陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リユニオン

2008-10-31 23:20:03 | weblog
その昔、知り合いの中にどうにも厄介な子がいた。公式の話し合いの場であれ、日常的なおしゃべりであれ、その子の言うことにちょっとでも反対でもしようものならたちまち喧嘩腰になるのだ。こちらとしては、あなたがどうこうと言っているのではない、あなたの意見に対して、わたしはそうは思わないと言っているだけだ、とどれだけ説明しようと、反論はすべて自分に対する攻撃、批判的な意見には聞く耳を持とうとしないだけでなく、すぐに自分を被害者に仕立て上げ、同調者を募ったり、果ては泣きだしたりする始末。自分に対して異を唱える人は悪い人、いい人は自分に良くしてくれるに決まっている、なんでも自分の言うことを聞いてくれる子分を従え、ひとりずつなら決してつきあいにくいばかりでもないような子たちが集まって、かなり厄介なグループを形成していたのだった。

「彼女とその仲間たち」のおかげで、簡単に決まるようなことも決まらず、結局話し合いの機会ばかりが増えていく。いまよりも折れることを知らず、筋が通らないことに我慢ができず、おまけに口の利き方も知らなかった当時のわたしは、彼女らと何度となくもめたし、首謀者である彼女を泣かしたことも一度や二度ではなかったような気もする。最後のころは、顔を合わせるのも最小限度にし、彼女の方はわたしを見かけても挨拶すらしなくなっていた。

ひょんなことから十数年ぶりにその彼女と会った。結婚したということや、子供に恵まれたが、その子がダウン症をもっていたという話は聞いていたのだが、雰囲気があまりに変わっていたのに驚いた。出生前診断の話、決断と、出産までの不安、生まれてからも入院と退院を繰りかえし、手術も受けたこと。聞いていて、思わず襟を正したくなるような話だった。仮に同じ場に立ち会ったとして、同じことが自分にできるのか。頭が下がるような思いがする、という言い方があるが、言葉にしてしまうと何かちがうものになってしまいそうで、わたしはただ、大変だったねえ、だけどよくがんばったねえ、えらかったねえ、というどうだっていいようなことしか言えないのだった。ときに涙を流し、ひどい対応をされた経験を話すときは昔を思わせるような口調にもなったが、彼女の動作にも、赤ちゃんを見やるまなざしにも、言葉以上にさまざまな経験があったことがうかがえた。

彼女と別れてふと変なことを思った。もし二十代のわたしが手記を書いていたら、彼女のことはまちがいなく批判的な書き方をしただろう。年より幼い、社会的に未成熟な女の子、と書いたにちがいない。
だが、いまのわたしは、しんどい決断をし、そうしていくつもの困難をくぐり抜け、これからもそれを日常として引き受けていこうとしている勇気のある女性を彼女の内に見た。
同じひとりの人間なのに。
おそらくそれは彼女が変わったからという側面ももちろんあるのだろうけれど、それ以上に、当時のわたしが彼女の内にそういう質を見て取ることができなかった、ということでもある。
時が流れ、さまざまなことが起こり、相手が変わり、わたしが変わる。変わった相手を見て、わたしの内に変化が生じる。

やっぱり、時の流れは冒険なのだ。これ以上はないというほどの。

彼女の赤ちゃんはとてもかわいらしかった。変な言い方なのだが、かわいがられている赤ちゃんというのはとてもかわいいのだ。この子はほんとうにかわいがられているんだ、と思った。


(※ややこしい仕事も一段落ついたので、またブログ・サイトのアップともがんばっていきますので、今後ともよろしく)

もうすぐ年末

2008-10-29 22:37:29 | weblog
毎年、カレンダーの残りも薄くなり、文房具売り場に新しい手帳が並び始める時期になると、なにがなし、焦るような、ため息をつきたいような、なんとも複雑な気持ちになってくる。

今年初めに一年間でやろうと思ったことの数々を思い出す。本棚を見れば、目に付くところに並んでいるのは古本屋で手に入れた、ハインリヒ・マンの分厚い『アンリ四世の青春』『アンリ四世の完成』の二冊。今年こそ読もうと思ったのではなかったか。おそらく去年の初めにも。もしかしたら、その前の年にもそう思ったかもしれない。

それと一緒に、今年こそ、と思っていた数々のこと、着なくなった古い服の整理とか、押入の中の整理、もはや再生手段もなくなったカセットテープやビデオテープの整理。そのほかにも毎日ストレッチとウォーキングをして、もう少し仕事を増やして貯金もしようと考えたはず。勉強して、まとまった文章もいくつか書いて……。

整理をしよう、片づけようと思いながら、本ばかりが増えた結果、押入れどころか部屋全体が物置化しつつある隣の部屋を横目で見ながら、わたしは本格的なため息をついてしまう。

毎年毎年新年に、そうして四月の新学期にもう一度、今年やること、やろうと思うことを考えるのは、いっそやめてしまおうか。やろうと決心したところで、結局自分がすべて、あるいはそのほとんど、少なくとも大部分、やがて、あるいは思いついたその直後には、破ったり、忘れてしまったり、忘れたわけではないけれど手も出せず、ずるずる引き延ばして290日ぐらいが経ってしまったりするのをさんざん経験したものだから、また新たに決心し直しても同じこと……という気分に否応なく襲われるのである。

小学生のころから、夏休みに入る前には、夏休みの計画をいつも立てていた。夏休みを通してやること。日々のスケジュール。計画を立ててもなかなか、というか、そのほとんどは実行できず、日が過ぎるに連れて、何度も計画を立て直した。いっそ計画を立てるより、そのあいだに何かやったほうがいいのではないか、と思っても、それでも半ば意地のように立てていた。

