陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

取っておくものたち

2012-08-25 11:08:42 | weblog
いまちょうど実家の母が、住んでいた家をたたんで、街中にある集合住宅に引っ越そうとしているところで、わたしも行ったり来たり、あわただしい日を送っている。

わたしが実家を離れたあとに引っ越した田舎の家なので、行くのも大変である。街暮らしが長かった母が、父方の田舎で自分には縁もゆかりもない不便な場所に住むことを強いられていたのだから、そこから一日も早く離れたいという気持ちはよくわかるのだが、なにしろ古い家なので、不要な家財道具が山のようにある。その処分に頭を抱えているのだが、一方で、引っ越しに持って行くものの方も大変だ。本やレコードばかりでなく、母がせっせと録りためたビデオテープがこれまた山のようにあって、これも全部持って行く、と主張しているのである。

昔はテレビなど、と軽蔑して、一貫して子供たちにも見せないように教育してきたのに、いったいどこで宗旨替えしたのか、時代劇やKinki Kids(! 堂本剛君が好きなんだそうだ。あのふたりは兄弟じゃなかったのね)が出演した音楽番組のビデオがおびただしくある。『鬼平犯科帳』ならDVDがあるよ、そっちの方が場所を取らないよ、と言っても、自分が録画したものがいいらしい。そんなにあって、実際に見直したりするものなのだろうか。

おまけにネコを撮った写真がこれまた山のようにあるのだが、それがまた同じような、決してうまいとは言えない写真ばかりなのである。「似たような写真ばっかりなんだからさ、少しは処分したら?」とでも言おうものなら、もう大変である。その写真を撮ったときにネコがいくつだったとかなんだとか、そのときはどうしたこうしたで……と、よくもまあ覚えているものだ、とあきれるほど、一枚一枚の「かけがえのなさ」を聞かされる羽目になる。

ビデオにせよ写真にせよ、何かを取っておく、ということは、「そのときの自分」を合わせて保存しておく、ということなのかもしれない。

わたしは身の回りに不要なものがあると、それだけでイライラしてしまって、端から捨ててしまい、ごくたまに「ああ、あれくらいは取っておけば良かったな」と思うこともないではないのだが、そんなときはまあ、縁がなかったのだ、と自分を納得させることにしている。

実のところ、「そのときの自分」を取っておきたくなるような(そうしてそれをときどき取り出して、眺めて楽しもうとするような)心持ちが、気恥ずかしいのだ。いったい誰に対して恥ずかしいのかは定かではないのだが。ちょうど、洗面所で鏡を見ている自分を、誰かに見られたときの気恥ずかしさ、とでも言おうか。

言葉を換えれば、「自己愛」というものをもてあましているのかもしれない。

そう考えてみれば、母などは、そんな逡巡など達観してしまって、自分のほしいものはほしい、やりたいことはやりたい、という境地に達しているのかもしれない。

長く生きている、ということは、おびただしい「そのときの自分」とともに過ごすことでもある。そうしてそれが老いの孤独を少しでも和らげてくれるのであれば、物がたくさんある、ということも、悪いことではないのだろう。

シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その11.

2012-08-19 22:34:11 | 翻訳

その11.


 というわけで、この家はわたしたちが出くわしたときから古く、わたしたちが引っ越してきてからやかましくなった。そうして満杯になるまでにはほとんど時間がかからなかった。子供たちは友だちを連れてきたし、木馬や絵筆を持ちこんだ。わたしたちも友人を呼んだし、本やこまごまとしたものを持ちこんだ。わたしはパイ生地の焼き方を習った――残念ながら、どうやらわたしには生まれながら、パイ職人の血は毛ほども混じっていないようだが。季候が良くなると、みんなが週末に都会から車で遊びに来るようになった。

 ジャニーは長いこと、夜になると家のどこか遠くから、自分に歌いかけてくる声が聞こえる、と言っていたし、わたしたちはクリスマスツリーを、戸外からでもツリーの光が柱の列の間を通して見えるように、リビング・ルームの一角に置いた。家の前の芝生の落ち葉は熊手で集め、丘の斜面をそりで滑り降りた。わたしたちはしだいに、都会の人びとをいくぶん軽んじるような物言いをするようになっていた。

