陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リング・ラードナー 「金婚旅行」最終回おまけつき

2007-10-31 22:39:56 | 翻訳
最終回

 わしらがセント・ピーターズバーグにいられるのも二日を残すだけになった日、かあさんはわしに、ロードアイランド州キングストンから来たケンドール夫人を引き合わせた。足治療医のところで会ったらしい。

 それからケンドール夫人はご亭主を紹介してくれたんだが、食料品店をやっておるという話だったな。このふたりのあいだには、息子がふたりと孫が五人いるという話でな。息子のひとりはロードアイランドのプロヴィデンスに住んで、ロータリークラブの会員というだけじゃなく、エルクス慈善保護会でもかなりな地位を占めておるらしかった。

 このふたりは一緒にいて楽しい人たちでな、最後のふた晩、わしらは一緒にトランプをやったんだ。ふたりともなかなかのやり手で、ハーツェル夫妻より先に会っておればなあ、と思ったものだった。だがケンドール夫妻は来年の冬もまた来ると言っておったから、わしらがまた行くことにしたら、会えるってことだな。、

 わしらがサンシャイン・シティを出立したのは二月十一日の午前十一時のことだった。おかげでフロリダの昼を通っていったんで、州のいろんなところを見ることができた。なにしろ来たときは夜だったからな。

 ジャクソンヴィルに着いたのは、午後七時、そうして八時十分にそこを出発してから、ノース・カロライナのフェーエットヴィルには翌朝九時に到着した。そこからワシントンD.C.には午後六時半着、汽車は三十分遅れた。

 わしらがトレントンに着いたのは午後十一時一分だったが、あらかじめ娘と婿に電報を打っておいたので、汽車のところまで迎えに来てくれたよ。そこから娘たちの家に行ってその晩は泊めてもらった。ジョンの方は一晩中でも旅行の話を聞きたそうなようすだったが、エディが、疲れてるでしょうから、早く休んで、と言ってくれたのさ。

 そのつぎの日、わしらはそこからまた汽車に乗って、無事帰宅することができた。ちょうど一ヶ月と一日の外泊ということになる。

 おっと、かあさんが来た。わしもそろそろ黙るとするかな。



The End



最近のことなど

先日図書館に行ったら、貸し出し窓口のひとつを「おじさん」といったらいいのか、「おじいさん」といったらいいのか、まあ判断に迷うぐらいの年代の人が、窓口の人に文句を言っていた。どうやら予約をした本が、人気のあるベストセラーだったらしく、二ヶ月半(となんども繰りかえしていた)待ってもまだ読めない、それで市民の図書館といえるのか、ということらしかった。
その怒りはまあわからなくはないけれど、それを図書館の職員に訴えても仕方がないだろう。図書館というのは元来そういうものだからだ。売れ筋の本なら、二十冊くらい入ることもある。それでも貸出期限が二週間、その期間いっぱいに借りていたとして、予約順位が八位だったら、四ヶ月は待たなくてはならないのである。それが待てないというのなら、買えばいい。買いたくなければ、辛抱する。それが図書館というものではないか。

ところがそのおじさんは、カウンターを手のひらでばんばん叩いて、大きな声を出したり、あんたじゃ話にならん、館長を呼べといったり、どうしてそういうことを改善しようとせんのだ、と、くどくどねちねち大きな声で(「くどくどねちねち」と「大きい声」というのは形容矛盾と思われるかもしれないが、そのおじさんは確かにその矛盾するかにみえる双方の形容があてはまる言い方をしていたのである)文句を言っているのである。書庫請求をしたわたしは、かなり長いことその場にいたのだが、わたしがそこにいくだいぶ以前からいたらしいその人は、言いたいことはとっくに言ったはずなのに、ネタなど出し尽くした状態にもかかわらず、同じことを言い募っていたのだった。

以前、中島義道の『人を嫌うということ』という本を読んだときに、嫌うのは、好きになるのと同じくらい当たり前のことなのに、不当にも無視されてきた、という一節があって、ほんとうにそうだなあと思ったのだけれど、同じようなことが「怒る」ことについても言えるのではないか、と思ったのだった。

人を愛するということはいいことだ、とか、こんなふうに人を愛したらいい、とかいうハウツー本は山のようにある(読んだことはないが)のに、「こんなふうに怒ったらいい」「正しい怒り方」を指南してくれる本というのを見たことがない。
怒らないでいられる人はいない。怒るべきとき、というのもあるだろう。
だが、反面、どこまで怒るか、どこで止めるか、という判断を適切にすることはきわめてむずかしいのではないか、と思うのである。
日常の些細なトラブルに、怒りは役に立たない、ということを、たいていの人は知っているはずだ。それでも怒ってしまうのは、怒る必然がその人にあるからなのだろう。
実は、うまく怒る、というのは、ほんとうにむずかしいのではないか、と思うのだ。

わたしもこのあいだ、上・中・下の三巻本を借りようとして、三冊にカウントされたときは、思わずムッとしてしまって、上・下セット本は一冊の扱いではないんですか、と聞く、というか、問いただすような言い方をしてしまったのだった。
すると職員の人に、上・下本は一冊扱いですが、そういう処置は上・下だけに限られます、三分冊以上は一冊ずつとカウントしています、そうしないと、コミックス類など、きりがないですから、と言われてしまって、ああ、そうですか、とあっさり引きさがらないわけにはいかない経験をしてしまったのである。
そこでごねるようなことはしないけれど、やっぱりなんとなくおもしろくなかったのである。そういう「なんとなくおもしろくない」ときには、どんなふうに怒ったらいいんだろう。

リング・ラードナー 「金婚旅行」その10.

