(後編)
「そうするのがいちばんいいんじゃないか。でも、きみがほんとうはそうしたくないんなら、やってほしくない」
「もしわたしがそれをやったらあなたは幸せになるし、なにもかも前みたいになるし、そうしてわたしのことは、好きでいてくれる?」
「いまだって好きさ。君だってぼくが君のことを好きなのはわかってるだろ?」
「わかってるわ。だけど、それをしたら、また前みたいにいい感じでいられて、もしわたしが何かを白い象みたいだ、って言っても、気に入ってくれる?」
「気に入るさ。いまだって大好きだけど、そういうことを考える気分じゃないんだよ。心配になってくるとおれがどういうふうになるか、知ってるだろう」
「わたしがそれをしたら、あなたはもう心配じゃなくなる?」
「そのことなら心配してない。おっそろしく簡単なことなんだから」
「じゃ、することにした。わたしがどうなったっていいんだもの」
「どういうことだい?」
「自分のことなんて気にしてないの」
「ぼくは気にしてる」
「あら、そうよね。だけど、わたしは自分がどうなったって気にしやしない。だからすることにしたし、そしたら何もかもうまくいくんですものね」
「そんなふうに思ってるんだったら、やる必要はない」
娘は立ち上がると、駅の端まで歩いていった。駅の向こうは麦畑が広がり、エブロ川の土手には木立が続く。川を越え、はるか彼方には山並みがあった。雲の影が麦畑を横切り、娘は木の間から川を眺めた。
「わたしたち、これを全部自分のものにできるのに。全部わたしたちのものにすることだってできるのに、わたしたちときたら、毎日毎日手の届かないものにしてしまってるのね」
「なんだって?」
「なにもかも、わたしたちのものにできるのに、って言ったの」
「なんでもおれたちのものにできるよ」
「そんなことむりよ」
「世界全部をおれたちのものにすることだってできるさ」
「いいえ、できない」
「どこにだって行ける」
「行けないわ。もうわたしたちのものじゃないもの」
「おれたちのものさ」
「そんなことない。一度、手放してしまったら、もう二度と取りもどすことはできないのよ」
「まだ手放してしまったわけじゃない」
「成り行きを見守るしかないのね」
「日陰に戻って来いよ」男が言った。「そんなふうに思っちゃいけない」
「どんなふうにも思ってなんかないわ」娘が言った。「ただ、いろんなことがわかってるだけ」
「君がいやならやってほしくないんだ……」
「わたしのためにならないこともね?」娘は言った。「わかってるわ。ビール、もう一杯飲まない?」
「よし。だけど君はわきまえておかなきゃ……」
「わきまえてるわよ」娘は言った。「もう話はやめましょう」
ふたりはすわってテーブルにつき、娘は谷の乾いた側の向こうに広がる山並みに目を遣り、男は娘を見、それからテーブルに目を落とした。
「わかってくれなくちゃ」彼は言った。「君がいやなら、おれはやらないでほしいんだ。それが君にとって大切なことなら、どんなに大変だろうがよろこんでやり抜くつもりだ」
「あなたにとっても大切なことじゃない? わたしたち、何とかやっていけるかもしれない」
「もちろん、おれにとっても大切だ。だが、君さえいてくれたらいいんだ。ほかにはいらないんだ。それに、まったく簡単なことだっていうこともわかってる」
「そうね。あなたはまったく簡単なことだってわかってるのね」
「なんと言われようと、わかっていることには変わりない」
「あのね、お願いがあるの」
「君のためなら、何だってするさ」
「お願いよ、お願い、お願い、お願いお願いお願いお願い。しゃべるのをやめて」
彼は口を閉じ、駅の壁ぎわに並べたカバンを見た。カバンにはいくつもステッカーが貼ってあったが、それはどれもふたりがいくつもの夜を過ごしたホテルのものだった。
「やっぱり君にはそんなことはさせられない」彼は言った。「そんなこと、もういいんだ」
「わめくわよ」娘が言った。
女がすだれをくぐって出てくると、ビールの入ったグラスを水を吸ったフェルトのコースターの上に、それぞれのせた。「あと五分で汽車が来ますよ」と女が言った。
「このひと、なんて言ってるの」娘が尋ねた。
「あと五分で汽車が来るってさ」
娘は晴れ晴れとした笑顔で、女に向かって、ありがとう、と言った。
「反対側のホームにカバンを運んだほうがいいな」男が言い、娘はにっこりと笑いかけた。
「わかったわ。そのあとでこっちに戻って、ビールを飲んじゃいましょう」
男は重たいカバンを両手にさげ、駅をまわって線路の反対側へ運んだ。線路を見渡しても、電車の姿はない。戻るとき、酒場のなかを抜けていったが、汽車を待つ人々が酒を飲んでいた。男はそこでアニスを一杯飲み、人々を眺めた。みんな静かに汽車を待っている。彼はすだれをくぐって外へ出た。娘はテーブルの席に腰かけたまま、彼に笑いかけた。
「気分は良くなった?」
「大丈夫よ」娘は答えた。「気分なんてちっとも悪くない。わたしは大丈夫よ」
「そうするのがいちばんいいんじゃないか。でも、きみがほんとうはそうしたくないんなら、やってほしくない」
