陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

明治19年の負けず嫌い

2011-06-30 23:54:10 | weblog
ときどき、反論というのは、どこまで効果があるものなのだろうか、と思うことがある。

自分と意見を異にする相手に対して、真っ向から論争を挑むとする。あなたの言うことはここがおかしい、ここが誤っている。そうやって理路整然と話をしていけば、果たして相手はわかってくれるものだろうか。

相手が自分と異なる意見を持つに至った背景というのも、当然あるわけで、そこから論理的に導かれた結論であったりすると、相手も当然、自分の反論に対して、反・反論を言ってくるだろう。そもそも意見の拠って立つところがちがうのだから、それを摺り合わせていくしかないのに、互いに相手を論破しようとして、結局、泥仕合という見苦しい結果に陥ってしまうことになる。

そうではなくて、相手の意見をもっともだと思いながら、反論しないではいられない場合もある。そんなケースとしてわたしが思い出すのが、鴎外のこんなエピソードだ。


鴎外の『独逸日記』(森鴎外全集13 ちくま文庫)の中にこんなエピソードがある。原文は格調高い明治文語文なので、ちょっと慣れない人には読みにくいと思うので、わたしの格調低い大意要約で書いていく。興味のある方はぜひ原文に当たってください。

明治19年3月6日。
鴎外はドイツにいる。ドレスデンで地学協会が開かれた。その式場で、ナウマンが演説を始めたのである。
日本の文化はずいぶん開けてきたが、これは日本人自身が進取の気性を現したものではなく、外国人によって迫られ、やむなくそうなったのである、と言った。そうしてその演説の締めくくりに、「現在」の日本を象徴するエピソードとして、こんな笑い話を紹介したのである。

ある時日本人が一隻の汽船を買った。新しく航海術を学んだ日本人は、得意満面で外洋に出ていった。数ヶ月後、帰ってきたのだが、実は機関士は船を動かすことは知っていても、停止させることができなかったのだ。そこで近海をさまよって、船が自然停止するのを待つほかなかった。日本人の技術はたいていこんなものだ、だから早くこんな欠点から抜け出してほしい……。

鴎外はこれを聞いて憤懣やる方ないのだが、式場の演説なので反論するわけにもいかない。親しいドイツ人も、せっかくナウマンが、日本の文化がこれから開けることを望む、と言ってくれているのに、いったい何の不満があるのだ、とわかってくれない。やがて会食が始まったのだが、鴎外は飲んでも食べても一向に味がしない。

そこへ、ドイツ婦人をめぐる話やら幸福を願う万歳やらが始まり、その流れでナウマンがふたたび話を始めた。自分は長く東洋にいたが、仏教には染まらなかった、というのも、仏が、女子には心がないから、仏にはなれないと言うからである。自分はそれをどうしても信じられなかったから、仏教徒にはならなかった。

それを聞いた鴎外は、チャンスとばかり立ち上がる(まあ正確にいうと、ちゃんと発言の許可を求めたりはしているのだが)。酒の席の冗談なら反論してもかまわないだろう、と思ったのだ。

鴎外はドイツ語で話し始める。自分は仏教徒である。そうして、経典のなかには女子が仏になった例がたくさん書いてある。仏とはなにか。それは悟りを開いた者である。女子もまた悟りを開いた以上、どうして心がないといえようか。仏教徒が女性を尊敬することが、キリスト教徒に劣るものではないことをわかっていただきたい、と。

すると席上の女性たちは鴎外の演説におおいに感謝し、さらにドイツ人の友人は、鴎外の発言はナウマンの議論が、信用できないという印象を、会場の全員に植え付けるのに成功した、日本に対する罪を巧みに晴らしたのだ、ナウマンの演説すべてに反論したのと同じことだ、と言ってくれた。

ここでその日の日記は終わるのだが、この後、鴎外はナウマンに対して公開論争を挑むことになる。ともかく、ここでは鴎外-ナウマン論争について書きたいわけではないので、またの機会に譲る。ここでは、この地学協会での話に限る。

