陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジェイムズ・サーバー 「たくさんのお月さま」

2007-09-30 23:09:55 | 翻訳
今日からジェイムズ・サーバーの童話 "Many Moons" の翻訳をやっていきます。たぶん三回で終わると思います。子供向けのお話なのですが、なかなか大人が読んでもなるほど、と思えるものです。
原文はhttp://sujith_v.tripod.com/stories/moons.txtで読むことができます。



たくさんのおつきさま

by ジェイムズ・サーバー



むかしむかし、海のそばの王国に、小さな王女がおりました。名前はレノーラ姫といいました。

王女は十歳で、まもなく十一歳になろうというところでした。ある日、そのレノーラ姫が、ラズベリーのタルトを食べ過ぎて具合が悪くなり、寝こんでしまったのです。王家専属のお医者様がやってきて、熱を測ったり、脈を取ったり、お姫様の舌を引っ張ったりしました。お医者様は心配顔。王様、レノーラ姫のお父さんですよ、に使いをやると、王様もすぐにお姫様のところへやってきました。

「余は姫が心より望むものがあるならば、なんなりと使わすぞ」と王様は言いました。「望みあらば申してみよ、な?」

「ございます」お姫様が言いました。「わたくし、お月様がほしゅうございます。お月様がいただけたなら、また元気になれると思うのよ」

ところで王様には大変にかしこい家来が大勢おりまして、その者たちは王様が望むものならいつでも何でも手に入れてきたのです。ですから王様は娘にも、月を手に入れてやろうと言いました。それから王様の椅子のある謁見の間にもどり、呼び鈴のひもをひっぱりました。三回長くひっぱり、それから一回短く引っぱると、じきに侍従長が部屋にやってきました。

侍従長は大きくてよく太っていて、分厚いめがねをかけていたものですから、そのせいで目が実際よりも二倍も大きく見えました。おかげで侍従長は実際よりも二倍もかしこそうに見えたのです。

「余は月がほしい」王様は言いました。「レノーラ姫が月を所望じゃ。月が手に入らば姫もまた元気になる」

「月、ですと?」侍従長は思わず叫び、目がいっそう大きくなりました。おかげで実際よりも四倍かしこそうに見えました。

「さよう、月じゃよ。つ き、あの月じゃ。今夜持って参れ、遅くとも明日までにはな」

侍従長は額の汗をハンカチでぬぐい、それから大きな音をたてて鼻をかみました。「わたくしはこれまで、きわめてたくさんのものを陛下のために手に入れてまいりました。ここにたまたま、これまでにわたくしが入手いたしましたものの一覧表がございます」そう言って、侍従長はポケットから長い羊皮紙の巻物を取りだしたのです。「はてさて」侍従長はその一覧表にちらりと目を走らせて、むずかしい顔になりました。「わたくしが入手いたしましたのは、象牙、サル、孔雀、ルビー、オパール、エメラルド、黒い蘭、ピンクの象、青いプードル、金色のコガネムシに黄金虫、琥珀に閉じこめられた蠅、ハチドリの舌に天使の羽、ユニコーンの角、巨人、小人、人魚、香木、竜涎香、ミルラ樹脂、旅回りの詩人に、吟遊詩人、踊り子たち、バター1ポンドに卵2ダース、砂糖1袋……おっと失礼、こいつは妻がここに書きつけておりました」

「青いプードルなぞ記憶しておらぬ」王様は言いました。

「ですが表にはちゃんと『青いプードル』と書いてございますし、さらにここに小さくお渡し済みのしるしがついております。ですから青いプードルは確かにお渡ししております。陛下がお忘れになっただけでございます」

「青いプードルは、もうよい。わしがいま所望しておるのは月なのじゃ」

「陛下、陛下のお望みとあらば、わたくしはこれまで、はるかサマルカンドでありましょうが、アラビアでありましょうが、ザンジバルでありましょうが、取りに参らせました」侍従長は言いました。「ですが月とはまた途方もないおっしゃりよう。月は56 327.04 キロメートル、離れたところにございますし、お姫様がいらっしゃいますお部屋より、はるかに大きゅうございます。加えて、月は溶融銅でできておりますゆえ、とてもではございませんが、陛下のおためとはいえ、とてもではございませんが、取ってまいれません。青いプードルなら、お持ちできますが、月はムリでございます」

王様はたいそう腹をお立てになると、侍従長を下がらせて、そのかわりに王家に仕える魔法使いを王の間に呼びました。

王家に仕える魔法使いは、小さな、やせた男で、細長い顔をしています。魔法使いのかぶる帽子は赤くて先が長く、銀色の星がたくさんついていて、青くてすその長いローブには金のふくろうがたくさんついていました。王様が、わしのかわいい姫のために月を取ってまいれ、と申しつけると、魔法使いの顔は真っ青になりました。

「これまでわたくしは陛下のために、ありとあらゆる魔法を使ってまいりました」と魔法使いは言いました。「実を申しますと、わたくし、ポケットに陛下のために使いました術の一覧表を、たまたまポケットに入れておりまして」魔法使いは底の深いポケットの奧をさぐって、一枚の紙を引っぱりだしました。
「まず最初は『親愛なる王家に仕える魔法使い殿:魔法使い殿がおっしゃった「賢者の石」と称するものを返品いたします……』おっと失礼」魔法使いはもう一方のポケットから、長い羊皮紙の巻物を取りだしました。
「こちらでございました。さてさて、これによりますと、わたくしは陛下のためにカブから血を絞りだし、血からカブを取りだしました。シルクハットからウサギを取りだし、ウサギからシルクハットを取りだしました。花とタンバリンとハトを呪文で呼び出しました。ダウジング用の棒と、魔法の杖と、未来を教える水晶玉をさしあげました。媚薬、軟膏、飲み薬、失恋を癒す薬、食べ過ぎを治す薬、耳鳴りを治す薬を調合いたしました。さらに調合してさしあげたのは、秘伝のトリカブト、ベラドンナ、それにワシの涙をたらした特別の混合薬、あれは魔女や悪魔、そのほか夜跳梁するものどもをよせつけぬものでした。そのうえ、ひとまたぎで33.796224 キロメートル跳べるブーツ、ふれたものみな黄金に変える指、透明になれるマント……」

「あれは効かんかった」王様は言いました。「あの透明になれるとかいうマントは、ちっともそうはならなかったぞ」

(この項つづく)

「いや」なことは「いや」と言ってもいい

2007-09-29 22:10:15 | weblog
「いじめ」で自殺した、といった報道があるたびに、なんともいえない、やりきれない気持ちになる。まったく死ぬ必要がないことで、人が死ぬのはたまらない。

