陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

グレアム・グリーン 『破壊者』その7.

2004-10-31 18:20:25 | 翻訳
4.
 
 マイクが寝に帰ったほかは、みんながその場に残った。だれがリーダーかなど、もうどうでもいいことだった。釘やノミ、ドライバー、とにかく先が尖って突き刺せるものを手に、内壁に沿って移動しながら、レンガの合わせ目をかきとっていく。最初はやる位置が高すぎたのだが、ブラッキーが偶然、防湿層に行き当たり、そのすぐ上の接合部を削って弱くしておけば、作業が半減することがわかった。時間ばかりかかる退屈でおもしろみのない仕事だったが、とうとうそれも終わった。骨抜きにされた家を、接合層とレンガをつなぐ数センチの漆喰が、きわどく支えていた。

 一番危ない仕事、外の爆弾跡地の外れでやる作業がまだ残っている。サマーズが通りの見張りに出た。便器に腰掛けていたトーマス氏の耳にも、いまやはっきりノコギリをつかう音が届く。家から聞こえてくる音ではなかったので、トーマス氏は多少気が休まった。心配することはない。ほかの音だって、気にするほどのこともなかったのだろう。

 孔から声が話しかけてきた。「トーマスさん」「わしを出すんだ」トーマス氏はせいぜい厳しい声を出す。
「毛布をもってきました」長い灰色のソーセージのようなものが押し込まれ、ぐるぐる巻きのまま、トーマス氏の頭の上に落ちてきた。

「個人的に恨みがあるとかいうんじゃないんです。一晩、気持ちよく過ごしてください」
「一晩だって」あっけにとられたトーマス氏は、鸚鵡返しに言うだけだった。
「これ、取ってください。パンです――バター、つけといてあげました。あと、ソーセージ・ロールも。おなかをすかせてほしくないんです、トーマスさん」
 トーマス氏は必死で嘆願した。「冗談は冗談にとどめておこうや、な、坊や。外に出してくれりゃ、わしはなんにも言わん。リューマチが出てきてな。ゆっくり寝なくてはならんのだ」

「ゆっくり寝るなんてムリですよ、あなたの家じゃムリだ。いまとなっちゃ」
「おい、どういうことだ」だが足音は遠ざかってしまった。夜の静けさだけがあとに残る。ノコギリの音も、もう聞こえない。トーマス氏はもう一度叫ぼうとしたが、あまりの静けさにひるみ、うちのめされたような気がした。遠くでひとつ、ホーというふくろうの啼き声がしたが、やがてその声も静寂の世界に音もなく羽ばたいていった。


 翌朝七時、運転手がトラックを取りに来た。座席にあがってエンジンをかけようとする。遠くで人がわめいているのを漠然と感じはしたものの、意識には上ってこなかった。やっとエンジンがかかったので、トラックをバックさせてトーマス氏の家を支える太いつっかえ棒のところまで下げる。そうすると切り返しなしで直接通りに出られるのだ。トラックは前進したが、出し抜けに後ろから引っ張られでもしたように、一瞬止まった。ふたたび前進を始めたとき、ガラガラドッシャーンという破壊音がとどろき渡った。レンガがバラバラと降ってきて、仰天する運転手の目の前で跳ね返り、運転席の屋根に石がぶつかる音がした。運転手は急ブレーキをかけた。外へ出てみると、あたりの風景が突如、一変している。駐車場の脇の家が忽然と消え失せ、瓦礫の山があるばかり。後部に回って、トラックに壊れた箇所はないか調べにいくと、ロープが結わえつけてある。反対側の端は、家のつっかえ棒にまきついていた。

 運転手はまただれかの叫び声を聞いたように思った。声は木造の小屋、レンガが積もる廃墟になり果てた家の脇の小屋から聞こえてくる。運転手はこなごなに砕けた壁の山を乗り越えて、小屋の鍵を開けた。トーマス氏が便所から出てきた。パンくずのついた灰色の毛布を身体に巻きつけている。トーマス氏はべしょべしょと泣いていた。「わしの家が。わしの家はどこへ行った」

「さぁて、どこだかねぇ」浴槽の一部と、かつては鏡台だったものの残骸がふと目に留まり、運転手は笑い出した。きれいさっぱり、どこにも、なにひとつとして残ってはいないのだ。

「よくも笑えるな」トーマス氏は言った。「わしの家だったんだぞ」

「すまないな」運転手は笑うまいとあっぱれな努力をしたのだが、突然トラックが止まってレンガが雨あられと降り注いだことを思いだすと、こみあげてくる笑いをどうすることもできない。さっきまで家が建っていたのだ。爆弾跡地にシルクハットの紳士のようにもったいをつけて。それがどうだ、ドッシャーン、ガラガラ、で、なにひとつ残っちゃいない――なにひとつ。「すまない。だけど笑っちまうよ、トーマスさん。あんたに恨みがあるわけじゃないんだが、どうしたっておかしくって」


――了――


グレアム・グリーン 『破壊者』その6.

2004-10-30 18:20:20 | 翻訳


 しみったれじいさんは脚を引きずりながら、広場を渡ってきた。立ち止まって、靴についた泥を舗道の縁でこそげ落とす。家は汚したくない。爆弾跡地に一軒だけ黒々とそびえ立つ家は、間一髪、とじいさんは信じていたのだが、破壊を免れたのだ。爆風を受けても、ドアの上の欄間までが無事だった。どこかで口笛がした。しみったれじいさんは、厳しい目であたりを見回した。口笛というのは、油断がならん。子どもが叫んでいた。どうも自分の庭から聞こえてくるようだ。そのとき少年が、駐車場から道路へ走ってきた。「トーマスさん」と呼び止められた。「トーマスさんですね」

「どうしたんだ」
「ほんとにごめんなさい、トーマスさん。友だちのひとりが用を足したくなって、それで、ぼくたち、おじさんはお気になさらないだろうと思ったんです。そしたら、そいつ、外へ出られなくなって」「なにを言ってるんだ」
「トイレから出られなくなっちゃったんです」
「いったい何の権利があって……。おまえ、前に会ったことがあるな」「お宅を見せてもらいました」
「そうだった、そうだった。だからといって、おまえに権利は……」
「急いでください、トーマスさん。窒息しちゃう」
「ばかな。窒息するわけがない。カバンを中へ置いてくるまで待ってなさい」
「カバンはぼくが持ってあげます」
「よせ。自分で持つ」
「トーマスさん、こっちです」

「そっちから庭へは入れんぞ。家を抜けて行かにゃ」
「だいじょうぶ、トーマスさん。ぼくたち、よくやってるんです」
「よくやってるだって?」あきれてものがいえないな、と思いながらも、興味を引かれて少年のあとをついていく。「いつから、どういう権利があって……」

「ここ、わかります? 塀が低くなってるんです」
「自分の家の庭に入るのに、塀を乗り越えるなんて冗談じゃない。馬鹿げとる」

「ぼくたち、こうやってるんです。ここに足をかけて、もうひとつの足はこっち。ほらね」少年が上から覗きこんだかと思うと、手が伸びて、あっという間にカバンをつかんで塀の向こうに降ろしてしまった。

