陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

陰陽師的2008年占い

2007-12-31 22:42:18 | weblog

陰陽師的2008年占い

(注:以下の占いは陰陽道に基づかない占いである。
一応星占いの分類に従っているが、かといって星占いに基づいているわけでもない。その分類が広く行き渡っており便利なので、それを使わせてもらっただけである。)



【牡羊座】2008年のキーワード:ほんとうの勝者は深入りしなかった者である

一見そう見えなくても、心の中では負けず嫌いなあなたは、人から的はずれの批判をぶつけられたり、バカにされたりすると、悔しくてたまりません。なんとかして相手をへこませたい、ぎゃふんと言わせたい(本当に「ぎゃふん」と言った日本人をわたしは知らないのですが、この「ぎゃふん」とは日本語ではないのでしょうか?)、できるものなら「ごめんなさい、そう言ったわたしが間違っていました」と言わせたいと思って、眠れない夜を過ごしたりしてしまいます。でも、そういうときはスティーヴン・キングの言葉を思いだしてください。
「ウンコ投げ競争の勝者は、手の一番きれいな者である」
相手の弱点を同じように言い返したところで、気が晴れるのはほんの一瞬、つぎにはもっときつい言葉が待っています。いま、この時点でたとえ相手に「負け」を認めさせることができなくても、その勝負に勝つことはできます。あなたがそこから離れてしまえば良いのです。

【牡牛座】2008年のキーワード:望むものを得るためには、まず何を望んでいるかを決めなければならない

我慢強いあなたは、自分の望むことを口に出すことは、わがままだし子供っぽいことだと考えて、ついそれを呑み込んでしまいます。
確かに、あれがほしい、これがほしい、と思う端から言うことが許されるのは、せいぜい二歳が限度、おとなになってもそれをやる人は、幼いのではなく、単に力の感覚を楽しんでいるだけです。
でも、ほんとうに望みは口に出してはならないなのでしょうか。恋愛ドラマで、暗にほのめかして裏工作をするのは嫌われ者の敵役と相場は決まっているし、ほしいものも手に入れず、我慢ばかりしている人は、マンガでは暗い顔の三白眼、縦線を背負って登場します。
あなただってほしがってもいいのです。ただ、二歳でも、ヴェルサイユ宮を追われる前のマリー=アントワネットでもないあなたは、要求の声をあげる前に、自分が何を望み、何を求めているかを知らなくてはなりません。そうして、それを知るということは、同時に自分自身を知るということでもあるのです。

【双子座】2008年のキーワード:人の行動を予測することには意味はない

とてもカンのいいあなたは、親しい相手なら、つぎに何を言うか、何をするか、おおよそ見当がついている、と思っています。
あなたが部屋に入っていくと、急に席を立って出ていく人がいた。とっさにあなたは彼、もしくは彼女とのこれまでのいきさつを頭の中で巻き戻し、その原因を探ります。いったい何に腹を立てたのか、何が原因で気分を害したのか。思い当たる出来事が見つかると、今度は頭の中でその再現ドラマが始まります。相手の言い分、自分の言い分、周囲の状況を考え合わせ、あなたは心の中で自分を弁護し、相手に批判を始めます。すると、当の相手が、さわやかな顔で、ハンカチで手をふきながら戻ってきた……。あなたが入っていったこととは何の関係もなかったのです。
ユリ・ゲラーさんならそういうことはないかもしれませんが、あなたの超能力はそれほどたいしたものではありません。多くの場合、相手の表情や態度と、自分の恐れを結びつけているだけなのです。あるいは、調子のいい期待と。
相手があなたの目の前で、持っていた雑誌をいらだたしげに床にたたきつけたとしても、動じる必要はありません。冷静に聞きましょう。「どうしたの?」
ぺちゃんこになったゴキブリを見たくなければ黙っていてもかまいませんが。

【蟹座】2008年のキーワード:とびきり楽しい自分の話は、聞かされる人には退屈なものである。

うれしくてうれしくて、どうしても誰かれの見境なく人に話さずにはおれないような出来事が、ときどきわたしたちには起こります。あなたにも、昇進・昇級した、自分の苦労してやった仕事が認められた、ずっと会いたいと思っていた人から電話をもらった、大金の入った財布を拾った……、などという「とびきりの出来事」が起こるかもしれません。
けれど、自分にとってうれしければうれしいほど、聞かされる相手には何の関係もない話でもあるのです。ああそれはよかったね、と聞いてくれるのは、単にその人が親切だからに過ぎません。その人だって、二度目は内心「またその話かよ」と思っているでしょう。
だから、とびきりうれしい出来事は、夜中に札を数える守銭奴のごとく、ひっそりと自分だけで思い返して、心ゆくまで反芻しましょう。いくら夜中ににたにた笑って不気味だろうが、見ている人がいなければそれでいいのです。
おっと、大金の入った財布はちゃんと届けましょう。少なくとも一割のお礼は返ってくるのですから。

【獅子座】2008年のキーワード:うぬぼれることは楽しい

ステキなあなたは、鏡の前で角度をつけながら、おれ、結構おっとこまえやん、と思ったり、自分の答案を見て、自分はなんて頭がいいんだろう、ひょっとして天才ちゃうか~、と思り、作った書類を見返して、これだけのことができるやつはほかにはおらんな、と思ったりします(ときどき、あるいは頻繁に、という個人差はあるでしょうが)。つぎの瞬間、これはうぬぼれだ、はっと気がついて、いかんいかん、とあわててうち消そうとするのですが、でも、うぬぼれたっていいんです。それは楽しいひとときだし、そういう楽しみを持てるということは幸福なことでもあります。そういう心の弾みをばねにして、わたしたちは苦労の多い仕事や勉強をこれから先も続けていくことができるのですから。
だから、人のそれにも寛容になろうではありませんか。人前でうぬぼれている人を見るのは、実際には不快なものだし、その高くなった天狗の鼻をへし折ってやりたい気分にもかられたりするのですが、そういう人は、また、あなたにこんなうぬぼれをもたらしてくれるのです。
自分はたとえそういうことを思ったにせよ、自分の腹の中に納めておけるほどの人間だぞ。

【乙女座】2008年のキーワード:自分の真価を作り上げるには時間がかかる

がんばっているあなたですが、ときどき、こういうことに何の意味があるのだろう、とか、どうしてだれも認めてくれないのだろう、などという疑念が、疲れたとき、うまくゆかないときなど、ふと心にきざしてしまいます。
でも、大丈夫。それはあなただけではありません。17世紀のラ・ロシュフコーは、その『格言集』のなかで「われわれの真価が教養ある人々の尊敬を引き寄せ、われわれの幸運が有象無象の尊敬を引き寄せる」(165)と言っていますが、こういう「格言」が出てくるのも、昔から自分がなかなか認められず、どうでもいい連中ばかりがちやほやされているのに気分を害していた人が少なくなかったということのあらわれでもあるのでしょう。
「真価」というなにものかをわたしたちは持って生まれてきたわけではありません。真価とは、時間をかけて、ときには一生かけて作り上げるあなた自身にほかなりません。
その仕事が自分の内で完結しているだけのものでないかぎり、かならず何かしらの普遍性を持つものであり、認めてくれる人や喜んで受け入れてくれる人はあらわれるでしょう。
それが証拠には昔話でも真価を評価されるのは、かならずおじいさん(ごくまれにおばあさん)ではありませんか。花咲かじいさんが教養ある人々の尊敬を引き寄せているのかには、多少疑問の余地がありますが。