 前にも言ったように、わたしにとって、いまよりも好ましいライフスタイルがあるとは思えないのだ。たったひとつ、難があるとすれば――骨の折れる仕事とキツネ色に焼けてくれない意地悪なパイ生地を別にして――ぱっとわかるような変化もないまま、一日一日が際限なく続いていくように思われることである。

ご近所の人たちを見ていると、みんな毎日を大切にして、一生懸命日を送ることに満足する一方、ある一日をほかの日から際だたせようとはまったく考えていないように思えてくる。確かにそれは、日々を過ごすには申し分のない方法なのかもしれないけれど、そんなことをしていると、興奮とはほど遠い、というか、まったく無縁になってしまうのではないか。

仮に大きな出来事が起こったとしても(たとえば暴風とか、洪水が起こったり、ひどい雪で三日間というもの、電気が完全に止まってしまったこととか)、次の日にはもうただの記憶の上の目印にしかならなくなってしまう――「あれはたしか暴風の二日前のことよ、だってラズベリーを出そうと思って全部摘んだんだから……」――こうなってくると、最後の審判のラッパが吹き鳴らされたとしても、わたしたちの地元ではさほどの印象を残さないのではあるまいか(「……ええと、何だっけかな、あのラッパが鳴ったのは昼の三時ごろだったぞ。だってその日はあそこの門に板を打ちつけなきゃならなかったからだ。それがどうだ、あのラッパからかれこれ六週間が経ったっていうのに、いまだに門は垂れたままじゃないか……」)

まあ自分のことを考えても、わたしがローリーが生まれた年を覚えているのも、それが新しいコートを買おうと楽しみにしていたという理由なのだが。

(ここでいったん終わり)




お盆をはさんで、思いの外あれやこれやが忙しく、ちょっと休んでしまいましたが。
原作には細かい章分けがされてないのですが、話の切れ目のここで切ることにします。


このあと、少しつなぎがあって、以前訳した「チャールズ」に続いていきます。

その先はまたそのうちに。
サイトにアップするとき、続けて読めるようにしたいと思ってます。

ところでジャクスン夫妻が引っ越した「列柱のある家」というのを検索してみました。
これはギリシャ建築を模したものかな。ちょっとパルテノン神殿なんかを思い出しますよね。それにしても家の全面にこんな柱が並んでるなんて、ちょっとすごいですね。



シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その10.

2012-08-11 00:10:01 | 翻訳

その10.


 屋根裏に通じるドアは、掛け金をかけておくのが好きなようで、だれが中にいたとしても、自然に掛け金がおりてしまうのだった。もうひとつ、少しだけ開く癖のあるドアもあったが、そのくせなんらかの事情で閉じたくなったときは、嬉々として閉まるのだった。

わたしたちが発見したところによると、この家には屋根裏部屋が五つあった。作り付けだったり、増築されたものだったり、隣り合ったりしている。だが、そのうちのひとつには、コウモリが住みついていたので、わたしたちはそこを完全に閉め切ってしまった。ほかには小さな窓がひとつしかないにもかかわらず、明るく居心地の良い屋根裏部屋もあった。そこは入りやすく出やすい場所だったので、やがて誰が決めたわけでもないのに、ひとまずものを置いておく場所、そりや雪かき用シャベルや庭の熊手やハンモックなど、ひんぱんに使う道具の置き場となった。

地下室には古い洗濯ロープが張ってあった。わたしは裏庭にロープを張っていたのだが、それが三度落ちたあげくに、そのロープをあきらめて、地下室に新しくロープを張った。するとそこでは洗濯物が素早くふわっと乾くのだった。

家には四つ暖炉があったので、薪小屋に薪を蓄えておくようにしたのだが、夫は薪割りが不思議と楽しいことに目覚めたようで、斧で薪を割る気持ちの良い音が、台所まで響いてくるのだった。

ベッドルームのひとつは、子供部屋になることを望んだようだった。というのも、そこは広くて明るくて、一方の壁には見間違いようもない、身長を測ったしるしがいくつも残っていたのだ。この部屋は、どうやらクレヨンの跡をつけられても、床に絵の具をこぼされても、ちっとも気にしなさそうだった。

