陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

物語をモノガタってみる その6.

2005-10-30 21:25:03 | 
6.歴史を語ることは物語か?

先にあげたデイヴィッド・ロッジが、「未来を想像する」という項目で例に引いているのは、ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984』の冒頭である。ここでこの近未来小説をもう一度見てみることは、無駄ではないだろう。

 四月のある晴れた寒い日で、時計は十三時を打っていた。ウィンストン・スミスはいやな風を避けようと顎を胸もとに埋めながら、足早に勝利マンションズのガラス・ドアからすべりこんでいったが、さほど素早い動作でもなかったので、一陣の砂ぼこりが共に舞い込むのを防げなかった。
 廊下にはキャベツ料理と古マットの臭気が漂っていた。突きあたりの壁には、屋内の展示用として大きすぎる色刷りのポスターが画鋲で止めてあった。巨大な顔を描いただけで幅は一メートル以上もあった。四十五、六歳といった顔立ちである。豊かに黒い口髭をたくわえ、いかついうちにも目鼻の整った造りだ。ウィンストンは階段を目指して歩いて行った。エレベーターに乗ろうと思っても無駄だった。いちばん調子のよい時でさえたまにしか動かなかったし、まして目下のところ、昼間は送電が停止されていたからである。この措置は憎悪週間(ヘイト・ウィーク)を準備する節約運動の一環であった。三十九歳で、しかも右足首の上部に静脈瘤性潰瘍のできている彼は、ゆっくりと階段をのぼりながら、途中で何回もひと休みをした。各階の踊り場では、エレベーターに向かい合う壁から大きな顔のポスターがにらみつけていた。見る者の動きに従って視線も動くような感じを与える例の絵柄だ。「偉大なる指導者(ビッグ・ブラザー)があなたを見守っている」絵の真下には、そんな説明がついていた。
(ジョージ・オーウェル『1984年』新庄哲夫訳 ハヤカワ文庫)

デイヴィッド・ロッジはこの冒頭の一文が「名文であるのもうなずける」としたうえで、「要するにオーウェルは、読者が意識的にしているにせよいないにせよ、すでに知っているもののイメージを喚起し、修正し、そして再構成することによって想像上の未来を描いてみせたのである」(前掲書)としている。

だが、改めてこの冒頭を読んでみると、奇妙な感覚に打たれる。過去に描かれた未来は、現在のわたしたちからみれば既に過去であり、過去形で叙述されているために、通常のフィクションといってもなんら差し障りがないものであるはずだ。事実、冷戦期の東欧、プラハの春以降のチェコ・スロバキアや旧ユーゴスラビア、ポーランドや東ドイツなど、このような雰囲気があったのかもしれない、という感じがする。

にもかかわらず、ミラン・クンデラやギュンター・グラス、あるいはアゴタ・クリストフらが描く東欧を舞台にしたフィクションにはない、独特の歪んだ感覚がある。マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』やフィリップ・K・ディックのSF、あるいは「未来世紀ブラジル」や「ブレードランナー」「12モンキーズ」「マトリックス」などの映画に共通するのが、この歪んだ、足場のぐらぐらするような感覚なのである。

ロッジが言うように、「すでに知っているもののイメージを喚起し、修正し、そして再構成」した結果、だれもが同じようなイメージにたどりついていくのかもしれない。けれども未来を語ろうとするときの言説は、どのようなものであれ、一種の歪んだ、不安定な叙述にならざるをえないのではないか。

逆に、歴史小説や歴史に材を取った映画は、純粋なフィクションにはない共通した安定感がある。多くの歴史映画は「娯楽大作」として作られるし、たとえ悲劇的な結末に向かうものであっても、閉塞感といったものとは無縁である。

これはなぜなのだろうか。
ひとつには、歴史小説はわたしたちがその結末を知っている、ということがあるだろう。いわば動かしようのない結末という安定した着地場所があるのだから、そこへ向かうプロセスが揺らぎとは無縁なのも不思議はない。

けれども歴史を語る叙述そのものに、その安定感が起因するのだとしたら。

ここで問題になってくるのが、歴史的叙述と歴史小説は、はたしてまったく別個のものなのか、歴史はどこまで物語か、ということである。
実はこの問題、非常に古くて、かつ新しいもんだいなのである。

まず、文学についての最初(実は中国やインドではもっと古い理論があるので、正確には西欧と限定すべきだろう)の体系的概説を残したアリストテレスは『詩学』のなかでこんなことを言っている(この『詩学』という薄っぺらい書物は偉大な本であり、小辞典と称しながら索引抜きで555ページもある『言語理論小辞典』(オスワルド・デュクロ ツヴェタン・トドロフ共著 滝田文彦訳 朝日出版)で著者のデュクロとトドロフは「他のどんなテクストも歴史的重要性ということでは彼の『詩学』には比べられない」としたうえで、「ある意味では」と意味のない但し書きをつけながら、「詩学のいっさいの歴史は、アリストテレスのこのテクストの再解釈にすぎないのである」としている。ちなみになぜ「詩学」であって「文学」でないかというと、アリストテレスの時代「文学」とは「詩」であり、「詩」で構成された「悲劇」であって、「小説は近代の成り上がり者」(ジョナサン・カラー『文学理論』岩波書店)だからなのである)。

