まぁいろいろうっとうしいことがありまして(もちろんそのなかで、良いこともあったのですが――まさにこれこそSe a vida e, that's the way life is)、ちょっと疲れています。
こんなこと書くぐらいだったら、とっとと寝たほうがいいような気もするのですが、せっかくのぞきに来てくださった方に申し訳ないので、へたった頭をふりしぼろうかと思っています。
その昔、ハタチを越えてちょっとぐらいだったころ、教えてもらっていた先生が、学生に聞きました。
「みなさん、この間、選挙に行きましたか」
おそらく十五、六人、学生がいて、三分の二くらいが女の子だったと思うんですが、ほとんどだれも行ってませんでした。
「なんで君たちは投票に行かないんですか」
「入れたい人がいないから」わたしはたぶんこう答えたように思います。
そのとき、先生はこう言われたんです。
「入れたい人がいなかったら、白票を投じるんです。そうすることによって、それがあなたの政治的意思表示になります。選挙に行かないことは、意思表示ではありません。政治的民主的諸権利の放棄にほかなりません」
それからわたしは選挙に行くことに決めたんですけどね。
まぁ、いろいろあるわけですが。
今回の選挙、なんていまになって言うのも、ずいぶん間が抜けた感じなんですが(笑)、頭が疲れてるので、だらだら書いてます。
よく新聞に書いてあったのが、若年層が「多数派」の一翼を形成したくて、自民党に投票した、ということでした。それが正しいのかどうなのか、わたしにはよくわかりません。
ただ、そうした流れ、多数派の側につきたい、みたいな心情的傾向が、いまや主流派を占めてるのは、なんとなく感じます。で、他人が右向いてたら、とりあえず左が向いてみたくなるわたしなんか、ちょっとキモチガワルイ感じがします。
何かね、景気が悪い、って言われ出して、ずいぶんになりますよね。モノが売れない、売れなきゃ景気はいつまでたってもよくならない、なんて物言いも、耳にタコができるほど聞かされてきました。
だけど、そういうなかで、ヒット商品っていうのは出てくるわけです。いま何が「ヒット商品」なんだか、世間に疎いわたしは、てんで知らないのだけれど、多くは「何でこんなもの」というような気がする。少なくとも、わたしがほしくなるようなものじゃないです。売れてる本、本屋で平積みになってる本なんかでも、間違っても手に取ろうというような本ではない。
「そんなもの、ほんとにほしいの?」
売れる、っていうのは、買う人がいるから売れるわけで、いちどそういう人に聞いてみたいと思います。
以前CDを売るために、制作会社が買い占めちゃう、そうすることで「売れている状況」を人工的に作り出して、そうすることでヒットを産みだす、っていうのを読んだことがありますが、人が買ってるものを「とりあえず」聞いてみよう、読んでみよう、っていうメンタリティが、わたしにはよくわからない。
とりあえず売れるもの、というのは、マーケティングとかそういうもので、わかるのかもしれません。そうすると、そこでもんだいになってくるのは“いいもの”ではなくて、“多くの人がほしがるであろうもの”、なわけです。
極端に言えば、なにが多数派か。
みんなが一種のマーケッターになって、これをみんなが考えている、っていうのが、いまの世の中なんじゃないか、っていう気がします。
自分がなにがほしいか、じゃないんです。みんながほしがるものは、なにか。
みんな、というのは、結局は、他人です。他人がなにをほしがっているか。そうして、この「他人」と「自分」を、曖昧に同一化して、自分も「多数派」の一翼に組み込んでいる。
ここでは、他人なんて、批判できません。批判なんかしちゃうと、自分と他人を曖昧にいっしょくたになんてできません。ゆるやかに認めて、自分と一体化させちゃうわけです。
だから、なんでそんなゴミみたいなものがほしいの? って言っちゃったら、ダメ。そんなこと言うと、景気はまた悪くなるし、景気を良くするためにも自分が多数派になっちゃったほうがいい。
そんな気分が象徴的に現れたのが、こんどの選挙だったような気がします、って、だれかきっとこんなこと、言ってるんだと思いますが。
他人っていうのは、批判してもいい、と思います。批判することで、逆に自分のほしいものや、考え方が、はっきりしてくる。もちろん、批判する人は批判されるわけですから、自分に対する批判は引き受けていかなきゃならない。
だけど、そういうことをしていかなきゃ、言葉はどんどん無力になっていきます。
とりあえずは、「流行のチェック」をやめるところあたりから、始めてみませんか、って、「マツケンサンバ」の書き込みが、コメント欄であるまで、その「マツケン」が人の名前だってわからなかったわたしが書いたって、ちっとも説得力がないんですが(笑)。
