陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

疲れてしまう人

2009-05-31 22:17:33 | weblog
以前、職場が同じだった人と久しぶりに顔を合わせた。一緒に仕事をしていた頃は、その人とこれから顔を会わさなければならないと思っただけで、頭の上に雨雲がたれこめてくるような気がしていた人だったから、駅のホームで、電車から降りてきたその人とばったり顔を合わせたときには、正直、やれやれと思ってしまった。

頭をひとつ下げてやり過ごそうとしたのだが、向こうは、久しぶり、元気だった? と呼び止める。そういえば、以前は相手のことをうっとうしがっている自分が後ろめたくて、必要以上に気を遣い、とかくもめごとを起こしやすいその人となるべく摩擦を起こさないように、慎重な口を利いていたことを思い出した。周囲から浮きがちだったその人からしてみれば、何かと気を遣ってくれるわたしは、心安くつきあえる人間のひとりだったのかもしれない。

電車は出たばかり、快速に乗るつもりでいたのだが、もうこうなればなんだっていい、つぎに来た電車に乗ることにして、あきらめてこちらも立ち止まった。

いきなり「どうしてるの、仕事はあるの」と聞いてくるから、「ええ、おかげさまで(誰のおかげにしても、あんたのおかげじゃないけどね、と胸の内で憎まれ口を叩きながら)なんとかやってます」と当たり障りのない返事をしたところ、いまどこにいるの、そこはどうなの、いくらぐらいもらってるの、契約期間は……と畳みかけるようにして聞いてくる。そのうち、数ヶ月ほど前に急逝した当時の職場の上司のことに話題は移って、急だったよねえ、やっぱりガンだったんでしょうね、あんなに身体を鍛えてたのにねえ、あはは、死んじゃったら何にもならないよねえ……と言い出したあたりで、ああ、相変わらずだ、ほんとにこういう人だった……と、うんざりしてしまった。

当時、わたしはその人と一緒にいると、不快になるだけでなく、すっかり疲れてしまって、なんでこんなに疲れてしまうのか不思議だった。自分が嫌いな人と一緒にいるから疲れるんだろうか、それとも疲れるから、この人のことが自分は嫌いなんだろうか、とよく考えたものだ。

逆に、一緒にいて楽しい人が相手だと、疲れるどころではない。会話することによって、楽しい時間が過ごせるだけでなく、気持ちはのびのびとし、言葉ははずみ、さまざまな刺激を受け、さらにはそのひとときが過ぎても、一緒に過ごした記憶が胸を暖めてくれる。相手の言葉を反芻するうちに、次第に自分の考えや行動を見直すことができるようになり、よしがんばろう、という気持ちにもなる。

そう考えると、まるでこちらのエネルギーを吸い取ってしまう人と、活力を与えてくれる太陽のような人の二種類がいるように思えてくる。事実、わたしも今日までどこかばくぜんとそんなふうに考えていたのだった。

ところが今日、久しぶりに話してみて気がついた。
わたしがその人と話をしていていつも疲れていたのは、自分が相手の話を聞きながら、きっといらいらさせるようなことを言うにちがいない、と、身構え、神経をすり減らしていたからだ。

確かにその人のものの見方・考え方は、わたしとはちがう。わたしはそんなふうに物事をとらえたりしないし、人の行動も、その人のように受けとったりはしない。けれども、その人のものの見方・考え方と自分のそれを、別に一致させる必要はないのだ。

その人の話を聞いて、わたしはよく憤慨したものだったが、別にその人の話を聞いたからといって、その人のような考え方をするようになったわけではない。わたし自身が損なわれたわけではない。損なわれたとすれば、その人が言ったことを、あとになってあんなことを言っていた、こんなことを言っていた、と振り返り、改めて自分をいやな気持ちにしていた自分自身だった。

話しながらそのことに気がついたわたしは、その人と話をして、初めて気持ちよく別れることができた。この人は、これからもこの人であり続けなければならない。けれど、わたしはこの人から離れることができる。電車が駅を出るころには、すっかり忘れることもできるのだ。そう思ったら、なんだかうれしくなってしまったのだった。

年功序列主義者

2009-05-29 23:11:55 | weblog
運動部に所属したことはないのだが、たまに「体育会系みたい」と言われることがある。昔から、それがたとえほんの一学年であっても、上の人に向かってはぞんざいな口が利けないのである。

おそらく「三つ子の魂百まで」で、やはり家で幼児期にたたき込まれたものなのだろう。どのように教えられたかははっきりと記憶にはないのだが、「親に向かってそんな口の利き方をして良いと思ってるの」などということはしょっちゅう言われた。近所の人や、親戚に向かっての挨拶の仕方も、口やかましく仕込まれたのだが、親が近くにいなくても、年長者に向けては敬語を使わずには話せなくなってしまっていることを、自分でもはっきりと意識するようになったのは、「先輩」という言葉を使うようになった中学以降だったろうか。

言葉遣いというのは、お互いの関係を決めることにもなるので、言葉を崩さないでいると、仕事の場面ではともかく、プライベートな場面では、どうしてもいくぶんは気を置いた、堅苦しい関係になってしまう。

