らしていた。自堕落な妻のためにごみためのようになった家を、不意に飛び出してしまうのだが、そのあいだにふたりめの子供が生まれる。その赤ん坊をウサギは病院へ見に行く。
一列に並んでいる赤ん坊部屋で、看護婦が彼の娘をのぞき窓までつれてきたとき、不意をつかれて、ちょうど胸を湿った布でなでられたみたいだった。突然凍りつくような隙間風が、彼の呼気を凍らせてしまう。誰でも生まれたばかりの赤ん坊は醜いと必ず言うものだが、おそらく、この気持がそういった驚きの理由になっているのだろう。看護婦は、赤ん坊の横顔が、ボタンのついた白衣の胸のところでひどく赤く見えるように、抱いていた。鼻孔のまわりには皺が小さくついていて、信じがたいほどそれが精密に見える。閉じられた瞼が小さな縫い目のない合わせ目になって斜めに長くのびている。この目が開くと、大きい、すべてを見とおす目になるんだろう。薄膜のふくらみの背後には、この世でまれなほど貴重で透明な液体がかくされているようだ。静かな瞼の裏には圧力がみなぎっていて、突き出た上唇は傾いているが、彼はそのなかに愛嬌のある軽蔑の色を読みとる。この子は自分の正しいことを知っている。…
ウサギは見るという行為そのものにびくびくしながら、ガラス越しに見おろしている。まるで、粗雑に見ることはこの美しい生命の微妙な機械を破壊してしまうように思える。
ジョン・アップダイク『走れウサギ』(宮本陽吉訳 白水Uブックス)

子供そのものが無垢なわけではない。彼らは、ただ、そこにいるだけだ。そうではなく、子供や赤ん坊は、彼らを見る側に、その小さな生き物が「無垢」である、という気持を呼び起こすのだ。

なぜ子供や赤ん坊を前にする人は、彼らを「無垢」と感じてしまうのだろう?
それは、自分のうちにかつてはあり、そうして日々を生き、さまざまな出来事を経験するうちに失ってしまったなにものかに気がついてしまうのではないだろうか。
「無垢」がどこかにあるわけではない。自分のうちのなかに見つけるのだ。「かつてそこにあったもの」として。
だからこそ、畏怖を感じたり、痛みを覚えたりするのだろう。

(この項つづく)

あなたのなかの「子供」―描かれた子供たち 2.

2007-01-27 23:05:51 | 
2.出会った子供

日常でもわたしたちはさまざまな場面で子供に出会っている。それでも、電車の中でやかましかったり暴れたりしない限りは、多くの場合、子供の存在が意識に上る以前に行き過ぎてしまう。
騒いだり暴れたりするなど、よくよくのケースをのぞけば、そこにいても気がつくこともない。

ところが子供と一緒に歩いてみれば、子供は、いち早くよその子供に目を留めているのに気がつく。意識して、ちらちら見合い、行き過ぎても振り返ってみている。

どうしてわたしたちは子供に気がつかないのだろう。

こんな経験はないだろうか。
犬を新しく飼うようになって、散歩につれて行く。
それまで見慣れた景色がまったくちがって見えるし、世の中にはこんなに大勢の人が犬を飼っていたとは夢にも思わなかった。
つまり、こんなふうに、わたしたちは半ば無意識のうちに、自分に関係あるもの-関係のないもの、というフィルターを通して外界を見ている。関係ないものは、意識がすくいあげないのだ。