まず、ナウマンの講演の趣旨ははっきりしている。
・日本人は進取の気性から開化を行ったのではない。
・外圧によるものだった。
・自発的なものではないゆえに、汽船の機関士のエピソードに見られるように、格好だけ大人のまねをするような、幼稚なものに終わっている。
・私は日本がこのような状態から脱却することを願っている。
というものだ。ちょうど漱石が講演の中で日本の開化が「外発的」と指摘していることと、ほぼ同じことを言っている。

漱石が感じていたことを、鴎外は果たして感じていなかったのか。そうではあるまい。まさに鴎外が感じていたことを指摘されたのだ。

しかも、自分は外国にいる。日本人代表として、そこにいるわけである。ナウマンの発言が根本において正しいものであるがゆえに、鴎外の懊悩は深かったはずだ。おそらく鴎外がその場で反論しなかったのは、もちろん場の性格もあっただろうが、それ以上にそれに対して反論できるような意見を鴎外がそのときはまだ持っていなかったのだろう。

だが、日本人として、これをそのままにしておくわけにはいかない。一矢報いなければ、と、鴎外はその機会をうかがっていたのにちがいない。

そこでナウマンが仏教の話を始めた。鴎外は「余は之を聞きて驚き且つ喜びたり」と書いているが、まさにその瞬間の鴎外の「しめたっ」といわんばかりの顔が思い浮かぶ。

だが、ナウマンは別に仏教について、あれやこれや論評したかったわけではない。ひけらかすほどの知識があったわけでもない。単にナウマンは、自分は女性を尊敬しているのですよ、と、その場にいるご婦人方におべんちゃらを言いたかっただけだ。

それに対して鴎外は、どう反論したか。
ナウマンの「ご婦人方に心がないとは信じられない(から仏教徒になれなかった)」という消極的肯定に対して、「ご婦人方には心がある(と仏教は言っている)」と積極的に認め、いっそうの賛美をし、同時に言外に「ナウマンの日本に対する知識というのは、生かじりのものだ」と言ってのけたのである。

さて、鴎外は、自分のこの発言で、ナウマンの演説そのものの信憑性をも揺るがせた、と自画自賛しているのだが、実際のところどうだったのだろう。

確かに言い争いのなかで、こういう反論の仕方というのはある。相手の意見に正面から反論するのではなく、第三者に向かって、「こんないい加減なやつなんですよ、そんなことを言うやつの意見が正しいでしょうか」と言ってみせるやりかただ。一種の人格攻撃とも言える。以前、「漢字が読めない首相」というニュースがひとしきり紙面をにぎわせたことがあったけれど、まさにその記事がやろうとしていたのはそういうことだろう。

そうして、そんな攻撃が現実にどこまで有効だったのだろう。
確かにその場で鴎外の発言は賞賛された。けれども、それは日本人がドイツ語で、当意即妙に切り返し、しかもその場にいたドイツ人女性を当のドイツ人よりも巧みに賞賛したことに対する評価だったのではあるまいか。鴎外は「余の快知る可し」と書いているのだが。

もっとも、鴎外が後日、直接公開論争を挑んだことを見ても明らかなように、鴎外自身、そんな切り返しでは不十分だと思ったのだろうが。
明治19年といえば、鴎外24歳である。外国で日本を背負って懸命に生きている青年であることを思うと、その肩肘の張り具合もほほえましくはある。



占いの話

2011-06-28 23:30:50 | weblog
いまさらではなあるのだが、血液型占いの話。
世間的には「血液型占い」に対する批判もかなり一般的になっているような気もするのだが、未だに「血液型」を聞かれる機会はなくならない、というか、新しく知り合った人からは、結構な確率で、何型かと聞かれる。そのたびに「RH+、MN型」と答えたくなるのだが、無用に波を立てることになりそうなので、結局「A型です」と答える。なんだか「血液型性格診断」の「A型」の項目に書いてあることを裏付けるような対応だなあ、と思いながら。

