母の左手の中指の第一関節は奇妙にねじれたあとがある。
母が幼いとき、庭先で脱穀をやっているのを見ているうちに、ふと刃先に手を伸ばしたのだそうだ。あっと思う間もなく、指先が飛んだ。近くにいた母の母、つまりわたしにとっては祖母にあたる人は、それをつかむといそいで元の場所にくっつけ、包帯でぐるぐる巻きにしたらしい。それがあまりに早かったために、元通り、動かせるようになったのだ、と母は主張する。ねじれたのは、その跡だ、と。
人間の指がそんな具合に簡単に修復できるものなのかどうか、わたしにはよくわからない。
それでも母はそう信じている。
母の母は、母が八歳のときにまだ二十代で亡くなった。
小さな子供をふたり残して逝くときは、どれほど心残りだっただろう。ほんとうに、死んでも死にきれない思いであったにちがいない。子供を殺して、とまで思うことさえあったのではないか。
それでも、たとえどれほど苦労を舐め、つらい思いをしたにしても、母は生き延びた。
わたしに対しても、ことあるごとに「お祖母さんにお祈りをしなさい」と言っていた母だから、おそらく自分でも何かにつけ、若くして亡くなった祖母のことを考え、心の支えにしていたのだろうと思う。
そのとき、指先に残るねじれた跡は、自分の指をつなぎとめてくれた記憶のよすがになっていただろう。繰りかえし、それを見ながら思い返すことで、祖母は亡くなったあとも、ずっと母の傍らにいたのだ。
たとえ傍にいることはできなくても。
たとえ、声を聞くことも、姿を見ることもできなくても。
人は、誰かと共に在ることはできるのだ。
ともに過ごした微かな記憶をたぐりよせ、かき集め、繰りかえし、繰りかえし思い返すという在り方で。
そうして、その記憶は、ほかにどれほどの経験を積み重ねたとしても、思い返すたびにその人を暖め、力づけ、心の支えとなっていく。
おそらく祖母はそういう在り方で、母の傍らにいつもいてくれたのだし、そうして、母の話を通じて、わたしの記憶ともなっていっている。
母はよく祖母のことを話してくれた。
歌のうまい人で、良い声でよく歌っていたこと。
大変きれいな人であったこと。
服装にやかましく、特に色の好みにうるさかったこと。
八歳の子供の記憶だから、それは限られたものだったのだろうけれど、わたしにとってはどんな人にも負けないぐらい、リアルな存在でもある。
もうずいぶん前になるけれど、祖母の兄という人に会ったことがある。その人はわたしの顔を見て、額から鼻、眉のあたりの骨相がそっくりだと言っていた。わたしの会ったことのない祖母は、そういう形でわたしの中にも生き続けているのだ。
霊魂などということをわたしはあまり考えても仕方がないと思っている。あると考えたければ考えればいいし、ないと考えたければ、それもまたよかろう、と。どちらにせよ、だれにもわかることではないことを考えても仕方がないように思える。
それでも、命というものは、そういう形で受け継がれていくのだ、と思う。そういうレベルで考えれば、個々の命を超えた大きな命のようなものがあるのかもしれない。
わたしも既に祖母の亡くなった年を追い越してしまった。
それでもわたしは「お祖母さん」と考える。
お祖母さんがいたから、わたしがいたのだと。
わたしのなかにも、お祖母さんは生きているのだ、と。
服装にやかましい人だったらしいから、いまのわたしの格好を見ると、眉をひそめるかもしれないけれど。
母が幼いとき、庭先で脱穀をやっているのを見ているうちに、ふと刃先に手を伸ばしたのだそうだ。あっと思う間もなく、指先が飛んだ。近くにいた母の母、つまりわたしにとっては祖母にあたる人は、それをつかむといそいで元の場所にくっつけ、包帯でぐるぐる巻きにしたらしい。それがあまりに早かったために、元通り、動かせるようになったのだ、と母は主張する。ねじれたのは、その跡だ、と。
人間の指がそんな具合に簡単に修復できるものなのかどうか、わたしにはよくわからない。
それでも母はそう信じている。
母の母は、母が八歳のときにまだ二十代で亡くなった。
小さな子供をふたり残して逝くときは、どれほど心残りだっただろう。ほんとうに、死んでも死にきれない思いであったにちがいない。子供を殺して、とまで思うことさえあったのではないか。
それでも、たとえどれほど苦労を舐め、つらい思いをしたにしても、母は生き延びた。
わたしに対しても、ことあるごとに「お祖母さんにお祈りをしなさい」と言っていた母だから、おそらく自分でも何かにつけ、若くして亡くなった祖母のことを考え、心の支えにしていたのだろうと思う。
そのとき、指先に残るねじれた跡は、自分の指をつなぎとめてくれた記憶のよすがになっていただろう。繰りかえし、それを見ながら思い返すことで、祖母は亡くなったあとも、ずっと母の傍らにいたのだ。
たとえ傍にいることはできなくても。
たとえ、声を聞くことも、姿を見ることもできなくても。
人は、誰かと共に在ることはできるのだ。
ともに過ごした微かな記憶をたぐりよせ、かき集め、繰りかえし、繰りかえし思い返すという在り方で。
そうして、その記憶は、ほかにどれほどの経験を積み重ねたとしても、思い返すたびにその人を暖め、力づけ、心の支えとなっていく。
おそらく祖母はそういう在り方で、母の傍らにいつもいてくれたのだし、そうして、母の話を通じて、わたしの記憶ともなっていっている。
母はよく祖母のことを話してくれた。
歌のうまい人で、良い声でよく歌っていたこと。
大変きれいな人であったこと。
服装にやかましく、特に色の好みにうるさかったこと。
八歳の子供の記憶だから、それは限られたものだったのだろうけれど、わたしにとってはどんな人にも負けないぐらい、リアルな存在でもある。
もうずいぶん前になるけれど、祖母の兄という人に会ったことがある。その人はわたしの顔を見て、額から鼻、眉のあたりの骨相がそっくりだと言っていた。わたしの会ったことのない祖母は、そういう形でわたしの中にも生き続けているのだ。
霊魂などということをわたしはあまり考えても仕方がないと思っている。あると考えたければ考えればいいし、ないと考えたければ、それもまたよかろう、と。どちらにせよ、だれにもわかることではないことを考えても仕方がないように思える。
それでも、命というものは、そういう形で受け継がれていくのだ、と思う。そういうレベルで考えれば、個々の命を超えた大きな命のようなものがあるのかもしれない。
わたしも既に祖母の亡くなった年を追い越してしまった。
それでもわたしは「お祖母さん」と考える。
お祖母さんがいたから、わたしがいたのだと。
わたしのなかにも、お祖母さんは生きているのだ、と。
服装にやかましい人だったらしいから、いまのわたしの格好を見ると、眉をひそめるかもしれないけれど。