陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

2010年陰陽師的開運本

2009-12-31 23:06:54 | weblog

2010年陰陽師的開運本~これであなたも絶好調!



「陰陽師的日常」では、当ブログに足を運んでくださったみなさまに「開運本」をお届けします。これを読めば開運まちがいなし!

まず、あなたの基本的な傾向を知らなければなりません。
ふたつの質問から、あなたにピッタリのおすすめ本を見つけてください。
深く考えず、パッと思いついた答えを選んでください。

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Q1. 巧己のお父さんの茂雄には三人の子供がいます。長男が一茂、長女が三奈、では三番目の子供の名前は何でしょう。

 1.正興 …と答えた人はQ2.へ
 2.二郎 …と答えた人はQ3.へ
 3.巧己 …と答えた人はQ4.へ

Q2. 映画を見に行くとします。あなたがもっとも当てにならないと思うのはどれですか。

 1.全米が泣いた、というキャッチフレーズ …おすすめ本1へ
 2.わたし、怖いのがダメなの、というガールフレンド …おすすめ本2へ
 3.「いまなら良い席が取れます」という表示 …おすすめ本3へ

Q3. あなたが一番そのとおりだと思うのは以下のどれですか。

 1.「忙しい」という人は、実は時間の管理がヘタ …おすすめ本4へ
 2.「友だちが多い」という人は、携帯をやたらのぞく …おすすめ本5へ
 3.「統率力がある」という人は、単に声デカいだけ …おすすめ本6へ

Q4.あなたにもっとも当てはまるのはつぎのどれですか。

 1.異性のストライクゾーンは広いのだが球が来ない …おすすめ本7へ
 2.前から来る人に声をかけられたので「どうかしましたか」と返事をしたら、話しかけていたのは後ろの人だった …おすすめ本8へ
 3.トランプ占いで結果が気にいらないと、「今のは練習」と声に出してやり直す …おすすめ本9へ

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◆ Q1. で1.を選んだ人は、茂雄+一茂+三奈で思いついた名字をググりましたね?
思いついたらぱっと検索するあなたは、調べ物が苦にならない人。そんなあなたには、あなたの世界を広げる本をおすすめします。

おすすめ本 その1.

アメリア・アレナス『なぜ、これがアートなの? 』(福のり子訳 淡交社)

1を選んだあなたは調べることが苦にならず、かといって評判にも惑わされない、独自のセンスを大切にする人。そんなあなたにおすすめなのがこの本です。
なぜセザンヌの描いたリンゴの絵は「すばらし」くて、ジャクスン・ポロックを前にすると「わからない」と思ってしまうのか。印象派が画期的だったのは、ほんとうはどういう点で、なぜ現代絵画は「わけがわからない」のか、目からウロコが落ちること請け合い。

おすすめ本 その2.

柳田国男『妖怪談義』(講談社学術文庫)
デートでもホラーを選んでしまうあなたにはこの本を。
オバケは何と鳴くでしょう。実はモーと鳴くらしいのです。「モー」なんて牛でもあるまいし、と思った人は、ぜひこの本を読んでみてください。

おすすめ本 その3.

ピエール・ブルデュー『メディア批判』(桜本陽一訳 藤原書店)

映画会社のキャッチフレーズを鵜呑みにしないあなたにはこの本を。
新聞、テレビなどのマスコミを批判する本は数あれど、なぜわたしたちはテレビでの発言に「権威」を感じるのか、視聴率競争がなぜ番組の質を低下させるか、いろんなことがわかってくる本です。

◆ Q1. で2.を選んだ人は、一茂、三奈という名前の関連から、「二」のつく名前が出てくるにちがいないと論理的に推理した人。そんな人には論理的思考をさらに鍛えるための本をおすすめします。

おすすめ本 その4.

渡辺慧『認識とパタン』(岩波新書)

論理的思考を優先し、しかも時間の使い方に長けたあなたには、新書がおすすめ。この本には「醜いアヒルの子と白鳥」のちがいと「白鳥のペア」のちがいには論理的に見て差がないことが書いてあります。amazonのレビューにはおっかないことが書いてありますが、そんなに怖い本ではありません。

おすすめ本 その5.

町田健『コトバの謎解き ソシュール入門』(光文社新書)

コミュニケーションに関心のあるあなたには、この本を。わたしたちは言葉を使って意思疎通を図っていますが、よく考えるとこれは不思議なことです。ものを直接見せ合っているわけでもないのに、どうしてわたしたちは分かり合えるのか。言葉の不思議について書かれたなかでは、とってもわかりやすい本だと思います。

おすすめ本 その6.

白川静『孔子伝』(中公文庫BIBLIO)

あるべき指導者についてはっきりしたイメージを抱いている人にはこの本を。ちょっと有名すぎて、いまさら、という感じはするのですが。これとはずいぶんちがいますが、谷崎潤一郎が書いた孔子像『麒麟』もおもしろい。これは全集以外では、『明治の文学』シリーズの『永井荷風・谷崎潤一郎』の巻に所収されています。

◆ Q1. で3.を選んだ人は、文章を読み慣れた人。さっと読んでもポイントを逃しません。そんな人には読む楽しさをとことん味わえるものを。

おすすめ本 その7.

