陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

闇を探す その4.

2006-03-31 23:01:57 | 
4.照明の移り変わりと文学


芥川龍之介の『雛』にしても、新美南吉の『おじいさんのランプ』にしても、物語のなかで照明器具の変化は時代の移り変わりを示す象徴として描かれていた。

ところが、欧米の小説には、このように照明器具の変化そのものを題材に取った作品が見あたらない。それはなぜなのだろうか。


照明器具の外見は様々でも、光源は、日本でも西洋でも十八世紀までは同じ、油かロウソクだった。それが十八世紀後半から、差がつき始める。

ヨーロッパでは、石油ランプ→ガス灯→白熱電球→蛍光灯という発達過程を経ていくが、その変化はゆるやかだった。
それに対して、日本ではヨーロッパが二百年かけて発達したプロセスを、明治維新後、八十年で経験してしまう。

 明治中期に東京で生まれて長生きした人は、たとえば谷崎(※潤一郎:1886-1965)もそうだが、一生のあいだに、右の四種類の光源を自分の身のまわりで体験できたろう。しかし、もし同じ人がロンドンで生を受けたとしたら、同じ期間に、自分の家ではガス灯と白熱電球しか見なかったろう。…

 ヨーロッパの照明は、光源も器具も変化がおそく、変化の地方への伝播もおそい。…光源が新しくなれば、もちろんより明るくなるのだけれど、照明器具の方は、淘汰されたはずの旧光源の器具が生きのびたかと見まがうほど似たものがあとを受ける。そしてそれが、何世代もかけて、ゆっくり石の家と新光源のあいだの橋渡しをするのだ。照明の連続性とはこういうことをいう。それで照明が文化たりうるのである。

 それに対して、日本の照明は変化が激しく、しかもその変化は、その都度、すぐ国中に伝わる。光源が変わることもあれば、器具が変わることもあるが、二、三十年に一度くらい、大きく照明が変わると、日本中がわれもわれもと同じことをするから、いきおい画一化がすすむのだ。つまるところ、照明は不連続になる。
(乾正雄『夜は暗くてはいけないか 暗さの文化論』朝日新聞社)

このような急な変化を目の当たりにすれば、そうして、旧世代の照明器具が、まったく廃れてしまうとなれば、それは時代の終焉の象徴ともなるのだ。

変化が連続的で、しかも旧世代の照明器具も並行的に使われているような場合は、そのような象徴とはなりにくい。


アメリカの小説で、灯りが印象的な小説といえば、『グレートギャツビー』だろう。

 夏の夜な夜な、隣の邸宅からは、楽の音が流れてきた。そしてその青みわたった庭の中を、ささやきとシャンペンと星屑につつまれながら、男女の群れが蛾のように行きこうていた。……

 すくなくとも二週間に一度は余興係の一団が、数百フィートのズックと、ギャツビーの大庭園を一つのクリスマス・ツリーに仕立てうるだけの色電球を持ってやってくる。……

 地球が太陽から傾き離れて行くにつれて灯は輝きを増し、オーケストラは扇情的な酒席の音楽を奏しはじめ、人声のオペラもいちだんと調子を高める。緊張は刻々にくずれ、笑い声は惜しげもなくばらまかれて、愉快な言葉を聞くたびにどっとばかりに爆笑が湧き起こる。……

 ぼくがはじめてギャツビーの家へ出かけた夜、ぼくも含めてほんとうに招待を受けてきた客はごくわずかしかいなかったはずだ。人びとは招待されるのではない――彼らのほうから出かけて行くのだ。ロング・アイランドまで運んでくれる車に乗りこみ、ともかくギャツビー邸の入り口で降りる。ここまでくれば、ギャツビーを知っている人間が招じ入れてくれる。後は遊園地の行動原則にしたがって振舞うだけだ。ときには来てからかえるまでに一度もギャツビーその人に会わぬこともある。パーティが好きでやってくるその単純素朴な心、それが唯一の入場券なのだ。
スコット・フィッツジェラルド『グレートギャツビー』野崎孝訳 新潮文庫

『グレートギャツビー』が発表されたのは1925年。アメリカの1920年代を代表する作品である。

本格的な大量生産・大量消費の時代を迎えたアメリカでは、中西部や南部からニューヨークへ人が続々と集まってきて、この時代特有の文化を形成する。

「ぼく」のニック・キャラウェイも中西部の名家から、ニューヨーク郊外のロングアイランドに住むようになる。その隣には「ノルマンディのどこかの市庁そっくり」の大豪邸が建っている。それがギャツビーの家なのである。

とびぬけて豪華で広大な邸宅で、夜な夜なパーティを開くギャツビーの家は、電飾に彩られ、誘蛾灯のように、パーティ好きの客を引きつける。

だが、ギャツビー自身はパーティを楽しんでいる様子はない。

明るい夜空には、梢にはばたく羽音やら、いっぱいに開いた大地のふいごが蛙どもにあふれるばかりの生命を吹きこんだような、絶え間ない歌声が聞こえて賑やかだった。月光の中を、一匹の猫が影のように通りすぎた。その姿をとらえようと頭をめぐらしたとき、ぼくは、自分が一人でないことを知った――五十ヤードほど離れた所に隣の邸宅の影の中からいつの間に出てきたのか、ひとりの男がたっていて、ポケットに両手をつっこみ、銀砂をまいたような星空を眺めている。悠然たる身のこなし、それから芝生をふまえて立ったそのおちつきはらった感じから、これがギャツビーその人であることは明らかだった。このあたりの天地に占める、わが家のたたずまいかいかにかと、それを見定めに出てきたのだろう。

ぼくは言葉をかけようと思った。……しかしぼくは言葉をかけなかった。というのは、ふと彼が、自分はひとりで満足しているのだという気配をただよわせたからである――彼は、暗い海にむかって奇妙にも両手をさしのべた。そして、ぼくは彼の所から遠く離れてはいたが、彼が慄えていたことは断言してもいい。反射的にぼくは、海のほうを見た――と、そこには遠く小さく、桟橋の尖端とおぼしいあたりに緑色の光がひとつ見えただけで、ほかには何も見えなかった。もう一度ギャツビーの姿を探したときには、もう彼は姿を消していた。そしてぼくは、ざわめく夜の中に、ふたたび一人になったのだ。

まばゆいギャツビー邸でのパーティは、入り江の向こうに住むデイズィを呼び寄せるためのものであり、電飾だったのだ。そうして、ギャツビーが見ていた緑の灯はデイズィの家の灯なのである。

(明日最終回)

闇を探す その3.