となると、どうやらわたしたちは多くの場合、「子供」は関係がないものになってしまったらしい。

それでも、散歩をしていたら、途中で子供に出くわすこともある。

川端康成の『掌の小説』のなかにある「バッタと鈴虫」もそんな話である。
主人公が夕刻、散歩をしていると、子供たちがバッタ取りをしている。

そんななか、語り手の注意を引いたのは、ひとりの男の子だ。
その子は皆から少し離れてバッタを捕っている。

やがて彼は「バッタ欲しい者いないか!」と言う。みんなが集まっても、なおのことその言葉を繰りかえしたわけは、彼にはほんとうは目指す相手がいたからだ。そうして、そこでバッタではなく、ひそかに隠し持っていた鈴虫を、「バッタだよ」と念を押しながら、目指す女の子に渡す。
そうか! と私は男の子がちょっと憎くなると共に、始めてこの時男の子のさっきからの所作が読めた我が愚しさを嘆いたのである。更に、あっ! と私は驚いた。見給え! 女の子の胸を、これは虫をやった男の子も虫をもらった女の子も二人を眺めている子供達も気がつかないことである。
 けれども、女の子の胸の上に映っている緑色の微かな光は「不二夫」とはっきり読めるではないか。
川端康成『バッタと鈴虫』『掌の小説』(新潮文庫)

暗闇の中、提灯に書いた名前が相手の胸に映る。幻想的な光景であるが、当の子どもたちは気がつかない。気がつくのは、大人である主人公だけである。

ここでは、大人である主人公は、自分がアウトサイダーであること、子供たちの世界の外側にいる存在であることを知っている。だからこそ、彼らには気がつかないものが見える。

もし、主人公が子供の世界のなかにいたら、この幻想的な光景もそれと知ることはできない。一緒になって驚いたり、喜んだり、口惜しがったりするはずだ。
ここではすでに子供の世界にはいない、大人の目がある。

すでに自分はその世界にいないがゆえに、日常では気がつくこともない。
そうして、気がつくときは、その世界は一種のファンタジー、幻想的であり、夢のようでもある「お話」の世界なのである。

(この項つづく)

あなたのなかの「子供」―描かれた子供たち

2007-01-26 22:41:08 | 
「ミリアム」を訳しながら考えたのは、ミリアムがミセス・ミラーの分身であるとしたら、なぜ少女の姿をしてあらわれたのだろう、ということだった。

同じ過去のミセス・ミラーであるにしても、たとえば二十代、結婚する以前のミセス・ミラーであってもいい。
けれどもそうなればおそらく話はまったくちがうものになっていただろう。

文学にはさまざまな「子供」が描かれる。
なぜ、子供なのだろう。
子供はどんな役割をその作品のなかで果たしているのだろう。
そのことを考えてみたい。

1.一人称の子供

作品の中には、大人になった自分が、子供のころを振り返る、という種類のものがある。それが作者の自伝的な性格のものであれ、まったくのフィクションであれ、「大人になった自分」が現在の位置から「かつての自分」をふりかえっているものにはちがいはない。

たとえば『坊っちゃん』がそうだ。
 親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。


大人になった「坊っちゃん」は子供時代を振り返り、いろんなエピソードをあげていく。
・二階から飛び降りたこと。
・ナイフで自分の親指を切ってみせたこと。
・勘太郎とケンカをして、相手をおそらく失神させてしまったこと。
・ニンジン畑で相撲をとったこと。
・田圃の井戸の水を止めてしまったこと。

いくつものエピソードはすべて、「坊っちゃん」が、自分がいかに無鉄砲なやんちゃ坊主であったかの傍証となるものである。
つまり、大人になった「坊っちゃん」は、いまの自分のルーツを、その無鉄砲なやんちゃ坊主に求め、そこから自分を語ろうとしているのだ。

太宰治の『人間失格』の語り手大庭葉蔵も、「坊っちゃん」とまったく同じことをする。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
 また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
 自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

「人間の生活というものが、見当つかない」大庭葉蔵は、「実用」ということが理解できず、現実の世界を一種のファンタジーの世界に生きていたということを説明するために、やはり、さまざまなエピソードをあげていく。「人間の営みというものが未だに何もわかっていない」いまの自分のルーツを、そこに求めているのである。

人は数知れないほどの自分の過去の出来事のなかから、現在の自分が「あること」を語るために、始め-なか-終わりを持つ物語として取り出す。その物語の主人公が、「子供の自分」である。
けれども、それはあるがままの子供ではない。「現在の自分」によって編集作用をほどこされた子供である。
言い換えればそれは、「現在の自分」に意味を与える存在としての「子供のかたちをした自分」なのである。

