陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ワインズバーグ・オハイオ ―「哲学者」その2.

2005-10-14 22:06:03 | 翻訳
 医者はときどき、延々と自分の話をすることがあった。話のどれもが、ジョージ・ウィラードには、実際に起こった、意味深いものであるように思える。しだいにこの太った薄汚い男に引かれるようになり、午後になってウィル・ヘンダースンが出ていったあとで、医者がやってくるのを楽しみにするようになったのだった。

 パーシヴァル医師がワインズバーグにやってきたのは、五年前だった。シカゴから汽車に乗って、ここに着いたときは酔っぱらっており、さっそく手荷物係のアルバート・ロングワースと喧嘩を始めたのだった。トランクにまつわることがその原因で、医者が町の留置場に連行されて片がついた。釈放されると、メイン・ストリートの南側にある靴修理店の二階に部屋を借り、診療所の看板を出した。患者はほとんど来ず、来たとしても支払いもできないような、ひどく貧乏な連中ばかりだったのだが、彼の方は必要な金には困らない様子だった。夜は診察室で寝ていたが、そこはお話にならないほどの汚さで、食事は駅の反対側にある小さな木造の建物、ビフ・カーター食堂ですませていた。その食堂は夏になるとハエがいっぱい飛び回り、ビフ・カーターの白いエプロンは、床よりさらに汚い。パーシヴァル医師は一向に気にする様子もなかったが。すたすたと店に入ってくると、医者は20セントをカウンターに置くと、「なんでもいいから、この金で食わせてくれ」と言って笑った。「客に出せないような食い物を使い切っちまえばいいさ。おれにとっちゃ、なんだって一緒なんだ。おれのような一流人士にでもなると、何を食うかなんてことは、気にもならなくなるのさ」

 パーシヴァル医師がジョージ・ウィラードにする話は、どこが始まりということもなく、終わりというところもなかった。みんな作り話、嘘八百だと思うこともあったが、考え直して 、確かに真実のエッセンスのようなものがこめられている、とも思うのだった。

「おれはいまの君と同じように記者だったことがある」パーシヴァル医師は話し始めた。
「アイオワ、いや、イリノイだったかな、とにかくよく覚えちゃいないんだが、まぁどっちだっていい。もしかしたらおれは身元を隠そうとして、はっきりしたことが言いたくないのかもしれないぞ? 君はいままでオレのことを変なやつだと思ったことはないかね?何の仕事もしていないのに、必要な金は持ってるっていうのを、変だと思ったことはないか?」

「ここに来る前に、大金を盗んだのかもしれないし、人殺しに関わってるのかもしれない。そう疑うだけの根拠はあると思わないか? もし君が、ほんとうに頭の切れる記者だったら、おれのことを調べてみる気になるだろうな。シカゴでクローニンという医者が殺された事件があったな。聞いたことはないかい? 数人が医者を殺し、トランクに隠したんだ。朝早いうちにそのトランクを市街地から運び出した。それを急行便の荷馬車のうしろに積んで、連中は素知らぬ顔で運転席に座ってたんだ。みんながまだ寝ている静かな通りを抜けていった。そこへ太陽が湖からのぼったんだ。おかしいだろう? 考えてみろよ、荷馬車を走らせながら連中が、何食わぬ顔で、いまのおれと同じようにパイプをふかしたり、おしゃべりしてるところを。もしかしたらおれも連中のひとりだったのかもしれないな。もしそうだとしたら、話はずいぶん妙なものになってくるな。そうじゃないか?」
またパーシヴァルの話は、自分の身の上に戻っていく。
「まぁとにかく、そこにいること、おれも、いまの君と同じように、新聞記者だったんだ。走り回って、記事になるようなちっぽけな話を集めていたのさ。おれのおふくろもやっぱり貧乏で、洗濯物を引き受けていたんだ。おふくろの夢は、おれを長老派教会の牧師にすることで、おれもそれを目指して、せっせと勉強してたのさ。

「おやじは何年も前から頭がおかしくなっていた。オハイオ州デイトンの精神病院に入ってたんだ。おっと、うっかり口を滑らせてしまったな。これは実はなにもかもオハイオ、このオハイオでの話なのさ。おれのことを調べるつもりなら、これはおれという人間を組み立てるためのひとつの手がかりだな」

(この項つづく)




-----【今日の出来事】------

仕事が早く終わったので、明るいうちに帰ってきた。
インセンス・スティックを焚いて"Thelonious Himself"を聴く。なにしろ音源は学生時代に買ったLPなので、ひさしぶりに使うレコード・プレーヤーが鳴らなかったらどうしようと思ったが、なんとか大丈夫だった。聴く前から頭のなかでモンクのピアノが鳴っていたので、聴けなかったらすごいフラストレーションになるところだった。昼間から"round midnight"でもないのだけれど、「気持ちよく」落ち込みたかった。「癒し」などというものはいらない。落ち込んで、起きあがるだけ。

ということで起きあがって、晩ゴハンは気合いを入れてオッソ・ブッコを作る。名前は派手だが、要は牛のすね肉を炒めて野菜と煮るだけのもの。牛のかわりにラムを使えばアイリッシュ・シチュー、ウインナにしたらポトフ、魚介にしたらブイヤベース、つまり世界中あまねくある料理(日本だとおでんになるのかな?)。煮込む間はコンロの前に椅子を引っ張ってきて市川浩を読む(こうしないと、鍋を火にかけているのを忘れるから)。食べ過ぎた。