2006-03-30 22:32:26 | 
『おじいさんのランプ』で巳之助が予見したように、明治時代の末期には徐々に電燈が一般家庭にも入ってくる。

明治四十三年(1910)から翌年まで雑誌に連載された森鴎外の『青年』には、この入って間もない頃の電燈をめぐるいくつかの描写がある。

Y県から東京の一高に進学した小泉純一の下宿には、電燈が引いてある。(引用は青空文庫)

 純一はこんな事を考えながら歩いていて、あぶなく柏屋の門口を通り過ぎようとした。幸に内から声を掛けられたので、気が附いて戸口を這入って、腰を掛けたり立ったりした二三人の男が、帳場の番頭と話をしている、物騒がしい店を通り抜けて、自分の部屋の障子を明けた。女中がひとり背後から駈け抜けて、電燈の鍵を捩った。)

「電燈の鍵」というのは、各部屋ごとにスイッチなどない時代に「キーソケット」というものがあって、そこに鍵を差し込んで、点滅を行っていたのである。
あるいはこんな描写もある。

 こんな事を思って、暫く前から勝手の方でがたがた物音のしているのを、気にも留めずにいると、天井の真中に手繰り上げてある電燈が突然消えた。それと同時に、もう外は明るくなっていると見えて、欄間から青白い光が幾筋かの細かい線になってさし込んでいる。

「天井の真中に手繰り上げてある電燈」とは、当時の電燈が暗かったために、本などを読むときは手元を明るくするためにコードをのばしていた。そうして、それが「突然消えた」のは、事故や落雷による停電ではなく、明け方になると、発電所で発電機を停止していたのである。日本では大正時代まで、電燈線は夜だけ送電していたという(以上参考文献:照明文化研究会編『あかりのフォークロア』)。

鴎外自身の家に電燈を引くようになったのは、正確には不明だが、この作品が発表された前年の明治四十二年頃、さらに、夏目鏡子の『漱石の思ひ出』によると、「電燈は贅沢」といって許してくれなかった漱石が、大阪の湯川病院に入院中に、鏡子夫人の一存で、明治四十四年に引いた、とある。

けれどもそのころ一般に用いられていたのは、まだまだ中心は石油ランプだった。
だが、こうして明治の夜は次第に明るくなってくる。

(この項つづく)

闇を探す その2.

2006-03-29 22:36:28 | 
2.明るいランプと豊かな闇

芥川龍之介の『雛』の舞台は、日本に石油ランプが普及し始めたのは、明治七年(1874)『東京日日新聞』に「舶来ランプのみならず、和製のランプも出回り東京市内にランプ普及す」という記述があることから、ちょうどその頃のことであろうか。

だが、地方の、それも農村部にランプが普及するのは、もっとあとのことである。

新美南吉の『おじいさんのランプ』では、日露戦争の頃(開戦は明治三十七年(1904))の話として、十三歳の巳之助のこんな話が語られる。(引用は青空文庫

 しかし巳之助をいちばんおどろかしたのは、その大きな商店が、一つ一つともしている、花のように明かるいガラスのランプであった。巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かった。まっくらな家の中を、人々は盲のように手でさぐりながら、水甕や、石臼や大黒柱をさぐりあてるのであった。すこしぜいたくな家では、おかみさんが嫁入りのとき持って来た行燈を使うのであった。行燈は紙を四方に張りめぐらした中に、油のはいった皿があって、その皿のふちにのぞいている燈心に、桜の莟ぐらいの小さいほのおがともると、まわりの紙にみかん色のあたたかな光がさし、附近は少し明かるくなったのである。しかしどんな行燈にしろ、巳之助が大野の町で見たランプの明かるさにはとても及ばなかった。

 それにランプは、その頃としてはまだ珍らしいガラスでできていた。煤けたり、破れたりしやすい紙でできている行燈より、これだけでも巳之助にはいいもののように思われた。

 このランプのために、大野の町ぜんたいが竜宮城かなにかのように明かるく感じられた。もう巳之助は自分の村へ帰りたくないとさえ思った。人間は誰でも明かるいところから暗いところに帰るのを好まないのである。

 竜宮城のように明るい町の灯に感激した巳之助は、その足で雑貨屋に行き、ランプを買おうとする。自分の持っている全財産をはたいても、ランプは買えない。そこで雑貨屋に、卸値で売ってくれるよう、掛け合う。自分は今日からランプを商うのだ、と。

 巳之助はランプのあつかい方を一通り教えてもらい、ついでに提燈がわりにそのランプをともして、村へむかった。
 藪(やぶ)や松林のうちつづく暗い峠道でも、巳之助はもう恐くはなかった。花のように明かるいランプをさげていたからである。
 巳之助の胸の中にも、もう一つのランプがともっていた。文明開化に遅れた自分の暗い村に、このすばらしい文明の利器を売りこんで、村人たちの生活を明かるくしてやろうという希望のランプが――

やがてこのランプも、『雛』の兄が「それでも慣れりやあ同じことですよ。今にきつとこのランプも暗いと云ふ時が来るんです。」と言ったように、十三歳の巳之助が、大人になり、ふたりの子供の父親になった頃、町に電灯が引かれる。

 ところでまもなく晩になって、誰もマッチ一本すらなかったのに、とつぜん甘酒屋の店が真昼のように明かるくなったので、巳之助はびっくりした。あまり明かるいので、巳之助は思わずうしろをふりむいて見たほどだった。
「巳之さん、これが電気だよ」
 巳之助は歯をくいしばって、ながいあいだ電燈を見つめていた。敵でも睨んでいるようなかおつきであった。あまり見つめていて眼のたまが痛くなったほどだった。
「巳之さん、そういっちゃ何だが、とてもランプで太刀うちはできないよ。ちょっと外へくびを出して町通りを見てごらんよ」
 巳之助はむっつりと入口の障子をあけて、通りをながめた。どこの家どこの店にも、甘酒屋のと同じように明かるい電燈がともっていた。光は家の中にあまつて、道の上にまでこぼれ出ていた。ランプを見なれていた巳之助にはまぶしすぎるほどのあかりだった。巳之助は、くやしさに肩でいきをしながら、これも長い間ながめていた。

