今日からジョージ・オーウェルのエッセイ『象を撃つ』の翻訳をお届けします。
原文はhttp://whitewolf.newcastle.edu.au/words/authors/O/OrwellGeorge/essay/shootingelephant.html
で読むことができます。
* * *
象を撃つ ジョージ・オーウェル
南ビルマのモウルメインでわたしは非常に多くの人から憎まれていた。人生でたった一度だけ、そんなことになるほどの重要人物になったのである。わたしはその町にある派出所の警官だったが、とくにこれといって目的もない、いやがらせのようなかたちであらわれる反ヨーロッパ感情にはひどく苦い思いをさせられた。
暴動を起こそうとする気骨のある人間はいないくせに、ヨーロッパ系の女性がひとりで市場を歩いてでもいれば、だれかがかならず噛んでいるビンロウの汁をその服に吐きかける。警官であるわたしなど恰好の標的で、そうしても危害が及ばないと思えばかならず嫌がらせをしかけてくるのだった。サッカーのときにすばしっこいビルマ人に足をかけられても、審判(これまたビルマ人)はそっぽを向いているし、観衆はどっと笑い転げる。
そのようなことは一度や二度ではすまなかった。しまいには、どこへいっても出くわす若い連中の嘲るようなにやにや笑いを浮かべた黄色い顔と、後ろのほう、十分に距離をおいたあたりから浴びせかけられる野次に、すっかりまいってしまっていたのだ。なかでも最悪なのが、若い仏教の僧侶たちだった。町には何千という僧侶がいたが、だれひとりとして、町角に突っ立ってヨーロッパ人を嘲る以外にすることがないようだった。
こうしたことのために、わたしは混乱し、動揺していた。というのも、当時、わたしは帝国主義は悪で、この仕事を放り出すのなんか、早ければ早いほどいい、と心を決めていたからなのだ。理屈の上では――もちろん密かにそう思っていただけだったのだが――わたしは完全にビルマ人の側に立っていて、彼らを抑圧している大英帝国には反旗を翻していた。実際にやっている仕事となると、おそらくは口に出すこともできないほど激しく憎んでいたのだ。
警官のような職に就いていると、帝国の醜悪なやりくちを間近に見ることとなる。悪臭の充満する監獄の檻につめこまれたみじめな囚人たちや、長期刑囚たちの怯えた灰色の顔、竹の棒で打たれた男たちの傷だらけの尻。なにもかもが耐えがたいほどの罪悪感となって、わたしをさいなんだ。けれどもわたしには広い視野でものごとを見ることができなかった。未だ若く、教育もなく、東洋にいるイギリス人ひとりひとりに課せられた有無を言わせぬ沈黙のなかで、自分の問題を考え抜かなければならなかったのだ。
大英帝国が死に瀕していることも知らなかったし、ましてそれに取って替わろうとしている新興の帝国主義国家群と較べれば、英国のほうがはるかにましだ、ということなど、理解できるはずもないのだった。わかっていたことは、ただ、自分が仕える帝国にたいする嫌悪と、仕事を妨害しようとする悪意に満ちた獣たちとのあいだで板挟みになっている、ということだけだった。心の一部では、英国の植民地支配を、強固な専制支配である、抑圧された人々の意志を、半永久的に踏みつけにするものだと思いながら、別のところでは、僧侶たちのはらわたに銃剣を突き刺してやれたらこれほど愉快なことはないだろう、と思っている。こうした感情は、帝国主義にあってはごくありきたりの副産物なのである。だれでもいい、インド在住のイギリス人役人を非番のときにつかまえて聞いてみるといい。
(この項つづく)
原文はhttp://whitewolf.newcastle.edu.au/words/authors/O/OrwellGeorge/essay/shootingelephant.html
で読むことができます。
象を撃つ ジョージ・オーウェル
南ビルマのモウルメインでわたしは非常に多くの人から憎まれていた。人生でたった一度だけ、そんなことになるほどの重要人物になったのである。わたしはその町にある派出所の警官だったが、とくにこれといって目的もない、いやがらせのようなかたちであらわれる反ヨーロッパ感情にはひどく苦い思いをさせられた。
暴動を起こそうとする気骨のある人間はいないくせに、ヨーロッパ系の女性がひとりで市場を歩いてでもいれば、だれかがかならず噛んでいるビンロウの汁をその服に吐きかける。警官であるわたしなど恰好の標的で、そうしても危害が及ばないと思えばかならず嫌がらせをしかけてくるのだった。サッカーのときにすばしっこいビルマ人に足をかけられても、審判(これまたビルマ人)はそっぽを向いているし、観衆はどっと笑い転げる。
