陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

不幸は災難か

2009-04-29 22:44:54 | weblog
昨日「不幸な人」の話を書いた。

いかにも他人事のような書きぶりをしているが、わたしのなかにも「自分ばかりこんなことをさせられている」と不平不満の声を上げる面がある。苦労しているのだから、それをねぎらってほしいと思ったり、感謝の言葉を期待したり。望む評価が得られなければ、愚痴をこぼすし、不平不満を誰かに聞かせたくもなる。こうしてみたら、というアドヴァイスに耳を傾けることもなく、言下に「無理」といって、うまくいかないにもかかわらず、自分の状況を変えようともしないこともある。自分に引き比べて他人をうらやましく思い、恨みがましい思いを抱くこともある。

だからこそ、自分の不幸で頭がいっぱいになっている人の気持ちも理解できるのだ。自分のなかにも同じ面があるからこそ、相手のことがわかるのであり、単に程度の差でしかないのだ。自分だってうまくいかなければ世の中を恨みたくもなる。それでも、それを自分の内に留めている。せいぜいのところ、甘えられる人間に愚痴をこぼす程度でなんとか踏みとどまっている。それをやすやすと踏み越え、自分の不幸の腹いせを平然と実行に移してしまう人、不幸な自分に較べて幸福そうな他人がねたましいがゆえに、簡単に人を傷つけ、自分と同じ不幸に引きずり落とそうと、実際に犯罪行為にまで出る人を見ると、何とも言えない不快感を覚えてしまうのだろう。理解できなければ、ただただ不思議なだけなのではなかろうか。

ただ、不幸な人というのは、「もし自分に~があれば」とか「××さえなければ」とか、「あの人のせいで」とかと自分が不幸になった原因を、簡単に外部に求める。不平不満の対象、腹を立てる対象は、つねに自分とは無関係だ。

自分にも悪いところがあった、と省みることができれば、そこから対策も立てられる。やるべき方策が見つかることによって、その人は不幸なばかりではなくなってくる。ところが悪いのはすべて自分以外だとすると、自分に出来ることはなくなってしまう。不幸はいつも外から襲ってくる。不平不満を並べること以外、自分には何もできない。

だが、もしその人に、欠けているもの(たとえばお金とか美貌とか身長とか才能とか)があり、過剰なもの(たとえば体重)がなく、邪魔者(たとえばいやな上司や恋敵)がいなければ、その人は幸福になれるのだろうか。

どうもそうではないような気がする。

幸福というのは、たとえば試験に合格したり、好きな人から好きと言ってもらったり、道で一千万円拾ったり、昇進したりするようなものなのだろうか。

確かに合格した瞬間はうれしい。だが、いったん合格してしまえば、そこからまたつぎの関門が待っている。好きという感情を確かめ合ったところで、その感情をどうこれから先へとつなげていくかはまた別の問題だ。「生活といううすのろ」をどうしていくか、厄介な問題が待っている。一千万円拾って、お礼に一割もらったとしても、使ってしまえばなくなるし、昇進は責任を連れてくる。

幸福というのはそういうものなのだろうか。
だとしたら、スモーキー・マウンテンに生まれた子供は、一生幸福とは無縁なんだろうか。

幸福というのは、どうもそういうものではないような気がするのだ。幸福というのは、欠如がない状態でもなければ、邪魔者のいない状態でもない。その意味で、不幸の対義語ではないのではあるまいか。

そのことはまた明日。


不幸なクロー

2009-04-28 23:00:13 | weblog
もう少し、人類の滅亡とクローの話。
(※検索で飛んで来た人のために。ここでクローと言っているのはフィリップ・K・ディックの短篇「変種第二号」に出てくる殺人兵器のことです)

中島敦の「狼疾記」に出てくる「自分は死んでも地球や宇宙はこのままに続くものとしてこそ安心して、人間の一人として死んで行ける。」という三造の思いをもとに、こんなテストを作ることができるはずだ。

【質問】あなたは自分が死んでも人類がこの地球上で生き続けると思うと、安心して死んでいけるように思いますか、それとも、自分が死ぬなら地球なんて滅びてしまえと思いますか。

結局このテストでわかるのは、その人が周囲の人びとに対して暖かい気持ちを抱いているか、逆に、恨みがましい気持ちを抱いているかということだ。言葉を換えれば、周囲の人びとはその人にとって、「人間」か、それとも「クロー」かといってもよい。そうしてそのことは同時に、その人が周囲の人にとって、「人間」としてあるか、「クロー」になってしまっているか、ということでもある。


ときどき「不幸な人」がいる。
端から見てあきらかに災難の多い、気の毒な人生を送っていると判断できるかどうかとは無関係に、その人が「なんと自分は不幸なんだろう」「どうして自分ばかりこんな目に遭うのだろう」と思い、耳を傾けてくれる人なら誰でも、聞き手の迷惑もかえりみず、繰りかえしそのことを訴える人である。

話を聞いてみると、その人はいろんな面でうまくいっていないのも事実なのだ。だが、たとえばそれはヨルダン川西岸地区にパレスチナ人として生まれついた人や、マラウィに生まれ落ちた人のように、生きていくことそのものがどうしようもなく困難な情況にある人びとの「不幸さ」とは、土台になっているものがちがう。

みんなが忙しいなかで自分が忙しいのと、みんながだらだらしているなかで、自分一人が忙しいのでは、圧倒的に後者の方が腹立たしいものだ。自分ひとり、バタバタ立ち働いているのに、ほかのみんなはグータラしている。そう思うだけで、むかつき指数は20ほどあがる(数字に根拠なし)。

「不幸な人」はたいてい腹を立てている。まるでグータラなキリギリスの群れを養っている、孤軍奮闘中のアリになったような気分で、「自分ばかりがこんな目に遭う」と、キリギリスを呪い、自分をたった一匹のアリにした運命を呪い、政府を呪い、国を呪い、時代を呪う。

自分の不幸を縷々訴える人の「不幸」というのは、言ってみれば「キリギリスAがあれをしてくれなかった」「キリギリスBは自分に対してこんなひどいことをした」という不平不満であり、それを「自分の不幸」をオチにするたったひとつの筋書きしかない物語にすべて流し込んでいるようなものなのだ。