考えてみれば、当時にくらべていま、どれほどのことを知り、どれほどのことができるようになったのか。計画を立てるだけ、計画倒れの数々がここまで積もりに積もって、このていたらくになってしまったのではあるまいか。

だが、おそらく計画を立てるということは、先に希望を抱き続けるということなのだ。たとえ夏休みの残りが一週間になったとしても、その残りを少しでもちゃんとできるように、それも結局ダメになる、とわかっていても、立てつづけたのだ。

自分に望みがあるのなら、自分がそのように生きたいと願うしかない。できなかったことがまた増えていくだけかもしれないけれど、それでも何かをやろうとすれば、つぎにやるべきことを望まなければ、やるべきことを決めることもできない。

ハインリヒ・マンは本棚に並べておけば、いつかそのうち手に取る日もくるかもしれない。今年は無理で、来年ももしかしたら無理かもしれないけれど。

自己責任?

2008-10-26 22:47:12 | weblog
ひとりっこで育った人間とちがって、きょうだいがいる環境で育った子供は、果物であろうがお菓子であろうが、冷蔵庫のゼリーやプリンやヨーグルトであろうが、冷凍庫のアイスクリームであろうが、「これは自分ひとりだけのものではない」ということを骨身にしみて知っている。自分がどれだけそれを食べたくても、ひとりじめすることは許されない。「もう少し食べたい」と思っても、決して思い通りにはならず、下がいればなおさら、下がほしがれば上は譲ってやらなければならない。きょうだいがいなければなあ、ひとりっこだったらなあ、せめて下がいなかったらなあ、とため息をつく羽目になる。

大学に入って最初に思ったことのひとつは、自分は自由なのだ、ということだった。これからはテレビだって好きなだけ見られるし、遅く帰ってきてもでっち上げる理由に頭を悩ませなくてもいいし、夜更かししようが朝寝をしようがかまわない、ハーゲンダッツのパイント入りのパックだって好きなだけ食べていい、一度にまるごとだって食べられるのだ。だれもわたしに文句は言わないし、わたしのやりたいことを止めることはできない。

ところが結局わたしは果物だのお菓子だのゼリーだのプリンだのアイスクリームだのを思いっきり好きなだけ食べるということをしなかった。ハーゲンダッツのパイント入りパックも買うことはなかった。というのも、そんなことをしてしまうと、自分の生活費にたちまち事欠くようになってしまうからなのだ。自分の時間にしても同じこと。もちろんどう使おうが自分の自由であったとしても、その結果はかならず自分のところに返ってくる。どれほど引き受けたくなかろうが、まるで自分宛に手紙を書いたように、かならず自分のやったこと・やらなかったことは、自分の元に戻ってくる。何かひとつでもことを起こそうと思えば、そうするとどうなるかという結果のことを考えなければならず、結局は「自由」という範囲などおそろしく限られてくる。「自由」には、カスタードプリンにカラメルソースがかかっているごとく、もれなく「責任」が一緒についてくるのだった。

それまで、親と一緒にいるときは、「責任」という言葉はたいてい説教のなかで口にされるものだった。テストの点数が悪ければ、それは勉強しなかった自分の「責任」、忘れ物をしてしまえば、前の日からちゃんと準備をしておかなかった自分の「責任」、悪い結果が出れば、かならずほかならぬ自分の責任であることを指摘され、「もとはといえばだれが悪いのか」と自分で認めさせられる羽目に陥る。そのころは自由というのは責任とは縁もゆかりもない言葉、むしろ、責任を負わなくてもいいような状態とばくぜんと思いこみ、あこがれていたのだ。

ところが説教する親はいなくなっても、事態は一向に変わらない。何かをすれば、かならず結果はついてまわる。ことを起こせば賞賛か認可か無視か非難がついてまわる。説教はされない自由は手に入れた。だが、その代わり、のぞましい評価を得ようと思えば、あらかじめ自分で自分を「説教」しなければならなくなる。責任をいやがってそこから逃げようとすれば、自由に何かができる時間も一緒に減っていく。まるで天秤棒をかついでいるようなものだ。「自由」の度合いが増えれば「責任」も重くなる。

ところで、いつのまにか市民権を得たのか、しばらく前からあちこちで目にするようになった言葉に「自己責任」というのがある。だが、なんだかこれは奇妙な言葉だとずっと思ってきた。

これは「馬から落ちて落馬」式の畳語だ。責任の基本は、ある行為の行為者が、行為の結果に対して取るものである。その行為は行為者以外に責任がとれないのだから「自己」なんていう言葉をつけなくても、すべからく「自己責任」しかあり得ない。

もちろんその人が子供だったりして、誰かの監督下にある場合、その人以外にも責任を負うべき人は出てくる。それでも、その人の年齢に応じて、あるいは応じて、行為の責任をその人が負わなければならないことには変わりはないのだ。

ところがこれを他人に向かって言う人は、「自己責任」といいながら、実は「結果がどうなっても自分は何もしてやらないからな」「金なら出せん」「力は貸さない」「おまえのために何もしてやるつもりはない」と言っているのだが、そういう代わりに「自己責任」という言葉を使う。「金は出せんが、それはおまえが蒔いた種だからだ」という言い方で、出せない自分を正当化している。

いや、当否を言っているのではないのだ。そう言いたくなるような場面だってきっとあるだろう。
だが、なんともそういうことをしたくなる精神というのが、ミミッチイなあ、と思っちゃうのだ。「金なら出せん」でいいじゃないか。「力を貸してくれ」と頼まれて、「そういうことはできない」というのなら、それでいいんじゃないか?

