陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール「女主人」その5.

2009-07-31 22:45:59 | 翻訳
その5.

「あのですね」ビリーが口を開いた。「これって何だかほんとうに、とてつもなくへんてこなことのような気がするんです」

「そんなはずはないと思いますけれど」

「そうだなあ。どっちの名前も――マルホランドもテンプルも、単に別々の名前として記憶しているっていうだけじゃなくて、言ってみたら、どういうのかな、奇妙な具合に関連しているような気もするんです。ちょうど、ふたりとも同じ種類のことに関して、名前が知られているみたいに。ああ……そうだな……たとえばデンプシーとタニー(※アメリカのプロボクサージャック・デンプシーとジーン・タニーのこと。1926年と27年に対戦した)とか、チャーチルとルーズヴェルトみたいに」

「なんておもしろいお話なんでしょう」女主人は言った。「でもね、もうこちらへいらっしゃって、わたしの隣りにおかけになって。おやすみになる前に、お茶とジンジャー・ビスケットを召し上がってくださいな」

「どうぞおかまいなく」ビリーは言った。「こんなことをしていただくにはおよびません」ビリーはピアノの脇に立ったまま、カップだの皿だのと忙しく準備する手をじっと眺めた。小さく、色白で、爪の赤い手が、めまぐるしく動き回っている。

「きっとその名前をぼくは新聞で見たんだ」ビリーは言った。「あとちょっとなんだけどな。あとちょっとで思い出せそうなのに」

 記憶の鳥羽口まで来て、中に入れないというときほど、いらいらが募ることはない。絶対、あきらめるもんか。

「ちょっと待ってくださいよ」と彼は言った。「ちょっと待って。マルホランドですよね……クリストファー・マルホランド……イギリス西部を徒歩旅行してたイートン校の生徒の名前じゃなかったっけ。ある日突然……」

「ミルクは入れてかまいません?」女主人は言った。「お砂糖はどうしましょう?」

「お願いします。それで、あるとき急に……」

「イートン校の生徒ですって?」女主人は割り込んだ。「いいえ、ちがいますよ。絶対にそれはありません。マルホランドさんがわたしのところへいらしたときは、確かにイートンの生徒さんじゃありませんでした。ケンブリッジの学生さんでしたから。ねえ、こちらへいらっしゃって、わたしの横で、気持ちの良い火で温まってくださいな。ね。お茶の用意もできてますから」女主人は自分の横の空いた場所をぽんぽんと叩き、坐ったままビリーに笑いかけると、彼がそこに来るのを待った。

 ビリーはのろのろと部屋を横切り、ソファの縁に腰を載せた。テーブルの目の前に、ティーカップが置かれる。

「さあ、遠慮なさらないで」彼女は言った。「ここ、気持ちがいいでしょう?」

 ビリーはお茶を口にした。彼女も同じことをした。三十秒ほど、ふたりとも口を利かなかった。だがビリーには、彼女が自分をじっと見つめていることがわかっていた。半身をひねって彼の方を向き、カップの縁越しに視線をじっと自分の顔顔に注いでいるのが、はっきりと感じられる。ときどき何か奇妙なにおい、彼女の体から発散される、独特なにおいが鼻先をかすめた。少しも不快な臭いではなく、何かを彷彿とさせるようなにおいだ――だが、一体何を彷彿とさせるのだろう? わからない。クルミのピクルスか。真新しい皮のにおいか。それとも病院の廊下のにおいだろうか。

 しばらくのち、女主人がふたたび口を開いた。「マルホランドさんはお茶が大好きだった。あんなにお茶をたくさん飲んだ人を、わたしはこれまで見たことがなかったわ。あのかわいいマルホランドさんは」

「つい最近、ここをお出になったんでしょう?」ビリーは言った。頭の中では、ふたつの名前が引っかかったままでいる。いまでは、新聞で読んだことまで思い出していた――見出しで読んだのだ。

「出た、ですって?」彼女はそう言うと、目を丸くした。「あらあら、あの方はどこにもいらっしゃったりしてませんよ。ずっとここにいらっしゃるんです。テンプルさんもね。おふたりとも四階にいらっしゃるんですよ、ご一緒に」



(いよいよアヤシイ女主人。明日最終回。)


ロアルド・ダール「女主人」その4.

2009-07-30 22:49:59 | 翻訳
その4.

 たとえ女主人の頭のネジが少々ゆるんでいるにせよ、ビリーはたいして気にもならなかった。ともかく、あの人は無害だし――これはもう疑問の余地もないことだ――どう見ても親切で、けちとはほど遠いにちがいない。たぶん、戦争で息子を亡くしたかどうかしたんだろう。それで、あんなふうになっちゃったんだ。

 数分後、スーツケースの中身を取り出してから手を洗うと、足取りも軽く一階へ下り、居間に入っていった。女主人はそこにはいなかったが、暖炉の火はあかあかと燃え、相変わらずその前には小さなダックスフントがぐっすりと眠っている。部屋は暖かく、すばらしい居心地だ。ぼくはツイてるぞ、と思いながら、両手をこすり合わせた。まったくなかなかのところじゃないか。