野上弥生子『迷路』(岩波文庫)

球が来るまでこの本を読んで待ってください。大丈夫、十分長さがあります。

おすすめ本 その8.

イザベラ・バード『日本奥地紀行』(高梨健吉訳 平凡社ライブラリー)

異文化コミュニケーションというのは勇気だということがよくわかります。知らない人と会話するのも小さな異文化コミュニケーション。とまどうことも楽しんじゃってください。

おすすめ本 その9.

ハインリヒ・マン『アンリ四世の青春』(小栗浩訳 晶文社)

読解力に優れ、やり直しをいとわないあなたには、重厚長大な本がおすすめ。時空を超える歴史文学の楽しさを堪能できます。つづきがまだ読みたかったら『アンリ四世の完成』もあります。

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本年もブログ「陰陽師的日常」ならびに「ghostbuster's book web」を読んでくださってありがとうございました。

ときどき何を読んだらいいか、聞かれます。
自分の読みたいものを読めばいい。それ以上の答えはありません。
けれども「自分の読みたいもの」がわからない。
ガイドというのは、それを知る助けになるものではないでしょうか。

これまでの自分の視界には入ってこなかった本を読む。自分の世界が広がると同時に、それを楽しみ、感動している自分を知る。自分をのぞきこんでいるだけでは決して知ることのできない、自分との出会いでもあります。

本なんて非現実的なことをやっていず、現実を見ろ、という言い方があります。このあいだ「感情的」という言葉に批判的なニュアンスがこめられていることを書いた(「感情的?or 理性的?? ――女はほんとうに感情的か」)のですが、「非現実的」というのも、非難の調子がこもっています。

けれど、現実というとらえどころのないものを、どうやってとらえればいいのでしょう。
現実を理解し、尊重するためには、言葉であるとか人間であるとか社会であるとかを、決まり決まった見方ではなく、見ることが必要なんじゃないか。そのための方法が、他の人の考え方を知る、つまりは本を読むことではないのかと思います。

それまでの自分にはなかった考え方を知り、自分のものにしたとき、人は自分の小さな枠を超えることができます。
行ったことのないところへ。
見たことのないところへ。

――歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。(夏目漱石『それから』)

本と一緒に歩いていきましょう。
2010年もよろしくお願いします。


(※新年一日は残りのオーウェルを訳して、二日、三日とお休みします。余力があれば(笑)更新情報も書きます。)




ジョージ・オーウェル「なぜわたしは書くのか」その3.

2009-12-30 23:35:40 | 翻訳
その3.

 このようなさまざまな衝動は、たがいにぶつかり合わずにはいられないし、人により、時代により、不可避的に移り変わっていくのもまた確かである。生来――性格というものを、大人と呼べる年代になる前に獲得した資質であるとするなら――、わたしは四番目の動機より、前の三つの動機の方が上回る人間である。平和な時代なら、きらびやかな文章を書くか、もっぱら描写に頼る作品を書き、政治的信念に目ざめることもなかったにちがいない。ところが実際は、否応なく政治問題のパンフレットを書くような類の人間になってしまったのである。

まず、五年間というもの、自分にはまったく不向きの職業(ビルマのインド帝国警察)に就き、そののち貧困と挫折を強いられた。そのために、生来の権威に対する嫌悪感はいよいよ強まり、労働階級の存在に、初めて完全に目ざめたのである。しかもビルマで働いたことによって、帝国主義の本質についても、部分的には理解できるようになっていた。だが、こうした経験だけでは、鮮明な政治的姿勢を固めるには十分ではなかったろう。そこにヒトラーが現れ、スペイン戦争を始め、さらに数多くの出来事が起こったのである。1935年が終わろうとするころになっても、まだわたしは、はっきりとした決断には至ってなかった。そのころ、自分の味わっていたジレンマを表明した短い詩を書いている。

  二百年前に生まれていたら
  ぼくは幸せな教区牧師になっていただろう
  永遠の生命についての説教をし
  クルミの木が伸びていくのを愛でていただろう

  だが、なんということだ、このまがまがしい時代のせいで、
  ぼくは喜ばしき天国を逃がしてしまった
  牧師ならきれいに剃るはずのくちひげを
  ぼくは生やしている

  だが、しばらくは時代も悪くなかった
  ぼくたちは他愛もないことに笑い転げ
  悩みさえもかき抱いて揺すってやれば
  木々のふところに抱かれてやすらかに眠った

  何も知らないぼくたちは自分の喜びにかまけていたが
  いまやそんなものはいつわりになってしまった
  あのころはリンゴの枝に留まったヒワにも
  ぼくの敵は震え上がったものだったのに

  だが娘たちの体も、あんずも
  木陰の流れにいる鯉も、
  馬も、明けの空に飛ぶ鴨も
  いまはすべてが夢だ

  二度と夢見ることは許されない
  ぼくたちは喜びをたたきつぶし、包み隠す
  馬はクロム鋼の馬となり
  チビのふとっちょがそれにまたがる

  ぼくは身をよじることもない芋虫
  ハーレムのない宦官
  司祭と人民委員にはさまれ
  ユージン・アラムのように歩いていく
  (※ユージン・アラム18世紀イギリスの文献学者だが、殺人の容疑をかけられ逃亡し、   十四年後捕まり、裁判の後、処刑された)

  そうしてラジオが鳴るるなかで
  人民委員がぼくの未来を予言する
  だが司祭は車のオースティン・セブンを約束してくれた
  だって賭け屋のダギーはかならず払ってくれるのだから

  大理石の城に住んでいる夢を見た
  目が覚めてそれがほんとうだと気がついた
  こんな時代に生まれてくるはずじゃなかった
  スミスはどうかな? ジョーンズは? そして君は?