結局のところ血液型占いがなくならないのは、たった四種類しかないからだろう。四種類ならそれぞれの型がどんな「性格」か、わかりやすい。A型なら几帳面、B型なら……といった具合に、聞いた相手の性格の見当をつけるのも簡単だ。なにしろ星座は12種類もあるから、せっかく答えてもらっても、ピンと来ないかもしれない。

反面、そんな荒っぽい分類で、ほんとにいいの? という気もする。A型といっても、みんなが同じ性格をしているはずがない。だが、「あなたは何型?」と聞く人は、そんな細かなちがいなど求めているわけではないのだろう。「几帳面」とか「おおざっぱ」とか「親分肌」とかという粗雑なレッテルを聞いて、そうそう、あの人って几帳面だったわ、と納得できればそれで十分なのだろう。

ところでおもしろいと思うのは、そもそも「血液型占い」でも「星占い」でも、動物占いや家電占いでもなんでもいいのだが、そういう占いは、そもそもが現実に生きる人びとの性格のうちの共通項を取り出して、「×型の性格」「△型の性格」「……」と分類されてきたはずだ。

ところがわたしたちは、あらかじめ決められている「×型の性格」を見て、自分なり、血液型を聞いた人なりに当てはめて、「当たっている」と思う。ここでは因果関係が逆転している。

「あの人があんなに細かいのは、A型だからだ」
「あの人があんなに自己主張が激しいのは獅子座だからだ」

「占い」がまだ起こっていないことを予想するものだとしたら、果たしてこれは「占い」と呼べるものなのだろうか。いずれにせよ、行為はすでになされてしまっている。結果が出ているのに、わたしたちは何を求めているのだろうか。

わたしたちの求めているのは、自分や他人の行為、それ事態はバラバラで偶発的な行為を結んで、統一的な説明ができるような物語なのである。

身近な人の言動に振り回されたとする。相手の行為の意味がわからない。なぜそんなことをするのだろう?

「あの人は言うことがころころ変わる。あの人があんなに気まぐれなのは、AB型だからだ。」

「言うことがころころ変わる」のは、その人が事態を部分的にしか把握しておらず、場当たり的な対応しか取れていないのかもしれず、ほかの場面では首尾一貫した態度なのかもしれないのだが、とりあえず「AB型だからだ」という説明で納得しようと思えばできるのである。だからこそ、血液型占いがここまでもてはやされるのだろう。

ただ、これが問題になるのは、「血液型占いに基づく性格」「星占いに基づく性格」など、その参考文献に基づく説明がそのまま受け入れられ、人間の側が逆にそれに当てはめて解釈されてしまうときだ。

『ノストラダムスの大予言』というのは、いまとなっては笑い話のようなものだが、わたしが小学生ぐらいのときも結構はやって、1999年に人類が滅亡する、と大まじめに言っている子たちもいた。そういう子に本を見せてもらったのだが、その本には、この歴史的事件も予言した、あの事件もこんなふうに言っている……と事細かに書いていた。

なんだかいやにむずかしい、曖昧で詩的な、どういうふうにも取れそうな言い回しである。どうみても現実に起こった出来事の方を、むりやり当てはめているようにしか思えなかった。だが、何のためにそんな「コジツケ」をやっているかというと、「あれもこれも当たっている、だから「1999年の7の月」の人類滅亡も当たるのだ、と言いたいがためらしかった。

もちろん、そんなことは起こらなかったのは周知の通りだが、同じことをわたしたちは日常的にやっているのではないか。B型の子だから、協調性に欠けるだろう、とか、職場で几帳面な仕事ぶりの人がA型だと聞いて、ああ、やっぱり、と思い、A型だから、ということで「気配り上手」を期待してしまう……とかというふうに。

出来事は、起こったあとでしか説明できない。行為の意味は、結果が出てしまってからしか明らかにならない。しかも、その意味は途中の結果が解釈されなおすごとに変わっていく。

ただ、わたしが言いたいのは、だから占いは無意味だとか、誤っているとかということではないのだ。

すべての出来事は偶然にゆだねられている、先を見通すことはできない、一瞬先は闇……それが事実だとしたら、わたしたちは恐ろしくて何もできなくなってしまう。朝起きて、外へ出ていくこともできなくなってしまう。