巳之助はランプがもはや時代遅れだと知る。

電燈という新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。

こうして巳之助はランプ屋を廃業するのだ。

ここには、明るいことはいいことだ、明るいことは文明が進んだ証だ、という素朴な信念がある。

ところが、同じ時期、日本の地方にいながら、古くからの日本の灯りに感動したのは、ギリシャに生まれ、アメリカで新聞記者生活をした後、日本にやってきたラフカディオ・ハーンである。

家のちょうど真向かいにお堂のあるお地蔵様の祭礼を然るべく執り行いたいので、少しばかりお力添えをお願いしますという。私は心から喜んで寄付をした。この穏やかな神様が大好きだし、そのお祭りが実に楽しいものだということも知っていたからである。

あくる朝早く見てみると、お堂はすでに花や奉灯がいっぱい飾られていた。地蔵の首には真新しいよだれ掛けがかけられ、仏教のお供え膳が前に置いてある。しばらくして、お寺の境内に、子供たちが踊る舞台を大工が組み立てた。そして日が落ちる前には、敷地内の道の両側におもちゃ屋の屋台店が次々と並んで建てられた。

あたりが暗くなってから、私は子供たちの踊りを見に、提灯の明かりがまばゆく輝く中へと出て行った。すると家の門の前に、長さ三尺をこえる巨大な蜻蛉が一匹とまっているのに気付いた。それは、私のささやかな寄付に対する子供たちのお礼のしるしの飾り物だった。一瞬、あまりに写実的な出来だったので度肝を抜かれたが、よくよく見れば、胴体は色紙でくるんだ松の枝で、四枚の羽は四本の火掻き棒、きらきら光る頭部は小さな茶瓶で作られていることがわかった。さらに全体が、あやしい影が差すように置かれた蝋燭の光で照らし出され、その影が絶妙な効果をあげているのである。これは、美術用品を全く使わずに、美的感覚を存分に発揮させた見事な例といえる。しかもそれは貧しい家の、わずか八歳の小さな子が全部一人で苦労して作った作品なのだった!
(小泉八雲『光は東方より』平川祐弘編 講談社学術文庫)



当時の日本人にとって、暗さは、貧しさと文明の遅れの象徴だった。そこに美を見出すのは、外の世界からやってきたハーンの目が必要だったのだ。

ハーンは日本の闇の深さをよく知っていたにちがいない。それは『狢』という短編にもよく現れている。(以下引用は青空文庫

紀国坂の壕のほとりでしゃがんで泣いている女がいる。商人が声をかける。振り返って袂から顔を上げた女には顔がない。

 一目散に紀国坂をかけ登った。自分の前はすべて真暗で何もない空虚であった。振り返ってみる勇気もなくて、ただひた走りに走りつづけた挙句、ようよう遥か遠くに、蛍火の光っているように見える提灯を見つけて、その方に向って行った。

真っ暗な中で見つけた提灯の明かりを見て、商人はどれほど安堵したことだろう。ところがその蕎麦屋は……

『盗賊にか?』『盗賊ではない――盗賊ではない』とおじけた男は喘ぎながら云った『私は見たのだ……女を見たのだ――濠の縁で――その女が私に見せたのだ……ああ! 何を見せたって、そりゃ云えない』……
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。

日本の豊かな闇を教えてくれたのは、ハーンが最初だったのかもしれない。

(この項つづく)

闇を探す

2006-03-28 22:17:14 | 
0.闇を作り出すことはできるのだろうか?

以前、スウェーデンから来た人と話をしていて、おもしろいことを聞いた。

スウェーデンは白夜なので、夏の間は日が沈んだと思うと、夜中の二時ぐらいには、もう太陽が昇ってしまうのだという。すると、一斉に鳥が鳴き出す。日が昇るだけなら、厚いカーテンをかけ、なんとか眠りを妨げないようにする工夫もできるのだが、鳥の声だけはどうしようもない。

そこで、ひとつ提案があるのだが、とその人は言うのだ。だれか科学者を知らないか、と。

自分は冷蔵庫の原理を聞いたことがある。熱を逆転させて冷やしているのだ。それと同じように、光を逆転させて、闇を作り出すことはできないだろうか。
そうすれば、闇を作り出す装置を街灯のように設置して、太陽が昇っても鳥たちをそのまま起こさないようにできる……。

わたしはこの話を聞いて頭がぐらぐらしてしまって、そんなことが可能かどうか、考えてみることすらできなかったのだけれど、光を遮断して闇を作るのではなく、闇を人工的に作り出すことは可能なんだろうか。

考えてみれば、わたしの小さい頃は、アイスクリームというのは、暑い夏の楽しみだった。暑い夏に、冷凍庫からよく冷えたアイスクリームを取り出して食べる。暑さを忘れる瞬間である。

ところがいまでは冬に、暖房の良く効いた部屋でアイスクリームを食べる。暖房で多少暖まり過ぎた体に、アイスクリームが心地よい。

このように、わたしたちは、夜を明るく照らすだけでなく、さらに、明るい中に闇を作り出すようになっていくのだろうか。

そういうSFのような、未来のことはさておいて、いまのように夜が明るくなる前はどうだったのだろう。本のなかから、夜が暗かった頃、暗いなかにともる灯りはどんなふうだったのか、見てみたい。

1.明治のころ

明治になって、ちょうど灯りが行灯からランプに移り変わる時期の小説といってまず思い出すのは、芥川龍之介の『雛』という短編である。

物語の語り手は十五になるお鶴。
お鶴の生家は、もともとは大店だったのだが、幕末の混乱で一切を失ってしまい、代々つたわってきた道具類を売ることで、かろうじて生活を成り立たせている。