部活動では、同じ女の子同士だと、ひとつふたつ上でも、同級生に相対したときと同じように話している子も少なくなかった。同年代の気の置けない相手に対してしゃべるような「だからさあ」「あのさあ」「だってそうじゃない?」とおしゃべりしているその横で、わたしは「××先輩、譜面台はどこにしまったらいいんでしょうか」と堅苦しい話し方をしていたのだった。「“××先輩”なんて呼ばないで、あたしのことはノッコって呼んで」と言われると、「ノッコ先輩」と呼んでいたような気がする。逆に、自分が上級生になって下級生から「タメ口」を利かれても、別に不快感は覚えず、逆に、その自由さがうらやましかった。

一度、こんな経験をした。
ある年の夏休み、毎日のように友だちと近所の公立図書館で勉強していた、というか、勉強はあまりしなかったのだが、図書館には通っていたのである。そこで、同じように毎日来ている他校の男子生徒から、ときどき声をかけられた。
「学校、どこ?」というのが、たいてい皮切りの文句で、ああ、それなら誰それを知ってる? 中学のとき一緒だったんだ……というのがお定まりの展開だった。

その日、わたしと友だちが書架のところで、本を見ながら雑談していたところへ、いつも自習室で勉強しているのとはちがう、ちょっと大人っぽい感じの男の子がやって来て、例の「学校、どこ?」という話を始めた。彼が「Aを知ってる?」と出した名前は、わたしたちより二学年上の、その年東大の医学部に現役で合格した、“ものすごく頭がいい”という評判が下級生にまで鳴り響いていた名前だった。

「同じ中学にいらっしゃったんですか」
とわたしが特に深い考えもなくたずねたところ、
「いらっしゃった、か」
と、相手は唇を歪め、いやな笑い方をしてわたしから眼を背けた。

わたしが敬語をつかったのは、単に相手が年長だからに過ぎなかったのだが、どうやら相手は「A」のおかげで自分の格まで上がったのか、と考えたらしかった。
それは誤解だ、そんなつもりはなかった、と言いたかったのだが、相手はそのまま向こうへ行ってしまった。誤解されるということは、どんな相手であっても気持ちが悪いことなのだと思った経験でもあった。

もしそのときに、「同じ中学だったんだ」とわたしが言っていたら、そこから話も続いていただろう。別に話したい相手でもなかったのだが、言葉遣いひとつで人を不快にさせてしまった経験は、自分にとって「痛い」経験だった。

だが、その後もやっぱりわたしは自分より学年が上の人に対しては、丁寧なしゃべり方をしてしまう。そうでないしゃべり方をしようとしても、気持ち悪くなってしまうのである。「わたしにそんな気を遣わなくていいよ」と相手から言われるようなときは、気を遣っているのではなくて、こういうしゃべり方しかできないんです、と、相手にもあきらめてもらうことにしている。


タリスマン

2009-05-27 22:36:29 | weblog
もしかしたら、以前にも書いたかもしれないのだが、ホラー短篇の「猿の手」に出てくる“猿の手”は「タリスマン」である。

talismanで辞書を引いてみると、「お守りや魔除け、まじない札」などという日本語が当てはめてあるけれど、かならずしもぴったりくるばかりではない。特に「猿の手」はどう考えてもお守りでもなければ、まじない札でもなく、逆にまがまがしい何ものかを呼び出す大変なものだから、絶対に該当しない。だから「猿の手」を訳したときは、「願い事をかなえるもの」のような日本語を当てた。

けれども、外国人に神社などでもらってきたお守りをプレゼントするときには、これは日本のタリスマンだ、と言えば大丈夫だ。信仰の、宗教の、というと、話はややこしくなるし、わたしたちの多くは信仰を持ってお守りをかばんにぶら下げているわけでもない。言ってみれば、海外旅行に行く前の“飛行機が落ちませんように”、受験前の“試験に合格できますように”といった、本人でさえどこまで信じているかは定かではないが、何となく持っていると気休めぐらいにはなるようなものだから、まさに“タリスマン”という言葉はふさわしいはずだ。

逆に言ってみれば世界のあらゆる国や地域で、大昔から人びとは何らかの“タリスマン”を持っていたのだ。猿の手ならぬウサギの脚をキーホルダーにして腰にぶらさげている外国人はめずらしくないし、小さな木ぎれをポケットに入れている人を見たこともある。

その人がポケットの何かを探すために、テーブルに中身を全部ぶちまけたのだ。小銭やら鍵やらに混ざって、なぜか一緒に木ぎれが出てきたのである。ありきたりの木の切れっ端である。ずいぶん持ち歩いているのが長いのか、手垢というのか、端が擦れ、変色し、てらてらと光っていた。
「これは?」と聞くと、「タリスマンだ」という。道で動物が轢かれていたりするような、何か見たくないようなものを見たときに、それにそっとふれて、災いが自分の身に及ぶのを避けようとするんだ、と教えてくれたのだが、その気持ちはとてもよくわかるように思った。

