陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サマセット・モーム 「出張駐在官事務所」 その5.

2008-02-29 22:20:47 | 翻訳
その5.

 彼は自分の所属する階級意識にどっぷりと染まっていたから、今後の身の振り方を決めるとき、いっさい躊躇することはなかった。彼の階級では、財産を蕩尽してしまった人間は、植民地へいくのだ。ミスター・ウォーバートンがないものねだりをするのを聞いた者はなかった。不幸な結果となった投機も、貴族の友人の勧めによったものであるとすれば、不平を言うには当たらないのである。自分が貸した金の返済を迫ることもせず、自分の負債を完済すると(彼自身は気づきようもなかっただろうが、この面では彼の軽蔑するリヴァプールの製造業者の血が明白に示されたのである)、誰の助けも求めず、これまでの人生でただの一度も働いたことのなかった彼が、生計の道を探したのである。相も変わらずほがらかで、けろりとしたまま、愉快なところも同じだった。出くわしただれかに、我が身の不運の独演会を披露して、不快な気分を味あわせるなど、ごめんだったのだ。ミスター・ウォーバートンは確かに俗物ではあったが、同時にまた紳士でもあったのだ。

 数年に渡って彼が毎日往き来した貴族の友人たちに彼が頼んだのは、一通の推薦状だけだった。当時センブルのサルタンに使えていた腕利きの人物が、雇ってくれることになった。出立する前の晩、彼は最後にクラブで夕食を摂った。

「ウォーバートン、君はどこかに行くそうじゃないか」ヘレフォード老侯爵が声をかけた。

「はい。私はボルネオに行くことになりました」

「それは結構。で、そこには何をしに行くんだね?」

「そうではなくて、私は破産してしまったのです」

「おお、そういうことだったのか。気の毒なことだった。だが、戻ってくるときにはぜひ知らせてくれたまえ。向こうではうまくいくことを祈っておるよ」

「ありがとうございます。狩猟が楽しみです」

 侯爵はうなずくと行ってしまった。数時間後、ミスター・ウォーバートンは、霧のなか、遠ざかって行くイギリスの海岸を見つめていた。人生の生き甲斐としていたあらゆるものを残して、彼はそこを去ったのである。

 それから二十年が過ぎた。彼は何人もの貴婦人とのあいだで頻繁な手紙のやりとりを続け、愉快で他愛のないおしゃべりをしたためていた。爵位を持った人々に対する敬愛の念はいささかも翳ることなく、彼らの消息に関するタイムズの記事(発行日より六週間後に届く)には細心の注意をはらっていた。誕生、死亡、結婚を報じたコラムを熟読し、いつでも即座にお祝いやお悔やみの手紙を書けるようにしていたのである。挿絵つきの新聞は、人々がどんな装いをしているかを教えてくれるし、恒例となったイギリス訪問の折りには、あたかもつながりが途切れたこともないように、社交界の表舞台にどのような新顔が現れようが、彼はすべて心得ていたのである。上流社会に対する興味は、自分がひとかどだったころと同じように、彼の内に生き生きと脈づいていたのだった。

 だが気づかないうちに、もうひとつの関心事が彼の生活にまぎれこんでいた。自分で見つけたその地位が、彼の虚栄心を満たしたのである。もはや高貴な人々をなんとか笑わせようと必死になるおべっか使いではなく、彼が主人、そうして彼の言葉が法なのだ。通りすぎるときにはダヤク族の衛兵が捧げ銃をするのを見て、心は満たされた自分の同胞を裁くのが楽しみだった。敵対する部族長同士の争いを調停するのもいいものだった。以前、首狩り族が反乱を起こしたときには、自分の挙動に対する誇らしさに胸をふるわせながら、鎮圧に乗り出したのだった。あまりに虚栄心が強かったおかげで、剛胆にふるまうことができ、彼の冷静沈着さをたたえる美談がひろまった。たったひとりで防護柵をめぐらした村に乗り込み、血に飢えた海賊どもに降伏を迫った、というのである。彼は巧みな統治者だった。厳格であり、同時にまた誠実でもあったのだった。

 そうやって、彼は少しずつマレー人に深い愛情を持つようになっていった。風俗や習慣に興味を抱くようになったし、彼らが話すのを聞いて倦むことがなかった。彼らの美点を高く評価したし、欠点に対しては、微笑んで肩をすくめ、見逃してやるのだった。

「私も昔は」と折に触れ、彼は言うのだった。「イギリスの最上級の紳士たちと親しく交わっていたのだよ。だが、家柄のいいマレー人ほど立派な紳士はいなかったし、彼らこそ私の友人であると誇りを持って言えるね」

 彼はマレー人の礼儀正しさや、洗練された立ち居振る舞い、温順な性質と突如として表出する情熱が好きだった。彼らとどのようにつきあったら良いのか、本能的に理解していたのである。彼らには混じりけのない愛情を抱いていたのである。その一方で、自分が英国紳士であることは、一瞬たりとも忘れることはなく、マレー人の習俗に染まるような白人にはがまんがならなかった。彼は身を任せることはしなかった。多くの白人に倣って、現地の女性を妻にするようなこともせず、ありがちな情事を持つこともなかった。ならわしとして是認されていても、彼の目からすれば、あり得ないことであるだけでなく、威厳に欠けることなのだった。プリンス・オブ・ウェールズ、アルバート・エドワード殿下から、ジョージとお声をかけられた人間が、どうして現地人などと関係を持つことができようか。

だが、イギリス訪問からボルネオに戻ってくると、いまではなにかしら安堵の念を覚えるのだった。友人も、彼同様、もはや若いとはいえなかったし、彼のことを退屈な年寄りとしかみなさない、新しい世代が登場していた。今日のイギリスは、彼の愛した若き日のイギリスにあった数々の素晴らしいものをすっかり失ってしまったように思える。だが、ボルネオは同じままだ。もはやここが彼の家なのである。できるだけ長くこの職を務めたい、そうして心の底では、引退を余儀なくされる前に死にたいと願っていたのだった。たとえどこで死ぬにせよ、亡骸はセンブルに運び、彼の愛した人々の間に、静かにながれる河の音が聞こえる場所に、葬って欲しいと、わざわざ遺言を残していたのである。

 とはいえこうした感情は、人目に触れぬように隠していた。りゅうとした身なりで、がっしりとした体つき、上機嫌の男、きれいに髭を剃り、しっかりした顔で白くなりかけた髪の男の胸の底に、深い思いが大切にしまわれているとは、誰も夢にもおもわなかっただろう。

(この項続く)

サマセット・モーム 「出張駐在官事務所」 その4.