そうしてお鶴の雛人形もアメリカ人に売ることになってしまった。

わたしの家と申しましても、三度目の火事に遇つた後は普請もほんたうには参りません。焼け残つた土蔵を一家の住居に、それへさしかけて仮普請を見世にしてゐたのでございます。尤も当時は俄仕込みの薬屋をやつて居りましたから、正徳丸とか安経湯とか或は又胎毒散とか、――さう云ふ薬の金看板だけは薬箪笥の上に並んで居りました。其処に又無尽燈がともつてゐる、……と申したばかりでは多分おわかりになりますまい。無尽燈と申しますのは石油の代りに種油を使ふ旧式のランプでございます。可笑しい話でございますが、わたしは未に薬種の匂、陳皮や大黄の匂がすると、必この無尽燈を思ひ出さずには居られません。現にその晩も無尽燈は薬種の匂の漂つた中に、薄暗い光を放つて居りました。
(芥川龍之介 『雛』

無尽燈の光が照らす蔵のなかは、いったいどのくらいの明るさだったのだろう。

雛人形にさほど執着がなかったお鶴だが、手放す日が近づくと、いちど並べてみたくなり、父親にそれをせがむ。だが、売ると決めたものは、もう家のものではない、と、父親は取り合わない。
いよいよ雛人形を手放すことになった当日、入れ替わるように、一家に「ランプ」が来ることになる。

 その晩のことでございます。わたしたち四人は土蔵の中に、夕飯の膳を囲みました。尤も母は枕の上に顔を挙げただけでございますから、囲んだものの数にははひりません。しかしその晩の夕飯は何時もより花やかな気がしました。それは申す迄もございません。あの薄暗い無尽燈の代りに、今夜は新しいランプの光が輝いてゐるからでございます。兄やわたしは食事のあひ間も、時々ランプを眺めました。石油を透かした硝子の壺、動かない焔を守つた火屋、――さう云ふものの美しさに満ちた珍しいランプを眺めました。
「明るいな。昼のやうだな。」
 父も母をかへり見ながら、満足さうに申しました。
「眩し過ぎる位ですね。」
 かう申した母の顔には、殆ど不安に近い色が浮んでゐたものでございます。
「そりやあ無尽燈に慣れてゐたから……だが一度ランプをつけちやあ、もう無尽燈はつけられない。」
「何でも始は眩し過ぎるんですよ。ランプでも、西洋の学問でも、……」
 兄は誰よりもはしやいで居りました。
「それでも慣れりやあ同じことですよ。今にきつとこのランプも暗いと云ふ時が来るんです。」

無尽燈に比べれば、石油ランプははるかに明るいのだろう。一家は雛人形を手放すことで、新しい「美しさに満ちた」石油ランプの光を手に入れる。
だが、みんなが喜ぶなかで、病に臥す母親は、石油の匂が鼻について、重湯さえ食べられない。

なんとか雛人形がもういちど見たい、と思いながら眠ったお鶴は、夜中、目が覚める。

それからどの位たちましたか、ふと眠りがさめて見ますと、薄暗い行燈をともした土蔵に誰か人の起きてゐるらしい物音が聞えるのでございます。鼠かしら、泥坊かしら、又はもう夜明けになつたのかしら?――わたしはどちらかと迷ひながら、怯づ怯づ細眼を明いて見ました。するとわたしの枕もとには、寝間着の儘の父が一人、こちらへ横顔を向けながら、坐つてゐるのでございます。父が!……しかしわたしを驚かせたのは父ばかりではございません。父の前にはわたしの雛が、――お節句以来見なかつた雛が並べ立ててあるのでございます。

 夢かと思ふと申すのはああ云ふ時でございませう。わたしは殆ど息もつかずに、この不思議を見守りました。覚束ない行燈の光の中に、象牙の笏をかまへた男雛を、冠の瓔珞を垂れた女雛を、右近の橘を、左近の桜を、柄の長い日傘を担いだ仕丁を、眼八分に高坏を捧げた官女を、小さい蒔絵の鏡台や箪笥を、貝殻尽しの雛屏風を、膳椀を、画雪洞を、色糸の手鞠を、さうして又父の横顔を、……

 夢かと思ふと申すのは、……ああ、それはもう前に申し上げました。が、ほんたうにあの晩の雛は夢だつたのでございませうか? 一図に雛を見たがつた余り、知らず識らず造り出した幻ではなかつたのでございませうか? わたしは未にどうかすると、わたし自身にもほんたうかどうか、返答に困るのでございます。

ここに出てくるのは行燈である。
天井に吊すのではなく、床に置いた、おそらく高さ90センチあたりに揺れる灯。和紙が周囲に張ってあるため、行燈が投げかける光は、蝋燭の火よりも淡かったのではないか。

不思議、とも、夢ではなかったか、と思うのも、それはすべて覚束ない行燈の光のせいだろう。
芥川龍之介は、滅びゆく世界を、この行燈の光で映しだしたのである。

(この項つづく)

筆で字を書く話

2006-03-27 22:47:25 | weblog
近所に小さなお寺がある。

入り組んだ、昔はあぜ道だったにちがいない、くねくねとした細い道を入っていくと、やがて大きなクスノキにでくわす。樹齢二百年、と立て札が出ているのだが、木そのものは高い塀の内側に生えているために、上の方しか見ることはできない。その高い塀がお寺で、それほど広くはないらしいお寺の、ちょうどその塀が切れたところから、くねくねした道は、これまた細い、一方通行の道と合流する。ところがこの道は渋滞抜け道マップに載っているらしく、そこからは自動車が引きも切らない。道の端を通っていても、ええい、邪魔邪魔、とばかりにクラクションを鳴らされたりする。

わたしがそこを通るのは、さまざまな事情で一週間に一度なのだけれど、そこを通るたびに楽しみにしていることがある。

そのお寺の門の横に掲示板があって、白い和紙に毛筆で「今週のことば」が出ているのである。
「今週」とあるが、必ずしも毎週新しくなっているわけではなく、一ヶ月近く同じものが出ていたかと思うと、頻繁に別のものに変わっていたりする。こういうのも「更新」と呼んでしまって、いいものなのだろうか。

書いてある内容は、「わたしが、わたしになる」とか、「かけがえのない、いのち」とか、間に読点を入れるのは、おそらくそこのご住職の好みなんだろう、わたしがこれまで目にした限り、いつもひらがなで読点入りだ。文言は、例の「みつを」というサインが入っているあれみたいだけれど、あんなふうに崩した字ではなく、几帳面な楷書で書かれている。どっしりと整った字は、見ていて楽しい。といっても自転車を降りて鑑賞するわけではなく、通りすがりに目に留めるだけなのだけれど。

