その5.
彼は自分の所属する階級意識にどっぷりと染まっていたから、今後の身の振り方を決めるとき、いっさい躊躇することはなかった。彼の階級では、財産を蕩尽してしまった人間は、植民地へいくのだ。ミスター・ウォーバートンがないものねだりをするのを聞いた者はなかった。不幸な結果となった投機も、貴族の友人の勧めによったものであるとすれば、不平を言うには当たらないのである。自分が貸した金の返済を迫ることもせず、自分の負債を完済すると(彼自身は気づきようもなかっただろうが、この面では彼の軽蔑するリヴァプールの製造業者の血が明白に示されたのである)、誰の助けも求めず、これまでの人生でただの一度も働いたことのなかった彼が、生計の道を探したのである。相も変わらずほがらかで、けろりとしたまま、愉快なところも同じだった。出くわしただれかに、我が身の不運の独演会を披露して、不快な気分を味あわせるなど、ごめんだったのだ。ミスター・ウォーバートンは確かに俗物ではあったが、同時にまた紳士でもあったのだ。
数年に渡って彼が毎日往き来した貴族の友人たちに彼が頼んだのは、一通の推薦状だけだった。当時センブルのサルタンに使えていた腕利きの人物が、雇ってくれることになった。出立する前の晩、彼は最後にクラブで夕食を摂った。
「ウォーバートン、君はどこかに行くそうじゃないか」ヘレフォード老侯爵が声をかけた。
「はい。私はボルネオに行くことになりました」
「それは結構。で、そこには何をしに行くんだね?」
「そうではなくて、私は破産してしまったのです」
「おお、そういうことだったのか。気の毒なことだった。だが、戻ってくるときにはぜひ知らせてくれたまえ。向こうではうまくいくことを祈っておるよ」
「ありがとうございます。狩猟が楽しみです」
侯爵はうなずくと行ってしまった。数時間後、ミスター・ウォーバートンは、霧のなか、遠ざかって行くイギリスの海岸を見つめていた。人生の生き甲斐としていたあらゆるものを残して、彼はそこを去ったのである。
それから二十年が過ぎた。彼は何人もの貴婦人とのあいだで頻繁な手紙のやりとりを続け、愉快で他愛のないおしゃべりをしたためていた。爵位を持った人々に対する敬愛の念はいささかも翳ることなく、彼らの消息に関するタイムズの記事(発行日より六週間後に届く)には細心の注意をはらっていた。誕生、死亡、結婚を報じたコラムを熟読し、いつでも即座にお祝いやお悔やみの手紙を書けるようにしていたのである。挿絵つきの新聞は、人々がどんな装いをしているかを教えてくれるし、恒例となったイギリス訪問の折りには、あたかもつながりが途切れたこともないように、社交界の表舞台にどのような新顔が現れようが、彼はすべて心得ていたのである。上流社会に対する興味は、自分がひとかどだったころと同じように、彼の内に生き生きと脈づいていたのだった。
だが気づかないうちに、もうひとつの関心事が彼の生活にまぎれこんでいた。自分で見つけたその地位が、彼の虚栄心を満たしたのである。もはや高貴な人々をなんとか笑わせようと必死になるおべっか使いではなく、彼が主人、そうして彼の言葉が法なのだ。通りすぎるときにはダヤク族の衛兵が捧げ銃をするのを見て、心は満たされた自分の同胞を裁くのが楽しみだった。敵対する部族長同士の争いを調停するのもいいものだった。以前、首狩り族が反乱を起こしたときには、自分の挙動に対する誇らしさに胸をふるわせながら、鎮圧に乗り出したのだった。あまりに虚栄心が強かったおかげで、剛胆にふるまうことができ、彼の冷静沈着さをたたえる美談がひろまった。たったひとりで防護柵をめぐらした村に乗り込み、血に飢えた海賊どもに降伏を迫った、というのである。彼は巧みな統治者だった。厳格であり、同時にまた誠実でもあったのだった。
そうやって、彼は少しずつマレー人に深い愛情を持つようになっていった。風俗や習慣に興味を抱くようになったし、彼らが話すのを聞いて倦むことがなかった。彼らの美点を高く評価したし、欠点に対しては、微笑んで肩をすくめ、見逃してやるのだった。