 詩人(作者)の仕事は、すでに起こったことを語るのではなく、起こりうることを、すなわちありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである。なぜなら、歴史家と詩人は、韻文で語るか否かという点に差異があるのではなくて――じじつ、ヘーロドトスの作品は韻文にすることができるが、しかし韻律の有無にかかわらず、歴史であることにいささかの変わりもない――、歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に差異があるからである。したがって、詩作は歴史にくらべてより哲学的であり、より深い意義をもつものである。というのは、詩作はむしろ普遍的なことを語り、歴史は個別的なことを語るからである。(第九章)

 叙事詩の筋は、悲劇の場合と同様に、劇的な筋(※ミュトス=プロット)として組み立てられなければならない。すなわち、それは、初めと中間と終わりをそなえ完結した一つの全体としての行為を中心に、組み立てられなければならない。そうすることによって、それは一つの完全な生きもののように、それに固有のよろこびをつくり出すことができるであろう。
 また、出来事の組みたては、歴史の場合とは異なったものでなければならない。すなわち、歴史においては、一つの行為についてではなく、一つの時間(時期)について解明がおこなわれなければならない。その時間のなかで起こったかぎりの出来事は、一人の人間についてであれ、二人以上の人間についてであれ、取りあげられるが、それらの出来事の一つ一つが相互に関係をもつのは偶然による。というのは、たとえばサラーミスの海戦と、カルターゴー人にたいするシケリアーでの戦いは同時に起こったけれども、けっして同一の結末を目指したものではなかったのと同様に、連続する時間のなかである出来事がほかの出来事のあとにつづいて起こっても、これらの出来事から一つの結末はけっして生じないことがよくあるからである。しかし、ほとんどの詩人はこれと同じことをしている。(第二十三章)
(『アリストテレース・詩学 ホラーティウス詩論』松本仁助・岡道男訳 岩波文庫)

つまりこれによれば、詩人が語るのは、ある人がこういうことをやった、ということではなく、人間というのはこういうことをやるだろう、やるにちがいない、ということを創作するのであり、歴史は個々に起こった出来事を記述するのだということになるだろう。

ところが偉大なアリストテレスも、なんだか相当おかしなことを言っている。
まずアリストテレスは、歴史は個々の事件を語る、という。しかも、個々の事件の関係をたどって、ひとつの結末に構成するものではない、という。これでいくと、歴史とは「個々の事件を発生順に正確に記録」したものになる。これは「歴史」というよりも、「歴史年表」といっては言い過ぎか、それにしてもせいぜいのところ「年代記」にすぎない。

ところがアリストテレスを百年ほどさかのぼる歴史家、トゥキュディデスは、まったくちがうことを言っている。
『物語としての歴史』(アーサー・C・ダント 河本英夫訳 国文社)には、トゥキュディデスの言葉が引用されているので、その部分を引用してみる。

彼はその有名な著作(※『歴史』)を、以下の文章で書き起こしている。「アテナイ人トゥキュディデスは、ペロポネス人とアテナイ人がたがいに争った戦いの様相をつづった。筆者は海戦劈頭いらい、この戦乱が史上特筆に値する大事件に展開することを予測して、ただちに記述をはじめた」。彼は自分が経験しつつある一連の出来事が「意義」をもつと考え、それが語るに値する重要な物語であり、のちにそれらを物語ることができるように、ものごとを起こるがままに観察したことは明らかである。トゥキュディデスは、本当に起こったことを知るにさいし能うかぎり正確であろうとした。そしてその正確さのため、莫大な労力を費やしたと述べている。……しかし正確な説明を与えることは、彼のさらなる目的にとって不可欠の条件であったものの、トゥキュディデスはたんに正確を期するためだけに多大な労苦を払ったのではない。……トゥキュディデスの著作は、彼の言葉を借りれば「未来について理解する手助けとして、過去についての正確な知識を得たいと望む」人々に向けて書かれた。

この「歴史科学の父」(とダントは書いている)の時代から、歴史は「個別」を越えて、「普遍を語り」、「起こる可能性のあること」を語り、未来に向けて書かれていたのである。アリストテレスの歴史的認識というのは、当時から既にずれていた、と言えるのではあるまいか!?

さて、つぎに、アリストテレスのいう「すでに起こったこと」についてはどう考えたらよいのだろうか。

歴史は事実に基づいたもの。物語は虚構に基づくもの。わたしたちは、アリストテレス同様、なんとなくそのような区分を持っている。ところがダントはなんと(すいません、ちょっと疲れてます)

歴史叙述において最も典型的に生じるように見える種類の文を、分離し分析してみようと思う。私はこれらを指して「物語文」と呼ぶことにする。これらの文の最も一般的な特徴は、それらが時間的に離れた少なくともふたつの出来事を指示するということである。
(前掲書)


なんとなんと、歴史を叙述する文章が「物語文」なのだという。これはどういうことなのだろうか。