【天秤座】2008年のキーワード:「幸運」は力持ちではない

別に占いは信じていないというあなたも、おみくじを引いて大吉だと、やっぱりうれしくなるでしょう。周囲を見回しても、どう考えても「運」でその地位に就いたと思われるような人はいます。でも、それをいつまでも持ちこたえる力は運にはありません。寒そうな格好で片足をあげて意味不明のことを口にしている人を、来年わたしたちがTVで見る可能性は、おそらくはそれほど高くないでしょうし、もし見るとしたら、たぶん彼は「運」以外の何ものかを開花させていったのです。運は瞬間に吹き過ぎていく風のようなもの。熟練したハイ・ジャンパーはうまく風に乗れるでしょうし、そのとき乗り損ねたとしても、またつぎがあります。けれど、仮に運だけで遠くまでいけた人に「つぎ」はありませんし、結果として一度だけのその成果が災いとなることもあります。だから「幸運」は女神なんですね。ただ、ギリシャ彫刻の女神像は、米袋をふたつどころか五つぐらいは軽く担げそうですが。

【蠍座】2008年のキーワード:楽しいのは「もの」のせいではなく、あなたがそれを感じる感受性を持っているからである

趣味の多いあなたは、自分を楽しませるすべを知っている人です。詩吟であろうが、お茶であろうが、長刀であろうが、手品であろうが、編み物であろうが、趣味に興じているときのあなたはとても幸福です。でも、それはあなたがそこから楽しみを得ることができる資質や能力を持っていた、あるいは開発させてきたからであって、それ自体が楽しいわけではありません。たとえ誰かがスノーボードをすごく楽しそうにやっていたとしても、最新式の高画素・高倍率のデジカメを持っていたとしても、あなたがそれで楽しめるかどうかは限らないし、逆に、あなたが楽しいからといって、あなたの親しい人がそう感じてくれるかどうかはわかりません。親しい人は、あなたがひとりで楽しんでくれる方を喜んでいるかもしれませんし、その趣味が床磨きだったりすると、なおさらです。あなたの親しい人は、喜んであなたの趣味に没頭させてくれるだろうし、それだって分かり合っていることにはちがいないのです。

【射手座】2008年のキーワード:言葉を呑み込んで消化不良になった人はいない

ふだんは慎重なあなたも、親しい人には、あとになって取り消してしまいたいような一言を、つい言ってしまうことがあります。そういうときは、腹が立ったから、というよりも、自分の方が正しいから、ということのほうが多いもの。
言ってその瞬間はスッキリするかもしれません。でも、その「スッキリ」は一瞬だけ。そのあとには後悔が待っています。
ダンゴムシが昆虫だと言い張る相手が子供なら、「節足動物の甲殻類ワラジムシ目のうち、陸生で体を球状にまるめることができるものの総称」と教えてあげればいいでしょうが、相手が大人であれば、教えるだけにとどまらず、つい、相手をバカにしてしまうことを言ってしまうかもしれません。スッキリしたくなったら、要注意。あなたは危ないことを言おうとしているのかも。

【山羊座】2008年のキーワード:思いだして困ることはない

もしかしたらあなたは記憶力の減退を感じているかもしれませんが(もともと自分は覚えることが苦手だった、と思いこんでいるかもしれませんが、心配いりません、あなただって昔は昆虫の種類だの、怪獣の名前だの、どうでもいいことを山のように記憶していた時期があったのです。減退したことさえ忘れてしまっただけです)、それはあなたに限ったことではありません。モンテーニュは三時間前に人に伝えた、あるいは伝えられた合い言葉を忘れたことが何度もある、と書いていますし、「わたしは割れ目でいっぱいだ。あちこちから洩れ出す」とテレンティウスの言葉を引用してもいます。
でも、たとえ「洩れ出し」てしまっても大丈夫。記憶は、あなたの都合のいいときではなく、記憶の都合のいいときに戻ってくるものだとモンテーニュは言っています。勝手に働いた記憶力が思い出させてくれたことは、一種の贈り物のようなもの。思いだしたのをいいチャンスととらえて、ずっと忘れていた人に、連絡をとってみるのもいいかもしれません。
わたしはさっき、古紙を出すのを忘れていたことを思いだして、少し憂鬱になっていますが、別に年を越したっていいのです。古紙だけに、年越し……(いてっ。石が飛んできた)。

【水瓶座】2008年のキーワード:どんなに親しい相手でもすべてを理解できるわけではない

冷静なあなたは、そのことをよく知っています。どれだけ親しくても友人のすべてを知っているわけではないし、むしろ長続きする友人関係を続けていこうと思えば、適度に距離を保ちながら、もたれ合わない方がうまくいくということも。
けれど、そういう冷静さが保てない関係、たとえば彼氏・彼女に自分の知らない知り合いがいたというだけで、なんとなく裏切られたように思ったり、自分の気持ちをすべてうち明けないままで相手と親密な関係など築けないと思ったりすることがあるかもしれません。
けれど、相手に知らない部分があることが、いったいどういう障害になるのでしょう。自分と異なる人間のすべてを理解しようとすることは、相手を支配しよう、自分のコントロール下に置こうとしているからにほかなりません。
もしかして、「平気よ。わたしには知られて困るようなことは何一つないから」って思っていません? ほんとうに? 高校生のとき、あなたは自分の部屋を持っていませんでしたか? そこに親が入ってきたら、イヤではありませんでしたか? 自律して生きる人には、かならずほかの人に立ち入らせない領域を持つものです。たとえその領域で楽しんでいるのが「ミッフィーちゃんの本を読むこと」であっても、それがその人の、他人に立ち入られたくない領域であれば、見てはならないのです。まちがっても「らしくないねー」なんて鈍感なことは言わないこと。

【魚座】2008年のキーワード:自分のことを一番分かっているのは自分である

あなたはたいていのとき、自分のことをよく分かっています。人に自分のやったこと、なしたことを話しているとき、まわりの人は、別に不審そうな顔はしていませんね? それがその証拠です。ただ、ときにあなたを盲目にすることがある。そういうときは自分を見るとき「こう見られたい」「こう思われたい」という、変な目がねをかけさせられてしまっているのです。「賢く見られたい」と思って、しったかぶりをすると、結局は恥ずかしい思いをするものです。「いい人と思われたい」と思って、自分の意に反することをやってしまうと、あとで苦労して、だんだん不機嫌になり、結局は陰気でいやな人になってしまいます。「こう見られたい」「こう思われたい」というめがねをはずし、自分のことをきちんと見えているあなたが望むことなら、きっと望みはかないます。
たとえ百パーセントではなくても、あなたのことを一番分かっているのは、やはりあなた自身です。ですから、あなたのことを知りもしない太ったおじさんやおばさん、有象無象に基づいた占いや基づかない占いを頼りにする必要はありません。
あなた自身を信頼して、大丈夫。


