陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

大きな魚、小さな魚(※告知の補足)

2010-07-31 07:35:37 | weblog
英語の慣用句に

"Big Fish in Small Pond or Small Fish in Big Pond"

というものがある。直訳すれば、「小さな池の大きな魚か、大きな池の小さな魚か」ということで、日本語の(というか出典は『史記』なのだが)「鶏口となるも牛後となるなかれ」に当たる。

アメリカでは「あなたは小さな池の大きな魚になりたいか、それとも大きな池の小さな魚でいたいか?」という問いは、大変ポピュラーなものである。一昔前のファミリー物のシチュエーションコメディにも、ワンクールにかならず一回は、そのことがテーマとなっていた。お父さんやお母さんが職場でヘッドハンティングされる。あるいは、友だちが起こした新しい会社に誘われる。そこで「小さな池の大きな魚か……」といって悩むのである。

実際、わたしもそんなふうなことをアメリカ人から聞かれたことがある。
「学内のチアリーダーたちのグループにちょっと無理して入って、その中で一番パッとしない子でいるのと、さえない女の子たちのグループのなかで一番ステキな子になるのと、どっちがいい?」という質問だった。

確かにハイスクールでチアリーダーは花形だけれど、バスケットやフットボールの試合の前に出てきては、短いスカートをはいて、足を上げて踊ったり跳ねたりする自分がどうやってもイメージできなかったわたしは、「チアリーダーはいやだなあ」と言ったような記憶がある。質問の意に添った答えではなかったのだが、聞いた方は勝手に解釈したようで、「ほんと、そうよね」とうなずいていたのがおかしかった。

アメリカでこの質問をされるとき、肯定的にとらえられているのはあくまでも「小さな池の大きな魚」の方である。トップをねらえ、安定よりも挑戦を、という価値観が根底にあるのだ。

一方、日本では、「鶏口となるも牛後となるなかれ」という慣用句もあるにはあるのだが、あまり「鶏口か牛後か」という悩み方はしないように思うのだ。例外は、ベンチャー企業を立ち上げようとする人たちぐらいで、ほとんどの場合は悩むまでもなく、働くなら「大きな池」、干上がる心配のない、波の立たない、立派で安定した大きな池を選ぼうとするのではあるまいか。

だが、世の中は「大きな池」と「小さな池」しかないわけではない。チアリーダーのグループと、さえない女の子のグループしか現実にはいないわけではないし、おまけに所属グループを選択するときの基準は「派手か、さえないか」だけではない。

たとえばある楽器を演奏する人が、「すごくうまいバンドに入れてもらってその中での一番ヘタなやつになるのと、ヘッタクソなバンドの花形プレイヤーになるのと、どっちがいい?」と聞かれたとする。このとき、その人がいったい何の楽器をやるのかによって答えは変わってくるだろう。目立ちたがりの多いギタリストやドラマー(あくまでもわたしの偏見です)はへっぽこバンドの花形プレーヤーの道を選んで、自分の華麗なパフォーマンスでバンドの人気が出れば、へたくそなボーカルの首をすげかえることを目論むような気がするし、ベーシストであれば、最初はうまいバンドで怒られながらベン、ベン、と弾いていても、陰で血豆を作りながら練習して、じきに弾き倒しベーシストへの変身を遂げるのではあるまいか(あくまでもわたしの偏見です)。

つまり、その人が所属グループに何を求めているかが決定的な要件となる。仕事先に生活の安定を求めていれば、「大きな池」を選ぶのは必然なのである。

そういうふうに考えていけば、この「小さな池の大きな魚か、大きな池の小さな魚か」という問いは、どちらを選ぶかの答えの方に意味があるのではないことがわかってくる。

そもそもこの問いは、「自分」というのは相対的な存在であることを理解して初めて成立する。高校時代のクラスメイトのなかに、「Aさんがかわいい、とか、Bさんがかわいい、とかと誰が言っていても、わたしはいつも、自分の方がかわいいと思ってるんだ」と言っている子がいて、内心「おおっ」と思ったことがある。つまり、わたしが「おおっ」と思ったのは、当然のことながら、その子の美貌の神々しさに目がくらんだのではなくて、高校生にもなってそんなことを未だに思える、しかも人に対して言うことのできる度胸に対して、である。いまこうやってそのときのことを思い返せば、そんなことをわたしなんぞに言わざるを得なかった、その子の不安な気持ちが逆にうかがえて、なんだかかわいらしく思えてくるのだが。わたしはそのとき何と答えたのだろう。そちらの方はまったく記憶にない。

幼児的万能感、という言葉があるが、小さな頃は、わたしたちの誰もが世界の中心だ。何だってできるし、世界で一番かわいくて、かしこくて、重要人物なのである。立ったといって褒められ、歩いたといって褒められ、靴を履いたといってほめられる。何をやっても褒められ、拍手され、みんなの注目を一身に浴びる、世界の王様なのである。

けれども、成長段階に応じて、この幼児的万能感は少しずつ揺らいでくる。自分にできることは、たいていの人にできるし、もっと自分よりうまくできる人もいる。たとえ学校で一番走るのが速くても、地区予選があり、さらに県大会があり、国体があり、オリンピック予選があり、さらにその先にオリンピックがある。

これこそ自分の得意なこと、と思っても、自分の上にはいったいどれほどの人がいるか、見当もつかない。

一方で、幼児期培われた強い肯定感は、その人間の軸になっていく。深いところで自分自身を無条件に肯定できる感情は、外界の変化にすぐに動揺するわたしたちの「気分」の重しとして、一生を通じて働いていくだろう。くるくる回る風見鶏の軸が決して揺らがないように。

