陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」その4.

2008-06-30 22:32:09 | 翻訳
その4.

 念のために言っておくが、わたしは確かに言われた通りにするつもりだったのだ。お金が大きな問題だということはわたしにもよくわかっていたし、金曜日に来るおばあさんのように、物乞いをして歩くのは絶対にいやだった。母はおもちゃを残らずベッドのまわりに丸く並べて、わたしがベッドから出るとかならずどれかにぶつかるようにした。

目が覚めたときは約束をよく覚えていた。起きると床にすわって遊んだ――何時間も経ったような気がした。そこでわたしは椅子に乗って、屋根裏部屋の窓からさらに何時間も外を眺めた。父が起きる時間になればいい、誰かお茶をいれてくれないかなあ、と考えた。とてもではないけれど、太陽のような気分にはなれなかったし、退屈だった。おまけにひどく寒かった! 暖かくてふかふかの、分厚い羽布団のかかったベッドが恋しくてたまらない。ついにわたしはこれ以上がまんができなくなった。そうして隣の部屋に行ったのだった。やはり母の側にはもぐりこめる場所がなかったので、母の体を乗り越えようとしたところで、母が驚いて目を覚ました。「ラリー」ささやきながら、わたしの腕をきつくつかんだ。「約束を忘れちゃったの?」

「ぼく、約束を守ったよ」現場を取り押さえられたわたしは、半ベソをかいた。「すごーくすごーく長い間、静かにしてたもん」
「おやおや、この子は凍えてるじゃない!」母は悲しそうな声を出して、わたしの体をこすった。「さあ、ここにいたいんだったら、おしゃべりしないって約束してちょうだい」
「だけどママ、ぼく、お話がしたいよ」わたしは泣いた。
「そういうことを言ってもだめ」母はわたしが聞いたことのない、厳しい口調で言った。「お父さんは眠らなくてはならないんですからね。さあ、わかったでしょ?」

 わたしには一点の曇りもないほどはっきりとわかった。ぼくはお話がしたくて、あいつは寝たいんだろ? じゃ、この家はいったいぜんたい誰のものなんだ?

「ママ」わたしも負けずに決然とした声を出した。「お父さんは自分だけのベッドで寝た方が健康にいいと思うよ」

 このことばを聞いて、母はことばを失ったようだった、というのも、しばらく何も言わなかったから。
「さあ、これっきりよ」母は続けた。「ものすごーく静かにしてるか、自分のベッドに戻るか。どっちにする?」

 この不当な仕打ちにわたしは意気消沈してしまった。母みずからが口にしたことばによって、その誤りを悟らせようとしたのに、母は無視することで応えたのだ。腹いせにわたしは父に一発蹴りをお見舞いした。母は気がつかなかったが、父はうめき声をあげると、驚いて目をかっと見開いた。
「いま何時だ?」パニックに襲われたような声で、母ではなくドアの方を、まるで誰かがそこにいるとでもいうように見つめた。

「まだ早いわ」母はなだめるように言った。「子供のやったことよ。もういちどおやすみになって……さあ、ラリー」そういうと、ベッドから出た。「お父さんを起こしてしまうような子は戻らなきゃだめ」

 母のしゃべり方は、語調こそ穏やかだったが、わたしにはその意味するところがよくわかった。同時にわたしの重要な諸権利や特別待遇が、いま主張しておかなければ、永久に失われてしまうこともわかっていた。母がわたしを抱き上げたとき、わたしは悲鳴を、死者さえも起こさずにはおれないほどの悲鳴をあげた。おまえなんかに負けないからな、という気持ちをこめて。

 父はうめいた。「このいまいましいチビが。こいつは眠るってことをしないのか?」
「癖がついてしまったのよ、あなた」母の声は静かだったが、困惑していることはよくわかった。
「なら、いまがその癖を改める潮時だ」父はそう怒鳴ると、ベッドが大波のように持ち上がった。ベッドの上掛けを全部自分の方へたぐりよせ、壁の方に寝返りをうったのだ。それから肩越しにこちらを振り返って、黙ったまま敵意に満ちた二つの小さな黒い目でにらんだ。男はひどく邪悪な表情をしていた。

 寝室のドアを開けるために、母はわたしをおろした。そこでわたしは悲鳴を上げながら、部屋の端から反対側の端まで走った。すると父はベッドにがばっと半身を起こし「黙れ、この犬ころが」と息が詰まったような声で怒鳴ったのだった。



(この項つづく)

フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」その3.

2008-06-29 22:50:31 | 翻訳
その3.