 ピアノの上に宿帳が広げてあったので、彼はペンを取り上げ、住所と名前を書き込んだ。そのページには、彼の名前の上に、ふたつだけ、名前が記されていた。誰でも宿帳に記入するときにそうするように、彼もその名前をしげしげと眺めた。ひとつはカーディフから来たキリストファー・マルホランド、とある。もうひとつはグレゴリー・W・テンプル、こちらはブリストルからだ。

 変だぞ。不意に彼の胸にそんな思いが兆した。クリストファー・マルホランド。何か引っかかる。

 一体全体どこで、こんな名前を聞いたんだろう。どこにでもあるような名前じゃない。

 学校にいた? いいや。じゃ、姉貴の何人もいた彼氏のひとりだったんだろうか。いや、親父の友だちか。いや、ちがう、そんな関係ではない。

 クリストファー・マルホランド
 カーディフ カテドラル通り 231

  グレゴリー・W・テンプル
 ブリストル サイカモアドライヴ 27

 いまでは二番目の名前にも、最初の名前同様、心あたりがあるような気がしてきた。

「グレゴリー・テンプルだって?」声に出して言うと、記憶をさぐった。「クリストファー・マルホランド……?」

「それはもう、ステキな青年でした」背後で声が聞こえた。振り返ると、女主人が大きな銀製のお盆にお茶の用意をして、部屋に入ってきていた。お盆を体の正面のやや高い位置で、まるではね回る馬の手綱であるかのように、しっかりと捧げ持っている。

「この名前、聞いたことがあるような気がするんです」彼は言った。

「そうなんですの? おもしろいこともあるものね」

「絶対前にどこかで聞いたはずだ。変ですよね。たぶん、新聞で読んだんだ。ともかく、有名人の名前じゃありませんよね。有名なクリケットの選手や、サッカー選手みたいな、そんな関係の人じゃない」

「有名ねえ」彼女はそう言って、お茶の盆をソファの前の低いテーブルにおろした。「いいえ、ちがうと思うわ。あの方たちは有名人ではありませんでした。でも、ほんとうにきれいな顔立ちの人でね、ふたりとも。それだけは確か。背の高い、若くてハンサムな人たちでしたよ、ちょうどあなたみたいにね」

 もう一度、ビリーは宿帳に目を落とした。「ここ、見てください」日付けを指さしながら言った。「最後の日付は二年前だ」

「そうでしたかしら?」

「ええ、そう書いてある。クリストファー・マルホランドはそれより一年近く前だ――いまから三年以上経ってる」

「あらまあ」頭をふりながら、ため息を静かに品良くつきながら、彼女は言った。「そんなこと、考えたこともありませんでした。光陰矢の如しって、ほんとうなんですね、ウィルキンスさん」

「ウィーヴァーです」ビリーは言った。「ぼくはウィーヴァーです」

「ごめんなさい、そうでしたわね!」大きな声を出すと、ソファにすわりこんだ。「わたし、ぼうっとしてしまって。ほんとにごめんなさい。こっちの耳から入っても、反対側から出ていってしまうんですのよ、ウィーヴァーさん」



(この項つづく)


ロアルド・ダール「女主人」その3.

2009-07-29 22:41:27 | 翻訳
その3.

 それにしてもこの人はずいぶん親切だな。まるで、学校に行っている息子が、クリスマス休暇に招待した親友を迎えているような具合だ。ビリーは帽子を取ると、敷居をまたいだ。

「帽子はそこにかけてくださいな」というと、「オーヴァーは預かっておきましょうね」と手を貸してくれた。

 玄関ホールには、帽子もコートもかかっていない。傘もステッキも、一切なかった。

「ここはいま、わたしたちだけなんですのよ」彼女は階段を上がっていきながら、振り返ると、にっこりと笑いかけた。「わたしのちっちゃなお城にお客様をお迎えすることなんて、そうそうあることじゃないんです」

 このおばさん、ちょっとおかしいみたいだな、とビリーは考えた。だけど、一泊五シリング六ペンスってことを思えば、そんなこと、いったい誰が気にする? 「ここに泊まりたいって人なら、いくらでもいるってこと、すぐに気がつかなきゃいけなかったな」ビリーは失礼にならないよう、そう言っておいた。

「ええ、まあ、そういうことね、ええ、もちろんそうですよ。でもね、問題は、わたし、ちょっぴり、選り好みをしてしまうんです、特に――おわかりかしら」

「ああ、そいうことなんですか」

「でもね、いつも準備だけはしておくんです。お昼であろうが夜であろうがこの家へ、しかるべきお若い殿方が、いつお見えになってもいいように、何もかも用意はしてあるんですのよ。ですからね、あなた、ほら、ドアを開けたら、そこに、思っているとおりの方が立っていらっしゃるのをお見かけしたら、ほんとうにどれだけうれしいか」階段の途中まで来たところで、片手を手すりにかけたまま立ち止まると振り返り、寒さで青ざめた唇をしている彼にわらいかけた。「ちょうどあなたみたいな方が」とつけくわえ、青い瞳がゆっくりとビリーの全身を下りていき、足のところまでくると、そこからまた上がっていった。

 二階に着くと、女主人は言った。「この階はわたしが使っています」

 さらにもう一階上がった。「そしてこの階は全部、あなたがお使いになって」と彼女は言った。「ここがあなたのお部屋です。お気に召してくださるとうれしいのだけれど」小さいながらも、なかなか感じのいい寝室に案内すると、電灯のスイッチを入れた。

