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 陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その5.

2012-07-30 23:52:33 | 翻訳

その5.

 次の日、わたしたちは家に戻るため、列車に乗らなければならなかったのだが、駅まで行く途中、わたしは町にある一軒の食料品店の前で、タバコを買おうと立ち止まった。お金を払うと、店主が話しかけてきた。

「家は見つからなかったんでしょうな」

「ええ」わたしはびっくりしたのだが、のちのち、その店主がわたしたちの家の問題ばかりか、子供たちの歳や名前のことも、前の晩に肉を食べたことも、おまけに夫の収入までお見通しであることを知ることになる。

「フィールディングのところに目をつけなかったのは、うまくなかったですな」

「そんなところ、ちっとも教えてもらえませんでした」

「あんたがたに電話しようかと思ったんですよ」と店主は言った。「でも、メイ・ブラックが言うには、あんたがたが探しているのは売り家だけだ、って言うもんでね。売りに出してるわけじゃないんです。フィールディングの家は」

「どんな家なんですか?」

 店主はなんとなく手を振ってみせた。「古い家です」と言った。「長いこと、ある一家の持ち家だった」店主は、小さな男の子が差し出した5セント玉を受け取ると、棒付きアイスの包み紙をはがすのを手伝ってやってから言った。「サム・フィールディングに電話してみちゃどうです? やつならきっと喜んで案内してくれると思いますよ」

 この町では、電車は一日に一本だけだ。もしフィールディング邸を見るのに時間がかかったら、わたしたちは明日までここを出られなくなる。わたしはためらった。それを見て店主は言った。「見るだけだったら、別に損はしないと思いますがね」

 わたしは店の外へ出て、夫が友人夫妻と一緒に待っている車の窓に首を突っ込んだ。
「フィールディング邸っていう家のこと、聞いたことがある?」

「フィールディング邸ですって?」友人夫妻の妻の方がそう言うと、夫の方が「なんでまたあんな家のことなんか言い出すんだ?」

「その家がどうかしたの?」とわたしはたずねた。

「うーん」と妻の方が言った。「千年くらい前に建った家よ」

「百万年は経ってるさ」と夫の方。そうして、まったくどうしようもない、という仕草をしてみせた。「家の真正面にばかでかい柱が何本もそびえてるんだぜ?」

「列柱のうしろに家屋があるのか?」と夫が聞いた。「もしほんとにそうなら、それに、配管が通っていて暖房設備があってベッドルームがあって、うちに貸してくれるって言うんなら、そこに決めたよ」

 フィールディング邸は町から一キロ半ほど離れた、たいそう古い家だった。その界隈ではどこよりも古く、町全体でも三番目に古いという。実のところ、わたしたちはそこの家の前を何度も通っていたのだ。ミセス・ブラックやミスター・ミラーやミスター・ファーバーに案内されて他の家を見に行く途中、何度も通っていたことがわかったときには、軽くショックを受けた。

この家は――引っ越してまだ日も浅いころに、町の歴史をひもといて、このことを知ったのだ。当時はわたしもこの家になんとかなじもうとして、無駄な努力をしていたのである。――1820年代に、オーグルビーという医師によって建てられていた。オーグルビー医師は、大農園の真ん中にある荘園屋敷のような家を建てようとしたのだ。当時、地方では古代古典様式の再ブームがおこっていて、ミスター・オーグルビーもおそらくはギリシャ神殿を模したのだろう。正面にまず四本の列柱を配し、両翼を張り出させたところで、生まれついての「ニュー・イングランド的倹約精神」が頭をもたげ、圧倒的な全面のうしろに、一部屋ぶんの奥行きしかない家を建てたのである。



(この項つづく)





シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その4.

2012-07-29 22:18:14 | 翻訳

その4.