「カバンを返すんだ」トイレからは男の子のあげる悲鳴がしきりに聞こえてくる。「警察を呼ぶぞ」
「カバンならだいじょうぶ、トーマスさん。ほら、片っぽの足はそこ。右です。で、ちょっと身体を持ち上げて、こんどは左」トーマス氏は塀を乗り越えて自分の庭に入った。「はい、カバンです、トーマスさん」

「塀を高くするぞ。おまえらのような子どもたちが、塀を乗り越えて便所を使わないようにな」庭の小道でつまずきそうになったトーマス氏を、少年が肘をつかんで支えた。反射的に「おお、すまないね、坊や」とつぶやく。だれかが暗闇の向こうでまた叫んだ。「いま行ってやるからな」トーマス氏も大きな声で答える。そうしてかたわらの少年に言った。「わしは分からず屋じゃない。昔はわしだって子どもだったんだ。ものごとをきちんとするんだったらな。土曜日の午前中にここで遊んだってかまやしない。わしも人に来てほしいことだってあるんだ。きちんとしてくれたら、の話だが。だれかひとり、遊びにいってもいいですか、と聞きに来て、わしが、いいよ、って言ったらな。もちろん、ダメだ、と言うときもあるだろう。そんな気分じゃないときはな。そうやって遊びに来たときは、玄関から入って、帰るときは裏口からだ。庭の塀は乗り越えるな」

「あの子を出してやって、トーマスさん」
「便所から出られなくなっても、危ないことはないさ」トーマス氏はそう言って、よろけながらのろのろと庭を進んだ。「このリューマチが。バンク・ホリデイになると出てくるんだ。気をつけなけりゃならん。ここはグラグラする石だらけだ。手を貸してくれ。昨日の星占いはなんと出ておったと思う?『週の前半は、いかなる取引も自重せよ。崩壊の危険あり』ときたもんだ。あれはこの道のことかもしれん。占いなんてものは、たとえ話やどっちにでもとれる言い方ばかりだからな」便所の前で立ち止まると、なかに声をかけた。「どうしたんだ?」返事はない。

「たぶん気を失っちゃったんだ」
「まさかここでそんなことがあるわけがない。さぁ、出ておいで」力いっぱい引いたドアがあまりに簡単に開いたので、勢い余ったトーマス氏はひっくり返りそうになった。身体をささえてくれた手が、どん、と背中を押した。壁にしたたか頭を打ちつけて、どすんとそのまますわりこむ。かばんが足にぶつかった。手がスッと伸びてきて、錠前から鍵をとりあげ、ドアをバタンと閉める。「出してくれ」と言ったが、外で鍵がかかる音がした。「これが崩壊だ」と考ると、身体が震えだし、わけが分からなくなり、ひどく年取ってしまったような気がした。
 星型のドアの孔から優しい声が聞こえてきた。「心配しないで、トーマスさん。ぼくたちはあなたに危害を加えるつもりはないんです。おとなしくそこにいてくれるんだったら」

 トーマス氏は頭を抱えて思案した。駐車場にはトラックが一台あっただけだし、まずまちがいなく朝になるまで運転手はこないだろう。ここで声をあげても、表通りからは聞こえようがないし、裏の路地は絶えて人通りがない。通りかかる人はみな家路を急いでいるだろうから、酔っぱらいの叫び声とおぼしきもののために、立ち止まることもあるまい。「助けてくれ」と怒鳴ってみたところで、ひとけのないバンク・ホリディの夜、勇をふるって探してくれる人があるだろうか。トーマス氏は便器の上に腰を下ろして、甲羅を経た者の智慧をふりしぼろうとした。

 しばらくすると、静まりかえったなかに物音が聞こえてくるような気がした。――家の方からかすかな音がする。立ち上がって通気口から外をのぞいた――鎧戸の一枚に裂け目ができていて、そこから光が洩れている。電灯の明かりではない、ゆらめく光、ろうそくの炎のような光だ。ハンマーで叩くような音、ノコギリをひくような音、何かを削るような音。強盗団だ――おそらくやつらはあの子を偵察に使ったのだ。だがなぜ強盗団が、いよいよ大工仕事にしか思えない、あんな音を立てて何をこっそりとやっているのか。トーマス氏はためしに叫んでみたが、返事をするものはなかった。その声は敵の耳にさえ届かなかっただろう。

(次回最終回)

グレアム・グリーン 『破壊者』その5.

2004-10-29 18:21:39 | 翻訳
3.

つぎの朝から、本格的な解体が始まった。来なかったものがふたり。マイクともうひとりはそれぞれ親に連れられて、サウスエンドとブライトンに海水浴に出かけたのだった。なまあたたかい雨がぽつり、ぽつりと落ち始め、テムズ川河口では、奇襲の始まりをつげる、あのなじみ深い銃声のような遠雷が聞こえていたのだが。「急がなけりゃならない」とTが言った。

サマーズが反抗した。「もう十分じゃねぇか? スロットマシンで遊べるように、10セントもらってきたんだ。これじゃまるで仕事だよ」「まだ始まったとさえ言えないんだ」Tは答えた。「床はまだ全部残ってるし、階段もだ。窓には手さえつけちゃいない。おまえだってみんなと同じように賛成したんだろ。この家をぶっ壊すんだ。終わるときには、なにも残ってちゃいけない」

まず一同は、一階の外壁につながる表面の床板に取りかかった。根太は剥き出しにしたまま放っておく。それからノコギリで根太を切り、残った部分が傾いて沈んでいくと、玄関ホールに退却した。手順がわかったので、二階の床を抜くのは、もっと簡単にいった。夕方になるころには、みんなすっかりハイになってしまって、はしゃぎながら巨大な空洞と化した家を見下ろしていた。危ないこともやったが、失敗もした。窓に気がついたときはすでに遅く、どうやっても手が届かない。「ちぇっ」といいながらジョーはペニー銅貨をひとつ、この水のない、巨大な井戸の瓦礫のたまった底に放り投げた。コインは音をたてながら割れたガラスの間を縫うように落ちていった。

「なんでオレたちはこんなこと始めちゃったんだろう」サマーズがいまさらながら驚いたようにいった。Tはもう下に降り、瓦礫を掘りおこして、外壁に沿って溝を作っている。「蛇口をひねるんだ。もう暗くなったからだれにも見つかりゃしないし、朝になったらそんなことはどうだってよくなる」水はみんながいた階段に達すると、床のない部屋に降り注いだ。

 そのとき裏でマイクの口笛が響いた。「まずいことが起きたんだ」とブラッキー。ドアの鍵をあけてやると、マイクのぜいぜいいう荒い息が聞こえた。

「おまわりか」とサマーズが聞く。
「しみったれじいさんだよ。帰ってくるんだ」マイクは得意そうに言った。「なんでだよ」Tが言った。「オレに言ったのに……」子どもだったことなどなかったTが、子どもらしい怒りに震えながら抵抗した。「卑怯だぞ」

「サウスエンドで降りたんだよ。そこから汽車で引き返してきたんだ。寒いし、雨は降り出すし、ダメだ、って」マイクは言葉を切ると、まじまじと水を見た。「すげぇ。こっちじゃ嵐だったんだね。屋根が漏ってるの?」

