陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

H.G.ウェルズ「魔法の店」その4.

2008-08-30 23:53:06 | 翻訳
その4.

「鍵なんてかかってないのに」とわたしが言った。

「かかってるんですよ、お客様」店主は言った。「いつだってね――あんな子には」そう言っているちょうどそのとき、その子供の小さな白い顔がちらりと見えた。お菓子やうまいものを食べ過ぎた青白い子供、欲望に顔をゆがめた、優しさのかけらも見受けられない小さな暴君が、自分を魅了する窓枠を叩いている。

「そんなことをしてやる必要はありませんよ、お客様」わたしが持ち前の義侠心を発揮して開けてやろうとドアの方へ行こうとしたところ、店主はそう言い、やがてその甘やかされた子供も、わあわあと言いながら連れていかれてしまった。

「どうやってそんなことをやってるんです?」少しほっとしたわたしは聞いてみた。

「これも魔法ですよ!」店主はそう言って、無造作に手をひらひらさせたところ、なんと! 驚いたことに指先から色とりどりの火花が飛んで、店の奥の暗がりに吸い込まれていった。

「君は言ってたね」そう言ってギップに話しかけた。「ここに入ってくる前に、うちの“これを買って友だちを驚かせよう”の箱がひとつほしいと言っただろう?」

 ギップはせいいっぱい、勇気をふりしぼって答えた。「はい」

「君のポケットのなかを見てごらん」

 カウンターから身を乗り出すと――実際、店主の胴体はきわめつけで長かった――、この驚くべき人物は、ふつうの「手品師」のような仕草で、そこから道具を取り出して見せた。

「紙」と彼は言い、バネの飛び出した空っぽの帽子のなかから一枚の紙切れを取り出す。「ひも」そう言うと、口の中にひもを巻いた球でもあるかのように、するするとひもを引き出した。箱を包み終えると、ひもを切り、どうみても残ったのひもは飲み込んでしまったようにしか見えなかった。それから腹話術の人形の鼻の先にある燭台に火をつけて、炎のなかに自分の指を突っ込むと(指は封蝋さながらに赤くなった)、包みに封をした。

「それから消える卵だ」そう言ってから、わたしのコートの胸ポケットからそれを取り出すと、それを包んだ。さらに本物そっくりの泣いている赤ん坊も。わたしは包みをひとつずつギップに手渡し、ギップはそれを胸に抱えた。

 ギップはほとんど何も言わなかったが、その目も、しっかりと抱え込む両手も、雄弁に物語っていた。言葉にならない感情が彼の全身をかけめぐっていた。これこそほんとうの魔法だった。そのとき、わたしは自分の帽子のなかで何ものかが動く気配にハッとした――なにかやわらかく飛んだりはねたりするものだ。振り落とすと、腹を立てた鳩があらわれ――どうやら手品の鳩だ――降り立つとカウンターを駆けていき、どうやら張り子の虎の奥にある段ボール箱のなかに消えたようだ。

「チョッ、チョッ」店主は舌打ちすると、器用にわたしの帽子を取り上げた。「うかつのやつだなあ――おやおや――こんなところに巣を作ってしまった」

 店主が帽子を揺すって、広げた手の中に卵を二つ、三つ、大きなビー玉、時計、半ダースのかならずでてくるガラス玉、最後にくしゃくしゃに丸めた紙、そのほかにもあとからあとからさまざまなものを落としていった。そのあいだずっと、帽子の外にはブラシをかけても中はさぼる人がおおいから、などと言うのは、もちろんぶしつけではなかったが、特定の誰か、つまりわたしにあてこすっているらしい。

「いろんなものがたまってしまうんですよ、お客様……もちろんお客様ばかりがそうだというわけではないんですがね……みなさんのほとんどが、中から出てくるものを見てびっくりなさいます」

丸めた紙くずが積もって、カウンターにどんどん山を築き、やがて店主の姿はその後ろに隠れて見えなくなってしまった。それでも彼の声は聞こえてくる。「わたしたちのだれも、人間がきちんとした外見の裏に何を隠しているのか、わかってやしませんからね。わたしたちがブラシをかけるのは外側だけで、まるで白く塗った墓のよう……」

 その声が消えた――ちょうど、隣の家のレコードにねらいをさだめてレンガをぶつけたときのように、急に静かになったのだ。紙の球も止まった。なにもかもが止まった……。

(この項つづく)

H.G.ウェルズ「魔法の店」その3.

2008-08-29 23:22:49 | 翻訳
その3.

「なるほど」店主はそう言うと、いかにも考え込んでいる、というふうに頭をかいてみせた。すると、見間違いようもなく、髪の毛のあいだからガラスの玉を取り出してみせたのである。「こういうのはどうでしょう?」そう言って、玉を差し出した。

 まったく思いがけない対応だった。そのトリックが演じられるのをそれまでに何度と泣く見ていたのに――ありふれた手品の一種だ――、まさかこんなところでお目にかかるとは思ってもなかった。

「おもしろい」わたしは笑いながらそう言った。

「でしょう?」店主が答える。

 ギップは手を離してガラス玉を手に取ろうとしたが、相手の手のなかには何もなかった。

「ポケットをみてごらん」店主は言ったが、事実、ほんとうにそこにあったのだ。

「その玉はいくらかね?」わたしはたずねた。

「ガラス玉のお代はいただいてないんですよ」店主はおだやかにそう言った。「なにしろこうやって」――そう言いながら肘のところからひとつ玉を出した――「ただで手に入るものですからね」さらにもうひとつ、首の後ろから取り出して、先ほどの玉と並べてカウンターにのせた。ギップは自分のガラス玉をまじまじと見詰めてから、不思議そうな目をカウンターにあるふたつの玉に移し、最後にもの問いたげな丸い目をにこにこと笑っている店主に向けた。