 マキャフリー邸にはきっと配管設備があったのだろう。というのもその家は丘のてっぺんに建っていたのだが、そこへのぼっていく道は舗装されておらず、雪のせいで通行不能だったから、そこまで行けなかったのである。

「まずこれをどうにかしなきゃね」とミセス・ブラックは言い、わたしたちはみんな、丘の麓から、てっぺんにある家を見上げた。

 革ジャンを着て耳当てつきの帽子をかぶったミスター・ミラーとかいう人は、わたしたちをドナルド邸という家に案内してくれた。きれいな家で、沼沢地の中にぽつんと一軒建っている。わたしたちが暖房がない、と言いがかりをつけたが、ミスター・ミラーは、二、三千ドルもかければ暖炉を作ることができる、と指摘した。「ストーブであっためりゃいいんですよ。わたしならそうします」とミラー氏は言う。「暖炉ほど金がかからんからね」

「金が……」と夫が言った。

「ひょっとして」とミスター・ミラーは疑わしげに夫を見やった。「旦那は家まわりの仕事が得意な方じゃないですかね?」

 ミスター・ファーバーというのは、チェックの狩猟ズボンをはき、タバコを紙で巻く人物で、わたしたちをグラント邸へ連れて行ってくれた。たった三間しかない家で、かわいらしい庭がついている家だった。それからエグゼター邸に行く。大きくてやたらとあちこちに張り出していて、暖房設備も、配管設備までも整っていた。「実際のところ、ここはほんとにいい家でしょう?」ミスター・ファーバーは、羽目板張りのダイニングルームに突っ立ったまま驚嘆しているわたしたちに向かってそう言った。「五万ドルですが、もうちょっと下げさせることもできるはずですよ」

「ご……」夫が言った。

「まあ」ミスター・ファーバーは悲しげに言った。「お客さんはこんな高い物件には興味はないだろうとは思ったんですが、まあ、目の保養にはなるんじゃないかと思いましてね」

 翌朝九時にわたしたちを迎えに来たのは、ふたたびミセス・ブラックで、わたしたちをハバード邸に案内してくれた。そこは古い農家を改造した家で、床はうっとりするほど美しいし、天井は高いし、暖炉もあれば、壁はさわやかな色合いに塗ってある。ガレージまであったが、なぜか寝室がなかった。「居間だけで長さが20メートル以上もあるんですよ」とミセス・ブラックは言った。「言ってみればこれもワン・ルームタイプですよね」とためらいながら。それから「三、四千ドルもかければ、建て増しもできますよね」と明るい見通しを語ってくれた。

「でも、わたしたちは賃貸をさがしているんです」とわたしは悲痛な声を出した。「何かを取り付けたり、建て増ししたり、掘り返したりしたくはないんです。わたしたち、引っ越してくるより前に、あらかじめ一切合切がちゃんとしている家をお借りしたいんです」

 ミセス・ブラックはため息をついた。しばらくのちに、「すてきな家があるんです。エグゼター邸というのですけれど」と言った。「大きくて、みなさんにはほんとうにうってつけ。お値段は……」

 二日目のしまいには、そこなら貸してくれるかもしれない、という話を聞いて、わたしたちは納屋まで見に行く羽目になっていた。だがそこは雌牛が二頭とトラクターに占拠されていて、ミセス・ブラックの楽天的な提案――牛舎の区画なら、簡単に子供たちのベッドルームになる――も、わたしたちの気持ちを動かすにはいたらなかった。

「まあ」ミセス・ブラックは、わたしたちを友人の家の前まで送ってくれたあとにこう言った。「あなた方はこれまで市内に住むところがあっただけでも、とっても運が良かったんだと思いますよ」

 その夜、疲れ切ったわたしたちは、友人の家の居心地良い居間に腰を下ろしていた。屋根の下、安全で、一時的ではあったけれども保護され、家を与えられたわたしたちは、なんとか計画を立てようとした。四月も二日となり、二通目の立ち退き勧告書をすでに受け取っていた。すっかりやけくそになり、トレイラーを借りるか、子供たちを祖父母のところに住まわせるか、そうでなければテントとカヌーを借りて、五大湖探索に乗り出そうか、とまで言い出す始末だった。

「エグゼター」と夫が情けない声で言った。「エグゼター、マキャフリー、グラント。バシントン、ハバード、ドナルド。マキャフリー、バシントン、ドナルド、グラント。エグゼター、ハバード……」

「配管設備のない家には、絶対に住めないわよ」とわたしが言った。

「暖房設備もな」と夫が言った。「マキャフリー、ハバード……」

「うまくいけば大家さんに期限を先送りしてもらえるかもしれない」うまくいくとも思わず、わたしはそう言った。「わたしたちがこんなにいっしょうけんめいやってる、ってわかったら、二、三週間だけでも延長してくれたっていいはずよ」

 友人夫妻はすわったまま、同情するように頭を振った。そうはいっても、彼らの家は支払いもすみ、地盤の上にしっかりと据え付けられ、暖房はつつがなく稼働し、配管設備は十分に手入れされているのだ。

「金が少しでもあったらなあ」と夫が言い、誰もがため息をついた。


(この項つづく)




シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その3.