(この項つづく)

(※母は週明けに退院することになりました。ほんとうにホッとしました。気にかけてくださった方、どうもありがとうございました。「家」はそのうち書き足して、まとめたのをアップするようにします)

ミラーサイトを作ったこと、及び給食費の問題について少々

2007-01-25 22:37:32 | weblog
ミラーサイト、作りました。
年末から異様に重い状態が続いていたのだけれど、サーバーのほうでメンテナンスをしてくださったようで、状態はずいぶん回復していました。
それでも、またそんなことがあったらイヤなので、別宅を作ってみました。

http://www.freewebs.com/walkinon/

トップページがちがうのと、あと、総索引があると便利、ということで、作ってくださった方がいたので、ありがたく使わせていただきます(どうもありがとうございました)。

またそちらもお暇なとき、のぞいてみてくださいね。
そのうち総索引、親サイトのほうにも作っておきましょう。

さて、ふだんあまりニュースのことは書かないのですが、ちょっと思ったことなど。

「給食費滞納、全児童生徒の1% 総額22億円」というニュースです。

わたしにはほんとうに滞納者の60%が、経済的な問題ではないのかどうなのかよくわからないし、滞納者がどういった人なのかもわからない。そんなところで何かを言ってよいものだろうか、とも思うのですが、ひとつ思うのは、「学校」というものが、ずいぶん軽いものになっているのだろうな、ということです。

親の世代も給食を食べて大きくなった世代です。
そうして、自分のことを振り返っても、決してその給食はおいしいものではなかったし、給食がありがたいとも思った経験もない。
その給食に対するありがたみのなさが、不払いの根本にあるのではないか。
そうして、戦後の教育を受けて育ったわたしたちの多くは、公教育というものを、それほどありがたいものとはとらえていないのではないか、とも思うのです。

教育、つまり、何かを教わり、技術を身につける、ということは、本来少なからぬ額のお金がかかることです。実際、おとなになって英会話でも、パソコンでも、ピアノでも、習いに行こうと思えば、ほんの週に一時間でも相当な費用がかかることはわたしたちはよく知っています。ところが義務教育に関しては、水道をひねったら水が出てくるのはあたりまえ(もちろん水道料金を払ってはいるわけですが)、ぐらいにしか思っていないのではないか。

本来なら、同じようにスキルを身につけた先生が教えているわけです。コストという面では同じようにかかっているはずだ。それがかからない、というのは、あたりまえですが公的資金が投入されているからです。

もちろん、その公的資金はわたしたちの税金ですから、わたしたちが負担していることにはちがいない。
ところが、あたりまえのように義務教育を受けてきたわたしたちは、どこか、そういうことがブラックボックスに入ってしまっているのではないか。

わたしは、生きることは学ぶことだと思っています。
そうして、この「学ぶ」ということは、自分のできないことを知り、そのできなさをひとつひとつ埋めていく作業だと思っています。
これは時間がかかることだし、楽なことではない。
そうしてまた、学んだことが具体的にどういう形で返ってくるか、よくわからないことのほうが多いかもしれません。

けれど、たとえばタイコを叩くとき、三連符がきちっと同じ長さで一拍のうちにおさまるように叩けたときのよろこび、そうしてそれを続けて、何度も何度も叩けたときの達成感、それはたとえそれが具体的に何をもたらさなくても、その人の生きる喜びにつながっていくのだと思います。

学ぶ、ということは、よし、やろう、という決心だけでできることではありません。
もちろん身につけるというプロセスでは、たったひとり、やっていくしかない要素も少なからずあります。
同時に、ひとりきりでは決してできない部分もまた、あるのです。

おとなになって、忘れてしまったかもしれない。
学校といって思いだすのは、まずかった給食とか、ちっともわからなくても座っていなければならなかった授業時間の苦痛だとか、そんなことばかりかもしれない。