そのようなことは一度や二度ではすまなかった。しまいには、どこへいっても出くわす若い連中の嘲るようなにやにや笑いを浮かべた黄色い顔と、後ろのほう、十分に距離をおいたあたりから浴びせかけられる野次に、すっかりまいってしまっていたのだ。なかでも最悪なのが、若い仏教の僧侶たちだった。町には何千という僧侶がいたが、だれひとりとして、町角に突っ立ってヨーロッパ人を嘲る以外にすることがないようだった。
こうしたことのために、わたしは混乱し、動揺していた。というのも、当時、わたしは帝国主義は悪で、この仕事を放り出すのなんか、早ければ早いほどいい、と心を決めていたからなのだ。理屈の上では――もちろん密かにそう思っていただけだったのだが――わたしは完全にビルマ人の側に立っていて、彼らを抑圧している大英帝国には反旗を翻していた。実際にやっている仕事となると、おそらくは口に出すこともできないほど激しく憎んでいたのだ。
警官のような職に就いていると、帝国の醜悪なやりくちを間近に見ることとなる。悪臭の充満する監獄の檻につめこまれたみじめな囚人たちや、長期刑囚たちの怯えた灰色の顔、竹の棒で打たれた男たちの傷だらけの尻。なにもかもが耐えがたいほどの罪悪感となって、わたしをさいなんだ。けれどもわたしには広い視野でものごとを見ることができなかった。未だ若く、教育もなく、東洋にいるイギリス人ひとりひとりに課せられた有無を言わせぬ沈黙のなかで、自分の問題を考え抜かなければならなかったのだ。
大英帝国が死に瀕していることも知らなかったし、ましてそれに取って替わろうとしている新興の帝国主義国家群と較べれば、英国のほうがはるかにましだ、ということなど、理解できるはずもないのだった。わかっていたことは、ただ、自分が仕える帝国にたいする嫌悪と、仕事を妨害しようとする悪意に満ちた獣たちとのあいだで板挟みになっている、ということだけだった。心の一部では、英国の植民地支配を、強固な専制支配である、抑圧された人々の意志を、半永久的に踏みつけにするものだと思いながら、別のところでは、僧侶たちのはらわたに銃剣を突き刺してやれたらこれほど愉快なことはないだろう、と思っている。こうした感情は、帝国主義にあってはごくありきたりの副産物なのである。だれでもいい、インド在住のイギリス人役人を非番のときにつかまえて聞いてみるといい。
(この項つづく)
『閉ざされたドア』(後編)< 27 >
その一方でひねくれた気持ちで独り言ちた。
「独り言ちた」はこれでよいのでしょうか?
(私が知らないそういう言い回しがあるのかもしれないと、おそるおそる……。「指摘ミス」だったらごめんなさい。)
*
プロフィール欄に写真が出てますけど、想像していた通りのルックスでした!!(え、ちがう?)
相変わらず、記事と関係のない話ですみません。
このまえの「他者」なんて、もー、対句だらけでいやになっちゃいますね。
マジ、止めようと思う今日このごろでございます。
昔から書く文章が老けていると評判のワタクシ(小学校時代から作文も「親に書いてもらったんだろう」と先公にイチャモンつけられたことも数知れず……)でございますが、それもひとえにTVを見ずに育ったことと、昭和30年代のユーモア小説をあびるほど読んだせいではあるまいかと愚考セル次第であります(どこが「ひとえやねん」と突っ込んでね)。
独り言ちる、終止形は「独り言つ」、この言い方はいまの若い方々はお使いにならないのでしょうか、ごぞんじない方も多くいらっしゃるのかもしれませんが、いまのところ廃語ではあるまい、と思いつつ使用させておりますのじゃ。辞書にも載っておるはずでござりますゆえ、一度ごろうじろ(いよいよ文章がヘンになってきた。書き手キャラの設定が決まってないのです)。
また何かありましたら、教えてください。
ほんと、助かってます。
自分ではねー、気がつかないんです。
ということで、それじゃ、また
実物は西原理恵子の「みっひー」の方が近いかも。
(「ひとりごつ」という言葉自体は≪微かに≫知っていたのですが)
余計なことを言ってしまい失礼しました。
しばらくめげてると思いますが、立ち直ったらまた遊びにきます。
こないだまでスペルミスのHN使ってたしなぁ……
わたしは基本的に宗教というものにかなり懐疑的なのですが、仏教用語に好きなことばがあるんです。
「忍辱」にんにく、と読みます。
失敗したり、恥ずかしかったり、ああしまった、と思ったりするようなこと、って、生きていく上ではつきものですよね。
わたしも『階上の男』のアネットではありませんが、夜中枕をかじりたくなったり、わーっと叫んだりしたくなるようなことがよくあります。
そういう失敗した恥ずかしさ、悔しさをしっかりと受けとめる。抱きしめる。何かほかの人やことのせいにせず、じっと受けとめる。そうすることが必要なんだ、と。
なんかねー、このことばを知って、気持ちのもっていきようが変わったんです。
えらくたいそうな話になっちゃいました。
まぁエラーの多いわたしだし、知らないこともいーっぱいあるから、どうか気にせず、また遊びにいらしてください。