そんなふうに、自分の「大きさ」と「小ささ」の両方を同時に感じ取れるところまで成長して、池の大きさと自分の大きさ、加えて自分が池に何を求めるか、考えることができるようになって、初めて成立する問いなのだ。自分は大きな池の小さな魚であると同時に、小さな池の大きな魚でもある。そのことを理解できることが、この問いの前提になっている。

とはいえ、「あなたの好みのタイプはどんな人?」という問いに、実はあまり意味がないように、この問いも、一般的に考えても意味はない。

魚が自分の池を選べないように、多くの場合、わたしたちは最初からある「池」に放り込まれている。ふだんはこの池の大きさも、自分の大きさもほとんど意識することはない。それが意識されるのは、こことは別の池に行ける可能性が生まれたときだ。

そのとき、自分の放り込まれた池のサイズをどのように見るか、そうしてまた自分の大きさをどう見るか。自分はいったい何を求めるのか考えるだろう。

そんなとき、人は自分に問う。
わたしは、小さな池の大きな魚となろうとしているのか。それとも、大きな池の小さな魚となろうとしているのか。
自分の大きさを外から測り、自分が何を求めているか考える。
そのとき、この問いは意味を持ってくる。

まあ、ひたすら波風の立たない大きな池ばかりを求める昨今の風潮は、どうかと思うのだけれど。



※更新情報書きました。
she-catさんのご指摘を受けて、「クレメンティーナ」一部修正しました。

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素人下宿の話

2010-07-30 00:18:13 | weblog
『こころ』の中に、「素人下宿」という言葉が出てくる。商売として下宿屋をやっているのではなく、知り合いや知り合いの紹介がある人をひとりふたり、下宿させている普通の家のことだ。

これに対して、素人のつかない下宿屋が、かつてはあった。いまの学生は、学生専用アパートのようなところで生活しているから、下宿屋自体がいまはもうほとんどなくなってしまっているのだろう。

大学時代、わたしは学生寮に住んでいて、下宿屋というところで生活した経験はないのだが、それでも何人かはそんな下宿屋で生活する友だちがいた(当時のことは「家のある風景」の「3.家出少女たち」で書いている)。

いまの学生アパートしか知らない人にはちょっと想像もつかないだろうが(何か、年寄り臭い書き方だなあ)、大家さんと同じ家の中で、風呂やトイレを「使わせてもらっている」という生活は、さぞかし気を遣うものだったにちがいない。明治時代は先生のように、大家さん一家と親しく行き来するのはよくあることだったのかもしれないが、わたしの友だちのところでは、日ごろ、ほとんど行き来はなく、話をするのはもっぱら電話が長いとか、音楽の音がやかましいとかで苦情を言われるのに限られていたようだ。

わたしがそういうところに住みたくなかったのは、事前にそんなことを知っていたからではない。大家の側の話を聞いたことがあるからだ。

といっても、わたしが直接に聞いたわけではない。
母方の親戚が、戦後、間もない一時期、素人下宿をやっていた。その話を、子供だった母は聞いて、それを大人になってからわたしに聞かせてくれたのだ。

そもそもそこの家の主人が、仕事先の人から大学に通う親戚の子を下宿させてほしいと頼まれて、預かるようになったのが始まりだったらしい。縁故が縁故を呼んで続けていくことになって、十数年ほどそんなことが続いた。

最初は男の子だったのだが、やがて女の子になった。そうしてその女の子が友だちを呼んだり、部屋を汚したりするので出てもらったら、つぎの女の子もやっぱり部屋を汚して、もう下宿生を置くのは懲りたのだそうだ。

母は、その親戚から聞いたという「常識とは逆に、男の子は部屋を汚さない。女の子は部屋でいろんなものを食べたり、小さなコンロなんかを持ち込んで料理したりするから、部屋が汚れてかなわない」という話を、わたしにもよく聞かせてくれた。そうしてわたしにも、女の子はだらしがないんだから、部屋をちゃんと片づけるように、とお説教で終わるのが常だった。そんなことを陰で大家から言われるなんて冗談じゃない。一軒の家に大家と一緒に暮らす下宿だけはゴメンだ、と思った物だった。

だが、自分が一人暮らしをするようになってわかったのは、部屋が汚れるというのは、そこで生活しているということなのだ。部屋を汚さないという男子学生は、おそらく寝に帰るだけの部屋だったのだろう。そこで過ごす時間が短ければ短いほど、掃除も楽にすむ。女の子の方がだらしない、とか、男の子の方がきちんとしている、などという傾向があるわけではないだろう。

ともかく、わたしは自分の部屋を持つようになってから、「女の子はだらしないんだから」という言葉を繰りかえし聞かされ、片づけろ、整理整頓しろ、と言われ続けた。

その甲斐あって……と言いたいところだが、わたしの周囲は整然と片づいているとは言い難い。もちろん掃除はするし、とりあえず水回りだけは、汚れていることのないようにしている。それでも、手近で使う本は椅子の回りに同心円上に広がるし、つい、床に積んでしまうし、文房具や紙類もばらばらとたまってしまう。おかげで机は気がつくとひどくせまくなっている。