 スペイン戦争や1936年から37年にかけて起こったさまざまな事件は、わたしの秤は大きく一方に傾き、以降は自分の立つ位置も定まった。1936年以降にわたしが書いた本格的な作品は、どの一行を取っても、直接間接に全体主義を批判し、自分が理解するところの民主社会主義を支持している。わたしたち自身が生きているこの時代に、このような問題について書かずにすませられると考える方がどうかしている。誰もがなんらかのかたちでこのことにふれている。問題は、どちらの側につくか、どのように取り組んでいくかに過ぎない。そうして、みずからの政治的傾向について理解が深まれば深まるだけ、美的にも知的な面でも自分の信念を犠牲にすることなく、政治的に行動する機会は増えていくのだ。



(この項つづく)



サイト更新のお知らせとジョージ・オーウェル「なぜわたしは書くのか」その2.

2009-12-29 22:49:31 | 翻訳
その2.

 わたしがこうした自分の生い立ちをこまごまと語るのは、ひとりの作家がどのような執筆の動機を持っているか判断しようとしても、幼少期がどのようなものだったかを知らないままではむずかしいと思うからである。

作家の問題意識は、生きた時代によって決まる――すくなくとも、混乱し、至るところで革命が勃発するいまの時代にあっては、そのことがいえる――が、実際に書き始める前の段階で、感情的な枠組みというものは、ある程度までできあがっているのだ。そうしてその枠組みからは、人は決して完全には逃れることができないのである。

少なくとも自分が選んだ仕事である以上、自分の性格を律し、未熟な段階をくぐり抜け、性格的な面での偏りを改めるための努力が必要なことはいうまでもない。だが、もしかれが、幼少期に受けた影響と完全に縁を切ってしまえば、書こうとする動機そのものが死に絶えてしまう。

生活のため、ということを別にすれば、書くことには――少なくとも散文を書こうとする場合――四つの大きな動機があるように思う。個々の作家によって、その割合には差があるだろうし、同じ作家であっても年代や生活環境に応じて変わっていくだろうが、ともかく以下の四つはかならずあるはずだ。

 まず第一に、単なるエゴイズムである。頭がいいと思われたい、有名になりたい、死後もなお名前を残したい、子供のころ自分をこづきまわした連中を、大人になってから見返してやりたい……といった気持である。こんなことが動機、しかも強力な動機であるはずがないというふりをしても、そんなものはインチキだ。作家も科学者や芸術家、政治家や弁護士、軍人、成功した実業家といった、言うなれば社会の上層を形成する人びと同様に、この性質を有しているのだ。

ほとんどの人びとは、ここまで激しい自己中心性を見せることはない。三十歳を過ぎるころには、ひとかどになろうという野心さえ棄て――実際には多くの場合、ひとりの人間であるという意識さえ棄てたも同然となって――もっぱら他人のために生きるようになるか、きつい労働に息も絶えだえになるかだ。

だが、ほんのひとにぎり、天分を与えられ、なおかつ頑固で、自分の命が尽きるまで、自分だけの人生を生きようと決意した人びとがいて、作家というのもこの種族の一員なのである。純文学者はおそらく金銭への関心は大衆作家には劣っても、虚栄心と自己中心性では、はるかに優っているにちがいない。

 第二に、美に対する情熱である。外部に広がる世界の美しさや、反対に、的確な言葉の適切な配置が織りなす美に対する感受性。音と音のぶつかり合い、上質の散文の緊密な構成、すばらしい物語の持つリズムに出会ったときの至福の気持。自分が味わった貴重でかけがえのない体験を、ほかの人と分かち合いたいという激しい情熱。

美的な動機という面ではきわめて薄弱な作家も大勢いる一方で、専門家の手になるパンフレットや教科書の中にも、実用からではなく、心に訴える言葉やフレーズが、忘れられなくなることもある。また、活版の植字やページの余白サイズに、目を楽しませるということも。鉄道の乗り換え案内以上のものならどんな本にも、かならず美的関心のいくばくかは払われている。

 第三に、歴史的衝動がある。ものごとをあるがままに見て、真実を見つけ、記録に留めて、後世に伝えたいという情熱である。

 第四に、政治的目的――この「政治的」という語は、可能な限り広い意味で使いたい。世界をある方向へ変革したい、ほかの人びとが追い求めている「理想の社会」のイメージを変えていきたい、という情熱。重ねて言うが、政治的なバイアスのかかっていない見方などありえない。芸術は政治に関わるべきではないという主張自身が、ひとつの政治的態度にほかならないのだ。



(この項続く)

* * *

サイトに「感情的? or 理性的??――女は感情的か」をアップしました。
楽しく読んでもらえたらな、と思っています。
お暇なときにでもまた遊びに来てください。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html


ジョージ・オーウェル「なぜわたしは書くのか」その1.