「あの窓から朝日が入ってくるのよ、パーキンスさん。パーキンスさんでしたわよね?」

「ちがいます」彼は訂正した。「ウィーヴァーです」

「ウィーヴァーさんね、なんてステキなお名前でしょう。シーツを温めるために湯たんぽを入れてありますよ。慣れないベッドでも、シーツが洗いたてで湯たんぽが入っていれば、くつろげるでしょう? もし寒いようでしたら、いつでもガスストーブを使ってくださいね」

「ありがとうございます」ビリーは言った。「ほんとに助かります」ベッドの覆いは取り外してあり、上掛けは一方の端できちんと折り返してある。あとはそこに誰かが入って寝るばかりだ。

「あなたが来てくださって、ほんとうによかったわ」彼の顔に熱い視線を注ぎながら、そう言った。「だんだん心配になってきてたの」

「そりゃどうも」ビリーは明るく答えた。「だけど、ぼくなんかにお気遣いなく」彼はスーツケースを椅子の上に置いて開いた。

「そうそう、晩ご飯はどうなさいます? ここにいらっしゃるまえに、どこかでお済ませになった?」

「腹は減ってません。だけど、そう言ってくださってありがとう」彼は言った。「ぼく、もう寝た方がいいんです。明日、早起きして会社に出て、報告しなきゃならないことがいろいろあるから」

「わかりました。それじゃわたしは失礼しますから、荷ほどきをなさってくださいね。ただ、おやすみになるまえに、一階の居間で宿帳にご記入をお願いできません? ここじゃ法律があって、こんなことで法律を破るわけにはいかなくて、だからみなさんにそうしていただいてるんです」女主人は小さく手を振って足早に部屋を出ると、ドアを閉めた。



(この項つづく)


ロアルド・ダール「女主人」その2.

2009-07-28 23:09:06 | 翻訳
その2.

 とはいえ、寝泊まりできるパブの方が、下宿屋より楽しそうではある。夜になれば、ビールやダーツを楽しんだり、大勢の人と話したりもできるだろうし、きっとそっちの方がずっと安上がりだろう。前にもパブには数日泊まったことがあって、すっかりそこが気に入っていたのである。下宿屋に入った経験はなかったし、正直なところ、少しばかりぞっとしない気持ちもあった。下宿屋と聞くと、なにやら煮すぎたキャベツや、ごうつくばりの女主人、部屋まで漂ってくる薫製ニシンの強烈な臭いなどが連想されてしまう。

 二、三分、ビリーはこのように決めかねていたのだが、どちらかに決める前に、とりあえず『鐘とドラゴン亭』を見てみることにしようと考えた。そこでくるりと向きを変えたそのときである。

 奇妙なことが起こった。一歩下がって窓に背を向けかけたとき、ひどく奇妙なことに、そこにあった小さな張り紙に目が吸い寄せられ、釘付けにされてしまったのだ。張り紙には「お泊まり と 朝食」とあった。「お泊まり と 朝食」「お泊まり と 朝食」「お泊まり と 朝食」……。それぞれの言葉が、まるでガラス越しにこちらを見つめる大きな目のように見えてくる。彼をがっちりと捕らえて離すまい、この家からよそへ行かすまいとしているかのような。やがて気がついたときには、実際に窓の前を横切り、家の玄関を開けようと階段をのぼり、呼び鈴に手を延ばしていたのだった。

 彼は呼び鈴を押した。ドアの向こう、家の奥の方で鳴っている音がしたかと思うと、即座に――まさに音がした瞬間、彼の指が呼び鈴のボタンから離れてさえいないうちに、ドアがさっと開いて女性がそこに現れた。

 ふつうなら呼び鈴を押しても、ドアが開くまで、どう考えても三十秒ほどはかかるはずだ。だが、この女性はまるでびっくり箱を開けたときのように出てきたのだ。呼び鈴を押す――すると、ぽん! 彼はぎょっとして跳び上がった。

 女は四十五から五十歳といったところ、彼を見るとたちまち暖かな、よく来てくれたと言わんばかりの笑顔を見せた。

「お入りになって」にこやかにそう言う。脇へ退いて、大きく開いたドアを押さえたのにつられるように、自分でもはっきりと気がつかないまま、ビリーは足を踏み出していた。自分でもよくわからない衝動にかられたというよりは、あとについて中に入っていきたいという欲望が、抑えがたいまでに高まった、と言った方が正確だろうか。

「窓の張り紙を見たんです」なんとか自分を抑えようとしてそう言った。

「ええ、わかってますわ」

「空き部屋があるんでしょうか」

「もちろん、ちょうどぴったりのお部屋がありましてよ」彼女の頬はふっくらと薄紅色、青い目はとても優しげだ。

「『鐘とドラゴン亭』に行こうと思ってたんです」ビリーは言った。「でも、偶然、ここの窓の張り紙が目に入って」

「あらあら」と彼女は言った。「外は寒いでしょうに、どうぞお入りになって」

「おいくらなんでしょうか」

「一泊五シリング六ペンスいただいています、朝食付きでね」

 途方もない安さだ。彼が、このぐらいなら、と思っていた額の半分にも満たない。

「高いようでしたら」と彼女は言い足した。「少しならお安くもできましてよ。朝食に卵はお望み? きょうび、卵も高くなりましたでしょ。もし卵なしでかまわないっておっしゃるんだったら、六ペンス、お引きしますわ」

「五シリング六ペンスで結構です」彼は答えた。「喜んでここに泊めさせていただきますよ」

「そうなさると思ってたました。お入りになって」


(この項つづく)


ロアルド・ダール「女主人」その1.