一日の終わり、服を着替えるときに、ポケットの中身をあける。そうして、つぎにまた外出するとき、鍵などと一緒に、その木ぎれはその人のポケットのなかに収まるのだろう。見たくないものを見たり、何かふと不安をかき立てられるような出来事があったりすれば、そっとそれにふれる。それでどうとなるわけでもないと頭ではわかっていても、ふれることで安心する習慣がその人の内にできていれば、精神状態はその習慣によって落ち着きを取りもどす。わたしたちの内に兆す不安感の多くは、実際、はっきりとした根拠や原因があるわけではないものがほとんどだから、何であってもかまわない。その人が自分とのあいだに何らかの引っかかりを感じ、それを繰りかえす内に結びつきは深まっていく。その人と共に不安な日々を乗り越えるたび、ありふれた木ぎれは「特別な力」を持っていくのだろう。

引っ越しというのは、「いつかは使うだろう」と取って置いた不要品の整理の機会でもある。だから荷造りの傍ら、そういう不要品をせっせと捨てていくことになる。そうなると、家のなかにふだん開けることもない引き出しや押入れがどれだけたくさんあるか、改めて思い知らされることになる。そうやって出てきた箱のなかから、古びたコインが出てきた。大学に行くために家を離れることになったとき、それまで英語を習いに行っていた先生が「タリスマン」として、わたしの守護聖人のコインをくれたのである。

しばらくのあいだ、ポケットに入れていたはずだ。まったく記憶にはないけれど、いつかの段階で、わたしはポケットから出したのだろう。そうやって箱のなかに細々としたものと一緒にしまい込まれ、わたしと共にあちこちを移動してきたのだ。

引っ越しをした記念に、わたしはそれをまた外に出してやった。いったいどこに入れておくか、その場所はまだ決めていないのだけれど、「タリスマン」として、また日々を共にしていこうと思っている。


プロバイダを変更したこともあって、なかなかインターネットに接続できなかったのですが、今日からまた再開します。
またよろしくお願いします。



自分に正直な人(※かなり大幅な補筆)

2009-05-22 23:20:38 | weblog
本棚の奥からマーガレット・ミラーの本が出てきた。他のはだいたいどんな話だったか記憶にあるのだが、『見知らぬ者の墓』だけはちっとも思い出せない。引っ越しの準備の合間合間に読み直してみたのだが、これがまたえらくおもしろい。

読んでいて、こんな一節に行き当たった。ここで言われている「ファニータ」というのは、ストーリーの鍵をにぎる女性なのだが、まあそんなことはどうでもいい。もめごとを行く先々で起こすような人だと思ってもらえればまちがいはないだろう。

「クリニックとしては最善を尽くした。それにもかかわらず功を奏さなかったのは、当の本人が、自分が問題児であることを頑として認めようとしないせいなのだ。手に負えない連中のご多分に漏れず、ファニータも、女なんてみんな大同小異で、自分が特異な存在に見えるのは、正直すぎて何事によらず率直に行動に移してしまうせいだと思い込もうとしていた(むろんわれわれにもそう思い込ませようとした)。正直で率直というのは、自己欺瞞を犯す連中が好んで使う科白だ。いいかい、よく憶えておきたまえよ、スティーヴ。自分は正直だ、正直だといやに声を大にして強調する相手に出会った場合には、現金箱を改めてみるにかぎる。誰かにいじられた形跡があっても驚くには当たらない」
マーガレット・ミラー『見知らぬ者の墓』
ここを読んだとき、ああ、この本だったか、と思い出した。
ちょうど、前にこの箇所を読んだとき(といっても十年以上前の話なのだが)、これはあの人にそっくりそのまま当てはまるなあ、と思ったのである。

当時、わたしは数人の友人たちと一緒に読書会を開いていた。地味なイギリスの小説を辞書を引き引き苦労しながら読んでいくので、次第に人数は減っていくし、そうなれば分担はすぐに回ってきて、負担も増える。自分の割り当てを、きちんと訳して来る人ばかりではなく、そうなるとその回はグダグダになってしまい、その人を責める人もでてくれば、能力の差を無視するわけにはいかない、と、責める人を責める人も出てくる。早い話が、志高く始まったその会も、ほどなく停滞の憂き目をみていたのである。

そんなとき、あるメンバーが「友だち」を連れてきた。積極的な人で、活発に発言するし、他の人が発言すると、打てば響くように意見を返す。その人のおかげで、一気に読書会は活気づいた。その人も、前に参加していたグループよりこちらの方がずっといい、と楽しそうだった。以前はもうちょっと規模の大きな、別の読書会に参加していたという。前のグループはそれはそれはひどかった、と、毎回のように手厳しい批判を浴びせ、へえ、そんなにひどいのか、端から見るとちゃんとやっているように見えてもわからないものだなあ、などと、わたしたちはそれを聞くたびいい気にもなっていたのではあるまいか。

だが、なにしろ読んでいるのは、ヴィクトリア朝の小説で、その屋敷の描写が延々と数ページに渡って続くような本なのである。何も起こらないまま、複雑な構文で、やたらまわりくどい描写が際限もなく続いていく。その人も、おそらく入会当初の熱が冷め、飽きたということもあったのだろう。やがてそこにいた男性メンバーにちょっかいを出し始めたのである。その男性にはガールフレンドがいたために、話は非常にややこしくなった。すったもんだがあったのだが、まあそれを書くことが眼目ではないので、ざっくりと割愛する。