「もしわたしがそれをやったらあなたは幸せになるし、なにもかも前みたいになるし、そうしてわたしのことは、好きでいてくれる?」
「いまだって好きさ。君だってぼくが君のことを好きなのはわかってるだろ?」
「わかってるわ。だけど、それをしたら、また前みたいにいい感じでいられて、もしわたしが何かを白い象みたいだ、って言っても、気に入ってくれる?」
「気に入るさ。いまだって大好きだけど、そういうことを考える気分じゃないんだよ。心配になってくるとおれがどういうふうになるか、知ってるだろう」
「わたしがそれをしたら、あなたはもう心配じゃなくなる?」
「そのことなら心配してない。おっそろしく簡単なことなんだから」
「じゃ、することにした。わたしがどうなったっていいんだもの」
「どういうことだい?」
「自分のことなんて気にしてないの」
「ぼくは気にしてる」
「あら、そうよね。だけど、わたしは自分がどうなったって気にしやしない。だからすることにしたし、そしたら何もかもうまくいくんですものね」
「そんなふうに思ってるんだったら、やる必要はない」
娘は立ち上がると、駅の端まで歩いていった。駅の向こうは麦畑が広がり、エブロ川の土手には木立が続く。川を越え、はるか彼方には山並みがあった。雲の影が麦畑を横切り、娘は木の間から川を眺めた。
「わたしたち、これを全部自分のものにできるのに。全部わたしたちのものにすることだってできるのに、わたしたちときたら、毎日毎日手の届かないものにしてしまってるのね」
「なんだって?」
「なにもかも、わたしたちのものにできるのに、って言ったの」
「なんでもおれたちのものにできるよ」
「そんなことむりよ」
「世界全部をおれたちのものにすることだってできるさ」
「いいえ、できない」
「どこにだって行ける」
「行けないわ。もうわたしたちのものじゃないもの」
「おれたちのものさ」
「そんなことない。一度、手放してしまったら、もう二度と取りもどすことはできないのよ」
「まだ手放してしまったわけじゃない」
「成り行きを見守るしかないのね」
「日陰に戻って来いよ」男が言った。「そんなふうに思っちゃいけない」
「どんなふうにも思ってなんかないわ」娘が言った。「ただ、いろんなことがわかってるだけ」
「君がいやならやってほしくないんだ……」
「わたしのためにならないこともね?」娘は言った。「わかってるわ。ビール、もう一杯飲まない?」
「よし。だけど君はわきまえておかなきゃ……」
「わきまえてるわよ」娘は言った。「もう話はやめましょう」
ふたりはすわってテーブルにつき、娘は谷の乾いた側の向こうに広がる山並みに目を遣り、男は娘を見、それからテーブルに目を落とした。
「わかってくれなくちゃ」彼は言った。「君がいやなら、おれはやらないでほしいんだ。それが君にとって大切なことなら、どんなに大変だろうがよろこんでやり抜くつもりだ」
「あなたにとっても大切なことじゃない? わたしたち、何とかやっていけるかもしれない」
「もちろん、おれにとっても大切だ。だが、君さえいてくれたらいいんだ。ほかにはいらないんだ。それに、まったく簡単なことだっていうこともわかってる」
「そうね。あなたはまったく簡単なことだってわかってるのね」
「なんと言われようと、わかっていることには変わりない」
「あのね、お願いがあるの」
「君のためなら、何だってするさ」
「お願いよ、お願い、お願い、お願いお願いお願いお願い。しゃべるのをやめて」
彼は口を閉じ、駅の壁ぎわに並べたカバンを見た。カバンにはいくつもステッカーが貼ってあったが、それはどれもふたりがいくつもの夜を過ごしたホテルのものだった。
「やっぱり君にはそんなことはさせられない」彼は言った。「そんなこと、もういいんだ」
「わめくわよ」娘が言った。
女がすだれをくぐって出てくると、ビールの入ったグラスを水を吸ったフェルトのコースターの上に、それぞれのせた。「あと五分で汽車が来ますよ」と女が言った。
「このひと、なんて言ってるの」娘が尋ねた。
「あと五分で汽車が来るってさ」
娘は晴れ晴れとした笑顔で、女に向かって、ありがとう、と言った。
「反対側のホームにカバンを運んだほうがいいな」男が言い、娘はにっこりと笑いかけた。
「わかったわ。そのあとでこっちに戻って、ビールを飲んじゃいましょう」
男は重たいカバンを両手にさげ、駅をまわって線路の反対側へ運んだ。線路を見渡しても、電車の姿はない。戻るとき、酒場のなかを抜けていったが、汽車を待つ人々が酒を飲んでいた。男はそこでアニスを一杯飲み、人々を眺めた。みんな静かに汽車を待っている。彼はすだれをくぐって外へ出た。娘はテーブルの席に腰かけたまま、彼に笑いかけた。
「気分は良くなった?」
「大丈夫よ」娘は答えた。「気分なんてちっとも悪くない。わたしは大丈夫よ」
The End
漸く なにが 言いたいのか
分かりました
今まで どの 翻訳みても
分かり難かった ので
助かりました