それだけではないだろう。おそらく、自分の目の届かないところがあちこちたくさんあって、そんな死角には、埃がたまっていたり、手垢がついていたりするのにちがいない。

実際、人の家に出かけると、そこが生活の場であるかぎり、ショー・ルームやホテルの一室では決して見ることのできない、なんというか、ゆるみのようなものがある。そのゆるみというのは、その家によって異なるのだけれど、どんなに掃除のゆきとどいている家、几帳面に片づけてある家でも、そこの家に独特のにおいがあるように、その家独特の「ゆるみ」として存在しているのだ。

片づけても、拭いても、磨いても、整然としきらない、微妙に崩れているところ。いわゆる「家庭のぬくもり」なんていうのも、そのゆるみあたりから立ち上ってくるものであるような気がする。

わたしはそのきちんとしていたという男子学生の部屋を見たことがなくて、男の下宿というと、いしいひさいちの「安下宿共闘会議」や松本零士の「男おいどん」や大友克洋の 「宇宙パトロール・シゲマ」あたりを思い出して、どう考えてもその話を話半分に聞いてしまうのだが、そこで生活していた数人の男子学生は、みんなきちんと下宿を使っていたのだろうか。寝に帰るだけの部屋というのは、そんなゆるみとは無縁のものなのだろうか。

そこで思い出すのは、『こころ』の先生やKの暮らしぶりである。先生もKも、汚したり散らかしたりせず、きちんと生活していたのだろうか。Kが自分で掃除をしていたのなら、自分の血しぶきを部屋に飛び散らすようなことはしないような気がする。掃除は奥さんにやってもらっていたのだろうか。






「カワイイ」わたし(※一部補筆)

2010-07-28 23:49:09 | weblog
電車に乗り込んだところ、車両は八分程度の入りである。席を探してあたりを見回すと、五人掛けのベンチシートが妙にスカスカしていた。正確に言うと、ひとりの女性がすわっており、その両隣が人ひとりぶんずつ、空いているのである。

明るい色に染めた髪と服装から、一瞬、若い女性かと思ったのだが、六十代はいっているようだった。
丈の短いチュニックドレスに、剥きだしの素足にヒールの高いサンダル。青い静脈が網の目のように浮き出している白い足を組んでいるところは、言葉は悪いかもしれないが、いささか異様な眺めだった。

首からはじゃらじゃらとアクセサリ、濃い化粧、二十代の女性なら少しもおかしくない格好なのだが(ただ、おそらくレギンスをはいているだろうが)、どう見ても六十代を過ぎた女性なのである。両隣が空いていたのも、違和感を覚えたのがどうやらわたしだけではなかったせいだろう。

立ったまま、その人の方をちらちらと見ているうちに、着ている人も、その格好をするのに相当りきんで着ているのではないかと思えてきた。二十代なら当たり前の格好でも、六十代となると、自然体では着られないのかもしれない。その人にとっての、一種の「ハレ着」なのかもしれなかった。

わたしたちは日常生活の中で、意識的にも無意識的にも、こう見せたい「自分」を、状況が要求する役割に応じて、さまざまなレベルで演じている。服装とはその意味で「コスチューム」であって、「自分がどんな人間であるか」「どのような役割を与えられているか」を周囲の人に訴える手段でもあるのだ。

実際の自分と「こんな人間ですよ」と訴えたい「自分」のあいだに差がないとき、その人はあまり演技する必要がないので、格好もごく自然なものになる。
ところが「こう見て欲しい自分」と実際の自分のあいだに距離があると、いきおいそこには演出が必要だ。ちょうど戦闘に臨むときのネイティヴ・アメリカンが、顔に隈取りをつけ、羽根飾りを始め、さまざまなアクセサリーをつけるのは、「戦う人」を演じるように。
その演出も、気合いもなく「ハレ着」を着てしまうと、七五三で袴をはかされた男の子のように、服に着られてしまうのだ。

逆にいうと、舞台衣装で身を飾るのは、ふだんの自分を、さまざまなレベルに応じて「失ってみせる」ということでもある。ネイティヴ・アメリカンであれば、顔にさまざまな色を塗り、羽や首飾りをこれでもかとつけることによって、本来の自分を空っぽにし、そうしてある種の聖性に近づこうとしているのだ。

確かに、本来の自分以外の役割を、限られた時間のあいだだけ演じるのは楽しいし、あるいは仕事中は、本来の自分をいくぶんか失う必要がある場合もある。けれどもそういうとき、人は自分が役割についている、ということを意識しているはずだ。

ただ、わたしが電車の中で見た女性は、変装を楽しんでいたのだろうか、と思ってしまった。

最近では、「年相応の格好」という言葉があまり聞かれなくなった。「カワイイから」「好きだから」という理由で、自分が望む格好をしていいという人が増えてきたのかもしれない。わたし自身、かなり力の抜けた格好でどこへでも行ってしまうので、状況が要求する役割を十全に果たしているとはいいがたいから、ちょっと大きな声では言いにくいのだけれど。

この服がカワイイ、と思って選んだその人の脳裡には、六十代の姿かたちをしている自分はいなかったのではないか。仮に試着室で着てみても、鏡の中にその人が見るのは、ありのままの自分の姿ではなく、かつての、その服装に相応する年代の自分ではないのか。

若い頃、こんな服が着たかった。そう思って着ているのなら、それもまあいいのだ。だが、ほんとうにこんなことを考えるのは大きなお世話なのだけれど、ちょうど、舞台の上にいる自分をほんとうの自分と思い込んでしまうようなことが、鏡の前で起こっているのではないかと思ってしまったのだった。