「自己責任」という畳語を使ってわざわざ相手を非難までしようと言うのなら、非難するという行為の責任も、した人は負わなければならないのではあるまいか。
もちろん説教する自由はある。だが、説教した責任は負わなければならないだろう。

人に頼らなければならない状態というのは、確かにあまり望ましい状態ではない。自分の行為に十分に責任を負っていないから、そういう羽目に陥るともいえるのかもしれない。けれども、そういう状態に陥っている、ということで、その人はある意味で自分の行為に責任を取っているとも言えるのである。

手を貸す余力がなければ、あるいはそんな気になれないだけでもいいのだけれど、だとしたら、「できない」といって断るだけでいい。
少なくとも、これまで誰かに迷惑をかけたことがあるような人は、迷惑というのは自分の行為に十分に責任が取りきれなかったことにほかならないのだから、「自己責任」などということは言わない方がいいような気がする。

一度も人に迷惑をかけたことのない人はいないだろうし、仮にいたとしたら、逆にわたしはそんなおっかない人とはあまり仲良くなりたくはない。


しゃべるカラス

2008-10-25 23:05:09 | weblog
先日のこと。
小雨の降る朝の重い空気の中を自転車で走っていた。裏通りの細い道なのだが、抜け道として有名になってきたのか、それとも親切なカーナビが教えてくれるせいなのか、最近は交通量がずいぶん増えてきた。歩道もない、大型車が通れば自転車は溝すれすれまで寄らなければならない一方通行の曲がりくねった道なのだが、表通りを走るよりは5分ほど時間が短縮できることもあって、結局いつもその道を利用することになる。

途中何ヶ所か交差点がある。そのひとつ、同じように一方通行の道と交差している、信号も何もない、見通しの悪い交差点で車がとぎれるのを待っているときだった。頭の上で、「オハヨウ、オハヨウ」と小さな声が聞こえるのだ。オウムやキュウカンチョウのしゃべる、独特の声音である。わたしは顔を上げて声のする方を確かめた。
「オハヨウ、オハヨウ」と、また声がした。まちがいない。電線にカラスが三羽留まっていて、そのうちの一羽が「オハヨウ、オハヨウ」と言っているのだ。

小雨が降って視界は良好とはいえなかったが、どう見てもその黒い鳥はカラスに見えた。くちばしを確かめたが、確かに真っ黒だったのだ。なにぶん、時間に余裕があったわけではなかったために、車の波がとぎれたところで道を渡ってそこから去るしかなかったのだが、しゃべるカラスのことは気にかかった。

カラスって人間の言葉をまねるんだろうか?
確かローレンツの『ソロモンの指輪』のなかに、「ロア、ロア」と人間の声で呼ぶカラスの話が出てきたような気がする。早くそれを確かめたくてならなかった。家に帰ると、カバンを置くのももどかしく、真っ先に本棚に向かった。
 周知のように、インコ類とカラス類は人間のことばをまねて「しゃべる」。しかもそのさい、音声とある特定の体験との思考的結合もときには可能である。…カラスやインコはいろいろな音声をみなきちんと区別して発している。そこには明らかに一定の、ほぼ(ほぼ!)意味をなした思考の結合が存在するのである。…
「話す」鳥が人間のことば、それも一個の完全な文章を、一回ないし、せいぜい二、三回聞いただけで覚えてしまった例を、私はもう一つ知っている。それは一羽のズキンガラスの場合であった。こいつの名は「ヘンゼル」といった。…
あるときヘンゼルは、何週間もの間姿をあらわさなかった。ふたたび彼が帰ってきたとき、私は彼が足の指を一本折っていて、それが曲がったままなおってしまっているのに気がついた。この曲がった足指こそ、この人語を話すズキンガラス、ヘンゼルの物語のポイントである。つまりわれわれは、彼がどうしてこんなけがをしたのかを知った。だれから? ヘンゼルがしゃべってくれたのだ! まさかと思う人は思うがよい。長い間、姿を消していたヘンゼルは、ひょっこりわれわれのところへ帰ってきた。そのとき彼は新しい文章を覚えてきた。彼はいたずら坊主のスラングで、こんなふうに口走った――「キツネなわでとったんや」
コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪』日高敏隆訳 早川書房

自分が負傷した原因を教えてくれるカラスというのは、想像するだけで愉快になってくるが、ローレンツはヘンゼルが自分が話すことを理解しているわけではない、とはっきり断言している。「たしかにある発声をきわめて明確な思考結合によってある事件と結びつけることはできる。だが、その能力をなんらかの目的と結びつけることはけっして学習できないのだ」と。

そこから直線距離にして100メートルぐらいのところに小学校がある。カラスたちも毎朝「おはよう」と挨拶を交わす子供たちの言葉を聞いているうち、覚えたとしも不思議はない。

だが、どのように察知していたのかは不明だが、おそらく何らかの方法で「朝」を感たカラスが、それと「オハヨー」を結びつけていた可能性はあるが、わたしに挨拶してくれたわけではない、ということだろうか。

だが、そのとき周囲に車の運転手は別として、人間はいなかった。それを考えると、意味はおそらくわかってはいなかったのだろうが、わたしのために「オハヨー、オハヨー」と言ってくれたのかもしれなかった。

そういうときはどう反応するのがよいのだろう。ローレンツは同じところでしゃべるオウムのことも書いている。
彼はちゃんと意味にあわせて「おはよう」と「こんばんは」をいった。そしてお客が帰ろうとして立ちあがると、人がよさそうな低いしゃがれ声で「じゃあまたね」というのであった。ふしぎなことにこれをいうのは、客がほんとうに帰ろうとして腰をあげたときだけなのである。…彼もまた無意識的に与えられたごくかすかな合図によって、客が「ほんとに帰る気」になったことをみぬくのだ。それはいったいどんな合図なのだろう? われわれにはまるきりわからない。わざと帰るふりをしてそのことばをいわせてみようともしたけれど、一度も成功したことはない。だが人がそしらぬ顔で出ていって、あいさつもせずこっそり帰ってしまおうとすると、とたんにあざけりに近い声がその人の耳にとびこんでくる――「じゃあ、またね!」