どうして誰かに相談しなかったんだ、というのは簡単だ。
けれど、心の柔らかな部分を踏みつけにされるような経験をした人は、穴に閉じこもるしかない。穴に閉じこもって、身を隠そうとする。ところがいくら閉じこもっても、なお押し入り、さらに殴りつけ、踏みつける人間たちがいる。そうなると、世界はそうした人間と、自分だけになる。逃げ場がなくなった人間は、自分を守るために自分の心を凍りつかせる。そうやって、殴りつけられ、蹴りつけられる恐怖を凍らせる。何も感じなくなることで、自分を守ろうとする。
そんなふうにして、彼、または彼女は穴の奧にたったひとり、閉じこめられる。閉じこめるのも自分だし、閉じこめられるのも自分だ。そこから出してやれるのは、自分しかいない。だから、まわりでどれほど呼びかけても、そこには届かない。

そこまで行く前に、覚えていてほしい。
されたくないことは「いや」と言っても良いのだ。
自分にとって「いや」な現実は、変えることができるのだ。

いまの子は我慢を知らない、と、昔から言い古されたせりふがある。
わたしたちのころも、そう言われていた。
そう言っている人間も、そう言われてきた。

一方で、「我慢せよ」という。
「あなたのためを思って言っている」という人がいる。
「たとえいまいやでも、将来、きっとよかったと思える日がくる」という人がいる。
そういうことを言われ続けていたら、やがて自分で自分を検閲するようになる。
いやだけど……でも。

親を失望させたくない。
先生に「良い子」だと思われたい。
周囲に「いやなやつ」と思われたくない。

そう考えて、いやなことをごまかしているうちに、ほんとうは何が「いや」で、何が「いやでない」のかわからなくなってくる。「いやなこと」と「いやでないこと」の分節が、自分でできなくなってくる。

そういう状態にある子供たちが、何かの拍子にいじめる側といじめられる側に分かれ、いったん固定されたその役割が、自動的につぎの行為を誘発し、とめどもなくなってくることは、何の不思議もない。

もしかしたら、それは我慢できることかもしれない。それは我慢しちゃいけないことかもしれない。
その判断は、いまの自分にはできないかもしれないのだ。
だから、もしなんだか変だ、と思ったら、まず、「いや」と言ってみる。
一度、「いや」と言ったら、つぎはもう少し、言いやすくなるから。
そのつぎは、さらに、もう少し。

それが耐えられる「いや」か、我慢した方がいい「いや」か、口に出してみればわかってくる。

人をきらいになってもいい。人にきらわれてもいい。
きらいな人間とは一緒にいなくていい自由だってある。
きらわれた人間に、好きになってもらう必要はない。
人が好きになるのが自然な感情のように、きらいになるのもまた自然な感情なのだから。
人を好きになるのに理由がないように、きらうのも、きらわれるのも、理由なんてないのだから。

「いや」なことは「いや」という自由が、きみにはあるのだから。

「そう考えない自由が私にあるのだ」

 その言葉が、わたしはとても好きだ。マルクス・アウレーリウスの言葉だ。西暦121年生まれのマルクス・アウレーリウスは、誰であるよりもまず、みずからはげます人だった。その『自省録』は、ごつごつとぶっきらぼうで、簡潔な言葉のいっぱい詰まったふしぎな本で、どんな本もおもしろく思えないような日には、その本を一冊もって、街に出る。…

「ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。またよそへゆくとすれば、それはきみののぞむままだ。また死ぬとすれば、きみの使命を終えたわけだ。そのほかには何もない。だから、勇気をだせ」
(長田弘『記憶のつくり方』晶文社)

生(ヴィ)のようなレトリック

2007-09-28 23:15:40 | 
昔、漱石の『草枕』のある部分を、比喩だ、と指摘したら、この表現は比喩なんてそんなちっぽけなものではない、と言われたことがある。

「子供より親が大事、と思いたい」(「桜桃」とか「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」(「葉」とか、印象的な表現をいくつも残し、レトリックの遣い手でもあった太宰治は「比喩というものは、こうこうこうだから似ているじゃねえか、そっくりじゃねえか、笑わせやがる、そうして大笑い。それだけのものなのである。」(「豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説」)と言っている。ただ、さすが太宰、この文章は比喩と象徴を対比させ、返す刀で「武士的な文豪」(これは誰だろう? やっぱり志賀直哉なんだろうか?)と亀井勝一郎をなで切りにし、豊島與志雄に甘えてみせる、なかなか凝りに凝った文章ではある。
だが、ともかくも、比喩、あるいはレトリックは、文章の飾り、という見方は未だに支配的なのかもしれない。

佐藤信夫の『レトリック感覚』という本には、こんな引用がなされている。
 レトリックをたんなる装飾的包装としか見ない安直な言語観が支配的であった時代に、ほとんど孤軍奮闘に近いありさまで、一貫してレトリックの再検討をとなえていた心理学者波多野完治は、昭和八年にあるレトリック論のなかで次のように主張していた。

「ある言ひまはしを考へるとは、ある考へ方を考へる事である。ある比喩を見出すとは、従来見出されなかつた二つの事情の間に感情上の一致を見出すことであり、これによつて社会的な考へ方に一つの新しい見方を導入することを意味する。修飾は単なる技巧ではない。(……)いくつもある言ひまはしのうちの一つを採る、といふのは、いくつもある考へ方のうちの一つを採るといふ事を意味する。文章修飾の創造は新しい考へ方の創造である」(「国語文章論」前篇の三)これは、わが国のレトリック観の流れのなかで、きわめてまれな、正確な意見であった。
(佐藤信夫『レトリック感覚』)

つまり、「我々の生(ヴイ)のやうな花火の事を。」(芥川龍之介「舞踏会」)という直喩は、単なるしゃれた言いまわしというだけではない。「我々の生」を「花火」になぞらえることによって、「我々の生」のはかなさを、それゆえの美しさを考えることになる。「生のやうな花火」というとき、同時に夜空にぱっと広がる花火の情景がどこかに浮かび、そのイメージにわたしたちの生と、そうしてそののちの虚空の暗闇、死に思いいたるのである。レトリックは決して思考の衣裳にとどまるものではない。

「頭ならびに腹」で「沿線の小駅は石のやうに黙殺された。」という並はずれたレトリックを披露することで新しい機械文明を明らかにして見せた横光利一は、やがて『機械』というまわりつづける歯車を思わせる文体で、人間がそれぞれに関係し合うさまを浮かびあがらせた。やがて彼は、晩年の前年、昭和21年に、その最後のまとまった作品となる「夜の靴」という作品を発表する。

この作品は、戦争末期の昭和20年6月、先に夫人の郷里である山形県鶴岡市に疎開していた家族を追って、自身も鶴岡に移った横光が、そこで終戦を迎えた八月十五日から四ヶ月後の十二月十五日、そこを引き上げるまでの四ヶ月間の日記という体裁になっている。