よくしたもので(?)、こうしたアリの身辺には、実際に災難が起こり続ける。キリギリスたちはいよいよグダグダになるばかりだし、自分の話を聞いてくれる人は少なくなっていくばかり。

そこで、そういう人に「こうしてみたらどう?」と何か提案したとする。かならず、打てば響くように「それができないわけ」が返ってくるだろう。そこはもう、鉄壁の守り、と言いたいぐらい、「何をやってもダメ」と斥けられるにちがいない。

つまりその人は自分の不幸のなかに安住しているのだ。他の人がたとえば趣味や楽しみや勉強、やりがいのある仕事や責任などで満たしている時間を、すっぽり「不幸であること」で埋めているように思えるのだ。そうなったら、それはそれでひとつの時間の使い方だ、としか言いようがない。

事実、そういう人の不平不満は、昨日の出来事かと思って聞いていれば、十年前の話だったりして、聞いている側の時間の感覚まで、おかしくなってしまいそうだ。基本的に、記憶のなかにあるさまざまな出来事というのは、経過した時間による漂白作用を受けている。三歩歩けば何でも忘れるわたしなど、去年のいまごろ何をしていたか、と言われても、「え?」と絶句してしまうのだが、「不幸な人」の不平不満は、時の漂白作用とは無縁で、さっき起こった出来事と同じ鮮度を保っている。つまりそれは、頭のなかで、そのときの出来事が、繰りかえし繰りかえし再現されているからなのだろう。そうして「不幸な人」は、再現することで日々の空白を埋めている。

さまざまな出来事をかき集め、たったひとつの筋書きしかない「不幸な物語」をせっせと紡いでいるうちに、その人の周囲からは人がいなくなり、その人はいよいよのっぴきならないところに追い込まれていくかもしれない。自分はこんなにも不幸なのに、周囲のやつらは幸福そうだ。そうやって周囲を恨めば、周囲はみんな「クロー」になる。周囲を「クロー」と見なしているその人は、周囲の人から見れば、非協調的で自己主張しかせず、何かあると噛みついてきて、「クロー」そのものである。

その「不幸な人」が、自らの手で自分に「終わり」を宣告しようとするとき、自分が死んでも人類がこの地球上で生き続けることをうれしく思うはずがない。せめて「クロー」の一体でも二体でも道連れにしようと考えたとしても、何の不思議もない。

いったんこの「不幸」のなかに安住してしまったら、解決することも、何らかの対応策を立てることもむずかしくなってくる。というか、「不幸な物語」にすべてを流し込みさえしなければ、さしのべる手にも、藁よりはすがれそうな救命ロープも見えてくるのだが、その人にとっては、物語はそれ以外はないので、手が見えても、それは自分を突き落とそうとする手であり、救命ロープは首つりのロープに見えるのかもしれない。

さて、明日はこれと反対の、幸福について、考えてみる。



バトンの受け手として

2009-04-26 22:53:27 | weblog
「変種第二号」のエンディングに対する質問をいただいたおかげで、中島敦の「狼疾記」という短篇を思い出した。

そのなかにこんなエピソードがある。
主人公の三造の、十一歳のときの体験である。小学校四年生のとき、奇妙な先生が、地球が冷却し、人類が滅亡する「未来」を、子供たちに執拗に繰りかえして聞かせたのだ。
三造は怖かった。恐らく蒼くなって聞いていたに違いない。地球が冷却するのや、人類が滅びるのは、まだしも我慢が出来た。ところが、そのあとでは太陽までも消えてしまうという。太陽も冷えて、消えて、真暗な空間をただぐるぐると誰にも見られずに黒い冷たい星どもが廻っているだけになってしまう。それを考えると彼は堪らなかった。それでは自分たちは何のために生きているんだ。自分は死んでも地球や宇宙はこのままに続くものとしてこそ安心して、人間の一人として死んで行ける。それが、今、先生の言うようでは、自分たちの生れて来たことも、人間というものも、宇宙というものも、何の意味もないではないか。本当に、何のために自分は生れて来たんだ? それからしばらく、彼は――十一歳の三造は、神経衰弱のようになってしまった。

わたしも小学生のころ、やはり同じようなことを考えて、いても立ってもいられないような思いがしたことを覚えている。わたしの場合は太陽が冷却することではなく、人口爆発だったか、天然資源の枯渇問題だったか、それとも公害だったか、ともかく科学的な体を装った本を読んだのだ。そこにはどれほどその問題が容易ならぬものであるか、こと細かく書いてあり、そこから人類が滅亡するシナリオが描かれているのだった。

その恐ろしさを周囲の大人たちに訴えても、それはまだまだ先の話で、そのころには解決策も見つかっているだろう、というばかりで、わたしの恐怖感をうち消してくれるにはほど遠い。自分が生きている間には、幸いにも人類の滅亡はないらしい、という保証は、何の安心感ももたらしてくれなかった。

どうして自分とは関係のない、遠い遠い未来であっても「人類の滅亡」は怖ろしいのか。自分で考えても、どうにもわからなかった。やがて中学生になって「狼疾記」を読むことになって、初めて納得がいったのだった(「狼疾記」でも後半はよくわからなくて、この箇所しか記憶がない)。

つまり、リレーのバトンのようなものなのだ。バトンの運び手として、わたしはこの時代に生を受け、バトンを受け渡された。そうして自分はやがてつぎの走者にバトンを渡していくだろう。自分が死んだあとも、リレーは続いていき、バトンはつぎの走者、そのまたつぎの走者へと受け継がれていくのだ。

ただ、バトンを受け渡すことは、あくまでリレーがどこまでも続いていくことを前提としている。もしそれが途中のどこかでとぎれてしまうのなら、たとえどんなに先の先のことであろうと、自分が中間走者をやっていく意味がなくなってしまう。「自分は死んでも地球や宇宙はこのままに続くものとしてこそ安心して、人間の一人として死んで行ける。」という部分は、中学生のわたしにも、ひどく納得がいくものだった。

