陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話、したっけ  ~仕事を考える~その3.

2007-04-29 22:49:44 | weblog
3.早い引退

さて、昨日統計を引用したように、どうやら日本の高校生は「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」を理想としているらしい。
実はそれを実践した人物がいる。しかもその生活はひどく有意義だったようだ。その暮らしを少し見てみよう。

若いというと多少語弊があるが、ともかく三十八歳で仕事から引退し、「暮らしていける収入があってのんびりと暮らした」のがモンテーニュである。
 一五七一年、長年の公僕としての義務と宮仕えに疲れた私はわが城に退いた。三十八歳で、元気ではあったが、父祖伝来の地で平穏無事な毎日を送り、余生を自由と静謐と閑暇にささげるつもりだった。
 私は人から逃げたのではない。しがらみから逃げたのだ。他人のために生きるのはもう十分だ。ならば、これからは自分のために生きよう。私たちを自分自身から引き離し、別のものに縛りつけるこの世のしがらみを棄てよう。何よりも大切なのは自分になりきるすべを知ることだ。
モンテーニュ『エセー(一)』岩波文庫

しがらみを棄て、自分になりきる。なんとすばらしい響き。先立つものさえあれば、確かにわたしも実践してみたい。ところがモンテーニュはこうも言っている。
最近私は、自分に残されているこの少しばかりの余生を静かにひとから離れて過ごすようにしよう、それ以外にはどのようなことにもかかずらうまいと、わたしにできるかぎりではあるが、心にきめて、自分の家に引退した。そのときわたしには、わたしの精神を十分暇な状態のなかに放してやり、自分自身にかかりきり、自分のなかにとどまり落ち着くこと以上に大きい恩恵を、精神にたいしてほどこしてやることはできないように思われたのだった、そして、私の精神が時間がたつにつれていっそう重みを増し、いっそう成熟したうえで、このことを、いっそうたやすく行えるようになればよいと希望していた。しかし逆に、
暇はつねに精神を散らす(ルカヌス『内戦譜』)
わたしの精神は、放れ馬のようになって、ほかの人間にたいして与えていた気づかいよりも百倍も多くの気づかいを自分自身に与えるものだということがわかった。そしてわたしの精神は、それほどまでに多くの幻想的な奇獣怪物を、つぎつぎに生みだしてくるので、そのばからしさ、奇妙さをゆっくり思いみようとして、それらを記録にとりはじめたほどだ。

ひとりこもっていれば「ありのまま」の自分になれるのか、自分らしくいられるのか。モンテーニュはそうではないというのである。

かくしてその「記録」となる「エセー」の執筆とそのための思索は、引退後のモンテーニュの生活の柱となっていく。
……ところでこれは、一種の仕事とは言えないか?

「偉くなりたくない」高校生は「自分の時間がなくなる」ことを怖れるのだが、自分の時間が無制限にあれば、こんどはそれをなんとかして埋めなければならない。人はほんとうに「何もしない」でいることはできないのだ。

はたして「仕事」というのは、自分の時間や精力や情熱をただ吸い取るだけのものなのだろうか。

人間はそれぞれにアイデンティティの意識を持つ。
このアイデンティティというのは、言葉を換えれば、「自分がどんな人間であるか」を自分に言って聞かせる物語である。
自分が仕事をするなかで、仕事を通じて、これが自分である、という感覚を少しずつ持っていくのではないのか。

ところで以前「林住期」という言葉を聞いたことがある。
インドのヒンズー教では、人の一生を四つの時期に分けるのだそうだ。世の中に出る前、いろんなことを学ぶ「学生(がくしょう)期」、家を持ち、子供を育てる「家住期」、そうして、子供を育て上げ、仕事からも引退するようになった時期、ひとり家を出る。そうして旅に出たり、林のなかに入って瞑想したり。多くの人は自分でその時期に区切りをつけ、やがて家に戻るのだけれど、そのなかからほんの少数の人が、そのまま聖者になって「遊行期」に入るのだという。

ただ、この「家を出る」というのには、少し注釈が必要のような気がする。
当時のインドは家父長制で、「家住期」の家長というのは、一族を背負うことを意味した。それこそ『夜明け前』の世界で、その責任たるや並大抵のものではない。そういう時代に、家族(一族)ひとりひとりの面倒を見ていくという重責から身を解き放ち、家を出るという思いは、どれほどの解放感があったことだろう。初めて、自分自身の生を生きる、という感覚だったかもしれない。そういう背景にその言葉を置いてみると、「林の中での瞑想」も、ずいぶん深い意味を持つように思う。夏目漱石の『門』も、この「林住期」をごく短い形で経験した物語なのかもしれない。

いまは多くの人間が、もちろん家族のしがらみはあるにせよ、その比重は以前とはくらべものにならないほど軽いものになってしまった。そうなると、当然、その反対にある「林の中での瞑想」も、軽いものにならざるをえない。単純にヒンズー教の四つの区分をいまに当てはめることなどできないように思うのだ。

確かに「しがらみ」を脱することを望む人は、当然、いていい。脱することを通じてしか得られないものもあるだろう。
ただ、それは「学生期」「家住期」を経てからではないのか。
それを経ずして「林」のなかに入ってしまったとしても、「暇はつねに精神を散らす」だけにしかならないように思うのだ。

「のんびりと暮らす」ことを望むのはそのあとでも遅くはない。

この話、したっけ  ~仕事を考える~その2.