2009-07-27 23:10:55 | 翻訳
今日から一週間ぐらいの予定で、ロアルド・ダールの「女主人」を訳していきます。
とってもダールらしい短篇です。
原文はhttp://www.nexuslearning.net/books/Holt-EOL2/Collection%203/landlady.htmで読むことができます。

* * *

The Landlady (「女主人」)

by Roald Dahl


その1.

 ロンドンから午後の鈍行列車に乗ったビリー・ウィーヴァーが、途中スウィンドンで乗り換えてバースに着いたときは、夜も九時近くになっていた。駅を出ると、向かいの家並みの上にひろがる澄んだ星空を背に、月がぽっかりと浮かんでいる。凍てついた空気のなか、頬に吹きつける風は氷のやいばのようだった。

「すいません」彼は声をかけた。「このあたりに安く泊まれるところはありませんか」

「『鐘とドラゴン亭』へ行かれてはどうでしょう」赤帽が通りの先を指さした。「あそこなら泊めてもらえますよ。向こうの道を五百メートルほども行けばあります」

 ビリーは礼を言うと、スーツケースを取り上げて、「鐘とドラゴン亭」目指して五百メートルの道のりを歩き始めた。これまでバースに来たことはない。ここに住んでいる人も、誰一人として知らなかった。だが、ロンドンにある本社のミスター・グリーンスレイドは、ここは実に素晴らしい街だと教えてくれたのだった。

「宿屋を探すんだ」と彼は言った。「落ち着き場所が決まったら、すぐに支社へ行って支店長に報告するように」

 ビリーは十七歳だった。おろしたての紺色のオーバーを着て、新品の茶色い中折れ帽をかぶり、新品の茶色いスーツに身を包んで、気分は爽快である。通りをきびきびと歩いた。ここ数日間、何ごともきびきびとこなせるよう努めてきた。きびきびとした態度こそ、成功したビジネスマンすべてに共通する唯一の資質だと判断したのである。本社のお偉方ときたら、いつだって文句のつけようがないほど、すばらしくきびきびしているじゃないか。それはもう、見事なまでに。

 彼が歩いている大通りには、一軒の店もなく、両側にはいずれもそっくりな、背の高い家が続いているばかりだった。いずれも玄関ポーチがあり、柱があり、玄関に通じる四、五段の階段があって、どうやらその昔はしゃれた住宅街だったらしい。だがいまや、暗い中ですら、ドアや窓の木造部分のペンキが剥がれ、白く端正だったにちがいない正面も、手を入れてないせいで、ひびわれ、しみが浮いているのが見てとれた。

 不意に、五メートルほど前方で、一階の窓が街灯に明々と照らされていた。ビリーの目をとらえたのは、上の方の窓ガラスに貼ってある、活字体で書いた張り紙だった。「お泊まり と 朝食」。張り紙のすぐ下には花瓶があって、丈の高く美しいネコヤナギが飾ってある。彼は足を止めた。一歩、そばへ寄ってみた。緑のカーテン(ベルベットのような素材である)が窓の両側に下がっている。両側のカーテンのおかげで、ネコヤナギはたいそう美しく見えた。もっと近寄って、ガラス越しに中をのぞき込んだ。最初に見えたのは、暖炉に燃えている明るい火だった。暖炉の前の絨毯の上には、かわいい小さなダックスフントが、鼻面を自分の腹に押し込んで、丸くなって眠っている。薄暗がりをすかして見る限りでも、その部屋は、気持ちの良さそうな家具がそろっていることがわかった。小ぶりのグランドピアノや大きなソファ、ふかふかの肘掛け椅子がいくつかと、隅には鳥かごに入った大きなオウム。こんなふうに動物がいるというのは、たいていいいしるしだ、とビリーはひとりごとを言った。全体に、たいそう美しく立派な家のように彼の目には映ったのである。きっとここは『鐘とドラゴン亭』などより居心地が良いにちがいない。


(この項つづく)

読めない……

2009-07-26 22:48:41 | weblog
それにしても読めないのが、いまどきの子供の名前だ。

http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/etc/ranking/name/

以前にも「名前の話」というログを書いたが、2008年のトップ(二年連続)となった「大翔」が読める人は手を挙げて!