だが、「リレー」という考え方は、自分にどんな意味があるのだろうか、と思いあぐねていたわたしにとって、何か、一筋の光が差してきたように思えたものだった(もちろん当時のわたしはもっと混沌の内にあって、こんなふうに整理して考えているのは、子供時代を脱して久しい、トウの立ったオトナとしての、いまのわたしである)。

小学校時代のわたしは、人類の未来が何よりの大きな問題だったが、中島敦を読んでいたころのわたしにとっては、人類の未来よりも自分の未来が大きくのしかかっていた。

自分では、「かけがえのない自分」「世界にひとりしかいない自分」と思っていても、全然かけがえがなくもなければ、自分と同じような中学生は星の数ほどいる。自分よりもっと頭が良かったり、いろんなことができたりする中学生も、掃いて捨てるほどだ。内側から見れば、かけがえのない自分が、外から見れば「一山いくら」のみかんや「一箱いくら」のジャガイモのようなもの。ほんとはこんなはずじゃないのに、と、自分が自分に下す評価と、自分が世間は自分のことをこう見ているだろうと想像して下す評価のギャップに苦しんでいたのだ。

けれども、「一山いくら」その、いくらでもかけがえがあるわたしにも、果たすべき役割がある、リレー走者のひとりとして、バトンを渡すことができる、と考えていくと、その「仕事」はわたしが生きる意味を、底のところでしっかりと支えるもののように感じられたのだろうと思う。反面、そんな誰にでもできるようなことじゃなくて、自分にしかできない何かを見つけたい、と焦る気持ちもあったのだが。


さて、「狼疾記」ではこの話を教えてくれるのは、「肺病やみのように痩せた・髪の長い・受持の教師」とある。「幼い心に恐怖を与えようとする嗜虐症的な目的で」この話をした、と中島敦は書いているのだが、いま思うのは、その教師はほんとうに「肺病やみ」だったのではあるまいか、ということだ。自分が長く生きていられないことを知り、自分の命のバトンを渡す相手もいない。だからこそ、これから生き続けようとする子供たち、命の塊のような子供たちを目の前にして、悔しくて、癪に障ってたまらなかったのではないのか。

ちょうど、ヘンドリックスが、変種たちが互いに殺し合う未来を想像してわずかに心を慰めたように、小学生たちの心に「その毒液を、その後に何らの抵抗素も緩和剤をも補給することなしに、注射」することで、ささやかな喜びを得たのだろう。

そう考えていくと、通り魔事件などの無差別殺人を起こす犯人の心情は、この教師やクローに対するヘンドリックスと同じものではないかという気がしてくる。彼らは自分の生の終わりが、地球や人類の終わりでないことが腹立たしいのではないか。彼らが不幸なのは、何よりも、彼らの目にほかの人びとが自分と同じ人間ではなく、ヘンドリックスにとってのクローのような存在として見てしまうことなのだろう。

醜い顔ってどんな顔?

2009-04-25 22:59:06 | weblog
わたしはもう昔から推理小説のたぐいが好きで好きで、寝食を忘れて読み耽ったものだ。なかでも好きだったのが横溝正史で、何度も何度も繰りかえして読んだ。

横溝正史の作品では、主要な登場人物が、よくケガをしたりやけどを負ったりして、「この世のものとも思えないほど怖ろしい顔」「二目と見られぬほど醜い顔」になる。いったいどんな顔なんだろうとよく考えた。

子供の頃、近所に顔にやけどの痕のある人がいた。顔の片側、頬骨のあたりから首筋にかけてケロイドになっている。小学校の、まだ低学年のころだったと思うのだが、その人とすれちがうたびに、どうしても目がひきつけられてしまうので、自分でも困っていた。

母からは、じろじろ見るなんて、とんでもなく失礼なことよ、と怒られたし、自分でも、そんなふうに見るものではないとわかっていた。それでも、磁石に引き寄せられるペーパークリップのように、その人がいると、自分の目がその人の顔に引き寄せられるのだ。そんなことのないように、たとえうつむいていても、すれちがいざま、がまんできずにちらっと見てしまう。そんな自分がひどく情けなかった。

ただ、怖ろしいとか、気持ちが悪いとか、思ったことはただの一度もなかった。もっとよく見たい、見なれない顔、ほかの人とはちがう顔を、もっとよく見たい、ただそれだけだったのだと思う。心ゆくまで見ることができて、その顔に慣れさえすれば、そんなふうに引きつけられることもなかったのだろう。

もちろん、わたしからすればそれだけのことであっても、視線を向けられる人にとっては、どれだけ不快で、視線が突き刺さるように感じられるか。相手の心情が想像できなかったわけではない。わかっていたからこそ、よけいにジレンマに陥っていたのだろう。

そんな経験があったから、ただやけどした、ただケガをした、というだけでは「世にも怖ろしい」ことになるとはとても思えなかった。横溝の登場人物の顔というのは、いったいどのような状態になっているのだろう。「醜い顔」というのは、どんな顔なのだろう。そんな描写が出てくるたびに、ピカソの「泣く女」あたりをばくぜんと思い浮かべ、あんな顔の人がほんとにいたら、ちょっと怖いかもしれないな、などと考えていた。

のちに、ディズニーのアニメ映画「美女と野獣」を見たときのこと。
「二目と見られぬほどの怖ろしい顔、誰も愛することができないほど醜い顔」というナレーションののちに、野獣が出てきて、わたしは「おいおい」と思った。

(※参考画像http://www.imagesdisney.com/fondos-beauty-beast.htm

確かに人間の顔ではないが、別に怖ろしくも醜くもない。こういう人が出てくれば、最初は驚くだろうが、すぐに慣れるにちがいない。最後に「野獣」は平凡なお兄ちゃんに戻るのだが、逆に、ベル(主人公)はさぞかしがっかりしただろう、と思ったものだ。

テレビには「ブス」という役割を引き受けているらしい人もいるが、そういう顔が醜いかというと、そんなことはない。確かに多少バランスが悪いところはあって、そこをことさらに取り上げられているようだ。だが、確かにその人は容姿端麗とは言えないけれど、「醜い」という形容がふさわしいような顔立ちとは言えない。