 翌朝、わたしはいつもの時間に、まるで瓶のなかのシャンパンのような気分で目を覚ました。わたしが両足を突き出すと、長いおしゃべりが始まる。ミセス・ライトは自分の父親に苦労させられて、とうとう彼を「施設」に送りこんだという話をした。わたしは「施設」というのがどんなところなのか知っていたわけではなかったのだが、父にはふさわしい場所のように思えたのである。それから椅子を持っていき、屋根裏の窓から頭を出した。夜が白み始めているところで、あたりの気配は妙に怪しげで、わたしは何か犯行現場を目撃したような気分になった。頭のなかはいくつものお話やらたくらみやらが渦を巻き、はちきれそうになったので、隣の部屋に転がるように駆け込むと、ほの暗い、大きなベッドによじのぼった。母の側は空いていなかったので、父と母のあいだに割り込むしかない。父のことなどすっかり忘れていたのだ。しばらくわたしはしゃちほこばって腰を下ろしたまま、父をどうしようか頭をひねった。ベッドを自分の割り当て分以上に占領しているので、たいそう具合が悪い。何度か蹴っとばしてやったら、うなり声とともに父の体が伸びた。おかげで隙間ができた。母が目を覚ましてわたしをまさぐる。わたしは暖かいベッドに深々と身を沈め、親指をしゃぶった。

「ママ!」わたしは指をくわえたままで、大きな満足しきった声を出した。
「シーッ。ぼうやったら」母はささやいた。「お父さんを起こさないで!」

 これは新たな展開、「お父さんとお話」よりもさらに深刻な脅威となりそうな事態の出来だった。早朝の語らいを抜きにした生活など、わたしには考えられないのだから。
「どうして?」わたしはとがめるように尋ねた。
「かわいそうなお父さんは疲れてらっしゃるからよ」そんなものはおよそ理由の内には入らないし、母が「かわいそうなお父さん」などと変に感傷的な言い方をするのにもうんざりだった。この手のことばは大嫌い、いつだってそのそらぞらしさがいやでたまらなかった。

「ああ、そう」わたしは軽く受け流すと、とっておきの調子で話し始めた。「ママはね、ぼくが今日ママと一緒にどこへ行きたいと思ってるか、知ってる?」
「わからないわ」母はため息をついた。
「新しい網を持って、谷に降りていって、淡水エイを捕まえようよ。それからお昼は“フォックス・アンド・ハウンド”に食べに行こう。それから……」
「お父さんを起こすんじゃありません!」歯の間から怒ったような声を出すと、わたしの口をてのひらで軽く叩いた。

 だがすでに遅かった。父は目を覚ました、というか、ほとんど覚ましかけた。うめき声をあげると手を伸ばしてマッチにふれた。それから時計をのぞきこんで、とても信じられない、という顔をした。
「お茶でも召し上がる?」母はそう聞いたが、これまで聞いたこともない、神妙な、息を潜めた声音だった。まるで、怯えてでもいるかのような。

「お茶だって?」むっとした調子で父は言った。「いま何時だと思ってるんだ」
「それからぼくね、ラスクーニー通りに行ってみたい」わたしはこんなことにじゃまされて大切なことを忘れてしまっては大変だと思って、大きな声で続けた。
「ラリー、すぐに寝るんです!」母は厳しい声で言った。

 わたしはべそをかきはじめた。もはや気持ちを集中させることができず、そんなことではミセス・レフトとミセス・ライトが話し合った早朝の計画の内容を思い出すこともできない。せっかくの計画が、まるで生まれて間もなく闇に葬られてしまう子供のように、にぎりつぶされてしまうのか。父は何も言わず、パイプに火をつけてふかしていた。母もわたしも無視して、暗がりを見つめたままで。父が怒っているのはわかっていた。わたしが何か言おうとするたびに、母はいらだたしげに、シッと言う。わたしは屈辱感でいっぱいだった。こんなのひどいや、と思った。なにか、まがまがしいものさえ感じていた。母に、ベッドをふたつもメイキングするなんてむだだよ、同じベッドで寝たらいいのに、と言うたびに、こんなふうにした方が健康にいいのよ、と言っていたのに、いまはこの男がここにいるじゃないか。あかの他人なのに。母の健康のことを少しも考えないで、母と一緒に寝てるなんて! 父は早い時間に起きだして、お茶を入れた。母に持ってきてくれたが、わたしには何もくれなかった。

「ママ」わたしは叫んだ。「ぼくもお茶が飲みたい」
「わかったわ」母は辛抱強く言った。「ママのソーサーであげますからね」

 話は決まった。父かわたしのどちらかがこの家を出なければならないのだ。お茶を母のソーサーでなんて飲みたくない。求めているのは、自分自身の家で、対等に扱ってもらうことなのだ。母への当てつけに、お茶は全部飲んでしまって残してやらなかった。母も黙ってそれを見ていた。だが、その夜、わたしをベッドに寝かしつけながら、母はやさしく言った。