ほかの読み方もあるが、41人のうち、23人が「ヒロト」と読むのだそうだ。「ヒロト」以下「ハルト」「ヤマト」…あとはもう好きにして頂戴、といいたくなる。要は「何でもあり」なのである。

女の子でも「陽菜」と書いて、「ヒナ」というのが大人気なのだが、「青梗菜」「搨菜」と並んで出てきそうな気がする。

おそらく、こういう名前をつける人というのは、「健一」とか「明子」などという「ありきたり」の名前ではなく、「個性的」な名前を、と考えて、そんな名前を選んだのだろう。

ただ、こんな名前がついていれば個性的なんだろうか、そもそも、個性的とは「人とはちがう」ということなんだろうか、と疑問に思うのである。

同じ人間がこの世にふたりといない、ということを思えば、人はみな、かならず個性的なはずだ。ところがある種の人は「個性的」と評価され、ある種の人は「平凡」とみなされる。あるいは子供に対しては、「個性を伸ばす」ことが大切とされる。

だが、目立つことを「個性的」であるとする根拠はいったい何なのだろう。
人がひとりひとりちがうのなら、それだけで「個性的」であるはずなのだし、人目を引かないこと、目立たないことも十分その人の個性のはずだ。

山本周五郎にはめずらしく、現代物の連作短篇に『寝ぼけ署長』というものがある。
警察署で居眠りばかりしている署長、五道三省なのだが、彼の周囲では不思議なことに事件がひとつも起こらない。ほんとに運がいい、あんな男でも署長が勤まるんだからな、と陰口をたたかれるのだが、実は彼は目立たない、細かいところに気を配っていた。そのために、事件が起こらなかったのである。

もし五道三省の「個性」をあえてあげるとすれば、あだ名ともなった「寝ぼけ署長」ということなのかもしれない。表だって立派なことを言うわけでもない、華々しい活躍をするわけでもない、それでも彼は「何ごとも起こさない」という、目立たないけれど、大変な仕事をしていたわけだ。どんな組織でも、そういう形で支えている人がかならずいる。そういう人がいなければ、組織というのは回っていかない。

「何ごとも起こさない」ということは、実際には目立たない。なかなか理解も意識もされないし、ときには本人ですら、気がついていないかもしれない。けれども、わたしたちはもっとそんな「目立たないこと」「何ごとも起こさないこと」に、もっと気が付くべきだし、評価すべきだろう。

少年犯罪が起こると、判で付いたように「ふだんは目立たない、おとなしい子だった」というコメントがあがってくる。「目立つこと」「華々しいこと」ばかりを評価する風潮のなかで、もしかしたら、自分に貼られた「目立たない」「地味」というレッテルに苛立ち、自分はここにいるのだ、という叫び声として犯行に走らせたという側面は、なかったのだろうか。

一度聞いたら忘れられないような名前、個性的な名前をつけてやろうとするあまり、読めない名前ばかりになって、何がどう個性的かもわからなくなってしまった。
子供が生まれるということは、それだけで小さな奇跡だ。どんな子だって、それぞれに個性的なのだ。別につけたきゃどんな名前をつけても、わたしがとやかく言う筋合いではないのだが、「大翔」はどう見ても「ダイショウ」としか読めないし、それを「ヒロト」と言われても、何だかな、と思うのである。

サイト更新しました

2009-07-25 22:48:54 | weblog
ずいぶん時間がかかったのですが、フランク・オコナーの「天才」の翻訳をサイトにアップしました。なんでこんなに時間がかかっちゃったかは、更新情報に書いています。お暇なときにでものぞきに来てください。
チーヴァーはすぐにアップできると思います。お楽しみに!

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

ということで、それじゃ、また。

昔ながらの自転車屋

2009-07-22 23:05:39 | weblog
帰りがけ、駐輪場から出て、自転車に乗ってすぐ、後輪がパンクしていることに気がついた。そういえば、来るとき後ろの空気がなくなってきたのかなあ、とは思っていたのだ。それでも駅の駐輪場に預けてしまえば、自転車のことはすっかり忘れていたのだった。

駅前の自転車屋まで押していくと、なんとシャッターが下りていて、張り紙がしてある。紙にはマジックで書いた「本日臨時休業」の文字。頭のなかにインプットしてある自転車屋を思い浮かべる。そこから一番近いのは、家とは反対の方角で、前を何度か通ったことはあるが、入ったことはない店である。駅のはずれの商店街の一角にある昔ながらの自転車屋で、軒の低い、家の間口を広げたような店先に、この前売れたのはいつだったかわからないような、黄色い値札のついた自転車が数台置いてあり、その横が修理場になっていたような記憶があった。その修理場から、歩道にまで自転車がはみ出していて、前を通るのに難儀したこともあったような気がする。

とにかく記憶をたよりに、そこだけ取り残されたような、古いアパートやクリーニング屋や八百屋やパン屋が軒を連ねる通りを、自転車を押しながら歩いていった。

修理場のサッシが開いていて、頭の白いおじさんがふたり、長いすに並んでタバコを吸いながら、話をしていた。
「パンクだと思うんですけど、修理をお願いできますか?」と言うと
ふたりともさっと立ちあがって、「まあ、すわってすわって」とわたしに長いすをすすめた。ちょうど小学校にあるような、木の長いすの上に、畳を一枚のせたものである。ひとりのおじさんは、わたしの自転車を店のなかへ入れ、もうひとりは立ったまま「チェーンに油を差したらなあかんな、このままやったらチェーンが切れるよ」と観察している。

自転車を入れてくれたおじさんは、腰を載せる低い台を持ってきて、それに腰かけると、自転車のタイヤにドライバーをはさんで、チューブを取り出した。どうやらこのクレープ地の下着のシャツに、腹巻きをしているおじさんの方が自転車屋さんらしい。駅前の自転車屋の、ブリジストンのロゴ入りの、青いつなぎを着たお兄さんとはえらい違いである。