こう考えていくと、おそらく「醜い顔」などというものは、どこにもないのだろうと思う。

ところで先日、和歌山カレー事件の被告に死刑判決が出たとき、ニュースには繰りかえし、その被告が笑いながら水を撒いている(あれは家を取り巻いた報道陣に水をかけているのだっけ?)映像が流れた。そのとき被告は唇を歪めて、笑っているような顔をしていたが、全然楽しくなさそうな、おそらく腹を立てている、腹をものすごく立てながら、顔だけ笑っているような、奇妙なねじれの印象を受けた。

そんなふうに、変な感じ、妙な感じ、人によっては怖い感じなどの印象を、わたしたちは人の顔から受けることがある。だが、それは、その人の顔の造作によるものではなく、表情から、何か、にじみ出てくる「その人」のある種の質のようなものを受けとるのだろう。

「醜い顔」というのがもし仮にあるとするなら、それはその人が醜い表情を浮かべているということだ。誰かを激しく妬んだり、羨んだり、逆に、思い上がって人をバカにしたり。

逆に、楽しそうな表情、明るい表情は、一緒にいるわたしたちの気分をも明るくする。造作が整っているか、アンバランスかという差は、その人が浮かべる表情にくらべると、ほとんど取るに足りないことではあるまいか。

サイト更新しました

2009-04-24 23:02:00 | weblog
サイト更新しました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html


先日までここで翻訳をしていたフィリップ・K・ディックの「変種第二号」、手を入れてサイトにアップしました。「what's new」も書きました。

この「what's new」を書くときというのは、たいてい本文のあとがきを書いて、それからこれを書くわけです。あとがきよりも、多少原文から自由になっていますが、それでも原文のことを考えている。で、微妙にちがうようなことを書いています。

ただ、今回は、ずっと「外見」というか、もっというと「顔」ということが頭にあって、まだそのことを考え続けています。「人間の姿かたちをしているものが人間」「顔があるものが人間」ということについて、もう少し考えてみたいなあ、なんて。

やっぱりディックはおもしろいですね。
細かい粗はどうしても目につくし、同じ言葉の繰りかえしもくどい。情景描写も、うまいとはいいがたい。ノルマンディの光景のはずが、サリナス渓谷か? みたいなところもあります。それでもそういう部分をさっ引いても、やっぱりおもしろいと思います。

また何か見つかったら訳してみたいと思っています。

ということで、それじゃ、また。


いやいや、長くて大変でした

2009-04-23 22:46:52 | weblog
細かい軍事用語とか、どうも調べがつかなくて(掩蔽壕のなかから外をのぞくのを潜望鏡としたのですが、あれで良かったのかなあ)、ほんとに苦労しました。

まだあとがきが書けてません。明日には更新情報と一緒にアップします。

とりあえず、今日は本文のアップだけ。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/II-V.html

ということで、それじゃまた明日に。

人間のようなもの

2009-04-21 22:41:16 | weblog
先日までここで訳していたフィリップ・K・ディックの「変種第二号」はいかがでした? なかなかおもしろかったでしょう。いま手を入れているところなので、サイトにアップした段階で、もう一度読んでみてください。なるほどね、そういうことだったんだ、という部分と、え? ちょっとこれは……、という部分の両方があるかなあ。

ひとつ気になったのは、「変種」というのは、オリジナルタイプの「クロー」に対する「変種」ということなのだろうが、どうして人間型に変化させたのだろうか、ということだ。

クローは獲物の後ろからついてきて、追いつめ、殺戮する、という目的のために設計された。その任務をできるだけ効率的に遂行するためには、現在のクロー、するどい刃を回転させる金属球で充分のはずだ。ところがクローを怖れて、人間は地下にもぐってしまった。そこで獲物をつかまえるために、人間が集まって隠れている壕のなかに何とかして入り込もうと考えたわけだ。

おそらくは核シェルターも兼ねているであろう地下の掩蔽壕のなかに、どうしたら入りこめるか。

そこでの解決策が「人間そっくり」である。人間そっくりにすれば、人間も気を許して中に入れてくれるにちがいない、と考えたのだ。

ただし、「人間」にはさまざまな「特徴」がある。そのさまざまな特徴のなかで、機械の設計をした「クロー」の親玉は、人間があるものを「人間と見なす基準」は、それが「人間の姿かたちをしているかどうか」である、と判断したのである。

ちょうど、留守番をしている七匹の子ヤギたちに、何とかして家の扉を開けさせようとしているオオカミのようなものだ。子ヤギは前足を見せてくれ、という。さらに、声がちがう、という。そこでオオカミは手に小麦粉をまぶし、チョークを飲んで声をきれいにした。
つまり、子ヤギたちは「白い前足」と「きれいな声」を「お母さんと見なす基準」としたということだ。

もしクローの親玉が「たくみに言葉を操る能力」を「人間が人間と見なす基準」であると判断したとすれば、何を置いてもたくみに受け応えができる機械を送り込んだことだろう。あるいは人間に、サーモセンサーみたいなものがついていて、「暖かみ」を「人間が人間と見なす基準」としていたなら、変種は人肌の「機械」を送り込んだだろう。肌触り、におい、声、人間を構成する要素はさまざまだが、なによりも人間があるものを人間と見なすのは、「人間の姿かたちをしていること」のようだ。変種第一号の傷痍兵がたとえしゃべらなくても、ロシア兵たちは彼を受け入れたにちがいない。「姿かたち」はそれくらい雄弁なのだ。

ただ、変種たちには共通点がある。いずれも「無表情」ということだ。この作品は一種の「犯人探し」の要素もあるのだが、「犯人」には expressionless という単語が繰りかえしかぶせられている。人間の姿かたちをコピーすることはできても、「表情を作る」という能力は、彼らには真似ができなかったのだ。

こんな経験はないだろうか。
写真でしか知らない人というのは、どれだけ繰りかえし見ていても、もうひとつはっきりしない。たとえば坂本龍馬。写真技術の問題があるにせよ、わたしたちはあの写真はもう何度も見ていてよく知っているはずだが、彼がどんな顔をしているか、もうひとつわからない。道を歩いていても、きっとわからないだろう。