2007-04-28 22:42:33 | weblog
2.べつにそれでもいいんだけれど

先日、新聞におもしろい統計が出ていた。
 「偉くなりたい」と思っている割合は他国の3分の1程度の8%。むしろ「のんびりと暮らしていきたい」と考えている子が多い――。日本の高校生は米中韓国に比べそんな傾向があることが、財団法人「日本青少年研究所」などの調査でわかった。「偉くなること」に負のイメージが強く、責任の重い仕事を避ける傾向も目立った。

 調査は昨年10~12月、日米中韓の千数百人ずつを対象に行われ、日本では10都道県の12校1461人に聞いた。

 日本の高校生の特徴がもっとも表れたのが、「偉くなること」についての質問。他国では「能力を発揮できる」「尊敬される」といった肯定的なイメージを持つ生徒が多いのに対し、日本では「責任が重くなる」が79%と2位以下を大きく引き離した。「自分の時間がなくなる」「偉くなるためには人に頭を下げねばならない」も他国より多い。

 このため「偉くなりたいと強く思う」は8%。他国では22~34%だ。日本の高校生は、他国よりも安定志向が強い。「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたいと、とても思う」は43%と、14~22%の他国より抜きんでる。(以下略)

この統計が端的に示すのは、「そこそこの仕事を見つけて、自分の生活をのんびりと楽しむ。そのほかのことは社会が責任を持ってなんとかしてくれるから、自分はそれ以上のことはするつもりはない」という意思表示である。

別の言い方をすれば、「消費者」である以上のものにはなりたくない、ということだ。
ここでの仕事は「消費を可能にするもの」という以上の意味を持たない。

ただ、この結果を見て、たとえなんだかな、と思ったとしても、その責任を高校生たちに求めるのは気の毒なはなしだ。
彼らはある意味で市場の要請にしたがって、「理想的」な消費者としてみずからを形成しつつあるのだから。

考えてみればわたしもその高校生たちの親とそれほど年齢がちがわないのだけれど、この世代というのは、いわゆる「受験戦争」をくぐりぬけた世代である。
そのころはまだ、いい学校に行くために一生懸命勉強して、いい会社に就職して、という価値観が一般的にあった。なかには「お父さんみたいになりたくなかったら、もっといい学校に行かなくちゃ」という「教育ママ」なるものもいた。
だから、多くの中学生や高校生たちは、勉強なんてあまりおもしろくないけれど、それ以外に選択肢がなかったからその通りにやってきた(実際には多くの高校生たちは、そこまで一生懸命やらなかったけれど、やらなくてはならないというプレッシャーはきつかった)。

その結果、自分の望んだ通りの生き方ができていれば、当然、子供もそう教育する。
いや、そんなふうにとりたてて言わなくても、日々を生き生きと生活をしていれば、それを見た子供も自発的に親と同じ道を歩もうとするはずだ。
ところがそれだけ頑張ったのだけれど、手に入ったものはどうもちがう。良いものを手に入れた、とは思えない。それなりの企業に就職できたのは良いけれど、リストラだの子会社への出向だの、忙しいだけは忙しいが、ちっとも充実感がない。
だから、子供にそこまで強く「勉強しろ」「良い学校へ行け」と言うことができない。
子供から「どうして勉強しなきゃいけないの?」と聞かれて、答えることができない。
そんな親を見ながら育った子供が「偉くな」るために良い学校に入り、良い会社に就職して……と考えることはないような気がする。

では、「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたいと、とても思う」彼らは、自分のことを何と説明するのだろう?
学校の名前でも、仕事の肩書きでもないとしたら。

おそらくそれは「○○が好き/嫌いなわたし」という説明の仕方だ。
消費という局面にしぼって考えてみると、消費者である「わたし」が、別の消費者である「あなた」とちがう人間である、と区別できるのは、購買力と「好き/嫌い」だけしかない。

だが、ほんとうに彼らは「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしてい」くことができるのだろうか。
商品は絶えず新しく市場に登場する。ほとんど変化のない商品に、そのつど、新しい意味が付与され、しかもたちまち古くなる。そういうなかで、望ましいイメージの自分を維持し続けるためには、恐ろしいほどの購買力が必要だろう。

かくして「○○が好きなわたし」というやり方で自分を説明しようとする人間は、慢性的な飢餓状態に置かれることになる。
おそらく「暮らしていける収入があればのんびりと暮らしていきたい」は、決して現実にはならない。

(この項つづく)

この話、したっけ  ~仕事を考える~その1.