敗戦の知らせが、「駈けて来る足駄の音が庭石に躓いて一度よろけた。」足音の主によって運ばれてくる。
私はどうと倒れたように片手を畳につき、庭の斜面を見ていた。なだれ下った夏菊の懸崖が焔の色で燃えている。その背後の山が無言のどよめきを上げ、今にも崩れかかって来そうな西日の底で、幾つもの火の丸が狂めき返っている。

ここには空襲で燃えさかる炎の色が夏菊に重ね合わされ、さらに日の丸が重ね合わされ、崩れ落ちそうな自分がさらに重ねあわせられている。

けれども、たとえ敗戦という経験を日本がしたとしても、そこからまた日は続いていく。横光の東北の小さな村での日々も、静かに続く。季節は夏から秋へ、そうして冬へ。ノミに悩まされたり、乏しい食生活を余儀なくされたり、近在の農家の人々からお情けで野菜を分けてもらったり。電燈もない夜はひたすら暗い、そんな生活が、派手なレトリックもなく、静かに綴られていく。

いよいよこの村を去ることになる前日、「私」は農業改革を押し進めようとする人々の会合に出席するために、村の釈迦堂に出かける。
 集りは本堂の北端にある和尚の書院だ。清潔な趣味に禅宗の和尚の人柄が匂い出ていて抹香臭なく、紫檀の棚の光沢が畳の条目と正しく調和している。正面の床間の一端に、学生服の美しい鋭敏な青年の写真が懸けてある。私はそれを振り仰いで伊藤博文に似た貌の和尚に訊ねると、長男で電信員として台湾へ出征中、死亡の疑い濃くなって来ているとの事である。すでに私は大きな悲劇の座敷の中央にいつの間にか坐っていたのだ。
「しかし、台湾なら、まだ……」
 と、私が云いかけると、
「いや、途中の船でやられたらしいのです。調べて貰いましたがね、もう駄目なようでした。」
 朝からの若やいだ私の気持ちが急にぺたんと折れ崩れて坐った。背面の山のなだれが背に冷え込むのを覚え、襲って来ている若い時代が傷つき仆れた荒涼とした原野の若木に見えて来た。今さらここで何の批評の口を切ろうとするのだろう。私はもう昨日の深夜、雪を掘り起した底かち格調ある歌を聞いてしまっている。あれが時を忘れた深夜の清江の祈りではなかったか。

人々は集まってきて、悲しみの中にいるはずの和尚も、暢気な笑い声を立てている。人々もそれを知っていながら、それについてはことさらにふれることもなく、語らっている。やがてその集まりが、「私を慰めてやろうという好意ある会合」であることがわかった。
 私一人は今夜の客であったから、皆より一人さきに座を立って帰った。太い杉の参道はまったくの無灯で長かった。柄の折れた洋傘を杖に、寸余も見えない石畳を探り探り降りて行く私の靴音だけが頼りだった。谷間の雪が幹の切れ目からときどき白く見えていた。

木人夜穿靴去
石女暁冠帽帰

 こつこつ鳴る靴音から指月禅師のそんな詩句が泥んで来る。夜の靴というこの詩の題も、木石になった人間の孤独な音の美しさを漂わせていて私は好きであった。石畳が村道に変ってからも灯はどこにも見えなかった。雪明りで道は幾らか朧(おぼろ)ろになったが、踏み砕ける雪の下から水が足首まで滲み上り、ごぼごぼ鳴った。

この副題にもとられている漢詩は、指月禅師という人のもの。全文も何も知らないのだが「木人(ぼくじん)夜、靴をはいて去る、石女、暁に帽子をかぶりて帰る」という詩は、横光のこの文章から判断すると、木石になった人間、すなわちもはやこの世のものでなくなった人々が、夜半のうちに、あるいは夜明け前に、またもとの場所に戻っていく、ということなのだろうか。

暗い中、自分の足音を聞きながら、同時に、別の世界へ帰っていく人々の足音を聞く。それはまた同時に、まもなくその地を離れる自分の、そうして、いずれこの世を離れる自分の足音でもある。

夜の靴音には、いくつもの生が重ね合わせられ、同時に暗い中を自分の足音をたよりに歩いてゆく人のイメージが与えられ、そうしてそれはわたしたち自身の生にもつながっていく。靴音という換喩によって、どこまでもイメージは深くなっていく。

わたしたちは現実を言葉によってとらえ、言葉として内面化していく。言葉がなければ、現実を「それ」として認識することもできない。

言葉として表現された世界を読むことは、世界を知ることでもある。
比喩によって、わたしたちはさらにすでに知っていることと、知らないことを重ねあわせることができるようになる。知っていることと、知らないことの間に橋がかかり、その橋は新しいイメージを教えてくれる。

いわゆる名文句というのは、ちょっと特別な表現でもある。横光利一は極めて特殊な表現を意識的に追求することから始まって、最後はごく穏やかな比喩に落ちついていった。そこには抽象から具体への移行があるように思う。機械文明から関係し合う人間へ、そうして、人々の日々の生活へ。その抽象から具体への移行が、レトリックにも現れているように思う。

明るい昼、轟音とともに駆け抜ける特別急行列車は、夜の靴音を響かせながら歩いていった。


(※鶏的思考的日常ver.15更新しました。)

まわりつづける歯車のように

2007-09-27 22:55:49 | 
横光利一の『機械』という短篇は、非常におもしろい作品である。
登場人物の五人、ネームプレート製造工場の主人とその細君、私という語り手、私の同僚軽部、さらに途中から雇われた屋敷は、まるで五つの歯車のように決して止まらない。

「主人が狂人ではないのかとときどき思った」と言いながら、その数行あとでは「凡そ何事にでもそれほどな無邪気さを持っている」という。さらに「主人も若いときに人の出来ないこの仕事を覚え込」み、「赤色プレート製法」を考案して特許を持っているらしい。にもかかわらず「主人は金銭を持つと殆ど必ず途中で落してしまう」し、金には無欲恬淡で「こういうのをこそ昔は仙人といったのであろう」。最初は「自然に細君がこの家の中心になって来ているのだ」と言っているのに、「家の中心」は主人にある、とも言う。

このように「主人」ひとりを取ってみても、回る歯車ごとく、片時もその評価は定まることがない。

同じことが主人の妻にも私にも軽部にも屋敷にも言える。
私は工場の最下層の仕事をあてがわれている、という部分もあれば、中心ともいう。
軽部は主人公をスパイと考えて、監視を続けながら、同時に自分も主人の赤色プレート製法の秘密をねらっている。さらに屋敷も加わって、いったい誰がスパイなのか、誰が誰を監視しているのか、誰が誰に危害を加えようと思っているのかわからない。