2009-12-28 23:43:30 | 翻訳
今日からジョージ・オーウェルのエッセイ " Why I Write" を訳していきます。
短いものだから年内に終わりたいと思うのですが、もしかしたら越年するかもしれません。

原文はhttp://www.orwell.ru/library/essays/wiw/english/e_wiwで読むことができます。


* * *


"Why I Wright" (なぜわたしは書くのか)

by George Orwell


(その1)


 わたしの場合、ごく幼いうちに、おそらく五歳か六歳のころには、自分が大人になったら作家になることがわかっていた。十七歳から二十四歳にかけては、どうにかしてこの予感に逆らおうとしたものだが、そうしながらも、いまはただ自分が持って生まれた性質に背こうとしているだけで、遅かれ早かれ自分は本を書くことになる、という思いが揺らぐことはなかった。

 わたしは三人きょうだいの真ん中ではあったが、上とも下とも五つずつ歳が離れており、しかも八歳になるまで、父親の顔を見ることもまれだった。そのせいもあって、わたしには孤独癖のようなものが身についてしまい、長ずるにつれ、かたくなさまでもが加わったため、学校時代を通じて人気者となったためしがなかった。

孤独な子供がよくやるように、お話をこしらえては想像上の人物と会話していたのだが、つまるところ、わたしの文学的野心の萌芽は、孤立感と人から軽んじられてきた経験が、ないまぜになったものだったのだろう。自分にとって言葉をあやつるのはたやすいことであり、不快な現実からも目を背けないでいられる度胸が備わっていることも知っていた。だからこそ、日常生活でうまくいかなくても、そこから一歩退いて、自分だけの世界を作り上げればいいと思っていたのである。

そうはいうものの、ちゃんとした――というか、自分ではちゃんとしたものだと思っていた――書き物は、子供時代から少年期を通じても、全部合わせて五~六ページにも満たなかったにちがいない。初めて詩を書いたのは四歳か五歳のときで、母がわたしが語るのを書きとめてくれたのである。覚えているのはただ、虎についての詩だったことと、その虎には「イスみたいな歯」が生えている、という一節があったことだけだ――なかなかいいフレーズではあるが、おそらくブレイクの「虎よ、虎」の着想をそっくりいただいたにちがいない。

十一歳のとき第一次世界大戦が勃発し、わたしは愛国的な詩を書いて、地元の新聞に掲載された。さらにもう一度、二年後にキッチナー将軍の死をうたった詩も載った。もう少し大きくなってからは、折にふれてジョージ王朝様式で「自然詩」を書こうとしたのだが、こちらはひどいもので、いずれも最後まで書き上げることすらなかった。短編小説を書こうとしたこともあるが、これまたおぞましい出来ばえだった。以上がこの時代にわたしが形にした、未来の傑作のすべてである。

 だがこの年代は、ある意味では文学活動に浸っていたといってもよかった。まず、頼まれるままに、さほど楽しむこともなく書き飛ばした文章がある。学校の課題は別にしても、滑稽な即興詩を、いまから考えると信じられないほどの速さで書くことができたし、十四歳のときには、アリストファネスをまねて、詩劇を一週間ほどで書き上げたこともあった。校内誌――印刷されたものも、手書きのものもあった――の編集も手伝った。ご想像どおりこうした雑誌の多くは、貧相で面白半分の域を出ないものだったが、いまのわたしなら、仮に最底辺の雑誌に載せる文章であっても、あれほど気楽に書き殴ることはない。

だが、こうしたものと並行して、およそ十五年以上も、わたしはまったく種類のちがう文学的修業を重ねていた。それは、自分自身についての「物語」を、たえず紡ぎ続けることである。頭の中にだけ存在する日記ともいえよう。だが、おそらくこれは幼年期から思春期にかけて、多くの子供がしていることなのではなかろうか。

まだほんの小さなころは、自分がたとえばロビン・フッドになったように空想し、主人公の自分が胸躍る冒険に乗り出す場面を思い描いたものだった。だが、ほどなく、わたしの「物語」はナルシシストじみたお粗末な時期を脱し、自分の行動や見たものの、忠実な描写を心がけるようになる。しばらくのあいだ、こんな文章がわたしの頭を駆け回るのだ。

「彼はドアを押してその部屋に入った。モスリンのカーテンの向こうから差す一筋の黄色い陽光が、テーブルを斜めに横切っている。テーブルのインク壺のとなりには、半分口を開けたマッチ箱がある。右手をポケットにつっこんだまま、彼は窓辺に歩いた。眼下の通りでは、枯れ葉を追う三毛猫が走っている」などという具合に……。