「ラリー、ひとつ約束してちょうだい」
「なに?」
「朝になっても、あっちへ行くのはやめて、かわいそうなお父さんを起こしたりしないであげてほしいの。約束できる?」

 また「かわいそうなお父さん」だ! あの我慢ならない男にまつわることなら、何もかもがうさんくさく思われた。
「どうして?」わたしは聞いた。
「かわいそうなお父さんはね、心配なこともおありだし、お疲れだし、おまけに夜はよく眠れないのよ」
「どうして寝られないの、ママ」
「あなたも知ってるでしょ? お父さんが戦争に行っているあいだ、ママは郵便局に行ってお金をもらってきていたでしょ?」
「ミス・マッカーシーが送ってくれたんだよね?」
「そうよ。でもいまではミス・マッカーシーもお金がなくなってしまったの。だからお父さんは、わたしたちのために、出かけて、お金をもうけて帰ってなけりゃならないの。もしお父さんにそれができなくなったら、どうなるかわかる?」

「わかんない」わたしは言った。「教えて」
「あのね、わたしたちは通りに出て、金曜日にここにくるおばあさんのように、物乞いをして歩かなきゃならなくなるの。それはいやでしょう?」
「そんなのいやだ」わたしは同意した。「そんなこと、できないよ」
「ならもうあっちの部屋に行ってお父さんを起こしたりはしない、って約束できるわね?」
「約束するよ」




(この項つづく)

フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」その2.

2008-06-28 22:44:07 | 翻訳
その2.

 ある朝、わたしが大きなベッドにもぐりこむと、そこには例のサンタクロースもどきの父がいた。だが、しばらくすると、軍服の代わりに一番上等の青いスーツを着たのである。母はことのほかうれしそうだったが、わたしには喜ぶような理由など見当たらなかった。というのも、軍服を脱いだ父には、ちっともおもしろいところがなかったからだ。ところが母ときたら、満面に笑みを浮かべて、わたしたちのお祈りがかなったのよ、と言い、あとでミサに出かけ、わたしたちは父が無事戻ったことに対する感謝の祈りを捧げたのだった。

 なんとも皮肉な成り行きだった! その日、父は昼食に戻ってくると、ブーツを脱いでスリッパに履きかえ、風邪を引かないように古い薄汚れた室内帽をかぶって、脚を組むと母に向かってもったいぶってしゃべりはじめた。母は気遣わしげな顔をしている。言うまでもないことだが、わたしは母の気遣わしげな表情が嫌いだった。きれいな顔が台無しになってしまうからだ。だからわたしは間に割って入ることにした。

「いまはおよしなさい、ラリー」母は優しくたしなめた。母がこの言い方をするのは、退屈なお客が来たときだけだったから、わたしは気にもとめずに話を続けた。
「静かになさい、ラリー」いらだたしげな声が返ってきた。「お父さんとお話してるのがわからない?」

このとき初めて、「お父さんとお話ししてる」という不吉なことばを聞いたのだった。これがお祈りをかなえてくださったということなら、神様はみんなのお祈りなんて、あまり真剣に聞いてくださってないのかもしれない、と思わずにはいられなかった。

「なんでお父さんとお話してるの?」できるだけどうでもよさそうな調子でわたしは聞いてみた。
「お父さんとお母さんにはお話しなきゃならないことがあるからよ。だから、もうじゃまをしてはいけません」

 その日の午後、母にたのまれて、父はわたしを散歩に連れて行った。このときは郊外ではなく町に向かったのだが、わたしも最初のうちは、いつもの楽天的なところを発揮して、事態は好転の兆しを見せているのだ、と思うことにしていた。ところが、まったくそうではなかったのである。

 父とわたしでは、町を散歩する、という定義自体がまるっきり異なっていたのだった。父ときたら、貨車にも船にも馬にもろくに興味を示さず、楽しそうな顔になるのは、同じような年寄り連中と話をするときだけ。わたしが止まろうとしても、いっこうに歩をゆるめず、手を握ったまま引きずっていく。反対に、彼が止まりたくなってしまうと、わたしがそれにあらがうすべはないのだった。壁によりかかるのが、そこに長時間とどまるサインであることにわたしは気がついた。父がふたたびそのサインを見せたときには、わたしもすっかり腹を立ててしまった。半永久的にそこに落ち着こうとしているように思えたからだ。わたしはコートやズボンを引っ張ったが、母とはちがった。もし母ならあまりしつこくすると怒り出してこんなふうに言うのだ。「ラリー、お行儀よくできないんなら、ぱちんとしますよ」