「わたしは自分の気持ちには嘘はつきたくない」というのが彼女の口癖で、わたしとしてはよそでやってくれ、と言いたかった、というか、実際にそう言ったかもしれない。ともかく、常に自分の気持ちに正直な彼女のおかげで、ヴィクトリア朝の小説も全体の四分の一ほどで頓挫してしまい、読書会事態も非常に後味の悪い幕切れになってしまったのだった。

それからだいぶ経ったあと、彼女が前に参加していたグループの人に会う機会があって、たまたま彼女の話になった。なんと、そこでも同じような騒ぎを起こして、そちらでは出入り禁止になったらしかった。
「はあ~、そういう人だったんだ~」
「そうよ~、そういう人だったのよ~」
と、相手はため息混じりに苦笑をしていたのだった。
以来、わたしは「自分に正直」と声を大にする人を見ると、逃げ出す準備をしたくなるのである。

ところが、わたしたち自身が、ときに「自分は正直である」と言わなければならなくなる場面がある。誰かに自分のことをどうしても信じてほしい、と思うようなときである。
事実、マーガレット・ミラーのこの小説でも、この言葉を聞いた主人公の探偵は、
「ぼくは一般論は信じません。…ぼくもよく自分は正直だって強調します。事実いまだってそうだし」

と言う。実際、探偵という職業は、依頼人に対して「正直である」と言って、信頼してもらわなければどうしようもないだろう。

「自分に正直」という人は、周りの迷惑をかえりみない……という一般論が成り立つとしたら、「自分は正直である」という言明は、一般論には当てはまらないことをわたしたちは証明できるのだろうか。
もし証明できないとしたら、「自分は正直だ」と誰かに対して訴えることは、まったく無意味になってしまうのだろうか。

わたしたちの周囲には、自己言明に関するこうした一般論があふれかえるほどにある。

「自分を信じてくれ、という人間ほど、当てにならないものはない」
「神経質だと言う人間に限って、無神経なものだ」
「わたしにはコンプレックスなどないと言う人間ほど、実は根深いコンプレックスを抱えている」
「下心などないと言う人間は、決まって下心を隠しているものだ」

いくつかはわたしがいまデッチ上げたのだが(笑)、こういう言い方をすると、ああ、と当てはまる例をいくらでも思いつくことができるでしょう?

けれども、自分を信じてほしい、下心もなにもなく、いまの自分は誠心誠意そう思っているのだ、という局面が、現実にはかならず起こってくる。自分のいまの言葉も、そうした一般論に解消されてしまうかもしれない、と、半ば絶望的な気持ちになりながら、何とか「自分だけはほんとうにほんとうなのだ」と訴えたい場面である。

だが、結局のところ、言葉だけで言葉を否定することはできないのだ。
どれほどの言葉を費やしても、「自分を信じてくれ、という人間ほど、当てにならないものはない」と思っている相手に、自分の言葉を信頼させることは不可能だ。

けれど、わたしたちは、いま、その瞬間だけしかないわけではない。その人にはこれまでの過去がある。わたしたちは、過去のその人の行為を見て、その人のことを知っている。事実、ミラーの小説で、先の言葉を言った人物も、主人公の言葉を聞いて意見を変えるのである。
「…こういう仕事に携わっていると、どうもシニカルになりがちだ。それこそ枚挙にいとまがないほど約束がなされては破られ、期待を抱いては挫かれる――その結果、人間には逆のことを言う心理が働きがちだとする説をとかく信じるようになるのだ。つまり誰かがやってきて、自分は温和な正直者で単純にできていると言えば、さては底の知れない刺々しいぺてん師だと判定する嫌いがわたしにはあるのだよ、こういう判断は時と場合によっては実に危険で、回避しなければならない。いや、感謝するよ、スティーヴ、指摘してもらって」
その人の、それ以外の話しぶりや仕草、これまでにやってきたこと、そういう言葉は一般論よりもはるかに強力な例証となる。

そうしてもうひとつ。たとえその人が、仮にこれまではその言葉に反するような行動をしていたとしても、やはりその言葉を、いまは無理でも、信じてもらうことは可能であるように思う。

それは「これからを見てくれ」ということだ。現時点では証明できないが、「自分は正直である」という言葉が事実であるよう、自分はこれからその言葉に背かないように生きるつもりである、それを信じてくれ、と。

その人というのはいまだけでなく、過去を含めて「その人」としてみなされる。というか、いまの「その人」をかたちづくっているのは、その人の過去の一切だ。
けれども、同時にそれだけではない。時の流れのなかにいる人間には、「これから」がある。

いままで自分は何度も嘘をついてきた。これからだってつくかもしれない。けれども、あなたに対しては嘘をつきたくない。自分は「嘘をつかない」という自分の言葉に責任を負って、これからは生きていく。

そんな思いをこめた「自分は嘘はつかない」という言葉は、単に言葉ではなく、その人の「行為」であると言えるだろう。


(※明日からしばらく引っ越しのためお休みします。うまくいけば月曜日、再開します。ということで、それまでみなさまお元気で)