2007-10-30 22:38:55 | 翻訳

第十回

「そういう自分はどうなんだ」とわしは言った。「クロケットをやっているときはいい物笑いになったじゃないか。おまけに背中を痛めてもうできないようなふりをしたくせに」

「ほんとうにそうだったんです。だけどね、わたしはあんたが親指を痛めたときでも、笑ったりはしませんでしたよ。なのにあんたはわたしの背中がつったとき、どうしてあんなに笑ったのよ」

「あれが笑わずにすませるもんか!」

「だけど、フランク・ハーツェルは笑わなかった」

「そりゃ結構。じゃどうしてやつと結婚しなかった?」

「そうね、結婚してたら良かったって思うわ」

「わしだってそうしてくれたほうが良かったね」

「覚えておきますからね」かあさんはそう言うと、それからまる二日、わしとはまったく口をきかなかった。

 そのつぎの日、公園でわしらはまたハーツェル夫妻に会った。わしは謝る気持ちでいたんだが、向こうがちょっとうなずいてみせるぐらいしかしなかったよ。それから二、三日後、夫妻はオーランドに向けて出発したという話を人づてに聞いた。

 まったくそっちが最初の予定地だったら良かったのにな。

 かあさんとわしはベンチに座って仲直りした。

「ねえ、チャーリー、これはわたしたちの金婚旅行なんですよ。わたしたち、それをこんなばからしいケンカで台無しにしようとしてるわよね」

「まったくそうさ、だが、おまえはあのハーツェルと結婚した方が良かったとほんとに思っておるのかね?」

「そんなわけがないでしょうに。だけどあんただって、わたしがハーツェルと結婚した方が良かった、なんて思っちゃいないでしょうね」

「わしはただ疲れて、カッカと来とっただけだよ。おまえがハーツェルではなくて、わしを選んでくれたことは神さまに感謝しておる。おまえのような女は世界広しと言えどほかにはおらんから」

「ハーツェルの奥さんだったら、あなたはどう?」

「そりゃ勘弁だ! あんな下手くそなトランプしかできんし、おまけにクロケット場で入れ歯を落っことすような女だぞ!」

「ま、ご婦人に向かって平気で唾を吐いたり、チェッカーのへたっぴな人にはちょうどお似合いの奥さんってわけね」

 そうして、わしはかあさんの肩に腕を回して、かあさんはわしの手を軽く叩いて、わしらはしっぽりした気分を味わったってわけさ。



(長かった話も、いよいよ明日で終わり。忙しかったことも明日で片づく予定です。たらたら訳したのにおつきあいくださって、どうもありがとうございました)

リング・ラードナー 「金婚旅行」その9.

2007-10-29 22:38:09 | 翻訳
第九回

 始まる前にかあさんはわしの背中を叩いて、頑張って、と言ってくれた。それから競技が始まったんだが、すぐにこりゃまずいぞ、と思ったね。というのも、なにしろ十六年ぶりということで、距離の感じがつかめないんだ。それに、ちょうど親指をつっこんだところの蹄鉄のめっきがはげておったものだから、二、三回、投げるか投げないかのうちに親指の皮がすりむけて、投げるなんてとんでもない、持ち上げるのさえ痛いのなんの、というありさまだった。 

 いや、実際ハーツェルの投げ方はいままで見たことがないほど不器用なもんで、てんで、わしにはかないそうにもなかったんだが、それがまた見たこともないほど運が良くてな、百五十センチか、百八十センチほども手前に落ちたくせに、跳ね上がって、杭にスポッとはいっちまうんだからなあ。そんなに運のいいやつはどうやったって負かせっこない。

 わしらの試合をかなりの人間が見ていたんだが、かあさんのほかにも四、五人のご婦人がいた。それがハーツェルのやつは投げるときに、かみ煙草を噛んでいたんだが、どっちに顔を向けて吐くか一向に気にかけちゃいないようすだった。だもんで、ご婦人たちもずっとヒヤヒヤしていたようだ。

 やつぐらいの歳になったら、ふつう、もっと礼儀というのは気にかけるもんじゃないのかね。

 ともかく、手っ取り早く言うと、わしがやっと距離感をつかみかけたころに、親指の怪我のせいで止めなければならなくなってしまった。怪我をした箇所をハーツェルに見せたが、やっこさんもわしがもう続行できないのはわかったんだろう、なにしろ皮がむけて、血がでていたんだから。たとえわしがそれをじっと我慢して続けようとしたところで、かあさんがわしの親指を見たなら、許さなかっただろうよ。だからわしは競技を止めたんだが、ハーツェルは、スコアは19対6だ、と言ったが、わしにとっちゃ知ったことではなかった。どうだってよかったんだ。

 それからかあさんとわしは家に戻った。そこで、わしは言ったんだ。ハーツェル夫婦にはうんざりだ、どうにかして縁を切るわけにはいかんかな、とな。ところがかあさんときたら、その晩もまたいつまでも続くトランプを、連中の家でやるという約束をしておったのさ。

 わしとしちゃ親指はズキズキ痛むし、気分だってあまり良くはなかった。きっと、だからなんだろうと思う、わしもちょっと上の空だったのさ。ともかく、トランプが終わりかけたころ、ハーツェルのやつがこんなことを言い出したんだ。いつもかあさんをパートナーにできるんだったら、もう絶対に負けたりしない、と。

 だからわしは言ってやった。

「まあな、あんたは五十年まえに、その絶対に負けたりしない相手と組めるチャンスがあったんだが、相手を押さえておけるほどの男じゃなかったってことだな」

 すぐに、しまった、と思ったよ。こいつは悪いことを言った、って。ハーツェルには言うべき言葉も見当たらなかったようだし、やつのかみさんも何も言えなくなってしまった。かあさんは、なんとかなだめようと、うちのひとはお茶より強いものを飲んだにちがいない、そうでなきゃあんなバカなことを言うはずがないから、なんて言ったよ。だがハーツェルのかみさんは、まるで氷山みたいにガチガチに凍ってしまって、帰っていくわしらに声一つかけなかったよ。わしらが出ていったあとで、さぞかしふたりは楽しい時間を過ごしたにちがいない。