ところが父の才能ときたら驚くばかりで、いやな顔ひとつ見せず、ただ無視するのである。引っ張るのをやめて、泣いてみようかと思ったが、そんなことを気にして困るような相手ではない。実際、大きな山を散歩に連れていったようなものだった! つねろうがこぶしで殴りかかろうが、素知らぬ顔で、ときどき山のてっぺんからにやにやしながらおもしろがっているだけなのだから。わたしはそれまで彼のように自分のことばかりにかまけている人間を見たことがなかった。

 夕食の時間になると「お父さんとお話」がまた始まったが、今度は父は夕刊を読みながら、数分おきに新聞を置いて母に新しいニュースを聞かせていたので、事態は複雑になった。このやりかたは汚いぞ、とわたしは思った。母の注意を引くために、一対一でならいつでも父と戦う用意はあったが、父は他人の助けをかりて不足を補っているのだから、もはやわたしにはチャンスはなかった。それでも何度かわたしは話題を変えようとしたが、どうやっても成功しなかった。
「お父さんが新聞を読んでるんだから、静かにしなきゃダメよ、ラリー」母は不機嫌に言うのだった。

 母は父と話す方がわたしと話すのより好きなのか、あるいは父が何かしら恐ろしい力で母を捕らえてしまい、そのために真実を認められなくなってしまったのか。そのいずれかであることはまちがいなかった。

「ママ」その夜、母がわたしを毛布でくるんでくれたときに聞いてみた。「もしぼくが神様にいっしょうけんめいお祈りしたら、お父さんは戦争に戻る?」

 母はしばらく考えこんだようだった。
「いいえ」そう言ってにっこり笑った。「神様はそんなことはなさらないと思うわ」

「ママ、どうして?」
「それはね、もう戦争は終わったからよ」
「だけど、ママ、神様は別の戦争を始めることができるでしょ、もしそうなさろうと思ったら」
「そういうことはなさらないわ。戦争を始めるのは、神様じゃなくて、悪い人なのよ」
「そうなのかぁ」すっかり落胆してしまった。神様というのは、評判ほどのものでもないのだな、と思うようになっていた。



(この項つづく)

フランク・オコナー「わたしのエディプス・コンプレックス」

2008-06-27 23:15:07 | 翻訳
今日からアイルランドの作家、フランク・オコナーの「わたしのエディプス・コンプレックス」という短編を訳していきます。フランク・オコナーは日本ではあまり有名ではないのですが、なかなか味わい深い短編を書いています。アメリカの作家のフランシス・オコナーとは別人です。
だいたい六日間くらいの予定です。
五歳の男の子の経験する“エディプス・コンプレックス”。どんなものなんでしょうか。
原文はhttp://www.cyc-net.org/cyc-online/cycol-0201-oconnor.htmlで読むことができます。

* * *

My Oedipus Complex(「わたしのエディプス・コンプレックス」)

by フランク・オコナー


 戦争中(ここでいうのは第一次世界大戦のことだ)、父はずっと軍隊にいたので、五歳になるまでわたしが父を目にする機会はそう多くはなかったし、そんなとき、相手をいやだと思うようなこともなかった。ふと目を覚ますと、カーキ色の軍服に身を包んだ大きな人影が、ろうそくの光のなかで、わたしをじっと見下ろしていることがあった。早朝、表のドアがばたんと閉まって、鋲のついたブーツが小道の砂利を踏んで遠ざかっていくことも。それが父の登場と退場だった。まるでサンタクロースのように、来るときも帰るときも謎に包まれていたのだ。

 父がやってきたときは、うれしかったくらいである。明け方、大きなベッドによじのぼって、母と彼のあいだに体をもぐりこませるのはずいぶん窮屈だったが。彼は煙草を吸ったから、どこか懐かしい、かびくさいにおいがしたし、しかもひげを剃る――これはびっくりするほどおもしろい作業だった。現れるたびに、父は記念品という痕跡を残していった。戦車模型やグルカ・ナイフ、これは柄がたばねた薬莢でできていた、それからドイツ軍のヘルメット、帽章やボタン磨き用の棒などの種類もさまざまな軍装備品、どれも細長い箱に大切にしまい込まれて、洋服ダンスの上に鎮座した。いつか役に立つ日も来るだろうとばかりに。父は多少カササギのようなところがあったのかもしれない。どんなものにも使い道があるはずだと考えるカササギである。父が戻っていくと、わたしはさっそく椅子を出して、その宝物をかきまわして探索したが、ついぞ母にとがめられたことがなかった。どうやら母は、そうしたものを父ほどには高く評価していなかったらしい。