何かを演じるということは、自分をいくばくか、失うことだ。
限られたあいだ、失ってみるのは楽しい。けれどもその分量をまちがえると、恐いことになるような気がする。



サイト更新しました

2010-07-27 21:35:43 | weblog
お久しぶりです。
なんとパソコンのマザーボードの方が壊れてしまったんです。ちょっと前からおかしかったのを、だましだまし使っていたのですが、ついにガタが来て。

新しいパソコンが来るまで少し時間がかかってしまいました。

そのあいだに、ずっと前から少しずつ書いては直ししていた文章に手を入れていました。ちょうど去年のいまごろ何度かに分けて書いていた「友だち」についての考察です。わたしがある人から聞いた話、山本周五郎の『橋の下』という時代小説、そうして夏目漱石の『こころ』を取り上げながら、「友だちが敵になるとき」として、友情と裏切りについて考えてみました。

良かったら読んでみてください。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

更新しなかったにもかかわらず、のぞきに来てくださって、どうもありがとうございます。季節柄、先にシャーリー・ジャクスンの方をアップしたいと思っていますので、またよろしくお願いします。

ということで、それじゃ、また。

「宗教みたい」

2010-07-23 23:37:01 | weblog

信仰を持っているか、と聞かれると、ちょっと返答に困ってしまうわたしなのだが、それでも、「その言葉の使い方はなんだかなあ」と思う言葉がある。そのひとつが、タイトルにもあげた「宗教みたい」という言葉である。

何もお盆の季節に迎え火を焚いたり、クリスマスになると賛美歌を歌ったり、正月に注連縄を飾ったり、神社に参拝に行ったりするような行為を指して、「これが直接、信仰に関わるわけでもないけれど、宗教みたいな行為だなあ」と言っているわけではないのだ。

たとえば誰かがある組織に対して、ふつうより多少余分に(あくまでもそれを指摘する人の主観に照らし合わせて)忠誠心を見せたり、自分以外の人にも共同行動を求めたりするようなことに対して、多くの場合、直接面と向かってではなく、陰へ回って言うときに使われる。わたし自身、何度となく聞いたことがあるのだが、一度、それがどういう意味か、聞いたことがある。

大学にいた頃だから、ずいぶん前の話なのだけれど、ある同好会に入っている人が、別のサークルを指して「あそこは宗教みたいだからね」と言ったのだった。「宗教みたい」と言われたそこには、わたしの知り合いもいた。だから少し驚いて、どういうところが「宗教みたい」なのかと聞いてみたのである。

その答えに、いっそう驚いた。そこは練習時間が長いだけではない、親睦会だの飲み会だのがやたらあって、みんながやたら仲が良い。しかもメンバーはみんな、そのサークルのことを、いいところだ、先輩の技術も高いし、伝統もある、と言い合っているだけでなく、真剣にそう思っているらしい。そういうところが「ちょっと宗教みたい」なのだ、とか。
それって本当に「宗教みたい」なのか? と不思議に思ったので、未だに覚えているのだ。

ほかにも、あるアイドルグループに熱を上げている人に対して、「宗教みたい」と別の人が言うのを聞いたこともあるし、全国規模のとある団体に入ろうとした未成年の学生が、両親から「そんな宗教みたいなところに行くな」と反対された、という話を聞いたこともある。そこのご両親が、その非宗教的かつ非政治的な団体の、どこがどう宗教的と考えたのか、未だに見当もつかないのだが。

そのほかにも、誰かを普通よりも多少余分に尊敬していたり、自分の考えや嗜好より、組織や集団の判断を優先したりするような人に対しても、そんな非難、というより陰口だろうか、「まるで宗教みたい」という言葉が向けられる。

端で聞いていると、そんなことまで……と思うようなことも少なくない。単に自分の気に染まない人に対する悪口ではないか、というような場面すらある。

そうなのだ。「宗教みたい」というのは、あくまで悪口なのである。
ある人や集団に対して、強い帰属意識をもち、その一員として熱心に活動している人がいるとする。たとえば坂本龍馬はそれに当てはまるだろうし、もしあなたが熱心に仕事に取り組んでいる人なら、あなただってそれに該当する。けれども幕末の日本にあって、東奔西走する坂本龍馬を「宗教みたい」と考える人はいない。

つまり、ほかの多くの悪口がそうであるように、この「宗教みたい」という言葉も、誰かを悪意の目で見るために張るレッテルなのである。かくかくしかじかだから、「宗教みたい」なのではなく、気に入らないから「宗教みたい」に見えるだけなのだ。

反面、わたしたちは日常的に、「宗教みたい」なことをたくさんやっている。先に挙げたような行事ばかりではない。何かの折りに、祈ることをしない人はいないのではないか。自分がいったい誰に、あるいは何ものに祈っているのかは定かではなくても、自分の力を超える、大きなものにすがったりしない人は、おそらくいないだろう。

わたしたちの多くは、自分たち自身の行動や習慣のなかにある宗教的な側面に目を向けないまま、「宗教みたい」というレッテル張りは、やはりいかがなものかと思うのだが、どうだろうか。


シャーリー・ジャクスン「夏の人びと」その9.

2010-07-20 23:56:21 | 翻訳
その9.