気がつけばフサフサ

2009-05-20 22:45:06 | weblog
以前、男性用カツラのコマーシャルで、ちょっとずつ髪の毛の量を増やしていき、気がつかないうちにフサフサになっている……というのがあったような気がする。それを見て、ウソだね、と思ったことを覚えているから。

たいていの人は、他人の頭の毛など、気をつけて見ているわけではない。おそらく「ちょっとずつ」の期間はまったく気がつきもせず、ある日突然、どーんと増えたことに気がついて、隣の同僚に「ねえねえ、課長、カツラだよね」と耳打ちして、こっそりふたりで笑うのである。

これは日が暮れるのと一緒だ。正午を回れば、日は少しずつ翳っていくのだが、そのことに気がつくまで、四~五時間かかる。やがて急に「こんなに暗くなってる!」と驚くのだ。

星にしてもそうだ。星はずっと天空にある。だが、太陽の出ている間は、日の光に邪魔されて見えない。だが、太陽が沈んでしまうと「宵の明星」が急に現れたような気がする。

わたしたちの目は、どうやら徐々に移り変わっていくものをとらえるのは、得意ではないらしい。移り変わって、移り変わって、ずっと気がつかずにいて、ある一点を過ぎて初めて「あっ」と驚くのだろう。

卒業したり、引っ越したり、生活がある時点を境に急に変わるような出来事を経験すると、わたしたちは悲しみや淋しさを感じてしまう。つまり、そういう出来事は、わたしたちが「当たり前」として、気がつかなくなっていた「日常性」がこわれるということなのだろう。それまでは日常茶飯の出来事として、なれっこになってしまい、それを経験しても眠り込んでしまっていた感覚は何も感じずにいた。ところが別離を経験することで、感覚は揺すぶられて目が覚めるのだろう。

目前にせまる別離は、入学とか、そこに入ってきたときのこととかを、否応なく呼び起こす。そのときの新鮮な気持ちや喜びが思い出され、いま現在の、何の感動もなくなった気持ちがつきあわされて、その濃淡の差に、わたしたちはとまどったり、驚いたり、寂しくなったりする。

毎日の決まり決まった動作に「慣れる」ということは、とても大切なことだ。車を運転していて、目の前に子供が走り出してきたときに、考えたり判断したりする前に身体が条件反射で動かなくては、大変なことになってしまう。条件反射を可能にするのも、その「慣れ」だろう。「慣れ」ていると、いちいち考えなくても、見なくても、聞かなくても、わたしたちはその行動を取ることができる。慣れることがなかったとしたら、わたしたちはおびただしい物事を見なければならず、聞き取らなければならず、判断しなければならない。それでは毎日が疲れて、つらくて大変だろう。

一方で、この「慣れ」は、いろんなものを見えなくし、聞こえなくしてしまう働きもある。わたしたちが実際に、見えているはずなのに見ていなかったり、聞こえているはずなのに聞いていなかったりすることがどれほどあることか。まるで、昼間の星を見ることができないように、そこにあるのにわたしたちの目は、それを決して拾い上げてはくれない。

だからこそ、わたしたちは、日常のなかにいくつもの刻み目をつけていき、去年と今年でその刻み目を比べたり、転換点を作って、住む場所を変えてみたりするのだろう。そうすることによって、日常に「めり」と「はり」を作るのだ。

ものごとにはすべて両面がある。この両面のどちらかを「えこひいき」することなく眺め、受け入れることができるようになるとき、人は大人になったと言えるのかもしれない。


カッコいいせりふ

2009-05-19 23:16:23 | weblog
(※引っ越し準備はここまで来ました。本文とは全然関係ありません)


映画でも小説でも、わたしが一番カッコいいと思うのは「当たり前のことをやっただけだ」というせりふである。

主人公が濡れ衣を着せられる。それまで親しかった人びともみんなそっぽを向き、あの人なら……と頼った先でも背を向けられる。まさに四面楚歌、村八分、後ろから石を投げつけるような人まで出てくるそんなとき、ふと立ち寄った店で、店主はふだんどおりの対応をしてくれる。ふだんどおりに物を買い、お金を払い、当然そのニュースは耳に入っているだろうに、ごくごく当たり前の対応を彼、もしくは彼女だけは取ってくれる。

そこで主人公は感激して、礼を言う。すると、店主はちょっとだけ面映ゆいような表情になって、わざとそっけなく「自分は当たり前のことをやっただけ」と言う。ああ、カッコイイなあ。わたしはいつもこういう場面にしびれてしまうのだ。

そういう人はたいてい脇役で、映画や小説のなかでもその場面以降は出てくることはない。だが、主人公を助けたことによって、店主が窮地に陥る可能性は低くはない。なんでそんなことをしたのかと周囲から責められたり、時には警察沙汰になることだってあるかもしれない。もちろん店主はそれもわかっていて、けれど、店に買い物客が来たら、誰であろうと「当たり前」に商売をする。自分の「当たり前」を貫くのである。