【再度、念のために】
以上は陰陽道に基づかない占いである。

だが、だれにも未来のことはわからない。まだ起こっていないことは、たとえ一瞬先であってもわからないのだ。にもかかわらず、わたしたちは過去から類推して明日もまた日が昇るだろう、落としたらコップは割れるだろう、世界は同じように続いていくだろう、と信じている。だが、たいていのことはそれで十分で、未来もいまと同じように続いていくことに何の疑問も生じなくても、自分にとってのっぴきならないことは不安になる。受験生は自分が四月、どこにいるか不安だし、就活中の学生は、果たして自分が無事社会人になれるか不安だし、キャロル・キングの "Will you still love me tomorrow?" は、「逢ひみて」しまった恋人が明日も自分を愛してくれるか不安、そうしてわたしは床に積み上げられ獣道を形成している本が、いったい来年はどうなっていくのか不安である。

そうした不安にかすかな光を投げかけられれば、と思うのが、拙ブログの占いの趣旨である。このキーワードがあなたの2008年を照らすおぼろげな光となるかもしれない可能性はまったく否定しがたいわけではないかもしれないのである。記憶の一部にとどめていただければ、これほど喜ばしいこともないのである。

ちなみにこれが過去の占いである。
振り返って確かめてみるのも一興かもしれない。
2006年占い
2007年占い

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2007年はブログ「陰陽師的日常」とghostbuster's book web.をご愛顧くださってどうもありがとうございました。
新年は一月二日から始めますが、四日・五日はお休みします。
しばらく変則的な日程ですが、来年も細々とやっていくのでよろしくお願いします。

サキ「ラプロシュカの魂」 その3.

2007-12-30 22:43:03 | 翻訳
三週間ほど前のこと、ウィーンへ行く機会があったので、私はある夜、ヴァーリンガー街にある、質素だが素晴らしい料理を出す小さなレストランで、食事を楽しんだ。しつらえは素朴だが、子牛のカツレツもビールもチーズも文句のつけようがない。いい料理には客も集う、とでもいうように、入り口近くの小さなテーブル以外は、どこにも空席はなかった。食事の途中、ふとその空席に目を遣ると、そこにももう人が座っていた。料金の欄に目を皿のようにして見入り、安い中でも一番安いメニューを探していたのはラプロシュカだった。一度だけ彼は私の方に目を向け、私のごちそうを、なるほど、とでもいうように見やると、“君が食べてるのはおれの二フランだ”とでも言いたげな顔で、そっぽを向いた。どうやら教区司祭様の貧しき人々は本当に貧しかったようだ。もはや口の中のカツレツは革の味しかせず、ビールはぬるま湯にしか思えない。エメンタール・チーズは味わうこともなく残した。私の頭の中にあったのは、ただ、ここから逃げ出すこと、「あれ」の座るテーブルから離れることだけだったのだ。逃げていきながら、私がピッコロ吹きにやった金をとがめるように見つめている――それもおれの二フランの一部だ――ラプロシュカの目を感じたのだった。つぎの日、私は昼食を、生きているラプロシュカなら、自分の金でなら金輪際足を踏み入れることもなさそうな、きわめて高いレストランでとることにした。というのも、死んだラプロシュカだってその障壁は越えられまいと考えたのである。私の予測に誤りはなかった。が、そこを出ると、値段表を哀れっぽい目で見ながら、入り口のところで立ち尽くしていたのだ。それからのろのろと別のミルクホールに向かって歩いていったのだった。生まれて初めて、ウィーンでの生活は、私にとって魅力的でも楽しくもないものとなった。

 それからというもの、パリだろうがロンドンだろうが、私の行く先々で、ラプロシュカは頻繁に姿をあらわし続けた。劇場のボックス・シートに座っているとかならず、薄暗い天井桟敷の奥の方から、こっそりとこちらを見ている彼の視線を感じた。雨の午後、所属しているクラブの建物に入ろうとすると、向かいの家の軒先には、そこで雨宿りしている彼の姿があった。ハイド・パークにあるたった一ペニーのいすに腰掛けるささやかな贅沢さえ、無料ベンチの一角からこちらを見る彼の目から逃れることはできなかった。別にじろじろと見ていたわけではない。だが、私の存在にはまちがいなく気がついていたのだ。友人たちは、顔色が悪いぞ、と言い出した。雑事から少し離れた方が良さそうだな。私としては、ラプロシュカから離れたかったのだが。

 ある日曜日のこと――おそらくふだんよりはるかにひどい混み具合から、復活祭だったのだろう――わたしはまたパリの人気のある教会で、音楽を聴こうと集まってきた大勢の人の間でもまれており、そしてまた献金袋が人間の海を渡りながらまわってきた。後ろにいたイギリス人のご婦人が、まだ遠くにある袋に硬貨を入れようと苦心惨憺していた。入れてくださらない? という頼みを受けた私は、硬貨を受け取ると、袋へ手を伸ばした。二フラン硬貨だった。その瞬間、インスピレーションがひらめいたのである。私は自分の一スーだけを袋に入れ、銀貨の方はポケットに滑りこませた。これでラプロシュカの二フランを、貧しい人々から、ラプロシュカの遺産を受け取るべきではなかった人々から取り返したのである。人ごみを離れる私の耳に、女性の声が聞こえた。「あの人、わたしのお金を袋に入れてないみたい。パリにはあんなことをする手合いが大勢いるのね!」だが、わたしの心は久しぶりに軽くなっていた。

 取り戻した金を、それにふさわしい金持ちに贈るという、細心の注意を要する任務がまだ私には残っていた。今回も私は偶然にわくはずのインスピレーションにまかせたが、ふたたび幸運に恵まれたのである。二日後、にわか雨に降られた私は、セーヌ川左岸の由緒ある教会に駆け込んだのだが、そこで古い木彫り細工に見入っているR男爵に気がついたのだ。R男爵というのはパリでも有数の資産家で、なおかつその格好のみすぼらしいことにかけても有数の人物なのだった。このときを逃してはあとはない。いつもの私は聞き間違いのないイギリスなまりのフランス語を話すのだが、わざと強いアメリカ人ふうの抑揚で、男爵を質問攻めにしたのである。この教はいつ建立されんですか、広さはどのくらいあるんですか、などと、アメリカ人観光客が決まって聞きたがるようなことである。いきなり聞かれた男爵が答えられるだけのことを聞いてしまった私は、しかつめらしい調子で二フランを彼の手にのせ、心からの感謝をこめて「取っておいてくれたまえ」といって、そのままきびすを返して去ったのだ。男爵はいささか面食らった様子だったが、事態を快く受け入れることにしたらしい。壁に取り付けてある小さな箱の方に歩いていくと、ラプロシュカの二フランを、投入口に入れた。箱には「教区司祭様の貧しき人々のために」と書いてあった。

 その夜、カフェ・ド・ラ・ペ近くの人通りの多い一画で、私はほんの一瞬、ラプロシュカを目にした。彼は微笑むと、軽く帽子を持ち上げ、そのまま消えていった。それから二度と彼の姿を見ることもなかった。結局のところ、あの金は受け取るにふさわしい金持ちの手に確かに渡って、ラプロシュカの魂は安らかに眠ったのである。


The End
ても

サキ「ラプロシュカの魂」 その2.