そういうことを記述するのはこんな文体である。
私はいかに主人がお人好しだからといってそんな重大なことを他人に洩して良いものであろうかどうかと思いながらも、全く私が根から信用されたこのことに対しては感謝をせずにはおれないのだ。いったい人というものは信用されてしまったらもうこちらの負けで、だから主人はいつでも周囲の者に勝ち続けているのであろうと一度は思ってみても、そう主人のように底抜けな馬鹿さにはなかなかなれるものではなく、そこがつまりは主人の豪いという理由になるのであろうと思って私も主人の研究の手助けなら出来るだけのことはさせて貰いたいと心底から礼を述べたのだが、人に心底から礼を述べさせるということを一度でもしてみたいと思うようになったのもそのときからだ。
ためしに一度整理してみよう。
1.私は思う
2.主人がそんな重大なことを他人に洩らして良いのだろうか
3.主人は私を信用している
4.私は信用されていることを感謝せずにはいられない。
5.主人が周囲に勝ち続けるのは、人を信用するせいではないか
6.人を信用できる底抜けの馬鹿に、自分はなることはできない
7.その点が主人の豪い理由だろう
8.だから私は主人の研究の手助けをさせてほしいと心底から礼を言った
9.自分も心底から礼を言われるような人間になりたいとこのときから思った
これだけのことがふたつの文章に盛り込んである。主語はぐるぐると動き、私の見方も変わっていく。

たえず揺れ動き、かたときも定まらない気持ちにしたがって、相手のとらえ方も移り変わり、そうした自分の気持ちを反映する行動が、今度は相手の気持ちと行動に影響をあたえていく。片時も定まることはなく、誰もが決して像を結ばない。

わたしたちはこれを読み、筋を追いながら、何とか「私」がだれか、理解しようとする。どんな人間なのか、何がしたいのか、主人が好きなのか、軽蔑しているのか、尊敬しているのか。スパイなのか、軽部を出し抜こうとしているのか、軽部を軽蔑しているのか、怖れているのか。「そうではないか」と思ったとたん、つぎの文章で裏切られる。

同時に、この「町工場」は人間社会の縮図だろう、とか、この歯車のような関係は、わたしたちの心理と他者との関係だろう、とかと、物語の寓意を読み取ろうとする。読み取った、と思ったのもつかのま、ほんとうにそうなのだろうか、と疑問が生じる。この「赤色プレート製法」というのは? クロム液は何を意味している? 意味は決して確定しない。

『動物農場』がスターリン政権下のソ連の寓話としか読めず、ここではスターリンはナポレオンという豚として描かれ、より強烈なイメージとなり、わたしたちはこの作品を読むことで、はっきりとスターリンの愚かしさをわかったように思う。

『機械』は何らかの寓話であるような気がする。だが、その向こうにある現実がわからない。同時に、この物語のなかの世界もわからない。二重にわからなくなってくるのである。

だが、これこそがわたしたちの世界のありようではないのか。
自分の行動の理由も、ほんとうは自分でさえ特定しがたい。その行動にどういう意味があるか、振り返って行動と意味を結びつけようとする端から、様々なことが起こり、あるいは自分の気持ちも揺れ動き、ほどけていくのではあるまいか。

従来からこの作品は「心理主義」として評価されてきたのだが、伊藤整は弁証法であると評価した(伊藤整って、やっぱり頭がいいなあ)。
横光が「機械」で使った描写法に対して、私は弁証法的な書き方という名をつけても不当ではない、と考えている。ひとつの存在、それに対立して現れる別の存在、その二つの間に生まれる力の関係のバランス、さらに別な存在や事件が加わることで、バランスの実体が変わっていく。すなわち人格を中心とする永続的実在の否定である。そしてこの点において「機械」という現象は心理主義的であるよりも弁証法的であり、または心理主義であることにおいて弁証法的である。人間関係の実在は道徳と人格を押しつぶすというこの考え方は、極めてニヒリスティックである。この作品における認識は、まさに当代の日本の社会の人間の実体に肉薄したものであった。そしてなんらかの新しい道徳を設定しない限りこの認識の不安は耐えがたいものなのである。
(伊藤整『作家論』筑摩書房)

この弁証法的という指摘はなかなか魅力的なのだけれど、この言葉を使うとどうしても、より高次なものへと向かう、という意味が生まれてきてしまうように思う。「人間関係の実在は道徳と人格を押しつぶす」と伊藤は言うのだけれど、この「機械」が登場する前の時代にあっては、人々は道徳的に、人格も押しつぶされないで、生き生きとしていたのだろうか。あるいは、「なんらかの新しい道徳」が設定されれば、わたしたちのこの歯車のように入れ替わり、移り変わる役割も、人格も、行動の意味も、定まってくるのだろうか。そうではないと思うのである。むしろ、歯車、互いが互いの歯とかみ合って、永遠にまわりつづける歯車というのが、わたしたちの「実在」ではないのか。
いまのわたしたちから見るならば。
これすらも、確定しがたいのだが。

結局、あらゆる文学というのは、無限に考えられる寓意を持った寓話なのではあるまいか。そうして、「機械」という短編小説は、何よりもそのことを教えてくれる作品ではないかと思うのである。

(明日この項、最終回)

たとえ話の効用

2007-09-26 22:27:49 | 
尼ヶ崎彬の『ことばと身体』のなかに、こんなエピソードが出てくる。
アインシュタインがあるとき、あるご婦人に、相対性理論とはどんなものか、と説明を求められた。すると、アインシュタインはこう答えたという。

「昔、暑い日に目の見えない友人と田舎道を散歩していた時のことです。私がミルクを飲みたいと言いますと、友人はこうききました。
『〈ミルク〉とは何だい』
『白い液体だよ』
『液体は知ってるが、〈白い〉とは何だい』
『白鳥の羽の色だよ』
『羽は知ってるが、〈白鳥〉とは何だい』
『首の曲がってる鳥だよ』
『首は知ってるが、〈曲がってる〉とは何だい』
 私は我慢ができなくなり、彼の腕を掴むと、ぐいと伸ばして『これが〈真直ぐ〉』、次に肘を曲げさせて『これが〈曲がってる〉ということだ』と言ってやると、彼は言いました。『ああ、〈ミルク〉とは何かやっとわかったよ』」