蚊の死骸が二、三匹浮かんでいる赤い桶を引き寄せると、おじさんは、反対側の手に持っていたタバコに、すくった水をぱしゃっとかけて、火を消し、それを少し遠くにある蓋を切った灯油缶に放り込んだ。見ると、そこには一年分ほどもあのではないかと思われるぐらいのタバコの吸い殻が溜まっている。

タバコを捨てた手に、今度はドライバーを持って、後輪からチューブを取り出す。
「あー、タイヤがだいぶあかんようになってるなあ。そろそろ変えたらなあかんかもしれんなあ」と、タイヤのゴムの部分がひび割れている箇所を教えてくれた。考えてみれば、十年近く乗っている自転車で、前輪は五年ほど前、外に駐輪しているときにカッターか何かで切られたときに取り替えたのだが、後輪は買ったときのままだ。ほとんど毎日乗っているのだから、へたってきても当たり前だ。

だが、そうは言ってもおじさんはそれ以上、タイヤを取り替えた方がいいとも言わず、黙々と作業を続けている。もうひとりのおじさんは、立ったまま、ミシン油みたいな、さらさらした油では、ちょっとの間はいいが、すぐダメになってしまう、車用のオイルはべたべたしすぎて、ほこりを吸って余計走りにくくなる、としゃべり続けている。

チューブに空気をいれると、シューシューと音がする。腹巻きのおじさんは、水に漬けてその箇所を探した。直径5ミリほどの穴が空いている箇所が見つかった。
「こら、尖った石かなんかを踏んだんやな」
そう言うと、おじさんは工具箱に入れてあった丸い大きな石で、チューブをこすり始めた。そうやってチューブから完全に水気を取り除くと、透明の接着剤を掬い取って、手早く塗っていく。そのあと、さらに工具から黒いパッチを取り出して、その箇所に当てた。チューブを引き延ばしながら、パッチを馴染ませていく。再度、桶につけて、空気が漏れていないか確認して、後輪に戻していった。

「虫ゴムも替えときまひょな」とおじさんが言い、わたしが、何で虫ゴムっていうんだろうなあ、と人生で何度目かにそう思っていると、もうひとりのおじさんが「ほれ」と小さな引き出しから、小さな黒っぽいゴムを取り出した。腹巻きのおじさんは「おおきに」とそれを受けとって、自分の口に入れ、つばをつけてから、自転車の空気穴のところの金具に差しこもうとする。うまくいかなかったらしく、もう一度口に入れ、やり直すと今度はうまくいった。そこからボルトを締め直し、最後にキャップをかぶせてできあがり。

「ありがとうございました」とお礼を言うと「パンクの修理は800円な」と言われた(小学生のときは500円だったことを思い出した)。財布からお金を出そうとしていると、おばさんが「あんた、ちょっと戻ってきて、××がまたあかんようになったから」と、自転車屋さんではない方のおじさんを呼びに来た。見ているとふたりは一軒置いた八百屋に入っていく。どうやらチェーンに差す油について講釈してくれたおじさんは八百屋さんらしかった。

それを見て思い出したのか、自転車屋のおじさんは、「これ、差しときまひょか」といって、細いノズルのついたオイルをスプレーでシューッシューッと差してくれた。どうやらそれはサービスだったらしい。千円札を出すと、奥へいったん戻ったおじさんが、「すんまへんなあ、百円玉が一枚しかあらへんかった」と恐縮しながら百円玉と五十円玉二枚のおつりを手渡してくれた。

「どうもありがとうございました。ほんとうに助かりました」ともう一度頭を下げて、自転車屋をあとにした。タイヤの交換について、おじさんから勧められなかったことをもう一度思い出し、つぎにパンクしたらここに持ってきて、タイヤごと替えようかと思ったのだった。


友情を成り立たせるもの

2009-07-21 23:09:56 | weblog
話はまだ続く。

山本周五郎の「橋の下」は、人生経験を経た年長者が青年に語るという筋書きといい、友人がひとりの女性を争ったことが、それぞれの人生の転換点となるところといい、さらに、それほどまでして得た女性に対する恋愛感情が、ほどなく冷えていく点といい、あきらかに夏目漱石の『こころ』が意識されている。

思うに、周五郎は『こころ』の結末には、納得しきれないものがあったのではあるまいか。だからこそ、自分ならこう書く、として「橋の下」を著したような気がする。

「橋の下」と『こころ』の最大の相違は、『こころ』では年月を経たのち、先生がKのあとを追うように自殺するのに対し、「橋の下」では、誰も死なない。過去を悔いる老人も、恋が冷えてもなお、妻とふたり、物乞いをしながら生き続けていく。そうして、この生き続ける老人の姿を見、助言を聞いて、青年は果たし合いをやめ、和解するのである。

ここには、「先生」ならば、「先生」と自分を慕う年少者がいるならば、彼のために死んではいけない、たとえどんな境遇になったとしても、生き続けなければならない、という周五郎の思想が読みとれる。

老人は若侍に言う。
「あやまちのない人生というやつは味気ないものです、心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのがしぜんです、そうして人間らしく成長するのでしょうが、しなくても済むあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい、――私がはたし合いを挑んだ気持は、のっぴきならぬと思い詰めたからのようです。だが、本当にのっぴきならぬことだったでしょうか…(略)…