「どのくらいで帰ってくる?」
「5分ぐらい。オレ、母ちゃんほっぽって走ってきたから」
「引き上げようぜ」とサマーズがいった。「どっちにしろ十分やったじゃねぇか」

「冗談じゃない、まだダメだ。だれだってできるさ、こんなもの――」“こんなもの”とは、壁よりほかは何も残っていない、破壊されつくした空洞のような家のことだった。だが、壁は残っていた。外壁は損なわれていないのだ。内部なら、前よりも美しく作り直すことだってできる。「こんなもの」でも、また人の住む家となりうるのだ。Tは怒りにまかせて言った。「仕上げをしなくちゃ。帰っちゃダメだぞ。ちょっと考えさせてくれ」

「時間がない」だれかが言った。
「方法があるに決まってる。じゃなきゃここまでやれなかったはずだ……」

「もう十分やったよ」ブラッキーが言った。
「冗談じゃない。だれか表を見張っててくれ」
「これ以上はムリだ」
「裏から入ってくるかもしれない」
「じゃ、裏もだ」Tの言葉は嘆願の色を帯びてきた。「ちょっと時間をくれよ。なんとかするからさ。オレが絶対になんとかするから」Tの態度から決然としたところが消えていくのにあわせて権威も失われていく。もはやTはひとりのメンバーでしかなかった。「たのむよ」

「たのむよ」Tの真似をしたサマーズは、ふいに、Tに致命傷を与える決定的な名前を口にした。「お家へお帰り、トレイヴァー坊ちゃん」

 Tは瓦礫を背に立っていた。まるでノックアウトされて朦朧となりながらロープにもたれるボクサーのように。揺らいですり抜けていく夢に、Tは言葉を失っている。そのときブラッキーが笑い出す隙をだれにも与えず、サマーズを押し戻した。「表はオレが見張るよ、T」そう言うと、玄関の鎧戸を用心しながら開けた。灰色に濡れた広場が目の前に広がり、水たまりは明かりを反射して光っていた。「だれかが来る、T、いや、じいさんじゃない。おまえの計画は決まったか」

「マイクに外へ出てトイレの近くに隠れろ、って言ってくれ。オレの口笛が聞こえたら、10数えて、叫ぶんだ」「なんて叫ぶ?」
「“助けてくれ”でもなんでもいい」

「マイク、聞こえたな」ブラッキーが言った。リーダーはふたたびブラッキーだった。鎧戸の隙間に目を走らせる。「T、じいさんが来たぞ」「急げ、マイク。トイレだ。ブラッキーはそこにいてくれ、みんなもだ。オレが呼ぶまで」

「おまえはどこに行くんだ、T」
「だいじょうぶだ。オレがなんとかする。さっきそう言っただろ」

(この項続く)

グレアム・グリーン 『破壊者』その4.

2004-10-28 19:35:10 | 翻訳
2.

 日曜日の朝、ブラッキー以外、マイクも含めた全員が、定刻通りに集まった。マイクはツイていたのだ。母親は調子が悪く、父親は土曜の夜のどんちゃん騒ぎで疲労困憊していたために、もし寄り道でもしたならどういう目にあうかわかってるだろうな、とさんざん脅されながら、教会はひとりで行ってこい、と言われたのだ。ブラッキーは、見つからないよう苦心してノコギリを持ち出し、さらにスレッジ・ハンマーを、15番地の裏手でさんざん探し回らなければならなかった。パトロール中の警官に出くわす怖れのある大通りを避けて、裏庭に面した路地から家に近づく。元気のない常緑樹が、荒れ模様にかすむ日の光をさえぎっている。今年のバンク・ホリデイにも雨を降らせてやろうと、大西洋上には雨雲が張り出しており、早くも木の下ではほこりが小さな渦巻きをつくっていた。ブラッキーはしみったれじいさんの塀をよじのぼった。

 人の気配がどこにもない。墓場にひっそりたたずむ墓石のように、トイレの小屋がぽつんと立っていた。カーテンは降りている。家は眠っているようだ。ブラッキーはノコギリとスレッジ・ハンマーをひきずって、どたんどたんと近寄っていった。結局だれも来やしなかったんだ。計画なんて、とほうもないデッチ上げだったんだ。朝起きてみたら、ほんとに目が覚めた、ってわけさ。だが裏口のそばまで来ると、ハチの巣から聞こえる微かな羽音のような、さまざまに入り交じった音が聞こえてきた。カタカタ、バンバン、シューシュー削っているような音、キーキーと軋む音、突然、耳をつんざく何かが割れた音。ほんとうだったんだ。ブラッキーは口笛を吹いた。

 仲間が裏の戸を開けて中に入れてくれた。組織化された雰囲気が即座に伝わってくる。ブラッキーがリーダーだったころの、行き当たりばったりのやりかたとは、似ても似つかないものだ。しばらく階段を上がったり降りたりしてTの姿を探した。だれも声さえかけてこない。とにかくすぐにTを見つけなくては、と思ったのだが、しだいにブラッキーにも計画が飲み込めてきた。外壁には一切触れず、室内をことごとく破壊しつくすのだ。サマーズはハンマーとノミで、一階のダイニングルームの横板をはがしていた。ドアの嵌木細工は、すでに彼の手で粉々になっている。同じ部屋でジョーが寄せ木張りの床板を引きはがしていたので、地下室の上に渡した軟材が剥き出しになりかけていた。横板の内側から転がり出たとぐろを巻いた電線を、マイクは床に座りこんで、幸せそうな顔をして切っていた。

 カーブを描く階段では、団員がふたり、役に立たない子ども用のノコギリで、一生懸命手すりを切ろうとしていた。ブラッキーの大きなノコギリを見つけて、口も聞かず、持ってきてくれ、と手招きした。つぎに通りかかったときには、すでに手すりの四分の一が、玄関ホールに落ちていた。やっと見つけたTはバスルームにいた。家の中で唯一、だれもなにもしていない場所に腰を下ろして、物思わしげな顔で、階下から上がってくる音に耳を傾けていた。

「ほんとにやったんだな」畏敬の念にうたれたブラッキーが声をかけた。「これからどうなるんだ」

「まだ始まったところさ」Tはブラッキーのスレッジ・ハンマーに目をやると、指令を下した。「ここで風呂と洗面台をやってくれ。配水管は気にしなくていい。あとでやる」

 戸口にマイクが現れた。「配線は片付けたよ、T」

「よし。今度は少しあっちこっち行ってもらわなけりゃならないぞ。地下室に台所がある。うつわでもグラスでもビンでも、手当たり次第になんでも毀すんだ。いまはまだ、蛇口をひねるなよ。水浸しにでもなったら大変だからな。それから、全部の部屋へ行って、引き出しという引き出しをひっくりかえすんだ。もし鍵がかかってたら、だれかに毀して開けてもらえ。本でもなんでも紙は全部破って、置物も粉々にする。台所から肉切り包丁を持っていったほうがいいな。ここの反対側に、寝室がある。枕の詰め物をぶちまけて、シーツは引き裂け。いまのところ、それくらいだな。それからブラッキー、ここが終わったら、廊下の漆喰もそのスレッジ・ハンマーで叩き壊してくれ」

「おまえは何をする?」ブラッキーがたずねた。「なにかすごいことを探してる」Tは答えた。

 ブラッキーが作業を終えてTを探しにいったのは、昼時に近いころだった。混沌はいっそう深まりを見せている。台所はガラスと陶器の大虐殺の跡。ダイニングルームは、床板がはぎ取られ、横板が取り払われ、ドアはちょうつがいごとどこかへ消え失せ、解体屋どもは階上に移動したあとだった。鎧戸の隙間から洩れる光の筋が差し込むのは、彼らの作業場、創造の場であり厳粛な場だ。そう、破壊とは、結局のところ創造の一形態にほかならない。この家のいまの姿を思い描くことができたのも、ある種の想像力ゆえだった。