2007-12-29 22:25:14 | 翻訳
公平を期して言うなら、ラプロシュカの高い処理能力は評価されるべきだろう。というのも、厄介なジレンマに陥っても、彼は決して「いやだ」と断って評判を落とす事態を、どうにかして避けることができるのだから。だが、天はほとんどだれにでも機会を分け与えてくれるもので、私にもそのチャンスが巡ってきたのである。ある夜、ラプロシュカと私が一緒に、大通りの安食堂で夕食をとっていたのだ(文句のない収入を得ている人物の招待に応じるとき以外には、ラプロシュカはいつも、奢侈への欲望を抑制するのだった。幸運に恵まれたときにはいともたやすく贅沢に身をまかせていたのだが)。食事が終わったちょうどそのとき、至急来られたし、という伝言を受けたので、動転したつれが講義するのも無視して、残酷にもこう言って出ていったのである。「ぼくの分は立て替えてくれないか。明日返すから」次の日の早朝、本能でラプロシュカは私を捕捉したのである。私はふだんはほとんど使わない裏通りを歩いていたのだが。彼は昨夜、一睡もしていない様子だった。

「君には昨夜、二フラン、貸したままになってるぞ」というのが、息を切らしながら言う彼の挨拶だった。

 私は、近々ポルトガルでは大変なことが起こるらしいぞ、とかの地の情勢に話を逸らそうとした。だがラプロシュカはまるきり上の空、そんなことなどまったく耳に入らない様子で、すぐにまた二フランの話題を持ち出した。

「すまないが貸しにしてくれないか」私は軽い調子でずけずけと言った。「いま手持ちが全然ないんだ」それから嘘をつけ加えた。「半年か、もしかしたらもうちょっと長く、留守にすることになるからね」

 ラプロシュカは何も言わなかったが、目は飛び出し、頬はバルカン半島の民族分布図のようにまだらになった。その同じ日の日没後、彼は死んだ。「心機能停止」というのが医師の診断だったが、事情を知っているわたしには、彼が悲嘆にくれたあまりに死んだのだということがわかっていた。

 そこで彼の二フランをどうしたものかという問題が出来した。ラプロシュカを殺してしまったことはさておき、彼のことのほか愛した金をそのまま手元に置いておくような無神経なふるまいは、私の耐えうるものではない。だれもが思いつくような解決策の、貧しい人々に与えるということなどは、決して現在の状況にふさわしいとは言えまい。こんな財産の使い方をされるほど、故人が悲しむこともないだろうから。かといって、金持ちに二フラン贈るというのは、いくばくかの戦略を要する任務だった。ところがこの難題を解決する単純な方法がつぎの日曜日には、向こうからやってきたのだ。そのとき私はパリでもっとも人気のある教会の通路を埋める、さまざまな国から押し寄せた人々の中を、分け入って進んでいるところだった。『教区司祭様の貧しき人々』のための献金袋が、立錐の余地もないほどの人の海を、もみくちゃにされながらうねうねと移動していて、前にいたドイツ人は、どうやらすばらしい音楽を味わおうとしているのに、献金をうながされることで損なわれたくなかったらしく、その募金のことを連れに大きな声で文句を言っている。

「連中に金なんか必要ないさ。金ならうなるほど持ってるんだ。ちっとも貧乏なんかじゃない。いい暮らしをしてるんだ」

 これがほんとうなら、どうしたらいいかは明白だった。私はラプロシュカの二フランを教区司祭様のお金持ちの人々のために、祝福の言葉をつぶやきながら投げ入れたのだった。


(さてこれからどうなったか。続きは明日)

サキ「ラプロシュカの魂」 その1.

2007-12-28 22:35:20 | 翻訳
今日からサキの "The Soul of Laploshka" の翻訳をやっていきます。
セローの文章を読んでいたら、スクルージからこれを思いだしたので。
ほんとなら二日くらいで訳した方がいいのでしょうが、日程の都合から(笑)三日に分けます。忙しいし、風邪気味で喉は痛いし、大掃除はしなきゃならない(と思っている)し。

ということで、今日はその前編です。こんな一息に読めるショート・ショート、分けて読みたくない、という方は、遠慮なく30日にいらしてください。

原文はTHE SOUL OF LAPLOSHKAで読むことができます。

* * *

「ラプロシュカの魂」("The Soul of Laploshka")


 ラプロシュカは私が知っている人間の中でも、掛け値なしのけちな男で、それでいて、むやみに愉快な人間でもあった。ほかの人間のひどい悪口を言っていても、なんだか妙にほほえましいところがあるので、裏で自分のことを同じように悪く言っていることがわかっていても、つい大目に見てしまう。だれでも自分では悪意のあるうわさ話など嫌うくせに、それを聞かせてくれる人、しかもその話がおもしろいとなると、いつだって歓迎するものだ。事実、ラプロシュカの話は、たいそうおもしろかったのだ。

 いきおいラプロシュカの交友関係は広かったが、彼の側がいくらか慎重に友人を選んだために、それも、いくぶん一方的にもてなされるのを好む彼の傾向をおおらかに受け入れられる銀行残高のもちぬしばかりということになった。かくて、ごく標準的な資産しかなかったにもかかわらず、彼は収入の範囲内で快適に生活することができたし、気前のいい、さまざまな仲間たちの収入の範囲内で、いっそう快適に暮らしていたのだった。

 だが貧乏な者や、自分と同じく収入の限られた者たちに相対するときの彼の態度は、警戒おこたりない、かつ、心安らかならぬものになった。ごくわずかなシリングであろうがフランであろうが、現在流通している貨幣であるならばなんであれ、自分の懐から手元不如意の友人のもとに移動する、もしくはその役に立つことになるのではないかという恐怖に取り憑かれているようだった。おごってくれそうな金持ちの友だちなら、「良い結果になるかもしれないことなら悪いことにも手を出す」主義で二フランの葉巻も喜んで差し出すが、ウェイターにチップをやらなければならないようなときも、残念ながら銅貨の持ち合わせがあると白状するよりも、虚偽の申し立てをする苦痛を喜んで引き受けることを私は知っていた。渡した貨幣がつぎのできるだけ早い機会にはまちがいなく返ってくることがわかっていても――借りた側が健忘症にかからないように、彼はできるかぎりの方法を採るのである――どんな事故が起こらないともかぎらないし、ペニーであろうがスーであろうが、ほんの一時の別れであっても、災難は避けるべきなのである。

 この愛すべき欠点を知っていると、ラプロシュカが、気がつかないうちに気前のいいことをしているのではないかと恐れているのをからかってやりたくなる誘惑に、つねにかられてしまうのだった。馬車に乗らないか、と誘っておいて、馬車代が足りないふりをしたり、彼がたくさんの銀貨でおつりを受け取ったばかりのところへ、六ペンス貸してくれないか、と言って狼狽させたり、といったことは、状況さえ許せばいくらでも考え出せる拷問の、ほんのいくつかの例だった。

(この項つづく)

※更新情報書きました。昨日アップした部分の最後、ちょっと書き直しました。

サイト更新しました

2007-12-27 22:58:38 | weblog
先日までここで連載していた「望遠鏡的博愛」、翻訳部分の推敲を中心に、全体に手を入れてサイトにアップしました。
翻訳は多少読みやすくなっているかとも思うんですが、最後の部分はそのうち少し書き換えるかもしれません。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