2008-02-28 22:22:35 | 翻訳
その4.

「さてもまたどうしてあんなやつを送りこんで来たものか」ミスター・ウォーバートンは独り言を言った。「あんな男ばかり寄越すつもりなら、こちらとしても向こうとの関係を考え直さなくてはなるまい」

 彼は庭をそぞろ歩いていく。「砦」は小高い丘のてっぺんに位置しており、庭はくだりながら河を見下ろす崖っぷちまで続いていた。縁にはあずまやがあり、夕食がすむとそこへやってきて両切りの葉巻をふかすのが習慣だった。下の河から声が聞こえてくることもあった。声の主はマレー人で、日の明るい内には思い切って出てくる勇気もない連中の、不平を言ったり、とがめたりする声が、ひそやかに耳に届くこともあれば、情報や役に立つヒントがささやかれることもあった。ほかでは手に入らない、役人の知ることもないような話である。

籐の長いすにどさりと身を投げ出した。あのクーパー! 嫉妬の固まりで、育ちが悪く、尊大で我が強く、そのうえうぬぼれまでひどいときている。だが、夜のしんとした美しさのなかにいると、ミスター・ウォーバートンのいらだちも、いつしか治まっていたのだった。あずまやの入り口の傍らの木に咲く花は、甘い香りを漂わせているし、ホタルはぼんやりとした光を瞬かせながら、ゆるやかに銀色の軌跡を描いている。月の光は広々とした川面に一条の道を作り、シヴァの花嫁の軽やかな足が踏んでいくのを待っている。ミスター・ウォーバートンの心はいつのまにか平安に満たされていた。

 彼はいささか変わった人物で、独特の経歴のもちぬしでもあった。二十一歳で十万ポンドというかなりの額の遺産を相続し、オックスフォードを卒業すると、当時の(現在、ミスター・ウォーバートンは五十四歳である)良家の青年を待ちかまえていた華やかな生活に身を投じていった。マウント・ストリートにフラットを構え、個人用の自家用の一頭立て二輪馬車を持ち、ウォリックシャー州に狩猟小屋を買った。上流人士が集う場所は、必ず顔を出すこともした。男ぶりもよく、おもしろく、なにより金離れが良い。1890年代も初めのうち、ロンドンの社交界でひとかど人物だったのである。当時の社交界というのは、閉鎖的で、華やかさを失ってはいない頃だった。社交界を根底から揺るがしたボーア戦争など、思いもよらない頃であり、社交界がめちゃめちゃになってしまった世界大戦も、悲観主義者が予言するだけだったのである。当時、金持ちの若い男であるということは、なかなかどうして、悪くないことだったのだ。ミスター・ウォーバートンのマントルピースには、社交シーズンともなれば、つぎからつぎへと開催される大きな行事への招待状が、山積みされていたのだった。ミスター・ウォーバートンは自己満足に浸りきり、それを飾っていたのだ。

つまり、ミスター・ウォーバートンは俗物だったのである。俗物といっても、臆病なそれ、自分より立派な人物を前にすると、気圧されて恥じ入るようなタイプではなく、また、政界の大立て者や著名な芸術家と見ると、すぐに親しい間柄になりたがるようなタイプでもなく、また、財に幻惑されることもなかった。彼はまったくあっぱれなまでに平凡な俗物で、貴族が心底、大好きなのだった。かんしゃく持ちですぐ腹を立てたが、庶民におべっかを使われることよりも、貴族から冷たくあしらわれる方を、はるかに好んだ。彼の名はバーク貴族年鑑ではわずかにふれられているにすぎなかったが、遠い親戚が高貴な一族にあたり、自分もその家系に属することを、おりにふれては口にする、その見事さは実にたいしたものだった。ところが一言もふれなかったのは、実直なリヴァプールの工場主の下から母親、ミス・ガビンズが嫁いでき、彼の財産もそこから来ていたことだった。彼の社交界での暮らしも、ワイト島のカワスビーチやアスコット競馬場などで、彼が公爵夫人や、さらには皇族と同席しているようなとき、この親戚が、彼との縁故関係を明らかにでもしようものなら、恐慌を来すことになる。

 彼の弱みというのは、誰が見てもあきらかなものだったために、じき、世間の知るところとなった。だがそれが突飛なものだっただけに、むやみに軽蔑されることを免れたのだった。彼が崇拝する貴族は彼を笑ったが、胸の内ではその崇拝も当たり前のこととして受け入れていたのだ。哀れなウォーバートンは、もちろんひどい俗物だが、つまるところ、いいやつさ。

貧乏貴族のために、彼は喜んで手形の裏書きをしてやった。手元不如意になれば、彼に頼む、そうすると百ポンドは当てにすることができた。贅沢な晩餐会を開いた。トランプのホイストは下手だったが、上流人士が相手であれば、どれだけ負けようが気にしなかった。賭け事をすることがあっても、運に恵まれなくても、きれいに負ける。一度に五百ポンド負けるようなことがあっても、まったく平然としているところには、誰もが感心しないではいられなかった。

トランプに寄せた情熱、爵位への情熱に優るとも劣らぬ情熱が、彼の不運の原因になった。彼が送る生活自体がたいそう金のかかるものだったことに加えて、賭け事での損失が大きくのしかかる。最初は競馬、それから株取引と、彼は深みにはまり始めた。彼の性格にはある種、単純なところがあり、それにつけこんだ恥知らずな連中が、彼を食い物にしたのである。頭の切れる友人たちが彼のことを陰で笑っていたかどうか、私の知るところではないが、彼の方は、金を惜しみなく使うこと以外に、受け入れられることがないのを、ばくぜんと感じていたのだろう。やがて金貸しの手に落ちた。そうして三十四歳のとき、彼は破産していたのである。

(この項つづく)

サマセット・モーム 「出張駐在官事務所」 その3.