それでも、わたしたちはそこで、おそろしくたくさんのことを学んだ。
たとえば二重跳びができたとき。たとえば、面積の求め方を覚えたとき。画数の多い漢字が書けるようになったとき。そのときの達成感は、深いところでいまもわたしたちを支えているのではないか。

わたしも、いまの学校教育がそのままでいい、とは思っていません。
それでも、学校という場は絶対に必要だし、支えていかなくちゃいけないと思っています。

サイト更新しました

2007-01-24 22:25:25 | weblog
先日までここで連載していた「ミリアム」、推敲したのちサイトにアップしました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

更新情報はまだ書いていないので、上から二番目のLatest Issueのところから入ってください。更新情報は明日書きます。
ふう、今日は疲れました。

それにしても、『ミリアム』は怖いですよね? 緩急のつけかたはホラー映画ではおなじみなんだけど、カポーティの場合は、天性のリズム感みたいなものを持っていた感じがします。
楽しんでいただけたら、わたしもとてもうれしいです。

ということで、それじゃ。
また明日の夜にでも、更新情報は見てみてくださいね。

悪口の話 リターンズ

2007-01-23 22:36:05 | weblog
いま『ミリアム』の翻訳の推敲をやりながら、トルーマン・カポーティについて以前読んだものをいくつか読み返しているのだけれど、カポーティというのは、彼自身が非常にカラフルな人物で、その作品を読むのとは別の意味で、ジョージ・プリンプトンのオーラル・バイオグラフィ(いろんな人が彼について話すことで、その人物を浮かびあがらせる特殊な手法)であり『トルーマン・カポーティ』にしても、カポーティのインタビューが中心のローレンス・グローベル『カポーティとの対話』も、実におもしろい。

見たい見たいと思っているうちに見損ねてしまった映画「カポーティ」も、おそらくおもしろいのではないかと思う、というか、カポーティを描いて、おもしろくないものになるはずがない、と思ってしまう。

ところで、そのカポーティ、実にたいした悪口の名手なのだ。
メリル・ストリープを好きではない、と言って、その理由を聞かれて、
うーん、彼女はニワトリに似ているだろう。彼女の鼻も口もニワトリそっくりだ。私にいわせれば彼女は才能のかけらもない。
ローレンス・グローベル『カポーティとの対話』川本三郎訳 文藝春秋社
と答える。
あるいは、ローリング・ストーンズのツアーに同行したときのことについては、こんな具合だ。
――ミック・ジャガーについてはどういう意見をお持ちですか?

 ミックは退屈な男だ。彼らはみんな退屈だと思う。私はローリング・ストーンズを演奏者として重視したことなんか一度もない。君も私のように何回もミックの舞台を見れば、彼のことを演奏者として考えなくなるよ。ただまあ、彼にはすごいエネルギーがあり、同じことを何度も性格に繰り返せるというのは非凡といえるかもしれないが。まったく彼らのコンサートはどれもみんな同じだ。すべてはまったく同じだ。あらゆるビート、あらゆる歌詞、あらゆる動き、みんな同じだ。彼らには即興性というものがまったく欠けている。彼ら自身は即興性、自然らしさをよそおってはいるが。そのために彼らのステージは退屈だ。しかし彼はビジネスマンという点では実に鋭く、賢いと思う。ステージに現われるや、彼はポケットから計算機を出しているのさ。彼はふつうの人間と同じように糞真面目な男だ。

カポーティの悪口は、思いもかけなかった見方を提示する。いったんメリル・ストリープがニワトリそっくり、というのを聞いてしまうと、メリル・ストリープを見るたびにそれを思いだしてしまう。ミック・ジャガーがあのタイトなジーンズのヒップポケットから計算機を取り出して、指先でポチポチ押しているところが目に浮かんでくる。
カポーティの悪口というのは、批評眼に裏打ちされた、一種の創造的な行為なのだろう。