ということで、明日は更新します(笑)。
こんなこと書くぐらいだったら、とっとと寝たほうがいいような気もするのですが、せっかくのぞきに来てくださった方に申し訳ないので、へたった頭をふりしぼろうかと思っています。
その昔、ハタチを越えてちょっとぐらいだったころ、教えてもらっていた先生が、学生に聞きました。
「みなさん、この間、選挙に行きましたか」
おそらく十五、六人、学生がいて、三分の二くらいが女の子だったと思うんですが、ほとんどだれも行ってませんでした。
「なんで君たちは投票に行かないんですか」
「入れたい人がいないから」わたしはたぶんこう答えたように思います。
そのとき、先生はこう言われたんです。
「入れたい人がいなかったら、白票を投じるんです。そうすることによって、それがあなたの政治的意思表示になります。選挙に行かないことは、意思表示ではありません。政治的民主的諸権利の放棄にほかなりません」
それからわたしは選挙に行くことに決めたんですけどね。
まぁ、いろいろあるわけですが。
今回の選挙、なんていまになって言うのも、ずいぶん間が抜けた感じなんですが(笑)、頭が疲れてるので、だらだら書いてます。
よく新聞に書いてあったのが、若年層が「多数派」の一翼を形成したくて、自民党に投票した、ということでした。それが正しいのかどうなのか、わたしにはよくわかりません。
ただ、そうした流れ、多数派の側につきたい、みたいな心情的傾向が、いまや主流派を占めてるのは、なんとなく感じます。で、他人が右向いてたら、とりあえず左が向いてみたくなるわたしなんか、ちょっとキモチガワルイ感じがします。
何かね、景気が悪い、って言われ出して、ずいぶんになりますよね。モノが売れない、売れなきゃ景気はいつまでたってもよくならない、なんて物言いも、耳にタコができるほど聞かされてきました。
だけど、そういうなかで、ヒット商品っていうのは出てくるわけです。いま何が「ヒット商品」なんだか、世間に疎いわたしは、てんで知らないのだけれど、多くは「何でこんなもの」というような気がする。少なくとも、わたしがほしくなるようなものじゃないです。売れてる本、本屋で平積みになってる本なんかでも、間違っても手に取ろうというような本ではない。
「そんなもの、ほんとにほしいの?」
売れる、っていうのは、買う人がいるから売れるわけで、いちどそういう人に聞いてみたいと思います。
以前CDを売るために、制作会社が買い占めちゃう、そうすることで「売れている状況」を人工的に作り出して、そうすることでヒットを産みだす、っていうのを読んだことがありますが、人が買ってるものを「とりあえず」聞いてみよう、読んでみよう、っていうメンタリティが、わたしにはよくわからない。
とりあえず売れるもの、というのは、マーケティングとかそういうもので、わかるのかもしれません。そうすると、そこでもんだいになってくるのは“いいもの”ではなくて、“多くの人がほしがるであろうもの”、なわけです。
極端に言えば、なにが多数派か。
みんなが一種のマーケッターになって、これをみんなが考えている、っていうのが、いまの世の中なんじゃないか、っていう気がします。
自分がなにがほしいか、じゃないんです。みんながほしがるものは、なにか。
みんな、というのは、結局は、他人です。他人がなにをほしがっているか。そうして、この「他人」と「自分」を、曖昧に同一化して、自分も「多数派」の一翼に組み込んでいる。
ここでは、他人なんて、批判できません。批判なんかしちゃうと、自分と他人を曖昧にいっしょくたになんてできません。ゆるやかに認めて、自分と一体化させちゃうわけです。
だから、なんでそんなゴミみたいなものがほしいの? って言っちゃったら、ダメ。そんなこと言うと、景気はまた悪くなるし、景気を良くするためにも自分が多数派になっちゃったほうがいい。
そんな気分が象徴的に現れたのが、こんどの選挙だったような気がします、って、だれかきっとこんなこと、言ってるんだと思いますが。
他人っていうのは、批判してもいい、と思います。批判することで、逆に自分のほしいものや、考え方が、はっきりしてくる。もちろん、批判する人は批判されるわけですから、自分に対する批判は引き受けていかなきゃならない。
だけど、そういうことをしていかなきゃ、言葉はどんどん無力になっていきます。
とりあえずは、「流行のチェック」をやめるところあたりから、始めてみませんか、って、「マツケンサンバ」の書き込みが、コメント欄であるまで、その「マツケン」が人の名前だってわからなかったわたしが書いたって、ちっとも説得力がないんですが(笑)。
ということで、明日は更新します(笑)。
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