この習慣は、二十五歳ごろまで、要するに作家として立つまでずっと続いた。的確な言葉を探さなければならなかったし、実際、うまく見つけることもできたのだが、反面、自分の意思に逆らっているような、外部の強制によって記述させられているような気もした。この「物語」には、それぞれの年齢でわたしがあこがれていた、さまざまな作家の文体の影響を受けていたにちがいないが、記憶にあるかぎりでは、描写の綿密さの質は保っていたはずである。

 十六歳になったとき、わたしは突然、ただの言葉に過ぎないものが与える喜び、たとえば響きであるとか、言葉のかもしだす多様なイメージなどといったものに目ざめた。たとえば『失楽園』のこんな一節。

  かくて彼は困難と闘い、辛酸をなめ
  進みつづけた 極に達した困難と辛酸の中を

いまとなっては、さほどすばらしいとは思えないような箇所に、背筋がしびれるほどの興奮を覚えたのである。「彼」のつづりが‘he’でなく‘hee’となっていることまでが感動を増した。

描写の大切さについては、すでに十分認識していた。わたしが書こうとしていた本、つまり、当時のわたしが“こういう本が書きたい”と思っていた本がどんなものかはあきらかだった。自然主義的な大長編小説、悲劇的な結末をもち、細密な描写にあふれ、巧みな比喩を駆使し、響きを存分に生かした語句をふんだんにちりばめた、絢爛たる文体の作品である。そうして実際に、わたしの初めて完成した長編小説『ビルマの日々』――実際に筆を執ったのは三十歳になってからだが、腹案を抱いていたのははるかまえにさかのぼる――は、そうした傾向に沿ったものだ。


(この項つづく)


プライバシーは隠し事?

2009-12-27 22:57:46 | weblog
その昔、住んでいたところで、収集日のゴミの出し方が問題になったことがあった。分別されていないために、ゴミ回収のトラックが来ても、置いていかれてしまうのだ。取り残されたゴミ袋を、当番の人が中身を改めて、出した人のところへ戻す、ということが、何度かあったらしい。

回覧板で注意と一緒に経過説明が回ってきて、わたしはなんとおそろしい、と思った。自分が出したゴミの中身を他人に改められるのだ。冗談じゃない、とやたら神経質になってしまった。さらにはまちがっても名前があるようなものは棄てないように気をつけて、ダイレクトメールなどは手回し式のシュレッダーを買って、キコキコと細かくして出すようにした。ところが気にならない人は気にならないのか、そもそもそんな人は回覧板すら見ないのか、事態は一向に改善されなかったらしい。分別の呼びかけはそれからあとも何度も続いた。

ゴミ袋の中身を見るなんて、プライバシーの侵害ではないか、という声もあったらしい。自治会の会長が書いた「お知らせ」には、プライバシーなどというのは後ろ暗い人の言いぐさで、自分の名前を袋に書けるほど、きちんとゴミの分別をしてほしい、という内容のことが書かれていた。

どうやらプライバシーというのは、その人にとっては「隠し事」という意味らしかった。人には他人の立ち入りを拒む権利、干渉を拒否する権利を有する領域がある、などということは、考えたこともないらしい。会長というのは当時七十代の人だったが、このぐらいの年代の人だと、こういうふうな考え方をするものなのだろうかと考えたものだ。

それから十年以上が経つけれど、実はいまでもプライバシーというと、秘密を持つとか隠し事をする、といった理解の仕方をしている人が少なくないのかもしれない。

というのも、もう最近では文句を言うのもバカらしくなるほど一般的になってしまったのだが、電車のなかや食事をする場所で化粧直しをしたり、声高に携帯電話でしゃべったりしている人を目にすると、わたしはいつもこの人はプライバシーということをどのようにあるのだろう、と思ってしまう。

髪の毛をとかしたり、身仕舞いをしたり、個人的な電話をしたりするような行動は、あくまでもプライベートに属することだ。それを平気で他人をも巻き込んで公共の場で行えるというのは、公的な領域と私的な領域の区別をその人がつけていないということなのではないか。

その人にとって、電車や往来は公共の場ではなく、私室の延長。そこにいる人は単なる背景、書き割りに過ぎないのだろう。迷惑そうな視線も、部屋の電気器具が立てるノイズと同じなのだろう(だからこそ、反対からいえば、人は実質的に迷惑をかけられること以上に、電車の中での化粧や電話が不快感を覚えるのだ。自分がノイズ扱いされていることに対する不快感だ)。

どこでも私室の延長、となっていくと、それこそプライバシーというのは、「人の目から隠さなければならないこと」になってしまう。扉を閉めて、身仕舞いをしたり着替えたり、個人的な用件を片づける必要がないのであれば、扉を閉めてすることは、ほんとうに限られてしまうのではないか。

そんな人にとってのパブリック・スペースは、いったいどんな場所なのだろう。知っている人が集まる場所なのだろうか。気にするのは友だちの視線や評価だけ、となると、逆にそれがとんでもなく重くなってくるような気がする。

結局のところ、自分のプライバシーを大切にするということは、共同体の一員であると同時に、「個」としてある自分を大切にする、ということだ。はっきりと公共の一員であるという意識を持つことによって初めて、逆に「自分は自分である」という意識を高め、プライバシーの意識を高めることになっていくのかもしれない。