まだ更新情報は書けてません。そちらは明日くらいにアップできると思うので、またその頃、見に来てみてください。

ということで、それじゃまた。


年の瀬の物忘れ

2007-12-26 22:07:45 | weblog
ときに「趣味」の欄にショッピング、と書いている人がいるが、わたしにはなかなか理解しがたい楽しみである。わたしの場合、それが夕食の食材であろうが、トイレットペーパーであろうが、服(これはめったに買わないが)だろうが、本であろうが、たいてい買うべきものはすでに決まっており、売り場に直行してあっというまにお金を払って出てくるので、それでもあえてその行為を「趣味」と呼ぼうと思えば、いったいどの行程を指して「趣味」といったら良いのかよくわからない。その品物を持ってレジに向かって歩くことを「趣味」と呼ぶには、いささか無理があるように思われる。

タワレコもジュンク堂も好きだけれど、そういう場所が好きなのと、ショッピングを楽しむというのもまた少しちがうような気がする。やはりわたしにとっての「買い物」は、どこまでいっても必要に迫られて、事務的にすませるもののようだ。

ところがこのわたしにも、つい、買ってしまうものがある、ということに、つい最近気がついたのである。

わたしは毎年、年末がかなり忙しいこともあって、例年あまり大掃除はやらない。どちらかというと年度替わりの三月に、紙の整理(というか、実質的には大量廃棄)を中心にやる掃除を「大掃除」と呼んでいるのだが、それでも12月も半ばを過ぎると、体内に刻み込まれた幼児期からの記憶のせいか、掃除をしなくては、というプレッシャーが、じわじわと背中にのしかかってくるような気がする。電車の中から、ベランダに出て窓ガラスを磨いたりしている人の姿を見たり、近所の人が玄関や換気扇の外側を掃除しているところに行き会ったりするたびに、ああ、わたしもしなくては、という気分にかられるのである。

かられるからといって、たいしたことをするわけではない。暮れもいよいよ押し迫り、その年も残す時間が50時間を切った頃になって、大慌てで、床を拭きだしたり、天井に掃除機をかけたりするぐらいだ。

ところがその土壇場になる前にも、プレッシャーは徐々にわたしをしめつける。そうしてその埋め合わせとして、近所のスーパーに行くたびに、百均のコーナーに寄って、ゴミ袋やスティックのりやガムテープといっしょに、詰替用のマイペットとか、「こするだけで落ちる激落ち君」(受験生には不吉な名前だ)とか、「油汚れがみるみるおちる不織布」とか、「洗剤のいらない魔法のクロス」とか、静電気を起こしてキーボードに溜まった埃をとる小ぶりのハタキとかを買ってしまうのである。そうして買って帰ると、ガスレンジの下の掃除用具やら、ホースやら、小さい水槽やら、ポンプやら、キンギョの薬やら、鉢植えの肥料やら、雑多なものがあれこれと入っている棚にしまう。しまって、掃除用具を買ったことに安心して、心安らかに忘れてしまうらしいのである。

らしい、というのは、しまったことさえ忘れていたからだ。
先日、浴槽を洗うスポンジの予備が、確かあったはず、と思いながらそこを開けてみて、奥をさぐって驚いた。出てくるわ、出てくるわ、買った記憶すらないあれやこれやの数々である。「こするだけで網戸がきれいになる網戸ワイパー」など、ふたつも出てきた。どちらも封を切ってさえない。ふだんは浴槽もトイレも液体ハンドソープでゴシゴシ洗ってしまうのだが、そこにはちゃんと風呂の専用洗剤まであった(いったいいつ買ったんだろう)。

どうも毎年、12月になると「やらなくては」という気分が、わたしにそうしたものを買わせてしまうのである。ところがふだんの掃除では、ほとんど重曹やハンドソープだけ、特別な洗剤も特別な掃除道具も使わないわたしは、「大掃除」になっても、結局同じ洗剤と道具ですませてしまう。結局、そういうものを買っていたことを思い出しさえしないのである。

うーむ。

だが、ものごとは明るい方を見ようではないか。
こすれば落ちる網戸ワイパーがふたつもあるのだ。これで網戸も、掃除機をかけるより、きっときれいになるにちがいない。

覚えていれば。

サンタさんがくれたもの

2007-12-25 23:05:16 | weblog
何事にしてもそれを強く欲望する前に、まずそれを所有している人の幸福がいったいどんなものであるかをつまびらかにしなければならない。
(ラ・ロシュフコー『格言集』関根秀雄訳 白水社)


ピーター・スピアーの絵本に『クリスマスだいすき』という本があって、スピアーの絵本は絵ばかりで文章がないものがいくつもあるのだが、この本もその一冊だ。
クリスマスが近づいてきて、もみの木を選んだり、プレゼントを買ったり、飾り付けをしたりするアメリカの子供や大人たちの様子が描かれる。そうして、ピークはクリスマス当日。この本がおもしろいのは、エピローグとして、一夜明けての様子がきちんと続いていくことだ。ゴミ捨て場につみあげられたツリーの残骸。そうして大量の包装紙や空き箱。プレゼントは同時にゴミの素でもある。

さて、イヴがあけて、クリスマス当日の今日、日本の各家庭からもずいぶん多くの包装紙や空き箱が、可燃ゴミ、もしくは不燃ゴミとして出されたことだろう。
電車の中でもうつむいて、携帯ゲーム機の小さな画面に見入っている子供を何人も見かけたが、そろそろ帰省も始まっているのだろうか。ともかくそのほとんどは、今朝目を覚ましたときに枕元にあった「サンタさんからのプレゼント」であるのだろう。

ところでいまの子供にそんなにほしいものなんてあるのだろうか。
「サンタさんに何をお願いする?」と聞かれて、子供時代のわたしは結構困ったものだった。特にほしいものがない。仕方がないから「TV」と答えていたのだが、もちろんそんな願いはあっさりと却下されていた。おもちゃだってひととおり持っていたし、それ以上に何がほしい、というものもなかったのだ。

いま振り返って思うに、当時のわたしが別にほしいものがなかったのは、TVを見ていなかったことも大きいのではないか。友だちの家に行けば、リカちゃんのドレッサーだの、リカちゃんのダイニングセットだの、クリスマスやお誕生日のたびごとにそうしたものが増えていて、確かにそういうものを見れば、いいなあと思わないではなかった。特に、小指の爪よりも小さいサイズの、銀色のスプーンやフォークはすごくかわいいと思った。とはいえ、それはその子の家で遊べれば十分だったし、遊んで楽しいだけでは、どうしても自分のものにしたい、という欲望を喚起させるには不十分だったのではないか、という気がするのだ。

TVの子供向け番組の多くは、玩具メーカーとのタイアップで、あの怪獣がほしい、あの超合金合体ナントカがほしい、魔法変身ナントカがほしい、と思わせるために番組が作られているかのようだ。もちろん合間には同じような子供が身につけているCMが差し挟まれる。

そうしたものは、実際にそれで遊ぶより、はるかに強烈な欲望をかき立てるのではあるまいか。TV画面の向こうで見るそれを、子供は実際に手に取るわけではない。
友だちの家にあった「リカちゃんドレッサー」は、すでに遊んだあとの、手垢のついたものである。銀色のスプーンはかわいくても、プラスティックの白い小さな皿は、いかにも安っぽい。そうしたものと、照明が当たり、工夫された角度から映し出されたドレッサーは、子供の目にはおそらく全然ちがうものに映るだろう。
あれがほしい、自分のものにしたい、という欲望は、TV画面が作りだしたものではなかったか。