そこを出るとき、かあさんはハーツェルに声をかけた。
「チャーリーが言った世迷い言なんて気にしないでね、フランク、あのひと、蹄鉄投げとトランプでさんざんあなたに負けたから、悔しくってあんなことを言っちゃったのよ」

 もちろんかあさんは、わしの口が滑ったことを取り直そうとしたんだが、もうひとつは確かにわしに腹を立ててたんだな。わしだって自分を抑えようとはしたんだが、ともかく、そこの家を出るかでないかのうちに、かあさんはすぐにそのことを持ち出して、わしがやらかしたことを責め立てた。

 だがな、そんなに叱られなきゃならないようなことをしたわけじゃない。だから言ったんだ。

「蹄鉄投げの名手で、トランプもうまい、そういうやつと結婚したら良かった、と思ってるんだろう」

「ふん、少なくともあの人は、親指をちょっとすりむいたぐらいで、投げるのをやめてしまうような赤ちゃんじゃありませんからね」

(この項つづく)

リング・ラードナー 「金婚旅行」その8.

2007-10-28 22:08:23 | 翻訳
第八回

 さて、どういうわけだかわしがそこにおることに会長は気がついたらしく、わしに話をしてくれと頼んできたんだ。わしは立ちあがるつもりもなかったんだが、かあさんがせっつくんでしょうことなしに立ちあがってこう言った。

「お集まりの紳士淑女のみなさん、こんな場所で、というかほかのときでもそうなんですが、話をしろと言われるとは夢にも思ってはおりませんでした。なにしろわしは人前で話ができるような人間だと自分のことを考えたこともありませんでな。ですから、わしもせいいっぱいやってみるつもりなんですが、それもつねづね、わしは人間というものはだれだって最善を尽くすことができるもんだと考えておるからです」

 それからわしはアイルランド訛りでもって、とあるアイルランド人とオートバイの小話をしてやったんだが、それがえらく受けたらしいんで、もうひとつかふたつ、ほかの話もしてやった。結局わしが立っておったのは、せいぜい二十分か、二十五分ぐらいのものだったろうが、腰を下ろしたときの拍手と歓声は、あんたにも聞かせてやりたかったな。ハーツェルのかみさんでさえわしのスピーチの腕前は認めてくれて、ミシガン州のグランド・ラピッズに行くようなことがあったら、きっとうちの息子もロータリークラブでお話してくれるように頼むでしょうよ、と言ったほどだった。

 会が終わったとき、ハーツェルが、わしの家で一緒にトランプをしようじゃないか、と言った。だが、やつのかみさんの方が、もう午後九時三十分を回っているから、いまから始めるには遅すぎるわ、と言ったんだ。まったくやつはトランプとなると夢中になっちまうんだからなあ。たぶん、自分のかみさんと組まなくてすんだからなんだろうな。ともかく、わしらは連中から逃げ出して、家に帰って寝たさ。

 つぎの日の午前中、わしらが公園で会ったとき、ハーツェルのかみさんが、最近ちっとも体を動かすことがなくなった、と言うんで、わしはクロケットをやったらどうか、と言ってやった。

 ハーツェルのかみさんは、クロケットなんて二十年もやってないのよ、だけど奥さんが一緒にやってくれるんだったら、なんてことを言う。まあ最初はかあさんも首を縦には振らなかったんだが、とうとう、やってもいい、という気になったらしい、だがこれはなによりも、ハーツェルのかみさんの機嫌を損ねまいとしてやったことだ。

 ともかくふたりはネブラスカ州イーグルから来たミセス・ライアンと、ヴァーモント州ルトランドから来た、まだ若いミセス・モースというご婦人と一緒にゲームを始めた。このふたりはかあさんが足指治療に行ったときに会った人らしい。ところがかあさんときたらまったく当たりゃしないもんで、みんな大笑いするし、わしまで笑わずにはいられなくなったものだから、かあさんはやめてしまって、背中が痛くって腰をかがめることもできやしない、と言いわけをした。それで、別の人がなかに入って試合は続いたんだが、じき、今度はハーツェルのかみさんが、みんなに笑われる段になったのさ。黒いボールを思いっきり遠くまで打ったんだが、力を入れた表紙に入れ歯がコートに落ちたのさ。女がそこまでうろたえたところを見たことがないね。それに、あそこまでものすごい笑い声というのもちょっと聞いたことがない。とはいえご本尊のミセス・ハーツェルだけは別で、スズメバチのように怒りまくって、続きをやろうとせんもんだから、試合はそこで途中止めになってしまった。

 ハーツェルのかみさんはそのまま口もきかないまま家に帰ってしまったんだが、ハーツェルのほうは残ったままで、しまいにわしにこんなことを言った。

「なあ、このあいだはあんたにチェッカーでさんざんな目にあわされたが、今日は蹄鉄投げをやってみるというのはどうだね?」

 わしは十六年間も蹄鉄投げなんぞしたころがない、と言ったんだが、かあさんはこう言うんだ。

「やってみなさいよ。昔はとってもうまかったんだから、じきに思い出せますって」

 まあ、長い話を手っ取り早くすませると、わしは言うとおりにすることにしたんだ。なにしと十六年もやったことのないような蹄鉄投げなんて、やるべきじゃない。それでも、ハーツェルを笑わかせたかったんだ。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「金婚旅行」その7.