確かに家のネコでも同じようなことがあった。以前、わたしのところにいたネコは、どういうわけかわたしがいないときは絶対にわたしの部屋に入らなかった。朝、学校へ行くときにせよ、帰ってから塾に行こうとするときにせよ、わたしが部屋から出ていくときは、かならず足にまとわりつくようにして、一緒に部屋から出ていくのだ。それがちょっとトイレに行ったり、下へお茶を取りに行ったりするような場合であると、絶対に動こうとしない。試しにわざとカバンを下げて部屋を出てみても、「じゃ、行って来るね」と声をかけてみても、決してネコはだませないのだった。

「オハヨー、オハヨー」と言われても、こちらがいいかげんな気持ちでいたら(?)カラスには見抜かれてしまうのかもしれない。誠意をこめて「お早う」と言い返すべきなんだろうか。高いところから聞こえてくる声に、いったいどう返事をしたものか、頭を悩ませているところだ。

しゃべるカラスの目撃談がありましたら、どうか教えてください。


フォークナー 「納屋は燃える」最終回

2008-10-23 22:48:50 | 翻訳
最終回

 真夜中、少年は丘のてっぺんにすわっていた。いまが真夜中であることにも気がついていなかったし、自分がどこまで来たのかもわかっていなかった。だが、いまはもう向こうに炎は見えず、ともかくも自分が四日のあいだ家と呼んでいた場所には背を向けて、腰を下ろしていた。目の前に拡がるのは暗い森で、ふたたび呼吸がしっかりとしてきたら入っていこうと考えていた。寒さに身を縮め、闇の中でひっきりなしに身を震わせながら、すり切れたぼろぼろのシャツの残骸をまとった自分の体を抱きしめていた。悲しみとやるせなさは、もはや恐怖や恐れとは無縁の、ただの悲しみとやるせない気持ちそれだけだった。父さんは、おれの父さんは、と考えた。

「父さんは勇敢だったんだ!」不意に彼は声を出した。大きな声ではなかった、というより、ささやき声よりわずかに大きいだけだったが、声に出して言ったのだった。「父さんは勇敢だったんだ! 戦争に行ったんだから! サートリス大佐の騎兵隊にいたんだ」

父親が戦争に行ったのは、古きよきヨーロッパ的な意味での「私人」としてだった。軍服も着なければ、いかなる人にも、軍隊にも、軍旗にも権威を認めない、マールブルック(※18世紀ヨーロッパのわらべ歌に出てくる登場人物)のように、戦争に出かけたのだ。略奪品のため――つまりぶんどる相手は、敵であろうが味方であろうが、おかまいなしだったのだ。

 星座はゆっくりと動いた。夜明けも近い。ほどなく日が昇り、彼も飢えを感じるだろう。だが、それは明日がきたということなのだ。いまはただ寒いだけだったが、歩いていれば寒さもなくなるだろう。もう呼吸はずいぶん楽になっていたので、立ち上がって歩いていくことにした。どうやら自分は眠っていたらしい。明け方も近く、夜も終わりそうだ。ヨタカの鳴き声がそれを告げている。ヨタカはいまや足下の暗い森のあちらにもこちらにもいて、高く低く休むことなく鳴き続けていた。そのために、朝の鳥に鳴き声を譲る時間が近づいてきても、鳴き声の間隔は少しも開かないのだった。彼は立ち上がった。体が少しこわばっていたが、冷えと一緒に、歩いているうちにそれも回復するだろう。じきに日も昇る。彼は丘を降りて、暗い森のなかへ入っていった。銀色の鳥たちの鳴く澄んだ声のほうへ、ひっきりなしに呼ぶ声――速い、せきたてるように脈打つ、強く声を合わせて歌う心臓の鼓動のような声のほうへ。彼は振り返らなかった。



The End



全文はこちら



フォークナー 「納屋は燃える」その11.

2008-10-22 22:32:05 | 翻訳
その11.

 少年は自由になった。叔母さんが捕まえようとしたが、もう遅かった。少年はすり抜けると駆けだし、それを追いかけようとした母親は、つまずいて膝をつき、近い方の姉を呼んだ。「あの子をつかまえて、ネット! つかまえとくれよ!」

 だがそれも遅かった。その姉(ふたりは同時に生まれた双子だったが、いまやふたりのどちらもが、家族の残り四人を合わせたよりも、生々しい肉や量感、重量といった印象を与えるのだった)は、椅子から立ち上がろうとすらせず、ただ振り返っただけだった。少年は、逃げだす瞬間、どんなことにも驚かされず、牛ほどの好奇心しか示さないこの若い女の体が、どれほど空間を満たしているか、驚きをもって眺めた。

部屋を抜け、家を出ると、薄もやの立ちこめる月明かりの道に出た。スイカズラの匂いがむせかえるようで、走る自分の足の下で、白っぽいリボンのような道がおそろしくゆっくりと伸びていく。やっと門に着くとそのままなかへ駆け込み、心臓も肺も早鐘を打っていたが足を緩めず、私道を抜け、灯りのついた屋敷の明るい玄関にきた。ノックもせず飛び込んだが、息があがって物も言えない。麻の上着を着た黒人の驚いた顔が目の前にある。いつ出てきたのかもわからなかった。