2008-02-27 22:00:44 | 翻訳
その3.

 マレー人のボーイがふたり、腰巻きに黒いビロードの帽子、真鍮のボタンのついたしゃれた白い上着といういでたちで入ってきた。ひとりはジン・パヒットを、もうひとりはトレーにのせたオリーブとアンチョビを手にしている。その後、ふたりは夕食の席に着いた。ミスター・ウォーバートンはボルネオでは最高の中国人コックを抱えていることが自慢で、そのコックはたとえ不自由な環境にあっても、すばらしい料理を作るためには、骨折りをを惜しまないのだった。かぎられた食材から最高のものを引き出す才覚をふるったのである。

「メニューをごらんになりますか?」そう言ってクーパーに渡した。

 メニューはフランス語で書いてあり、料理にはすべて仰々しい名前がついている。先のふたりが給仕に控えていた。部屋の反対側にはさらにふたりが巨大なうちわを使って、蒸し暑い空気をかき回していた。食事は豪勢なもので、シャンペンもすばらしい。

「毎日ひとりでもこんなことをしてるんですか?」クーパーが聞いた。

 ミスター・ウォーバートンは、気のなさそうにメニューに目を走らせる。「これがふだんとさほどちがっているわけではありません。私自身は小食の方なのですが、かならず毎晩ちゃんとした夕食を準備させることにしているのです。コックの腕前をさびつかせないことにもなりますし、ボーイにとっては、規律を身につけさせることにもなります」

 会話は容易なことでは進まなかった。ミスター・ウォーバートンはことさらに慇懃な態度を取ったが、そればかりでなく、相手にばつの悪い思いをさせたいという、いささか意地の悪い喜びも感じていたにちがいない。クーパーはセンブルに来てほんの数ヶ月にしかならないために、クアラ・ソロールにいる友人のことをミスター・ウォーバートンがたずねても、話はすぐに終わってしまった。

「ところで」やがてミスター・ウォーバートンは口を開いた。「ヘナリーという青年にお会いになりましたか? 最近来たと聞いたんだが」

「ええ、そうです。警察にいます。とんでもないやつだ」

「まさか彼がそんな人物だとは。友人のバラクロー卿の甥っ子にあたるのです。レディ・バラクローからつい先日、面倒をみてくれるように、という手紙をいただいたばかりなのだが」

「そんなふうな誰かの親戚だっていう話は聞きました。だからあの仕事にだって就けたんでしょう。イートンからオックスフォードへ行った、なんてことを、のべつまくなし、言い続けてるんだ」

「それは驚きだ」ミスター・ウォーバートンは言った。「かれこれ二百年、あの一族はみんなイートンからオックスフォードへ進んでいるんです。そんなことは彼にしてみたら当たり前のことのはずなんだが」

「いばりくさったやつだ」

「君の出身校はどちらかな?」

「ぼくはバルバドスの生まれです。そこの学校を出ました」

「なるほど」

 ミスター・ウォーバートンはこの短い返答にありったけの侮蔑をこめたために、クーパーの頬も紅潮した。しばらくのあいだ、彼は押し黙ったままだった。

「クアラ・ソロールから二通か三通、手紙を受けとっているんです」ミスター・ウォーバートンは続けた。「それによると、ヘナリーはなかなかよくやっているようだったんだが。なんでも一流のスポーツマンらしいですね」

「ああ、その通りです。まったくたいした人気者ですよ。K.S.(※クアラ・ソロール)にいるような連中にはもってこいなんでしょう。ぼくなんぞ、一流のスポーツマンなんてまったく用はないんですが。長い目で見たら、ゴルフやテニスが普通の人間よりうまくったって、それが何になるっていうんです? ビリヤードで一撞目七十五出したって、いったい誰が気にするんでしょう。イギリスじゃなんでそうしたくだらないことをありがたがって夢中になるんだろう」

「君はそう思うということですね? 私は一流のスポーツマンは、あの戦争でも、誰より立派に戦ったという印象を受けているのですが」

「ああ、戦争のことがお聞きになりたいんですか。ぼくは実際に行ったんだからよく知ってますよ。ぼくはヘナリーと同じ連隊にいたんです。兵隊はみんな言ってましたよ。いくら金をもらってもやつと一緒にいるのはご免だ、って」

「どうしてそれを?」

「ぼくもそのひとりでしたから」

「ああ、君は将校ではなかったんですね」

「将校なんてものになれるチャンスがあるわけないじゃないですか。ぼくなんぞ、いわゆる植民地育ちってやつなんですから。パブリック・スクールに行ったわけじゃなし、縁故だってありゃしない。ずっと一兵卒のままです」

 クーパーは顔をしかめた。口汚くののしりそうになるのを、やっとのことで抑えたらしい。ミスター・ウォーバートンはそれをじっと見ていた。小さな青い目を細め、よくよく観察し、彼に対する見解を固めたのである。話題を変えて、クーパーが担当することになる仕事の話を始めた。やがて時計が十時を打ったので、彼は立ち上がった。