2012-07-28 23:13:27 | 翻訳
その3.


 かつてわたしたちは、ヴァーモント州に移り住むことに何よりあこがれていた。そこにはわたしたち共通の知り合いである夫婦が住んでいて、山並みや、自宅の庭で遊ぶ子供たち、純白の雪や自家栽培のニンジンについて、熱を込めて語る手紙を寄越していたのだ。それがにわかに目の前に迫ってきた。ちょうどヴァーモントに引っ越すか、さもなければ公園でテント暮らしをするしかない、とでもいうように。

わたしが市内の不動産屋に五、六軒電話をかけてみたところ、どこでも同じように、大家さんが笑ったのと同じように、軽く笑われてしまったのである。中の一人は「一緒に住まわせてくれる親戚はいらっしゃらないんですかね?」とまで言ったのだった。

 かくして未知なる領域に突進する勇敢なふたりの冒険家さながらに、わたしたちは子供を祖父母に預けると、先発の偵察部隊として、スーツケースとオーバーシューズをたずさえ、列車に乗って旅立ったのである。向かうは友人の住む小さな町、山並みは高く、雪の美しいところである。

わかったのは、雪に関してはまったく嘘いつわりがない、ということだった。わたしたちが街で使っているオーバーシューズは、列車から一歩外へ踏み出すと足首までめりこんでしまい、結局ふたりとも、三日間というものずっと、靴下にひっかかったまま溶けていく氷のかけらと一緒に、濡れっぱなしの足で歩き回る羽目になったのだった。

 ひとつ助かったのは、空き家ならいくらでもあるということだった。わたしたちはそのことを、ミセス・ブラックという女性から聞いたのだ。ミセス・ブラックはいかにも母親、という感じの年配の女性で、住んでいるのは近くにある大きな街だが、自分でいうには、この州にあるのなら、家という家、世帯という世帯を知悉している、とのことだった。ミセス・ブラックがわたしたちを案内してくれたのは、彼女の言葉によると「バシントン邸」という家で、そこはわたしたちと、わたしたちの本と、子供たちにとって、完璧なものだった。もし配管系統が整っていれば、の話だったが。

「配管工事をするのなんて、たいしてかかりはしませんよ」とミセス・ブラックはわたしたちに言った。「配管設備さえ整えれば、ほんとにすばらしい家を手に入れることができるんですからね」

 夫は雪の中で神経質そうに体の位置を変えた。「あの、ですね、そこが問題で……まあ、その……金のことが」

 ミセス・ブラックは肩をすくめた。「配管工事にどれほどかかるっていうんです?」と問い詰める。「おそらく千二百、千五百ドルってところでしょう、それで、こんなすてきなお家が自分のものになるっていうのに」

「ちょっと待ってください。千五百ドルあればアパートの管理人にくれてやって……」と夫が言い出したので、わたしがあわてて割って入った。「ブラックさん、お忘れかもしれませんが、わたしたちが探しているのは賃貸なんです」

「賃貸、ねえ」ミセス・ブラックはそう言うと、これでこの連中が当てにならない連中で、家を見に来たのも物見遊山だったことがやっとわかった、といわんばかりの顔をした。「でもねえ、わたしがあなたがただったら、小さいお子さんなんかもいるんだから、きっと買うでしょうねえ」

「でも、金が……」と夫が言った。

「お金ですって?」ミセス・ブラックはばかにしたように言った。「たかだか二、三千ドルの話じゃありませんか」そこで少し考えたようだった。「こういうのはどうかしら」と明るい口調になる。「自分で修繕する、っていう方法もありますよ。配管を引いて、ちょっとペンキを塗って、ほんのいくつか修理もご自身でなさったら、ずいぶん安く上げることができるはずです」