そのあとは一日がどんどんと過ぎていった。クラッカーと牛乳の昼食をすませると、アリスン夫妻は外に出て芝生に腰をおろしたが、午後のひとときも早々に切り上げることになってしまった。低く垂れこめた暗雲がしだいに広がってきて、湖からコテージにかけてすっぽりとおおい、まだ四時だというのに、あたりは夜のように暗くなったのだ。だが、嵐はなかなか来なかった。まるでコテージを打ち壊す一瞬の予感を、心ゆくまで味わっているかのように。ときおり稲妻がひらめいたが、雨はまだ落ちてきてはいなかった。

日が落ちると、アリスン夫妻はニューヨークで買った電池式のラジオをつけて、家の中で寄り添って腰を下ろした。ランプもなく、明かりといえば、戸外の稲光りと、ラジオの文字盤からもれる四角い光だけだった。

 コテージの華奢な造作では、ラジオから流れ出す街の騒音も音楽も人の声も閉じこめておくことはできず、アリスン夫妻は湖面をたゆたうニューヨークのダンスバンドのサキソフォーンの音や、田舎の空気を鋭く切り裂く女性歌手の平板な声が、こだまして返ってくるのを聞いた。安全カミソリの替え刃の切れ味を高らかに伝えるアナウンサーの声さえも、アリスン家のコテージから流れ出す非人間的な声にしか聞こえず、まるで湖も丘も木々も、そんなものはいらないとはねつけるかのように、こだまとなって戻ってくるのだった。

 コマーシャルとコマーシャルがとぎれたときに、アリスン夫人は夫の方へ向き直って、弱々しいほほえみをうかべた。「わたしたち……何かした方がいいのかしら」

「いや」考えながらアリスン氏は答えた。「そうは思わない。いまは待つことにしよう」

 アリスン夫人はほっと息をつき、バンドがふたたびありふれたダンスのメロディの演奏を始めたのを背景にして、アリスン氏は言った。「車はいじられたんだ。それくらい、わたしにだってわかるさ」

 アリスン夫人は少しためらってから、静かに言った。「電話線も切られたのよね」

「きっとそうだろう」アリスン氏は答えた。

 しばらくして、ダンス音楽が終わり、ふたりはニュースに耳を傾けた。固唾を呑んで聞いているふたりの耳に、アナウンサーがよく響く声で、ハリウッドスターの結婚や、野球の試合結果、来週、食料品の値上げが予測されることなどを伝えた。アナウンサーは夏のコテージにいるふたりに語りかけていた。いつまで保つかも定かではない電池式のラジオがたったひとつ残された接点で、もはや彼らには手の届かない世界だが、そのニュースだけは聞かせてやってもよい、と言うがごとくに。ラジオもすでに音が消えかけていた。とりあえずまだ、ここにある世界に属している彼らだが、そのつながりさえもが、この音のようにか細いものになっていることを示すかのように。

 アリスン夫人は窓越しに、穏やかな湖面や、黒々とした木々のかたまりを見やり、やがて来る嵐を思った。それから穏やかな声で言った。

「あのジェリーからだっていう手紙のこと、もう気にしないことにするわ」

「昨晩、ホールの家に明かりがついていたのを見たときに、わかっていたんだ」アリスン氏は言った。

 不意に、風が湖を渡って夏のコテージに吹きつけ、窓がガタガタと悲鳴をあげた。アリスン夫妻は思わず身を寄せ合い、最初の雷鳴がとどろくと、アリスン氏は手を延ばして夫人の手を取った。戸外で稲妻がひらめき、ラジオの音がすっと消えると、パチパチという雑音だけになった。ふたりの老人は、彼らの夏の家の中で身を寄せて小さくうずくまり、やがて来るものを待った。





The End



(後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)




シャーリー・ジャクスン「夏の人びと」その8.

2010-07-19 22:49:54 | 翻訳
その7.

 アリスン夫人は息子の見なれた手書きの文字に、自分でも意外なほど、夢中になって目を凝らした。どうして手紙が来たぐらいでこんなに興奮してしまうのだろう。その理由がわからない。もしかしたら、ずっと待っていたあとで、やっと受けとったからだろうか。きっと明るくて礼儀正しい、アリスと子供たちがああしたこうしたということから始まって、自分の仕事の進み具合が続き、シカゴの最近の天気にふれたあと、「愛をこめて」で終わる手紙だ。
アリスン氏もアリスン夫人も、子供たちの手紙のパターンならすっかり呑み込んで、暗唱することだってできただろう。

 アリスン氏はたいそう慎重に封を切り、それから中の便せんを台所のテーブルに広げた。ふたりはかがみ込んで一緒に読み始めた。

「親愛なるお父さん、お母さん」と手紙は始まっていた。ジェリーの見なれた、いささか子供っぽい筆跡である。
この手紙もいつも通り、湖へ届いたようで、良かったです。いつも、お父さんたちが少し帰りを急ぎすぎるんじゃないか、そっちで好きなだけ過ごしたらいいのに、と思っていました。アリスも言ってるんですが、いまはもう、前みたいに若いわけじゃないし、自分の時間をどう使おうが自由なんだし、つきあいのある人も少なくなってきたんだから、楽しめるうちになんでも楽しいことをやればいいんですよ。お父さんもお母さんもそちらで楽しく過ごしているのなら、滞在を延ばすのはいい考えだと思います。