ときに、「当たり前」のことをすることが、ひどく困難になってしまうことがある。ある条件の下では、わたしたちは喜んで「当たり前」を振り捨てる。たとえば相手が「悪い人間」だったりした場合。

だが、相手が「悪い人間」なら、わたしたちは「非当たり前」、つまり、非常時的対応を取ってかまわないのだろうか。相手がひどいことをしてきた。そんな相手に、いつもと同じ対応なんて、取れるはずがない……。

だが、ほんとうに相手が「悪い人間」かどうか、わたしたちにどうしたらわかるのだろうか。

フォークナーの「乾いた九月」では、床屋に集まっていた人びとが、ウィル・メイズを許しておけない、と言い合って、はなはだたよりないうわさ話を元に、黒人青年を捕まえに行く、という話である。町の人びとはひたすら「正義感」に燃えて行動しているのである。自分たちの女(たとえそれが少々おかしくても)を守らなくては、私利私欲とは無縁の、秩序を維持しなければ、という崇高な使命感を抱いて、話の真偽を確かめることもなく、黒人に暴力をふるうのだ。

同じ彼らが、ウィル・メイズ、いや、黒人でさえなければ、諍いが起これば双方の言い分をつきあわせて、互いの人となりを見定め、証拠を確認した上で判断することを「当たり前」と認めるだろう。だが、その「当たり前」のことをしようと言った床屋のホークは、みんなから「黒ん坊贔屓め」とののしられ、最後には身に危険さえ及ぶのである。

この小説を読むわたしたちは、もうひとつ、当時の南部の白人男性の、白人女性を黒人に奪われるのではないか、という疑心暗鬼をリアルに感じ取ることはむずかしい。だから、つい、彼らを断罪し、おろかな行為をする人たちだ、と思うのだが、実際の出来事で、当事者となってしまえば、実のところ何もわからない。

何が正しいか、何が間違っているか、ということは、当事者であるわたしたちは、そのときには決してわからない。事態がすべて終わってしまって初めて、ああ、あのときにはこうした方が良かったんだ、ああすべきだったんだ、と振り返って見るだけだ。
だとしたら、「こうすべき」「こうするのが正しい」なんて、その渦中にいるときには言えないのではないか。

それでも何かの行動をしなければならないのだとしたら、「当たり前のこと」をやるしかないのだと思う。自分がふだんやっているとおりのこと。「当たり前のこと」というのは、自分がこれまでずっとやってきたことだし、これからもずっと続けていくことでもある。世の中というのは、おそらくずっと続けていくことでしか答えが出せないものだと思うのだ。だから、過度な犠牲は払えないし、批判という火の粉がふりかかってきたら、それは振り払わなければならないだろう。けれど、「当たり前」を曲げないというのは、なんというか、ものすごく大切な、主人公の英雄的な行為より、ずっと大切なことなんじゃないかと思うのだ。

インフルエンザの風景

2009-05-18 23:08:42 | weblog
※いま忙しくて、翻訳の時間が取れません。もう少し残っているんですが、引っ越しが落ち着いてから再開したいと思います。楽しみにしてくださってる方、ごめんなさい。


いよいよ今週末、引っ越しである。大物はずいぶん片づいたが、まだまだ本と資料関係が片づかなくて困っている。ところがこのインフルエンザ騒ぎ、無事引っ越しができるのだろうか、と別の心配要因が加わってきた。

わたしも昨日からマスクをかけているのだが、行き合う人がみなマスクをかけている異様な光景も、今日になればすっかり見なれたものになってしまった。それより驚いたのは、今日は窓を開けて作業をしていたのだが、周囲が異様に静まりかえっているのである。

こう静かになって改めて気がつくのは、わたしたちの日常というのは、さまざまな生活音に満ちているということだ。いまのわたしの部屋は地上から十数メートルのところにあるのだが、階下の音ばかりでなく、下を通っている人の話し声や車のエンジン音なども、意外な近さで聞こえてくる。ところが今日は、そうした音が一切消えてしまっているのである。わずかにいつもと同じなのは、近くの線路を走る電車の音のみ。だが、それもベランダからのぞくと、車内はがらがら、というか、人影がほとんどない。明け方の始発電車のように、昼間の、それも特急電車の車窓に人間の頭が映っていないのである。

学校が休みになって、子供たちも自宅待機のはずなのに、外で遊ぶ子供の姿もないし、声も聞こえてこない。ここまで人の気配が感じられないと、朝起きたら自分以外の人がいなくなってしまった…というSFにありがちな舞台設定を思い出してしまう。

学校の休校はとりあえず一週間ということになったらしい。だが、一週間経ったらどうなる、という見通しが立ったものではないだろう。それとも一週間、みんなが息を潜めていれば、感染も終息するのだろうか。

冬のインフルエンザなら、あの人はインフルエンザらしい、とか、このあいだまでインフルエンザだったんだ、とかという話も耳にしたが、今回は、実際には感染した人の話はニュースでしか聞かない。感染者も徐々に増えてはいても、爆発的に増える、というところまではいかない。
一週間が過ぎると、どういうことになっていくのだろうか。

いつまでも部屋で息を潜めていられるものなんだろうか。
何でも慣れるわたしたちは、いわゆる「弱毒性」ということで、怖れることにも疲れてくるかもしれない。そのうちこの状態にも徐々に慣れていくだろう。そうなると、普通のインフルエンザのように、「新型インフルエンザ」の影を感じつつ、なしくずしに生活が送られるようになっていくのだろうか。




フランク・オコナー「天才」その7

2009-05-17 22:35:47 | 翻訳
その7.