 わたしの人生においては、戦争中こそがもっとも平和な時期だったのである。わたしの屋根裏部屋の窓は南東に面していた。母はカーテンをかけてくれたが、あまり役には立っていなかった。毎朝、日の出とともに目が覚める。昨夜までの心の重荷は氷解し、まるでわたし自身が太陽になったように光り輝き、喜びが内からあふれてくるのだ。そのころほど人生が単純で、可能性に満ち満ちていたことはない。上掛けの先から両足を出し――わたしは自分の足にミセス・レフトとミセス・ライトと名前をつけていた――ミセス・レフトとミセス・ライトにその日の問題を討議させる。というか、少なくともミセス・ライトはそう動いてくれた。彼女はおしゃべりだったが、ミセス・レフトに関しては、同じように動かすことができなかったので、多くの場合はうなずいて賛意を示すだけでがまんすることにした。

 ふたりがおもに議論したのは、今日一日、お母さんとあの子は何をしたらいいんでしょうねえ、とか、クリスマスにはサンタクロースはあの子にいったい何を持ってきてあげたらいいんでしょう、あるいは、家のなかを明るくするためにはどうしたものでしょうか、といったことだった。そのほかにも赤ん坊にまつわる些末な議論もあった。母とわたしのあいだでは、この問題に関して意見の一致を見ることがなかったのである。この界隈で赤ん坊がいないのは我が家だけだったのだが、母は、お父さんが帰るまでとてもそんな余裕はないわ、というのだった。赤ちゃんって十七ポンド六ペンスもするんですもの、と。

 これを聞けば、母がどれほど世間知らずかよくわかった。通りの先にあるジーニー家には赤ん坊がいたが、彼らに十七ポンド六ペンスが払えるはずはないことなど火を見るより明らかだったのだから。安い赤ん坊だっているにちがいないのだが、母ときたらずいぶん上等な赤ん坊をほしがっているのだ。わたしはあまり選り好みするのも考え物だと思っていた。我が家だってジーニー家の赤ん坊で十分ではないか。

 その日の計画が決まったところで、わたしは起き出し、椅子を持っていって屋根裏の窓から頭を出した。裏の長屋の正面の庭が見えた。その先に目をやると、深い谷をはさんだ向こう側の丘の麓には、丈の高い赤レンガの家がひな壇のように並んでいる。渓谷のこちら側は朝日を浴びているのに、そこはまだ影にすっぽりと覆われていた。長い奇妙な影が、景色を見慣れないものに、動きのない、まるで絵に描いたもののように見せていた。

 そのあとは母の部屋に入っていき、大きなベッドにもぐりこむのだ。目を覚ました母に自分の計画を教える。それまで気がつかずにいたのだが、寝間着姿のわたしの体は、すっかりこごえてしまっていた。だが、話をしているあいだに、凍りついた体も最後のひとかけらまで溶けていき、やがて母のかたわらで眠り込む。ふたたび目を覚ましたときには、階下の台所で母が朝食の支度をしている音が聞こえてくるのだった。

 朝食をすませると、わたしたちは町に出かけた。聖オーガスティン教会のミサに参列し、父のために祈りを捧げ、それから買い物に行く。午後、天気が良ければ、郊外へ散歩に出たり、修道院にいる母の親友、マザー・セント・ドミニクを訪問したりした。母は修道院の人たちみんなに、父のための祈りを捧げてもらっていたし、わたしも毎晩、ベッドに入る前に、神様に、どうか父が無事にもどりますように、とお祈りしていた。実際のところ、何のためにそんなお祈りをしていたのか、ちっともその理由を理解していなかったのだが。



(この項つづく)


(※コメントくださったきの。さん、小狸工房さん、どうもありがとうございます。せっかくコメントくださったのに、レスが遅くなってごめんなさい。明日の朝、時間をとって書きますから)

こういうとき、なんていう?