「お昼ご飯に帰んなきゃ」とマイクが言った。
「ほかには?」Tが聞いたが、みんなはなんだかんだと口実をつけて、食べものを持ってきていた。

グループの面々は、廃墟になった部屋にしゃがんで、きらいなサンドイッチを交換した。昼食に三十分取っただけで、ふたたび作業が始まった。マイクが戻ったころには、最上階にかかったところで、六時までには表に出ている面の破壊は完了した。ドアというドアは消え失せ、横木ははがされ、家具は中味をごっそり抜き取られ、打ち壊され、粉砕された。眠る場所を見つけようと思ったら、砕いた漆喰を積み上げたところにでもするしかなさそうだった。Tは指令を出した。明朝八時集合、退出はひとりずつ、庭の塀を乗り越えて、駐車場から帰ること。ブラッキーとTだけがあとに残った。暗くなりかけていたのでスイッチを押してみたが、灯りはつかなかった。マイクはちゃんと仕事をしたのだ。

「すごいものを見つけたか」とブラッキーが聞いた。
Tはうなずく。「こっちへ来いよ。ほら」両方のポケットからポンド紙幣の束を取り出した。「しみったれじいさんのへそくりだ。マイクはマットレスを破ったけど、これには気がつかなかったんだ」
「どうするつもりだ、山分けでもするのか」

「オレたちは盗人じゃない。この家からはだれも、なにも、盗まないんだ。おまえとおれのためにとっておいたんだ――お祝いをするのさ」Tは床に膝をついて、札束を数えた。全部で70枚。「燃やすんだ」Tは言った。「一枚ずつ」ふたりは交替で紙幣を一枚ずつ手に取って頭上にかざすと、上の隅に火をつけて、炎がゆっくり指をこがすのを待った。灰色の燃えかすが宙をただよい、ふたりの頭上に霜を抱かせる。「やり終えたときの、しみったれじいさんの顔が見たいよ」

「じいさんがそんなに憎いのか」
「憎いわけないだろ。だったらちっともおもしろくない」最後の一枚の炎が、物思いに沈むTの顔を照らした。「憎しみだとか愛だとか、甘ったれのたわごとさ。『もの』があるだけなんだ、ブラッキー」Tは奇妙なかたちの影でいっぱいの部屋を見回した。半分だけの「もの」。毀れた「もの」。かつて「もの」だった「もの」。「送ってってやるよ、ブラッキー」

(この項続く)

グレアム・グリーン 『破壊者』その3.

2004-10-27 18:10:38 | 翻訳
(承前)

「いい考え?」

Tは目を上げたが、何かに心を塞がれたような灰色の目は、曇った8月の空みたいだった。「やっちまうんだ」Tは言った。「ぶっ壊す」

ブラッキーはおおっ、と笑いかけたが、ぞっとするほど真剣な視線にあって、マイク同様、途中で笑い声を呑み込んだ。「その間おまわりが待っててくれるとでも思ってんのか」

「やつら、気づきゃしないさ。中からぶっ壊すんだから。入り口を見つけたんだ」Tの声には憑かれたような響きがあった。「虫みたいにやるんだ、いるだろ、リンゴの中に。オレたちは全部取っ払っちまう、なんにもない、階段もなきゃ、嵌木細工も、あるのはただ外壁だけにして出てくるんだ。で、壁を倒す――どうにかして」

「ブタ箱行きだ」ブラッキーが言った。
「だれが証明できる? おまけにオレたちはなにひとつ盗まない」にこりともせず付け加えた。「オレたちがやっちまったあとには、盗もうにも何も残っていない」

「ものを毀して刑務所に入った、って話は聞いたことがないな」サマーズが言った。
「時間が足りない」ブラッキーは指摘した。「家の取り壊し作業を見たことがある」
「オレたちは12人いる。計画的にやるんだ」「だれもどうやったらいいか……」
「オレが知ってる」Tはそう言うと、ブラッキーを見返した。「もっといい計画でもあるのか?」

「今日はね」マイクが無防備に答える。「タダ乗りをして……」「タダ乗りか」Tが言った。「ガキのやりそうなことだな。ブラッキー、降りてもいいんだぜ、もしタダ乗りがしたけりゃ……」
「団は投票で決めることになってるんだ」「なら、そうしてくれよ」

ブラッキーはぶすっとして言った。「明日と月曜日、しみったれじいさんの家をぶっ壊したらどうか、という提案があった」
「さあさあ」ジョーという太った少年が煽った。「賛成はだれだ」
Tが言った。「決まりだな」

「どうやって始めるんだ」サマーズがたずねる。

「やつが教えてくれるさ」ブラッキーのリーダーとしての地位もこれで終わりだった。
 その場を離れて駐車場の裏手へまわり、石を蹴りながらジグザグとドリブルを始める。そこは古いモリスが一台あるだけだった。というのも、ここは係員がいないから危険だというので、トラック以外の車はみんな引き上げてしまっていたからだ。
 ブラッキーは車めがけてジャンピングシュートを放ち、後部の泥よけの塗装を少し削った。むこうでは、ブラッキーなんてやつ知らないぞ、とでもいうように、みんなTのまわりに集まっていた。ブラッキーは漠然と人気の移ろいやすさといったものを感じた。家へ帰ろうか。もうここなんかに戻ってこない。やつらにTがリーダーになったらどれだけつまらねぇか、わからせてやりゃいいんだ。
 だが、まてよ、Tが言ったことが可能だったら。そんなことがあったなんて、前代未聞ってやつだ。ウォームズリー・コモン駐車場団の評判は、ロンドン一帯に広まるだろう。新聞に見出しが載るかもしれない。プロレスの賭を仕切ってる本物のギャング団だって、闇屋連中だって、しみったれじいさんの家がどんなふうにぶっ壊されたかを知ったら、オレたちのことを尊敬してくれるだろう。団の名声を思う、純粋かつ単純にして利他愛に満ちた野望を胸に、ブラッキーはしみったれじいさんの家陰に立っているTのところへ戻った。

 Tは決然とした態度で命令を繰り出していた。あたかも誕生と同時にずっと内部に宿り、歳月を経るなか熟慮を重ねた15年ぶんの思いが、いまこのとき、成熟の痛みを伴いつつ結晶となったかのように。「おまえは」とマイクに言う。「大きな釘を数本、持ってくるんだ。一番大きいやつだぞ。それとハンマー。持ってこれるヤツはみんな、ハンマーとドライバーを持ってくる。たくさんいるんだ。ノミもいるな。ノミが多すぎてこまる、なんてことには絶対ならないからな。ノコギリを持ってこれるヤツはいるか?」

「ぼく」マイクが答えた。
「子ども用のはダメだぞ。必要なのは、本物のノコギリなんだ」
ブラッキーは無意識のうちに、ひらの団員のように手をあげていた。
「わかった。おまえが持ってくるんだ、ブラッキー。だけどこいつはむずかしいな、弓ノコがほしいんだ」
「弓ノコってなんだ」
「ウールワースにある」サマーズが答えた。

ジョーという太った少年が情けない声を出す。「結局、金を集めるって話になるんだよな、わかってたよ」
「一本はオレが調達してくる」Tが言った。「みんなから金を出してもらおうなんて思っちゃいない。だけどスレッジハンマーはムリだな」

ブラッキーが言った。「15番地で工事をしてる。バンク・ホリデイに道具がどこへ片付けられるかオレはわかる」
「じゃぁそれで決まりだ」Tは言った。「九時きっかりにここに集合」「ぼく、教会へ行かなくちゃならないんだ」マイクが言った。
「塀を乗り越えて、口笛を吹くんだ。入れてやるから」

(この項続く)

グレアム・グリーン 『破壊者』その2.