2007-04-27 22:06:54 | weblog
1.肩たたき

ちょっと前に「早い定年」というログで、美容師さんに聞いた話を書いた。

この美容師さんの話によると、三十歳がひとつの分かれ道になってくるという。三十五歳を超えると、なかなか店には出られなくなってしまうので、それまでに、マネージメントのほうへ回るか、後進の指導にあたるか、独立するか、になってしまう、という話だった。

ところがこうした動きは美容師さんの世界ばかりではないらしいのだ。
これもわたしが個人的に聞いた話で、どこまでそれが一般的かはよくわからないのだけれど。

幼稚園の先生というと、なんとなく若いお姉さん先生、というイメージがある。実際、近所に幼稚園があるのだけれど、たまに前を通ったりするときに見かける先生というのは、短大を卒業してまだ間もない、そんな若い女性であることが多い。

わたしにその話を教えてくれた人によると、実はそれも幼稚園側の方針であるらしいのだ。
幼稚園を経営する側からすれば、短大を卒業してまだ間もない、せいぜい五年ぐらいまでの先生が、給与も安く抑えられるのでありがたいのだそうだ。
あらかじめ三年ぐらいの契約だったり、なんとなく退職をほのめかされたり。
結婚の話が出てくる時期でもある。そんなこんなで、二十代半ばでは何やかやと辞めていくことになってしまうのだとか。

こうした話を聞いて思ったのは、経験や技術というのがそこまで価値をもたなくなってしまったのか、ということだった。
美容師にしても、幼稚園の先生にしても、経験や技術がそんなにも必要のない職場であるとは、わたしにはどうしてもそう思えないのだ。

たしかに同じことができるのなら、とうの立った人間がするより、若い人間がやったほうがいいように見えるのかもしれない。だが、ほんとうにそうなんだろうか。
たとえ現れは「同じ」に見えても、そこにいたるまでの試行錯誤のプロセスがあるのとないのとでは全然ちがうのではないのだろうか。

終身雇用制があたりまえだったころ、そんな職場ではどうだったのだろう。
わたしの記憶では、幼稚園時代はおばあさん先生と、若い先生と、中年の先生に教わったように思うのだけれど。少なくともその時代は、いまのように「五年以内の先生ばかり」ということはなかったように思う。

企業の多くが終身雇用制をとっていた時代は、とにかくみんな、それなりの大学に入って、それなりのところに就職しさえすれば、定年までの身の上は、とりあえず保証されていた。
そういうことを背景に、少しでも良いところに就職できるように、受験も加熱したし、「受験戦争」などという奇妙なことばさえあった。

そうしていったん就職してしまえば、勤続年数が何よりもものを言った。どれだけの技術を持っているか、とか、どんな経験を蓄積しているか、ではなく、単純に、勤続×年、という数字だけが問題だった。

ところがそれが崩れてしまったいま、「みんなと同じように」は通用しなくなったはずなのだ。
だとしたら、自分自身のありかたに関しては、深刻なとらえかえしがあってしかるべきなのではないだろうか。
わたしが知らないだけで、ほんとうはみんな真摯にその作業に取り組んでいるのかも知れない。
それでも、どうもわたしにはそれがずいぶんないがしろにされているようにしか思えないのだ。

ある程度の年齢を超えたら、あなたは誰ですか、と聞かれたときに、まず答えるのは職業だろう。
「お仕事は何をしていらっしゃるんですか?」と聞くことは「あなたは何者であるか」という質問と実際は同義なのである。
本来、仕事というのはそういうものではないのか。
そんな大切な仕事なのに、本人の意志とは関係なく、技術や経験を身につけている途中で肩を叩かれる。
それはひどいことなんじゃないのだろうか。
そういう現状をどうにかすることは、わたしにはとうていできないのだけれど、いまのような時代にあって、わたしたちは仕事をどう考えていったらいいんだろう、と考えることぐらいならできるような気がする。
そういうことをここでもういちど考えてみたいのだ。

とはいえ、企業で働いた経験もない、ごく狭い世界しか知らないわたしに、何が言えるのか、自分でもはっきりしないのだけれど。
少し、仕事について考えてみたいので、よかったらおつきあいください。

(この項つづく)

“ピー”の話

2007-04-26 22:39:38 | weblog
(今日の話は18歳未満の青少年のみなさんには不適切な内容が含まれています。

・あなたは18歳以上ですか?
・その手の話に寛容ですか?

この二点に同意してくださる方のみ、本文にお進みください。




ところで、いわゆる "F" で始まるフォー・レター・ワーズが出てくると、どういうふうに訳そうか、ほんとうに困ってしまう。

元の意味はもちろん、日本語の「お」で始まる四文字言葉になるのだが、わたしがその日本語を初めて知ったのは、野崎孝訳による『ライ麦畑でつかまえて』のなかでだった。

主人公のホールデンが壁に書かれた落書きの「お(以下略)」を見て、フィービー(妹)の目に入ったらどうするんだ、と憤る場面がある。そこを読んだ瞬間、わたしは高架のコンクリの柱に、油性マジックでその言葉が書かれていたのをハッと思いだしたのだった。
それまで何度となく目にしていたはずなのに、おそらくマリコあたりの名前を悪し様に言うときの呼称ぐらいに思っていたのだと思う。
それがどうしてわかったのかわからないのだけれど、『ライ麦…』を読んでいたとき、ついでにその言葉が指す意味さえも、同時に理解したのだった。

ただわたしはこの単語が発音されるのを、未だに聞いたことがない。
そういう言葉だということは理解していても、いやらしいとも感じないし、わたしのなかでまったく意味を結ばない。ただ「不適切な言葉」として認識しているだけだ。

英語のフォー・レター・ワーズのほうは、もはや元々の意味はほとんど残っていないような気がする。ただ会話に衝撃というか汚い印象を与えるための、一種の装飾音符のようなものではないのだろうか。