 アリスン夫人は落ち着かなげに、隣の夫をちらりと見やった。夫は真剣な面もちで手紙を読み耽っている。夫人は自分でも何をしようとしているのかわからないまま、手を伸ばして空の封筒を取り上げた。いつもと同じ、ジェリーの手書きで宛名が記され、「シカゴ」の消印が押してある。シカゴの消印があるのはあたりまえじゃない、と即座に夫人は思い直した。どこかよその消印かもしれない、なんて考える理由がどこにあるっていうの? 手紙に目を戻すと、夫は便せんをめくっていたので、そこから一緒に読み始めた。
……もちろん、あの子たちがいまのうちに麻疹だのなんだのをすませておけば、あとあとずっと楽なんですから。むろんアリスは元気だし、ぼくもそうです。最近ではカラザーズ夫妻、お父さんやお母さんは知らないでしょうが、その人たちと、よくブリッジをやっています。ぼくらと同年代の、おもしろい若夫婦です。さて、もうこれ以上、ぼくのあれやこれやを聞くのにもうんざりしているのではないですか。だからここらでペンを置くことにします。

シカゴの事務所のディクスン老が亡くなったこと、お父さんにお知らせしておきます。ディクスンさんはお父さんがどうしているか、よく聞いていたのですが。

湖で楽しい日をお過ごしください。何も急いで帰ってくることはありませんからね。


             家族全員の愛をこめて ジェリー
 
「おかしいな」アリスン氏はひとこと言った。
「何だかジェリーらしくないわね」アリスン夫人も小さな声で言った。「あの子が書く手紙はこんな……」夫人は言いよどんだ。

「どんな手紙だ?」アリスン氏は尋ねた。「どんなところがあの子の手紙らしくないって言うんだ」

 アリスン夫人は眉をひそめたまま、手紙を最初に戻した。どの文章を取っても、どの言葉づかいも、ジェリーのいつもの手紙とちがうところを指摘することはできない。おそらくこの手紙が遅くなったからそんなことを思ってしまうんだろう。さもなければ、いつもとはちがって、封筒に汚れた指紋がたくさんついているから。

「わからないわ」いらだたしげに夫人は答えた。

「もう一回、電話をかけてくる」アリスン氏は言った。

 アリスン夫人は何かおかしな文章がないか見つけようと、さらに二度手紙を読み返した。そこにアリスン氏が戻ってきて、ひどく静かな声で言った。「電話が死んでしまった」

「何ですって」アリスン夫人の手から、手紙が滑り落ちる。

「電話が通じないんだ」アリスン氏はもう一度言った。




(この項つづく)


シャーリー・ジャクスン「夏の人びと」その7.

2010-07-18 23:02:10 | 翻訳
その7.


 だがこんな日に、いつまでも暗い気分でいられるものではない。今日ほど田舎が心引かれる場所に見えたことはなかった。下に目をやると、木々の間からのぞく湖面は穏やかにさざ波を立てている。風景画さながらの穏やかな眺望である。アリスン夫人は自分たちが湖や遠くに広がる緑の山々、木々を渡る風のそよぎを独占しているのだと思うと、満足のあまりに深い吐息がもれるのだった。



 晴天が続いた。つぎの日の朝、アリスン氏は食料品のリストで武装し――その最上段に「灯油」と大きな字で書いてある――、車庫への小道を下っていった。アリスン夫人は買ったばかりの耐熱皿で、パイ作りに取りかかった。パイ生地の粉を混ぜ合わせ、リンゴの皮を剥いているところに、急ぎ足で坂道を上ってきたアリスン氏が、台所のスクリーンドアをばたんと開けて入ってきた。「くそっ、車が動かない」と大きな声を出した。車を右腕にしていた人間が、頼みの綱を切られたような声だった。

「どこか悪いの?」アリスン夫人は片手でナイフを持って、リンゴを剥く手を止めて聞いた。「火曜日にはどこも悪くなかったのに」

「さあな」アリスン氏は食いしばった歯の間から言った。「ともかく、金曜日には悪くなったってことだ」

「直せそう?」アリスン夫人は聞いた。

「無理だ」アリスン氏は答えた。「うちじゃ無理だ。誰かを呼ばなくては」

「誰を?」

「ガソリンスタンドの店主がいたな」アリスン氏はきっぱりした顔で電話に向かった。「去年一度、修理を頼んだ」

 かすかな不安の念を抱きながら、アリスン夫人は上の空でリンゴの皮を剥き続けながら、夫が電話をかける音に耳をすませた。リンリン、と鳴らしてしばらく待ち、またリンリンと鳴らして待つ。やっと交換手に番号を告げる声が聞こえてきて、ふたたび待ち、また番号を告げ、さらに三度目に番号を告げてから、がしゃんと受話器を叩きつける音がした。

「誰も出ない」台所に入って来るなり、そう言った。

「たぶんちょっと出かけてるんじゃないかしら」アリスン夫人は不安そうにそう言った。どうしてこんなに不安になるのか、自分でもよくわからない。もしかすると、あの人が我を忘れるほど怒ってしまうのが不安なのかしら。「ご主人はひとりでやってらっしゃるでしょう、だからもし席を外すようなことでもあれば、電話には誰も出られないし」

「そんなところだろうな」アリスン氏は皮肉めいた口調で言った。台所の椅子にどさっと座りこみ、夫人がリンゴの皮を剥いているのを眺めている。しばらくして、夫人がなぐさめるように言った。「手紙を取りに行って、それからまた電話をかけてみたら?」