このエピソードでアインシュタインが示したのは、「どう説明してもわからない」とはどういうことか、である。そうして、その婦人にもそのことは伝わったのである。

これは、「たとえ話」の構造を、実にたくみに示したものである。

わたしがかなり早い段階で聞いたことのあるたとえ話といえば、幼稚園や小学校で聞いた聖書に出てくる話だった。放蕩息子の話、よきサマリヤ人の話、からし種やパン種の話、一匹の迷い子の羊の話、いまでも覚えているそういう話を、わたしたちは、最初はほかの昔話と同じようにただの話として聞きながら、やがて、昔話とはちがうものとして、わたしたちがシスターから聞くその話の向こうに、理解すべき別のことがらがあることを理解するようになっていた。

アインシュタインの話を聞いた婦人は、いったいどうしてそのたとえ話で自分には相対性理論は理解できないとアインシュタインが言っていることがわかったのだろう。
どうしてわたしたちは宗教の時間にシスターが話してくれた「九十九匹の羊を野原に置きっぱなしにして、いなくなった一匹を探しに行った羊飼いの話」は、「現実にはあまりいそうにもない羊飼いの話」ではなく「イエズス様の愛」の話だと理解したのだろう。

『ことばと身体』では先に挙げた引用のあと、このように続いていく。
何事かを「わからせたい」時に定義や論証よりも譬えを用いるのは私たちの常套手段であり、それで「分かった気になり」、それで事をすませてしまうのは私たちの常ではないだろうか。「だから正確な理解を得るためには、法廷文書のような正確な語り方が必要なのだ」と言うかもしれない。だが法廷用の文章が〈わかり難い文〉の代表の如く扱われていることも、また一般の事実である。ここで私たちは「正確にわかる」事と「わかった気になる」事を区別しなければならない。法廷の議論を「正確にわかる」ことは「推論を辿れる」ということであり、「わかった気になる」ことは「直観的に把握する」ことである。把握されるものは概念の論理関係ではなく、関係の型であり、図式である。そして私たちがふだんある事柄が「わかる」という時に考えているものは、どちらかと言えば「わかった気になる」方ではあるまいか。言い換えれば「気」で分かることであり、別の日本語を借りれば「腑に落ちる」「腹に入る」などと言われるものである。その上、時によっては推論を辿って理解する方は「頭でわかる」とも言われ、「腹」でわかる方に較べるといささか浅薄なものとみなされたりする。


こうしたたとえ話は、別の言い方をすれば「アレゴリー」ということになるだろう。
例を挙げれば、ジョージ・オーウェルの『動物農場』はアレゴリーだ。動物たちの理想の共和国を作るはずが、ナポレオンという豚が独裁者となっていくこの物語は、この表面で語られる動物たちの話というふうに読んだだけでは、ほとんど「わかった」ことにはならない。これがナポレオンになぞらえられているのがスターリンで、この「農場」はスターリン主義下のソ連をとらえたものとして読むことによって、スターリン主義というものを、どんな学術書よりもはっきりと、さらに豚になぞらえることで、より強烈に表現しているのだ。

このように、なぞらえるものとなぞらえられるものがはっきりと対応しているアレゴリーは、文学作品となると比較的限られてくる。逆に、それ以外の読み方を許さないところが足かせになってくるのだ。

けれども、アレゴリーとまではいかなくても、現実のひとつの局面をモデルとしてとらえ、より強烈なかたちでわたしたちにつきつけ、それによって、現実を見るわたしたちの見方を少し動かしていくような小説なら、いくらでもある。

横光利一の短篇「機械」もそのひとつだ。

明日はこれをちょっと丁寧に読んでみたいと思います。

昨日から今日にかけて

2007-09-25 22:26:44 | weblog
昨日の夜から熱が出て、仕事がなかったのを幸い、今日は一日中、寝たり起きたりして過ごした。

以前かかったお医者さんで、夏が好きですか、冬が好きですか、と聞く先生がいた。
夏が好きな人、というのは、基本的に夏に強く、逆に冬の寒さに弱い。冬の終わり頃、体調を崩すことになる。冬が好きな人はその反対に、夏のあいだの疲れが出て、秋口に体調を崩しやすいのだという。
お医者さんの口からそんなことを聞いたのは、少し驚いてしまったけれど、確かにどちらかといえば夏の方がいいと思うわたしは、例年、三月になると、たいていインフルエンザに罹ったり、風邪をひいたりして、何日かは寝こむことになるのだった。

それはおそらくそのお医者さんの経験則だったのだろうが、実際、どこまで妥当なのかはよくわからない。それでも例年、夏から秋の変わり目にかけては、あまり体調を崩すこともないわたしだったのだけれど、今年の夏がとりわけ暑かったせいだろうか、昨日の朝から喉がヘンだなと思っているうちに、夕方過ぎから熱が出て、結局早くに休むことにしたのである。

ところで、以前、こんなことを言う人がいた。
下痢をして病院に行くと、水分をしっかり取るように言われるけれど、水分をとれば、また下痢をする。下痢を治そうと思ったら、水分など取らない方がいい。自分はそうやって治すことにしている、と。

この話がおかしいのはすぐわかる。
悪くなった食べ物を食べて吐く、というのは、きわめて正常な反応だ。吐くことが悪いのではなく、悪いものを早く外に出そうとする体の働きなのである。下痢にしても同じことで、下痢そのものに問題があるわけではない。下痢が起こっているあいだは、それが必要な状態だということなのだろうし、そのあいだは脱水症状を起こさないように水分を取りがら、辛抱して待つしかないのだ。

そう考えると風邪を引く、熱を出す、というのも、それと同じで、きわめて正常な反応、ということになる。この場合は、悪いものが体に入った、というより、ふだんならはねのけるようなウィルスにやられてしまうのも、疲れが溜まっているからなのだろう。喉が痛むのも、熱が出るのも、しかたがない。ともかくそれが体から出ていくのを、体を休めながら待つしかない。結局これも、体を休ませなさい、というサインでもあるのだろう。よくしたもので、こういうときはいくらでも寝られる。今日も、ときどき起きてお茶や水を飲んだほかは、ほとんど寝ていたのだった。

寝ていると、さまざまな音が聞こえていた。電車の音、車の音。意外な近さで聞こえてくる、外の道を通る人の話し声。近所の幼稚園で運動会の練習をしているらしい音。遠くの小学校のチャイムの音。カーテンを閉めて、薄暗くした部屋の中で横になっていると、外の物音など意識に留めることもないふだんより、外界を近く感じるのだった。

もともとたいしてひどくなかったので、日が落ちたぐらいから、体がふらふらする感じも抜けた。まだちょっと喉は痛いけれど、明日はもう大丈夫だろう。
いまさっき夕刊を取りに行きがてら、外に出てみると、東の空高く月が白々とのぼっていた。そういえば今日は中秋の名月だったのだ。
木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり
詠み人しらず「古今集」