偶然に支配されているのだとしたら、自分が懸命に取り組んできた仕事もまったく意味をなさなくなるかもしれない。そう思うと、何もする気になれなくなってしまう。

けれども「今日は双子座の人は良いことが起こる」という朝の占いは、わたしたちの背中を押してくれる。「ラッキーなこと」は、世界は昨日までと同じように、秩序をもって回っていくという保証なのかもしれない。

そんなふうに考えていくと、人が前を向いて生きていこうとするかぎり、「占い」はなくならないのだろう。

サイト更新しました

2011-06-27 22:54:01 | weblog
サイトにサキの短編の翻訳をアップしました。いや、もうね、空いた時間にちょこちょこやっていたので、おっそろしく日数がかかってしまいました。
だけど、なかなかおもしろいと思います。読みにくかったら、それはひとえにわたしの責任です。
またお時間のあるときにでも、のぞいてみてください。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

自分のノート・パソコンを新しくしたんです。そしたら、画面のサイズが以前のA4版から横長に変わって。テキストもべろんと横に伸びて、ずいぶん読みにくかったので、少し体裁を変えてみました。みなさんのごらんになっているパソコンではどのように見えるでしょうか。前の方が良かった、いまの方が読みやすい、などありましたら、どうかお知らせください。

またこちらもぼちぼち再開していきたいと思いますので、なにとぞおつきあいのほどを。

ではでは。

カート・ヴォネガット「才能のない子供」最終回

2011-06-09 23:41:14 | 翻訳
最終回




 ちょうどそのとき、使いの生徒が電報を先生に手渡した。ヘルムホルツ先生が封を破ると、そこにはこうあった。

 「どらむウレタ/ダイシャニノッタ ラクダノハクセイハ イカガ」

 錆びたちょうつがいをきしらせながら、木製の扉が開いた。身の引き締まるような秋の突風が、木の葉と一緒にバンドに吹きつけた。プラマーが広い扉の前に、息をあえがせ、汗をしたたらせながら立っている、中秋の名月のようなドラムを体にゆわえつけて!

「今日はチャレンジの日ではないことは知ってます」とプラマーは言った。「でも、今日ばっかりは例外を認めてもらえるんじゃないかと思って」

 威厳とともにプラマーが部屋に入ってきた。巨大な楽器がガラガラと音を立てながら、彼の後からついてくる。

 ヘルムホルツ先生は駆け寄っていった。プラマーの右手を両手でしっかりと握る。「プラマー、我が校のために君が買い取ってくれたのか。すばらしい子だなあ。君が立て替えてくれたぶんは、いくらだったとしても全額わたしが支払うから」と叫び、喜びのあまりに急いでこう付け加えた。「もちろん君にはちょっとしたお礼もさせてもらうよ。でかしたぞ!」

「あのですね」プラマーは言った。「これはぼくが卒業したときに、お譲りしますよ。ぼくの願いはたったひとつ。ぼくがこの学校にいる間は、Aバンドでこれを叩くことです」

「だがな、プラマー。君はドラムのことは何一つ知らんだろう」

「必死で練習します」プラマーはそう言うと、チューバとトロンボーンのあいだの通路を、パーカッションの位置まで後ろ向きにドラムを引っ張っていった。驚いたメンバーたちは、あわてて場所を空けていく。

「おいおい、一息つこうじゃないか」ヘルムホルツ先生は、プラマーが冗談を言いでもしたかのように笑いながら言ったが、もちろんそうではないことは十二分にわきまえていた。「ドラムというのはな、気まぐれに叩いていいってわけにはいかないんだ。ドラマーになろうと思えば何年もかかる」