あなただから言えないこと

2009-12-25 23:51:11 | weblog
『ハムレット』の有名なせりふのひとつに、ポローニアスが留学しようとしている息子のレイアーティーズに説教をする場面で

「ええと、金は借りてもいけず、貸してもいけずと。貸せば、金を失い、あわせて友をも失う。借りれば、倹約がばからしゅうなるというもの」(『ハムレット 第一幕三場』福田恆存訳)

というのがある。
借りたら、返すために一層倹約に励まなければならないような気もするが、ポローニアスが言っているのは、借りたら最後、返そうとしない人のことなのだろう。確かにこんな人に貸しでもしたら、友情はおしまいになるというのも、もっともな話である。

高校生のころ、一度、三千円を友だちに貸したことがある。
その日、たまたまLPレコード(当時はまだCDではなかったのだ)を学校帰りに買おうと思っていて、それだけのお金を持っていたのだ。何で貸したのか、相手は何といったのか、まったく記憶にないのだが、財布のなかにあったのを幸い、それを全部相手に渡してしまったのである。

ところがどっこい、待てど暮らせど相手は返してくれない。そのうち、親から「あのお金はどうした」と聞かれたことから、友だちに貸したことがわかってしまい、「早く返してもらいなさい」とひどく叱られた。お金を稼いでもいない子供が、勝手にお金の貸し借りをするなんてもってのほか、というのである。

なんだかまるで借金取りになった気分……と、ひるみそうになる気持を励ましながら、三千円、返して、と何度か言いに行ったのだ。相手が何と言ったかは覚えてないが、じきにわたしを避けるようになり、なんとも困ったことになったのだった。

仕方がないから担任に相談し、担任から相手の子に言ってもらった。お金は返ってきたが、ずいぶん後味の悪い結末になってしまったのである。まさに『ハムレット』に出てくるせりふを実地で学習したわけだ。のちに母からは、貸すときはあげるものだと思いなさい、と言われた。

それから数年経って、家から離れて寮生活をしていた頃のこと。
同じサークルで親しかった子が、いま困ったことになってるの、と自分が抱える問題をうち明けてくれた。問題を解決しようと思ったら、お金が必要だ。相手はわたしの生活を知っているから、「貸してくれ」とは言わないが、どれほど貸してほしいと思っているだろう。自分にはその余裕がないことを言い、力になれないことを謝ったような気がする。相手も、いいの、そんなつもりで言ったんじゃない、とは言ってくれたが、なんとなくそのまま疎遠になってしまった。わたしの方が、忸怩たる思いのせいで、それ以降、どこか気を置いたつきあい方になっていたのかもしれない。ともかく、貸さなくても、「友を失う」ことになってしまったのだった。

それにしても、親しい関係というのはむずかしいものだ。
お金のからまないような問題であっても、相手が自分にとって大切であればあるほど、そのことはいいにくくなる。心配させるぐらいなら、黙っていようと思う。

水くさい、というのではないのだ。信用していない、というのでもない。相手にどうすることもできないような種類のことは、相手に心配させたくない、つまりは相手が大切だからこそ、言えないのである。

逆に、さほどつきあいもない、どうでもいい相手だから、言えるということもある。たいして自分のことを知っているわけでもない、これから先、関係を深めていこうとも思っているわけでもないから、気軽に吐き出すこともできる。

ところがそんなことをしてしまうと、まわりまわって親しい人の耳に入り、なんでそんな大切なことを自分には言ってくれないのか、と気分を害されることにもなったりして、世の中というのはほんとうにむずかしい、と天を仰ぎたくもなってくるのである。

ただ、信頼することと、秘密を打ち明けることのあいだには、さほど関係はないような気がする。

以前、会ってほとんど間がないような人から、おっそろしくシリアスな出来事をうち明けられたことがある。こんなことを聞いてしまっていいんだろうか、とひるんでしまうようなことだったのだが、後日、そのことなら周囲の全員が知っていることがわかった。つまり、会う人ごとに、その人はそんな打ち明け話を聞かせていたのである。それだけではない。あとからあとから、よくもひとりの人間に、こんなことが起こるなと思えるほどのあれこれのエピソードを聞かされ、それもみんなが知るところとなっていたのだった。

要は悲劇のヒロインになりたいのか、と当時は思っていたのだが、いまはそうではないのだろう、と思っている。
その人は、おそらく人と人とのつきあいは「等価交換」だと思っていたのだろう。

誰かと親しくなろうと思ったら、相手の好意を得る代わりに、自分が何かを差し出さなければならない。その人が自分の持っているもののなかで、一番価値のあるもの、と考えたのが、自分の秘密だったのだ。お金持の子が、ステキなおもちゃで友だちの歓心を買おうとするように、その人の場合は、自分の秘密を差し出すことで、相手の好意を得ようとしていたのだろう、と。

だが、人と人との関係というのは、決して等価交換ではない。少なくとも、等価交換を前提としていたら、人と関係を築くことはできない。
人の好意を得るために、何かを差し出さなければ、と思っているあいだは、おそらくその人は会う人ごとに秘密を差し出し続けなければならないだろう。みんなも知っている秘密は、もはや秘密でもなんでもない。だからいきおい、その人の話は、どんどんエスカレートしていかざるをえないのだろう。

長くつきあいたい人、大切にしたい人は、だからこそ言えないこともあるように、その人が誰にでも秘密を言えてしまうのは、逆に、みんながどうでもいい人だった、とも言えるのだ。ただ、自分の話を聞いてくれさえすれば良かっただけ、という。

人と関係を築いていくのはむずかしい。
けれども、失敗してもいい、と思えるのは、おそらくその相手を信頼しているからなのだろう。


Merry Christmas to all !