「これもどうかな」店主は言った。「なんだったらもうひとつ口から出してあげよう。ほら」

 ギップはしばらく黙ったままわたしを推し量るようにしていたが、やがて黙って四つの玉を戻して、またわたしの指を確かめるようににぎりしめ、つぎに起こるできごとをおっかなびっくり待った。

「この店ではこうやって手品の種を仕入れるんですよ」店主は言った。

 わたしは冗談がわかる人間であることを示そうと笑ってみせた。「問屋に行く代わりにね。それは安くてすむねえ」

「そうとも言えるんですが」店主は言った。「結局は支払うことにはなるんですよ。でも、そんなたいした額ではないんですがね――ふつう考えられてるほどではないんです……。まあ大がかりな仕掛けや、日々の助けになるようなものとか、必要なものなんかは、あの帽子から出しているんです……。それにですね、お客様、こう言うのもなんですが、本物の手品道具を卸すような問屋などないのですよ。看板にお気づきではございませんでしたかな。『正真正銘の魔法の店』とございましょう?」店主は頬から名刺を引きはがしてわたしにくれた。「正真正銘、と」そう言いながら指で言葉を示して言い足した。「ごまかしはこれっぽっちもございませんよ」

 どこまでも冗談を通すつもりらしい。

 店主はにこにこしながらギップの方を向いた。「ねえ坊や。君は本当に良い子だねえ」

 わたしは店主がそれを知っていたことに驚いた。しつけのことを考えて、わたしたちは家ではあまりそのことをおおっぴらにほめそやしたことはなかったが。だがギップは怖じ気づくこともなく、黙って相手をじっと見つめていた。

「良い子だけがあのドアを入ってこれるんだよ」

 あたかもその実例を示すかのように、ドアががたがた鳴って、甲高い声がかすかに聞こえてきた。「やだよう! 中に入りたいよう、パパァ、中に入るんだぁ。いやだ!」それから困ったような調子でなだめすかすような声が続いた。「鍵がかかってるよ、エドワード」

(この項つづく)

H.G.ウェルズ「魔法の店」その2.

2008-08-28 23:04:25 | 翻訳
その2.

 そこはどう見てもただの店ではなかった。手品の店ということで、おもちゃをほしがっているだけなら、ギップも自分が先になって元気よく中に入っていっただろう。だがわたしにはひとことも話しかけようとはしなかった。

 小さく細長い店で、照明も十分ではない。後ろ手にドアを閉めると、ドアベルがもの悲しげな音を立てた。しばらくのあいだ、わたしたち以外にだれもいなかったので、周囲に目を走らせることができた。張り子の虎が、低いカウンターをふさぐガラスケースの上で、威厳のこもった優しいまなざしで、几帳面に首を振っている。水晶玉がいくつか、手品のトランプを持った瀬戸物の手、サイズもさまざまな手品用の金魚鉢、みっともないバネの飾りがついている不格好な手品帽。床にはマジックミラーが置いてある。姿を細長く引き延ばすものもあれば、頭を大きくして足を消してしまうもの、小さくまん丸のチェッカーの玉のような姿にするもの。わたしたちが笑っているあいだに店の主人がやってきたようだった。

 はっきりとはしないのだが、カウンターの向こうに、顔色が悪く黒い髪をした奇妙な男が立っていた。片方の耳が大きく、あごはブーツのつま革のようだ。

「何かお気に召しますものがございましたかな」そう言うと、長い、手品師らしい指をガラスケースの上に広げた。その声に驚いたわたしたちは、店主に気がついたのだった。

「息子に何か簡単な手品の道具を買ってやりたいんだが」

「手品ですね? 機械仕掛けのものがお好みですか、それともご家庭で楽しむようなもの?」

「おもしろいものならなんでもいいんだ」とわたしは答えた。

(この項つづく)

H.G.ウェルズ「魔法の店」

2008-08-27 22:44:07 | 翻訳
今日から6日ぐらいの予定でH.G.ウェルズの"Magic Shop" の翻訳をやっていきます。
原文はhttp://members.lycos.co.uk/shortstories/wellsmagicshop.htmlで読むことができます。

* * *

「魔法の店」

H.G.ウェルズ


その1.