他人の卒業写真を見せられても、どうにも興味が持てないのは、そこに知った人がいないという以上に、はっきりしないせいのように思える。それぞれに顔がちがっているのはわかる。けれども、のっぺりと動かない写真では、いまひとつその人が「どんな顔をしているか」がよくわからない。

たとえ写真でも、人間の顔はかならず何らかの表情をまとっているはずだ。緊張した顔もあれば、「こう見せたい」という表情もあるだろう。楽しげだったり、疲れていたり。つまり、顔というのは「表情」あってのものだ、ということができる。

ところが動かない写真の表情は、やはり動かない。動くから表情なのかもしれない。
知っている人であれば、わたしたちはその写真を、自分の知っているさまざまな顔を重ね合わせて、補って見ている。だから「何でこんなに照れくさそうな顔をしているのだろう」とか、さすがに卒業式ともなると神妙な顔をしているな、などと、写真からはっきりとその表情を読みとることができるのだ。

ここで思い出すのは、佐々木正人の『からだ:認識の原点』(東京大学出版会)に出てきたこんなエピソードだ。

「戒厳令下チリ潜入」という映画を撮るために、亡命中だった映画監督のミゲル・リティンは、変装して母国チリに潜入することになった。変装の専門家の指導を受けて、度の強い眼鏡をかけ、ひげを剃り、ウルグアイ人からしゃべり方や身ぶりを教わる。それでも、変装の専門家はリティンに警告する。「笑うな。笑ったら死ぬぞ」

つまり、表情というのは、どれだけ変装をしようと、その人の「素の顔」を浮かび上がらせてしまうというのだ。

やはり、顔というのは実は表情であり、そうして動くから「表情」なのではあるまいか。そうして、わたしたちは静止画像としての顔を認識しているのではなく、一連の動きとして表情をとらえ、認識しているのではないだろうか。

だから、わたしたちが誰かと誰かを似ている、と思うのは、笑い方が似ているなどの表情の動きが似ているということなのだろうし、映画「マルコムX」のなかで、デンゼル・ワシントンがマルコムXそっくりに見えるのは、おそらく彼の演技力によるものなのだろう。

こう考えていくと、表情のない「人間そっくり」は、おそらくわたしたちにひどい違和感を覚えさせるにちがいない。

変種を作るとき、おそらくクローの親玉は、写真を元にしたにちがいない。写真は動かない。それを元に作った変種たちの顔も、当然動きようがない。元の写真と同じ表情を、常に貼り付けている。だから変種はしつこいくらいに「無表情」という言葉がかぶせられるのだろう。

ヘンドリックスはもちろん違和感を覚えたのだ。けれども、デイヴィッドはミュータントだから、そうして変種第二号は、戦時下という過酷な情況で生きてきたから、とその「無表情」を解釈していたにちがいない。そこには社会主義政権下のソヴィエト人、ということもあったろうが(アメリカ映画では、たいてい第二次大戦下のナチスや冷戦期のソ連兵は無表情に描かれている。そうでないのは「レッド・オクトーバー」のショーン・コネリー扮するラミウス艦長ぐらいのものではないか)。

最後の場面で、変種たちが続々と押し寄せてくる場面は怖ろしい。「人間の姿かたち」をしていても、表情を浮かべていない変種たちは、決定的に、「人間の姿かたち」とは言えないのだ。この微妙な差異こそが、恐ろしさの根幹にあるのかもしれない。

いやいや、頑張って明日くらいにはアップします。


フィリップ・K・ディック『変種第二号』最終回

2009-04-18 22:41:38 | 翻訳
最終回



ヘンドリックスは突っ立ったまま、長い間、とうとう航跡雲が消えてしまうまで、空を見上げていた。動くものの影すらない。朝の大気は冷え冷えとして、あたりは静まりかえっていた。来た道を、当てもなくぶらぶらと引き返した。動き続けている方が気分がましだった。助けが来るまでには、まだずいぶん時間がかかるだろうから――もし来るとしたら、の話だが。ポケットを手探りして、やっとタバコの箱を見つけた。そういえばみんなタバコをほしがってたな。生憎、タバコは貴重品でね。

トカゲがかたわらの灰の上をすべるように這っていく。驚いたヘンドリックスは、しばらく動けなかった。トカゲはどこかへ行ってしまい、太陽がしだいに高く昇ろうとしていた。ハエが数匹、そばの平たい石の上にとまっている。ヘンドリックスはハエに向かって足を蹴り上げた。暑くなってきた。汗が顔からしたたり落ち、襟を濡らした。口のなかがからからになっている。

やがて歩くのをやめて、瓦礫の上に腰をおろした。救急キットを開けて、麻酔剤のカプセルをいくつか飲み込んだ。あたりを見回す。ここはどこだ? 前方に何かが転がっている。地面に長々と横になっている。音も立てず、ぴくりとも動かない。

ヘンドリックスは素早く銃を抜いた。人間のようだ。やがて思い出した。クラウスの屍だ。変種第二号の。ここはタッソーがクラウスを撃った場所なのだ。灰の上に歯車や継電器、金属のパーツが転がっているのが見える。日の光を受けてきらきら光っていた。ヘンドリックスは立ち上がり、そこまで歩いた。足先で硬い体をつついて、向きを一部変えてみる。金属の胴部、アルミニウムの肋骨や背骨が見えた。ワイヤーがあふれ出した。まるで内臓のように。ワイヤーとスイッチと継電器の束。無数のモーターと軸。

腰をかがめた。倒れたときに脳を保護していた囲いが壊れたらしい。人工の脳が剥きだしになっていた。ヘンドリックスは目を奪われた。集積回路の迷路だ。ミニチュアサイズの電子管。髪の毛と見まごうばかりの極細ワイヤー。脳を収めていた囲いに触れてみた。ぱたんと向きが変わった。型番表示が見える、ヘンドリックスは目を凝らした。全身の血が凍った。