2004-10-26 18:30:20 | 翻訳
(承前)

「レンってだれだよ」
「セント・ポール寺院を建てた人だ」
「それがどうかしたってのかよ。ただのしみったれじいさんの家じゃねえか」

 しみったれじいさん――本名はトーマス――は、かつては建築者であり室内装飾家でもあった。その毀れかけの家に独りで暮らし、なんでもひとりでまかなっている。週に一度、パンや野菜をぶらさげて、ウォームズリー公園を横切る姿を目にすることができたし、駐車場で団員が遊んでいるのを、庭の塀の残骸の向こうからじっと見ていたことだってあった。

「トイレに行ったことがある」という団員がいた。だれもが知っていることだったが、爆撃以降、その家の配管のどこかが悪くなっていたにもかかわらず、しみったれじいさんはほんとうにしみったれで、地所に金なんか使わない。自分で室内装飾をやり直すのなら実費でできるが、配管工事は習っていないのだった。トイレは狭い庭のどん詰まりにある木造の小さな小屋で、ドアには星型の孔が開いていた。隣の家を木っ端微塵にし、三番地の窓枠を吹っ飛ばした爆風を、うまく免れたのだ。

 つぎの団とトーマス氏の遭遇は、さらに驚くべきものだった。ブラッキー、マイク、それに、とある理由からサマーズと名字で呼ばれている痩せた、肌の黄ばんだ団員が、市場から戻ってきたじいさんに広場ででくわしたのだ。トーマス氏が呼び止めて、ぼそぼそと話しかけた。「駐車場で遊んでいるグループの子らだろう?」
 
そうだよ、と言いそうになったマイクを、ブラッキーが止めた。リーダーたる者、責任がある。「だとしたら?」ブラッキーはどっちでもとれるような言い方をした。

「チョコレートがあるんだ」とトーマス氏がいう。「生憎、そういうものは好きじゃなくてな。ほら、これだ。みんなに行き渡るほどはなかろうとは思うんだが。間違いなくないだろうな」調子は暗いが、変に確信のこもった言葉が続いて、じいさんはスマーティを三箱手渡してくれた。

 団のみんなはしみったれじいさんの行為を理解しかねて騒ぎだし、なんとか納得のいく説明をつけようとした。「だれかが落としたのを拾ったのに決まってらぁ」という者。
「かっぱらったんだけど、びびっちゃったんだよ」と思いつくまま口にする者。

「ワイロだ」と言い出したのはサマーズ。「オレたちがボールを塀にぶつけるのをやめさせたいのさ」
「オレたちはワイロなんか取らねえってことを見せてやろう」ブラッキーがこういって、みんなは午前中いっぱいを犠牲にしてボール遊びをしたのだが、そんなことが楽しいほどねんねなのは、マイクだけだ。トーマス氏がどう思ったか、これっぽっちもうかがい知ることはできなかったのだった。


 その翌日、Tがみんなの度肝を抜いた。落ち合う時間に遅れたために、その日なすべき任務の決定は、T抜きでおこなわれていた。ブラッキーの提案により、団はふたりひと組に分散し、手当たり次第バスに乗って、油断している車掌の目を盗んで、何回無賃乗車できるか試すことになったのだ(作戦はごまかしのないよう、ふたりひと組で遂行される)。みんながパートナーを決めるくじを引いているとき、Tがあらわれた。

「どこへ行ってたんだ、T」とブラッキーが問いただした。「もう評決は終わった。規則は知ってるな」
「あそこへ行ってきた」まるで秘密の考えでも抱いているかのように、視線を落としたままだ。
「どこだよ」
「しみったれじいさんとこだ」マイクが口をあんぐりと開けかけ、すぐさま唇をぎゅっと閉ざした。カエルのことを思いだしたのだ。

「しみったれじいさんのところだって?」そこへ行ってはいけないという規則などはなかったが、ブラッキーは、こいつ、ヤバいことをやらかしたな、と思った。そうだったらいいんだが、と思いながら聞いてみる。「忍び込んだのか?」
「ベルを鳴らしたんだ」
「で、なんていったんだ?」
「家を見せてくれって」
「じいさんはどうした?」
「見せてくれた」
「なんかかっぱらったか?」
「いや」
「じゃ、なんでそんなことをしたんだよ」

 みんなが集まってきた。即席の法廷が開かれ、逸脱の検案について審議されようとでもいうかのように。Tはひとこと、「美しい家だった」とだれとも目をあわさずにうつむいたまま言うと、唇の片方をなめ、つぎに反対側をなめた。
「どういうことだよ、美しい家、ってのはよ」鼻先で笑いながら、ブラッキーが聞く。
「二百年もたった、コークスクリューみたいな形の階段がある。なにも階段を支えてないのに立ってるんだ」
「意味わかんねぇよ、なにも階段を支えてない、ってのがよ。宙に浮いてでもいるってのか」
「相反する力を利用してるんだって。しみったれじいさんが言ってた」
「ほかには」

「嵌木細工がしてあった」
「“青い猪亭”にあるようなやつか?」
「二百年前のものだ」
「しみったれじいさんは二百歳だってのか?」

不意にマイクが笑い出したが、すぐに静かになる。みんな、笑い事ではない気分だった。夏休みの初日に、Tが駐車場へふらりとやってきてから初めて、Tの地位が危機に瀕していた。Tの本名を、ほんの少しでも匂わすだけで、みんなはTをなぶり始めるだろう。

「なんでそんなことやった」ブラッキーがたずねた。ブラッキーは公平だったし、嫉妬深くもない。できるものならTをギャング団から追い出したくはなかった。「美しい」という言葉が気に入らなかった。そんなものは上流社会、ウォームズリー・コモン帝国座で見る、シルクハットと片眼鏡、ホーホー卿のパロディをやっている芸人の世界の言葉だ。ブラッキーは「親愛なるトレイヴァーくん、ごきげんよう」といって、地獄の番犬どもをけしかけたい衝動に駆られた。「忍び込んでみたいってんならなぁ」悲しげにそう言った。実際、それなら団の任務に十分、値しただろうに。

「ただ見るだけのほうが良かったんだ。いろんなことがわかったから」Tは、依然として自分の足下を見つめたまま、だれとも視線を合わそうとしないままだった。まるでひとと分かち合いたくない、あるいはそうするのが恥ずかしい夢に心を奪われているかのように。

「なにがわかったってんだ」
「しみったれじいさんは、明日とバンク・ホリデイの間中、家を空けるんだ」
ブラッキーはほっとした。「その日にやろうってんだな」「かっぱらいをやるんだな」と聞く者もあった。
ブラッキーは釘をさす。「かっぱらいはだめだ。忍び込むだけで上等だ、そうだろ? 裁判沙汰なんかとんでもねぇ」
「かっぱらいがしたいわけじゃない」Tが言った。「もっといい考えがあるんだ」

(この項続く)

グレアム・グリーン 『破壊者』その1.