一階の例の小さな暗い部屋に、わたしたちは本棚を置くことにした。二週間も経つころには、夫もなんとか十回のうち九回までは、その部屋に無事たどりつけるようになっていた。

 結局のところ、そこは古き良き家だった。ねこたちはロッキング・チェアで眠るし、友だちは立ち寄ってくれるようになった。決まった店で買い物することに慣れ、地元産のチーズを買い、かかりつけのお医者さんと犬を見つけた。ローリーは地域の保育園に入り、わたしがそうしているように、自分の家を説明するときに「あの古いフィールディングの家だよ――柱が並んでる」と言うことを覚えた。

ここに来て一年が過ぎようとするころ、ペンキ屋が家の外壁を塗り直しに来た。白塗りに、緑の縁取りで、過去ずっと同じ色が塗られてきたのだ。ほんとうのところは、このペンキ屋はこれ以外の色は持っていないのかもしれないのだけれど。

「きょうび、こんな家はめったにありませんや」と彼ははしごのてっぺんから善意に満ちた笑顔でわたしにこういうのだった。「こんなふうにしっかり建てられた家は、見かけなくなってしまったからね」

 わたしは家の前のポーチから、玄関のガラス越しに中をのぞき、階段が描く繊細な線や、ダイニング・ルームの明るいカーテンに目をやった。「古き良き家よね」とわたしは行った。

「いつだって猫が教えてくれるんだ」とペンキ屋は謎のようなことを言った。

 都会にいたときには、のべつまくなしに忙しがっていたわたしが、いまではジンジャーブレッドを焼いたり、キャベツのサラダを作ったり、といった、意外なことをするようになっていた。ローリーは裏庭に子供らしい庭を造り始め、ジャニーはダイニング・ルームで、人生初の一歩を踏み出した。

一度、ふたりをお隣に預けて、ひとりきりで市内に二日がかりの買い物兼冒険旅行に出かけたことがある。かつて住んでいたところをぶらぶら歩き、前に住んでいたアパートを正面から見たとき、わたしの頭に浮かんだのは、ひどくちっぽけで、薄汚いところだったんだ、という思いだけだった。「柱の列がないじゃない」胸の底からわき上がる満足感とともに、そうひとりごとを言ったのだ。もうひとつ、前の家主にそのことを話してやれたら、どんなにいいだろう、と。


(この項つづく)

シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その10.

2012-08-11 00:10:01 | 翻訳

その10.


 屋根裏に通じるドアは、掛け金をかけておくのが好きなようで、だれが中にいたとしても、自然に掛け金がおりてしまうのだった。もうひとつ、少しだけ開く癖のあるドアもあったが、そのくせなんらかの事情で閉じたくなったときは、嬉々として閉まるのだった。

わたしたちが発見したところによると、この家には屋根裏部屋が五つあった。作り付けだったり、増築されたものだったり、隣り合ったりしている。だが、そのうちのひとつには、コウモリが住みついていたので、わたしたちはそこを完全に閉め切ってしまった。ほかには小さな窓がひとつしかないにもかかわらず、明るく居心地の良い屋根裏部屋もあった。そこは入りやすく出やすい場所だったので、やがて誰が決めたわけでもないのに、ひとまずものを置いておく場所、そりや雪かき用シャベルや庭の熊手やハンモックなど、ひんぱんに使う道具の置き場となった。

地下室には古い洗濯ロープが張ってあった。わたしは裏庭にロープを張っていたのだが、それが三度落ちたあげくに、そのロープをあきらめて、地下室に新しくロープを張った。するとそこでは洗濯物が素早くふわっと乾くのだった。

家には四つ暖炉があったので、薪小屋に薪を蓄えておくようにしたのだが、夫は薪割りが不思議と楽しいことに目覚めたようで、斧で薪を割る気持ちの良い音が、台所まで響いてくるのだった。

ベッドルームのひとつは、子供部屋になることを望んだようだった。というのも、そこは広くて明るくて、一方の壁には見間違いようもない、身長を測ったしるしがいくつも残っていたのだ。この部屋は、どうやらクレヨンの跡をつけられても、床に絵の具をこぼされても、ちっとも気にしなさそうだった。