「どんなに十代だと思うことも、時が経ってみるとそれほどではなくなるものです…(略)…家伝の刀ひとふりと、親たちの位牌だけ持って、人の家の裏に立って食を乞い、ほら穴や橋の下で寝起きをしながら、それでもなお、私は生きておりますし、これはこれでまた味わいもあります、そして、こういう境涯から振返ってみると、なに一つ重大なことはなかったと思うのです…(略)…
(山本周五郎「橋の下」『日日平安』所収 新潮文庫)

「あやまちのない人生というやつは味気ない」が、それでも取り返しのつかないあやまちは、避けた方がいい。それは、自分のように橋の下で暮らすことを余儀なくされるからだ。「この橋の下には、人間の生活はない」「ここから見るけしきは、恋もあやまちも、誇りや怒りや、悲しみや苦しみさえも、いいものにみえます」と言う。

だが、取り返しのつかないあやまちを犯して、たとえ「人間の生活はない」ところへ落ちたとしても、それでもなお、「私は生きておりますし、これはこれでまた味わいもあります」と言わせている。たとえどんなところにいたとしても、どんなあやまちを犯したとしても、生きているということは、それだけで「いいものだ」という肯定がある。

おそらく若侍に決闘を思いとどまらせたのは、老人の、人間の生を無条件に「いいもの」とする肯定だったのだろう。

では、漱石にはこの肯定はなかったのだろうか。

『こころ』のなかで、「先生」が「私」に、自分を慕ってはならない、と釘を刺す箇所がある。
「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」
「そりゃどういう意味ですか」
「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
 私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。

ここで先生は、自分が過去、友人であるKの「膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようと」したことを暗に語っている。「何をしてもKに及ばないという自覚」が、恋愛においてはKをうち負かそうとしたのだ、と。
そうして「私」がいま先生を仮に尊敬しても、その記憶がやがて自分の頭の上に足を載せさせようとするにちがいない、と考えている。

そうして、「自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」というのである。これはどういうことなのだろうか。
漱石は「古い道徳」を批判しています。『こゝろ』の「私」や「先生」は「生活の内面によって自分自身の型を造ろう」(※漱石の講演『中味と形式』)とするタイプであることは明らかです。しかしその個人主義の代償として「自由と独立と己れに充ちた現代」がやってくるのです。人は各自パーソナルなモデルを求めなければならなくなります。しかし古風なモデルとは異なって、この新しいモデルは容易にライヴァルと化するモデルなのです。そしてまた、弟子のほうも、古風な弟子とは異なって、容易にライヴァルへと変身します。
(作田啓一『個人主義の運命』岩波新書)

さらに、『こころ』で先生は、単にKの死の責任を負って自殺しただけではなかった。その引き金になったのは、乃木大将の殉死である。もう少し『個人主義の運命』を引こう。
徳川時代の「古い道徳」も、新しい明治の道徳も、共に人格に対する忠誠の観念を含んでいました。しかしいつの時代にも権力や金力が誠実の徳をおびやかしています。特に近代化に伴って、金力や権力への関心が強まり、形成されたばかりの明治の道徳を深部からむしばんできました。言いかえれば、個性の個人主義が生まれた明治期において、漱石は欲望の個人主義がすでに始まっているのを見たのです。そして彼は個性の個人主義が滅びるのではないかという危機感をもっていました。この漱石の危機感が「明治の精神に殉死する」という「先生」の言葉に投影されているのではないでしょうか。

「橋の下」の世界には「人格に対する忠誠の観念」がまだ生きていた。老人は、もはや恋愛の妄執も、出世への妄執も朽ち果てたのちに、自分のことを友だちと呼んでくれた相手を斬りつけ、医者も呼ばずに出奔したことのみを悔いている。そしてまた、自分が話を聞かせた青年が、自分の助言に耳を傾けてくれるのではないか、それによってあやまちを避けてくれるのではないか、と願っている。

だが、やはりいまに生きるわたしたちの目から見れば、周五郎の世界は、やはり時代小説だからこそ成り立つ世界なのかもしれない。

自分には友人がいる、と思う人は多いだろう。けれども、その友人は、果たして自分にとってどのような存在なのだろうか。その人の人格を尊敬して、ものの見方、感じ方に惹かれて、その人とつきあっている? それとも、なんとなく一緒に過ごす機会が多くて、そんなときに気が合う、気心が通じるから、友人関係を築いているのだろうか。

「自由と独立と己れに充ちた現代」というのは、現代に生きるわたしたちにすれば、あまりにあたりまえになりすぎて、逆に意識されることもなくなってしまった。そういうなかで、自分自身の型を特に造ろうとすることもなく、深く考える前に、何となく流通している「モデル」にばくぜんと自分を当てはめようとしているのではないか。同じモデルを抱いている相手を、「友人」と呼び、ほんの少しばかりの差異をとらえて、それを「個性」と呼ぼうとしているのではあるまいか。

もしかしたら、友人関係がうまくいかなくなったとき、自分が相手に何を求めていたか、そうして、相手にそれを求める自分がいったいどのような人間であるのかが、初めて見えてくるのかもしれない。型がなくなり、モデルとなるような型すらも見失ったわたしたちの型は、そんな方法を介さなくては、浮かび上がって来ないのかもしれない。