習字というのは、小学校、中学校と授業で教わったこともあるけれど、あまり良い思い出はない。だいたい、半紙や硯、筆や文鎮が入った習字の道具を、普段の荷物にプラスして持っていくのは大変だったし、実際、雨でも降った日には、目も当てられないことになった(だいたいわたしは未だに傘をさすのがヘタクソで、雨の中を歩くとどういうわけかずぶ濡れになってしまい、人から「傘、持ってなかったの?」と聞かれる羽目になる。

筆を使うのもむずかしく、肘が下りている、とよく先生から注意された。自分の肘に意識が向いてしまうと、手の先がお留守になる。指に力を入れると、肘を忘れて、下がり、また叱られる。とにかく体勢がつかめず、不自然なところに力を入れているために、すぐ、息苦しくなった。習字というのは、身体全体が痛くなるものだと思った。

中学のとき、後ろの席の子が、墨汁がしみこんだ筆を、うっかりわたしの制服のブラウスの袖口に押しつけてしまったこともある。それからあと、その日は一日中、なんでこんなに気分が塞ぐんだろう、と思うほど、憂鬱になった。
家へ帰って母に告げると、いろいろ試したらしい母は、「昔の人の知恵っていうのは、たいしたもんね。ごはんつぶできれいにとれたわ」と言って、きれいになったブラウスを見せてくれた。何がそんなに気を塞がせたのだろう、と思うぐらいあっさりと、かすかに一部分、グレーの丸が残るだけの、白く戻ったブラウスを見ていると、気持ちはすうっと晴れた。

毛筆の字も、お世辞にもうまいとは言えず、普段はマンガ字しか書かないクラスメートが、うってかわってどっしりした重厚な字を書くのを、信じられないような思いで見るだけだった。
普段の硬筆でも字が下手、というコンプレックスはあったのだけれど、それが抜きがたいものになったのは、おそらくこの書道の授業のたまものである。

ところで、つい先日、新聞のニュースで、作家の村上春樹の自筆原稿がオークションに出された、というものを読んだ。その背景には、オークションに出した編集者と村上春樹との軋轢みたいなものがあったようだが、わたしが思ったのは、こういう字を書くんだ、ということだった。

これも一種のマンガ字というのか、小さく丸まった、およそしかるべき年代の男性の字とは思いがたい字である。

ふと、作家に悪意があったらしい編集者が、こいつはこんな字を書くのだ、と、晒しものにしたいような思いがあったのではないか、と思った。
書いた側は、そんなことなどおよそ脳裏をよぎったこともなかっただろう。そこまで、字そのものには何の意識も向かっていない字だった。

字は、人を表さない。
それは確かだ。
けれども、あらゆる作品は、絵であれ、音楽であれ、文章であれ、少なからず機械が介在するはずの写真であれ、作り手の一部がそこに注入されたものであることを考えると、たとえ意識が向かっていなくても、書きつけられた字は、まぎれもなくその人のある部分を反映する。

こういう字を書こう、という意識を持っている人の字は、一種のまとまりがあるし、指向性を持っている。
その指向性がまったくない人もいる。
それはいい、悪いということとは関係がないことだ。

字を書く経験がどんどん減っているなかで、筆を持って、習字をやってみたい、という気持ちが、わたしのなかにある。
いまのあわただしい生活の中で、そんな余裕などないのだけれど、筆で、書を書いてみたい、と思う。あのころよりは、身体も思うように扱えるのではないか、と思うのである。

書をなさっている方、
どうか、わたしに教えてください。

サイト更新しました

2006-03-26 22:00:07 | weblog
サイト、更新しました。
先日まで連載していた「とんでもないラジオ」、手を入れてサイトにアップしました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html
またお暇なときにでも、遊びに来てくださいね。

ジョン・チーヴァーは1950年代のアメリカを代表する短編作家ですが、同じように1950年代の作家、といって必ず名前があがってくるJ.D.サリンジャー、あるいはジョン・アップダイクに比べると、日本では有名ではありません。
その作品は、アメリカの郊外に住む白人中流階級の生活を描いたもので、日本人にはなじみの薄い固有名詞もたくさん出てきます。それでも、根本にある「不安感」というのは、それほど特殊なものであるとは思いません。
非常に有名なんですが、日本では比較的読みにくい、ジョン・チーヴァーのこれまた超有名な短編「とんでもないラジオ」(訳によっては『非常識なラジオ』『巨大なラジオ』)、紹介できてうれしいです。

また新しいことを始めていきますので、どうかよろしく。

記憶の話

2006-03-25 22:36:19 | weblog
ある匂いをかぐと、特定の記憶がよみがえってくる、というのはよく聞く話だ。

あまりに人口に膾炙しているために、引用するのも気が引けるくらいだけれど

五月まつ 花たちばなの 香をかげば むかしの人の袖の香ぞする

と、みかんの花が咲いているだけで、かつての恋人のことをありありと思い出すわけなのだ。

嗅覚というのは、脳のなかでも情動をつかさどる扁桃体や視床下部に直接影響を与えるから、視覚、聴覚にはない、エモーショナルな反応というのが生まれるのだそうだ。

ただ、この「視覚、聴覚にはない反応」というところがどうなのかな、と思ったりする。そんなに嗅覚だけが特別に情動反応と結びつくんだろうか。

音楽のある一部分を聞いただけで、まえにそれを聞いたときの出来事を思い出すこともよくあることだ。ある時期に繰りかえし聴いた曲なら、その時期のこと、あるいは当時の心的状況などを思い出さないわけにはいかない。そういうときの記憶のよみがえり、というのはまぎれもない情動的な反応ではないんだろうか。

あるいは、よくわからないけれど、急に不安感に胸をさいなまれたりする。
なんでだろう、と考えてみると、一瞬目にした光景が、記憶の中の光景と結びつき、当時の心情がフラッシュバックされてしまう。

こうした意味で、記憶というのは、匂いであれ、光景であれ、音であれ、きっかけさえあれば、ぱっとよみがえってきて、わたしたちの身体を、勝手に乗っ取ってしまうものなんじゃないだろうか、と、わたしはそんなふうに思ってしまうのだ。