 その手品屋を目にしたことは、それまでにも何度かあった。一、二度前を通りかかったこともあるが、店のショーウィンドウには、心引かれるような細々としたもの、マジックボールや手品用のメンドリ、すてきな三角帽子、腹話術の人形やかごを使う手品での道具、種も仕掛けもなさそうなトランプといった品々が飾ってあったのだが、入ってみようと思い立つことはなかった。ところがその日、何の前触れもなく、ギップがわたしの指を引っ張ってウィンドウの前まで連れて行くと、どうしても中に入りたげなそぶりを見せたのだった。正直、その店がそんな場所にあると思ってなかった――リージェント・ストリートに面した狭い間口、画廊と特許つきの孵化器から出てきたばかりのヒナが走り回っている店にはさまれている店だとは。だが、まぎれもなくそこにあったのだった。なんとなくその店はピカデリー・サーカスの近くか、オックスフォード・ストリートか、ホーボーンだったかもしれない、ともかくその角を曲がったところにあるような気がしていた。いつもなにかしら、たどりつけない場所にあるような、蜃気楼のようにも感じていた。ところがいまや疑う余地もなくここにある。ギップは人差し指の先でガラスにふれた。

「もしぼくがお金持ちなら」そう言いながらギップは消える卵を軽く指で叩きながら言った。「あれを買うんだけどなあ。それからあっちのも」――指の先には人間そっくりの泣く赤ん坊の人形があった――「それからこれ」と言ったのは、不思議で夢中になりそうな、大変美しいトランプで「これを買って友だちを驚かせよう」と書いてあった。

「あの三角帽子を上からかぶせると、何でも消えてしまうんだ。ぼく、本で読んだことがある。それからあっちに、パパ、消える半ペニー硬貨もあるよ――これをこうやって上にやるだけで、もうどこへ行っちゃったかわかんなくなるんだ」

 息子のギップは母親のしつけられたせいで、自分から店に連れて行ってくれ、と言い出すことはなかったし、だだをこねるようなこともなかった。ただ、半ば無意識のまま、わたしの指を戸口の方へ引っ張って、自分の関心の所在を明らかにしているのだった。

「あそこに」そう言ってマジックボトルを指さす。

「もしあれを持っていたらどうするつもりなんだい?」わたしは聞いてみた。前途有望な質問に、ギップはぱっとかがやかせて顔を上げた。

「ジェシーに見せてやるんだ」いつものことだがそうやって思いやりを示すのだ。

「誕生日まで百日を切ったな、ギブルス君」わたしはそう言うと、ドアの取っ手に手をかけた。

 ギップは何も言わなかったが、私の手をきつくにぎりしめた。そうしてわたしたちは店に入ったのである。

(この項つづく)

「写真撮ってください」

2008-08-26 23:31:49 | weblog
たまに、カメラを渡されて「写真を撮ってくださいませんか」と頼まれることがある。断る理由もないので、ここを押すんですね、と使い方だけ確認して、「はい、撮ります」と声をかけてシャッターを押す。ファインダーの向こうにいる人びとは見ず知らずのわたしに向かって、にこやかな、それでも数パーセントの居心地の悪さがこもった笑顔を向ける。

先日もそんな機会があって、その微妙な居心地の悪さが妙に気になった。

相手が人数も多く、いかにも気の置けなさそうな仲間たちの集まりだったりすると、表情のなかに含まれる「居心地の悪さ」の度合いは低くなる。これはむしろ、集団で電車に乗るときのお行儀の悪さとかに通じるものなのかもしれない。

それに対して、カップルは表情のぎこちなさが目に付く。さっきまでベンチで、人目もはばからずべたべたしていたふたりであっても、見ず知らずのわたしに向ける顔は、傍若無人とはほど遠い。カメラの向こうの視線は、ふたりのあいだに割り込む乱入者として受け取られているのだろうか。

ひとりで旅行に来ていて、風景写真は何枚も撮ったが、自分が「そこ」にいるという写真がどうしてもほしい、という人は、たいてい硬い表情でカメラの方を見ている。まるで自分がこぼれだすのをくい止めようとしているかのように、しっかりとガードを固めている印象を受ける。

わたしたちはカメラに向かうとき、別にVサインを作らなかったとしても、表情を作っている。別に笑顔になるだけではない。そのときの顔というのは、ちょっと気取ったり、こんなふうに見せたい、と思うような表情を浮かべている。演技している、といってもいいのかもしれない。

考えてみれば、わたしたちはどれほど親しい相手でも、家でひとりでいるときのような弛緩した顔はしていない。家族というのは、そのガードが限りなく下がる相手なのかもしれないが、それでも外へ出ればたとえ家族といたとしても表情は変わる。

相手が友だちだったりよく知っている人だったりすると、表情を作ってもあまり気にならないのかもしれない。家族や友だちや恋人に撮ってもらった写真というのは、自然な表情を浮かべているものだ。その自然さというのは、演技なし、というわけではなく、自然に表情を作ることができている、というふうに考えた方がいいかもしれない。

そうして、撮る-撮られるの関係は簡単に逆転するので、自分が表情を作るように、相手だって表情を作っていることを、わたしたちはどこかで気がついているのかもしれない。ところが知らない人が相手だと、この関係は一方通行になる。見ず知らずの人に向かって表情を作ることに恥ずかしさを感じるのだろうか。その恥ずかしさがぎこちなさになっているように思える。

どれだけ表情が硬かったとしても、わたしがカメラを持ったまま走って逃げるかもしれない、と危惧しているのではなく(もしそうだったらどうしよう……)、見ず知らずの人に向かって、表情を作るのはむずかしい、ということなのだろうか。

それを「芸」と呼ぶんだろうか(※8/23業務連絡補足)

2008-08-22 23:38:14 | weblog
小学生の頃、友だちに対する最大の罵倒が「××病院へ行け」という言葉だった。その名前の病院は、内科や外科もある総合病院だが、なんといっても有名なのは精神科で、××病院といえば精神科と同義語だったのである。

わたしは言ったこともなければ言われたこともない、そんなことを口にするのはクラスのなかでも「悪ガキ」と目される男の子たちばかりで、それも先生に見つかったら大目玉を喰らうのはわかっているから、教室を出て、もっぱら帰り道で口に出されていたのではなかったか。