それでも以前、とあるアメリカ人に "f×××" は日本語でどういう意味? と聞かれたことがある。
それってどういうこと?と聞き返したのだが(ああいうことだったらどうしよう、と思いながら)、向こうずねをぶつけたときなんかにさ、言うだろ、そんなときになんていうの、と言うので、ちょっと安心して、それなら「クソッ」て言えばいいよ、と答えておいた。
すると相手は「クソッ」ていうのは、汚い言葉か? と聞くのである。
うん、汚い言葉だよ、と言ったら、相手はそれはそれはうれしそうな顔をして、やっぱりキミに聞いて良かったよ、ほかの日本人は「イタイ」とかそんな言葉しか教えてくれないんだ、と言って、ボクは汚い言葉が知りたかったんだ、と言って「クソッ」、「クソッ」と練習していた。ただ「クソッ」は"f×××" ではなく"Shit!" に対応する言葉かもしれない、とわたしは思ったのだが、それ以外に適切な言葉を思いつかなかったのでしかたがない。
やがて彼は左手でO.K.のポーズを取った。
“もちろん"f×××" はもともとはこういうこと(左手の親指と人差し指で作った輪のなかに、右手の人差し指を出したり入れたりしながら)だったんだけどね、いまではイヤなやつに会ったり、ムカつくことがあったりするときに使うんだ。”
もちろんわたしはそんなことは知っているので、その手はやめてほしいとお願いしておいた。

ところで発音を記憶するというのは、場面・状況と結びつくことが多い。
わたしはそのとき初めて"f×××" という単語が発音されるのを聞いたので、いまだに雨がふる夕方、ダンキンドーナツのプラスティックの椅子に向かい合ってすわっていた相手が"f×××" と発音した、その発音でその単語を記憶している。

同じように、別の単語を聞いたときのこともはっきりと記憶している。
あるジョークを教えてもらったのだ。
ある男性がガールフレンドの名前 "Wendy" をある場所に刺青してもらった。
ところがふだんは"W" と "y" しか見えない。
あるときトイレで用足しをしていて、隣の男性が自分と同じ"W" と "y" いう刺青をしているのが目に入った。
そこで彼は言った。キミのガールフレンドは"Wendy" っていう名前なんだろう?
すると相手はこう聞き返した。何でそんなことを言うんだ?
そこで説明をすると、相手は笑いだした。オレのには "Welcome to New York! Have a nice day." と彫ってあるんだ。

実はわたしはこのジョーク、ちがうヴァージョンで知っていたのだが、わたしが初耳だったのは、"p" で始まるある箇所の発音だった。わたしはてっきり日本語のカタカナ表記で発音されると思っていたので、ああ、こういう発音だったのだ、なるほど! と感心してしまっていたのだった。

ちょうどいまと同じ季節、明るい日差しが差しこむ昼下がりのロイヤルホストで発音された"p"で始まるファイヴ・レター・ワーズ、教えてくれた人の声で、いまでもしっかり耳に残っている。


(更新記録書きました。あとがきもちょっと手直ししました。お暇なときにまたサイトものぞきにいってみてください)

サイト更新しました

2007-04-25 22:36:42 | weblog
先日までここで連載していた「番犬に注意」、推敲したのちサイトにアップしました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

更新情報はまだ書いていないので、上から二番目のLatest Issueのところから入ってください。更新情報は明日書きます。

もうふらふらです。
何か、疲れました。頭がちっとも働きません。
そういうことで、更新情報は明日書きます、って、ああ、上で書いていた。
ということで、それじゃ、また。

秘密の話

2007-04-24 22:30:30 | weblog
先日、こんなことを言う人がいた。
「わたしは口が堅いから、みんなわたしを信頼してくれて、ほかのだれにも言わないようなことでも、わたしにだけは打ちあけてくれるの」

この話を聞いて、わたしは思わず笑いそうになったのだけれど、そうでなくても狭い世間をこれ以上狭くすることになりそうなので、笑うのをやめて、「なるほど、そうなんですか」と当たり障りのないことを言っておいた(いま気がついたのだけれど、わたしはどうでもいい話だ、と思ったときに「なるほど」と相づちを打つ癖があるみたいだ。なるほど)。

わたしがおかしくなってしまったのは、この人を仮にAさんとすると、「みんな」が「Aさんは口が堅い」ということを知るためには、そのことを何らかの形で知らしめる人がいなくてはならないからだ。

AさんにBさんが秘密を打ちあけた。
Aさんは口が堅いのでそのことを一切外に漏らさなかった。

と、ここまでで終わってしまえば、Aさんの口の堅さは誰も知ることができない。
となると、Bさんが言ったのか?
「あのね、Aさんってほんとうに信頼できる人よ。わたしが秘密を打ちあけたのだけれど、だれにも漏らさないでくれたの」と、Bさんがみんなに言って歩く?