 ミセス・ブラックはそう言いながら夫の目をまっすぐに見つめたので、夫は弱々しく笑ってうなずいた。おそらく一瞬、自分が配管を引いている幻想が脳裏に浮かんだのだろう。

「おわかりでしょう?」ミセス・ブラックは追及の手をゆるめない。「二、三千ドル払って申し込めば、銀行のヘンリー・アンドリュースが一番抵当に取ってくれます。いくつか改良工事をする署名をして――そうしたらあとは権利書と、そうね、たぶん純資産額について教えてもらったらいいだけ。実際のところはヘンリー・アンドリュースがちゃんと話してくれますよ。もちろん税金のこともね。あと、お望みなら保険も。それから暖房や電気のこともちゃんとしなくちゃ。配管はたぶん、ビル・アダムズがやってくれますよ。割引価格でね。だってこの家の持ち主はビル・アダムズの奥さんのお姉さんなんだもの。それで、もうおしまい。十年、十五年もすれば、ここにステキなお家があって、しかもそれはあなた方のお家なんですよ。そうしないでいたら、いつまでたっても家賃を払い続けなきゃならないところなのに」

「でも、金の問題が……」夫が言った。

 ミセス・ブラックはよどみなく言葉を続ける。「ここがいやならマキャフリー邸がお気に召すかもしれません。そこなら配管も通っているし」


(この項つづく)




シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その2.

2012-07-27 22:17:57 | 翻訳
その2.

大家さんは親切な人で、どことなく父親のような人だった。だからまず、わたしが元気にしているかどうかをたずね、つぎに夫についても同じことをたずね、坊やは元気か、赤ちゃんはどうか、と聞いて、わたしが、元気です、みんな元気にしています、と答えてから、話を切り出した。

むろん、奥さんは賃貸契約が切れることをご存じでしょうな、と。

わたしは、そうなんですか、賃貸契約が切れるなんて、全然知りませんでした、と言った。

すると大家は、そうですか、お宅ではこのところ賃貸契約書を見てはいらっしゃらないんでしょうな、という。

わたしは(この前、ローリーがビリビリにして食べてしまった紙がその契約書ではなかったろうか、と考えながら)、ええ、ほんとうをいうと、大家さんと一緒に腰を下ろして契約書を読んでから、もうずいぶんになりますわね、と言った。

それは困ったことになりましたな、と大家さん。

そうなんでしょうね、とわたし。

というのも、と大家さんは軽い調子で続けた。この部屋はもう他の方に貸してしまったんですよ。

一分ほど間をおいて、わたしはこう言った。貸した、ですって? 他の人に? それからわたしは笑いながらこういった。じゃ、わたしたち、どうしたらいいんですの? ――引っ越すとか? 

大家さんは言った。まあ、そういうことですな。そうしてもらうことになるでしょうな。

「言うまでもないことなんだが」と話をつづけた。「その気になれば、こっちはお宅をほっぽり出すことだってできるんでね」

「ほんとにそんなこと、なさるおつもり?」わたしはふたりの我が子のために、大統領に嘆願の手紙を書こうか、と考えていた。

「でも、それよりはお宅が自分から引っ越してくだすった方がいいでしょう?」と大家。

「でも、どこへ?」

大家さんは優しそうな笑い声をあげた。「ほかに分からないことはありますかな」と言ってこう付け加えた。「今日び、部屋を見つけるのは、容易なことじゃないんでね」

「うちもあちこち探してみます」わたしは曖昧に言った。手紙だ。弁護士宛の。以前、夫がヒゲを剃っていたときに、上からしっくいのかけらが降ってきたことがあったが、そのことで家主を訴えてやる。

「五月一日ごろまでに部屋を明け渡してもらえませんかな」と大家さんは言った。

「今日は三月二十五日ですよ」

「そうですな。家賃もそろそろいただかないと」そう言うと、大家さんはまた笑ったのだった。

 その翌日、わたしたちは「第一次退去勧告書」なる手紙を受け取った。わたしは煮え立った油を窓からぶちまけ、ダイニング・テーブルでドアにバリケードを築こうか、と考え始めた。何よりわたしと夫を憤慨させたのは、わたしたち自身が賃貸契約を更新するつもりがなかった、という点だ。ばくぜんと、ではあるが、新しいところが見つかった日には、すぐにでも引っ越そうと思っていたのだ。

「とんでもないことよね」わたしは憤慨しながら夫に言った。「階段が壊れてるのに、修理もしないで、この部屋をよその人に貸そうだなんて」

「つぎの人に、ゴキブリのこと、メモで教えてやった方がいいな」夫がそう助言をくれた。その他にも夫は何かはっきりとしない理由で(しっくいの件だろうか、それとも隣人のラジオの音だろうか)告訴した方がいい、と熱心にわたしを焚きつけていた。そうしてわたしの肩をぽんぽんと叩きながら、君が新しい家をずっと必死で探していたのはよく知っているから、と言ってくれた。


(この項つづく)



シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その1.