一階の例の小さな暗い部屋に、わたしたちは本棚を置くことにした。二週間も経つころには、夫もなんとか十回のうち九回までは、その部屋に無事たどりつけるようになっていた。

 結局のところ、そこは古き良き家だった。ねこたちはロッキング・チェアで眠るし、友だちは立ち寄ってくれるようになった。決まった店で買い物することに慣れ、地元産のチーズを買い、かかりつけのお医者さんと犬を見つけた。ローリーは地域の保育園に入り、わたしがそうしているように、自分の家を説明するときに「あの古いフィールディングの家だよ――柱が並んでる」と言うことを覚えた。

ここに来て一年が過ぎようとするころ、ペンキ屋が家の外壁を塗り直しに来た。白塗りに、緑の縁取りで、過去ずっと同じ色が塗られてきたのだ。ほんとうのところは、このペンキ屋はこれ以外の色は持っていないのかもしれないのだけれど。

「きょうび、こんな家はめったにありませんや」と彼ははしごのてっぺんから善意に満ちた笑顔でわたしにこういうのだった。「こんなふうにしっかり建てられた家は、見かけなくなってしまったからね」

 わたしは家の前のポーチから、玄関のガラス越しに中をのぞき、階段が描く繊細な線や、ダイニング・ルームの明るいカーテンに目をやった。「古き良き家よね」とわたしは行った。

「いつだって猫が教えてくれるんだ」とペンキ屋は謎のようなことを言った。

 都会にいたときには、のべつまくなしに忙しがっていたわたしが、いまではジンジャーブレッドを焼いたり、キャベツのサラダを作ったり、といった、意外なことをするようになっていた。ローリーは裏庭に子供らしい庭を造り始め、ジャニーはダイニング・ルームで、人生初の一歩を踏み出した。

一度、ふたりをお隣に預けて、ひとりきりで市内に二日がかりの買い物兼冒険旅行に出かけたことがある。かつて住んでいたところをぶらぶら歩き、前に住んでいたアパートを正面から見たとき、わたしの頭に浮かんだのは、ひどくちっぽけで、薄汚いところだったんだ、という思いだけだった。「柱の列がないじゃない」胸の底からわき上がる満足感とともに、そうひとりごとを言ったのだ。もうひとつ、前の家主にそのことを話してやれたら、どんなにいいだろう、と。


(この項つづく)

シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その9.

2012-08-07 23:24:39 | 翻訳

その9.


 ちょうどそのとき、うちの引っ越しトラックがやってきた。前のアパートから家具を運び出しているときにはまったく何の違和感もなかった三人の筋骨隆々たる男たちが、列柱の間を通ってうちの小さな椅子やテーブルを運んでいる姿を見ていると、なんだかひどく場違いに思えてくる。

「配管も少し拡張しておきましから」ミスター・フィールディングはそれだけ言うと、帰って行った。

 最初の一週間ほどは、何もかもがどうにもちぐはぐだった。うちの家具は、都会のアパートでは十分だったのだが、ここではこだまの返ってくるような部屋の中に、ぽつんぽつんと置いてある、という恰好で、わたしたちはミスター・フィールディングや近所の古道具屋から、おかしなテーブルや机を買って、なんとか埋めなければならなかった。後日わかったのは、家はドクター・オーグルビーがもともと建てたときより、ずいぶん膨張していたのだ。

カートランド家が夏用の台所を建て増したのだが、フィールディング家はさらに建て増しに建て増しを重ねて、そのかつては夏用の台所だった部屋も、最初は家の裏手にくっつくように建っていたのだが、いまでは家のど真ん中に位置し、大きくてどっしりした部屋に囲まれて、もはや台所であるどころか、見つけ損なうことすらある小さくて薄暗い部屋になってしまっていた。

ベッドを三台しか持っていないわたしたちだったが、ベッドルームは六つもあったので、ミスター・フィールディングは五十セントでベッドを一台売ってくれた。そのベッドはつい先日、家から運び出して、大きな納屋のひとつにしまったばかりのものだった。