「なるほど」とプラマーは言った。「じゃ、始めるのは早ければ早いほどぼくも上手になれるんですね」

「わたしが言いたいのはだね、おそらく君がAバンドに加わるまでには、もう少し練習時間が必要だろうってことなんだ」

 後ろに曳いていくプラマーの足が止まった。「どれくらいですか」

「三年の半ばぐらいかなあ。君の態勢が整うまで、君のドラムはブラスバンドに使わせてくれてもいいしね」

 ヘルムホルツ先生の皮膚は、プラマーの冷たい凝視に遭って、ムズムズし始めた。ずいぶんたってから、「地獄が凍りつくまで、ってことですか」とプラマーは言った。

 ヘルムホルツ先生はため息をついた。「そんなところかな」と言って、やれやれ、とばかりに頭を振った。「昨日の午後、わたしが言いたかったのはそういうことなんだよ。何でもかんでもうまくこなせる人間なんて、いないんだ。だれもが自分の限界に向き合わなくてはならなくなる。君はいい子だよ、プラマー君。だが、君には音楽は無理だ。百万年かかってもね。となるとやるべきことはたったひとつ。わたしたちの誰もが、いろんな場面でやらなきゃいけないことだ。にっこり笑ってこう言う。『まあ、よくあることではあるんだが、こいつはオレには向いてないんだな』って」

 涙がみるみるプラマーの目にあふれてきた。のろのろと戸口の方へ歩いていき、ドラムがずるずるとその後をついていく。敷居のところで脚を止め、自分には決して席が用意されないAバンドに向かって、物言いたげなまなざしを投げた。弱々しい笑顔を浮かべ、肩をすくめる。

「二メートル半のドラムを持っている人間もいれば持ってない人間もいる。それが人生ってもんですよね。あなたはいい人だ、ヘルムホルツ先生。だけどあなたにはこのドラム、百万年たっても手に入れることはできませんよ。だってぼくはこいつをぼくの母親にあげて、コーヒーテーブルとして使ってもらうんですから」

「プラマー!」ヘルムホルツ先生は悲鳴を上げた。哀れな声をかきけしながら、小柄な持ち主のあとをついていくかのように大きな太鼓が、校内のコンクリート敷きの私道をごろごろと引きずられていった。

 ヘルムホルツ先生はプラマーを追って走った。プラマーと彼のドラムは交差点で信号待ちのために止まった。先生はそこで追いついて、プラマーの腕をつかまえた。「わたしたちにはそのドラムが必要なんだ」息を切らしながらそう言った。「いくら出せばいい?」

「にっこり笑って」プラマーが言った。「肩をすくめて。ぼくはやりましたよ」プラマーはもう一度やってみせた。「ね? ぼくはAバンドには入れないし、先生はドラムが手に入らない。誰が気にします? これもみな、成長のひとつのステップなんですよね」

「それとこれとは話がちがうんだ!」ヘルムホルツ先生は言った。「まったくちがう!」

「先生の言うとおりですね」プラマーが言った。「ぼくは成長した。だけどあなたはちがう」

 信号が変わって、プラマーはぼうぜんとしているヘルムホルツ先生を交差点に残したまま渡っていった。

 ヘルムホルツ先生はふたたびプラマーの後を追いかけていかなければならない羽目になった。「プラマー」と相手をなだめるような声を出した。「君は絶対にうまくたたけるようにはならないんだがな」

「言いたきゃいつまででもどうぞ」プラマーは言った。

「だが、君のドラムを引いていく姿は見事なものだ」

「どうぞどうぞいつまででも」プラマーは繰り返した。

「いやいや、そんなことを言ってるんじゃないんだ」ヘルムホルツ先生は言った。「全然ちがう。もしブラスバンドにそのドラムが加わったら、それを引っ張る団員は、首席クラリネット奏者と同じくらい、重要で大切なAバンドのメンバーだ。ドラムが倒れでもしたらどうなる?」

「もし倒さずに進ませれば、Aのロゴがもらえるんですか?」プラマーは言った。ヘルムホルツ先生はその問いに答えた。

「そうしちゃいけない理由はないだろう?」




The End



(※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに)



カート・ヴォネガット「才能のない子供」その7.

2011-06-07 23:16:18 | 翻訳
その7.