実際、子供にとっておもちゃというのは、それほど数が必要なものではないと思うのだ。泥と水と、あとはそれを掘る小さなスコップ(それがなければ貝殻でもプリンカップでも)さえあれば一日中遊べる。
ところが紙やクレヨンや粘土は古くはならないが、ナントカ変身ベルトには「賞味期限」がある。TVでシリーズが終わった半年後には、そのナントカに変身したい気持ちも失せてしまう。
ほんとうには需要のないところに需要を喚起させるために、番組が作られ、雑誌が作られている、というのは、どこかおかしいような気がする。

思うに、コンピュータゲームの特徴は、「終わりがある」ということだろう。一ヶ月か二ヶ月か、その期間は遊んでも、終わってしまえばそれまで。そうして今度はつぎのゲームがほしくなる。子供は同じ本を何度でも読み返すが、ゲームは繰り返し遊ぶのだろうか。繰り返し遊ぶ前に、つぎのゲームを買ってもらえるのだろうか。

こうした作りだされた欲望は、大人社会のそれとまったく同じである。わたしたちの身の回りのあらゆるものが、必要もないのにデザインは半年ごとに新しくなり、些細な「付加価値」が協調される。「消費の刺激」「需要の掘り起こし」と言われれば何のことかわからないが、つまりは欲望を無理にでもかき立てて、ほんとうはほしくもないものを、むりやり「ほしい」と思いこまされる。これがいいとか悪いとかという問題ではなく、そうやって消費者であるわたしたちが、必要もないものをどんどん買っていかなければ、経済というものが立ちゆかなくなっているらしい。

なんだかな、と思うのだ。

いまは小学生のうちから消費者教育? 賢いお金の使い方教育? をすべきだ、というふうな声もあるらしく、もしかしたらすでに何らかのかたちでなされているのかもしれない。
一方で、絶え間なく欲望を喚起されながらも、他方でそれをうまくなだめ、より長く消費し続けるために、うまく消費していきましょう、と、教えていくのだろうか。

なんだかな。


だが、なんだかんだ言っても、ほしいものがある、というのは、すてきなことだ。
これは、ほんとうにそう思う。
少し前、音楽をほとんど聴いていなかった頃は新しいCDをほしいと思うこともなかった。また聴くようになって初めて、自分のものにしたいアルバムもでてきた。タワーレコードの黄色い看板を見ると、胸がワクワクするし、視聴のためのヘッドフォンをかけるのも、店内で流れているDVDを見るのも、あれにしようかこれにしようかと迷うのも、幸せな時間の過ごし方だ。そうやって買った一枚のアルバムは、その価格以上の喜びをわたしにもたらしてくれる。そうやって好きなアーティストができれば、そこからまたさらに聴きたいバンドは広がっていく。

ポール・ラドニックは愉快なお買い物小説『これいただくわ』のなかで、「ショッピングとはつまり、好奇心が旺盛で、生きていて、先の楽しみがある、ということだ」と言ったけれど、これは、消費社会に生きるわたしたちにとっての真実なのだろう。おそらく、ほしいものがある、というのは、世界に積極的に関わっていく、ということでもあるのだ。必要が満たされていて、もはや何の欲望も抱かない、という状態は、深山幽谷に暮らし、鳥の声を友とする人にとっては理想的な境地かもしれないが、現実のわたしたちは、そういう状態を決して「幸せ」とは呼ばないだろう。

だから、一年に一度ぐらい、サンタクロースにお願いするのもいいことなのかもしれない。
ただ、お願いするときには、よくよく考えてみる。自分はほんとうにそれがほしいのか。大きな声や、あおるような音楽や、きらびやかな広告に惑わされていないか。時間をかけて考えて、自分の気持ちを確かめて、それに自分自身が価値を与えて「特別なもの」にしていくのだ。

そうすることで景気が良くなることはないだろうが、少なくとも自分が「何を欲しがっているか」を自分でみきわめることができるようにはなっていくような気がする。
自分がほしいものを知るのは簡単なことではないはずだ。クリスマスがそのきっかけになるとしたら、それこそが何よりもサンタクロースの贈り物なのかもしれない。

(※昨日どうもうまく書けなかったので、かなり後半加筆しました。12-26 08:35)

"Happy Solstice!"

2007-12-24 22:30:11 | weblog
solstice
【名】
《天文》至{し}、〔夏至{げし}・冬至{とうじ}の〕至点
「英辞郎 on the web」より


ところで今日はクリスマス・イブだが、なんとなくキリスト教徒でもないのにこの日を祝うのはまずい、というか、どことなく後ろめたいような気がしている人もいるのではないだろうか。
ええ、実はわたしもずっとそういう気分でいましたよ。

小学校時代、カトリックの学校で過ごしたわたしにとって、クリスマスというのは大きなイヴェントだった。ミサにも参加したし、キャロリング(クリスマスキャロルを歌いながら歩くのだ)で練り歩いたこともある。"O Come All Ye Faithful" とか "Hark! The Herald Angels Sing" とかはいまでも歌えるし、Take6の"He is Christmas" を聴きたくもなってくる。
だが、イエス・キリストの生誕を祝う言葉を耳にしたり口にもしたりしながら、クリスチャンでない、というか、宗教といまひとつ折り合いの悪いわたしは、信仰を持っているわけでもない自分が、その日ばかりはにわかにクリスチャンのまねごとをすることに実に割り切れない、忸怩たる気分をずっと抱いてきたのである。

ところが! である。
クリスマスというのはイエス・キリストの誕生日ではない、という話を教えてもらったのである。そこでO・クルマンの『クリスマスの起源』(土岐健治、湯川郁子訳 教文館)を読んでみたのだが、どうやらほんとうにイエス・キリストが生まれたのは12月25日ではないらしいのだ。少なくともこの日がキリストの生誕の日と定められたのは紀元後三世紀あたりのことらしい。

というのも、そのころのローマで人々が広く信じていたのはミトラ教だった。特に、三世紀後半に在位したマルクス・アウレリウスは、ローマ帝国公認の宗教として、太陽神殿を建立していたという。だが、四世紀に入ると、キリスト教も次第に勢力を伸ばし、時の皇帝コンスタンティヌスがキリスト教に改宗するまでになる。

ミトラ教では太陽神ミトラを神とする。そうして、冬至とは、その日を境にふたたび太陽が復活する日であって、ミトラ教での復活祭だったのである。そうしてこのふたつの宗教が対立することなく、キリスト教が人々にうけいれられるよう、この日がクリスマスに選ばれたのだという。

冬至というのは別にミトラ教に限ったことではなく、世界中で祝われてきた。古代中国では暦の起点が冬至だったし、北欧でも太陽の蘇生を祈る祭りが行われてきた。

確かに冬至を境に日はまた長くなってくることの喜びというのは、夜の明るい現代に生きるわたしたちでさえ、実感として抱くものである。春が近づいてくると、なんとなくうれしくなってくるだけでなく、寒さはいよいよ本格的になるといっても、少しずつ日が伸びていくのは、それだけでなんとなくホッとする。それが、月や星が唯一の明かりで、それさえもない夜はほんとうの闇になった時代に生きていた人々は、また長くなっていく昼をどれだけうれしいものとして感じていただろう。
古代の人々がさまざまなかたちで冬至を祝っていたというのは、非常によくわかるし、いまに生きるわたしたちもその喜びは共有できる。

だからこそ、ひとつ提案をしたいのだけれど、メリー・クリスマス、という代わりに、

"Happy Solstice!"