 アリスン氏はしばらく決めかねているようだったが、やがて言った。「そうしてみるか」

 重い腰を持ち上げ、台所から出がけに振り返って言った。「もし手紙が来てなかったら……」恐ろしいような沈黙を残したまま、夫は小道を下りていった。

 アリスン夫人はパイ作りを急いだ。二度、窓辺へ行き、空を見上げて雲が出ているかどうか確かめた。不意に部屋が暗くなり、嵐が近づいてくるとき特有の張りつめた空気が感じられたからだ。だが、いつ見ても澄んだ空は晴れわたり、アリスン家のコテージにも、世界のほかの場所と同様、明るい陽射しが降り注いでいた。

 あとはもうパイをオーブンに入れるばかりにしておいて、アリスン夫人は三度目に外を見た。夫が小道を歩いてくる。すっかり機嫌が良くなって、夫人に気が付くと、手紙を持った手を振り回した。

「ジェリーからだ」声が聞こえる距離まで来てから、大声で言った。「やっと……手紙がきたぞ!」あの人はもう、緩い坂道さえも、息を切らさずに上れないんだわ、とアリスン夫人は気がついた。だが、そのときにはもう、手紙を差し上げながら、戸口のところまできていた。「戻るまで、読むのをがまんしてきたんだ」




(この項つづく)




シャーリー・ジャクスン「夏の人びと」その6.

2010-07-17 23:10:25 | 翻訳
その6.

 今日も郵便はなく、届いていたのはここ数日、日にち通りに来ることをかたくなに決めたかのような新聞だけで、アリスン氏は見るからに不機嫌な様子で戻ってきた。アリスン夫人が灯油の配達人のことを話しても、特別な反応は返ってこなかった。

「きっと冬の間に高値で売りつけようと思って、売り惜しみしてるのさ」と感想を述べたあと、続けた。「そんなことよりアンとジェリーはいったい何をしているんだろう」

 アンとジェリーはふたりの娘と息子で、どちらも結婚して、一方はシカゴに住み、他方は極西部に住んでいた。子供たちが毎週、義理堅く送ってくる手紙が、このところ遅れているのだ。確かに遅すぎるじゃないか。わざわざ出向いたのに手紙がなかったいらだちが、道理にかなった不満というはけ口を見つけた。「どれほど手紙を楽しみにしているか、あの子たちは少しは考えたことがあるのか。まったく思慮の足りない、わがままなやつらだ。もっと分別があってもよさそうなものだ」

「そうかもしれないわねえ」アリスン夫人はなだめるように言った。アンとジェリーに腹を立ててみたところで、灯油屋への怒りはどうにもならない。しばらく間をおいて、夫人は言った。「来て欲しいと思ってるだけじゃ、手紙は来ないわよ、あなた。それより、わたし、バブコックさん電話して、灯油を配達してくれるよう、お願いして来なくちゃ」

「ハガキ一枚ぐらいよこしたってよさそうなものだ」アリスン氏は部屋を出ようとする夫人に向かって言った。

 コテージにはあれこれ不便なところがたくさんあったから、アリスン夫妻はもはや格別電話を不便とも思わなくなっており、ことさら文句も言わずに、奇妙な電話機でも甘んじて受け入れていた。壁掛け式の電話で、田舎でもこんな型のものを使っているようなところは数えるほどしかなかっただろう。交換手を呼び出すために、アリスン夫人はまず、横のハンドルを回さなければならなかった。たいてい交換手が応えるまで、二、三度やってみなければならず、アリスン夫人はどんな電話をかけるときも、涙ぐましいほどの忍耐心とあきらめの境地でもって、電話機に向かうのだった。

今朝は電話機のハンドルを回して三度目に、交換手が出た。そこからバブコック氏が食料品店の奥の肉切り台のさらに裏側にある受話器を取るまで、また時間がかかった。

バブコック氏の声が聞こえてきた。「店だが?」語尾が上がるのは、こんな当てにならない機会で話をしようとする人間に対する不信の念からかもしれない。

「アリスンです。バブコックさん。確か、注文したら翌日こちらに届けて戴けるんでしたよね、というのも、わたし、どうしても……」

「アリスンさん、何だって?」

 アリスン夫人は声を少し声を高くした。夫の姿が見える。外の芝生で椅子からこちらに体を向けて、気遣うようなまなざしを送っている。「バブコックさん、早目に注文したら、届けていただけ……」

「アリスンさん?」とバブコック氏はさえぎった。「あんたがこっちに取りに来てくれるんだな?」

「取りに来るですって?」あっけにとられて夫人の声はふだんの声の大きさに戻った。今度はバブコック氏が声を張り上げる。「何だって、奥さん?」

「いつもは届けてくださるんじゃなかったの?」

「あのな、奥さん」バブコック氏はそう言ったきり、しばらく間が空いた。その間、アリスン夫人は電話の向こうにいる夫の頭が、空ににゅっと突き出しているのを見つめながら待っていた。

「アリスンさん」やっとバブコック氏の声がした。「あのな、店で手伝わせていた男の子が、昨日学校に戻ったんだ。だから配達してくれる人間がだれもいないんだ。夏のあいだだけ、配達に男の子をひとり雇ってるんだよ」

「でも、おたくじゃいつだって配達してくれるんじゃないの」あアリスン夫人は食い下がる。

「レイバー・デイが終わったら、もうそんなことはできないんだよ」バブコック氏はとりつく島もない。「レイバー・デイが過ぎたら、あんたがたはここにゃいなかっただろう。だから知らなくても無理はないがね」

「まあ」もはやアリスン夫人にはなすすべもない。胸の奥底で、何度も繰りかえし、田舎の人には街のやり方は通用しない、という言葉が響いていた。怒ってもしょうがないのよ。