2007-10-27 22:55:30 | 翻訳
第七回

 そのうち女どもが公園にやってきたんだが、わしはこんな勝負のことなんぞはちっともしゃべる気はなかったんだ。言い出したのはハーツェルの方さ。この旦那には手も足も出ない、とね。

「まあ」と言い出したのは、ハーツェルのかみさんだ。「チェッカーなんて、ほんと、たいそうなもんじゃないでしょ? 子供の遊びみたいなもんよ。うちの子だってちっちゃな時分、よく遊んでいたじゃない?」

「そうですな、奥さん」とわしは答えた。「ご主人の腕前なら、子供の遊びというところだろうなあ」

かあさんはとりなそうと思ったんだろう、こう言った。

「たぶん、ほかのことならフランクの方が上を行くでしょうよ」

「そうね」とハーツェルのかみさんも言った。「蹄鉄投げじゃ、うちの人がひけを取るようなことはないと思うわ」

「さて」とわしは言った。「やってみてもいいんだが、なにしろわしはもう十六年も投げちゃおらんからなあ」

「そうさ」と今度はハーツェルが言った。「わしだってチェッカーをやったのは二十年ぶりだ」

「おや、わしはまた今日が初めてかと思ったよ」

「とりあえず」とやつは言った。「ルーシーとわしはファイヴ・ハンドレットであんたの上を行ったがな」

 まあな、それが誰のせいか言ってもよかったんだが、わしには自分の舌を押さえつけておくぐらいの礼儀は備わっているからな。

 ともかくそういったことになったものだから、ハーツェルは毎晩トランプをやりたがるし、わしかかあさんが映画に行きたいようなときは、どっちかが頭が痛いことにして、女神様を頼みに、うまく連中に見つからないようにこっそりと映画館に行ったのだ。なにもトランプがきらいなわけじゃない、ただ組む相手にはゲームに気持ちを向けてもらいたいだけさ。だがハーツェルのかみさんのような女と組まされて、二、三秒おきにグランド・ラピッズの息子の自慢話を聞かされては、どうやってトランプができると言うんだ?

 さて、ニュー・ヨーク-ニュージャージー州人会は社交の夕べを催すことになったんで、わしはかあさんにこう言った。

「なあ、その晩だけは、わしらもファイヴ・ハンドレッドをしない口実があるわけだ」

「そうねえ。だけどフランクと奥さんの方を、ミシガンの州人会にご一緒しませんか、と誘わなきゃならないじゃありませんか」

「まあな」とわしも言った。「あんなおしゃべりをどこへでも連れていくぐらいなら、わしは家にいた方を選ぶね」

するとかあさんはこんなふうに答えた。

「あなた、だんだん偏屈になってきたみたいよ。確かにあの人はちょいとばかりおしゃべりが過ぎるけど、心根は優しい人です。それにフランクはいつだって、一緒にいて楽しい人だし」

 だからわしは言った。

「そんなにいっしょにおって楽しいんなら、さぞかしやつと結婚したほうが良かったと思っておるのだろうな」

 かあさんは声を上げて笑うと、焼きもちを焼いてるみたい、と笑うんだ。まったくなにがうれしくて牛医者に焼きもちなんぞ焼かなくてはならんのかね。

 ともかくわしらはふたりを引っぱってその会に連れていき、わしらが連れて行かれたときよりはるかに楽しませてやったと言っていいだろうな。

 パターソンから来たレーン判事が景気についてためになる話をしてくれたし、ウェストフィールドのミセス・ニューウェルという人が、鳥の鳴き真似をした。こっちの物真似は、まちがいなくその人がやったとおり、本物の鳥の声に聞こえたよ。レッド・バンクから来た若いご婦人ふたりがコーラスをいくつか聞かせてくれて、わしらが拍手してアンコールをせがむと、今度は『故郷の山々』を歌ってくれて、かあさんとハーツェルのかみさんは目に涙を浮かべておったな。あと、ハーツェルもそうだった。

(おしゃべりなおじいさんの話はまだまだ続く)

リング・ラードナー 「金婚旅行」その6.

2007-10-26 23:09:58 | 翻訳
第六回

 飯をすませたところでわしらはふたりを家に連れてくることにした。みんなで居間でくつろいだんだが、その部屋はわしらにお客があるようなときには、家主の未亡人が使わせてくれるのさ。わしらがあのころの話を始めたんで、かあさんは、わたしたち三人の昔話を聞いてる奥さんは、さぞかし退屈でしょう、と心配していたんだが、ところがどっこい、ハーツェルのかみさんが話に入ってきたら、もうだれも口を開けるチャンスなんぞはなくなってしまうんだ。わしもおしゃべりがちと過ぎるような女はずいぶん見てきたが、あのかみさんは、そういった女どもが束になったところで、かないっこないぐらいのものだった。わしらにミシガン州に住む自分の一族の家系を細々としゃべくるわ、息子の自慢を延々と半時間がとこ続けて、グランド・ラピッズで薬屋をやっておるだの、ロータリークラブの会員だのと教えてくれたのさ。

 そのうちわしとハーツェルがやっとのことで割りこめたんで、わしらはさかんに冗談を言い合った。で、わしはやっこさんが馬医者だということをカモにしてやったんだ。

「ところでフランク、おまえさんはずいぶん景気が良さそうだが、ヒルズデイルあたりじゃ馬鼻疽病はずいぶん流行っとるらしいな」

「まあどうにかこうにか人並みにおまんまはいただいてはおるがね。それも身を粉にして働いたおかげだな」

「そうともさ」とわし。「おまえさんのことだから、夜中の何時だって、馬のお産だ、なんだ、と呼び出されるんだろうな」

 そこまででかあさんはわしを黙らせたがな。

 ともかくふたりはいっかな帰りそうにないもんで、わしもかあさんも、何とか起きていようとみじめなありさまだった。なにしろわしらはたいがい、昼飯のあとは昼寝をすることにしておったからな。やっと帰ってくれたんだが、その前に、また明日の午前も公園で会おう、という約束をしたんだ。ハーツェルのかみさんの方が、うちにファイヴ・ハンドレッドをやりにいらして、と言ったんだが、そう言った本人がその晩にミシガン州人会があるのを忘れておって、結局二日後の晩に、わしらははじめてトランプの手合わせをやることになった。