2008-06-26 23:14:13 | weblog
今日、自転車で信号待ちをしていたら、前にお母さんと小学校の低学年ぐらいの男の子が立っていた。
「お母さん、信号て、緑やん、なんで青ゆうん?」
「昔は青やってん」
「いま、緑やん、そやから、緑信号、ゆうた方がええんちゃう?」
「そうやな。でも、緑信号て長いやろ、青でええねん」

そういうことじゃないよ……とわたしは思ったのである。
日本語では、もともと「みどり」っていうのは色の名前じゃなくて、色の緑は青っていってたんだよ……、と言いたかったが、だまっていた。

以前、電車の中で隣の高校生が会話していた。
A「そいつを倒そうおもたらな、自分がやられんとこ、ゆうんはあかんねん。ダメージ覚悟で、技、連打するしかないねん」(ゲームの話ね)
B「へー、そぉせなあかんのかー」
A「せやねん。そぉゆうの、何てゆうんやったかなぁ(考えている)」(捨て身?)
A「(まだ考えつつ)肉、とか、骨、とか」(あ、あれね)
B「骨付き肉?」(典型的な「ボケ」)
A「アホか、おまえ。肉をどうたらして骨をどうたらする、ゆうやつ……」(ほら、あれだよ、あれ)
二人して考えている。
やがてB「わかったっ!肉をちぎらせ骨を切る、やろ!」(おいっ!)
A「そや、そや」(違うっ!)

こんなとき、なんていったらいいんだろう……。

"What's new" 書きました。明日からまた翻訳やっていきます。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

サイト更新しました

2008-06-25 22:40:01 | weblog
それにしても壊れてつくづく思うのは、パソコンというのは、わたしたちの身の回りのどんな物ともちがうところがあると思いませんか?

もちろんその人がパソコンを使って何をしているかにもよるのでしょう。
メールとインターネットのサイトをいくつか閲覧するだけの人と、わたしのように仕事で使い、あらゆる文書をそれで作り、細かなデータ管理もしている人間とでは、パソコンが生活に占める割合は全然変わってくる。

でも、それが使えなくなったときの、なんともいえない途方にくれた感じ、何かが使えないだけにとどまらない、一種、手足をもがれたような感じは、ほかの何ともちがうように思えます。
あえていうなら、手元に読む本が一冊もない状態に一番近いのかもしれません。

まったく今回はいきなりのトラブルでした。
バックアップは、領域によっては前日に取っていたものもあったのですが、サイトにアップしようと書いていたのは三つあって(たいていわたしはいくつか平行して書く癖があるんです)、その三つともが電子の海の藻くずと消えました。

藻くずのなかからひとつ記憶をたぐりながら書くうちに、当初のものよりずいぶんふくらんできました。たぶん、一昨日のままでアップしたよりも、おもしろくなったんじゃないか、と自分では思っています。

またお暇なときにのぞいてみてください。
「「がんばれ」の代わりに」

元ネタはささやかなものでしたが。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

現状報告

2008-06-24 06:42:08 | weblog
お久しぶりです。

昨日、コラムをひとつサイトにアップする予定で、ほとんど書き終え、送信する間際だったんです。さて、ここらで保存でもして…、と思っていたところ、突然パソコンに怪しい文字が。
たぶんハードディスクが壊れたんだと思います。
全然何の予兆もなかったのに。
ともかく今日、HDDを買いにいって、交換しようと思います。

運が良かったら今晩何かアップできるかもしれません。
どうか、わたしの幸運をみなさん祈っていてください(笑)。

全角で40×250行ほど書いた記事は、電子の藻くずと消えました。
ブログの方に元ネタはあるにせよ、ずいぶんささやかなものをふくらませて書いたので、もはやおぼろげな記憶の霧の向こうにあるものをたぐり寄せて、もういちど新たに書かなきゃなりません。

しかし、なんでパソコンって、突然壊れるんでしょうね。
こういう理不尽で自分の力の及ばない、なにものかの存在を思い知らされたような気分のとき、陰謀論にはまるのかもしれません(笑)。
ええ、わたしの頭のなかにはいくつかの陰謀論の萌芽が……。

たぶんパソコンの本体のほうは大丈夫だと思います。
これを書いている本体は元気でおりますので。

ということで、それじゃ、また。





鳥の目から眺めてみれば

2008-06-21 23:28:17 | weblog
その昔、パンフレットの個別配布のバイトをしたことがある。パンフレットだけでなく、うちわだったかボールペンだったか、二人ひと組で、ひとりがパンフレットを入れたショッピングバッグを、もうひとりがうちわ(もしくはボールペン)を入れたショッピングバッグをかついで、集合住宅の入り口にまとめてある郵便受けに入れていくのではなく、ドアポケットにひとつひとつ入れて歩くのである。

まずエレヴェーターで最上階まで上る。カタカナのコの字型の建物を、ちょうどコの字を描くように歩いていく。コの下の横棒の左端にあたる位置にある非常階段をおりて、今度はコの字を下から逆に歩く。そうしてコの書き始めの位置の非常階段をおりる。つまり、そうやって一筆書きを書くように、もれなく戸別配布をしていくのである。