2004-10-25 18:59:07 | 翻訳
今日からしばらくグレアム・グリーンの短編『破壊者』の翻訳を掲載します。
数年前の映画『ドニー・ダーゴ』で重要な導入部分の役割を果たした短編でもあります。

いい加減に訳しているわけではないのですが、当方の能力の問題から誤訳は十分に予想されます。あまり精度は期待しないでください。オリジナルテキストはhttp://www.upol.cz/~prager/e_texts/destructors.htmで読めます。
誤訳にお気づきの方はぜひご一報ください。

**

   『破壊者』
                    グレアム・グリーン

1.

新入りがウォームズリー・コモン団のリーダーになったのは、八月のバンク・ホリディの前日のことだった。マイク以外のだれも驚いたりはしなかったが、そのマイクときたらまだ9歳で、なんでもかんでも驚いてしまうのだ。「口を閉じてるんだな。さもなきゃカエルを突っ込んでやるぞ」前にそういわれたことがあり、以来、ひどく驚きでもしない限り、固く歯を食いしばっていたのだが。

 団に新入りがやってきたのは夏休みの初め、何か考えこみながら押し黙っているようすは、だれもがたいそうなことをやらかしそうな印象を持った。ひとことも口にしないでいる新入りに、規則通り名前を聞く。「トレイヴァー」と答えたときも、いかにも事実を述べただけ、恥じらいも、挑戦的な物腰もそこにはなかった。団員の側もマイクを除いては笑い声をあげる者もなかったが、マイクも、だれひとり自分に同調してくれず、新入りも自分の開いた口をにこりともせず見つめていることに気がつくと、すぐに静かになってしまった。T、のちに新入りはそう呼ばれるようになるのだが、Tには嘲りのまとになっても仕方がないような理由がたくさんあった。まず、その名前(みんなはイニシャルで代用した。そうでもしなければ笑わないではいられなかったからだ)、それから父親のこと、以前は建築家だったのだがいまや事務員で、「尾羽打ち枯らし」たありさま、しかも母親ときたら隣近所の連中より、はるかにお偉いつもりでいる。そのTが、屈辱を舐めさせられるような入団の儀式一切をしないまま一員になれたのは、危険そうな、予測もつかないような資質ゆえだったのではないだろうか。

 団は毎朝、臨時駐車場、最初の空襲の最後の爆弾が落ちた跡地に集まった。リーダー、通称ブラッキーは、その爆撃の音を聞いたと主張たが、だれもブラッキーの生年月日を正確には知らなかったから、おまえはそのときはまだ一歳で、ウォームズリー・コモン駅の地下プラットフォームですやすや寝入っていたんじゃないか、と指摘はしないでいた。駐車場の一方は人家が寄り添うように建っていて、空襲で破壊されたノースウッド住宅街は、この三番地から始まっているのだった。寄り添うように、というのは文字通り、寄りかかっているということで、爆風を受けて崩れかけた側の壁がつっかえ棒で支えてあるのだ。もう少し小さな爆弾が一発と焼夷弾が数発、その先に落ちたので、三番の家は一本だけ牙のようにそそり立ち、その向こうには、隣家の残骸の壁や羽目板、暖炉の一部が続いていた。Tがふだん口にするのは、ブラッキーが毎日提案する作戦を採決する際に、“賛成”、“反対”という言葉に限られていたから、あるとき「あの家はレンが建てたんだってさ。親爺が言ってた」と考え考え話し始めたときには、一同はひどく驚いたのだった。


(この項続く)

ダイアン・アーバスを読む試み その5.

2004-10-23 18:45:31 | 

以前、小さな女の子と歩いているとき、向こうから車椅子の人がやってきた。
不意に、女の子は厳しい声で
「じろじろ見るんじゃありません」
とわたしをたしなめた。彼女のお母さんそっくりの口調で。

こんなこともあった。
前を歩いていた身なりの良い初老の女性ふたりが、急に立ち止まった。
「あんな人見たら、ほんまに気の毒になるわ」
「ほんまになぁ。よぉやってはるわ」
ふたりが歩を止めてまで見入ったのは、松葉杖を使いながら、大きく脚を外側に回転させて歩いていく人の姿だった。

わたしたちは「普通」とはちがうものを目にしたとき、「もっと見たい」という欲望を持つ。
けれども社会には規範があって、「見ても良いもの」「見てはならないもの」の間に厳しい線を引く。
その規範の強制力は、四歳の女の子にまで行き渡っているのだ。
「見てはならないもの」をそれでも「見たい」と思うとき、何らかのエクスキューズが必要になる。
初老の女性の、あたかも同情しているかのような口振り。
それさえ口にしておけば、自分の「見たい」という欲望も、免罪されるとでもいうように。

アーバスの写真は、その線を踏み越えるものだ。
見る者に対しても、踏み越えることを要求する。
「見てはならない」とされるものを見よ、と。
見ている自分のまなざしを自覚せよ、と。
規範の陰に隠れて、見たいという欲望を自らに問い直すこともせず、曖昧に目を逸らすのをやめよ、と。

彼女に投げかけられた当時の観衆のことば、「奇怪」「悪趣味」「覗き趣味」は、とりもなおさず、その写真を見ているその人のまなざしの意味だ。
アーバスの写真は鏡のように、「悪趣味」なまなざしで写真を見ている人の視線を、その人に向かって跳ね返す。
人びとは落ち着かなくなり、当惑する。
そこから自分の内側に降りていくのではなく、当惑を、それを見ることを強いたアーバスにぶつけたのだ。

アーバスが自死を選んだ原因は、さまざまに推測される。
慢性的な鬱病、抗鬱剤と経口避妊薬の併用からくる肝炎、60年代特有の性的放縦と、その一方での孤独、そして老いへの恐怖。
そして、自分の渾身の仕事に向けられる敵意。
ここでわたしはまったく無関係に、同じように自死を選んだ詩人アン・セクストンを悼んだアドリエンヌ・リッチの追悼文を思いだす。

「私はアンの名誉と記念のために、私たちがみずからを破壊する方法のいくつかを列挙したいと思います。自分をつまらぬものだとみなすこと、これが一つです。女は大きな創造活動をする能力がないという嘘を信じること。自分自身や自分の仕事を真剣にうけとめないで、いつも自分の欲求よりも他者の欲求のほうが必要性がたかいと思ってしまうこと。男をまねしているだけの知的あるいは芸術的作品をつくりだして満足すること。そうやって、自分をもお互いをも欺き、自分の十全の可能性に肉薄せず、その作品に、私たちが子供や恋人になら注ぐだろうような注意も努力もはらわないこと。

 もう一つは、水平方向に向けた敵意――女への軽蔑、つまりほかの女たちは私たち自身であるがゆえに、ほかの女たちをおそれ、不信を抱くこと。「女はけっしてほんとうになにごとかをする気はない」とか、女の自己決定と生存(サヴァイバル)は男のおこなう「真の」革命の二の次であるとか、私たちの「最悪の敵は女である」とか、信じこむこと。……