「ド・スペインさんを!」少年はあえぎながら叫んだ。「どこにいる?」

そのとき白人の男が廊下の先の白いドアから姿を現した。

「納屋が!」少年は叫んだ。「納屋が!」

「何だ?」白人の男は尋ねた。「納屋だって?」

「そうです!」少年が叫んだ。「火事になる!」

「こいつをつかまえるんだ」白人が怒鳴った。

 だが今度も遅かった。黒人が少年のシャツをつかんだが、洗いざらしてすりきれた袖はすっぽり裂けてしまい、手には袖だけが残った。少年はドアからまた飛び出すと、私道を駆け抜けた。実際には、白人に向かって叫んでいるときでさえ、足を止めていなかったのだ。

後ろで白人が怒鳴っていた。「馬だ! 馬を引いてこい!」

その声を聞いて、とっさに庭を横切って、塀を乗り越えて道に出ようかと思ったが、庭のようすもわからないし、蔓のからまる塀の高さも見当がつかなかいので、危険を冒すのはやめることにした。私道を走り続け、脈打つ血も呼吸もうなり声をあげていた。不意に自分が道に出たことが、あたりは見えなくてもわかった。耳も聞こえなかったが、音が届く前に、駆けてくる馬がすぐそばに迫っていることはわかった。それでもなお、自分の気も狂わんばかりの悲しみとさしせまる危機を、ほんの一瞬でも先に繰り延べるために、なんとかして羽を見つけようとでもするように、彼は道を変えようとはしなかった。だがぎりぎりの瞬間、道端の雑草の生い茂る溝に飛び込んで身を潜め、馬が雷のような音を立てて通り過ぎていくのを見送った。

直後、星明かりを背に、恐ろしいシルエットが浮かび上がった。静かな初夏の夜空に、馬とそれに乗った人の影が見えているところに、突然激しい炎が立ち上ったのだ。高々と渦を巻く、この世のものとも思えないような火炎が音もなく星空を染めた。少年はとびあがって道に戻ると、また走り出した。もはや手遅れであることはわかっていたが、銃の発砲される音が聞こえてきても、足を休めようとはしなかった。ほんの少しおいて、二発の銃声が聞こえた。自分が足を止めているとも気がつかないまま、立ち止まると、少年は叫んだ。

「父さん! 父さん!」自分でも気がつかないままに、ふたたび走り出し、よろめいて、何かにつまずいて転んでも、それでも走るのをやめなかった。立ち上がり際に振り返り、肩越しに燃え上がる火を見、もはや目には見えてはいない木々のあいだを、あえぎ、すすり泣きながら走っていった。「父さん! 父さん!」



(※今日は疲れたのでここでおしまい。最後の最後はまた明日)

フォークナー 「納屋は燃える」その10.

2008-10-21 22:46:21 | 翻訳
その10.

少年は立ち上がりざまに振り向くと、ドアの向こうが明るくなっているのに気がついた。テーブルに火のついたロウソクの入ったビンが置いてあり、まだ帽子と上着を取っていない父親の姿は、まるで何か悲惨で儀式的な乱暴を働くために入念に装ったかのようで、しかつめらしいが、どこか茶番じみてもいた。父親は、ランプの油つぼの灯油を、それがもともと入っていた灯油の五ガロン缶に戻しているところで、母親が腕を引っぱって止めようとしていたのだった。父親はランプをもう一方の手に持ち変えると、母親を後ろへなぎ払った。激しい動作ではなかったし、特に乱暴というわけでもなかったが、当たりが強かったのだろう、母親は壁まで吹っ飛ぶと、なんとか両手を壁についてバランスを取った。口を開いた母の顔には、声と同じ、絶望しきったような表情が浮かんでいる。そのとき、父親は少年が戸口に立っているのに気がついた。

「納屋へ行って荷馬車用の機械油の缶を持ってこい」

少年は動かなかった。それからやっと口を開いてこう言った。「何を……」彼はうめいた。「父さんは何を……」

「油を取ってくるんだ」父親は言った。「行け」

 少年は動き出した。家の外へ駆けだし、厩へ向かった。これは昔からの習慣、自分では選択の余地のない、古い血のなせる業だった。有無を言わせない力として受け継いだ血、はるか昔から(どこでそんな憤懣や残虐さや欲望を詰め込んだのか、いったい誰が知っていよう)彼の内に流れ込んできたのだ。おれはこのまま行くことだってできるんだ。彼は考えた。走って、走って、絶対に振り返らない。父さんの顔だって、もう二度と見ないことだってできるんだ。なのに、それができない。できない。錆びた缶が手の中にあった。家へ戻っていくあいだ、缶のなかでぴちゃぴちゃと音がしていた。なかへ入っていくと、隣の部屋から母の泣き声が聞こえたが、父親に缶を渡した。

「今度は黒んぼを使いにやらないんだね?」少年はうめいた。「前の時は黒んぼをやることだけはやったのに」

 今度は父親は少年を殴ったのではなかった。殴るのではなく手が伸びた。異常なまでに慎重に缶をテーブルに載せた手が、缶から離れるか離れないかという瞬間、目にもとまらぬほどの早さで彼に向かって突き出され、少年のシャツの背をつかむとぶら下げたのだった。その手が缶から離れたことに気がつく前に、少年はつま先立ちにさせられていた。息を殺した、氷のような凶暴さを秘めた顔がぐっと近づいて、冷たい、生気のない声が、彼の頭を越えて、兄に向かって、雌牛のようにひっきりなしに奇妙な仕草で口を横に動かしている兄に向かって言った。