ところがわたしと組になって歩いている人(わたしより年長の社員の男性だった)が大変な方向音痴で、突き当たりまで行って向きを変えたり、コの字の角をまがったりすると、いちいち方向を見失う。おりるべき非常階段を行き過ぎたり、すでに歩いて来た方角へ戻ろうとしたり。こちらも最初は遠慮していたのだが、じきに、こっちです、つぎはここの階段を下ります、と、わたしの方がナヴィゲーターとなって歩いていったのだった。

このとき、わたしは初めて気がついたことがあった。わたしたちは、目の前のドアや階段や壁を見ながら、同時に、自分がどこらへんにいるか、どの方角に向かって歩いているか、ちょうどカーナビの衛星のように俯瞰する目を持ちながら歩いているのだ、と。

たまに車に乗せてもらっていても、たいそう方向感覚に優れている人がいて、驚かされることがある。そういう人は、初めての場所でも、渋滞する幹線道路をはずれて、だいたいここらへん、と見当をつけながら、抜け道を見つけて巧みに走っていく。

そういう人は、おそらく初めての場所でも、自分がどこらへんにいるか、俯瞰する目で自分の場所をつねに確認できるのだろう。

わたしはそれほど方向感覚がいい方ではないとずっと思っていたのだが、それでもコの字型の建物であれば、決して複雑なものではない。その建物の自分がいったいどの位置にいるか、俯瞰する目でとらえることは決してむずかしいものではない。だから、たとえ角を曲がっても、同じドアが並ぶ風景が続いても、自分がどちらに向いて歩いているかを決して見失うことはなかった。

ところがわたしが一緒に歩いていた人は、自分はひどい方向音痴で……とか、これまでに何度も失敗してきた……としきりに言い訳していたのだが、ともかくその人は、自分が実際に見ているドアや階段で、自分の場所を確認しようとしていたのだろう。だから、同じ風景が続いていることで、自分の歩いてきた軌跡を見失ってしまうのだ。

以前、とあるアメリカ人に地図を書いてもらったとき、笑ってしまったことがある。
自分の家からスタートし、自分の歩く方向に合わせて紙をくるくるまわしながら地図を書いていくのである。

え、そんなふうに書かないの? と聞くので、わたしは駅から自分の家までの地図を書いてみた。
まず東西南北を地図の右上に書いておく。
つぎに東西に走る線路。
真ん中に駅。
縦横に道路。
駅から東西に走る二本目の道と、南北に走る三本目の道の交差点。
この角から三軒目。

なんと地図を書くのがうまいのだろう! と感心されたが、おそらく多くの人が地図というのはこんなふうに書くだろう。これが俯瞰する目を持っているということなのだ。
そんな位置から実際には見たこともなくても、わたしたちは感覚的にそういうことを知っている。人間というのは不思議なものだと思う。

濡れ衣とわたしたち

2008-06-20 23:24:06 | 
ここで「濡れ衣」ということをもう一度整理しておきたい。
「濡れ衣」とは、事実無根の罪を着せられることである。
冤罪が、あくまで法律的な罪に限られるのに対し、濡れ衣というと、もう少し意味が広いだろう。「教室の窓ガラスを割ったのはお前だろう」と身に覚えのない言われようをしたときに、「それは濡れ衣だ」と言うことはあっても、「それは冤罪だ」とは言わない。

だが、濡れ衣が単なる誤解と異なるのは、濡れ衣をかけられた人・誤解された人ともに、自分に責任のないことで、不都合を被るが、誤解は「誤解されたこと」以上の不都合を伴わないのに対して、濡れ衣は罪であるから、その結果として罰を引き受けざるを得なくなってしまう。その罰は、多くの場合、共同体からの排除、というかたちを取る。

同じくクラスという共同体からの排除を意味する「いじめ」が濡れ衣と異なるのは、いじめが何の理由も必要としないのに対して、濡れ衣は、罪を犯したことの告発があり、排除はあくまでもその罰なのである。

濡れ衣が濡れ衣として成立するのは、罪の告発を受けた人物が、ほんとうはやっていない場合のみである。だが、濡れ衣をかけられた人物と、真犯人以外はそれが「濡れ衣」であることを知らない。共同体は正義感を持ち、全員一丸となって濡れ衣をかけられた人物を糾弾する。そのために共同体の団結力は増し、安定する。

濡れ衣をかけられる人物は、ある種の脆弱さを持ったメンバーである。
純真無垢な性質を持っていて自分を守ることができなかったり、ことのほか美しかったり逆に醜かったりして外見上周囲とひどく異なっていたり、貧しかったり。いずれにしても、罪の告発を受けて、みんなが納得できるような人物である。
そのためにいったん濡れ衣がかかってしまうと、それを濡れ衣と周囲に認めさせることは大変に困難なこととなる。