明日から横光利一とレトリックの話を続けます。あと二回くらいで終わる予定です。

たとえ気取ってたとえてみても

2007-09-23 22:32:50 | 
ちょっと前の表現だけれど、わたしは「カリスマ美容師」という言葉を初めて見たとき、思わず笑ってしまった。
「カリスマ」という語には、人間をはるかに超えた資質を持つ偉大な存在である、というニュアンスがあるし、一方、「美容師」というときわめて身近な存在だ。「月」と「すっぽん」というと、美容師さんに失礼かな、けれど、カリスマという言葉は、たとえば「皇帝」のようなニュアンスをつれてくるものだ。カリスマ性のある美容師、というのが、世界にただひとり、美容業界に皇帝のように君臨している人を指しているならいざ知らず、仮に勝れた技術をもっていたとしても、「カリスマ」と引き合うような言葉ではない。

そういうものすごく意味内容のちがうものを強引に結びつけているところがおもしろかったし、この言葉を作った人の、そう呼ばれる一群の美容師に対する皮肉な視線を感じたのである。

実際にその言葉は、皮肉なニュアンスというよりは、そう呼ばれる人はメディアで脚光を浴びるように働いた。「カリスマ美容師」という肩書きがついた人は、頻繁にTVや雑誌でとりあげられ、大勢の女性がずいぶん余分なお金を払って、そういう人に髪を切ってもらったわけだ。

ところがあらゆる言葉がまたたくまに手垢にまみれ、くすんでしまうように、その言葉もあっというまに古くなり、「カリスマ美容師」も脚光を浴びることもなくなってしまう。

この現象は、わたしたちにつぎのことを教えてくれる。
言葉が現実を作りだし、さらに現実は言葉を置き去りにして変わっていく。

いや、こういった方がいいのかもしれない。そんな美容師は、そうした言葉とは無関係に、昔からいたし、あるいは、いまもいるのだろう。つまり、言葉によってわたしたちの物の見方が変わり、その言葉を置き去りにして、わたしたちの見方はさらに変わっていくのだ、と。


新しいレトリックというのは、わたしたちの物の見方を変えてしまう。
昨日も見た「頭ならびに腹」の冒頭の文章をもういちど見てみよう。

「沿線の小駅は石のように黙殺された。」というのは、レトリカルな表現である。
特急は沿線の小駅を通過した、と言えばいいところを、わざわざそんな気取った表現で言っているのだから。

ところが沿道の小駅にいると仮定してみよう。目の前をすごい勢いで電車が通過する。ここだって駅なのに。自分だって電車を待っているのに。「黙殺される」というのは、駅で待っている人から見れば、その通りに実感される言葉なのである。
「特急が全速力で通過する」というのが平叙文であるとすれば、これは事態を俯瞰している誰ともつかない人の文章であって、駅にいる人から見れば「石のように黙殺される」というのは現実的な表現なのである。

「石のように黙殺された」「沿線の小駅」は、駅のことを言っているだけではなく、そこで待つ人のことも指している(このような比喩を「換喩」という)。
特急電車が人のように擬人化されているのに対し、駅で待つ人は「小駅」という換喩によって、「もの」としてあらわされているのだ。

特急は、機械文明の象徴として登場する。
人間は、人間は「満員」という一語に押しこめられ、さらに「駅」という換喩であらわされることで、従来の人間の位置、つまり主人公から転落し、そのかわりに特急に代表される機械が世界の主人公となることが、この一文で暗示されているのだ。明るい機械文明の世界では。

 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。

というのは、きわめてレトリカルな表現と考えられてきた。だが、「新しい世界」では、現実的な表現とも言える。

わたしたちがこの横光の文章に何の新しさも感じないのは、このレトリックが古くなってしまったというより、「新しい文明社会では機械が人間に換わって主人公となる」というものの見方の方が、いまのわたしたちにとって古くさいものになってしまったからなのである。

改めて思う。
言葉は事実を表現するものではなく、事実に対するわたしたちの見方を表現するものだということを。

(もう少し「機械」の表現について明日も続けます)

たとえたとえても

2007-09-22 22:52:32 | 
この文章をちょっと見てほしい。

 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。

短編小説の冒頭なのであるが、いまのわたしたちの多くは別に何とも思わない、特急を「特別急行列車」と記述しているのが少しくどいかな、と思う程度ではあるまいか。
だがこの小説が発表された1924年(大正13年)当時の人は、ぎょっとしたのである。
なにしろこの一文をもって「新感覚派」という呼称が広く人々のあいだに行き渡ったのだから。

もちろんこの横光利一の短篇が「頭ならびに腹」という奇妙なタイトルを持っていたこともあるだろう。けれども、先に上げた冒頭の一文が、「新しい感覚」「象徴主義」を何よりもはっきりと示している、と当時の人は感じたのだ。

いったいどこに当時の人々は「新しい感覚」を感じたのだろう。そうしてまた、いまのわたしたちはさほどの新しさを感じないのだろう。

確かに「沿線の小駅は石のように黙殺された」という直喩はあまり馴染みのあるものではない。

ためしに「石のように」で青空文庫を検索してみると、512件がヒットする。

「石のように佇んだ」というと、
「石のように坐り込んだまま動かない」
「石のように冷く固く沈黙してしまい」
「石のように黙りこくっていた」

さらに「石のごとく」でも11件。

「石のごとくに落ちて来るではないか」
「石のごとく黙って」

「石のように」「石のごとく」というのは、わたしたちの実感としても、ごくありふれた比喩だろう。
ところが落ちてくる場合は人間ではないこともあるのだが(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ではカンダタが、「名人伝」では甘蠅の放った不射の射によって射られた鳥が)、多くの場合、人間の動作や状態を喩えるときに使われる。

まあ考えてみるとそれも当たり前の話だ。
「石のように」という比喩が成立するためには「石のよう」とされるものが石とはまるっきりちがうものでなければそもそも成立しない。
こういう使い方はあまりしないだろう。
×この本は石のようにたたずんでいる。
×この瓶は石のように押し黙っている。

「石のよう」とたとえられるものは、動き、ざわめくもの、とくに人間に対して用いるのが一番自然なのである。となると、「石のように」とたとえられた「駅」は、一種の擬人化がなされていることになる。

・彼は石のように押し黙った。
・夜明け前の小さな駅は石のようにおし黙っていた。

さて、横光利一はさらに「石のように押し黙る」をひっくりかえして、「石のように黙らされた」→「石のように黙殺された」という表現を生み出している。「黙殺された」というのなら、「黙殺した」のは誰か。それは「特別急行列車」だ。「特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた」から引き続き、この文章でも特急は擬人化されている。

つまり、「特急が駅を通過した」ということを言うために
・特急を擬人化し(駆ける、黙殺する)
・駅を擬人化し(石のように)
・「通過する」を「黙殺する」という隠喩で現し
・「石のように黙殺する」という直喩を使っている
という、凝りに凝った表現を使っているわけだ。