そんなことはないだろう。
Aさんは、わたしに言ったように、あちこちで「わたしは口が堅いから……」と言っているのだろう。

そこでわたしのようにひねくれていない人は、ああ、そうなのか、と安心して秘密を打ちあける……のかどうかは知らないけれど、ともかく、ほんとうに口が堅い人は「秘密を打ちあけられる」ということさえ言わないのではあるまいか。となると、口が堅い人というのは、誰もそのことを知らないということになる(まあ実際には、ふだんの行動などで、それとなくわかったりするものだが)。

実際、「秘密」というのはおもしろい。その内容ではなく、「秘密」という情報のありようがおもしろいのだ。

「秘密」を聞いたら、どうして人にしゃべりたくなるのだろう。
それは、自分はほかの人が知らないことを知っている、ということを、ほかの人に知ってほしいからだ。

「わたしはあなたが知らないことを知っている」ということは、「わたし」を「あなた」より優位に置く。この優越感は、自分一人が密かに楽しむだけでは物足りない。「あなた」に認めてほしい。だから、「わたしはあなたが知らないことを知っている」と相手に告げずにはいられない。
「わたしね、Bさんの秘密を知ってるの」
相手の驚いたような顔。この顔が見たかった。
「何? 何? 教えて!」
ところがこれを打ちあけた瞬間、秘密は共有されて「わたし」の優位性は消滅する。
だから、この優越感を味わうためには、つぎなる標的を探し、もういちど「わたしね、Bさんの秘密を知ってるの」と言うことになる。
かくして秘密は秘密でなくなるわけだ。

これが「秘密」を扱う初心者の行動であるとすると、上級者は、情報を開示しないまま自分が情報を持っていることをそれとなく周囲に知らしめようとする。
意味ありげなめつき、ほくそえみ、いかにも「わたしは知っている」という仕草。けれどもこれも度が過ぎると人間性が疑われる。
あくまでも「いい人」のままで「わたしは知っているけれど教えてあげない」ということを伝達しようとするには、どうしたらいいか。
それが冒頭のAさんの「わたしは知っているけれど、口が堅いので教えられない」という言明になるわけだ。

だが、考えてみると「秘密」というのはよくわからないものである。
「秘密」はあくまでも情報の一種だ。
それでも「ペルシャ語でスイカはヘンダワネという」ということは、たとえ多くの人が知らなくても、秘密とは呼ばない。

「秘密」というのは、単なる情報ではなく、知っている人間の数によるのでもなく、ある特定の情報を、わたしたちが「秘密」に分類するのだ。
「秘密」になれる情報というのは、その伝達に関与する人間の判断で決まっていく。

そうして「知らない人もいる」ということが、この「秘密」の価値を高めていく。みんなが知ることになれば、「秘密」は価値を持たなくなる。だが、逆に、だれも知らなくても「秘密」は価値を持たない。あくまでも情報を握っている人以外に、それを秘密と認めてくれる人が必要なのだ。

だが、ほんとうに「秘密」を知ることが大切なんだろうか。
わたしたちが秘密を知りたく思うのは、ほかの人が知らないことを知っている、という意識、優越感だけなんじゃないだろうか。

別に「秘密」のやりとりはやめよう、と言っているわけではないのだ。そんなことを言い合っておもしろがることだって、日常生活には必要だと思う。
ただ、わたしたちは、その一方で、この「秘密」も、やがて価値を失うのだ、みんなが知るところとなって、あるいは情報そのものに価値がないことがあきらかになって、ということをわきまえておくべきだろう、と思うのだ。
わたしたちは輪になって踊り、想像する。
でも、『秘密』はまんなかにすわって、知っている。
ロバート・フロスト「秘密はすわる」

ロアルド・ダール「番犬に注意」最終回

2007-04-23 21:57:42 | 翻訳
最終回

 しばらくして看護婦が入ってきた。お湯を入れた洗面器を持ってやってくると、声をかけてきた。「おはようございます。今日は気分はどう?」

「おはよう、看護婦さん」

 いぜんとして包帯の下の痛みは強かったが、この女には何も言いたくなかった。目をやると、忙しそうに清拭のしたくをしている。もうすこし詳しく観察してみた。髪は明るい金髪である。背が高く、がっちりとした体格で、にこにこと機嫌が良さそうだ。だが目にぴりぴりとした気配がある。落ち着きがないのだ。視線は片時もひとつのものに留まらず、部屋のあちこちをいそがしくさまよう。動作にしても、どこかそんなふうだ。少してきぱきしすぎ、神経過敏な感じが、さりげない口調にそぐわない。

 洗面器を置くと、パジャマの上衣を脱がせて、彼の体を拭き始めた。

「よく寝られた?」

「ああ」

「それはよかった」そういうと、腕から胸にかけて拭いていく。

「朝食後に空軍省のだれかが面会にいらっしゃるそうよ」と彼女は続けた。「報告だかなんだかが必要なんですって。どういうことかあなたの方がよくわかってるわよね。どうやって撃たれたか、とかそんなことよ。そんなに長くここにはいさせないようにわたしがしてあげるから、心配しないで大丈夫」

 彼は返事をしなかった。看護婦は清拭をすませると、彼に歯ブラシと歯磨き粉を渡した。彼は歯を磨き、口をすすいでから洗面器に吐き出した。

 そのあと看護婦はトレーにのった朝食を持ってきたが、彼は食べたくなかった。力が入らなかったし、気分も悪く、願うのはただ、じっと横になってこれまでに起こったことをよく考えたい、ということだけだった。ある言葉が頭の中をかけめぐる。それは彼と同じ中隊に所属する情報部員の言葉で、毎日出動前の飛行士たちに繰りかえしていたのだった。いまでもジョニーの姿、パイプを手に、分散飛行待機所の壁にもたれて話をする姿が目に浮かぶようだ。「で、もしやつらにつかまったら、いいか、忘れるんじゃないぞ、名前と階級と認識番号だけだ。そのほかは何も言うな。絶対に、それ以外のことは言っちゃだめだ」