2009-12-24 23:17:51 | weblog
クリスマスになると、ヨーロッパやアメリカでは伝統的に「キャロリング」といって、クリスマス・キャロルを歌いながら練り歩くという風習がある。
おそらくそんな風習が根底にあるからなのだろう。クリスマスのシーズンを題材にした歌もたくさんある。

クリスマス・ソングは、やたらいい歌が多い。
メジャー・コードでシンプルな構成、なのに奥が深くて、毎年聴いても聞き飽きることがない。

好きな歌はいくつもあるのだけれど、今年はこの歌を。

マンハッタン・トランスファーのヴァージョンで
"Have yourself a merrry little Christmas"(あなたにささやかなメリー・クリスマスを)

The Manhattan Transfer - Have Yourself a Merry Little Christmas


Have yourself a merrry little Christmas,
Let your heart be light
From now on,
our troubles will be out of sight.

あなたにささやかなメリー・クリスマスを
心に灯をともしてみせて
もうこれからは
わたしたちの苦しみも消えてしまうでしょう

Have yourself a merrry little Christmas,
Make the Yule-tide gay,
From now on,
our troubles will be miles away.

あなたにそっとメリー・クリスマス
クリスマス気分を盛り上げて
もうこれからは
わたしたちの悩みも去っていくのだから

Here we are as in olden days,
Happy golden days of yore.
Faithful friends who are dear to us
Gather near to us once more.

ねえ、これがわたしたちのこれまでの日々
幸せに輝く過ぎた日々の
わたしたちの大切な心からの友だち
また集まりましょう

Through the years
We all will be together,
If the Fates allow
Hang a shining star
upon the highest bough.

これからずっと
わたしたちはみんな、一緒に過ごすの
運命が許してくれるなら
輝く星を
木のてっぺんにつるしましょう

And have yourself
A merrry little Christmas now.

だからいまはあなたに
ささやかなメリー・クリスマスを


深夜に食べたくなるもの

2009-12-22 23:07:44 | weblog
毎日のことではないのだが、たまに夜遅くに本などを読んでいるとき、不意に何か、ふだん食べつけないもの、それもドーナツとか、スコーンとか、マドレーヌだとかが食べたくなることがある。

なんでそんなものが食べたくなるのだろうと思うのだが、これも受験生の頃、夜中にココアを飲んだり、ちょっと甘いものをつまんだりした記憶が元になっているのかもしれない。

実家では、たいてい何か用意してあったので、そんな欲求が起こっても、さほど困ったことはなかったが、大学に行くようになってからは困った。

なにしと食べたくなるのは十一時を過ぎた時間帯である。その頃はコンビニがあちこちあるわけではなかったし、どうしても食べたくなって、自転車に乗ってミスター・ドーナツに買いに行ったら、途中で職質に会ったこともあった(「ドーナツがどうしても食べたくなって…」とは言えなくて、郵便局に用があって…と意味もなく嘘を言った記憶がある。実際、夜中に速達を出しに本局まで行ったこともあったのだ)。

のちに、フレンチトーストの作り方を覚えてからは、もっぱらそれになった。冷凍庫でガチガチに凍ったバゲットを、解凍をかねて卵と牛乳に浸し、バターで焼いてシナモンをふって食べるのである。いま考えると、えらくカロリーが高そうで、夜中によくこんなものを食べていたなあと思うのだが、いまと代謝率がちがったせいか、太るようなこともなかった。

フレンチトーストを焼いてから、少し濃いめに紅茶を入れて食べる。やはり試験勉強やレポートを書いているときの夜食が多かった。

バイトで家庭教師をするようになってから、暮れになると、バウムクーヘンや焼き菓子の詰め合わせをもらうようになった。立派な木箱に入ったカステラをもらったこともある。ただ、一度にそんなにたくさん食べられるものではないし、夜中に食べたくなるのも毎日のことではないし、たいていほかの人にも分けていた。小さな皿にのせたひときれのカステラの甘さは、いまでも舌の奥に残っているような気がする。

その木箱はどうしたのだろう。それを考えるのも、わたしはいまもヨックモックの青い缶を裁縫箱にしているからなのだ。その時期にもらって以来、ずっとそれに入れているのだが、あれを裁縫箱にしている人は、きっとかなりいるような気がする。ヨックモックのシガールというのは考えてみると不思議な焼き菓子で、これまで何度となく食べてきたけれど、一度も自分で買ったことがない。おそらくお使い物にするのに手頃なものなのだろう。