 ハーツェルとかみさんは北三番街の家に住んでおったんだが、そこには寝室よりほかに、特別にしつらえられた個室もあった。ハーツェルのかみさんは、その部屋がどれだけすばらしいか、しゃべり出したらどうにもとまらなくなったよ。わしら四人はトランプを始めたんだが、かあさんとハーツェル、わしとハーツェルのかみさんがそれぞれ組んだ。そのハーツェルのかみさんときたら、まったくひどいもので、わしの組はさんざんな目にあった。

 ゲームのあとで、ハーツェルのかみさんがオレンジののった皿を持ってきたから、わしらはしょうことなしに、喜んでいるようなふりをしなきゃならんかったよ。フロリダあたりのオレンジは、若い衆の髭のようなもんでな。最初のうちは悪くない、と思っておっても、じきに持て余してわずらわしいだけになるものなのさ。

 翌日の晩は、こんどはわしらの家でトランプをやって、また同じ組み合わせ、そうしておんなじようにハーツェルのかみさんがまたやられた。かあさんとハーツェルは、わたしたち、なんてすばらしい組なんでしょう、とかなんとか、互いを褒めそやしておったが、実のところ、ここまでうまく行った秘密はよくわかっておったと思う。全部合わせて十日ほどはやったにちがいないんだが、ハーツェルのかみさんとわしの組が勝ったのは、たった一晩だけだった。その夜だけは、ヘマをしなかったからな。

 そこに二週間ほどいたんだが、ある夕方、わしらはハーツェル夫妻に招かれて、会衆派教会に行った。ミシガン州デトロイトから来た人が、「どうして私はおしゃべりから足を洗ったか」という話をした。講演者は大柄な男で、ロータリークラブの会員でもあり、なかなか気の利いた話をする人物でもあった。

ほかにも、オクスフォードというご婦人が歌を何曲か歌ったんだが、ハーツェルのかみさんの話では、なんでもオペラのなかに出てくる歌らしかった。だが、なんにせよ、うちの娘のエディなら、もっと上手に、おまけにあんな大騒ぎをすることもなく、やったと思うよ。

 それからグランド・ラピッズから来た腹話術師が腹話術をやってみせて、そのあと四十五歳の若いご婦人が、いろんな鳥の鳴き真似をやった。わしはかあさんにこっそり言ってやったよ。どれもヒヨコに聞こえるな、とね。かあさんはわしをつついて、黙らせたんだ。

 ともかくこの出し物が終わって、わしらはドラッグストアに寄ると、清涼飲料水を飲んでから帰ったんだが、結局寝床に入ったのは夜中の十時をまわっとったよ。かあさんとわしは映画でも見に行ったほうがよほど良かったんだが、かあさんは、ハーツェルの奥さんの機嫌を悪くするようなことをしちゃダメ、と言う。だからわしは聞いてやった。それなら、わしらはあのミシガン出身のおしゃべりばあさんを怒らせないために、わざわざフロリダくんだりまで来たのかね、とな。

 ある日の午前は、ハーツェルに気の毒なことをしてしまった。女たちが連れだって足治療医のところへ出かけたところ、公園でハーツェルに出くわしたんだ。すると、やっこさん、向こう見ずにもわしにチェッカーを挑んだじゃないか。

 やろうと言い出したのはやっこさんで、わしじゃない、ともかく一ゲームも終わらないうちに、やっこさん、後悔したにちがいないね。だがやつも頑固で、まいったとも言わないまま続けるものだから、わしは立て続けに負かしてやった。おまけにもっと悪いことに、わしがチェッカーを始めると、大勢の人間が見物に来るのがつねなんだが、そのときもみんなが見ていたんだ。とうとうフランクがヘマをやるのを見て、連中がからかったり、批評を始めたりしだしたんだ。こんな具合にな。

「それでチェッカーをやってるなんて言えるのかねえ」

だの

「円盤投げならできるかもしれんが、チェッカーはなあ」

なんてことだよ。

 わしとしては、なんとか二ゲームくらいなら勝たしてやっても良かったんだがな。だが見物人がいるんじゃ、すぐに八百長が知れてしまうからな。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「金婚旅行」その5.

2007-10-25 22:31:52 | 翻訳
第五回

 ともかく、かあさんとわしは蹄鉄投げをする人たちを見物して、楽しい日を過ごしたんだが、かあさんがわしを、あの中に入って一緒にやれ、といって聞かないんだ。だからわしは言ってやったよ。わしはすっかり遠ざかって練習もせんようになっておるのだから、そんな笑い者になるようなことはできんよ、とな。だが見たところ投げ手のうち何人かなら、練習なぞせずとも、十分相手をしてやれそうではあったがな。そうは言っても、実際腕のいいやつもいたし、オハイオ州アクロンから来た男なぞ、たいした投げっぷりだった。みんな、二月のトーナメント大会じゃ、やつが優勝するだろう、と教えてくれたよ。わしらはその大会が始まる数日前に帰ったんで、優勝したかどうかまではわからんかったが。名前は忘れたが、ともかく髪をきちんと刈り込んだ若い衆で、クリーヴランドにはロータリークラブの会員をやっとる兄貴がおるという話だった。