「はい、どうぞ」看護婦はトレーを彼の膝の上にのせた。「卵を持ってきてあげたわ。ひとりで大丈夫?」

「ああ」

 看護婦はベッドの傍らに立った。「気分は悪くない?」

「悪くないよ」

「なら結構。卵がもうひとつほしかったら、取ってきてあげるけど」

「これで十分だ」

「なら、何かしてほしいことがあったら、ベルを鳴らしてね」そう言うと、彼女は出ていった。

ちょうど食べ終わったごろに、看護婦がまた戻ってきた。

「ロバーツ空軍中佐がいらっしゃいました。四、五分だけなら、って言ってありますからね」

彼に向かって手で合図すると、こんどは空軍中佐が入ってきた。

「手を煩わせてすまんな」

 ごく普通の英国空軍士官で、少しくたびれた軍服には空軍記章と空軍殊勲十字章がついていた。かなりの長身で痩せており、黒髪がふさふさとしている。歯は不揃いで隙間があいていて、口を閉じても歯が少しはみ出していた。話しながらポケットから印刷された用紙と鉛筆を取り出して、椅子を引き寄せ、腰をおろした。

「気分はどうかね」

返答なし。

「脚のことは運が悪かったな。気持ちはわかるよ。撃たれる前にたいそうな戦いぶりを見せてくれたそうじゃないか」

 ベッドの男は静かに横たわったまま、椅子に坐った男の方をじっと見つめた。

 椅子の男は言った、「それじゃ、こいつを片づけることにしよう。戦闘報告に記入しなきゃならんので、面倒だろうがいくつか質問に答えてもらいたい。さて、と。最初に、きみの所属部隊は?」

 ベッドの男は身じろぎもしなかった。空軍中佐を直視したまま答えた。
「氏名、ピーター・ウィリアムスン。階級。空軍少佐。認識番号972457」



The End



(※後日手を入れたのち、サイトにアップします。お楽しみに)

ロアルド・ダール「番犬に注意」その6.

2007-04-22 21:59:18 | 翻訳
その6.

 窓のカーテンの隙間から朝日が差しこむや、彼は目を覚ました。部屋の中はまだ暗かったが、外はうっすらと白み始めている。横になったままカーテンのあいだから洩れる淡い光を見ていると、昨日のことが思い返された。ユンカース88や硬水のこと、大柄で朗らかな看護婦と優しい軍医のことを反芻してみる。一粒の小さな疑惑の種が心の中で根を下ろし、徐々に成長し始めていた。

 部屋の中を見まわした。看護婦は昨夜のうちにバラを片づけてしまっていて、テーブルには一箱のタバコとマッチ、灰皿があるだけだった。それ以外は何もない部屋だった。温かみも親しみもまるでない。居心地がいいとも感じられなかった。寒々としてうつろで、ひどく静かだった。

 疑惑の種はゆっくりと成長し、やがてそこに加わったのは不安、ちょっとした、現れたり消えたりする不安、警告ではあるが、おびえを与えるほどのものではないような不安が加わった。それはちょうど、人が何かを怖れているときではなく、何かがまちがっていると思うときに感じる不安だった。すぐに疑惑と不安がふくれあがって、じっとしておれなくなり、怒りが湧いてきた。額にふれてみると汗がにじんでいる。そのとき、自分が何かしなくてはならない、自分が正しいかまちがっているかはっきりさせる手段をみつけなければ、と考えた。顔を上げると、また窓と緑のカーテンが目に入った。彼が横になっている場所からは、窓は正面にあったが、そこまで十メートル近くある。どうにかしてそこまで行き、外を見なくては。この考えに取り憑かれて、窓以外のことは一切考えられなくなる。だが、この脚で? 片手を上掛けの下に差し入れて、分厚く包帯が巻いてある残った部分にふれてみる。右脚で残っているのはそれだけだった。なんとかなりそうだ。痛みはなかった。楽なことではないだろうが。

 彼は上体を起こした。上掛けを脇にやり、左脚を床におろす。じわじわと慎重に体を倒して、床に両手もつけた。ベッドから出てカーペットに片膝をつく。脚の残った部分に目をやった。ひどく短く太く、包帯でぐるぐる巻きにされている。しだいに痛み始め、ずきんずきんとしてくるのを感じた。そのまま突っ伏して、カーペットに横になったまま、何もしないでいたかったが、自分が続けなければならないことはわかっていた。

 二本の腕と一本の脚で彼は窓に向かって這っていく。両腕を可能な限り遠くまで伸ばしたところで、軽く体を浮かせ、左脚をすべらせるようにして腕に引き寄せた。そのたびに傷口は痛んで、苦痛のうめき声が小さく洩れる。それでも両手と片膝で床を這っていくのをやめなかった。窓のところまでくると、敷居に片手ずつかける。ゆっくりと体を持ち上げてから左脚だけで立った。さっとカーテンを開けて、外を見た。