さて、わたしたちの多くは、日頃、こうした濡れ衣は、自分とは縁もゆかりもないことだと思っている。というのも、かけられた側にまわってみなければ、それが「濡れ衣」とはわからないからである。

だが、仕事の上で、自分がしたわけでもない失敗を、自分のせいにされたり、根も葉もない噂をたてられたりするような経験がまったくなかったような人はいるだろうか。自分のせいではない過失を咎められ、自分の責任ではないことを説明しようとしても、言い逃れとみなされるときの悔しさや、陰でなにやら自分のことを言っているらしい雰囲気に胸が塞がれる思いをしたことのない人は、よほど運のいい人だろう。

だが、同じことを自分が誰かに対してしているかもしれないのである。「濡れ衣」の恐ろしさは、晴らすことの困難さばかりではない。自分は「みんなのために」正しいことをやっているつもりで、特定の誰かに対して濡れ衣をかけているのかもしれないのだ。

濡れ衣をかけられたとき、わたしたちは、まず何とかそれを晴らそうとする。誤解を解こうとし、自分の責任ではないことを説明しようとする。
だが、それ以外にもやり方はあることを文学作品は教えてくれる。

「みんな」にわかってもらうことよりも、自分の信じることを貫く。そのために罰を受けることさえ厭わない。

『リア王』のコーディーリアや『奉教人の死』の「ろおれんぞ」の生き方は、わたしたちには実際には難しいかもしれない。けれども、そういう生き方がありうることを知っておくことは、わたしたちを少なくとも強くする。晴らすことの困難な濡れ衣をかけられても、それにたえるのではなく、むしろ進んでそれを引き受ける。そういう方法だってあるのだ。そのことによって、わたしたち自身の信じることを鍛える。そういう生き方もあるのだ。

6.濡れ衣をかけてしまうとき

2008-06-19 23:11:42 | 
6.濡れ衣をかけてしまうとき

ここでもういちど、濡れ衣の語源のひとつとしてあげられている福岡県に伝わる伝説を見てみよう。

筑前守佐野近世の娘である春姫は、継母に「漁師の浜衣を盗んだ」という罪をでっち上げられ、父親によって斬り殺される。霊が泣いて無実を訴えたことから、父親は自分のしでかしたことを悔いて、出家し、「濡れ衣塚」を作って弔った。

これは以下のような構造ということができる。

ある人物Aが、ある意図のもと、Bに罪を着せる。Bは自分の無実を訴えるがCはそれを聞き入れず、Bを断罪する。やがてBの無実があきらかになり、Cは深く悔い改める。

さてAの「ある意図」とは何だろう。Bに罪を着せることが目的ではなくて、Bを排除することが目的なのである。
AはCとふたりで親密な関係を築きたい。Bの存在はAにとって邪魔である。だが強引に排除すると、Cが自分に対して良くない感情を抱くことになる。C自らがBに対して悪感情を抱くようにすればいい。このとき「濡れ衣」という手段が取られる。

これが集団になるとどうなるのだろうか。
たとえばフォークナーの「乾いた九月」を見てみよう。

ミス・ミニー・クーパーはウィル・メイズに暴行された、と訴えた。人びとは、ミス・ミニー・クーパーがどんな人物か知っている。おそらく彼女の妄想だということはわかっているのだ。だが、「おい、おまえたちはそこにのんびり坐って、ジェファソンの街の通りで、白人の女を黒ん坊のやりたい放題にさせて平気なんだな」というマクレンドンに連れられて、男たちはウィル・メイズを捕らえに行く。そのなかで反対する理髪師ホークは、正義を訴えたことがもとで、彼までも殺されかけるのである。

人びとは、白人の共同体の安定を保つために、ウィル・メイズに濡れ衣をかける。ここではミス・ミニー・クーパーの訴えがきっかけとはなったのだが、そのきっかけは別に誰であってもかまわないのだろう。「A」に当たるのが誰で「C」に当たるのが誰か、もはや判然としない。ただ「B」だけがはっきりとしているのだ。彼もしくは彼女は、いけにえとして選ばれたのである。そうして人びとはそのいけにえに対して一致して暴力をふるう。

「A」に当たるのが誰で「C」に当たるのが誰か、もはや判然としないということは、共同体全体でひとりの人間に「濡れ衣」をかけるということに他ならない。
表面的には「暴行事件」あるいは「盗難事件」、人びとは正義を行使していると考える。だが、それがもし事実でなければ、「濡れ衣」ということになれば全員でスケープゴートを選び出し、たったひとりを共同体から排除しようとしているのである。

(明日、いよいよまとめ)