 ともかく、二、三日のあいだ、わしらは突っ立っていろんなゲームを見物したんだが、とうとうチェッカーをやる羽目になった。相手はイリノイ州ダンヴィルから来たウィーヴァーってやつだった。なかなかいい手を指したが、わしの相手じゃない。いや、自慢とは思わんでくれよ。わしはいつもチェッカーにかけちゃだれにも負けはせん、なんだったらここらの連中に同じことを聞いてみてくれ。わしはこのウィーヴァーと午前中だけ三日ほど続けてやったんだが、やつが勝ったのはたった一度だけ、あともう一回は、やつの方が優勢ではあったんだが、ちょうど昼の時報が鳴って昼飯になったために水入りになったのさ。

 わしがチェッカーをしておるあいだ、かあさんは腰かけて音楽を聞いておったよ、なにしろかあさんは音楽が大好きで、クラシックだろうがどんな音楽だろうがいいんだからな。ともかく、ある日かあさんがそこに座っておったら、曲の合間に隣のご婦人が話しかけてきたんだ。だいたいかあさんと同じ年格好、七十か、七十一、ってとこだろう。しまいにそのご婦人がかあさんに名前を聞いたもんだから、かあさんは答えたついでに、どこから来たかも言って、相手にも同じことを聞いた、そしたらこのご婦人、いったい誰だったと思うね?

 まったく、あんた、フランク・M・ハーツェルのかみさんだったんだよ。わしが横から割りこむまで、かあさんの婚約者だった男だ、五十二年前にな!

 そうだ、あんた、えらいことだよなあ。

 あんたにもかあさんがどれだけ驚いたかわかるかね。ハーツェルのかみさんも驚いたさ、相手が自分の亭主の友だちだと言うのを聞かされて。だがかあさんはどういった仲だったかまでは言わなかったし、わしとかあさんが結婚したために、ハーツェルが西へ行ったことも黙っていた。だが実際はそうだったんだ。自分の結婚がおじゃんになってから一ヶ月後には町を出て、二度と帰ってこなかった。やつはミシガンへ行って獣医になると、そのままそこ、ヒルズデイルに居着いてしまい、じき、そのかみさんと結婚したのさ。 

 そこでかあさんは勇気を奮い起こして、フランクはまだ元気でいるか聞いてみた。するとハーツェルのかみさんはかあさんを蹄鉄投げの連中のところに連れていき、そこにはフランクが自分の番を待っておったのさ。フランクにはかあさんがすぐにわかった。五十年以上経っておるというのにな。かあさんの目を見て、すぐにわかったんだとさ。

「おお、ルーシー・フロストじゃないか」そう言うと、蹄鉄を放り出してゲームを止めた。

 それから三人がわしを探しに来たんだが、正直言うと、やっこさんが誰なのか、ちぃっともわからんかったよ。やっこさんとわしは同じも同じ、月まで同じ歳なんだが、やっこさんのほうがどう考えても老けていたな。頭ひとつとっても、やつの方がずっと髪は薄くなっておったよ。ひげは真っ白、それにくらべてわしはまだ茶色い筋が残っておるだろう? ともかくわしはまずこう言った。

「やあ、フランク、あんたのひげを見てると、北部へ戻ったような気がするなあ。北部じゃおなじみの吹雪みたいだものなあ」

「ああ」とやつは言った。「あんたのひげもドライクリーニングに出したら、わしのぐらい白くなるんじゃないかな」

 だが、かあさんはどうやらがまんならなかったらしい。

「そうかもしれないけど」とフランクに向かって言うのさ。「でもね、チャーリーはもう十年以上タバコなんて口にもしたことがないのよ」

 まったくそのとおり!

 ともかく、わしはチェッカーの方は失礼させてもらって、じき昼時だったもんだから、みんなで食事をしようということになった。それで、連中にはほかに案もなかったもんだから、向こうがいきつけにしている三番街の食堂に行くことになったのさ。わしらが行っているところより高かったが、料理はたいしたことはなかったな。わしとかあさんが毎日食っておるようなものを食べたのに、感情はふたり合わせて一ドル十セントだった。フランクの方は一ドル二十セント払ったが。同じ料理ならわしらの行く店で一ドル以上はしなかったはずだよ。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「金婚旅行」その4.

2007-10-24 22:10:11 | 翻訳
第四回

 さて、わしらがセント・ピーターズバーグで最初にやったことのひとつが、商工会議所に出かけて、名前とどこから来たかを登録した。町にはいろんな州から大勢来ているもんだから、互いにその数を競うんだ。もちろんわしらみたいなちっぽけな州は分が悪いんだが、ほれ、よく言うだろう、塵も積もれば山となる、とな。商工会議所の職員が教えてくれたが、登録人数は全部ひっくるめて一万一千人、トップのオハイオ州からは千五百人強、つぎのニューヨーク州からは千二百人いたそうだ。ミシガン、ペンシルヴァニアとつづいていって、最後にキューバとネヴァダがそれぞれひとり。

 そこに着いた最初の晩は、ニューヨークとニュージャージーから来た人間の集まりが会衆派教会であった。そこでニューヨーク州のオグデンズバーグから来た男が話をした。「虹を追うこと」というテーマでな。ロータリー・クラブの一員で、なかなか説得力のある話しぶりだったよ。名前は忘れてしまったが。

 もちろん、わしらの最初の仕事というのは、食事する場所を見つけることで、あちこち行ってみて、おあつらえむきの食堂を、セントラル通りで見つけた。わしらはほとんどそこでばかり飯を食ったんだが、平均してふたりで一日二ドルぐらいだった。だが味は悪くなかったし、なにもかもがこざっぱりと清潔に整えられていたんだ。ものごとが清潔で、きちんと料理されていれば、男は値段なんぞガタガタ言うもんじゃないな。