「さて、これ以上お引き留めするのはよしましょう。君も長旅で疲れているでしょうから」

 ふたりは握手を交わした。

「そうだ、あのですね」クーパーが言った。「ボーイをひとり見つけてもらえませんか。ぼくが使っていたやつは K.S.を発つとき、いなくなってしまったんです。荷物や何やかや積み込んでたんですが、いつの間にか行方をくらましたんですよ。そのことに、舟が出てしまうまで気がつかなかった」

「私が使っているボーイ長に聞いてみましょう。誰か見つけてくれるはずだ」

「わかりました。ぼくのところへ寄越すようにおっしゃってください。とにかく使うかどうかは見てみたいから」

 月が出ていたので、ランタンを使う必要はなく、クーパーは「砦」を横切って、自分のバンガローに戻っていった。

(この項つづく)



※昨日書くのを忘れてました。「鶏的思考的日常vol.17」サイトにアップしました。自分でもこんなこと書いてたなんて忘れてました(笑)。懐かしい話です。お暇なときにでもまたのぞいてみてください。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

サマセット・モーム 「出張駐在官事務所」 その2.

2008-02-26 22:14:11 | 翻訳
その2.

「そうです。それとも、ぼく以外にもお待ちの方がおいでなんですか?」

 そう聞き返したのも、冗談のつもりだったようだが、弁務官はにこりともしなかった。

「私がウォーバートンです。君のお部屋に案内しましょう。荷物は運ばせます」

 ウォーバートンは先に立って細い道を進んでいき、小さなバンガローがぽつんと立っている庭に入っていった。

「できるだけ住み心地の良いように作らせてはあるのですが、実際、ずいぶん長い間、ここには人が住んでこなかったものですからね」

 バンガローは杭を組んで作ったものだった。広いヴェランダの向こうには細長い居間、そのさらに奥は廊下をはさんで寝室がふたつ、という構造である。

「まったく申し分ありません」クーパーは言った。

「おそらく君も風呂に入って、着替えたいところでしょう。もし今夜、食事を私と共にしてもらえれば、大変ありがたいのだが。八時ではいかがかな?」

「ぼくならいつでもいいですよ」

 弁務官は丁重な、だが、いくぶんとまどったような笑みを浮かべ、そこを離れた。自分の住居のある「砦」に戻っていく。アレン・クーパーから受けた印象はあまり好ましからぬものではあったが、彼は公正な人間であったから、わずかに瞥見しただけで、彼に対する評価を下すのはまちがっていることも理解していた。クーパーは三十歳前後であろう。背の高い、痩せた体つきで、貧相な顔つきには血の気のさしているところがひとつもない。顔全体が同じ色合いなのである。高いかぎ鼻と青い目をしていた。バンガローに入って、日除け用ヘルメットを取り、控えていたボーイに投げて渡したミスター・ウォーバートンは、そのときクーパーの大きな頭、茶色い髪を短く刈り込んだ頭は、脆弱で小さな顎と何か奇妙なほどちぐはぐな感じだったことを思いだした。カーキ色の半ズボンと同じ色のシャツという格好をしていたが、どちらもヨレヨレで薄汚れていた。ヘルメットも型崩れしていたし、何日も洗ったこともなさそうだった。ミスター・ウォーバートンは、あの若い男も蒸気船で一週間も沿岸に沿って航行してきたし、そこからさらにこの四十八時間は帆掛け舟の底に横になって過ごしていたのだ、と考え直した。

「夕食にはどんな格好で来るか、わかるというものだ」

 ミスター・ウォーバートンは自分の部屋へ入ったが、そこは私物が整然と配置されていて、まるでイギリス人の召使いを抱えているかのようだった。服を脱ぐと階段をおりて浴室に入り、冷たい水を浴びた。ここの気候に唯一譲歩したのは、ディナー・ジャケットを白にすることで、あとは、礼装用シャツ、高い襟、絹の靴下にエナメルの靴という、ロンドンのポール・モール街のクラブに夕食に出かけるような、フォーマルな出で立ちだった。入念なもてなし役として、彼はダイニング・ルームに入っていき、テーブルがぬかりなく用意されているか確かめた。蘭は華やかに咲き、銀器は輝いている。ナプキンも凝った形に畳んであった。銀の燭台には覆いがかけてあり、柔らかな光を投げかけている。ミスター・ウォーバートンは満ち足りた笑みを浮かべ、居間に戻って客を待った。まもなく客が現れた。クーパーはあのカーキ色の半ズボンにシャツ姿、それにボロボロのジャケットという上陸の時と同じ格好である。出迎えたミスター・ウォーバートンの微笑は、そのまま凍りついてしまった。

「ひゃぁ、たいそうなおめかしですねえ」クーパーは言った。「あなたがそんな格好でいらっしゃるとは夢にも思いませんでした。腰巻きで来るところでしたよ」

「いや、たいしたことではありません。君のところの使用人たちも忙しかったのでしょう」

「わざわざぼくのために正装していただかなくても良かったんです」

「そうではありません。私はいつも夕食は正装することにしています」

「おひとりでも?」

「ひとりのときは特にそうしているのです」ミスター・ウォーバートンは氷のようなまなざしを向けた。

 クーパーの目がおもしろがっているようにきらりと光ったのに気がついて、ミスター・ウォーバートンは怒りに赤くなった。短気な男なのである。紅潮したその顔に浮かぶ、いまにも食ってかかりそうな表情からも、白くなりかけてはいるが赤毛からも、そのことは見て取れるだろう。青い目は、概して冷静かつ鋭いのだが、突如、怒りに燃えることもあるのだった。とはいえ世間をよく知っており、公平でもあろうとしてもいた。たとえこんな男が相手でも最善を尽くさなければ。