わたしの場合、本を読み返すと、最初に読んだ場所がありふれた場所ではなく、変則的なところだったりすると、読んだ場所の空気の匂いやあたりのざわめきまでよみがえってくる。
とくに、「声」が聞こえてくるような文章だったりすると、読む、というか、わたしはその文章を耳で聞いているので、そういうときはたいていその「声」を身体に刻み込んで記憶している。そうした「声」は、ほかの情景までいっしょに連れてくるのだ。

たとえばわたしがピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を初めて読んだのは、都電荒川線の中だった。いまでもあの本のベージュの背表紙を見ると、わたしの頭の中では日本語をしゃべるエディパの、少し甘い、低めでやわらかな声が、ゴトゴトという都電の音をB.G.M.に話かけてくる。そうして、あの電車独特の匂いがよみがえってくる。

ところが記憶というのは、よみがえらせようと思ってもうまくいかないことのほうが多い。
あのときはどうだったっけ、と考えるより、望む、望まないに関係なく、不意にこちらを捕まえるようなときのほうが、ずっとリアルに感じられる。

あのときのことを思いだそう、と思って、引き金になるようなあるものの匂いを嗅いだところで、望むような記憶がよみがえってくるわけではない。

こんなふうに考えると、記憶というのは、わたしたちが「所有」している、とはいいにくいような気もする。やはり記憶は「所有」するものではなくて、ともにあるものなんだろう。

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「とんでもないラジオ」、今日は最後まで手を入れられなかったので、明日になります。
細かいところ、ちょこちょこ直しているので、ブログ版よりは読みやすくなってるかな、って思います。
また明日くらいに見てみてください。

今日はほんとうにいいお天気でしたね。
春になったんだなぁ。
アイスクリームを食べなくちゃ。

ということで、それじゃ、また。

ジョン・チーヴァー 「とんでもないラジオ」 最終回

2006-03-24 21:48:06 | 翻訳
その6.

「なぜ聞かなきゃならない? そんないやな思いをしてまでなんだって聞いてるんだ?」

「もうやめて。お願いだからよして」アイリーンは泣いていた。「世間ってほんとうにひどい、あさましくて怖ろしいものなんだわ。でも、わたしたちはそんなふうじゃなかったわよね、あなた? そうでしょ? わたちたちはいつだって良い人間だった、ちゃんとしてたし、お互いを思いやってきたわよね? 子供だってふたりともかわいいわよね。うちの子は下品なんかじゃない、そうでしょ? ね?」夫の首に腕を回してしがみついて頬を寄せた。「わたしたち、幸せよね? 幸せでしょ? ね?」

「あたりまえじゃないか。ウチはうまくいってる」うんざりしたようにそう答えた。面倒くさいという思いが次第に耐え難くなってくる。「幸せに決まってるだろう。明日にはあの忌々しいラジオも修理に出すか、引き取らせるかするから」妻の柔らかな髪を撫でてやりながらつぶやいた。「バカだな」

「わたしのこと、愛してくれてるわね? それに、わたしたちはひどいことを言ったり、お金のことで気をもんだり、嘘ついたりしないわよね?」

「ああ、しない」とジムは答えた。



 翌朝、修理の男性が来て、ラジオを直して帰った。おそるおそるつけてみたアイリーンは、カリフォルニア・ワインのコマーシャルにつづいて、ベートーヴェンの第九、シラーの『歓喜の歌』のレコードが流れてきたのでホッとした。そのまま一日中つけていてもスピーカーからはもう何も聞こえてこなかった。

 スペイン組曲が流れているとき、ジムが帰ってきた。「もう悪いところはないな?」顔色が悪いようだわ、とアイリーンは思った。ふたりでカクテルを飲み、オペラ《イル・トロバトーレ》のなかの“アンヴィル・コーラス”を聴きながら夕食を取った。そのつぎは、ドビュッシーの《海》が聞こえてくる。

「ラジオの代金を今日払ってきた」ジムが言った。「四百ドルもかかったぞ。こうなったらせいぜい楽しんでくれなけりゃ」

「もちろんよ。わたし、そうするつもりよ」

「四百ドルっていうのは、ぼくからすれば不相応なぐらいの大金なんだ。君の喜ぶ顔が見たくて買ったんだからな。今年はもうこれ以上、贅沢する余裕はない。ところで君は、ドレスの請求書をまだ払ってなかったんだな。化粧台の上に何枚もあった」妻の顔を真正面に見据えた。「なんでもう払った、なんて言ったんだ? どうして嘘なんかつくんだ」

「心配させたくなかったから」そう言うと水を飲んだ。「今月分から払えばいいって思ってたのよ。先月はソファのカバーを新しくしたし、パーティもあったし」

「アイリーン、君はそろそろぼくが渡す金でもう少し賢くやりくりすることを覚えてくれなきゃな。今年は去年ほど余裕があるわけじゃないんだ。今日、ミッチェルと真剣に討議したんだ。購買意欲が落ちている。新製品のプロモーションにかかりっきりになってはいるんだが、そういうことの効果が現れてくるまでには時間がかかる。ぼくももう若くなることはできないんだ。もう三十七だ。来年には白髪になってるだろう。やろうと思ったこともろくすっぽできてないっていうのにな。おまけにこれから何か良くなるなんて見通しだってありゃしない」

「わかってるわ、あなた」

「切り詰めていかなきゃな。子供のことだって、考えなけりゃ。洗いざらい言ってしまうが、金のことは相当に厳しいんだ。これから先どうなるか、まったくわかったもんじゃない。だれだってそうだ。もしぼくに何かあったら、確かに保険はあるが、きょうび、そんなもんではとてもじゃないがやっていけない。こうやって必死になって働いているのも、君や子供たちに、ちゃんとした暮らしをさせてやりたいからなんだ」それからこう吐き捨てた。「まったく精魂傾けて、日々若さをすり減らして働いた結果が、そんなものに消えていくんだからな。毛皮のコートだろ、ラジオだろ、ソファ・カバーだろ、それからなんだ?」