もうひとつ、この悪口がおもしろいのは、カポーティはあくまで意地悪な人間として、それを言っている点だ。悪口を言う自分が、善い人間に思われたいなどと夢にも考えていないところだ。
たまに悪口をいうことで、誰かを貶めながら間接的に自己弁護や、自慢話をするような人に行きあうことがある(わたしはそんなことをしていなければよいのだけれど……)。
そんな悪口は楽しくないどころか、見苦しい。

あるいは、あの人はちがう、と線を引いて悪口の対象を排除して、自分たちの結束を強めるような悪口ともちがう。
インタビューということもあるのだろうけれど、この悪口には保身とか、自己弁護の要素がまったくない。
つまり、そういう意味でこれは一種の批評、自分の目の確かさを担保にした、口の悪い批評なのだろう。

カポーティはこの本のなかで、実に多くの作家や映画スターやミュージシャンをこきおろし、それよりはいくぶん少ない少数の人々を好きだ、すぐれた作家だ、偉大な芸術家だ、と称揚している。カポーティの意見には異を唱えたい部分もあるけれど、多くの点でおもしろいだけでなく、わたしは十代の頃、自分の見方を作り上げていくうえで、ずいぶん参考にしていたのだと、いまになってよくわかる。アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』やグレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』を知ったのも、このカポーティの手引きがあったからだ。

つまりは、おもしろい悪口、創造的な悪口というのは、決して簡単なことではない、むずかしい、上級者向けの技、ということになる。

できればいつか、そんなきらめくような悪口が言ってみたい。
どうもいまは、子供が「おまえのかーさん、デーベーソー」とわめくぐらいの悪口しか言えていないような気がするのである。
それはわたしの性格が温厚でひかえめだから、ではないだろう。


たぶん、明日には『ミリアム』もアップできると思います。

待っている日々

2007-01-22 22:36:46 | weblog
待ち合わせでも、駅で電車を待っているときでも、信号待ちでも、待つのが好き、という人は、あまりいないだろう。
わたしは初めて見たとき笑ってしまったのだが、JR大阪駅前の横断歩道には、信号機の横に「信号が変わるまであと何秒」という表示が浮かびあがる小さな電光掲示板があるのだ。
歩行者たちは、信号機ではなくそちらを見て、あと十秒、あと九秒……と、固唾を飲んで、いまかいまかと待ち受けているのだろうか。なかなかすさまじい光景であるようにも思う。

それでも、わたしたちの身の回りでは、「××日公開」とか、「××日発売」とかいう文句があふれているし、スケジュール帳だって予定が埋まっているほうが、なんとなく充実した毎日を送っているように思えてしまう。
そういうことを思うと、やはりわたしたちは先のことを待ちながら、日々を送っているのだろう。

ただ、そういう予定から、逆に、「いま」という時間が拘束されてしまう側面も、やはりあるように思う。

わたしの場合、来週遠足がある、○日後に発表会がある、××がある、と、楽しみにしているものが近づいて、いよいよ具体的に迫ってくると、それがどんなに楽しみにしていることであっても、なんとなくいらいらしてしまう感じを、かなり幼い頃から意識していた。

というのも、大きな予定が具体的に迫ってくると、どうしてもそのことが意識の中心を占めてしまう。
気持ちはどんどんそちらに向いてしまって、自分が実際に何をやっていようが、何を見ていようが、聞いていようが、どうしても集中できない。ふだんなら楽しいはずのことでさえ、楽しみに待っていることとくらべると、「いまやっていること」が相対的に、軽いもの、どうでもいいもの、一種の「待っている間の時間つぶし」になってしまう。つまりはその感じがきらいだったのだ。