「ロンドンにいたころに出入りしていたような世界では、毎晩、夕食に正装しないのは、毎朝入浴しないのと同じくらいの変人だということになっていたのですよ。ボルネオに来ても、こうした良い習慣を続けない理由が見つからなかった。戦争中の三年間は、私は白人にひとりも会わなかったが、食事におりてこれないようなときをのぞいては、一晩たりとて正装を怠ったことはないんです。君はこの国に来て日も浅い。だが、言っておきます。君が抱いておくべきプライドを保つには、これに優る方法はないのです。白人がほんの少しでも周囲に左右されるようなことがあれば、即座に自尊心を失うことになってしまうし、自尊心を失ってしまえば、現地人はその瞬間に、白人を尊敬することをやめてしまうにちがいない」

「なるほどね。生憎、ぼくに礼装用のシャツや固いカラーを期待していただいても、この暑さじゃ、ご期待には沿えないかもしれません」

「ご自分のバンガローで食事をするなら、もちろん好きな格好をすればいいでしょう。だが、私と食事を楽しんでいただけるような折には、文明社会で通常、みなが着ているような格好をするのが、唯一、礼儀にかなうことだと、そのうち君もわかってくださるでしょうがね」

(この項つづく)

サマセット・モーム 「出張駐在官事務所」 その1.

2008-02-25 22:36:16 | 翻訳
今日からしばらくサマセット・モームのThe Outstationを訳していきます。
この"The Outstation" は、従来『奥地駐屯地』と訳されていましたが、「駐屯地」は軍隊が留まる場所のことで、この主人公は植民地に駐在する外交官です。そのため、ここでは「駐屯地」という訳語を避けることにしました。
「出張駐在官事務所」というのはかならずしも適語ではないのですが、ここれは仮にこの訳語を当てておくします。

二週間くらいをめどに訳していきます。
原文は
http://maugham.classicauthors.net/outstation/
で読むことができます。

* * *
The Outstation(「出張駐在官事務所」)

by サマセット・モーム


 新しい補佐官がその日の午後、到着した。弁務官ミスター・ウォーバートンは、帆掛け舟が見えました、という報告を聞いて、日よけのヘルメットをかぶると、桟橋まで下りていった。護衛兵である八人の小柄なマライ系ダヤク族の兵士が、直立不動の姿勢で彼を見送る。護衛兵たちの物腰が軍人らしく、軍服も折り目正しく清潔、銃も輝いていることを満足げに見て取った。この兵士たちこそ彼の功績だった。

桟橋から河がカーブしているところを、いまにも舟がやって来るのではないかと見つめていた。清潔なキャンバス地のズボンと白い靴を履いた彼は、なかなか隆とした風采である。頭の部分が金になっているマラッカステッキを小脇に抱えていたが、それはマレーシア北部にあるペラ州のサルタンから贈られたものだった。

新任者を彼は複雑な気分で待っていた。この地方の仕事を一人でつつがなく務めていくには、かなり無理があるし、自分の管轄区域を定期的に巡回に出向くようなときには、駐在官事務所を現地の事務官に任せるのだが、これも具合の悪いことだった。とはいえ、長いあいだそこでは彼がたったひとりの白人だったので、もうひとりがそこに加わることには不安の念を覚えずにはいられない。孤独であることにはすっかり慣れていた。戦争中など、イギリス人の顔ひとつ見ないで三年間を過ごしたのだ。農林省の役人に宿を提供するよう指令を受けたときは、パニックに襲われて、未知なる来訪者の到着予定日になると、歓迎会の手はずをすべて整えた上で、どうしても上流区域に行かなければならないので、と置き手紙だけ残して、逃げ出してしまったのだった。そうして客がそこを出立したという知らせを受けとるまで、そこに留まったのだった。

 いよいよ帆掛け舟が広い箇所に姿を現した。舟を漕ぐのはさまざまな判決を言い渡されたダヤク族の罪人たちで、桟橋では彼らを刑務所につれて帰ることになっているふたりの看守も待っていた。漕ぎ手たちは河に慣れた屈強な男達で、力強い棹さばきを見せていた。舟が桟橋に横づけされると、棕櫚の日除けの下から男が出てき、舟を下りた。護衛兵たちは捧げ銃をした。

「やっと着いた。やれやれだ。もうぎゅうぎゅう詰めでね。おっと、あなたに手紙を言付かってきました」

 その口振りはことのほか快活である。ミスター・ウォーバートンは礼儀正しく手を差し出した。

「ミスター・クーパー、でしたね?」

(この項つづく)

テレビ今昔

2008-02-24 22:24:17 | weblog
人によっては外から帰ってきて一番にスイッチを入れる電化製品が、暗いときの照明を除けばテレビである、という話も聞くのだが、あなたの場合は何ですか。
パソコンを立ち上げるのはもう少しあとだろうか。
この時期だと何を置いても暖房器具かな。わたしの場合、ポケットに入っているi-podを取り出して、スピーカーにさし込み、そのまま続きを流すことも少なくない。
そんなとき、まず思いつかないのがテレビなのである。

そんなふうに、テレビを見る習慣を持たないわたしなのだが、このところ諸事情から妙にテレビを見る機会が多くなってしまった。

そういうなかでおもしろいと思ったのは、クイズ番組だった。それもおそろしく簡単な、小学校の三、四年生でも十分知っていると思われるほどの簡単なクイズが出題される。そうして、ほとんどの人にとっては常識以前と思われるような知識さえ、知らない回答者が登場するのである。おそらくこれはそういう知識のない出演者を笑うべき番組なんだろう、とは思ったのだが、ひどく変な気がした。かれらはほんとうにそんなことさえもわからないんだろうか。それともわからないふりをしているだけなんだろうか。

もちろんそういう番組にも、博識な人というのは出てくるのだが、そういう人を「ああ、いろんなことを知っているんだなあ」「頭がいいんだなあ」と感心するよりも、あきらかにウェイトは「何にも知らない人を笑うこと」に置かれているような気がする。