近くを通ったら、窓に鉄格子がはまっていたとか、叫び声が聞こえたなどとまことしやかに言う子もいたが、当時わたしは『楡家の人びと』を読んでいて、そういう話はむしろ興味深く、もっと教えてくれと水を向けると、ほんとうは何も知らなくて、がっかりしたものだった。

ちょうどそのころ、すぐ近所に精神状態の不安定な人がいた。夜、ガラス窓が割れる音が聞こえてきたり、怒号があがったり、泣き叫ぶ声が聞こえたてきたりした。いつもそうだったわけではなく、きちんとした格好でお勤めに出かけているときもあれば、髪をふりみだして家から裸足でものすごい勢いで飛び出してくるのに出くわすこともあった。子供もいたし、調子の良いときはふつうに近所づきあいもしていたので、町内の人も、痛ましい思いで見ていたのではないだろうか。そこの家だけ排斥するようなこともなく、何かの折りに家にも話しに来ていたこともある。その同じ人が、ときにどこを見ているのかすわった目をして歩き回り、ひっきりなしにしゃべっているのだが、言葉はまるで意味を結ばない姿になる。ふだんとはちがう姿は、子供の目には恐ろしく、胸がどきどきしたのだった。いつもあの人は、クラスの悪ガキが口にするあの病院へ行っているのだろうか、と考えたものだった。

それから四半世紀ほどが過ぎ、当時にくらべて「精神病院」という言葉のおどろおどろしさは、すっかり払拭されたように思う。身の回りにも、心療内科に行くよりは精神科に行った方がいいから、と言って、抗うつ剤か何かを飲んでいる人もいるのだが、その人の様子は、昔見た近所の人とはずいぶんちがう。病院の敷居が低くなるとともに、病気に対する偏見がなくなったのはいいことなのだろうが、その人がカバンから出すふくらんだ薬ぶくろを見たりすると、「不安を抑える薬」などが簡単に処方されることに、少し違和感を覚えてしまう。

さらに驚いたのは、自分の異常ぶりをお笑いのネタにする人がいる、という話を聞いたことだった。わたしは見たことがないので、それについては何も言うべきではないのだろうが、正直、そんなことをしていいのかな、と思ったのだった。風邪を引いた真似をして見せても問題にならないように、つじつまの合わない話をまくしたてても問題にはならないのか。

おそらくそれをやっている人は、精神状態に問題がないから、「芸」として成立するのだろう。TVで放映されているということが、逆にそれが「芸」であることを保証している、といってもいい。そうして視聴者は、気持ちのどこかで、こういうものを見てもいいのだろうか、ととまどいながら、TVで放映されているからこれは「芸」なのだ、と思いつつ、どこかで「ほんとうに「芸」なんだろうか」とも思うのだろう。

だが、わたしが感じた不快感はそこにあるのではない。
マジシャンが、これを見てください、と右手にカードを持って見せれば、それは左手で何かをしているということだ。注意を引くための仕草は、反対で何かをやっているサインだということを、わたしたちはみんな知っている。だから、左手に目を凝らす。左手に何かがあるはず、と思って。

奇妙な表情とつじつまの合わない話は「注意を引くため」の右手のカードだとわたしたちは思う。彼女は左手に何を持っているのだろう。何を隠しているのだろう。

だが、もしかしたら何も持っていないのかもしれないのだ。何も持っていない人間が、いかにも何かを持っているというふりをするために、わざと「注意を引くために押し出されたカード」をこれ見よがしに差し上げているのではないのか。
空っぽの手を偽って、いま左手で何かをやっているのだ、とわたしたちに思わせるためだけに。

注意を引くためにTVに出るような人はさまざまなことをやっているのだから、そのなかに精神を病んだ人の真似をする人が出てきてもいいのかもしれない。それを「お笑い」と称したければ、それもいいのかもしれない。

けれど、『徒然草』は一応読んでおいた方がいい。
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
(『徒然草 第八十五段』)

精神を病んだ人の真似をしながら安定した精神状態であり続けるには(つまり、それを「芸」として維持できるには)おそらく尋常一様ではない精神の強さと鍛錬が必要なはずだ。その人がそこまでできる人なら良いのだけれど。


【※業務連絡】

明日から出かけます。
いま「鶏的思考的日常」のvol.23を書き直しているのですが、時間があったら、明日アップできるかもしれません。できないかもしれません(笑)。
月曜日に帰ってきますが、月曜日、ブログの更新ができるかどうか不明です。元気があったらすると思います。
出ているあいだは一時的にコメント欄は事前承認制にします。ご了承ください。

ということで、つぎは月曜日か、火曜日に。
どうかみなさまも良い週末をお過ごしください。

8/23付記
「鶏的思考的日常vol.23」更新しました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

鬼と宴会する話(後編) 

2008-08-21 23:19:00 | 
さて、瘤を取られたお爺さんに代わって登場するのが「左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さん」である。このお爺さん、「近所の人たちも皆このお爺さんに一目置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない」という人物なのである。