と挨拶をしてはどうだろう。
冬至は過ぎてしまったけれど、そもそもは冬至にルーツを持つお祭りとして。

で、クリスマスの代わりに12月24日に少し遅めの冬至を祝うわたしたち(勝手に複数形である)は何を食べれば良いのだろうか。冬至といえばカボチャであるが、なんというか、地味である。まあ22日に食べればいい。そうではなくクリスマス代わりの、Solstice にふさわしい食べ物はないかなあ、と考えたのである。

ところで今日、帰りがけ、えらく行列が伸びていて、なんだろうと思ったら、ケンタッキー・フライド・チキンだった。店ははるか彼方にあるのに、である。いや、別にカーネル・サンダースに恨みがあるわけではないけれど、わたしはあまりあれが好きではなくて、つい、唐揚げなら家で作ればいいじゃん、と思うのだけれど、ハレの食べ物というと、唐揚げよりもう少し見栄えの良い骨付きチキンになってしまうのかもしれない。

そこで思いだしたのが、太宰治の「メリイクリスマス」である。
これは戦争が終わった翌年の、徐々に復興していく東京のクリスマスの様子である。
「もう少し、変ってくれてもよい、いや、変るべきだとさえ思われました。」と思いながらも、やはりかつて親しかった女友だちの娘はしばらく会わないうちに大人になっており、当人は亡くなっている。そんななか、その娘と、主人公はしっとりと鰻の串を食べるのである。

おかしくもない冗談を垂れ流す酔客は、進駐軍のアメリカ兵に「メリイ・クリスマス」と声をかける。主人公はそのどこがおかしかったのだろうか。吹き出す主人公をよそに、呼びかけられた兵士は、とんでもない、という顔をする。彼は家族と過ごすことを考えていたのだろうか。

太陽が生まれ変わっても、相変わらず。少しも変わらない、と思いながら、鰻の串を食べる。親しい人と。

これは、クリスマス代わりの Solstice を祝う日にもっともふさわしい食べ物ではあるまいか。

望遠鏡的博愛 その4.

2007-12-23 22:28:16 | weblog
さて、昨日は時間が足らなくて最後までいかなかった。楽しみにしていてくださった人がもしいたら、すいません。
ともかく、一昨日までの翻訳で、ポール・セローの主張はわかってもらえたと思う。

セローのボノ批判の論点ははっきりしている。
ボノのチャリティ活動に代表されるような資金援助及び人的派遣はアフリカの役に立つどころか、自立を妨げるものである、ということだ。

ただ、この記事を読んで疑問に思うのは、あえて名指しの批判をしなければならないほど、ボノの活動が「アフリカの自立を妨げる」までの成果をあげているのだろうか、ということなのである。ひとりの人間が、アフリカの運命に影響を及ぼすほどの影響を与えられるものなのだろうか。
逆に言うと、ひとりの人間のスタンドプレーがアフリカの運命に影響を及ぼすほど、アフリカの問題って簡単なものだったの? ということでもある。南北問題というのは「解決策の見つからない袋小路」ではなかったのか。

この記事は2005年のものだが、今年はマラウィというとマドンナの国際養子縁組がずいぶん報道された。おそらくポール・セローはこの件に関しても眉をひそめたにちがいない。そうしてマドンナは、単にひとりの男の子と養子縁組をしただけでなく、エイズ孤児に対して500万ドルの私財を孤児院などの建設費用に投じたと報道されている。個人の私財としては相当な額(マドンナにとってはそうでもない?)であっても、孤児院や付属の病院を建設し、さらにそれを基金とするとして、いったいいくつくらいの孤児院が運営できるものなのだろうか。
もちろんどのくらいの規模のものかとも関わってくるだろうが、建設費や施設設備費、人件費などを考えると、そんなにいくつも作ることは不可能だろう。そうして、それがマラウィ全体にとって、どれほどの影響を与えることになるのだろうか。

このサイトhttp://plas-aids.org/blog/2007/01/weekly_news_2.html

によると、マラウィのエイズ孤児は55万人。

まったく何の役にも立たないとまでは思わないが、少なくともマラウィの「自立を妨げる」ほどのものにはほど遠いものであることはまちがいない。
それこそ「誇大妄想的な、自分自身の価値を世界中に認めさせたがる」人々が、そうしたければすればいい、それで現実に助かる人もいるのだから、それでいいじゃないか、という程度のものなのではないか。

ただ、セローの主張には、非常に重要なポイントがあるように思うのだ。

たとえばボノ(だけでなく、ほかのあらゆる人や団体)の慈善募金の訴えに共感することで、アフリカを、助けてやらなくてはならない存在とみなしてしまうことはないか。

たいてい募金の訴えには子供の写真が使われる。やせこけて、ほとんど目ばかりの子供たち。わたしたちがそういうイメージで、アフリカ全体を見てしまう。

わたしたちがアフリカという言葉にいったい何を連想するだろう。
先にもあげたやせこけた子供、延々と続く難民の列やテント、あとはサバンナ、動物といった、まったく無関係のイメージ。

セローの言うこの部分

「アフリカは美しい土地である―― 一般的に描かれているよりさらに美しく、平和で、回復力があり、たとえ裕福とは言えないにしても、本来なら自給自足できるところだ。」

これはほんとうにわたしたちが忘れてしまっている点なのではないか。
そうして、その自給自足を困難にしていることの原因の一端が、わたしたち自身に関連しているのではないか。
 飢えたアフリカの惨状は今日はほとんど恒常的に先進国のメディアの映像にも登場して同情をそそっているが、この飢えたアフリカは「豊かな社会」への、巨大な食料輸出国である。「一九八一年のアフリカの輸出額は石油もふくめ七五〇億ドルだが、そのうち一〇〇億ドルが食料輸出による収入である。」それはアフリカの全耕地の半分以上が、「自分たちの食料を栽培しているのではなく、輸出向けの熱帯食料や農産物原料を栽培しているからである。セネガルなどでも耕地の三分の二は時刻ではあまり消費しない落花生であり、これが灌漑の利くセネガル河流域をおおっている。その結果、生存食料――キャッサバ芋、ヤム芋、ミレット(粟の一種)、陸稲等――は、灌漑装置の少ない限界的地域で細々と生産されている。」(西川潤『飢えの構造』)
(見田宗介『現代社会の理論 ―情報化・消費化社会の現在と未来』岩波新書)


この本にも引用されているスーザン・ジョージの『なぜ世界の半分が飢えるのか 食糧危機の構造』(朝日選書)を見ると、さらにいっそうそのことが詳しく述べられている。

1973年のエチオピア飢饉は偶然に起こったわけではない。
十六世紀以来、アワシュ渓谷のアファル族は、一年のうち八ヶ月を占める乾期の間、アワシュ川に潤された豊かな低地で牛を放牧していた。だが、すぐれた牧草地はまたアグリビジネスが最も欲しがった土地でもあり、政府はここを譲り渡したのである。……

アワシュ渓谷の植民地化は、以前からそこで生活していた人びとの間に新しい事態を生み、彼らは突然、気まぐれな天候の下にさらされることになった。そのうえ、さして肥沃でもない土地に多くの人々が集まった結果、牧草が不足してまず家畜が飢え、それが人間の栄養失調へとつながっていった。
(スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか ―食糧危機の構造―』小南祐一郎・谷口真理子訳 朝日選書)