「お願い、ジム。どうかやめてちょうだい。聞こえるわ」

「だれが聞くっていうんだ? エマには聞こえやしないさ」

「ラジオよ」

「勘弁してくれよ!」ジムは大きな声になった。「そのおどおどした顔を見ると、気分が悪くなる。ラジオが一体どうしたっていうんだ。だれも聞いてなんかいない。第一、聞いてたらどうだっていうんだ。かまやしない」

 アイリーンは食卓を立ってリビングに移った。あとを追ったジムは、ドアのところで怒鳴り続けた。

「急に聖人づらか? 一夜明けたら尼さんか? 君のおふくろさんの遺言状の検認もまだすまないうちに、宝石を盗んだくせに。妹には1セントだってやりゃしなかったよな、あれは妹に行くはずの金もあったんじゃなかったのか? 彼女だって必要なときがあったのに。グレイス・ホーランドの生活を惨めなものにしたのは、君なんだぞ。信心深そうな善人づらをさげて、子供だって堕しに行ったよな。あんまりあっさりしてるんで、たまげたぜ。旅行鞄を用意して、ナッサウ山脈にでも行くような顔で、おなかの子を殺させに行ったんだからな。もう少し君が分別を働かせてくれたらな、まったく、どうしてもっと頭を働かせられないんだ?」

 辱められ、嫌悪に身を震わせて、アイリーンは醜いキャビネットを前に立ちつくしていた。スイッチに手をかけてはいたが、音楽と話し声を消す前に、この機械がわたしに優しく話しかけてくれないかしら、あのスウィニーの乳母の声だけでも聞こえてこないかしら、と思った。ジムは相変わらず戸口でわめいている。ラジオからは、洗練され、我関せず、といった声が聞こえてくる。「今朝早く、東京で列車事故があり、29人が亡くなりました。バッファロー近郊のカトリック系病院付属の盲学校から出火しましたが、修道女らの働きで鎮火されました。現在の気温は摂氏8度、湿度89パーセントです」

The End


(後日手を入れてサイトに一括掲載します。お楽しみに)

ジョン・チーヴァー 「とんでもないラジオ」 5.

2006-03-23 22:28:19 | 翻訳
その5.

ウェストコット夫妻は、その晩、よそで食事をすることになっていたために、ジムが帰ったときには、アイリーンは着替えをしていた。どことなく沈んだ、上の空の様子だったので、ジムは一杯持っていってやった。近くに住む友人のところで食事をすることになっていたので、ふたりはぶらぶら歩いていった。空は広く、暮れるにはまだ間がある。さまざまな記憶や誘惑がかきたてられるようなすばらしい春の宵だった。風が手や頬を軽くなぶる。街角では救世軍が《喜ばしきイエス》を演奏していた。アイリーンは夫の腕を引いて立ち止まると、しばらく耳を傾けた。

「あの人たちってほんとにいい人ね? とっても善良な顔をしてるもの。わたしたちがおつきあいしてる人たちより、きっとずっと立派な人なのね」

財布から札を一枚引き抜いて歩み寄り、タンバリンの中に落とした。戻ってきたアイリーンの顔には、ジムがこれまで見たことのない、晴れ晴れとした、それでいて悲しげな表情が浮かんでいた。その晩のディナー・パーティの席上でも、アイリーンのふるまいは奇妙なものに映った。招いてくれた奥さんが話している途中でもぞんざいに遮ってみたり、食卓の向かいに座った人の顔を、ぶしつけにじろじろ見たり、子供がしようものなら母親としてお仕置きでもしかねないような態度だった。

 パーティから帰る途中でもまだ暖かく、アイリーンは春の星を見上げる。

「“ちいさな蝋燭のともしびが遠くまで届くがごとく、善い行いは悪しき世を照らす”」アイリーンは『ヴェニスの商人』を暗唱した。

その夜、ジムが寝入るのを待ってから、アイリーンはリビングへ行って、ラジオをつけた。


 あくる日、ジムは六時ごろに帰ってきた。女中のエマが迎え入れてくれ、ジムが帽子を取りコートを脱いでいるところへ、アイリーンが玄関ホールへ飛びこんできた。顔は涙で濡れ、髪を振り乱している。

「コートは脱がないで。16-Cへ行って。オズボーンさんが奥さんを殴ってるの。四時からずっとケンカしてたんだけど、とうとう殴り出しちゃったの。行って、止めてあげて」

 リビングのラジオからは、悲鳴や罵り声、どさっという音が聞こえてくる。

「こんなものを聞いちゃいかん」そういうと、大股でリビングに入っていき、スイッチを切った。「見苦しいぞ。窓から部屋の中をのぞき見してるのと一緒じゃないか。こんなものを聞かなきゃならんわけがいったいどこにあるっていうんだ。消してしまえばいい」

「だけど、ほんとにひどいんですもの。ぞっとする」アイリーンはすすり泣いていた。「一日中聞いてたわ。もうほんと、やりきれない」

「おいおい、そんなにやりきれないんだったら、なんで聞くんだ? 君が聞いて楽しかろうと思ってこいつを買ったんだぞ。大枚はたいたんだ。君のためによかれと思ってやったことなのに。喜ばせようと思って買ったんだ」

「お願い、お願いよ、後生だから、けんかはやめましょう」アイリーンは苦しげにそういうと、夫の肩に顔を埋めた。「みんな一日中、けんかばかり。誰もかもがけんかしてるのよ。みんなお金のことを心配してる。ハッチンソンさんの奥さんのお母さんは、フロリダでガンで死にかけてるのに、メイヨー・クリニックに入院させるにはお金が足りないんですって。ともかく、ハッチンソンさんはそんなお金はないって言ってる。このアパートには、雑役夫と寝てる女の人がいるの――あの気味が悪い人と。胸が悪くなりそう。メルヴィルさんの奥さんは心臓病、ヘンドリックスさんは四月いっぱいで失業するから、奥さんはカリカリしてるし、《ミズーリ・ワルツ》をかけてる女は娼婦なの――ええ、娼婦なんて珍しくもないんでしょうけど。エレベーター・ボーイは結核だし、オズボーンさんは奥さんを殴ってる」アイリーンは泣きじゃくり、身を震わせ、流れ落ちる涙を手のひらでぬぐった。

(明日最終回)

ジョン・チーヴァー 「とんでもないラジオ」 4.