ところがわたしたちは「石のように黙殺された」という表現こそあまり馴染みがないが、とくにぎょっとする表現でもない。

たとえば「特急はあんなちっちゃい駅なんて無視するよ」という表現は、わたしたちにとってはあまりに日常的で、ここで特急が擬人化されているとも思いもしない。
「このパソコン、ちっとも言うことを聞いてくれない」
「この炊飯器、すごく賢い」
そのものが身近になればなるほど、擬人化も特殊な表現ではなくなってくるのだ。

「特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた。沿線の小駅は石のように黙殺された。」が人々を驚かしたのは、特急自身がありふれたものでなく、しかも駅を駆け抜けていくということ、あるいはそのときのスピードが、当時の人にとっては馴染みのあるものではなかった。
そこにもっていって、横光のこの表現は、当時の人々の感じていた違和感にぴたりと当てはまるものだったのだろう。だからこそ、ぎょっとしたのだし、有名にもなった。

つまり、表現というのは、現実を模倣する。
模倣しながら、同時に、「すごい速さで通過していく」ということを「黙殺する」ということによって、それまでにはなかった意味を作りだすのである。
ところが、その意味は普及し、広まり、時間の経過とともにありきたりの表現となり、当初持っていた新鮮な驚きを失っていく。

いまだったら、どういう表現があるだろう。
わたしたちはどんな表現を新鮮なものに感じ、おもしろいと思っているのだろう。
何かおもしろいレトリックをご存じでしたら、教えてください。

(この項、微妙にずれながら、明日も続く)

“人のいやがることをしない”はモットーになりうるか

2007-09-21 23:04:10 | weblog
先日、サイトの"about"(このサイトについて)のページを書き直したときのこと。何を書こうかと考えて、自分のモットーを書いておこうと思った。「サルのように読み、鶏のように書く」というのは、冗談と思った人も多いかもしれないけれど、実はけっこう本気だったりするのである。モットーと考えて、最初に思いついたのがそれだ。笑わせようという気持ちがまったくなかったとはいえないけれど、基本はそれだ。いっぱい読んで、書く端から忘れちゃったって、その忘れても忘れても残っていくものを大切に育てていこうという、まあそんなところなのであるが、こんなふうに言うとすごくえらそうなので、この話はおしまいだっちゃ。

さて、モットーといって、ふと思いだしたことがあった。
その昔、英会話教室でバイトしていたときのことだ。生徒と講師のあいだで意志疎通が不可能になってしまった、というので、助っ人を頼まれたのである。それが「モットー」ということだった。

その生徒、といっても四十代の女性だったのだが、彼女のモットーは「人のいやがることをしない」ということで、何としてもそれを英語で言おうとしていたのだ。
たぶん、"Not to do what others don’t like to do."(ほかの人がきらうことをやらない)というあたりを言ったのだと思う。
ところが、英語ではこんな言い方がある。
"Do what others don’t like to do."(ほかの人がやりたがらないことをやりなさい)
つまり、こちらが言っているのは、夏の草むしりとか、トイレ掃除とか、人がやりたがらないようなことを進んでやりなさい、という意味である。
講師はてっきりそういうことを言おうとしているのだと思って、not は必要ない、と主張し、生徒の側はそうではない、と主張して、話の収集が着かなくなってしまったのである。

そこで考えたのだけれど、「ほかの人がわたしにしてほしくないことをやらない」と言ったらどうだろう、と考えて、"Not to do what others don't want me to." と言ってみたのだと思う(全部、鶏頭の記憶で書いているので、はなはだ心許ないのだが、おそらくこうであろうという推測を交えつつ書いているのである)。
すると、それを聞いたアメリカ人は、そんなのはばかげている、当たり前のことじゃないか、そんな当たり前のことはモットーにも何にもならない、と言い出して、いよいよ話はややこしくなったのだった。

ridiculous だとか silly とか、赤い顔をして繰りかえしていた講師の顔は覚えているけれど、それから先はどうなったか記憶にない。
確かに「ほかの人がわたしにしてほしくないこと」をやるのはいやがらせにちがいない。そういうことをやらないことに、一体どこに価値があるのか、と思ったのは、まったく不思議はないのだった。

いまさらながら、どういったらいいだろう、と考えて、こんな表現を思いついた。

"Not to do to others what you would not wish done to yourself."
(あなたがしてほしくないことはほかの人にもしてはいけません)

つまり、これは孔子の「おのれの欲せざるところを人に施すことなかれ」の英訳である。
そのとき、これを言っていたら、あの講師も、モットーにはならない、とは言わなかったのではあるまいか。

ところで、このことに関しては、伊藤整がおもしろいことを書いていた。伊藤整はキリスト教では「人にかくせられんと思うことを人に為せ」といい、儒教では「おのれの欲せざるところを人に施すことなかれ」という。ここに西洋と東洋のちがいを見て取る。
私は漠然と、西洋の考え方では、他者との組み合わせの関係が安定した時に心の平安を見出す傾向が強いこと、東洋の考え方では、他者との全き平等の結びつきについて何かの躇(ためら)いが残されていることを、その差異として感じている。我々日本人は特に、他者に害を及ぼさない状態をもって、心の平安を得る形と考えているようである。「仁」とか「慈悲」という考え方には、他者を自己のように愛するというよりは、他者を自己と同じには愛し得ないが故に、憐れみの気持をもって他者をいたわり、他者に対して本来自己が抱く冷酷さを緩和する、という傾向が漂っている。だから私は、孔子の「おのれの欲せざるところを人に施すことなかれ」という言葉を、他者に対する東洋人の最も賢い触れ方であるように感ずる。他者を自己のように愛することはできない。我らの為し得る最善のことは、他者に対する冷酷さを抑制することである、と。
(伊藤整「近代日本における「愛」の虚偽」『近代日本人の発想の諸形式』岩波文庫)

「西洋と東洋」の比較というのは、なかなか一概に言えるのか、たとえばイギリスとフランスとドイツとさらにロシア、あるいは東欧諸国、さらにはアメリカを西洋とひとくくりにできるのか、さらに東洋はどうだろう、インドはどちらになるのだろう、と考えだすといろいろ悩ましくなってくるのだが、ここではそこらへんはとりあえず置いておく。

ただ、「自分がしてほしいことを人にもしてあげなさい」は他者と自分を同じ、ということを前提としていて、「人のいやがることをしない」という言葉はそれを前提としていないか、というと、ちょっと考えてしまうのだ。だって「人のいやがること」というのは、やはり自分から類推するしかないから。ただ、わたしたちの心情としては、「自分がしてほしいことを人にもしてあげなさい」というより、「人のいやがることをしない」のほうがすんなりくるのも確かなのである。