以下、このお爺さんを太宰にならって「旦那」と呼ぼう。
旦那は立派な人物であるが、玉に瑕なのがその瘤である。死んでも良いから瘤を切り落としてしまいたいと考えているところに、もうひとりの瘤爺さんが瘤を取ってもらったのだからたまらない。旦那はぜひ、自分も取ってもらおうと思う。彼らは鬼を怖がっていないというのも注目しておこう。
お旦那は、出陣の武士の如く、眼光炯々、口をへの字型にぎゆつと引き結び、いかにしても今宵は、天晴れの舞ひを一さし舞ひ、その鬼どもを感服せしめ、もし万一、感服せずば、この鉄扇にて皆殺しにしてやらう、たかが酒くらひの愚かな鬼ども、何程の事があらうや、と鬼に踊りを見せに行くのだか、鬼退治に行くのだか、何が何やら、ひどい意気込みで鉄扇右手に、肩いからして剣山の奥深く踏み入る。このやうに、所謂「傑作意識」にこりかたまつた人の行ふ芸事は、とかくまづく出来上るものである。このお爺さんの踊りも、あまりにどうも意気込みがひどすぎて、遂に完全の失敗に終つた。
(「お伽草子」)

こうやってみていくと、旦那の様子は、傑作意識にこりかたまった「文学の鬼」の作家先生を彷彿とさせるものだが、その踊りというか、鉄扇を持っての「舞い」が目に浮かぶ。こうして昔話どおり旦那は瘤をふたつつけられてしまうことになるのだが、ここからの太宰の解釈がおもしろい。
お伽噺に於いては、たいてい、悪い事をした人が悪い報いを受けるといふ結末になるものだが、しかし、このお爺さんは別に悪事を働いたといふわけではない。緊張のあまり、踊りがへんてこな形になつたといふだけの事ではないか。それかと言つて、このお爺さんの家庭にも、これといふ悪人はゐなかつた。また、あのお酒飲みのお爺さんも、また、その家族も、または、剣山に住む鬼どもだつて、少しも悪い事はしてゐない。つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも不幸な人が出てしまつたのである。それゆゑ、この瘤取り物語から、日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になつて来るのである。

確かに『宇治拾遺物語』には、「ものうらやみはせまじきことなりとか。」と、とってつけたような「教訓」が最後に来るが、なんだかこの話には勧善懲悪の観点から見れば、よくわからないような話である。わたしは「これは芸は身を助ける」という話なのだろうとかなり長いこと思いこんでいて、「人をうらやむこと」を戒める教訓がついていたなどとは全然知らなかった。

さて、太宰はここから教訓を引き出す代わりに、何を引き出して見せるのか。
 性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。

「性格の悲喜劇」というのだから、性格を取り出してみよう。登場人物たちの性格は大きくふたつのグループに分けられる。
立派で正しい人びとのグループ。
そこからはみ出したグループ。
太宰は「そこからはみ出した人びと」に親近感を抱いてはいるものの、立派で正しい人びとを非難することもない(非難すべき点がないからこそ、立派で正しいわけなのだが)。

だが、立派で正しいお婆さんは、はみ出し者のお爺さんに引きつけられ、結婚したのは良いけれど、やっぱりイヤになっている。立派で正しい旦那も、はすっぱなところのある若い女房をもらっている。立派で正しい人びとは、はみ出し者に引かれ、はみ出し者はまた立派で正しい人びとに引かれる。だが時間がたつにつれ、立派で正しくない相手にがっかりしたり、立派で正しい相手が煙たくなったり。同じようにはみ出し者のなかにまざって騒いでも、いったんは楽しくても、それをいつまでも続けるわけにはいかない。太宰のいう「性格の悲喜劇」とは、はみ出し者であるがゆえに(あるいは立派で正しい人間であるゆえに)、立派な状態にもなじめず(はみ出し者のなかにも入っていけず)、かといってはみ出し者のままでいるわけにもいかず(立派で正しくてもかならずしもうまくいかず)、落ち着きようのない悲劇、と言えるのかもしれない。

こう考えるとお爺さんと旦那はネガとポジ、どちらかが出てくれば、他方は出てくる必要がない。だから途中から主役は交代してしまうのだ。
お爺さん一家と旦那一家。確かに好一対をなしている。そうしてどちらの家庭も微妙にかみ合わないまま、日々の暮らしを営んでいるのだろう。

さて、ここで鬼の役割を最後に見ておこう。
この「瘤取り」の話に出てくる鬼は、人びとを畏れさせた鬼ではない。
ここには、集まって楽しむ一刻の愉楽によって心をのべ齢をのべるような庶民的な異形のものがある。それは、まったく新しい鬼のイメージである。これらはむしろ〈隠れ里〉に通じる雰囲気をもっており、そのゆえに隣家の左頬に瘤のある翁も、何らの危うさを感ずることもなく、「我その定にして取らん」と、鬼との交わりに出向くのである。このような鬼と人との交わりの成立には、ながい時間をかけて民衆の内側に棲みついた〈畏れ〉としての鬼とともに、日常のなかに空想しうるある種の〈期待〉に似た鬼の横顔がある。…お伽噺として「瘤取り爺さん」が今日に伝わる魅力の大半は、もちろん勧善懲悪の教訓などにあるはずはなく、語り手としてのおとなの心が、この鬼の酒宴の場に引き寄せられるからである。怪奇にして、しかもある和らぎのなつかしさうれしさを漂わせる翁の舞の場面に、ふしぎな興奮を感じるとき、明るく解放的な鬼の笑いが、生活の側面を衝いて問いかけやまないのである。
(馬場あき子『鬼の研究』三一書房)