 もう一つの種類の破壊性は、相手を間違えた同情です。……

 四番目は惑溺です。「愛」への惑溺――どことなく贖罪的な、女の生き方として、無私で犠牲的な愛の観念におぼれること。麻薬のトリップ、自分をごまかし、あるいはいけにえにする方法としての性への惑溺。抑鬱への惑溺は女である存在から抜け出すのに一番受け入れやすい方法です――鬱病者なら自分の行動に責任があるとはみなされず、医者は薬を処方してくれるでしょうし、アルコールはその空白をおおう毛布を提供するからです。男の与える是認への惑溺。性的にであれ、知的にであれ、それでいいと請けあってくれる男が見つかるかぎり、私たちはたとえどんな代価を払っていても、自分はこれでいいにちがいない、自分の存在はお墨付きなのだと、思いがちなのです。……

 この四重の毒をきれいに洗い流すことができれば、私たちの精神とからだは、もっと安定した均衡をえて生き延び、構築しなおすための行動に向かえるでしょう。……
『書く女一人一人が生き残る者である』からです」(アドリエンヌ・リッチ『嘘、秘密、沈黙。』大島かおり訳 晶文社)

アーバスが生きていればいまどんな写真を撮るだろう、と思わずにはいられない。
アーバスは大文字の「時代」や「社会」などというものは撮ろうとは思わなかった。
けれども、人の視線の中に、わたしたちを見返すポートレイトの主人公たちに、まぎれもなくそうしたものは描かれている。

もうひとつ、思いだすのがポール・セローの『写真の館』(村松潔訳 文藝春秋)である。
主人公の女性写真家、モード・コフィン・プラットは、アーバスが直接のモデルではない。
リゼット・モデルを思わせるところもあるし、有名作家の連作などは、リチャード・アヴェドンの作品を連想させる。けれども、わたしはモードの中に、やはりアーバス、時代をしたたかに生き延びたもうひとりのアーバスを思わずにはいられない。

年老いたモードは、みずからの作品を振り返って、こう語る。
「この写真を見るのは本を読むのに似ている。長時間露光で撮った写真。人に見ることを教えてくれる写真。見る人は教訓を学んで立ち去るのだ。これを見たあとでは、もはやなにひとつ以前と同じには見えないだろう。世界が変わったわけではない。自分が変わってしまったのである」(『写真の館』)



(この項終わり)

ダイアン・アーバスを読む試み その4.

2004-10-22 19:03:15 | 


「わたしが数多く撮ったのは、異形の人々です。わたしは最初からそうした被写体を含めて撮ってきましたし、そのことは同時に刺激的な経験でもありました。そのころ、わたしは異形の人々を崇拝していました。いまでも崇拝している人が何人かいます。彼らと親しい友人になった、などということを言おうとしているのではなく、かれらを見ていると、恥ずかしさと畏怖の入り交じった気持ちになった、と言いたいのです。異形の人々を題材にした伝説には、ひとつの特徴があります。登場人物が行く手を遮り、難題に答えなさい、と命じるのです。多くの人は、そんな大きな心の傷になりかねない経験に出くわすことを恐れながら、人生を生きていきます。けれども異形の人々は、すでにトラウマを抱えて生まれてきました。かれらは最初から人生のテストに合格しているのです。その意味で、貴族なのです」(ダイアン・アーバスの言葉から 訳は陰陽師)

**

『エスクァイア』のロバート・ベントンは、定期的にダイアンに仕事を依頼した。
50年代、マリリン・モンローと並ぶセックス・シンボルであったジェーン・マンスフィールドが、'60年代になって母となった写真も、そうしたなかの一枚である。
http://www.thevillager.com/villager_39/diane.jpg
ベントンは当時を振り返ってこう語る。
「「ダイアンは最新のコンタクト・シートをもって美術部にやってきたが、わたしはいつも驚かされた……というより、つねにこちらの予想がくつがえされたのだ」……でっぷり肥って誇らしげな母親となったジェーン・マンスフィールドも、ダイアンが撮るとニューヨークの奇形者と同じような緊張感をはらんでいたのである。そのうちにベントンは「われわれ(写真を見る者)も彼ら(撮影された人びと)とまったく変わりがない」ことに気がついたという。「それがダイアンならではの独特なスタイルだった――、一見したところは単純だが、非凡なアプローチによってすべての対象と取り組み、相手が何者であろうと態度は変わらなかった。そして、奇形者でも普通の人間でも、ある面では同じ存在だということを示す。ダイアンの作品の中では『奇形者』とか『健常者』という言葉は意味がなくなってしまう。ダイアンにとってはどちらも同じだし、相手によって手心を加えることもなかったからだ」

60年代半ばごろから、ダイアンは二十世紀初頭ドイツの写真家アウグスト・ザンダーの写真を研究するようになった。
http://www.halstedgallery.com/artists/a_sander/inventory/index.htm
ザンダーはさまざまな職業に就く人間を撮影し、それを分類し配列することで、「二十世紀の肖像」を撮ろうとしたのである。
「われわれは、真実を見ることに耐えることができねばならない。だが、何よりもまず、われわれは真実をわれわれとともに生きる人びとに、そして後世に伝えるべきである。それがわれわれにとって好ましいものであろうと、好ましくないものであろうと。私が健全な人間として、不遜にも、事物をあるべき姿やありうる姿においてではなく、あるがままの姿において見るとしても、許していただきたい」(多木浩二『写真論集成』岩波原題文庫《写真集August Sander : Menschen des 20. Jahrhunderts, Schirmer/Moser Verlag GmbH, 1980》)
ダイアンはザンダーの写真を学ぶことで、あらためて、人間の内面を引き出すカメラの力を意識するようになったのである。

1965年、ダイアンの作品が、ニューヨーク近代美術館の「最新入手作品」四十点のうちの三点として展示される。
そのひとつが「ヌーディストキャンプのある家族の夕べ」である
作品に対する観客の反応は厳しいものだった。
展示されている間、職員は毎日ダイアンのポートレイトに吐きかけられた唾を拭き取らなければならなかったという。

1967年、ニューヨーク近代美術館で「ニュー・ドキュメンツ」展が開催された。ダイアンがこれまで撮ってきた写真の中から、三十点が公開された。双生児のポートレイト、「ヘアカラーをつけた男」などのダイアンのポートレイトは最大の注目を集める。
だがマスコミや一般の観客の評価は「奇怪」「悪趣味」「覗き趣味」と、悪意に満ちたものがほとんどで、「卑俗な興味の対象となり、対象者がそこにおのれを投影してくれないのではないか」というダイアンの危惧は現実のものとなった。

健康状態は依然として芳しいものではなかった。肝炎を患い、また間断のない欝症状とも闘いながら、それでもダイアンは写真を撮り続け、一方で65年からパーソンズ・デザインスクールで教え始める。
経済的には恵まれなかったが、彼女の評価は、写真家や写真家の卵の間で、揺るぎのないものになりつつあった。

1969年、別居中だった夫アランは、ダイアンと正式に離婚し、若い女優と再婚、ハリウッドに移って、俳優の仕事に本格的に取り組むことになった。
別居しても、アランは技術的にも、また精神的にも経済的にもダイアンを支え続けていた。
その彼女のスワミ(ヒンドゥー語で「導師」の意を持つ言葉で、ダイアンは14歳のころから彼をそう呼んでいた)がニューヨークから離れたことで、ダイアンは孤独になっていく。