月の明るい11月の夜で、小さな家から漏れる明かりが、ユーナがぼくを送っていく帰り道を照らしていた。外に出たところでユーナは不意に立ち止まり、「ここで弟のジョン・ジョーが車に轢かれて死んじゃったの」と言った。

 その場所は特に変わったところもなく、執筆に役立ちそうな材料が手に入りそうにもない。

「その車はフォードだった? それともモリス?」ぼくはごく儀礼的に聞いてみた。

「そんなこと知らない」怒りを抑えた声でユーナは答えた。「ドネガンのとこの古い車よ。あいつら、自分の目の前だって見ちゃいない。年寄り連中が!」

「主が弟さんをお求めになったんだよ」ぼくはおざなりにそう言っておいた。

「そうかもしれないわね」ユーナもそう言ったが、あまり確信はなさそうだった。「ドネガンのじじい!――思い出すたび、殺してやりたくなる」

「君んちのお母さんに、もうひとり作ってもらえばいいよ」ぼくはなんとか力になろうとして言った。

「作るって何を?」ユーナはびっくりしている。

「君の弟だよ」ぼくは気負いこんで言った。「簡単なことなんだ、ほんとに。お母さんのおなかのなかにはエンジンがあってね、君んちのお父さんが、自分の起動ハンドルでそれを動かしてやりさえしたらいいんだよ」

「そんなのうそよ」ユーナはそう言うと、こみあげてくるくすくす笑いを抑えるように、手で口をおおった。「冗談でしょ? まさかお母さんにそんなこと言うなんて」

「だけどそれは本当なんだよ、ユーナ」ぼくはかたくなに言い張った。「たった九ヶ月しかかからないんだよ。来年の夏には、君には別の弟がいるよ」

「ばっかみたい!」ユーナはまたクスクス笑いの発作に襲われたらしい。「一体だれ? そんなこと、あんたに言ったの」

「ママだよ。君んちのお母さんはそんなこと教えてくれなかったの?」

「あら、うちのお母さんは、赤ちゃんは看護婦のデイリーさんのところで買ってくるんだって教えてくれたわ」そう言うと、また笑った。

「そんなこと、信じられないね」ぼくはできるかぎり重々しい調子でそう言った。

 だがほんとうは、またバカなことをしてしまった、という気がしていたのだ。いまにして思えば、ぼくだって一度たりとて母の説明を真に受けたことはなかったように思う。あまりに他愛のない話ではないか。なにしろ母は、女のしそうな勘違いなら、かならず自分もするようなひとなのだ。だがぼくは、生まれて初めて他人に良い印象を与えたいと願っていたところだったから、くやしくてたまらなかった。ドワイヤー家の人びとは、神父様になりたくないのなら、なんでも自分がなりたいものになっていいんだよ、とぼくを説得してくれていた。おかげでもう探検家すら、なるのはいやだった。探検家になってしまうと、長期間、妻や家族と離れていなければならないではないか。ぼくは作曲家になる心づもりをしていたし、作曲家以上になりたいものもなくなっていた。




(このつづきは「天才」で)



フランク・オコナー「天才」その6

2009-05-15 23:19:30 | 翻訳
その6.

 晩ご飯の時間になって家に戻ると、母はたいそう喜んだ。

「ほらね。学校へ上がったら、すぐにいい友だちが見つかるだろうと思ってた。もうそろそろだってね」

 ぼくもそれには同意見だったので、お天気さえ良ければ、三時になると学校の外でユーナを待つようになった。雨の日は、母がぼくを外に出してくれず、そのときはひどくつまらなかった。

 ある日、ぼくがそこで待っていると、ふたりの上級生が門の外に出てきた。

「あんたの彼女はまだ出て来ないよ、ラリー」ひとりがクスクス笑いながらそう言った。

「あら、ラリーに彼女がいるの?」もうひとりがさも驚いたように聞き返す。

「そうよ」最初の上級生が言った。「ユーナ・ドワイヤーがラリーの彼女なの。彼はユーナとつきあってるんだから。ね、ラリー?」

 ぼくは礼儀正しく、そうですと答えたが、内心はびっくりぎょうてんしていた。ユーナが果たして彼女といえるのか、考えたこともなかったのだ。そんな経験は初めてだったし、待っているだけのことが、そこまで大きなな意味を持つとは、想像すらしていなかった。いまにして思えば、その子たちの言葉も、まんざら見当はずれではなかったのだろう。なにしろ、ぼくの場合はいつもそんなふうに始まるのだから。女の子が口を閉じて、ぼくに好きなだけ話をさせてくれるだけで、ぼくはその子に夢中になるのだ。だが、そのときはまだ、自分のそうした傾向に気がついてはいなかった。