ここで、防空壕で娘に昔話を読んで聞かせている「私」のことを考えてみる。暗いなか、「私」はお爺さんと鬼たちの酒宴のようすをどれほどのあこがれとなつかしさをもって思い描いたであろうか。

やはりこの話は、子供向けの昔話ではないのだろう。

鬼と宴会する話(中編) 

2008-08-20 23:15:28 | weblog
太宰版の「御伽草子」では、「このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである」という文で、舞台が特定してある。

なぜ阿波の剣山なのか。
馬場あき子の『鬼の研究』のなかに「瘤取りの鬼」という箇所があって、ここでは太宰版「瘤取り」にも言及されている。
この一篇における太宰の、〈鬼〉との出会いは、これを書いた昭和二十年三月以降の、敗戦に歩一歩とのめりこむ時代状況と併せて考えるとき、鬼への近親の情は、鬼そのものの正確を考える上にも役立つように思われる。
太宰はこの鬼の話を四国剣山の鬼の話として語ろうとした。剣山は柳田国男氏が「山人外伝資料」にあげられた四国山人の中心をなした地である。太宰は温順な四国の山の奥処に、みずからに疎外者の生き方を貸しつつ生きた山人の集団に、ほろにがい、ほのがなしい共鳴を感じていたのだろうか。
(馬場あき子『鬼の研究』三一書房)

そこで山人というのは何かと柳田国男の『山人外伝資料』を見てみれば、冒頭このように述べられる。
拙者の信ずるところでは、山人はこの島国に昔繁栄していた先住民の子孫である。その文明は大いに退歩した。古今三千年の間彼等のために記された一冊の歴史もない。
(柳田國男「山人外伝資料」『柳田國男4』ちくま文庫)

「山人外伝資料」のなかには、「鬼」と呼ばれたのが村里に近い山で、人を畏れながら暮らしていた山人であることが考察されている。
坂上田村麿等の名将軍の人力で、帰化する者は早く帰化をさせその他は深山の中へ追い入れた。しかし官道の通らぬ山地には険を憑(たの)んで安住し、与党がやや集まれば再び出でて交通を劫(おびやか)した。大江山・鈴鹿山の峠のみならず、時には京都の町中まで人を取りに来る。京都人は彼らが出没の自在なるにおどろいて人間以上の物と認め、当時いろいろの浮説をこれに付け加えたようである。また武具の力では制せられぬと断念して祈祷の方に力を入れ、従って山人をもって単純なる鬼物と認めようとした。
(「山人外伝資料」)

太宰がここでわざわざ「剣山」という山人の四国の本拠を選んだのは、この鬼が妖怪変化の類ではなく、山人であるという含意があったのではないか、と馬場あき子はいうのだ。

太宰版「瘤取り」のお爺さんは孤独をかこっている。
「酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、」まじめで忙しいお婆さん、まじめで働き者の息子の一家の中で、はみ出し者・余計者として生きている。

そうして、宇治拾遺物語や昔話と同じように、山に入っていったおじいさん、雨に降られて木の虚(うろ)に入り込んで一杯やるうち、眠り込んでしまう。目をさましたところで、十数人の鬼が宴会をしているのに出くわすのである。
「鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。」とあるから、確かに「山人」の含意があったのかもしれない。そうして彼らが
「気持よささうに、酔つてゐる。」のを見て、「妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。」

確かにわたしたちは楽しそうな人を見れば、たいていはこちらまで楽しくなってくる。楽しい気持ちは伝播するものだし、同じ酒好きなら、酒を飲んで笑いさざめいている人びとを見るだけで楽しくなってくるのかもしれない。

さらに、家の中で疎外されているお爺さんは、酒を飲む楽しさを人と分かち合うことができない。となると、自分と同じ楽しみを楽しみとしている人(ではないが)を見るだけで、うれしくなってくる、というのもよくわかるし、お爺さんがその輪の中に入っていきたくなる気持ちも十分に理解できる。

ところでこの太宰版「お伽草子」には、ときどき「私」という一人称の語り手が顔を出す。
鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。

「私」はなんでまたこんな感慨をわざわざここでもらすのだろう。

そう思ってその先を読んでいくと、これが単に「鬼」という言葉からの連想だけではないことがわかってくる。
鬼(山人)は里の人びとから疎外されている。お爺さんも酒飲みとして、家の者から疎外されている。
「文学の鬼」という称号をひそかに喜んでいるらしい何某先生たちになじめず、「壕の中にしやがんで」膝の上に子供の本をのせている自分がそこに重ね合わされているのだ。
馬場あき子のいう「鬼への近親の情」というのは、そういうことを指しているのだろう。

さて、太宰版でも『宇治拾遺物語』や『こぶじいさま』と同じように、鬼とおじいさんの別れの刻限は迫ってくる。
「鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない」と想像して、瘤をむしりとるのはいずれも同じなのだが、考えてみると鬼たちの行動はずいぶん紳士的なのである。

そんなに楽しいのなら、強制的に自分たちのもとにつなぎとめておいてもよさそうなものなのだが、鬼たちはそんなことはしない。強制するともはや楽しいひとときをともに過ごすことができないとわかっているようだ。鬼たちはお爺さんを拘束するかわりに約束を交わす。また来てくれるという保証はないから担保こそ取るが、その担保物件である「瘤」は、大切に保存しておいてくれる。