日本語は否定形の方が多い、という言い方もあるのだが、やはりここでは伊藤のいうように、「他者に対する冷酷さを抑制」というのが正しいかどうかはともかく、そういう意味をこめたいな、と思うのである。

実は、わたしたちは「人のいやがることをしない」を自分のモットーというより、人に押しつけることの方が多いのではないか、という気がわたしは密かにしているのだ。
「人のいやがることをしちゃいけません」と親が子供に言う。
「「人のいやがることをしない」というのが、友だちの基本でしょう?」と、いやなことをしてきた相手をなじるときに言う。
どうもそんな局面で使われているような気がしてならないのだ。

むしろ、これは人に押しつけるのではなく、自分のモットーとして、「他者に対する冷酷さを抑制」するための自戒をこめて、モットーとしたいのである。
そういうふうに説明したら、アメリカ人も、馬鹿げているとはいわないのではないかと思うのだ。
そこまで英語で説明できるかどうかはわからないので、念のために考えておこう。

世界という舞台で

2007-09-20 22:09:19 | weblog
新聞を開いても、ニュースサイトを見ても、毎日たくさんの「事件」が報道されている。
ちょっと大きめの事件が起こると、何日かその報道が続き、それを見てわたしたちはもう少し詳しいことを知り、あるいはそれについてのさまざまな人によるコメントを目にする。最近ではそうした事件について、ブログで書いている人も多いので、望めばさらに多くの人の意見を読むこともできる。

通常と異なる何かが起きると、その「原因」が求められる。「原因」を起こした「犯人」の「責任」が問われる。

「閣僚の不祥事」では「閣僚」が悪かったのだし、「政権放棄」したのは「首相」が「無責任」だったからだし、高校生の男の子が「自殺」したのは「同級生」が「恐喝」したからだし、エキスポランドでジェット・コースターが「暴走」したのは……これはまだ「原因」はわかってなかったのかな、ともかく「管理体制の不備」というあたりで落ちつくのだろう。

けれど、「閣僚の不祥事」というと、その閣僚以外は免責されてしまう。「首相」が「無責任」だったからだ、というと、首相以外の人は免責されてしまう。件の「同級生」の場合だと、彼らを育てた「家庭」が悪い、あるいは「教育」が悪い、ということになって、家族や学校関係者以外は免責されてしまう。エキスポランドはもちろん「関係者」の問題で、それ以外の人は何の責任もない。

「政治家はカネに汚い」「無責任な首相だな」「ひどい高校生もいるもんだ」「いや、最近の親が悪いんだ」「まったく無責任な企業が増えてるな」

けれど、ほんとうにそうなんだろうか。
その人が取った行動が、どういう形で現れるかは、その人が置かれたさまざまな条件によって決まってくるだけの話なのではないのだろうか。

原爆を「しょうがなかった」と言った閣僚がいた。
けれど、わたしはいまでも覚えているのだけれど、今村昌平の『黒い雨』という映画がカンヌ映画祭に出品されたとき、外国の批評家が「まるで原爆を自然災害のように描いている」と批評したことがある。わたしはそれを読んで、井伏鱒二の原作自体が、何かを告発する、誰かを告発する、というものではなく、そういうふうに描いているものなあ、と思ったものだった。
この「自然災害」というのと、「しょうがない」という発想は、そんなにちがうんだろうか。

もちろん原爆の後遺症にいまも苦しむ人や、身内にいる人、あるいは、そういう人たちを支援している人が、その発言に怒りを覚えるというのは、非常に納得できる話だ。そういう人から見れば、その閣僚の発言は、ほんとうに腹立たしいものだろう。

けれども身内にそういう人もいない、八月がくれば思いだすけれど、それ以外のときは考えることもないような人は、ふだんから「原爆はアメリカが落とした」「アメリカはそのことに対して謝罪すべきだ」というふうに考えているんだろうか。あるいは、連合国側の「原爆は第二次世界大戦を早期終結させるために必要だった」という理論に、きちんと反駁できる理論を持ち合わせているのだろうか。

「核兵器は怖ろしい」「核兵器は廃絶しなければならない」とたとえ思っていたとしても、原爆に関しては、誰がやった、何のためにやった、さらに、それを回避するためには日本はどういうことをしなければならなかった、と考えるのではなく、「あれは不幸な出来事だった(けれどしょうがなかったなあ)」と多くの日本人が感じていると思っていたので、あの発言が問題になったとき、わたしはびっくりしたのだった(閣僚の立場でそういうことを言うのは、ずいぶん緊張感のない、センスの悪い人だとは思うけれど)。

私宅を「事務所」として届けることにしたって、実際、多くの人がそういうことをやっているわけで、もちろん「その立場にある人がそういうことをやってはいけない」という考え方があるのは理解できるけれど、それをひっくり返して、その立場でなければそういうことをやってもいい、というふうに置き換えてみると、やはりこの理屈は成り立たないような気がする。

同級生から金をたかった高校生たちになると、「デートにお財布を持っていったことがないの」というおネエちゃんの発想と、いったいどこがちがうんだろう。相手を人間ではなく「金ヅル」としか見なしていない点では同じじゃないのだろうか。さらに言ってしまえば、わたしたちはいつも他人を「一個の人格」として相対しているんだろうか。便利屋扱いしたり、一種の機械のようにみなして、相手が何か自己主張を始めれば、やかましいなあ、なんて思ってしまうことはないのだろうか。

「事件」という形で報道されることの多くは、その当事者が自分であったかもしれないのだ。自分でなかったのは、単にいくつかの偶然と諸条件が重なっただけに過ぎない。

たぶん、そうした「事件」の報道に意味があるとすれば、「じゃ、自分はどうなんだろう」と立ち止まって考えるきっかけとなりうる、という一点なのではないだろうか。
自分の毎日のなかの、あ、これはまずいな、と思うようなことをあらためるきっかけとして。ふだんは気がつかずにいるような自分の見方、あたりまえ、と疑問も抱かずに機械的にやっている行動を見直すきっかけとして。

「誰かのせい」にしておけば、自分は関係なくていられる。けれど、何回も言っているのだけれど、正しいことを言うことなんて、大変でも何でもないのだ。言葉は、言葉でしかないのだから。「百歩歩く」と言うときに、一歩から始める必要はないけれど、現実に百歩歩こうと思えば、一歩から歩き始めるしかない。そうして、いつでもこの「一歩」は自分から始まる。

シェイクスピアは " All the world's a stage."(全世界が舞台だ)と言った。
世界が舞台なら、やっぱりわたしは、たいそうなことを言う評論家より、舞台の上に立ちたいと思う。