4-V。

長いことその表示板から目が離せなかった。変種第四号。二号ではなく。彼らは間違っていた。変種のタイプはもっとあったのだ。三つではなかった。もっとたくさん。少なくとも四種類。そうして、クラウスは変種第二号ではなかった。

突然、ヘンドリックスの全身に緊張が走った。何かがやってくる。丘の向こうから灰の上を歩いてくる。あれは何だ? じっと目を凝らした。人影だ。人の形をしたものが、ゆっくりと灰をかきわけながら進んでくる。

彼に向かって。

ヘンドリックスはぱっと身を伏せると銃をかざした。汗が目にしたたり落ちる。人影が近づくにつれ、パニックに陥りそうになるのをけんめいに抑えた。

最初に見えたのはデイヴィッドだった。デイヴィッドはヘンドリックスを見つけて、歩調を上げた。あとに続くほかの者たちの足取りも速くなった。二番目のデイヴィッド。三番目のデイヴィッド。そっくり同じデイヴィッドが、彼を目指して、言葉もなく、無表情のまま、やせこけた脚をぎくしゃく動かしながらやってくる。それぞれにぬいぐるみのクマを抱きしめて。

ヘンドリックスはねらいを定めて発砲した。前方の二体のデイヴィッドは木っ端みじんになった。三番目は歩き続ける。そのうしろに、何ものかがいた。彼を目指して静かに灰色の丘を登ってくる。傷痍兵が、デイヴィッドの後ろにぬっとそびえるように。そうして……そうして、傷痍兵のうしろにいたのはふたり、並んで歩くタッソーだった。頑丈なベルト、ロシア陸軍のズボンとシャツ、長い髪。見なれた姿、ほんのいましがたまで一緒にいた相手ではないか。宇宙艇の与圧式操縦席にすわっていた姿だ。ほっそりとして静かな姿、見分けのつきようのない、そっくり同じ姿。

彼らは目と鼻の先まで迫っている。デイヴィッドが急に体を折って、ぬいぐるみのクマを落とした。クマが地面をすごい勢いでやってくる。無意識のうちに、引き金にかけていたヘンドリックスの指に力がこもった。クマの姿は霞と消えた。ふたりのタッソーは無表情のまま、ふたり並んで灰の上を歩いてくる。

すぐ近くまで来たとき、ヘンドリックスは銃を腰だめにして撃った。

ふたりのタッソーは消えた。だが、すでに新しい一団が丘を昇り始めている。五、六人の、タッソーたち、全員が一卵性双生児のような一団が一列になって、彼めがけて早足でやってくる。

おまけにおれはあの女に宇宙艇を与え、信号弾による合図も教えてやったんだからな。おれのおかげであいつは月へ、月基地へ向かうことになった。おれのせいで、タッソーは月へ行くことが可能になってしまったんだ。

結局、手榴弾に関しては、おれの見方はまちがってなかった、ということだ。ほかのタイプ、デイヴィッドタイプや傷痍兵タイプの知識をもとに設計されたものだ。あと、クラウスタイプも。人間が設計したものではない。おそらくあれは、人の手の及ばない、地下工場のひとつで設計されたのだ。タッソーの群れがすぐそこに迫っていた。よく知っている顔、ベルト、厚手のシャツ、注意深く所定の場所に留めてある手榴弾。

手榴弾!

タッソーがついに彼の場所にやってきたとき、皮肉な末期の考えがヘンドリックスの脳裏に浮かんだ。その考えのおかげで少し気分が良くなった。手榴弾。変種第二号がほかの変種を殺戮するために設計したのだ。その目的のためだけに。

やつらはすでに互いを相手に武器を作り始めている。




The End



(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)




フィリップ・K・ディック『変種第二号』その17.

2009-04-17 22:10:12 | 翻訳
その17.

「宇宙艇はどこにあるの? ここにあるの?」

「私たちの足の下だ」ヘンドリックスは井戸の石の表面に両手を走らせた。「この眼球認証システムは私だけに反応して、ほかの誰にも反応しない。私の宇宙艇だからな。ま、そういうことになっていた、と言うべきか」

鋭くカチッと鳴る音がした、じきに地面の下から低いうなるような音が聞こえてきた。

「さがるんだ」ヘンドリックスは言った。彼とタッソーは井戸から離れた。

地面の一画が後ろへ下がっていく。金属のフレームが、レンガや雑草を押しのけて、灰の中からゆっくりと上がってきた。宇宙艇の船首が見えてきたところで止まった。「さて、この通り」ヘンドリックスは言った。

宇宙艇は小型のものだった。先の丸くなった金属棒のような宇宙艇は、金網のはまった囲みのなかに宙づりにされたまま、静かに出番を待っている宇宙艇が持ち上がってできた空洞に、灰はざーっと降り注いだ。ヘンドリックスは近づいた。金網の昇っていくと、ハッチをゆるめて、手前に引いた。宇宙艇の内部のコントロール・バンクや与圧式操縦席が見える。

タッソーはやって来ると、隣りに並んで、なかを一心にのぞいた。「あたしはロケットの操縦に慣れてないのよ」やがて彼女はそう言った

ヘンドリックスはちらりと彼女を見やった。「運転するのは私だ」

「あんたが? ひとつしか座席はないのよ、少佐。これがひとりしか輸送できないように作られてるってことは、あたしにだってわかる」

ヘンドリックスの息づかいが変わった。彼も船内を食い入るように見回した。タッソーは正しい。座席はひとつだ。ひとりの人間しか運ぶようにはできていないのだ。「わかった」彼はゆっくりと言った。「で、そのひとりの人間は、君だ、ということか」

彼女はうなずいた。「もちろん」

「どうして」

「あんたは無理よ。月に行くあいだ、生きてられないかもしれない。ケガしてるんだもの。たぶん、向こうへは降りられないわよ」

「興味深い指摘ではある。だが、私は月基地の場所を知っている。君は知らない。何ヶ月月の周りを回っても、見つけられないかもしれないな。うまく隠されているからな。何を探したらいいかもわからなくて……」

「いちかばちかやってみなくちゃ。そりゃ、見つけられないかもしれない。あたしだけじゃね。だけど、あんたが教えてくれるはず。だって、あんたが生きてられるかどうかだって、そのことにかかってるわけでしょ」