馬場あき子はここでこのような指摘をしている。
これもまた無類に特色的であるのは、右頬に瘤ある翁に何の危害を加えることも思いついていないことである。太宰はその原因を翁の生活のなかに、性格のなかに見いだすことのできるこれらの鬼との同類性、つまり、きわめて逆説的にきこえるかもしれないが、人間的な弱さややさしさに帰して考えようとしている。それはたんに性格悲劇を描こうとしたという以上に、昭和二十年という時点での、太宰のささやかないいわけであり、厭戦の情であったといえよう。このような捉え方のなかに、〈鬼とは何か〉の答えのひとつが浮かんでくる側面がある。
(『鬼の研究)

「〈鬼とは何か〉の答えのひとつ」はあとにまわして、鬼の生活・性格と、お爺さんの生活・性格、そうして語り手である「私」の生活・性格が「同類性」を持って描かれていることは押さえておこう。

さて、お爺さんの方は「瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい」。自分の家に帰っても、お爺さんはやはり孤独である。一晩家を空けても、瘤がなくなっても、正しく立派な家族たちは、理路整然とそれを受け止め、お爺さんはいつもの孤独に戻ってしまう。

『宇治拾遺物語』でも『こぶじいさま』でも、お爺さんは瘤を邪魔にしていた。だからこそ瘤を鬼に取られて密かに喜んだのである。だが、瘤が唯一の話し相手という太宰版では、鬼との約束を果たさない理由がなくなってしまうのではあるまいか。家に帰ったところで、話し相手はなく、酒を飲んでも肩身が狭いのだ。また折りを見て、鬼と一緒に宴会してもよさそうなものである。だが、太宰版のお爺さんは、わびしくごはんを食べながら、物語から姿を消す。

さて、ここから話を結論まで持っていこうと思ったのだが、いいかげん長くなったし夜も更けた。ということで、明日にまで持ち越すのである。

鬼と宴会する話(前編) 

2008-08-18 23:11:24 | 
「鬼」というのは昔話にはおなじみの登場人物(?)だが、「桃太郎」の鬼退治のように、退治される鬼というのは、意外に少数派なのかもしれない。昔話では、どうも人々は鬼を恐れながらも、なかなかうまく共存していたようだ。

たとえばあの有名な「こぶとりじいさん」だが、手元にある『こぶじいさま』(松居直再話 福音館)を見ると、山へ木を切りに行ったおじいさんが、日が暮れて帰れなくなって、「やまのかみさまのおどう」へ入って泊まることにする。すると夜中に山奥から鬼が出てくるのである。

わざわざ「山の神様のお堂」(これは神社と理解してよいのだろうか)の境内へやってきて、何をするかというと、お堂のまわりを囲んで、ぐるぐると踊るのである。鬼たちが一堂に会して踊りを踊るようなスペースは、山の中にはお堂のまわりぐらいしかなかったのだろうか、とも思うのだが、お堂があるということは、人が少なくともそこらまでは行き来するということで、鬼のエリアと人々の生活圏は、きわめて近かったということだろう。

しかも、この鬼たちは「山の神様のお堂」を囲んで、平気でさわいでいる。
たとえばこれがヨーロッパだと、ヴァンパイヤが教会の周りで集まって踊ったり騒いだりすることなど決してあり得ないわけで、そう考えると、「山の神様」に疎んじられている存在でもないのだろう。ただ、一番鶏が鳴くと「それやっ、よがあけるぅ!」とあわてて帰っていくので、この鬼は、日の光とは相性が悪いようだが。

『宇治拾遺物語』にも「鬼に瘤取らるる事」(巻1-3)とあって、こちらでは「木のうつほ」で夜を明かしているところに、鬼が集まってくる、とある。
赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物を褌にかき、大方目一つある者あり、口なき者など、大方いかにもいふべきにあらぬ者ども百人ばかりひしめき集まりて、火を天の目のごとくにともして、我がゐたるうつほ木の前にゐまはりぬ。

と、たいそうな人数(鬼数とでもいうべきか)である。しかも赤鬼は青い服を着て、黒い鬼は赤いふんどしをしており、一つ目入道にのっぺらぼう、と、鬼といってもずいぶんなバリエーションである。

だが、こちらの鬼たちも集まって酒を飲む。総勢百人の大宴会である。
「酒参らせ、遊ぶ有様、この世の人のする定なり」というのだから、鬼も人間も酒を飲む様子には変わりはないらしい。
末より若き鬼一人立ちて、折敷をかざして、何といふにか、くどきくせせる事をいひて、横座の鬼の前に練り出でてくどくめり。横座の鬼盃を左の手に持ちて笑みこだれたるさま、ただこの世の人のごとし

という場面などは、末席の若いサラリーマンが上司の前に進み出て、何ごとか話すのを、上司の側はおちょこを左手に持って満足げに聞いている、というのとまったく同じようすである。宇治拾遺物語の語り手も「ただこの世の人のごとし」と言っているが、十三世紀ごろから人間がやっていることには変わりはないということか。

考えてみれば集まって飲めや歌えの大騒ぎをする鬼というのも、昔話は数あれど、めずらしい話なのではあるまいか。「この世の人のする定なり」「ただこの世の人のごとし」と作者が二回繰り返しているところを見ると、鬼だって意外に人間と変わりはないんだぞ、と、おもしろがっている気配が感じられて楽しい。