こんなふうに公然とバカにされ、笑われるというのは、何かの役を演じているのならともかく、つらいことではないのかと思うのだが、当人たちはいたって屈託がない。そのうち、この人たちはほんとうにわからずにやっているのだろうか、それとも、まるでドラマで常識のないとんちんかんな登場人物を演じるように、自分の名前(本名または芸名)を持ったある種のキャラクターを演じているのかもしれない、と思うようになった。

彼らの言動は、完全に演じている、ともいいきれない。もしこれが演技であれば、逆にすごいと思う。だが、ほんとうに何も知らず、それこそ「天然」でああなのか、とかならずしもいいきれないような気がする。
ほんとうにそうなのか、そういうキャラクターを演じているのか、わたしたちはその「尻尾」がつかみたくて、つい見てしまう。
視聴者をそんな確定不能性のなかに置くというのが、そういう番組のねらいなのだろう。

その昔、ドラマで悪役とされている人は、ほんとうに悪い人と思われていた。いまのわたしたちはまちがっても、たとえ悪役専門の人であってもそういう人が悪い人とは思わない。

それでも、芸能ゴシップが相も変わらず取りざたされるのは、表面の顔の向こうの「真実の顔」の手がかりが得られるからだろう。表の顔はしっかりしているように見えても、実はいい加減な性格を示すような事件が起こったりすると、視聴者はその人の素顔を知ったように思うのだ。「あの人、あんなふうにカッコつけてるけど、実はだらしないのね」というふうに。あるいは「悪ぶって見えても、あんな豪邸建てたりして、意外と計算高いんだ」というふうに。あるいは「弁護士の役とかやったりして、賢そうなふりしてるけど、そんなにたいしたことないね」というふうに。

ところが、簡単なクイズにも答えられないタレントを見ると、わたしたちは彼や彼女がいったいなんのためにそういうことをやっているのかよくわからない。よくわからないために、彼や彼女の素顔がいっそうわからなくなってくるのだ。

最近のテレビには、何をやっているのかよくわからない人たちがたくさん出ている。役者ともいえない、歌手ではない、モデルなのかなんなのか、とにかくよくわからない人たちだ。おそらくそういう人たちは、簡単なクイズにも答えられないとか、とんちんかんなことを言うとかの、「いったいなんのためにそういうことをやっているのかわからない」ことをやるために、テレビに登場しているのだろう。わたしたちは、おそらくその「いったいなんのためにそういうことをやっているのかわからない」ことを見ながら、彼や彼女たちが「どういう人なのか」を想像するために、彼や彼女たちを見ているのだろう。

テレビが初めて一般家庭に入りだした頃、プロレス中継で、フレッド・ブラッシーというアメリカ人レスラーがかみつき攻撃をして、レスラーが血を流した。それを見て、老人がショック死した、という話を聞いたことがある。これは事実というより、一種の都市伝説なのだろうか。それでも、多くの人はそれほどまでに真剣にテレビを見ていたということにはちがいない。わたしたちはこの時代からどれほど遠くまで来たことか。

これがテレビとの洗練されたつきあい方かどうかはわからないが、ともかくその遠さを思うのである。

嘘は方便

2008-02-23 22:30:58 | weblog
先日「嘘をつく話」という文章を書いたのだが、それについてもう少し。

嘘をつくことに対して、真実を言う、というのは、どういうことなのだろう。

知り合いと会った。相手は興味もないことをくどくどと話し始めた。いい加減で切り上げたいと、「ごめん、急用を思い出した」と言う。これは嘘だ。

だが「もうそんな話、聞きたくない。帰るよ」と言ったとする。
はたしてこれは真実なんだろうか。

たしかにその一瞬を切り取れば、それは真実と言えるだろう。だが、彼とそれっきり縁を切りたいわけではない。それほど好きではないが、かといって嫌う必要もない。まして相手から恨まれたりはしたくない。つかずはなれず、知り合いという関係を保っていたいと考えたとする。そういう未来をも視野に入れた考えでいくと、
「もうそんな話、聞きたくない。帰るよ」
というのは、かならずしもその人の真実とは言えないのではあるまいか。むしろ、「ごめん、急用を思い出した」のほうが、その人の心情に近い発言ではないか。

あるいは別れ話をする人間が、相手を傷つけまいとして「あなたのことがきらいになったわけじゃない」と言う。これは真実ではないかもしれない。けれども傷つけまいとするのは、別れ話をうまく進めるためだけなのだろうか。もはや恋愛感情はないけれど、相手を傷つけたくはないという思いは「きらいになったわけじゃない」とどれほどちがうのだろうか。

以前にも引用した夏目漱石の「模倣と独立」に「その罪を犯した人間が、自分の心の径路をありのままに現わすことが出来たならば」という部分があるのだが、おそらく人間にはそういうことはできない。漱石も、そういうことは小説にしかできないといっているように思う。過去と現在と未来が織り込まれている人間の「心の径路」は、おそらく「ありのままに現わすこと」はどうしても無理なことなのである。

言葉はどれほど「真実」であろうとしても、かならず言葉にならない部分があるし、その時点で意識にのぼらない部分もある。そうした意味で、百パーセントの真実を言うことは不可能なのだ。

だからこそ、自分の言葉の嘘の部分、自分がかならずしもほんとうに頭にあることだけを言っていないということに、意識的である必要があるように思う。
「方便」として嘘を言っているのなら、それは何のためか。自分はいったい何を意図してこの嘘をついているのか。「方便」とはあくまでも「ある目的を達するために用いる便宜的な手段」(明鏡国語辞典)なのだから。

ところが多くの場合、わたししたちは「嘘も方便」という言葉を、目的とは関係なく、自分を正当化するために使っているような気がしてならない。
というのも、わたしたちは相手の嘘に関しては、この言葉を使わないからなのだ。