「私も昔は」と折に触れ、彼は言うのだった。「イギリスの最上級の紳士たちと親しく交わっていたのだよ。だが、家柄のいいマレー人ほど立派な紳士はいなかったし、彼らこそ私の友人であると誇りを持って言えるね」
彼はマレー人の礼儀正しさや、洗練された立ち居振る舞い、温順な性質と突如として表出する情熱が好きだった。彼らとどのようにつきあったら良いのか、本能的に理解していたのである。彼らには混じりけのない愛情を抱いていたのである。その一方で、自分が英国紳士であることは、一瞬たりとも忘れることはなく、マレー人の習俗に染まるような白人にはがまんがならなかった。彼は身を任せることはしなかった。多くの白人に倣って、現地の女性を妻にするようなこともせず、ありがちな情事を持つこともなかった。ならわしとして是認されていても、彼の目からすれば、あり得ないことであるだけでなく、威厳に欠けることなのだった。プリンス・オブ・ウェールズ、アルバート・エドワード殿下から、ジョージとお声をかけられた人間が、どうして現地人などと関係を持つことができようか。
だが、イギリス訪問からボルネオに戻ってくると、いまではなにかしら安堵の念を覚えるのだった。友人も、彼同様、もはや若いとはいえなかったし、彼のことを退屈な年寄りとしかみなさない、新しい世代が登場していた。今日のイギリスは、彼の愛した若き日のイギリスにあった数々の素晴らしいものをすっかり失ってしまったように思える。だが、ボルネオは同じままだ。もはやここが彼の家なのである。できるだけ長くこの職を務めたい、そうして心の底では、引退を余儀なくされる前に死にたいと願っていたのだった。たとえどこで死ぬにせよ、亡骸はセンブルに運び、彼の愛した人々の間に、静かにながれる河の音が聞こえる場所に、葬って欲しいと、わざわざ遺言を残していたのである。
とはいえこうした感情は、人目に触れぬように隠していた。りゅうとした身なりで、がっしりとした体つき、上機嫌の男、きれいに髭を剃り、しっかりした顔で白くなりかけた髪の男の胸の底に、深い思いが大切にしまわれているとは、誰も夢にもおもわなかっただろう。
(この項続く)
彼は自分の所属する階級意識にどっぷりと染まっていたから、今後の身の振り方を決めるとき、いっさい躊躇することはなかった。彼の階級では、財産を蕩尽してしまった人間は、植民地へいくのだ。ミスター・ウォーバートンがないものねだりをするのを聞いた者はなかった。不幸な結果となった投機も、貴族の友人の勧めによったものであるとすれば、不平を言うには当たらないのである。自分が貸した金の返済を迫ることもせず、自分の負債を完済すると(彼自身は気づきようもなかっただろうが、この面では彼の軽蔑するリヴァプールの製造業者の血が明白に示されたのである)、誰の助けも求めず、これまでの人生でただの一度も働いたことのなかった彼が、生計の道を探したのである。相も変わらずほがらかで、けろりとしたまま、愉快なところも同じだった。出くわしただれかに、我が身の不運の独演会を披露して、不快な気分を味あわせるなど、ごめんだったのだ。ミスター・ウォーバートンは確かに俗物ではあったが、同時にまた紳士でもあったのだ。
数年に渡って彼が毎日往き来した貴族の友人たちに彼が頼んだのは、一通の推薦状だけだった。当時センブルのサルタンに使えていた腕利きの人物が、雇ってくれることになった。出立する前の晩、彼は最後にクラブで夕食を摂った。
「ウォーバートン、君はどこかに行くそうじゃないか」ヘレフォード老侯爵が声をかけた。
「はい。私はボルネオに行くことになりました」
「それは結構。で、そこには何をしに行くんだね?」
「そうではなくて、私は破産してしまったのです」
「おお、そういうことだったのか。気の毒なことだった。だが、戻ってくるときにはぜひ知らせてくれたまえ。向こうではうまくいくことを祈っておるよ」
「ありがとうございます。狩猟が楽しみです」
侯爵はうなずくと行ってしまった。数時間後、ミスター・ウォーバートンは、霧のなか、遠ざかって行くイギリスの海岸を見つめていた。人生の生き甲斐としていたあらゆるものを残して、彼はそこを去ったのである。