ダイアンはペンタックス・カメラを手に入れたいと思っていた。卸値で買えるよう計らってくれた友人がいたが、その千ドルの工面がつかない。そこで写真のマスター・クラスを開講し、受講生から授業料を徴収することになった。
1970年ごろになるとダイアンは若手写真家の間で伝説的な存在になっていた。多くの希望者が集まった。

「ダイアンは生徒たちに「現実的なものを撮る」よううながした。「現実的なものこそ、幻想(ファンタジー)なのです。幻想は現実から生まれます。非常に現実的だからこそ、幻想的なのです……幻想的だからこそ現実的なのではありません。現実は現実です。現実を仔細に調べてみると、かならずや幻想に達します。現実という言葉を使うとき、それはカメラの前に実際にあるものの表現でなければなりません。わたしが言おうとしているのは、現実を現実と呼び、夢は夢と呼ぼうということです」……
 ダイアンはさらにこうも言った。「写真は特殊なものを対象としなければなりません。リゼット・モデルにこう言われたのを思いだします。『対象が特殊であれば、それだけ普遍的になる』と」……
 あるときダイアンは授業の終わりに次のような考えを述べた。「どうしていいかわからなくなったら、写真から目をそらして、窓の外をごらんなさい。なぜなら、現実を見ることこそ、自分の写真をつくるという行為にほかならないからです。わたしはみなさんに写真の話ができます。わたしたちはみな口がきけ、目が見えます。わたしたちの前にはすべてが開かれているのです」」

1971年になると、ダイアンの鬱病は一層深刻なものになった。
人が自分の作品に感心する理由がわからない、他人にとって価値があると思えない、と言い張り、一方で「フリークの写真家」とレッテルを貼られることを怖れてもいた。
孤独になることを怖れつつ、仕事の完成を求めて、人びとを切り離そうともした。

七月、両手首を切って、空の水槽に横たわっている彼女が発見された。


ここでアーバス自身の写真を見ることができます。一番上の少しぼけているのが1971年、教え子のエヴァ・ルビンスタインが撮ったもの。ひとつおいて、5歳のダイアン、その下が15歳のダイアン。さらにひとつおいて、「あなたのこんなところが好き……」と題された『グラマー』に掲載されたダイアンとアラン。

(この項続く)

ダイアン・アーバスを読む試み その3.

2004-10-21 18:49:47 | 


リゼット・モデルは当時アメリカで最も有名な写真の教師だった。
「カメラは探知の道具です……わたしたちは自分の知っているものや知らないものを撮影する……何かに目を向けるとき、それはひとつの問いかけであり、ときには写真がその答となるのです……言いかえれば、撮ることによって何かを証明しようというのではなく、それによって何かを教えてもらうということです」

ダイアンとモデルが初めてまとまった話をしたのは、主題についてだった。
「わたしが撮りたいのは、悪いものです」考えた抜いた末にそう言ったダイアンに、モデルはこう答えた。
「悪いものでも何でも、撮らなければならないと思う対象を撮らなければ、写真は撮れません」

モデルに励まされて、ダイアンは子どものころから直視するのを禁じられてきた人や場所を記録し始める。
「両性具有者、身体障害者、奇形者、死者と死にかけている人――そういう人たちから、彼女は決して目をそらさなかった。それには勇気と自立心が必要だった」と後年モデルはそう回想している。
「モデルは、多くの時間を費やし、自分の経験と知識をニュー・スクールのクラスに注ぎこみ、ダイアンには知る限りのことを教えた。すなわち、芸術においては何ごとにも完璧な答や手っ取り早い解決法はない、すべての写真家がそれぞれ異なった見方をする……見るというのは学習の過程であり、肝心なのは自分のテーマをひたむきに追求することで、さもなければそれは捨てたほうがよいのだ、と。ダイアンこそは、モデルが自身の姿として思い描いた写真家だった。ダイアンは人間としては弱かったが、芸術家としては強靭であり、モデルが目をかけたのもその点だった」

写真を撮らせてくれるよう、人に頼まなければならない。それは内気なダイアンにとって、なによりも辛いことだった。
けれども、ダイアンは写真の前に立つ人のことをよく知っていた。
「まさしくカメラの前に立つことによって、人は自分自身から抜けだして、客体となることを余儀なくされる……その人はもはや自己でなくなるのだが、それでも自らそうだと想像する自己になろうとする……人は自分の肉体から抜けでて他者の体内に入りこむことはできないのだが、それこそ写真がやろうとすることなのだ」

そうやって本格的に写真を撮り始めたダイアンは、38歳になっていた。
後年、その理由を『ニューズウィーク』のインタビューでこう語っている。
「女性は人生の第一期を結婚相手を見つけて妻となり、母となるための勉強にあてます。そうした役割を覚えるのにせいいっぱいで、ほかの役割を演ずる余裕はないのです」

だが、このころから夫のアランとは、次第に気持ちが通わなくなってくる。
アランはかねてから捨てきれずにいた舞台俳優になる、という夢を追って、俳優養成所に通い始めていた。ファッション写真の仕事は、生活を支えるために続けられなければならなかったが、それはアランにとって苦痛でしかなかった。
夫から写真の批評を求められると、厳しい、容赦のない批判を浴びせかけずにはいられないダイアン。
14歳で初めて出会ったときから愛し合い、才能を認め、導かれてきた夫とダイアンは別居するようになる。

ダイアンの写真は金にはならなかった。
それでも、グランドセントラル駅にたむろする浮浪者やサーカスの芸人の写真を撮り続け、数々の雑誌に自分の写真を持ち込んだ。
それをひたすら続けるうちにダイアンは初めての大きな仕事である『エスクァイヤ』から仕事をもらった。
ニューヨーク特集号に、当時『エスクァイヤ』の専属記者であったゲイ・タリーズや、作家のジョン・チーヴァー、トルーマン・カポーティが書いた記事に、ダイアンの写真を載せる、というものだった。

初めてダイアンの写真を見た当時のアート・ディレクター、ロバート・ベントン(後に映画『クレイマー・クレイマー』で脚本賞と監督賞を受賞する)はこう回想している。
「ダイアンは題材の重要性を知っていた。それに特異な題材を見つける特別な勘をもっていて、その対象にカメラで立ち向かう彼女の方法はまさに前代未聞だった。彼女は小人あるいは倒錯者だというのがどういうことなのかを表現できるようだった。そういった人たちに近づいていた――それでいて客観的な態度を保っていたのだ」

『エスクァイヤ』に採用されたことがきっかけとなって、ダイアンは『ハーパーズ・バザー』でも仕事をするようになる。
身長が8フィート(約240cm)もあるエディ・カーメルと知り合ったのはこのころだったが、十年近く彼の写真を撮り続けて、初めてネガからプリントに起こしたのはこの一枚だった。
http://masters-of-photography.com/A/arbus/arbus_jewish_giant_full.html
ダイアンは対象と会話を交わし、心を通わしながら、自分の求めるイメージを熟成させ、辛抱強くそのときを待った。そうして「この瞬間」を捉えたのだ。

ダイアンの仕事は、次第に芸術家の間で認められるようになっていった。


※引用は特に注のないかぎり、ボズワース『炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス』(名谷一郎訳 文藝春秋)に依っています。

(この項続く)