誰かが事実に反することを言ったことが明らかになったとする。わたしたちはそういうときに決して「嘘も方便」とは言わない。単純に「だまされた」と言う。
けれど、本当にそうだったのだろうか。相手も何か目的があって、それを達するために「便宜的に」そう言ったのでは?
相手の心の底でいったい何が起こったからそう言ったのか、わたしたちは知ることができないのに、ただ、だまされた、と言い、嘘をつかれた、と腹を立てる。
そういう場合にこそ「嘘も方便」だから、自分にはうかがいしれない理由があったにちがいない、と考えるべきなのではないのだろうか。

だから「嘘も方便」というときは、少し注意が必要のように思う。


ここでもういちどカントの「殺人者の問いかけ」の例に戻って考えてみたい。
殺人者がやってきて聞く。「やつはどっちへ行った?」

ここで、頼まれたとおりに「家に帰った」と言うとする。
ここで確かに真実は損なわれるかもしれない。
けれども、そのことでこの人の命は助かり、こののち、わたしとこの人のあいだに関係が続いていくとすれば、この時点で損なわれた真実も、また築いていけるかもしれないと思うのだ。

真実を言わなければならないとして、彼が逃げた方向を示すとする。殺人者は追いかけて、その人を殺してしまったとする。その人との関係はもう築くことができない。
そういう未来に「真実」はあるんだろうか。

サイト更新しました

2008-02-21 22:13:45 | weblog
先日ここで連載していた坐ることにまつわるさまざまな話を加筆修正して「坐ったままでどうぞ」としてサイトにアップしました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

多田道太郎の書いていた『いやな感じ』の該当箇所もちゃんと見つけました(笑)。もうそれが一番うれしくて(笑)。
"What's new"はまた明日。
またお暇なときにでも遊びに来てください。

ということで、それじゃまた。

迷惑をかけたって

2008-02-20 22:15:06 | weblog
先日定期検診のために病院に行った。
待合室に腰かけていると、おなかの大きなおかあさんが、畳んだベビーカーをひきずりながら片手に一歳ぐらいの子を抱いて、ともすれば立ち止まりそうになる二歳半くらいの女の子の背を膝で押しやりながら歩かせ、さらには後ろを歩いている四歳くらいの子がちゃんとついてきているかどうかときどき振り返ってみながらやってきた。もう見るだけで「大変そう……」と思ってしまう光景だった。

もう病院に来るのにも慣れているようで、お母さんが赤ん坊を抱いてどこかへ行ってしまっても、上のふたりはそれぞれに袋に入れて持ってきたおもちゃだのお人形だのを取り出して遊び始めた。だが、おとなしく遊んでいたのつかのま、そのうちふたりはケンカを始めた。大声でわあわあ言い合い、叩いたり髪をひっぱったり。あまりのやかましさに、看護師さんが出てきて、何か注意したようだった。するとふたりは手をつないで奥の方へ行ってしまった。やがて向こうでキャッキャッと言いながら走り回っている声がする。あたりには「最近の親は……」という空気が充満していた。

そのうち、わたしの番号が呼ばれて、わたしは処置室に向かった。
診察だのなんだのを終えて戻ってきてみると、一番上のお姉さんは椅子に坐って本を読んでいた。一番下の子がおぼつかない足取りで、ヨチヨチ歩きをしている。二番目の子はその近くで妹の歩くのを見ていた。すると、赤ちゃんが倒れかかり、それを支えようとした真ん中の子も、支えきれずに一緒に真後ろに倒れてしまった。ゴン、という音がして、その子は後頭部を打ったらしい。ふたりで大声で泣き出した。

そこにお母さんが戻ってくる。下の子は抱き上げ、真ん中の子は「あんた、何したん」と押し殺した声で叱り始めた。泣きやまない子を「ええかげんにせんか」「泣くのやめんかったら、注射してもらうで」と脅す。その子は頭は痛いし怒られるし、泣きやみそうもない。事情を説明しようかと思っているうちに、真ん中の子は泣きじゃくりながらも事情をなんとか説明し始めた。親というのはえらいもので、端の人間にはいっこうに理解できないような話でも、だいたいのことはわかったらしい。それでも「おまえが悪いんやろ?」「できもせんことをやろうとして」と叱り続けた。

そのうち、そんなに叱るのも、あたりの空気「いまどきの若い親」に気兼ねしたためであるのかもしれない、と思えてきた。
確かに子供はやかましい。それでも、見てくれる人がいなければ、関係ない子供でも病院につれてこないわけにはいかない。静かにしろ、といってさせられれば苦労はない。スイッチを切ってしまうわけにはいかないのだ。退屈すればぐずぐずいう。元気が余れば走り回る。つねに手元に置いておくわけにもいかない。

ほんとうなら、もっとみんなが「迷惑をかけあって生きるのが世の中なのだ」と思えればいいのだろう。やかましい子供がいても見守ってやる、というふうに。
だが、「人に迷惑をかけない」がよしとされるのが世の中なのである。迷惑をかけつづける子供を抱える親は、いよいよ肩身がせまくなる。こちらを見る視線は突き刺さるようだ。だからことさらに叱らなければならない。自分だってちゃんとしつけをしているのだ、と見せなければならない。
ああ、なんとしんどい話だろう。子供を三人抱えて、おなかにもうひとりいるだけで、十分すぎるほどしんどいのに。

溜息をつきたくなる光景を見たあと、精算をすませ、薬局へまわって帰途についた。
自転車で走っていると、目の前をのろのろとくだんの一個連隊が歩いていた。さっきあれほど泣いていた真ん中の子は、大きな声で楽しそうに唄を歌っていた。