 期せずしてよいニュースを聞いたものだ。プラマーの音楽の経歴に、ついに「終了」という光明が見えてきたのだから。そこで楽隊長はもうひとつ吉報を手に入れようと、「聖堂の崇高なる出納係」の家に電話をかけてみた。こんどは先方にかかったが、残念ながら相手は支部の仕事で、ついいましがた出かけたらしかった。

 もう何年ものあいだ、ヘルムホルツ先生はCバンドの練習にでるときは、何とかして愛想よくしようと努め、ぬかりなく振る舞ってきた。ところがカンダハール騎士会(※「騎士会」というのはアメリカの秘密慈善事業団でさまざまなものがある。もちろん「カンダハール」は架空のもの)のバス・ドラムについて、実りのない探索を続けた翌日は、彼の防御力も低下し、そこへ不愉快極まる音楽が、彼の魂の奥底に突き刺さったのである。
「ダメだ、ダメ、ダメ!」先生は苦痛のあまり悲鳴を上げた。そうして指揮棒をレンガの壁に投げつけたのである。

弾力のある指揮棒は、レンガに当たって跳ね返り、主のいない折り畳み椅子の上に落ちた。クラリネット隊の末席のプラマーの座席である。ヘルムホルツ先生は指揮棒を拾いながら、その空席が象徴するものに対して、予想もしなかったほどの衝撃を受けていた。たとえ才能がなかったとしても、この楽隊のしんがりの席をプラマーほどしっかりと務めることのできる人物は存在しないのだ。ヘルムホルツ先生が顔を上げると、ブラスバンドのメンバーの多くも同じようにその椅子を見つめているのがわかった。彼らもまた、何かしら偉大な、夢のようなものが消えて、そのせいで人生が少しばかり退屈になったと感じているらしい。

 Cバンドの練習が終わってBバンドの練習が始まるまでの十分の間に、ヘルムホルツ先生は自分の部屋へ戻って、再度カンダハール騎士会に電話をかけて、「聖堂の崇高なる出納係」と話をしようと試みた。だが、なんという不運だろう。「いまどこへいるかはわかりません」という言葉がヘルムホルツ先生の耳元で聞こえてきた。「ほんのいまさっきまでここにいたのですが、他出したようです。お名前はすでに伝えてありますので、時間が空き次第、折り返し電話することと思います。ドラムの方ですね?」「そのとおり、ドラムの人間です」

 ホールのブザーがつぎの時限の開始を告げた。ヘルムホルツ先生は「聖堂の崇高なる出納係」をつかまえて、交渉を終えるまで電話を離れたくなかったのだが、Bバンドが待っていた――そのあとにはAバンドが。

 不意にひらめくものがあった。先生はウェスタン・ユニオン(※アメリカの通信会社)に電話をかけて、出納係に電報を打ったのだ。バス・ドラムに五十ドル払う用意がある、受取人払いで返信されたし、という内容である。
 
 だが、Bバンドの練習をしている間には、電報の返事はこなかった。Aバンドの練習の途中休憩になっても、まだこない。Aバンドの団員たちは鋭敏でたいそう神経質なので、指揮者が何かしらいらだっていることを即座に感じ取り、その結果演奏はひどいものとなった。ヘルムホルツ先生はマーチを途中で止めた。練習室の一角にある大きな二重扉を、誰かが外からゆすっているのだ。

「わかった、わかった。外が静かになるまで待とう。そしたらぼくらの演奏も聞こえるようになるさ」




(すいません、今日はまだ終わりません。明日に続きます)



カート・ヴォネガット「才能のない子供」その6.

2011-06-06 23:39:27 | 翻訳
その6.


「負けたのは直径二メートルのバスドラムのせいだ」

「じゃ、リンカーン高校もひとつ買って、どうなるかやってみたらいいのに」

「あれが手に入るなら、右手の一本や二本、くれてやる!」ヘルムホルツ先生は論点をすっかり忘れ、彼の心を占めていた夢想がよみがえった。

プラマーは敷居のところで歩を止めた。「それってカンダハール騎士団が行進のときに使うようなやつですか?」

「うまいこと言うな!」ヘルムホルツ先生はカンダハール騎士団の巨大なドラム、地元のパレードというパレードで見せびらかしているドラムが脳裏に浮かぶ。そのドラムにリンカーン高校のブラックパンサーが描かれているところを何とか想像してみようとした。「そのとおりだ!」
楽隊長が我に返ったときには、プラマーは自転車に飛び乗っていた。