何かを待つあいだというのは、沿道でパレードを見ることと似ているような気がする。

昔、ディズニーランドでパレードを見たときのこと。ちょうどフロートが途切れて、向かいの沿道の人々の姿がよく見渡せた。向かいの人たちは、それからそれに気がついて、自分の周囲を見渡しても、観客はみんな、正面ではなく、パレードがやってくる方角に首を曲げて、一心にそちらを見ていたのだった。
そうして、そのフロートが近づいて来るにつれて、視線を移していくのではなく、ずっと同じ方向に目をやったままだ。
つまり、自分の目の前をゆくフロートではなく、やがてくるフロートを、首を伸ばして見続けているのだ。
みんなが目の前ではなく、一斉に同じ方向を見ているのはおかしくもあり、印象に残った。

自分の目の前を通ってゆくフロートや人は、近い。手を伸ばせば、届く位置だ。けれどもそれは一瞬で通り過ぎてしまう。通り過ぎてしまったら、あとはもう見送ることしかできない。
だからみんな、首を伸ばして、つぎに来るもの、つぎに来る人を待ち受けているのだろう。

ただ、わたしたちはパレードを見るばかりではない。日々の生活は、パレードを見ることとはちがっている。
けれど、うっかりすると、「何か楽しいこと」を待っているだけの日の過ごし方をやってしまうのではないか、と思ってしまう。
「来るべき何か」を楽しみに待つのは楽しいことだけれど、待つだけで、その日その日を満たしてしまうことは、結局、何もしない、無為の日々を重ねることになってしまうのではないか、と思うのだ。

信号待ちでも、電車を待つのでも、待ち合わせの人を待つのでも、待っているあいだイライラしてしまうのは、そのあいだの時間を、自分が支配できないからだ。逆に、自分が「待つ」ことに支配されてしまうからだ。

ところが将来の楽しいことを待っているときでも、実は同じなのだ。楽しみにしているから、そのあいだの時間を自分が「待つ」ことに支配されているのにも気がつかない。

もうひとつ言ってしまうと、将来のことを不安に思って、その不安から、いまなにごとも手に着かない、という状態も、まったく同じ構造だ。
どれも「待つ」ことに、いまの自分が支配されてしまっている。

以前、リリアン・ヘルマンのところでも引用したのだけれど、ヘルマンの戯曲『秋の園』のなかには、こんな一節がある。
 だから、どのような時にせよ、その時は君がそれまで生きてきた集大成なんだ。それを支える小さな時の積み重ねなくして重大な時に到達することは出来ない。決断のための重大な時、人生の転換期、過去のあやまちをにわかに拭い去ろうと待ちかまえている日、今までしたこともない仕事をしたり、考えたこともないやり方を思いついたり、持ったこともないものを持ったりする――その日はいきなりやってきはしない。それを待っている間に君は自分を鍛えておいたんだ。そうでなければ君は君自身をつまらぬことに使い果たしてしまったんだ。僕がそうだったんだ、グロスマン。
(ピーター・フィーブルマン『リリアン・ヘルマンの思い出』より)


これは、自分自身は書かなくなって何年にもなるダシール・ハメットが、ヘルマンに、こんな男の話を書いてみろ、とアドバイスした。それを受けてヘルマンは戯曲を書き始めたのだけれど、どうやっても男の主人公はうまく動かせなくない、というヘルマンに、ハメットは、しばらく散歩にでも出かけているように、と言う。ヘルマンが戻ってみると、このせりふが書いてあった、というエピソードを、ヘルマン自身が書き残している。

生きる、ということは、本質的に、未来に向かって生きるということだ。
だから、わたしたちは、先のことを考えずにはいられないし、将来のかくあるべき自分を思い描いて、さまざまな計画をたてたりする。そうして、さまざまなことを待つ。
待つ、というのは、おそらくわたしたちにとって、本質的なことなのだと思う。

けれども、「いま」は「何かを待つあいだの時間つぶし」ではない。
すぐれた短編小説が、切り取った一瞬のなかに、登場人物のすべて、過去も未来も浮かびあがらせるように、わたしたちの「どのような時にせよ、その時は君がそれまで生きてきた集大成」に変わりはないのだろう。

あなたの今日は、どんな一日でしたか?