自然災害が飢餓の直接の原因であっても、豊かな土地が輸出用の商品作物に奪われてしまった結果、自分たちの生きるために必要なものを自分たちの手で作るということを禁じられた結果であることを考えると、その享受者である側が、そうした国々の飢餓に無関係ではありえない。

飢えたかわいそうな子供たちを助けるための慈善活動としてではなく、自分たちの問題でもあるはずなのだ。

以前、こんな投書を見たことがある。
レストランで食事をした。近くの席で食事を残したまま席を立つ一家があった。その皿のに残された食事を見て、「あれだけあればアフリカの子供たちを何人救えるだろう」と家の子が言った、という内容である。もちろん、そんなことをいう愚かな我が子をこっぴどく叱りつけた、という続きはなかったが。

実際、残飯で「飢餓の子供を救う」という発想が、セローの言う「アフリカは致死的な状況で、それを救うことができるのは外部からの手助けだけ――有名人やチャリティ・コンサートは言うまでもなく――という印象は、事実を歪曲しているし、思い上がりを招きかねないものである」の「思い上がり」そのものではないか。
アフリカは「飢えた子供」ではない。


わたしがこれまで生きてきて、ひとつだけ、確信を持って言えることがある。
自分に解決できるのは、自分の問題だけだ。
ほかの人の問題は、決してわたしが解決することはできない。

だが、ひとりだけで生きているわけではないわたしは、さまざまなかたちで他の人ともつながりを持っている。わたしの問題はわたしだけの問題ではなく、他の人の問題のなかにもわたしが関連していることもある。わたしが自分の行動を見直し、何かを改めることによって、少し変わっていくこともあるのではないか。おそらくそれはひどく迂遠なことだろうし、知っていかなければならないことや、勉強したり考えたりしなければならないこともたくさんあるだろう。けれど、何かを変えていこうとしたら、そうすることだけなのではないかと思うのだ。

まず、わたしたちが食べているものがどこから来ているのか、いったいだれによって作られているのかを知る。たとえば『エビと日本人』(村井吉敬 岩波新書)には、エビの養殖に携わるインドネシアの人々の労働や、マングローブ林の破壊を知る。
そこからどうしたらいいのか。
それは一緒に考えていきましょう。

ディケンズの『荒涼館』ではエスターはジェリビー夫人に対して「望遠鏡で地平線を見渡して義務を探し求める」前に、「彼女本来の義務と責務」を果たすべきだと考える。
なにがわたしたち「本来の義務と責任」なのか。身近な人に具体的にできることがあるのではないか。望遠鏡をのぞく前に、もうちょっと考えてみたいのだ。

まあボノにせよ、ブラッド・ピットにせよ、マドンナにせよ、やりたい人はそういうことをやればいい。人間はある程度有名になると、自分がそれ以外のこともできるということを見せたいものらしいから。それぐらいのものじゃないんだろうか。

望遠鏡的博愛 その3.

2007-12-21 22:36:50 | 翻訳
「ロック・スターの重荷 後編」

アフリカは美しい土地である―― 一般的に描かれているよりさらに美しく、平和で、回復力があり、たとえ裕福とは言えないにしても、本来なら自給自足できるところだ。だが、アフリカが未完成に見え、かつまた世界の他の国々とあまりに異なって見えるせいで、人はそこに立つ自分のなかに、ちがう姿を見てしまう。誇大妄想的で、自分の価値を世界中に見せつけようとする人々を引き寄せるのである。そうした連中はあらゆるかたちでやってくるし、その存在は目立つ。お節介な白人の有名人たちはとりわけ派手に映るのである。先ごろブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーがエチオピアにやってきて、アフリカの子供たちを抱き上げ、世界中の人々に向かって慈善活動するよう講釈をたれたが、その姿は即座に私の脳裏にターザンとジェーンの姿を呼び起こした。


テンガロン・ハットをかぶってジェリビー夫人を演じるボノは、自分こそアフリカの病理の解決策を握っていると信じているだけでなく、あまりに大きな声でそれをわめきたてるので、ほかの人々までが彼の言い分を信用してしまったらしい。2002年には前財務長官ポール・オニールと一緒にアフリカを訪問し、オニールに債務放棄を促した。つい先ごろもホワイトハウスの昼食会に出席したボノは、「もっと金を」主義を講釈し、どうしてアフリカ諸国への援助には特有の困難がつきまとうのか、ご高説を披露したのである。


だが、ほんとうにそうなのだろうか。マラウィをよく見さえすれば、そこが彼の祖国アイルランドの以前の姿に生き写しであることに気がつくはずだ。どちらも何世紀にもわたって続いた飢饉や宗教紛争や内紛、秩序に従おうとしないいくつもの種族や、傲慢な氏長、栄養失調、凶作、因習的な宗教家、歯科疾患、変わりやすい天気という特徴を備えている。マラウィの抱く怒りは、イギリスの不在地主と司祭の支配下にあった人々のそれと同じなのである。


ほんの数年前まで、アイルランドでは合法的にコンドームを買うことはできなかったし、離婚をすることもできなかった。にもかかわらず(ちょうどマラウィとおなじように)、ビールならバケツ何杯分でも手に入ったし、暴飲は国民全体に渡る悪癖だった。無為無策の島アイルランドは、ジョイスの言葉によると「自分が産んだ子豚を食らう母豚」、ヨーロッパにおけるマラウィで、こうした理由から主な輸出品は移民だった。


多くのアフリカ人にとって、大陸奥地へ向かうより、ニューヨークやロンドンへ行く方が簡単だというのは、気分が暗くなるような話だ。ケニヤ北部の大部分は立ち入り禁止区域である。エチオピアとの国境付近のモヤレという町に行くためには道すらなく、そこにいるのはやせこけたラクダと追いはぎだけだ。ザンビア西部は地図には載っておらず、マラウィ南部は未知の土地、モザンビーク北部は未だに地雷の海である。それに対してアフリカを出るのはきわめて簡単だ。だが先ごろの世界銀行の調査でも、アフリカの小規模から中規模の国にとって、技能を持つ人々が西側諸国に移民することが、きわめて深刻な事態をもたらしていることが確認されている。


現実にはアフリカに有能な人々が不足しているわけではない――貨幣さえも足りないわけではない。援助金提供者の保護者ぶったご来訪は、アフリカの自尊感情に対する暴力にほかならない。だが、責任ある指導部が不在であったにもかかわらず、アフリカ人たちはかれらがどれほど回復力を備えているかをこれまで証明してきた――決してその功績は認められてはこなかったのだが。もういちど言おう。アイルランドがおそらくは回答のモデルのひとつなのである。何世紀にもわたってアイルランド人たちは外国に望みを託してきたが、教育や合理的な政府、国内にとどまる人々や、勤勉な労働によって、アイルランド人自身が自分の国を、経済的にどうしようもない国から、繁栄した国家へと変貌させることができたのである。ある意味で――ミスター・ヒューソン、聞こえているかね?――母国にとどまることの意義を証明したのは、アイルランド人なのである。

(2005 12-15 ニューヨーク・タイムズ)



(翻訳部分はこれで終わり。明日はこれについて思ったことなどを少々)