「どういうことだ?」

「あたしが月基地をうまく見つけられたら、あんたを助けるための宇宙艇だって、送ってあげられるでしょ。すぐに見つけられたら、ってことだけど。もし間に合わなかったら、あんたはもうお陀仏、ってことだけど。こんなロケットには食料も積んであるでしょうね。だからあたしはそこそこのあいだは生きていられると思うし……」

ヘンドリックスは素早く動いた。だが傷ついた腕は、いうことを聞かない。タッソーはひょいとそれをかわした。電光石火のごとく彼女の手が飛んできた。銃尾を握っている手が振り下ろされるのがヘンドリックスの目に映る。一撃をよけようとしたが、タッソーの動きの方が早かった。金属の銃尾が側頭部、耳のすぐ上に打ち下ろされる。しびれるような痛みが全身を貫いた。痛みとともに闇が雲のように目の前にたちこめた。彼は地面にくずおれた。

ぼんやりとタッソーが立って見下ろし、つま先で自分を蹴っているのが見えた。

「少佐! 起きるのよ」

目を開け、うめき声がもれた。

「よく聞いて」腰を折った彼女は、銃口を彼に向けた。「急がなきゃ。時間がもうないの。宇宙艇の用意はできたけど、出発する前に、聞くだけのことは聞いておかなきゃね」

ヘンドリックスは頭を振って、なんとか意識をはっきりさせようとした。

「早く答えなさい! 月基地はどこにあるの? どうやったら見つかるの? 目印は何?」

ヘンドリックスは何も言わなかった。

「答えて!」

「残念だな」

「少佐、この船には糧食が積んである。数週間は周回できる。そのうち、月基地だって見つけられる。だけどあんたは三十分もしたら、もう生きちゃいないわよ。あんたが生き延びるたったひとつのチャンスは……」言葉がとぎれた。

斜面に沿って立つ廃墟のそばで、何か動くものがあった。灰の下だ。タッソーは素早く振り向き、狙いをつける。発砲した。炎がぱっと跳ね上がった。何ものかがあわてふためいて、灰の中を転がるように逃げていった。もう一度発砲した。クローがはじけ飛び、歯車が宙を舞った。

「見たでしょ?」タッソーが言った。「斥候よ。もう時間はないわ」

「あっちの連中をここに寄越してくれるんだな?」

「ええ。できるだけ早く」

ヘンドリックスはタッソーを見上げた。食い入るように見詰めた。「君はほんとうにそうするんだな?」一種異様な表情が彼の顔に浮かんだ。死にものぐるいの渇望とでもいうような。「君は戻ってくるんだな? 私を月基地へ連れて行ってくれるんだな?」

「あんたを月基地へ連れてったげるわよ。その前に、どこだか教えてよ! 時間がないんだから」

「よし」ヘンドリックスは石のかけらを拾い上げ、上体を起こしてすわる体勢になった。「見ろ」ヘンドリックスは灰の上に描き始めた。タッソーは彼に並んで、石の軌跡に見入った。ヘンドリックスは月の表面の大まかな地図を描いていく。

「これがアペニン山脈だ。そうしてここにアルキメデス・クレーターがある。月基地があるのはアペニン山脈の端を越えて、三百キロほどいったところにある。正確な地点は私も知らない。地球にいる人間はだれも知らないんだ。だがアペニン山脈上空で、まず赤の信号弾を、つぎに緑の信号弾、それから赤の信号弾を二発、間を空けずに投下する。基地のモニターがその信号をとらえるはずだ。基地は、むろんのことだが、地下にある。向こうは磁気繋留器で誘導して着陸させてくれるはずだ」

「操縦装置は? あたしに動かせるかしら」

「操縦はほぼ自動だ。君がやらなきゃならないのは、適切な時に信号弾を正しく投下することだ」

「そうするわ」

「座席は発進時の衝撃のほとんどを吸収する。空気と温度は自動的に調整される。宇宙艇は地球を離れると、無重力空間に入る。方向を月に向けていると、じきに月の上空二百キロほどの周回軌道に入っていく。そのまま軌道を飛んでいれば、やがて基地上空にさしかかるだろう。アペニン山脈の領域に入ったら、信号弾を投下するんだ」

タッソーは宇宙艇にすべりこむと、与圧式操縦席に身を沈めた。アーム・ロックが自動的にセットされる。タッソーは制御装置にふれた。「あんたは乗れなくてお気の毒さま、少佐。あんたのためにここにお膳立てができてたのに、肝心のあんたが月へ行けないなんて」

「ピストルは置いてってくれ」

タッソーはベルトからピストルを抜いた。手のなかで重さを量るように、何ごとか考えている。「ここからあまり遠くへ行かないで。探すのが大変になるから」

「わかった。井戸の近くにいることにしよう」

タッソーはなめらかな金属の表面を指でなでていたが、やがて発信スイッチに手を載せた。「美しい船じゃない、少佐? よくできてる。あんたたちの技には感服するわ。いつだってずっとすばらしい仕事をしてきたものね。いいものを作るんだわ。あんたたちの作品、あんたたちの創造したものは、偉大な業績だわ」

「ピストルを寄越すんだ」ヘンドリックスはいらだたしげに言うと、手を延ばした。苦労して立ちあがろうとした。

「バイバイ、少佐」タッソーはピストルをヘンドリックスの向こうへ放った。ガチッと落ちると、くるくるまわりながら転がっていく。ヘンドリックスは慌ててそれを追いかけた。腰をかがめて拾い上げる。そのとき宇宙艇のハッチが音を立てて閉まった。ロックがかかる。ヘンドリックスは元の場所に戻った。内側のドアも閉まろうとしている。彼はよろけながらピストルをかまえた。耳をつんざくような発射音がとどろいた。宇宙艇は金属のケージから発射し、溶けてぐにゃりと曲がったケージが後に残る。ヘンドリックスは体を丸め、後退した。宇宙艇は湧き上がる灰の雲のなかに打ち上げられ、空の彼方、姿を消した。


(明日衝撃の最終回)


フィリップ・K・ディック『変種第二号』その16.