『橋の下』で

2009-07-20 22:57:19 | weblog
昨日の話のつづき。

ともに大学を受験し、浪人を経験したのちに、道がまったく分かれてしまったAさんとB君だが、B君にとってAさんは憎悪の的となった。だが、人を憎むのにはしかるべき理由がいる。他人から見て、どれほど奇妙なものであっても、少なくとも自分をとりあえず納得させることのできる理由が必要なのだ。B君が繰りかえしAさんに「母親を泣かした」とからんでいったのも、それこそが憎む気持ちを正当化する「理由」となったのだろう。たとえ母親が泣いたほんとうの原因は、自分が大学受験に失敗したことであるとわかってはいても、Aさんが来たのを見て泣いたというその一点にすがりつくようにして、自分を納得させたのだろう。

それでも、Aさんからすれば、B君から憎まれるというのは、どうにも納得ができなかったにちがいない。だからわたしにも、その話を聞かせてくれたのだろう。Aさんから見れば、問題の端緒はB君が受験に失敗したことではないのか。Aさんが合格したからB君が不合格になったわけではないのだから、そのことで憎まれるのは、わけがわからない、と。
B君が思う対立点は、Aさんにとっては対立点でもなんでもない。

ただ、これが受験ではなく、もっと対立点が明確になるような、たとえば恋愛だったりしたら、仲が良かったふたりがあることをきっかけに仲違いすることは、よくあることだろう。

山本周五郎の武家ものの時代小説に『橋の下』というのがある。
漱石の『こころ』では、お嬢さんを争って、先生はKを出し抜くことになるが、この小説では逆になる。だが、ちょっと先を急ぎすぎたようだ。

果たし合いに赴いた若侍が、はやるあまりに、寺の鐘の音を数え間違い、夜明け前の冷気のなかで、橋の下の焚き火に引き寄せられる。火を焚いていたのは、橋の下で暮らしている老夫婦だった。いかにも果たし合いを前にしたらしい若侍に対して、老人は問わず語りに自分の過去の話を始める。

老人は、かつては由緒正しい家柄の武士だった。幼いころから仲の良い友だちがいた。友だちは、学問もでき、武芸の腕も確かで、家中でも注目を集めるようになっていたが、彼よりも身分がかなり下で、嫉妬を感じるような相手ではなかったのだ。

彼はかねてより思いを寄せていた娘を妻に貰い受けようとする。ところがその家では、すでにその友だちの方と、縁談を進めていた。彼は、その友だちに腹を立てた。友だちは、自分が娘に思いを寄せており、彼女の方もそれに応えていたことを知っていたではないか、きさまは他人の妻をぬすんだのだ、となじった。

ふたりは決闘することになる。友だちに二太刀浴びせた彼は、娘を呼びだし、そのままふたりで城下を出奔することになった。

「自分たちが恋に勝った」という気持ちは長くは続かない。
七年目に国許に帰ったとき、自分が斬ったはずの友だちは、ケガを負っただけで、かえって同情を買い、家中で出世を果たしていることを知る。

彼は、あのとき自分さえでしゃばらなければ、妻もいまごろ幸せになったのに、と後悔し、妻の側は、夫をこんなに落魄させたのは自分だと思い、ふたりで「憎むべきは、かの男だ」と友だちを憎んだ。

だが、その憎しみも、長くは続かなかった。やがて彼は体をこわして働けなくなり、ふたりは物乞いをしてくらすしかなくなるのである。

橋の下で暮らすことを余儀なくされた老人は言う。「この橋の下には、人間の生活はない」という。橋の上の「恋もあやまちも、誇りや怒りや、悲しみや苦しみさえも、いいものにみえます」と。

橋の上の世界から出てしまったのは、娘を失うか得るかが、命を賭けるほどの重大なことだと思い込んでしまったからだった。その結果を考えることもなく、思い詰め、果たし合いに臨んだ。だが時が経ってしまうと、恋は冷え、また友の出世を羨む気持ちも失せた。ただ、果たし合いで友を斬り、「医者を呼んでくれ」という友だちを見捨てたことだけが心残りだ。「医者を呼んでくれ」と言ったのも、おそらく友だちは表沙汰にすまいと考えてのことだったとわかったからだ。それを思うと、友が出世をし、自分が落魄したことさえもありがたいと思う、と。

老人の話を聞いた若侍が、果たし合いをやめる、というところでこの話は終わるのだが、その一種のハッピーエンドをよそに、なんともやりきれない思いが残る短篇である。

この老人が若い頃、友だちを「許せない」と思ったのも、やはりどこかでその友だちなら、自分のために何かをしてくれるはずだ、と思いこみがあり、それが裏切られた失望があったからだろう。

なぜ自分が裏切られたと思ったのか。なぜ自分は彼にそこまで期待したのか。そのことを思うと、逆に相手に期待していた自分の姿が見えてくるはずだ。もちろん、それがもっと早くになされていたのなら、もちろん果たし合いもしないですんだ。だが、長い年月の放浪のうちに、彼はそのことに気がついただろう。気がついても、もはや取り返しのつかない状態になって気がつくことと、ずっと気がつかずにいて、友だちのことを憎み続けるのと、どちらが彼にとって良かったのだろうか、とやはり考えるのである。