嘘をつく話

2008-02-19 22:26:50 | weblog
以前、幼稚園に入ってまもなく、お弁当のことで嘘をついた話を書いたことがあるが(「晩ご飯、何食べた?」)、家ではもっと小さい頃から嘘をよくついていた。そのことで母にもずいぶん怒られたし、自分でも恥ずかしいことだと思っていたのだ。それでも、失敗したら怒られる、となると、その失敗を隠したくなるし、幼稚園の友だちが、新しいお人形を買ってもらった自慢を聞けば、「わたしだってこんど買ってもらうの」と、つまらない見栄をはったこともある。何のためか自分でもよくわからないのだが、ただ作り話をするのが楽しくて、そういう話をしたこともあった。いつだって後味は悪かったし、人をだまして楽しかったことはない。にもかかわらず、つい、嘘をついてしまう。もしかしたら「虚言症」という病気かもしれない、と思ったこともあった。


後年、倫理学の勉強をしているとき、カントの「殺人者の問いかけ」という例題を知った。

殺人者に追われている人が、あなたの家に駆け込んできて、「わたしは家に帰った、と言ってください」とあなたに頼む。そうして、家とは反対の方角に逃げたとする。
つぎに殺人者がやってくる。
「やつはどっちへ行った?」
もし正直に言ったら、この殺人者は彼を見つけてしまうだろう。しかも、彼がやってきた方角を考えると、黙っていたら、おそらく逃げた方向へ彼もまた向かうであろう。

さて、あなたはどうすべきか?

多くの人は、おそらく迷うことなく頼まれた通りに嘘を言うだろう(というか、現実にはまず相手を自分の家にかくまって、すぐに警察を呼ぶだろうから、この設定自体がいまの時代には当てはまらなくなってしまっているのだが)。

ところがカントときたらこう考えるのである(話をいささか単純化しているのでご注意のほど)。

まず、人間は誰もがいつでもかならず従える道徳規則に従わなくてはならない。
だが、ここでウソをついたら、「人は時と場合によっては嘘をついてもよい」という規則に自分は従ったことになる。
この規則は人間は誰もがいつでもかならず従える道徳規則と言えるだろうか? 
もし「嘘をついてもよいことがある」という規則があったとしたら、この規則が嘘ではないことをどうやって保証したら良いのだろう。こんな規則を決めてしまうと、人びとは互いに信じ合うことができなくなってしまう。
それゆえに、わたしは嘘をつくべきではない。

カントは、嘘が害を及ぼすから嘘がいけない、と言ったわけではないのである。たとえ嘘が結果として良いことをもたらすように見えても、真実は損なわれる。だから嘘をついてはいけないのだ、と。

わたしは長いこと、この意味がよくわからなかったのだ。
それが、最近、少しわかるようになってきた、というか、こんなふうに考えたらどうだろう、と思うようになったのだった。

わたしはずっと、嘘をついているのは、どこかで自分だけではないか、と思っていたのだ。もちろんそうではないことは頭では理解していても、自分を除くほかの人は、常に真実を言っているものとして、人の話を聞き、会話を交わしていた。現実に、そうでなければ会話など成立しないし、人とつきあうこともできないから。一方、そうではない自分を責めていた。責めながら、やはり自分を良く見せたり、失敗をごまかしたり、話を面白くするために嘘を混ぜていた。意識しないまま、いつのまにか嘘になることもよくあった。

だが、自分と相手も同じように嘘をついていたとしたら。わたしと同じように、自分を良く見せたり、失敗をごまかしたり、いつのまにか嘘になるような言葉遣いをしているとしたら。

つまり、わたしは「真実」というのが、いわゆるデフォルトの状態で、嘘を言うのはそこからの逸脱、とずっと考えて、自分を責めていたのだけれど、むしろ、つい嘘をつく、意識的無意識的に嘘をついてしまうのが人間であるとしたら。それでも、相手を信頼し、相手からも信頼され、そうすることで、共同作業として作り上げていこうとする理想の彼方にあるものが「真実」なのだとしたら。

さて、夏目漱石は、「模倣と独立」という講演のなかでこんな話をしている。
元来私はこういう考えを有っています。泥棒をして懲役にされた者、人殺をして絞首台に臨んだもの、――法律上罪になるというのは徳義上の罪であるから公に所刑せらるるのであるけれども、その罪を犯した人間が、自分の心の径路をありのままに現わすことが出来たならば、そうしてそのままを人にインプレッスする事が出来たならば、総ての罪悪というものはないと思う。総て成立しないと思う。それをしか思わせるに一番宜いものは、ありのままをありのままに書いた小説、良く出来た小説です。ありのままをありのままに書き得る人があれば、その人は如何なる意味から見ても悪いということを行ったにせよ、ありのままをありのままに隠しもせず漏らしもせず描き得たならば、その人は描いた功徳に依って正に成仏することが出来る。法律には触れます懲役にはなります。けれどもその人の罪は、その人の描いた物で十分に清められるものだと思う。

「ありのままをありのままに書き得る人があれば、その人は如何なる意味から見ても悪いということを行ったにせよ、ありのままをありのままに隠しもせず漏らしもせず描き得たならば、その人は描いた功徳に依って正に成仏することが出来る」というのは、ほんとうに重い言葉であると思う。真実というのは、本来こういうものではないのか。

けれど、それができないから、ほんとうのことを言おうとしても、つい嘘が混じり、相手だけでなく自分に対しても嘘が混じるのが人間なのだろう。だからこそ、嘘をつかないように努力しなければならないのだ。嘘をつこうと思えば、たとえそう思っていなくても嘘をついてしまう人間が、相手を信頼し、相手からも信頼されるために、「真実」を共同作業として作り上げていかなくてはならないのだと思う。

もちろん人間関係のなかでは、別に会えてうれしくもない相手であっても「お久しぶり~」とうれしそうな顔をしなければならないこともある。けれど、ほんとは会いたくなかった、という言葉も、百パーセント、混じりけ無しの真実と言えるわけではないだろう。
久しぶり、とにこやかに挨拶することによって、お互い気持ちよくつぎにつなげていく。するといつかはその「久しぶり」も真実になるかもしれない。

こんなことを考えていると、カントには怒られてしまうかもしれないけれど。