「絶対、どうしてもだめ、ってことなのね?」夫人は最後にたずねた。「今日一日だけでも配達は無理ってことなのね、バブコックさん?」

「そういうことだ」バブコック氏は言った。「むりだな、奥さん。配達は割に合わないんだ。湖にはもう誰もいないんだから」

「ホールさんはどうなの?」アリスン夫人は不意に思い出して聞いてみた。「ホールさんのところなら、そちらからだって五キロほどでしょう? ホールさんだったら、こっちに来るついでに持ってきてもらえるから」

「ホールだって?」バブコック氏は言った。「ジョン・ホールのことかね? あそこの家族は、嫁の実家のある北部に行ったよ、奥さん」

「でも、あの人たちはバターと卵を届けてくれてるのよ」呆然としながらそれだけ言った。

「昨日出たんだよ」バブコック氏は言った。「たぶんあんた方がまだこっちにいるとは思ってなかったんだろう」

「だけど、ホールさんには伝えたのに……」アリスン夫人は途中で口をつぐんだ。「明日食料品を買いに、うちの主人をやるわ」と言った。

「じゃ、それまでの分は大丈夫だな」とバブコック氏は満足げに言った。それは質問ではなく、確認だった。

 電話を切ると、アリスン夫人はのろのろと外へ出て、夫の隣りに腰を下ろした。「配達してくれないんですって」彼女は言った。「あなた、明日取りに行かなきゃならなくなったわ。あなたが戻るまで、なんとか灯油を保たさなきゃ」

「そういうことはもっと前に話してくれなきゃならなかったな」アリスン氏は言った。




(この項つづく)





シャーリー・ジャクスン「夏の人びと」その5.

2010-07-16 23:25:57 | 翻訳
その5.


 つぎの朝、アリスン氏が郵便を取りに丘を下りているあいだに、灯油の配達人がやってきた。ちょうど灯油が残り少なくなっていたので、アリスン夫人は喜んで男を迎えた。男は灯油や氷を売るだけでなく、夏の間には、避暑にやってくる人びとの出すゴミも集めていた。土地の人はゴミなど出さないのだ。

「来てくださってうれしいわ」アリスン夫人は男に言った。「灯油がほんのちょっぴりしか残ってなかったの」

 灯油を配達してくれる男の名前を、アリスン夫人は未だに知らなかったが、その男はいつも、ホースと付属の器具を使って、20ガロン入りのタンクをいっぱいにしてくれた。その灯油が、アリスン家の明かりとなり、料理の熱源ともなる。だが今日に限っては、きちんと巻き付けてトラックの運転台に載せてあるホースの留め金を外そうともせず、困ったような顔をして、アリスン夫人の顔を穴の開くほど見つめていた。トラックのエンジンは、かけっぱなしだ。

「あんたがたはもう出ていったと思ってたよ」

「ひと月、滞在を延ばすことにしたの」アリスン夫人は明るく言った。「お天気がこんなにいいでしょう、まるで……」

「それは聞いた」男はさえぎった。「灯油なんかもうないよ」

「どういうこと?」アリスン夫人は眉を上げた。「わたしたちがこれまで通りやっていける分くらいの……」

「レイバー・デイのあとじゃ」男は言った。「おれのところの分だって十分には手に入らないんだから」

 アリスン夫人はこれまで隣人と何か行き違いがあったとき、都会での対処法は田舎の人には通用しなかったことを思い返した。田舎で人に仕事を頼むときは、あっちの調子で言うことを聞いてもらえると思っちゃだめ。そこでアリスン夫人は愛想良く笑いながら言ってみた。「でも、残り物の油を回してくれるだけでいいのよ、わたしたちがここにいるあいだ分の」

「あのな」男は、いらだたしげにトラックのハンドルを指先でトントンと叩いている。「つまり、あれだ」とのろのろと話し始めた。「うちの灯油は取り寄せなんだ。80キロ、いや、100キロ離れたところから取り寄せてんだよ。六月に、この夏どのくらいいるか見越して注文する。そのつぎに注文するのは……そうだな、たぶん十一月だ。だからいまぐらいの時期は、底をついちまってるんだ」これでこの話はおしまい、とばかりに、トントンと叩くのをやめて、出発の合図か何かのようにハンドルを両手できつくにぎりしめた。

「だけど、ほんの少しくらいなら、分けてくれてもいいんじゃないかしら?」アリスン夫人は言った。「だれかほかのところで買える?」

「この時期、どこかよそで手に入れようったって無理な話だな」男は考えながらそう言った。「何にせよ、うちにゃもうないからな」アリスン夫人が何か言おうとする前に、トラックは動き出した。それからいったん停まり、運転席の後ろの窓ごしに男は振り返った。「氷は? 氷ならやってもいいが」

 アリスン夫人は首を横に振った。氷ならまだあったし、何より腹が立ってしょうがなかった。トラックを追いかけようと、数歩駆けだして叫んだ。「なんとか手配してもらえないかしら。来週あたりはどう?」

「無理だね」と男は言った。「レイバー・デイが過ぎたら、もう無理だ」トラックは行ってしまい、アリスン夫人は怒りにまかせてトラックをにらみつけながら、たぶんバブコック氏のところから灯油を分けてもらえるだろう、と考えて、何とか自分を慰めようとした。悪くしてもホールさんだったら。「来年」とつぶやいた。「来年の夏、ここに来たらどうなるか覚えておきなさいよ」





(この項つづく)