オルガンも買おうとしたのだが、ミスター・フィールディングは骨董商に売ってしまっていた。だがセイヨウバラの絨毯はぜひに、と買い戻した。というのも広大な居間にぴったりと収まるのは、その絨毯しかなかったからである。古いキッチンテーブルだけは、夫と私は声をそろえて、結構です、と断った。

こうしたさまざまのもの、以前からこの家に備えつけられていたものや、同じような古い家や事情に通じた人からゆずってもらったものはどれも、自然に落ち着き先を見つけていった。まるで、都会の家具がなだれこんで来る前に、最適の場所を急いで確保しようとでもいわんばかりに。

居間の暖炉のどちらかの脇に、わたしたちはどうにかしてふかふかの椅子を置こうとしたのだが、ミスター・フィールディングがくれた古い木製のロッキング・チェアが、暖炉の前の敷物の真ん中に鎮座ましまして、人間の力ではどうしても配置換えすることはできなかった。古い脚つきの高いタンスも、ロッキング・チェアと同じくらいの年代物で、町の反対側にある旧家の納屋からやってきたものなのだが、これもロッキング・チェアにほどちかい居間の一角を占拠して、このふたつは無言の友情を交歓しているかのようだった。

 意地になって、どうにかわたしたちのやり方を押しつけようと、何度となく空しい試みを繰り返し、そのせいでちぐはぐになったり、歯の根が合わなくなるほどのひどい不協和音を味わわされたあげく、わたしたちは古い家具の意を汲んで、家具がいたい場所にいさせてやることにした。ダイニング・ルームに一箇所、どうしても疳に障る場所があった。そこにテーブルを置いても、食器棚を置いても具合が悪く、ラジオを置こうとしたら驚いたことに床がたわむ。それがある日、まったくの偶然から、ここには以前、書き物机があったことを知って、骨董屋で古い書き物机をさがし、真鍮のインク壺を上にセットしてみると、はじめてそこが具合良くおさまったのだった。



(この項つづく)




シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その8.

2012-08-04 23:15:13 | 翻訳
その8.


 一週間後、ふたたびミスター・フィールディングから手紙が届いた。それには、家はもうすっかりわたしたちのための準備が整っている、ただ外側はまだで、天候が回復すればペンキを塗るつもりだ、とのこと。さらに、前の手紙にわたしたちは返事を書かなかったことから、彼が申し出た家賃が高すぎたのだろうか、ならば四十ドルでどうだろう、と書いてあったのである。

 ひどい罪悪感にかられた夫は、さっそく返事を書いた。月額五十ドルでかまわない、と。「ぼくたちにくれてやろうと言い出す前にね」とわたしにはそう言った。

「でも、わたしは……」そう口を開いたが、もちろんわたしだってそうするしかないのはわかっていた。

 夫が発ったその翌日、わたしも電車に乗りこんだ。やたらと興奮しているローリーとベビーバスケットにおさまったジャニーを連れ、道中ずっと、ローリーとベビーバスケットとスーツケースとサンドウィッチにもみくちゃにされながら、誰かキッチンテーブルとドーナツを片付けることを思いついてくれただろうか、といぶかっていた。もし辛抱できないんだったら、もう一度、市内でどこか探してみよう、と夫も約束してくれていた。

ミスター・フィールディングが夫と一緒に駅で待ってくれていた。また彼の顔を見た瞬間、あの家の感じがありありとよみがえってきて、ただちにUターンしてそのまままっすぐ戻りたくなった。だが、ミスター・フィールディングは晴れ晴れとした顔でわたしに笑いかけ、「こんにちは、坊や」とローリーに呼びかけ、さらに赤ん坊をしかつめらしい顔でしばらく見つめていた。ジャニーも相手を見つめ返している。それからミスター・フィールディングはわたしにうなずいて、ふたたび保証するかのように言った。「多少修繕しておきましたから」