それから二十年が過ぎた。彼は何人もの貴婦人とのあいだで頻繁な手紙のやりとりを続け、愉快で他愛のないおしゃべりをしたためていた。爵位を持った人々に対する敬愛の念はいささかも翳ることなく、彼らの消息に関するタイムズの記事(発行日より六週間後に届く)には細心の注意をはらっていた。誕生、死亡、結婚を報じたコラムを熟読し、いつでも即座にお祝いやお悔やみの手紙を書けるようにしていたのである。挿絵つきの新聞は、人々がどんな装いをしているかを教えてくれるし、恒例となったイギリス訪問の折りには、あたかもつながりが途切れたこともないように、社交界の表舞台にどのような新顔が現れようが、彼はすべて心得ていたのである。上流社会に対する興味は、自分がひとかどだったころと同じように、彼の内に生き生きと脈づいていたのだった。
だが気づかないうちに、もうひとつの関心事が彼の生活にまぎれこんでいた。自分で見つけたその地位が、彼の虚栄心を満たしたのである。もはや高貴な人々をなんとか笑わせようと必死になるおべっか使いではなく、彼が主人、そうして彼の言葉が法なのだ。通りすぎるときにはダヤク族の衛兵が捧げ銃をするのを見て、心は満たされた自分の同胞を裁くのが楽しみだった。敵対する部族長同士の争いを調停するのもいいものだった。以前、首狩り族が反乱を起こしたときには、自分の挙動に対する誇らしさに胸をふるわせながら、鎮圧に乗り出したのだった。あまりに虚栄心が強かったおかげで、剛胆にふるまうことができ、彼の冷静沈着さをたたえる美談がひろまった。たったひとりで防護柵をめぐらした村に乗り込み、血に飢えた海賊どもに降伏を迫った、というのである。彼は巧みな統治者だった。厳格であり、同時にまた誠実でもあったのだった。
そうやって、彼は少しずつマレー人に深い愛情を持つようになっていった。風俗や習慣に興味を抱くようになったし、彼らが話すのを聞いて倦むことがなかった。彼らの美点を高く評価したし、欠点に対しては、微笑んで肩をすくめ、見逃してやるのだった。
「私も昔は」と折に触れ、彼は言うのだった。「イギリスの最上級の紳士たちと親しく交わっていたのだよ。だが、家柄のいいマレー人ほど立派な紳士はいなかったし、彼らこそ私の友人であると誇りを持って言えるね」
彼はマレー人の礼儀正しさや、洗練された立ち居振る舞い、温順な性質と突如として表出する情熱が好きだった。彼らとどのようにつきあったら良いのか、本能的に理解していたのである。彼らには混じりけのない愛情を抱いていたのである。その一方で、自分が英国紳士であることは、一瞬たりとも忘れることはなく、マレー人の習俗に染まるような白人にはがまんがならなかった。彼は身を任せることはしなかった。多くの白人に倣って、現地の女性を妻にするようなこともせず、ありがちな情事を持つこともなかった。ならわしとして是認されていても、彼の目からすれば、あり得ないことであるだけでなく、威厳に欠けることなのだった。プリンス・オブ・ウェールズ、アルバート・エドワード殿下から、ジョージとお声をかけられた人間が、どうして現地人などと関係を持つことができようか。
だが、イギリス訪問からボルネオに戻ってくると、いまではなにかしら安堵の念を覚えるのだった。友人も、彼同様、もはや若いとはいえなかったし、彼のことを退屈な年寄りとしかみなさない、新しい世代が登場していた。今日のイギリスは、彼の愛した若き日のイギリスにあった数々の素晴らしいものをすっかり失ってしまったように思える。だが、ボルネオは同じままだ。もはやここが彼の家なのである。できるだけ長くこの職を務めたい、そうして心の底では、引退を余儀なくされる前に死にたいと願っていたのだった。たとえどこで死ぬにせよ、亡骸はセンブルに運び、彼の愛した人々の間に、静かにながれる河の音が聞こえる場所に、葬って欲しいと、わざわざ遺言を残していたのである。
とはいえこうした感情は、人目に触れぬように隠していた。りゅうとした身なりで、がっしりとした体つき、上機嫌の男、きれいに髭を剃り、しっかりした顔で白くなりかけた髪の男の胸の底に、深い思いが大切にしまわれているとは、誰も夢にもおもわなかっただろう。
(この項続く)