 ヘルムホルツ先生はプラマーの背に向かって大声で呼んだ。呼び戻して、率直に言いたかった。君がCバンドから抜け出せる日は決してこないだろう。バンドの使命とは単にやかましく音を鳴らすだけでなく、ある特別な種類の音を出すのだということを君が理解できないあいだは。だが、プラマーははるか彼方に去っていた。


 何はともあれ、つぎのチャレンジの日までは解放されたヘルムホルツ先生は、腰を下ろして新聞を楽しむことにした。そこにはカンダハール騎士団の会計係であり、立派な市民でもある人物が、団体の基金を持ったまま行方不明となり、あとに騎士団の過去一年半の未払い請求書が残されたという。「わたしたちは、たとえ聖杖以外のものはすべて売り払うことになったとしても、一セント残らず支払うつもりでいます」と聖堂の崇高なる出納係は語ったという。

 ヘルムホルツ先生は関係者をひとりも知らなかったので、あくびをすると、漫画のページをめくった。そこで息をあえがせ、ふたたび一面に戻る。電話帳で番号を調べ、ダイヤルを回した。

プルルル……プルルル……プルルル……

話し中の信号音が耳元でこだまする。受話器を戻した。何百人もの人が、いまこの瞬間に、カンダハール騎士団の「聖堂の崇高なる出納係」となんとかして接触しようとしているにちがいない、という気がした。

 ペンキがはがれ落ちかけている天井を見上げ、先生は祈った。あの馬車で運ばれるバスドラムが、どうかまだ誰の手にも落ちていませんように。

 先生はふたたび、みたびダイヤルを回し、そのたびに話し中の音を聞いた。ポーチまで歩いて、自分の内に高まってくる緊張感をほぐそうとした。あのバスドラムを競り落とそうとするような人間は、おそらくおれだけだろう、と自分に言い聞かせる。こっちの言い値で手に入るにちがいない。ああ、そうだ! 五十ドル、とでも言えば、手に入るさ。ポケットマネーで払って、学校には三年もしたら払い戻させよう。そのころには電球つき羽根飾りの支払いも終わっている。

 デパートのサンタクロースのように高笑いをしながら、天から自宅の芝生に視線を落としたとき、プラマーがまだ配達していない夕刊の束が、植え込みの後ろにあるのを見つけた。

 部屋に戻ってもう一度、「聖堂の崇高なる出納係」に電話してみたが、結果は同じだった。そこでプラマーの家に、新聞を忘れているぞと伝えるために電話をかけた。だがこちらも同じく話し中だった。

 プラマーの家と「聖堂の崇高なる出納係」の番号を交互に回し、十五分ほどが過ぎたころ、やっと呼び出し音が鳴った。
「もしもし」ミセス・プラマーの声が聞こえてきた。
「ヘルムホルツです、プラマーさん。ウォルター君をお願いします」

「ついいましがたまでここにいたんです、電話してたんですよ、でも、急に鉄砲玉みたいに飛び出して行っちゃったんです」

「新聞を探しに行ったんでしょうかな? ウォルター君はうちのコデマリの茂みの下に夕刊を忘れているんですが」

「あらあら、あの子ったら。どうしましょう。あの子がどこへ行ったかなんてわかりませんわ。新聞のことなんて、一言も言ってませんでしたもの。だけど自分のクラリネットを売るとかどうとか言ってました」母親はため息をつき、それから笑った。「自分でお金を稼ぐようになると、ずいぶん独立心旺盛になるものなんですね。あの子はもう何も言ってくれないんです」

「とにかくウォルター君にはこう伝えてください。クラリネットを売ったのは、最善の方法だった、と。それから夕刊がうちにあることも」



(※ずいぶん間が開いてしまってごめんなさい。このところすごく忙しくて、こっちまで手が回らなかったんです。それがやっと終わったので、しばらくは更新に精を出します。まずはヴォネガット、明日最終回をお届けします)