2009-04-15 23:12:45 | 翻訳
その16.

「え?」

「あとどのくらいで夜が明ける?」

「二時間。もうじき太陽が昇るわ」

「この付近に宇宙船があるはずだ。見たことはないんだが。だが、あることは知っている」

「どんな宇宙船なの?」その声は鋭かった。

「巡航ロケットだ」

「あたしたち、それで離陸できるの? 月基地に行けるの?」

「そのはずだ。緊急事態には」彼は額をこすった。

「どうかした?」

「頭がね。うまく頭が働かない、うまいこと……集中できないんだ。あの爆弾のせいで」

「その宇宙船はここから近いの?」タッソーは彼のかたわらににじりよってくると、そこに腰をおろした。「ここからどれくらいの場所? どこにあるの?」

「思い出そうとしてるんだ」

タッソーの指が腕に食い込む。「この近くなの?」非常な声だった。「どこにあるの? 地下に格納してあるんじゃないかな? 地下に隠してあるとか」

「そうだ。格納庫だ」

「どうやったら見つけられる? 標識が出てるの? 場所を割り出すための暗号標識かなにか?」

ヘンドリックスは一心に考えた。「いやいや。標識なんかはない」

「だったら何があるの?」

「目印だ」

「どんな目印よ?」

ヘンドリックスには答えられなかった。ゆらめく光を受けた彼の目は虚ろで、何も見えていないかのようだ。彼の腕をつかむタッソーの手に、力がこもった。

「どんな目印なの? 何があるの?」

「考えることができない。休ませてくれ」

「わかったわ」手を離すと彼女は立ちあがった。ヘンドリックスは地面に仰向けに寝転がり、眼を閉じた。タッソーはポケットに両手をつっこんで、向こうへ歩いていった。石をひとつ蹴飛ばし、立ち止まって空を見上げている。夜の闇はいまはもう薄い灰色に変わっていた。朝が近いのだ。

タッソーはピストルを握りしめたまま、焚き火の周りを円を描くように歩いていた。ヘンドリックス少佐は地面に横になり、眼を閉じたまま、身じろぎもしない。次第に空高くまで灰色に染まっていく。あたりの景色は見分けがつくようになり、灰の降り積もる平野部が四方に広がっていた。灰とビルの廃墟、そこここに残る壁、コンクリートのかけらの山、裸になった木の幹。

空気は冷たく身を切るようだった。どこか遠くの方で、一羽の鳥が、数度、ものわびしい声で鳴いた。

ヘンドリックスがもぞもぞと体を動かした。目を開ける。「夜が明けたのか? もうそんな時間か?」

「そうよ」

ヘンドリックスは少しだけ上体を起こした。「何か知りたがってなかったか。君は私に何かを聞いていたような気がする」

「じゃ、思い出したのね」

「ああ」

「じゃ、何?」張りつめた声だった。「何なの?」きつい声で繰りかえす。

「井戸だよ。井戸の残骸だ。井戸の底に格納庫がある」

「井戸ね」タッソーは緊張を解いた。「じゃ、あたしたち、井戸を探したらいいのね」時計を見た。「あと一時間しかない、少佐。一時間で見つかるかしら?」

「手を貸してくれ」ヘンドリックスは言った。

タッソーはピストルを脇へ置き、彼の立ちあがるのを助けた。

「なんだか大変そうね」

「そうだな」ヘンドリックスは唇をきつく結んだ。「だが、ここからそんなに遠いわけじゃない」

ふたりは歩き出した。昇り始めた太陽のおかげで、わずかに暖かみが感じられる。大地は平坦で荒れ果て、どこまでいっても灰色、見渡す限り、生命の徴候は感じられない。数羽の鳥が、頭上からはるか上空を、ゆっくりと円を描きながら静かに飛んでいた。

「何か見えたか?」ヘンドリックスは尋ねた。「クローはいないか?」

「いまのところ、姿はないわ」

そびえ立つコンクリートやレンガの残る廃墟を通り過ぎていく。セメントの土台。ネズミが大慌てで走り去り、警戒していたタッソーは、ぎょっとして飛び退いた。

「ここは昔は町だった」ヘンドリックスは言った。「村だな。田舎の村だ。ブドウがたくさん採れる地域だったんだ、そこをいま歩いてる」

歩いているのは、雑草におおわれ、亀裂が縦横に走る、もはや原型をとどめていない通りだった。「気をつけろ」ヘンドリックスは注意した。

穴が口を開けている。剥きだしになった地下室だった。ねじ曲がったパイプのギザギザの端が突き出している。つぎに通りかかった家の残骸は、浴槽が横向きに転がっていた。壊れた椅子。スプーンや陶器の皿のかけら。通りの真ん中で、地面が陥没している。くぼみは雑草や瓦礫や骨があふれていた。

「こっちだ」ヘンドリックスはつぶやいた。

「この道でいいの?」

「右だ」

大型戦車が放置してある。ヘンドリックスのベルトのカウンターが、カチカチと不気味な音をたてた。戦車は放射線被曝していた。そこから十メートルほどのところに、ミイラ化した死体が口を開けたまま大の字に転がっていた。道を越えると平坦な原野が続く。石、雑草、割れたガラス。「あそこだ」ヘンドリックスが言った。

石の井戸が傾き、壊れかけている。数枚の板で蓋をしてあった。井戸のほとんどは瓦礫の山に埋もれている。ヘンドリックスはおぼつかない足取りで歩いていき、タッソーはその横をついていった。

「ここで間違いないのね?」タッソーが聞いた。「とてもじゃないけど、そんな感じはしないわよ」

「間違いない」ヘンドリックスは井戸の縁に腰をおろした。歯をきつく食いしばっている。息が荒くなっていた。顔の汗をぬぐう。「上級士官が脱出するときのために用意されたものだ。何か起こったときのために。たとえば掩蔽壕が敵の手に落ちるような事態に備えてね」

「あんたのためってこと?」

「そうだ」

「宇宙船はどこにあるの? ここにあるの?」


(この項つづく)