陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

物語をモノガタってみる その2.

2005-10-25 22:13:44 | 
2.何が起こったか

『極短小説』という、55語の英語で書かれたショート・ストーリーの序文で、編者のスティーブ・モスは、これまで読んだ中で一番短い物語は、「ピーナッツ」でルーシーがライナスにせがまれて話した、「人が生まれました。生きて死にました。おしまい」である、と書いている。

これが世界最短の物語であるのは、物語としての要素を満たしているからである。それは、まず語り手(ルーシー)がおり、聞き手がいる(ライナス)。

そして、物語の内容「人が生まれました。生きて死にました」という、時間に沿って語られる「何が起きるか」というストーリーがある。
これが、物語の基本的な構成要素である。

語り手、聞き手、時間軸に沿って並べられた出来事。これが物語だ。

こうしてみれば、「物語」がいたるところにあるのがわかるだろう。

わたしたちは、あるとき、ある場所で、あることを見たり聞いたりし、何らかの行動をしたりしなかったりする。多くのことがらは記憶に留まることもなく、忘れてしまう。けれどもそれをだれかに伝えたくなるような経験をしたとする。
そのときわたしたちは記憶を掘り返し、意識的・無意識的に情報の取捨選択を行い、話そうとする文脈にそって、そのできごとを並べ直し、時間軸に沿って整理している。

これは、物語にほかならない。
わたしたちがどれほどそれを「起こったことありのまま」話しているつもりでも、そこにはそれだけの「編集」がなされているのである。逆に言うと、物語の形ではなく、自分に起こったできごとを伝えることはできないのである。

エマ・ウッドハウスは端正な顔立ちをした利口な女性であり、何不自由なく暮らしていけるだけの富を有し、加えるに温かい家庭と明るい気質を併せ持ち、まさに天の恵みを一身に集めているようであった。この世に生を受けて二十一年近くの間、悩みや失望とはほとんど無縁の生活を送ってきた。(ジェーン・オースティン『エマ』)

『エマ』という長編小説の冒頭のこの文章は、この小説が始まるまでのエマについて、簡潔にわたしたちに情報を与えてくれる。
けれども、これ以外の方法で、エマを知ることができるだろうか。写真付きの履歴書を見せられたとしても、エマ・ウッドハウスが「どんな人なのか」を、これ以上に理解することはできないだろう。

あるいは、わたしたちはその時、体験していながらも、自分では知ることができなかった部分も、物語として聞かされることで、自分たちの体験のなかに織り込むことができる。
以下は主人公の女性が事故にあったできごとの描写である。

彼はちょうど、……ちっぽけなトラックを追い越そうとしていたので、わたしの方を見向きもしなかった。ちょうどそれを追い越したところで、突然猛烈な爆発が車全体を空中に投げとばしてしまった。わたしはハンドルがジェイムズの手からちぎり飛ばされたのを見たが、それから目をつぶってしまったにちがいない。(マーガレット・ドラブル『滝』)

事故の最中はこのように何もわからなかった「わたし」も、後に事故のあらましを理解する。

わたしたちは、後になって教えられたのだが、大型トラックがおとした煉瓦の上に乗り上げ、ジェイムズの側の前のタイヤがふっとばされたのだ。この衝撃の力で彼の手がハンドルからはずれた――事故の際、わたしの目に入ったことはただ一つ、手をはなす直前の彼が必死にハンドルを掴んでいる姿、その手首や手の節々の盛り上がりだった。――そこで車が急に右に曲がり、そのまま車線を区切っている細い草の生えた分離帯を突っ切って、道の反対側の一本の木に突っ込んでとまったのだ。物凄い勢いで木にぶつかったから、前のドアは両側とも開いてしまい、ジェイムズは外に投げ出された。


もちろんこれは小説の一部ではあるけれど、実際にこうしたできごとは数多く見ることができる。物語は、単にフィクションにとどまらない。わたしたちが「事実」と思っている領域にも及ぶのである。

わたしたちは「物語」を使わずして、過去の経験を語ることはできないし、過去の「出来事」も語ることはできない。

ならば、歴史はどうなるのか。
実は、歴史も「物語」なのである。

「1914年6月28日にボスニアの首都サラエボでセルビア人青年プリンツィプがオーストリア・ハンガリー帝位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺するという事件が起こった。この一発の銃弾が、四年間、三十二カ国を巻き込んだ、人類史上初の大戦となる第一次世界大戦開戦のの口火を切った」

わたしたちは通常この文章を事実を、「歴史的な記述」と考えて、「物語」であるとは思っていない。けれども1914年6月28日の時点では、この文章を語ることはできないし、もうひとつ、この文章が語られうるのは、少なくとも戦争が終結した1918年以降のできごとでなければならない。

つまり、あるできごとは、それ以降に生じた別のできごとと関連づけられて、初めて意味を獲得する、ということなのである。
歴史は、物語にそって解釈されるものなのである。

いたるところにある「物語」。
フランク・カーモードは『終わりの意識――虚構理論の研究』(国文社)のなかでこういった。時計がチック、タックと音を立てるのは、わたしたちが物理的には同一の音を区別して、「チック」を始まり、「タック」を終わりとする「プロット」として聞いている、わたしたちはそうすることで「時間を人間化する構成法であると考える」。
なんとわたしたちは時計の音まで「物語」として聞いているのである。

(この項つづく)