そこで鬼たちはひとりずつ舞を始める。うまい鬼もいれば下手な鬼もいる。そこで鬼のえらいさんが、「今宵の御遊びこそいつにもすぐれたれ。ただし、さも珍しからん奏でを
見ばや」、今晩の宴会も楽しいけど、何か珍しいものが見たいなあ、と言うのである。

宇治拾遺では舞とあって、なかなか高級そうなのだが、
『こぶじいさま』ではこんなおかしな歌を歌うのである。
――くるみは ぱっぱ、ばあくづく、
おさなぎ、やぁつの、おっかぁかぁ、
ちゃぁるるぅ、すってんがぁ、
一ぼこ、二ぼこ、三ぼこ、四ぼこ……

そこで、おじいさん、隠れていたお堂から飛び出して
――おれも たして、五ぼこっ

と続けて、踊りの輪のなかに飛び入り参加する。その歌も踊りもたいそうおもしろいので、鬼たちは大歓迎。みんなで踊り明かすのである。

なかなかノリのいいおじいさんだし、鬼たちもフレンドリーだ。みんなで楽しくカラオケをやっているところに、隣の部屋から飛び入りがやってきて、なんだ、こいつは、と思いつつも、歌はうまいし、一緒にいると盛り上がるし、で、ほろ酔い加減なのをいいことに、見ず知らずの人と一緒に大いに騒いでしまう、というところなんだろうか(そういう経験のある人、います?)

さて、太宰治は太宰版の「御伽草子」を書いているが、このなかの最初に出てくるのが「瘤取り」なのである。

宇治拾遺物語にも、福音館版の『こぶじいさま』も、この話がどこかは出てこないのだが、太宰は「このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである」と、勝手に四国に住まわせてしまうのである。

この太宰版の「瘤取り」がまたおもしろいので、明日はもうちょっと詳しく見てみよう。

(この項つづく)

英語の早期教育って必要なんだろうか

2008-08-17 23:25:46 | weblog
先日、小学生を英語を習いに行かせようと思うのだが、どこかいいところを知らないか、という相談を受けた。いまとなってはつながりも切れてしまって、どこかの情報を知っているわけでもない。小学生になると見当もつかない、と断っておいた上で、あとは雑談のように相手の話、ここでは仮にAさんとしよう、Aさんの話を聞いたのだった。

Aさんの主張をまとめると、彼女は中学、高校、大学受験と英語で苦労したから、子供にはそんな思いをさせたくない、と言うのである。
だが英会話教室へ何歳から行ったところで、受験英語にはそれほど役には立たないだろう。受験のことを考えるなら、塾なりなんなりへ行って、それ用の勉強をしたほうが効率がいいのではあるまいか、とわたしは言った。

ところがそういうことはAさん自身も理解しているようだった。受験勉強をどれだけしても、話せるようにはなれないでしょう、と。子供にはしゃべれるようになってほしいという。

だったらAさんが英語を習いに行けばいいじゃないですか、とわたしは聞いた。ところがAさん、わたしはそんなことしたくない、という。いまさらそんな必要はないから。

必要がないのは、子供だって一緒じゃないですか。リンゴを apple といかにも英語風の発音ができたところで、それが「しゃべれる」にはほど遠いし、駅までの想定問答を覚えたところで、必要がなければ何の役にも立たないんじゃないですか。

そもそも話すべき相手も、話したい内容もないところで、いったい何を話すことを期待しているのかわたしにはとんとわからないのだが、Aさんにはどうもそこのところがわかってもらえない。しょうがないので、あまり大手ではない、個人でやっている先生のところを電話帳で探して、あちこち行ってみて、日本語でちゃんと説明してくれる、信頼できそうな先生のところへ行くのがいいのではないか、と、ごく一般的なことを言うことになってしまったのだった。

わたしが不思議だったのは、Aさんが、自分ではやりたくないことを、子供にさせようとしていることだった。確かに親は子供の面倒を見る責任がある。だが、人間には親という以外の側面だってあると思うのだ。自分のために「教育費」を使うことはできないと考えるのであれば、ラジオの語学講座や放送大学という手段もある。学ぶというのは、なにも学齢期にある子供の専売特許ではない。英語を話せるようになりたいのは、少なくとも子供の意志ではないのだろう。そうであれば、子供にさせるより前に自分が学んだ方がよくはないのだろうか。

そこで言っている「英会話」というのは、「英語ぐらいしゃべれなきゃ」という程度の認識しかないのだろう。だが、「英語をしゃべる」というのが、いったい何を指しているのか、わたしにはどうにもよくわからないのである。そうして、そう言っている人自身が、深く考えることなく、そう言っているような気がするのだ。

少なくとも、読めた方がいい、というのならよくわかる。
いまはインストールする際の同意書も日本語で書いてあるものが多くなったが、それでも英語しかない場合も少なからずある。英語が読めれば、アメリカやイギリスのおもしろそうなサイトも読むことができる。洋楽でメロディが気に入って、それが何を歌ったものなのかも、自分が着ているTシャツに何が書いてあるかを読むこともできる(このあいだ、「げろが出そう! わたしから離れて!」と書いたTシャツを着ている女の子を見た。なんでそういうTシャツを作るんだろう。デザイナーの悪意しか感じられない)。

けれど、それなら学校でやる英語の範囲で十分カバーできるんじゃないだろうか。


「見知らぬ人々」、少しだけ手直ししています。
更新情報も書きました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html