こんなことを書いているのは、実は、何か甘い物が食べたいという気持が、さきほどからひしひしとしているからなのだ。さすがにここ数年、晩ご飯あとに何かを食べると、翌朝胸にたまった感じがして後悔することになるので、そんなことはしないのだが。

そういえば、先日、カポーティの「クリスマスの思い出」を訳したときに、フルーツケーキを数える単位は何だろうと考えた。おそらく丸いものではなく、シュトレーンなどのようなローフ型だろう。そう考えると「本」がふさわしいように思うのだが、ケーキを「本」と数えるのは、字面からみて違和感があるかもしれない。だが、シュトレーンの注文サイトを見ると、そこでは「本」で受けつけていたので、それにならうことにしたのである。

フルーツケーキでもいい。バナナケーキはちょっとちがうな。いまの気分は何だろう…と考えながら、寝ることにする。


こんなこともあろうかと!

2009-12-21 23:03:27 | weblog
年末になると、毎年「流行語大賞」が発表される。毎年、いったいどんな言葉がノミネートされるのか、大賞を取るのか、実はほとんど知らないのだけれど、今年、わたしはひそかに「マイ・ブーム」(死語)としていた言葉があった。

それは「こんなこともあろうかと!」である。

* * *

地球から約3億キロ離れたところに、長径たった500mの細長い、楕円形に近いかたちをした小惑星がある。その名も「イトカワ」、かのロケット開発の父・糸川英夫氏にちなんでつけられた惑星である。

この惑星を探索するために、日本の宇宙科学研究所は、2003年5月、高さ1.5メートルほどの小型探査機「はやぶさ」を打ち上げた。この「はやぶさ」の任務は、惑星「イトカワ」の近くまで寄って探査するのではない。「イトカワ」へ着陸し、サンプルを持ち帰り、さらにそこから地球へ帰還するという、月以外の天体では世界初の地球帰還を果たそうというのである。

そうして2005年、「はやぶさ」は、着陸、サンプル採取、離陸という当初の目的を果たし、2010年6月の地球帰還を目指して、今も宇宙を飛び続けている。

これまでの経過は、このYou Tube にて。



どうです?
「こんなこともあろうかと!」
言ってみたいせりふでしょう?

ところで、ボーイスカウトのモットーは "Be prepared."である。
日本語に直すと「備えよ」ということで、つまり「こんなこともあろうかと」と言えるよう、つねに備えておきなさい、と言っているわけだ。

ただ、この標語は、実は肝心の部分が省略されている。

「備え」というのは、これまでの経験の蓄積によって、「備え」られるだけでは決して十分ではない。反省会で、キャンプのときには夏でも上着があったほうがいい、ではつぎのときに上着を持っていこう……というのは「備え」ではないのだ。

「不慮の事態」というのは、これまでに経験したことのない事態だ。地震に見舞われるかもしれないし、間近で突然の落雷に遭遇するかもしれない。そんなとき、夏の夜の寒さの「備え」は役には立たない。

いかなる事態に対応できるような「備え」など、現実には不可能だ。けれども「起こりうる事態」の仮説を立てることによって「こんなこともあろうかと」「備える」ことができる。仮説を検証し、過去に蓄積された知識を通じて対策を立てる。その対策をふまえてさらにまた新しい仮説を立てる。「備え」ということは、つまりそういう仮説に基づいた対策を、可能な限り用意しておく、ということなのだ。

"Be prepared."

だからこそ、何かが起こったとき、「こんなこともあろうかと」と袋の中からハトを取り出して見せることもできる。

その昔、ある英語の先生が、チャレンジャー号について書かれたものを読んでから、宇宙開発なんてものは必要ない、と言っていたことを思い出す。宇宙開発というのは、冷戦の遺物にすぎない、わたしたちの暮らしを豊かにもしないし、人間を幸福にすることもない。見上げれば、星はそこにある、それで十分じゃないか。

それを聞きながら、何かちがうなあ、と思っていた。人間が月に立った映像を観た人は、感動しなかったんだろうか。その感動は「幸福感」とはちがうものだったんだろうか。はっきりと言葉でそう思ったかどうかはともかく、そんなふうなことを感じたように思う。

『星の王子様』のなかに、「ほんとうに大切なものは眼に見えない」という言葉がある。

いまのわたしが必要だと思うものは、多くの場合、将来の自分には必要ではない。というのも、「将来のわたし」はいまのわたしとは変わっているから。変容した「将来のわたし」に何が必要か、現在のわたしには「見る」ことができない。そういう意味で、この言葉は正しいと思うのだ。サン=テグジュペリが言いたかったのはそういうことではないのだが。

「はやぶさ」がわたしたちの暮らしを豊かにするかどうかはいまのわたしにはわからない。けれども、帰ってきたら、まちがいなくうれしく感じるはずだ。きっと、それは幸福感に近い気持のはずだ。

だから、6月、帰ってこいよ。



サイトアップしました

2009-12-19 23:05:31 | weblog
「鶏的思考的日常vol.30」をアップしました。
今年の二月から三月のログのまとめです。
ああ、あんなこともあったなあ(笑)と、思っていただければ幸いです。

しばらく集中的にサイトに手を入れようと思っているので、またよろしく。
ということで、それじゃ、また。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html