 その言葉の意味がわかったのは、家を見たときだった。家は文字通り、壁の木目がみえるまで磨き上げられていた。ミスター・フィールディングは壁紙も新しくしてくれていて、その壁紙も華やかな模様の見事なものだった。窓も洗ってあり、柱はまっすぐに戻り、階段の壊れた箇所は直してある。台所には陽気な男がいて、真新しい棚に白いペンキを塗って、最後の仕上げをしているところだった。そこには新しい電気こんろに、新しい冷蔵庫、床板は張り替えられて、ワックスもかけてある。右端の柱からはスズメバチの巣も取りのけられていた。芝生は、いままさに青い新芽が萌え出ようとしている。ローリーは列柱の間を駆け回り、まっすぐな階段を上がったり降りたりしていた。バスケットの中のジャニーはにっこり笑って、木々の上に拡がる空を見上げていた。

「なんてきれいなんでしょう」わたしはミスター・フィールディングに言った。涙がこぼれそうだった。「前と大差ないだろうと思ってたんです」

「多少の骨は折らなきゃなりませんでした」ミスター・フィールディングも同意した。それから新しい台所のコンロを見やってうなずいた。「手を掛けりゃ、古い場所でもいいもんでしょう」



(この項つづく)


シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その7.

2012-08-03 23:24:02 | 翻訳

その7.


 夫とわたしは正面玄関に向かって歩き出したが、ポーチにつづく階段の壊れた箇所をすんでのところでよけることができた。だが、いったん円柱の中に入っていくと、まさに「家」という感覚が襲ってきたのである。これこそが家だ。マキャフリー邸やエグゼター邸のような代用品とはくらべものにならない。夫がためらいがちに、ドアを開けてみようとした。するとドアは勢いよく開いた。

おそるおそる、壊れた床板に注意しながらわたしたちは中に入っていった。広い玄関ホールは列柱の影になっていて薄暗く、まっすぐで美しいコロニアル様式の階段を背にしている。向かって右手の場所には、セイヨウバラがあふれんばかりに描かれているカーペットが敷き詰められ、オルガンが一台、古びて黒ずんだ絵の下に置いてあった。絵はかすかに前方に傾いていて、なんだかわたしたちに驚いているように見えた。

キッチンに入ってみると、重々しくどっしりした鉄製のかまどが倒れかかるぞ、とわたしたちを脅しているかのよう。おまけにその台所には、ほこりが厚く積もったテーブルがあり、ほこりまみれのカップと、ひからびた年代物のドーナツをのせた皿が置いてあった。そうして椅子が、テーブルからわずかに後ろにやられて。

「こんなとこまで来てしまってごめんなさい」わたしは心から夫に謝った。おぞましいドーナツを見ていると、手が震えてくる。「わたしたち、お昼の邪魔をしちゃったのよ。早く行きましょう」

「もしこの町に家がたった一軒しかないんじゃなかったら……」と夫は言っていたが、それでも足早にわたしのあとを追って外に出た。

 ミスター・フィールディングは立ち上がってわたしたちを迎えてくれている。柱の間を通ってわたしたちは降りていった。近くまできたところで、ミスター・フィールディングは「天気が崩れそうだ。朝までには雪になりますよ」

彼は神妙な顔つきで天気のことを話しながら、わたしたちを駅まで送ってくれた。列車が駅に入ってきたところでこう言った。「では、春にこっちにいらっしゃるまでに、多少修繕しておきますよ」

「少し教えてほしいんですけど」とわたしは言った。「あの家に誰も住まなくなって、どのくらいになるんですか?」

「おじいさんが亡くなってからです。」と彼は言った。「四年ほどになるでしょうかな」

「でも、片付けたりしなかったんですか?」わたしはなおも言った。「遺品を整理したりは?」

「実際のところ人に貸すつもりはなかったんです」と思慮深げな声で言った。「だからさっさと片付ける必要もなくてね」

 わたしたちが列車に乗り込むと、ミスター・フィールディングは心のこもった顔でわたしたちに手を振ってくれた。

それから二週間というもの、わたしは断固として非現実的な信念を手放すまいとしていた。仮に、あの家が町でたったひとつの空き家であっても、いや、世界中でただ一軒の家であってもかまわない、その結果、公園で野宿する羽目になろうとも、ひからびたふたつのドーナツのある家に住むのだけはお断りだ。

だが、そのつぎの週になってミスター・フィールディングからの手紙を受け取ったのである。あの家をいま、修繕しているところだ。賃貸料は月額50ドルいただくのでは、高すぎるだろうか?