「その缶を大きい方に移し替えて行くんだ。すぐに追いつく」

「そいつはベッドの柱にでも縛っておいたらいいんじゃないか」兄が言った。

「おれの言うとおりにするんだ」父が言った。シャツの首ねっこのところをつかまれたまま、少年の体は運ばれていった。固い骨張った手が肩胛骨のあいだに当たり、つま先がかろうじて床にふれるところでぶらさげられて、部屋を横切って隣の部屋に入ると、冷えた暖炉に向かってふたつの椅子に太い脚を広げて坐っているふたりの姉の横を抜け、叔母が母の肩をだきながらベッドにならんで腰をおろしているところまで連れて行かれた。

「こいつをつかまえておけ」父親が言った。叔母はぎくりとした。

「おまえじゃない」と父親が言った。「レニーの方だ。こいつをつかまえておくんだ。おまえにそれをやってもらおう」母は少年の手首を取った。「おまえだったらちゃんとつかまえておけるな。こいつが自由になるとどんなことをするかおまえだってわかるだろう。こいつはあっちへ行ってしまうんだ」父親は顎をつきだして、道の向こうを示した。「いっそおれが縛っておいた方がいいかな」

「わたしがつかまえておきます」母親はささやくように言った。

「ならそうしておけ」父親は行ってしまった。ぎくしゃくした足が床板を測るかのように、ずしん、ずしんと踏む音は小さくなっていった。

 少年はもがいた。母親は両手で押さえつけようとしたが、もがいてなんとかそれをふりほどこうとした。いつかは自分の方が強くなるのだろう。彼にはそれがわかっていた。だがそれまで待っているわけにはいかないのだ。「行かせてくれ!」彼は叫んだ。「母さんを殴ったりしたくないんだ」

「行かせておやりよ!」叔母が言った。「もしこの子が行かないんだったら、あたしが自分で行くよ! 神様が見ていらっしゃるんだから」

「あたしにはそんなことできないよ。わかっとくれ」母親が悲鳴をあげた。「サーティ! サーティ! おやめ、おやめ、おやめったら! リジー、手を貸してちょうだい!」



(明日いよいよ最終回)


フォークナー 「納屋は燃える」その9.

2008-10-20 22:49:40 | 翻訳
 その9.

 裁判はほとんど時間を要しなかったので、まだ午前も早い時間だった。少年は、これから家へ帰って畑に出るんだろう、なにしろ遅れてるんだ、ほかの小作人とくらべてもずいぶん遅れを取ってるじゃないか、と考えていた。ところが父親は荷馬車のうしろを通り過ぎ、片手で兄に荷馬車であとをついてくるように合図すると、道を渡って向かいの鍛冶屋へ入っていった。少年は父親のあとについていき、前へまわりこんで話しかけた。風雨にさらされた帽子の下の、厳しいが落ち着いた顔に、こうささやいたのだった。

「あいつ、たぶん250キロなんて手に入らないよ。25キロだって。おれたち……」

そこで初めて父親はちらりと彼に目をやった。平穏な表情のまま、冷たい目の上の、灰色のもつれた眉を寄せると、楽しげな、ほとんど優しいとさえ言えるような声を出した。

「そう思うか? まあそうだな、とにかく10月が来るまで待ってみるとしよう」

 荷馬車の用事――輪留めを一、二本直し、車輪を締め直す――はたいして時間がかからなかったし、車輪直しは荷馬車を店の裏手のばねの作業場に引いていき、そこに立てかけておけばよかった。ラバはときどき水に鼻面をつっこみ、少年は手綱をゆるめて腰を下ろし、向こうの山や、すすけたトンネル型の車庫を眺めたりしていた。のんびりしたハンマーの音が響き、父親はひっくり返したひのきの丸太に腰をおろして、気楽なようすで会話を交わしており、少年が荷馬車を作業場から引き出して戸口へ停めても、まだそこに坐ったままだった。

「そいつらを日陰に連れてってつないでおけ」父親が言った。少年は言われた通りにしてから、また戻ってきた。父親と鍛冶屋と男がもうひとり、ドアのところにしゃがんで、収穫や家畜の話をしている。少年もアンモニア臭のただよう埃っぽい、蹄の削りくずや錆びた蹄鉄のなかにしゃがんで、父親が兄さえまだ生まれていないころの、まだ博労をやっていたころの話をいつまでものんびり続けるのを聞いていた。少年は店の反対側にかかっている、去年のサーカスのぼろぼろのポスターに描かれた真紅の馬や、チュールやタイツを身につけて、空中で停止したり回ったりしている軽業師、横目使いの化粧をした道化師の姿に心を奪われ、黙って見入っていたが、そこへ父親がやってきて、声をかけた。

「昼飯の時間だ」

 家に帰るのではなかった。表の塀の前に兄と並んでしゃがみ、店から出てきた父親が、紙袋からチーズのかたまりを取り出し、ポケットナイフで慎重かつ丁寧に三等分すると、その袋から今度はクラッカーを取り出したのを眺めていた。三人は軒下にしゃがんで、ゆっくりと物も言わずに食べた。それからまた店のなかに入っていくと、ブリキのひしゃくでバケツのスギ臭い、生のブナのにおいまでするぬるい水を飲んだ。それでもまだ家には帰らない。今度は馬の市へ出向いた。高い柵をめぐらし、柵に沿って人びとが立ったり坐ったりしているところへ、馬が引き出される。馬が歩いたり、速足をしたり、つぎには駆け足で通路を行ったり来たりするあいだに、人びとはのんびりと売り買いをしているのだった。やがて日が西に傾き始めても、彼ら――親子三人――は見て回りながら、話を聞いていた。兄は濁った目をして、やめられない噛み煙草をひっきりなしにかんでいたし、父親は、ときおり馬に論評を加えていた。とくにだれに話しかけていたわけではなかったのだが。

 三人が家に戻ったのは日が暮れてからだった。ランプの火で夕食をとり、それからドアの階段に腰を下ろして、少年はすっかり日の落ちた夜の光景をながめながら、ヨタカとカエルの声に耳を澄ました。すると母親の声がした。

「アブナー! 駄目よ、駄目。お願い、ああ、神様。アブナー!」

(この項つづく)

フォークナー 「納屋は燃える」その8.