2012-07-26 23:07:48 | 翻訳
ずっと忙しかったのですが、なんとかそれも終わったので、少し楽しいものの翻訳でもやろうかと思います。

シャーリー・ジャクスンの "Life Among the Savages" の第一部を訳せるところまで訳していこうと思っています。以前訳した 「チャールズ」は、この中の一部でもあります。
もちろんフィクションではありますが、「くじ」のジャクスンの日常を垣間見ることのできる、楽しい作品です。

なるべくがんばって毎日訳そうとは思いますが、まあなにぶんたらたらと少しずつ訳していくので、ときどきのぞきに来てみてください。





"Life Among the Savages" (野蛮人との生活)

by Shirley Jackson




第一部


 わたしたちの家は、古く、騒々しく、あふれかえっている。ここに引っ越してきたとき、わたしたちは子供ふたりと約五千冊の本を抱えていた。そのうち何もかもがあふれだしてもう一度引っ越しを余儀なくされる頃には、子供二十人と軽く五十万冊を超える本を抱えているにちがいない。そのほかにも、大小さまざまなベッドがあるし、テーブルに椅子、木馬、電灯、お人形のドレスや船の模型、絵筆、それから比喩ではなく、言葉通りに何千という靴下がある。

これこそが、夫とわたしがうかうかとはまりこんでしまった生活なのである。言ってみれば、井戸に落っこちたけれど、そこから出る方法がないというので、覚悟を決めてそこに腰を落ち着けることにして、椅子やつくえや明かりの案配をしたようなものだ。

そうは言っても、これこそがわたしたちの生活であり、それ以外の生活というのをわたしたちは知らない。面食らうこともしょっちゅうだし、ある種の人たち、真っ暗な中でとっさに、いままさに自分が踏んづけようとしているのが、こわれたセルロイドの人形であると鮮明に察知する能力をもたない人たちから見たら、理解を絶するような生活とさえ言えるのかもしれないのだが。

わたしには、いま以上に好ましい生活など、考えてみることすらできない。子供と本がなく、ホテル暮らしで掃除洗濯をやってもらい、食事も運んでくれて、やることといったらソファに寝そべるだけ……といった生活を除けば、の話だが(わたしにはこれ以上の生活は、想像することすらできない)。とはいえ、この境地に達するまでには数限りないほどの妥協を余儀なくされてきたのである。

 ときにわたしは居間にある雑多なもの、サンドウィッチの袋やこまごまとしたものを見渡して、わたしたちを取り巻く文明の複雑なことに、ほとほとあきれてしまうのだ。こうしたものを一切合切片付けてしまって、必要なもの(コーヒーポット、タイプライター、必要不可欠なこまごまとしたもの)だけに減らしてしまえば、ずいぶんすっきりするのではあるまいか。そこで――たいてい春にそういうことを始めるのだが――わたしはさまざまなものを捨て出す。すると、そうしたこまごまとしたものがなくても、十分居心地よく暮らしていけることが判明するのだが、ほとんどそれと同時に新しいこまごまとしたものが出現するのである。これがいわゆる進歩なのではあるまいか。こまごまとしたものは新しくどんどんと作りだされてゆく。なくなってしまうより早くはないかもしれないが、少なくともわたしが捨てるよりは速やかに。


 ずいぶん前のことではあるが、わたしはその朝のことをよく覚えている。家主が電話をかけてきた日のことだ。

息子のローリーは三歳半、娘のジャニーは六ヶ月で、わたしは昼食の支度をあらかた終え、おむつも洗って、小さなシャツやねまきやよだれかけや綿毛布と並んで、風にはためいているところだった(人になんと言われようがかまうものか。これこそ朝の仕事、というものである。そのほかにもブラウニーを焼き、灰皿を空けたことも考慮に入れれば)。そうしてそのときに、大家からの電話があったのだ。


(この項つづく)