2006-03-22 21:51:02 | 翻訳
その4.

 ふたりはその晩、カナダで鮭釣りをしたという長談義、ブリッジ、フロリダ沖のシーアイランドに二週間ほど旅行したらしい人の8ミリフィルムの説明、預金残高を超過してお金を引き出したことをめぐっての激しい夫婦げんかを盗み聞きした。すっかり夜も更けたころ、ラジオを切って、大笑いしたためにすっかり疲れてベッドに入った。夜の間に息子がお水が飲みたい、という声に呼ばれたアイリーンは、子供部屋に持っていってやった。早朝というにも早すぎる時間だった。界隈の灯りは消え、子供部屋の窓からはひとけのない通りが見えた。

アイリーンはリビングに行ってラジオをつけてみた。かすかに咳き込む音と苦しげなうめき声、それに続いて男の声がした。「大丈夫かい?」「ええ」弱々しい声が答えた。「大丈夫だと思うわ」深い情感のこもった声が続いた。「でもね、チャーリー、もう自分が自分じゃないみたい。自分が前みたいに感じられるのも、一週間のうちで十五分か二十分ぐらいなんだもの。よそのお医者さんには罹ろうとは思わない。だってもうお医者さんからの請求も、怖ろしい額になってるでしょ。だけど、ほんとうに、もう自分の身体が自分のものじゃないみたいなの、チャーリー。もう前みたいには感じられない」このふたりはもう若くないわ、とアイリーンは思った。たぶん、声からすると中年ぐらい。抑制した調子がいっそうわびしげな会話を聞きながら、ベッドルームの窓から忍びこむ風に身を震わせ、アイリーンはベッドに戻った。


 翌朝アイリーンは家族の朝食を作り――明度は地下にある自分の部屋から十時になるまで上がってこない――それから娘の髪を三つ編みにしてやり、子供たちや夫がエレベーターに乗るのを、ドアのところで見送った。それからリビングへ行ってラジオをつける。「学校なんか行くのやだ」子供がわめいている。「学校なんかきらいだ。行きたくないよ。大っきらいだ」「行かなくちゃだめ」腹立たしげな女の声が答えた。「あの学校に行かせるために八百ドルもかかったんだから、どれほどいやだろうが、行ってもらいます」

ダイヤルを回して次に出てきたのは、あのすりきれた《ミズーリ・ワルツ》のレコードだった。アイリーンはツマミをまわして調節しながら、普段人目にさらされない、あちこちの朝食の食卓に入りこんでいった。そこで繰り広げられる消化不良の様子や、睦み合い、底なしの虚栄心、信仰心や絶望を、こっそりと聞いた。アイリーンの生活は、外から見るのと同じ、単純で世間から庇護されたものだったから、その朝、スピーカーから聞こえてくる、そのものずばりの、時にはすさまじい言葉には、肝を潰し、すっかり動揺してしまった。ひたすら耳を傾けているうちに、女中がやってきた。あわててラジオを切った、というのも、こうした行為は人目をはばかるものである、と直感的に理解していたからだ。

 その日アイリーンは友だちと一緒にお昼を食べる約束をしており、正午過ぎに部屋を出た。降りてきたエレベーターにはすでにたくさんの女性が乗っている。アイリーンは端正で取り澄ましたいくつもの顔や毛皮、帽子の飾りの花をまじまじと見た。どの人がシーアイランド諸島に行った人なんだろう? と考える。銀行預金を赤字にしたのはどの人? エレベーターは十階で止まり、二匹のスカイ・テリアを連れた女性が乗ってきた。髪を高く結い上げており、ミンクのケープをまとっている。そうして《ミズーリ・ワルツ》をハミングしていた。

 アイリーンはランチでマーティニを二杯飲み、友だちの顔をうかがいながら、この人の秘密はなんだろう、と考えた。ランチのあとはショッピングに出かけるつもりだったのだが、アイリーンは口実を作って家に戻った。女中には、じゃましないでね、と言っておいてから、リビングに入ってドアを閉め、ラジオのスイッチを入れた。午後の間に聞いたのは、叔母さんをもてなしている女性のとぎれがちな会話、昼食パーティの仰々しい幕切れや、カクテル・パーティにやってくる客について、女中に言い含めている女主人の声だった。「白髪じゃない人にはどの人にも一番上等のスコッチを勧めちゃダメよ。それからいいわね、レバー・ペーストを片づけられるようなら、温かい料理を出す前にして。あ、そうそう五ドル貸してくれない? エレベーター・ボーイにチップ、あげなくちゃ」

 日も翳るころには、やりとりもいっそう激しいものになってきた。アイリーンが座っている場所からは、遮るもののないイースト・リバーの上空が見えた。空には何百もの雲が浮かんでいる。まるで南風が冬をこなごなにして北へ吹き散らそうとするかのように。ラジオからは、カクテル・パーティにやってきた客の声や、学校や会社から帰ってきた子供たちや勤め人の声。

「今朝、バスルームの床に大きなダイヤが落ちてたの」女が言った。「昨夜、ダンストンの奥さんがしてたブレスレットから落ちたやつだと思う」「売っぱらっちゃおう」男の声がする。「マディソン街の宝石店に持っていって売ろうぜ。ダンストンの嫁さんは気がつきゃしないさ。二、三百ドルほど手に入るってわけだ……」

「“オレンジ、レモン、セント・クレメントの鐘が鳴る”」スウィニーの乳母が歌っている。「“ハーフペンス、ファージングス、セント・マーティンの鐘。いつになったら金返す? オールド・マーティンの鐘が鳴る……”」

「こいつは帽子なんかじゃない」大声の女の背後では、カクテル・パーティのざわめきが聞こえる。「こいつは帽子なんかじゃない、恋愛だ、ってウォルター・フローレル(※ブロードウェイ・ミュージカルのデザイナー)は言ったのよ。帽子なんかじゃない、恋愛そのものだ、って」それから同じ女が声を潜める。「だれかと話してよ、お願いだから、ね? だれかと話して。あなたがそんなふうにぶすっとして突ったってるとこ、あの人に見つかったら、あたしたち、招待リストからはずされちゃう。こんなパーティが大好きなのに」 

(この項つづく)