 灰色の瓦屋根の小さな家がぽつんと一軒、細い道のわきに建っていて、そのすぐうしろは耕作地になっていた。家の前には手入れの行き届いていない庭があり、生け垣が庭と道を隔てていた。生け垣を見ているうちに、立て札が目に留まった。板きれを釘で短い杭にうちつけただけのもので、生け垣がもうずいぶん刈り込まれていないために、生い茂った枝が立て札のまわりを囲んで、まるで生け垣の真ん中に看板が出ているように見える。白いペンキで何か書いてあり、彼は窓ガラスに額を押しつけて、何と書いてあるのか読もうとした。最初の文字は "G" だとわかった。二番目は "A"、三番目は "R"。一文字ずつ、苦労しながら文字をたどった。単語は三つ、自分がなんとか読みとった文字を、ゆっくりと声に出して綴った。G-A-R-D-E A-U C-H-I-E-N. Garde au chien(※番犬に注意). それがそこに書いてあることだった。

 一本の脚でバランスをとりながらそこに立って、両手で敷居の端をしっかりつかんで、立て札とそこに書いてある白いペンキの文字にじっと目をこらした。しばらく何も考えることができなかった。そこに立って看板を見ながら、その言葉を胸のなかで何度も何度も繰りかえすうち、徐々に、そのことの完全な意味を悟っていったのだった。目を上げて家と耕作地を見やった。家の左手には小さな果樹園があり、さらにその向こうには緑の田園が広がっていた。
「ここはフランスだ」彼はつぶやいた。「おれがいるのはフランスなんだ」

 いつしか右の太股がひどくうずくようになっていた。だれかに残った部分をハンマーで殴られているような感じで、不意に、あまりに激しい痛みのせい一瞬で頭が朦朧としてきて、倒れるかもしれない、と思った。あわてて床に膝をついて這いながら戻ると、ベッドによじのぼった。上掛けを引っ張り上げてすっぽりとくるまり、枕に頭をもたせて仰向けになる。相変わらず、生け垣のなかの小さな立て札と耕作地と果樹園のほかは何も考えられない。立て札の言葉は忘れることができなかった。

(明日いよいよ最終回)

ロアルド・ダール「番犬に注意」その5.

2007-04-21 22:17:51 | 翻訳
その5.

 その日の夕方、看護婦がお湯を入れた洗面器を持ってやってきて、彼の体を洗ってくれた。

「まあ、ここが爆撃されるかもしれない、なんて考えない方がいいわよ」

 看護婦はパジャマの上衣を脱がせると、右腕に浴用タオルで石けんをぬりつける。彼の方は口を開かなかった。

 浴用タオルをお湯ですすぎ、石けんをあらためてこすりつけ、こんどは胸を拭い始めた。

「今夜は調子がいいみたいね。あなたはここへ運び込まれてすぐ、手術を受けたのよ。そりゃもう見事な手際だったわ。だからもうすっかりいいのよ。わたし、RAF(※イギリス空軍)に兄弟がいるのよ」それから言い足した。「爆撃手なの」

「おれはブライトンの学校に行ったんだ」

 看護婦はさっと顔をあげた。「あら、それはいいわね。この町でも知り合いがいるでしょうね」

「ああ。知ってるやつは多いな」

 腕と胸を拭い終わると、こんどは上掛けをめくって左脚を出した。包帯でぐるぐる巻きにされた右脚の残りがシーツの下から出ないように気をつけていた。紐をほどいてパジャマのズボンを脱がせる。右脚の部分が切りとられていたので、包帯も邪魔にならず、簡単に脱ぐことが出来た。左脚と残った箇所に取りかかる。彼にとっては清拭を受けるのはこれが初めてだったので、きまりが悪かった。看護婦は脚のしたにタオルをひろげて、浴用タオルで拭いていく。
「このひどい石けんったら、ちっとも泡がたちやしない。水のせいね。すごく硬度が高い水なんだわ」

「きょうびの石けんはどれもひどいもんだよ。もちろん硬水となると、どうしようもないね」そう言っているうちに、脳裏にあることがよみがえってきた。ブライトンの学校時代、入っていた風呂のこと、横長い石造りの浴室で、浴槽が四つ並んでいた浴室を思いだしたのだ。硬度のひどく低い軟水だったから、体から石けんを洗い流すために、あとでシャワーを浴びなければならなかった。それだけではない、お湯の表面には泡がぶくぶくたって、その下の脚など見えなかったことも。おまけに、ときどきカルシウムの錠剤を飲まされて、校医が繰りかえし、軟水は歯に悪いのだ、と言っていたことまで。

「ブライトンじゃ、水は……」

 彼の言葉は最後までいかないうちに消えてしまった。ふとあることが心に浮かんだのだ。あまりに突拍子もない、馬鹿げた思いつきだったので、一瞬、看護婦に話して、一緒に笑おうかと思ったほどだ。