 二月三日はかあさんの誕生日だったんで、わしらもちょっとは奢って、ポインセチア・ホテルで夕食をとったんだが、そこじゃ一人前とはとても言えないようなちっぽけなサーロイン・ステーキ一枚に、七十五セントもふっかけてきたんだからな。

 わしはかあさんに言った。「なあ、おまえの誕生日が毎日じゃなかったのはまったくいいことだったなあ。さもなきゃわしらは救貧院の世話にならなきゃいけなくなる」

「いやですよ。もし毎日誕生日がきたら、わたしゃとっくにお墓に入ってなきゃいけないじゃないですか」

 まったくかあさんにはかなわんね。

 ホテルにはトランプの部屋があって、紳士淑女のみなさんがファイブ・ハンドレッドや最近はやりのホイスト・ブリッジなんかをやっていた。そこにはダンスをする場所もあったから、かあさんに、あんなかろやかで凝ったステップをやってみないか、と聞いてみたんだ。そしたら、いやですよ、だとさ。あの人たちがきょうびやってるように、身をくねくねさせるには歳を取りすぎてますよ、だとさ。ふたりでしばらく若いもんが踊るのを眺めてたんだが、かあさんはもうたくさんですよ、と言い出した。この口の中の変な味を消すために、おもしろい映画でも見ましょうよ、と言うのさ。かあさんは映画がえらく好きでな。家におるときでも、週に二回は見に行くんだ。

 だがわしがあんたに聞かせてやりたいのは、公園のことだ。あそこに着いて二日目に、わしらは公園へ行ってみたんだが、タンパにあるのとそっくり、ただこっちの方が大きくて、いろんなおもしろい出し物が数え切れないほどたくさん出ていた。公園の真ん中へんには野外ステージがあるんだが、そこには来た人のために椅子が置いてあって、コンサートを聴けるようになっとるんだ。演奏されるのも、デキシーからお涙頂戴のクラシック音楽までいろとりどりさ。

 あたり一帯には、いろんなスポーツやゲームをやる場所もあった――チェスやチェッカーやドミノのようなゲームが好きな連中のための場所、クロケットや蹄鉄投げのような元気な連中のための場所。わしも昔は蹄鉄投げに関しては、ちょっとしたもんだったが、ここ二十年ほどは、とんとご無沙汰しておったのさ。

 ともかくわしらは一シーズン一ドルの会員用チケットを買ったんだが、これは二年ほど前は五十セントだったんだそうだ。ところが下層階級の連中に来てもらっちゃ困るっていうんで、値上げしなきゃならなくなった、と聞いたよ。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「金婚旅行」その3.

2007-10-23 22:15:40 | 翻訳
第三回

 クリアウォーターで数人が下車し、ベルエアーでもそのぐらいが降りたが、ベルエアーじゃ汽車の後部車両が巨大なホテルの真ん前に来るようになっていた。そこはゴルフ好きの連中の冬の総本山みたいなところで、降りる客はみんな十本、十二本とクラブをぶちこんだバッグをさげておったな。女だろうが猫だろうが杓子だろうが。わしが若いころはシニーと言うておったが、クラブなんぞは一本しか必要なかった。わしらのやり方でやったことなら、一ゲームがあの洒落者連中の何ゲームにも相当するだろうな。

 汽車がセント・ピーターズバーグに着いたのは午前八時二十分だったが、わしらが降りてみると、暴動でも起きたかと思うような騒がしさだった。黒人のやつらが、くちぐちにいろんなホテルの名前を喚いておるのさ。

 わしは母さんに言った。

「わしらはどこにいくかもう決まっておるし、ホテルを選ぶ必要もなくて良かったなあ。みんながみんな、自分のところが最高と言っておるんだもの、選ぶのも骨だわな」

 かあさんは笑ったよ。

 わしらは小型の路線バスを見つけて、婿が手配してくれた家の住所を運転手に見せて、じきにそこへ着いてから、その家の持ち主のご婦人に、わしらが誰か伝えた。そのご婦人は若い未亡人で、四十八歳ということだった。わしらを部屋に通してくれたが、明るくて風通しのいい部屋で、寝心地の良さそうなベッドとタンスと洗面台がついていた。週十二ドル、だが場所が良かったからな。ウィリアムズ公園からたった三ブロックしか離れてなかったんだ。

 セント・ピートのことをそこの人間は「町(タウン)」と呼んでおるが、サンシャイン・シティ(市)ともいう。というのも、ここほどお天道様が母なる大地に微笑みかける日が多いところは、国中広しといえど、ほかにはないからなんだそうだ。新聞社のなかには、太陽の照らない日は新聞をただで配るというところまであったよ。それもなんと十一年間でただで配ったのはたった六十何回かっていう話だからなあ。そこはほかの呼び方もあって、「貧乏人のパーム・ビーチ」というんだ。だがそこに行く人間なら、もうひとつのパーム・ビーチに行くような連中とさしてかわらんぐらい、銀行は信用貸しをしてくれるような気がするがな。

 わしらがそこへおるあいだに、一度ルイス・テント村へ行ってみたんだが、そこは缶詰め旅行者協会の本部があるところなんだ。ああ、たぶんあんたは缶詰め旅行者協会なんて名前は聞いたことがないだろうな。ともかく、休みになると車に何やかや一式詰めこんで旅行に出かけるような連中の集まりなのさ。要するに、やっこさんたちは寝るためのテントも、車のなかで料理できるような道具も持っていて、ホテルや食堂を使わない。そうして心底からの自動車キャンプ愛好者でなければ入会できないんだ。