2008-10-19 22:25:20 | 翻訳
その8.

 土曜日になった。馬具をつけていた少年がラバの下から見上げると、黒い上着と帽子という出で立ちの父親がいた。

「そっちじゃない」父親が言う。「荷馬車の方だ」

二時間後、少年は父親と兄がいる御者席の後ろ、荷馬車に腰を下ろしていた。荷馬車は最後の角を曲がって、風雨にさらされてペンキのはげた店の前に出た。タバコや特許薬の破れたポスター、ロープでつながれた荷馬車や、軒下の鞍をつけた馬やロバが見える。少年は父親と兄に続いて、たわんだ階段を上っていった。今度もまた、彼ら三人を黙って見つめる人びとが両側に道を作る。厚板のテーブルに着席しているのは眼鏡をかけた人物だったが、それが治安判事であることは、誰から教えてもらわなくても少年にはわかってた。それから少年は、負けん気いっぱいの反抗的な目を、カラーをつけてスカーフ・タイを結んでいる例の男に向けた。相手を見たのは、生まれてこのかた、たった二度しかなく、それも馬に乗って速足で駆けているところだったが、いまは男の顔にも怒りの色はなかった。少年には知るよしもなかったが、小作人のひとりに訴えられるなどという予想外の事態に驚き、未だに信じがたい思いだったのである。少年は歩み出て、父親をかばうように前に立つと、判事に大声で訴えた。「父さんはやってません、燃やしたんじゃありません……」

「荷馬車に戻ってろ」父が言った。

「燃やしただって?」判事が尋ねた。「この絨毯は燃やされもしたのかね?」

「そんなことをわしらの誰が言いましたかね?」父親は言った。「荷馬車に戻ってろ」

だが少年は言うことを聞かず、以前と同じように、混み合った部屋の奥の方へ退いた。だが今度は腰を下ろす代わりに、ぎゅうぎゅう詰めのなかをじっと立っている人びとのあいだに自分の身をすべりこませて、聞こえてくる声に耳をすませた。

「それであんたは絨毯に与えた損害賠償としては、トウモロコシ500キロは高すぎると主張するんですな?」

「あの人はわしのところへ絨毯を持ってきて、足跡を洗って消してくれ、って言いました。だからわしは足跡を消して、あの人のところへ返したまでです」

「だが、戻したときの絨毯は、あんたが足跡をつける前の状態と同じだとはいえなかったんじゃなかったかね?」

 父親は返事をしなかった。ほぼ三十秒ほど、息を潜め、ひとことも聞き漏らすまいとして漏らすかすかなため息のほかには、何の音も聞こえなかった。

「証言拒否かね、ミスター・スノープス?」父親はこのときも何も言わなかった。「あんたに罪がないとは言えないようだ、ミスター・スノープス。わたしはド・スペイン少佐の絨毯の損傷に対して、あんたに責任があると認める。だが500キロのトウモロコシでの支払いは、あんたの情況では少し重すぎるようだ。ド・スペイン少佐はあの絨毯は百ドルだったと主張している。十月のトウモロコシはだいたい25キロあたり50セントが相場だろう。もしド・スペイン少佐が95ドルの損失を我慢できるなら、あんたは5ドルそれを払えばいい。あんたはまだ手に入れていない5ドルをそれに充てるのだ。わたしはあんたにド・スペイン少佐に対する損害賠償として、250キロのトウモロコシを契約に加算すること、それは収穫時の収穫のなかから支払われるべきことを命じる。本件はこれにて審議終了」



(この項つづく)

フォークナー 「納屋は燃える」その7.

2008-10-18 22:48:48 | 翻訳
その7.

 一同が冷たい夕食を食べているあいだも、絨毯はそこにかかっていた。それから寝る時間になって、誰が命じることもなく、自分の希望を主張することもなく、それぞれにふたつの部屋に分かれていった。母親はベッドのひとつに、そこにはあとから父親も横になる。兄はもうひとつのベッドに寝て、彼と叔母さんとふたりの姉は床に藁ぶとんを敷いて寝るのだ。だが父親はまだ寝に来ない。深い眠りに落ちる前に、最後に少年が覚えていたのは、帽子をかぶって上着を着た父親のとげとげしい影が、絨毯にかがみこんでいる姿で、つぎに父が自分を見下ろしているのに気がつくまで、目を閉じるか閉じないかの間だったような気がした。背後の火はほとんど消えかかっている。足音で少年は目を覚ましたらしかった。「ラバを出すんだ」父親は言った。

 少年がラバを引いて戻ってくると、父親は真っ暗な戸口に、巻いた絨毯を肩に担いで立っていた。

「乗っていくんじゃないの?」

「いや。おまえの足を貸せ」

 少年は膝を曲げると、父親はそ膝の下に手を差し入れた。針金のような腕には驚くほどの力があって、少年の体はそのまま持ち上げられたかと思うと、そのままラバの裸の背に乗せられた(昔は鞍があったのだ。少年はいつ、どこでそれを見たのか覚えてはいなかったが)。父親は今度も雑作なく絨毯をふりあげると、少年の前に載せた。そうして星明かりの下、ふたりは午後来た道をふたたびたどっていった。スイカズラの匂いがむせかえるほどの埃っぽい道を抜け、門を通って、真っ暗な私道のトンネルをくぐり、灯りのついていない家に着いた。そこで少年がラバを停めると、腿にかかった絨毯のごわごわした感触が消えた。