 看護婦は顔を上げた。「水がどうしたの」

「なんでもない。夢でも見てたのさ」

 洗面器で浴用タオルをすすぐと、脚の石けんをぬぐい、別のタオルでさらに拭いた。

「洗ってもらってさっぱりした。気持ちがよくなったよ」両手で顔をなでながら言い足した。「ひげを剃りたいんだが」

「それは明日にしましょう。明日だったらきっと自分でできるはずよ」

 その夜、彼は寝られなかった。眠れないまま横になってユンカース88のことや水の硬度のことを考えた。ほかのことは考えられない。あれはJU-88だった、と独り言をいった。それは確かだ。だが、そんなことはありえないんだ、やつらがこのあたりを真っ昼間にあんな低空で飛んでくるはずがない。いくらそれが事実でも、そんなことがあるわけがないんだ。たぶん意識が混濁しているんだ。長い間横になったまままんじりともせずそうしたことを考えていた。一度、ベッドに起きあがって声に出して言った。「おれは気が狂ってなんかいないことを証明してやらなくちゃ。こむずかしい、頭のよさそうな演説だってできるんだ。戦争が終わったらドイツをどうしてやるか話してやる」だがそれを始める前に、彼は眠ってしまった。

(この項つづく)

ロアルド・ダール「番犬に注意」その4.

2007-04-20 22:27:33 | 翻訳
その4.

「ところで」と医者が言った。「きみの飛行中隊が電話で容態を聞いてきたよ。見舞いに来たいという話だったが、もう一日か二日、待ったほうがいいだろうと言っておいた。きみは元気だし、この先、いつだって来られるんだから、とね。少しのあいだ、おとなしく寝て、ムリをしないことだよ。何か読むものでももらったかね?」

 医者はバラが置いてあるテーブルを見やった。「ないのか。まあ、気味の面倒は看護婦がみてくれるさ。ほしいものがあったら、何でも言えばいい」そういうと、片手を上げて、部屋を出ていき、大柄できちんとした看護婦がそれに続いた。

 ふたりが行ってしまうと、ふたたび横になって天井を眺めた。蠅は依然としてそこにおり、蠅からまた目を離さずにいると、遠くから飛行機の音が聞こえてきた。寝ころんだまま、エンジン音に耳を澄ます。かなり遠い。機種は何だろう、と考えた。うーん、分かるかもしれない……。急に首をぐいっと回して片側に向けた。爆撃された人間なら、誰だってユンカース88のエンジン音を忘れるはずがない。ドイツの爆撃機ならほとんど分かる、ユンカース88ならなおさらだ。そいつのエンジンはデュエットしてるみたいなんだ。ビブラートのかかった深い響きのバスに、ピッチの高いテナーがかぶさる。あのテナーこそがJU-88(ユンカース88)がたてる音で、それが聞こえたら、もうまちがいようがない。

 横になったまその音を聞いて、まちがいない、と確信した。だがサイレンはどこだ、銃撃の音も聞こえないぞ。この真っ昼間、一機だけでブライトンあたりまで飛んでくるとは、あのドイツの飛行機乗りもいい度胸をしてるじゃないか。

 飛行機は相変わらず遠いまま、やがてエンジン音も遠ざかって消えてしまった。それからもう一機きた。今度のも遠かったが、同じ震えるバスと高いさえずりのようなテナーは、まちがいなくJU-88だった。あの音なら戦闘中に毎日聞いていたのだから。

 合点のいかない話だった。ベッド脇のテーブルにベルがある。手を伸ばしてそれを鳴らした。廊下をやってくる足音が聞こえ、看護婦が入ってきた。

「看護婦さん、あの飛行機は何でした?」

「わたしにはわからないわ。何も聞こえなかったから。たぶん戦闘機か爆撃機でしょう。フランスから帰ってきたんじゃない? どうしてそんなことを聞くの? どうかしたの?」

「あれはJU-88だった。確かにJU-88だ。あのエンジン音はよく知ってるんだ。二機もいた。こんなところで何をしていたんだ?」

 看護婦はベッドまでやってくると、シーツの皺をのばしてマットレスの下へたくしこんだ。

「あらあら、いったいどんな空想をしているのかしらね。そんな心配は必要ないわ。何か読むものでも持ってきましょうか」

「いらない、だけどありがとう」

 看護婦は枕を軽く叩くと、彼の額にかかっていた髪の毛をかき上げた。

「ユンカースなんて、もう昼間に来ることはないわ。あなただってそのことは知ってるでしょう。たぶんランカスターかフライング・フォートレス(※ボーイング B-17爆撃機)だったのよ」

「看護婦さん」

「どうしたの」

「タバコ、もらえるかな」

「もちろんいいわよ」

 看護婦は出ていったかと思うとすぐにプレイヤーズの箱とマッチを手に戻ってきた。一本彼に渡し、くわえたところでマッチを擦って火をつけてやった。

「また何か必要なものがあったら、ベルを鳴らしてね」そういうと、出ていった。

 もういちど、夕方近くに飛行機の音が聞こえた。遠かったが、それでも単発機であることはわかった。だが、それが何かまではわからない。わかったのは、高速だということだけだった。だが、スピットファイアでもハリケーンでもない。アメリカの飛行機でもなかった。米軍機はもっとやかましいのだ。機種がわからず、そのことがひどくひっかかった。たぶんおれは調子が悪いんだ。たぶん空耳なんだ。多少熱があるのかもしれない。何を考えたらいいか、わかってないんだ。

(この項つづく)