 会員は二十万人を越えるらしく、自分たちのことを「缶詰め屋」と呼んでおったよ。というのもやっこさんたちが食うほとんどは缶詰めにされたものだからなのさ。わしらがそのテント村で会ったなかに、テキサス州ブレイディから来たペンスさんという夫婦ものがいた。旦那の方は八十の坂を超えとったんだが、家からはるばる二千六百四十キロ九百三十三メートルの道のりを車で走ってきたんだそうだ。五週間かかったらしいが、道中ずっとミスター・ペンスが運転しておったんだと。

 缶詰め屋たちはアメリカ全土からやって来ておったが、夏にはニューイングランドや五大湖周辺を訪ねて、冬はフロリダに来て、州のあっちこっちに散らばるんだそうだ。わしらがそこにおるあいだにも、フロリダ州ゲインズヴィルでは全国集会があって、ニューヨーク州フレドニアの人物を会長に選出した。その肩書きというのが「世界缶切り王」というのさ。会には歌まであって、メンバーになろうと思ったら、それを覚えねばならんのだそうだ。
缶詰め自動車 永遠に! フレー、者ども、フレー!
奮い立て、缶詰めどもよ! 敵をうち倒せ!
キャンプファイヤーを囲んで集まろう
まらもう一度集まろう
声高らかに、「我ら缶詰め自動車、永遠に!」

 こんなふうな歌だったよ。そうして会員たちは缶詰めを自分の車に結わえ付けることになっておるのさ。

 わしはかあさんに、あんなふうに旅行してまわりたくないか、と聞いてみた。

「いいですよ。だけど頭のなかがカラカラ音をたててるようなひとの運転じゃ、いやだわね」

「だがわしはテキサスからずっと運転してきたペンスさんより八つも若いんだぞ」

「そうね。だけどあの人はあんたみたいに気ばっかり若いわけじゃないからね」

 まったくかあさんに勝てる者はおらんね。

(この項つづく)

リング・ラードナー 「金婚旅行」その2.

2007-10-22 22:22:32 | 翻訳
第二回

 わしらは前の晩からトレントンに行って、娘と婿の家に厄介になって、つぎの日の午後三時二十三分に出発した。

 これが一月十二日のことだ。かあさんは汽車の前方に顔を向けて座った。というのも、後ろ向きに座るとクラクするらしい。わしは向かいに座ったよ、そんなことは気にならんからな。汽車はノース・フィラデルフィアに午後四時三分に到着したあと、ウェスト・フィラデルフィアは四時十四分着、だがブロード・ストリート駅には入らなかった。ボルティモア着は六時三十分、ワシントンD.C.着は七時二十五分。ワシントンでは汽車が、つぎにわしらが乗り換える汽車が来るまで二時間停車したものだから、わしは外に出て、プラットフォームをぶらぶらして、ユニオン駅まで行った。戻ってみたら、汽車は別の線路に移動してしまっている。だがわしは汽車がラ・ベルという名前で、昔、ウィスコンシンのオコノモウクにおる伯母さんを訪ねたときに、そこの湖と同じだったのを覚えておったから、どこに行ったか、苦もなく探し当てたよ。まあかあさんはわしが置いてけぼりにされるんじゃないかと気持ちがわるくなるほど心配しとったらしい。

 わしは言ってやったよ。「まあ、つぎの汽車でおまえを追いかけることもできるしな」

 するとかあさんは「そりゃそうかもしれないけど」と言ってから、サイフを握っとるのはわたしじゃありませんか、と言う。

 だからわしも「まあ、わしらがおるのはワシントンだし、ここには財務省もあるから金なら借りられる。イギリス人のふりをしたらいいのさ」

 かあさんはこのオチがわかったから、心底、おかしそうに笑ったさ。

 わしらの汽車はワシントンを夜九時四十分に出て、かあさんとわしは早く休むことにして、わしが上段を選んだ。夜っぴて「緑したたる懐かしきヴァージニアの平原」を走ったが、ほんとに緑だったか、ほかの色だったかは外は暗すぎてわからんかった。朝起きたときにはノース・カロライナのフェーエットビルだった。食堂車で朝食を取ってから、わしは隣の個室の男と話をした。ニュー・ハンプシャー州のレバノンから来た八十歳ぐらいの男だったよ。かみさんと未婚の娘さんふたりが一緒だもんだから、わしは四人でひとつの個室というのは、狭すぎやしませんかな、と言ったのさ。するとやっこさん、わしらはこの十五年間、毎年冬になると旅行に出かけておるのだから、お互い、目障りにならんようにするやり方ならわかる、と言うんだ。やっこさんはターポン・スプリングスに行くところだ、と言うておったよ。

 サウス・カロライナのチャールストンに着いたのが、午後十二時五十分、ジョージア州サヴァナ着が四時二十分。フロリダ州ジャクソンヴィルに着いたのは八時四十五分、そこで一時間十五分の待ち時間があった。だがわしが汽車を降りようとすると、かあさんがガタガタ言う。仕方がないんで、黒人のやつに寝床を作らせて、ジャクソンヴィルを出る前には寝てしまったよ。汽車ががたごと揺れるもんだからわしはろくすっぽ眠れない、かあさんはかあさんで、わしが転がり落ちるんじゃないかと心配で心配で、汽車に乗って眠れたためしがないんだそうだ。そんな心配をするぐらいなら、かあさんが上に寝たらいいじゃないか、とわしは言ったんだが、実際かあさんが上に寝てベッドが落ちるようなことにでもなれば大変だ。そりゃ後ろ指をさされることになるだろうさ。

 朝起きてみると、ちょうどニュー・ハンプシャーから来た隣の一家がターポン・スプリングスで降りる準備をしておるところだった。ターポン・スプリングス着は午前六時五十三分。

(この項つづく)