「手伝おうか?」少年はささやいた。父親は何も言わなかったが、やがてまたこわばった足が、ひとけのない玄関ポーチの床板を踏む時計のように規則正しい足音が聞こえてきた。体重よりはるかに大きな音だ。父親は絨毯を肩から振り落とすのではなく、おおいかぶさるようにそっとおろしたが(少年には暗闇の中でもそのことがはっきりわかった)、壁や床にぶつかって、雷のような音がした。それからまた悠々とした大きな足音が響いた。家のなかに灯りがともり、少年はすわったまま、緊張しながら、規則的な呼吸、静かだがふだんよりいくぶん浅い呼吸をしていた。足音は少しも早まることはなく、ゆっくりと階段をおりてきて、やがて少年にも父親の姿が見えた。

「帰りは乗るんだろ?」少年はささやいた。「今度はふたり乗れるよ」
家のなかは別の場所が明るくなり、ゆらめいたかと思うと低い場所へ降りていく。あの男がいま階段をおりてるんだ、と少年は思った。ラバは少年を乗せたまま乗馬台のわきへさしかかった。そこで父親が後ろに飛び乗り、手綱を倍に延ばすと、ラバの首筋を叩いた。だがラバが速足になるまえに、堅くひきしまった腕が少年の体に回され、ごつごつと節くれ立った手が手綱をぐいっと締めたので、ラバは並足に戻った。

 明け初めた赤い陽がのびる庭で、ふたりは二頭のラバに鋤きをつけていた。栗毛の牝馬が今度は足音も響かせず、いきなり姿を現した。馬に乗った男は、カラーもつけず、帽子もかぶらず、身をがたがたと震わせながら、ちょうど屋敷にいた女のように震え声で話したが、馬上を一瞥した父親は、そのままかがんでくびきを結わえる作業に戻ったために、男はうつむいた背中に話しかける羽目になってしまった。

「おまえは絨毯を駄目にしたことをわかっているのか。ここにだって女手のひとつぐらいはあるだろうが」震えながら言葉を切るのを少年は見ていた。兄が厩の戸口にもたれ、噛みタバコをやりながらゆっくりまばたきしたが、実際はその目には何も映っていなかっただろう。

「百ドルもしたんだぞ。だがな、おまえに百ドルの金があるはずもなかろう。金輪際、持つことさえあるまい。だから、わしはおまえの収穫分から、トウモロコシを500キロ、取り立てることにする。契約書に書き加えておくから、今度代理人のところへ行ったときに署名をしておくんだ。そんなことでミセス・ド・スペインの気持ちは治まるまいが、まあ、おまえにとっちゃ、勉強にはなっただろう。人の屋敷に入ろうというときには、自分の足くらいちゃんと拭いておくというな」

 それだけ言うと、男は行ってしまった。少年が父親の方を見ると、黙ったまま目を上げようともせず、くびきの鉄球棒の位置を直していた。

「父さん」父親は彼を見た――何を考えているのかまるでわからない顔つきで、もつれた眉の下の灰色の目が冷たく光っている。少年はいきなり父親のそばへ駆け寄って、また急に止まった。

「父さんはできるだけのことをやったんだ!」彼は大声で言った。「もしあの人がちがうふうにやってほしかったんだったら、もうちょっとここにいて、どうやってやったらいいか教えてくれれば良かったんだ。あんなやつに500キロ渡す必要なんてないよ! やつには一粒だって受け取る権利はない! 収穫したら隠してしまえばいいよ。集めたら全部隠してしまえばいいんだ! おれが見張っててやるから……」

「おまえはおれの言うとおりに、ナタをまっすぐにして片づけたか?」

「まだです」

「じゃ、やっておけ」

 それは水曜日のことだった。その週の残りをずっと、少年は自分のできることを探して――ときにはそれを超えることまで――懸命に働いた。一度命令されれば、もう二度と言う必要がないほど、熱心に働いたのだ。このやり方を学んだのは母親からだったが、ひとつちがっていたのは、ともかく好きなことをやろうとした点だった。たとえば、薪割りをするなら、母親と叔母さんがやりくりして、どうにか金を貯めてクリスマスプレゼントに買ってくれた小ぶりの斧を使うようなことである。母親や叔母さんと一緒に(一日の午後あいだだけ、姉の一人も加わった)子豚と雌牛の囲いも作ったが、それは父親と地主の契約の一部に含まれていた。ある日の午後、父親が一頭のラバに乗ってどこかに行ったあと、少年は畑へ出た。

 いまはちょうど畝立て機を使っているところで、兄が鋤をまっすぐに起こしているあいだ、少年が手綱をあやつりながら、鋤を引くラバの横を歩いた。裸足のかかとは冷たくしめった肥沃な黒土をふみしめる。たぶんこれで片づいたんだ、と少年は思っていた。たった一枚の絨毯に、500キロも納めなきゃならないなんてひどい話だけど、それも父さんがこれからもう二度と、前やってたようなことをしなくなるんだったら、安いもんじゃないか。それは考えているというより夢を見ていたようなものだったから、兄は、ラバに気をつけろ、と厳しく注意しなければならなかった。――きっと、500キロの取り立てなんて無理だろう。たぶん、収穫して、計量して、精算したところでそのまま消えてしまうんだ。トウモロコシ、絨毯、火。恐怖も悲しみも、二頭の馬に別々の方向に引っ張られるみたいにして、そのまま永久にどこかへ行ってしまうんだ。



(この項つづく)