「どうやらあなたは家を借りることにしたようね」わたしは理に適わないことを夫に言った。

「たぶん、ぼくたちが中へ入ったからだろうよ」と夫は言った。「これまで誰もあの家に入るまではいかなかった。そこへ、ぼくたちが入っていったから、おそらくそれが賃貸契約を構成してしまったのさ」



(この項つづく)



シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その6.

2012-08-01 23:59:34 | 翻訳
その6.

 家は建てられてほどなく、オーグルビー家の人びとがみんな亡くなるか、引っ越してしまうかして、コートランドという一家のものになる。コートランド家は農場のほとんどを売って、ドクター・オーグルビーの薪小屋を別棟の台所に改築した。やがてコートランド家は家をフィールディングという一家に売ると、フィールディング家はすぐに周囲の土地を全部買い戻して、今度は家をいくつも建てた。それを貸家にして、ドクター・オーグルビーの時代、農場を流れていた川沿いに製材所を作り、自分の店子をそこに従業員として雇ったのである。

町史によると、もともとフィールディングというのは、ドクター・オーグルビーの作男だったらしく、一家はすでに当時からそこの地所に目をつけていたにちがいない。町が発展するにつれ、フィールディング家も豊かになっていったが、やがてその家でフィールディング家直系の最後の世代が死に絶えると、家屋土地の一切は三人の近親者の手に渡った。彼らはみんな近隣の町の簡素で近代的な家に住んでおり、有している製材所の株の配当で結構な生活を営んでいた。

 荘園屋敷が貸家として出されたときには、まるで町の活気のある部分が気がつかないうちに川に浸食されていったような具合だった。そうしてフィールディング家の相続人と、町で二番目に古い家の持ち主であるバートレッツ家の間の不和が高まったのである。住宅がこれまでにないほど欠乏していた時期、製材所は昼夜を分かたずフル操業していたのだが、古い荘園屋敷は丘のてっぺんに住む人もなく取り残され、白い柱はかしぎ、車寄せは落ち葉や雪に埋もれた。その雪に足跡をつける人もなかったのである。

わたしたちがその家を初めて見たときは、なんだか少し場違いな印象を受けたものだった。正面から両脇へと伸びる垣根さえも、いくぶん家から身を引き離そうとしているような、実際には縁を切ったわけではないが家のことを嘆かわしく思っており、にもかかわらず人間界に向かっては家と一体となって直面しようとしているかのように思えたのである。

サム・フィールディングはフィールディング家の三人の近親者の中でもただ一人、フィールディングという姓を継いでいる人物だったので、その人が家を案内してくれるというのは、一応筋が通っているように思われた。彼は小柄で物静かな老人で、思慮深いヴァーモント人らしい、 ゆっくりとした話しぶりだった。その人とわたしたちは芝生の端に並んで立って、彼も夫もわたしも言葉もなく、巨大な列柱と張り出した両翼、黙ったままわたしたちを見つめている風見鶏を見上げていたのだった。

「これが家です」ミスター・フィールディングは誰にも否定できないことを行った。「少しでも使ってもらえたらいいんだが」まるで家から非難のまなざしを向けられでもしたかのように、顔を背けた。「いい家です」と付け加える。

「なんだかとっても」わたしはためらった。「堂々としていますね」と、やっとそれだけ言った。

「堂々としておりますな」ミスター・フィールディングも同意してくれた。彼は夫の差し出したタバコを断って、自分のを取り出した。同じ銘柄だったが、自分のものを、ということらしい。「きれいにしておきますから」

「中に入ってもいいですか?」とわたしはたずねた。「もしここが気に入ったとしたら、中を見ておいた方がいいと思うんです」

「ドアは開いてますよ」とミスター・フィールディングは言った。

 わたしたちは、夫とわたしはためらっていた。ミスター・フィールディングは木の切り株に腰を下ろし、足を組んでくつろいでいる。

「ドアは開いていますから」と彼はもう一度言った。


(この項続く)