ぼくにわかっていたのは、誰かとつきあうということは、すなわち相手と結婚するということだった。ぼくはそれまでずっと、母と結婚するものと考えていた。ところがいまや、別の相手と結婚することになるかもしれないのだ。ぼくは喜ぶべきなのかどうか、判断がつかなかった。ちょうどサッカーの試合で、ふたりの選手が、互いに相手を押しのけることなくプレーできないことが明らかになったように。

 二、三週間ほどして、ぼくはユーナの家で開かれたパーティに出かけていった。そのころには、ドワイヤー家の人びとなら、自分の家族のように詳しく知るようになっていた。三姉妹はみんなぼくを好きになってくれたし、ドワイヤー夫人ときたら、ぼくを相手に話をやめることができないらしかった。もっとも天才というものは、みんなに愛されるものだと考えていたぼくにとっては、そのこともとりたてて不思議とは思えなかったが。ユーナが、みんなのために歌を歌ってほしいのよ、と前もって言ってくれたので、ぼくは準備をしておいた。その日ぼくはグレゴリオ聖歌の“クレド”を歌い、小さな女の子たちは笑っていたが、ドワイヤー夫人はいとおしげにぼくのことをじっと見つめていた。

「ラリー、あなた、大きくなったら神父様になるんでしょう?」とドワイヤー夫人が聞いた。

「ちがうと思います、ドワイヤーさん」ぼくははっきりそう言った。「ぼくはほんとうは作曲家になりたいんです。神父様は結婚できないでしょう? ぼくは結婚したいんです」

 その返事には、夫人はいささか驚いたようだった。ぼくは自分の将来の計画についてもっともっと話したかったのだが、子供たちがいちどきにしゃべりはじめた。ぼくは話始めるときはいつも、語らいがとぎれないように、前もって準備していたのだが、ドワイヤー家では話し始めると、とたんに話の腰を折られ、ちっとも集中できないのだ。おまけに子供たちがみんな大声でしゃべるので、ドワイヤー夫人は日ごろ穏やかな物腰のひとなのだが、子供たちと一緒になって、あるいは子供たちに向かって、負けじと大声を張り上げる。最初のうち、ぼくは肝をつぶしたが、じきにぼくに対して悪気があるわけではないことがわかった。パーティが終わるころには、ぼくもソファの上で飛んだり跳ねたり、誰よりも大きな声で叫んだりした。ユーナも笑い転げては、ぼくをはやしたてる。どうやらぼくのことを、見たこともないほどおもしろい子だと思ったらしかった。




(※この項つづく)



フランク・オコナー「天才」その5

2009-05-14 22:42:47 | 翻訳
その5.

 このことは母にとっても悩みの種だったらしい。母親という母親が、天才を息子に持つわけではない。ぼくに接し方を誤るのではないかと怖れてもいたのだ。母が、父に向かってためらいながら、あの子にはちゃんと説明した方がいいんじゃない、と言ったところ、父は猛然と怒り出した。ぼくはそのとき、二階のオペラ・ハウスで遊んでいることになっていたが、実はふたりが言い合うのを聞いていたのだ。父は、おまえは頭がどうかしているぞ、それだけじゃない、あの子までおかしくしちまおうとしてるんだ、と言った。父の判断をそれなりに高く買っていた母は、すっかり動転してしまった。

 だが、こと親の務めとなると、母はすこぶるつきの頑固者になる。これは容易ならぬ任務だったし、心底いやがっていた――母はたいそう敬虔なひとで、ふれないですむのなら、そんなことには一切、口の端にも上らせたくなかったらしい――が、なされねばならなかったのである。母は、おそろしいほどの時間をかけて――それはある夏の日のことで、ぼくたちはグレンにある小川のほとりに腰を下ろしていた――話してくれたのだった。やがてぼくにも、どうやら母ちゃんたちのおなかにはエンジンがあって、父ちゃんたちが持っているハンドルでそれを起動させる、そうしてひとたびエンジンが動き始めたら、赤ん坊ができるまでそのエンジンは働くのをやめないらしい、と察しがついた。おかげでこれまでぼくが納得いかなかったさまざまなことに説明がついた――たとえばなぜ父親というものが必要か、ということや、どうして母親の胸に蒸気機関車にあるような緩衝器がついているのに、父親にはそれがないのか、などということだ。説明を聞いていると、母親というものが、蒸気機関車と同じくらい興味深い存在に感じられたが、しばらくは自分が女の子ではないせいで、エンジンと緩衝器を持つ代わりに、父のような旧式の起動ハンドルを持つ羽目になったことが悔しくて、そのことばかり考えていた。

 しばらくしてぼくは学校へ行くようになったが、すぐにそこがいやでたまらなくなった。ほかの「おちびさん」たちは、まだ "cat" やら "dog" やらのつづりを習う段階だし、かといって大きな男の子たちと一緒になるわけにはいかない。ぼくは自分が携わっている作品のことを、おばあさん先生になんとか説明しようとしたのだが、先生ときたら、にっこり笑って「ラリー、静かにするのよ」と言ったのだった。ぼくは「静かに」と言われるのが何よりきらいだった。父がいつもぼくに「静かにしろ」と言うからだ。

 ある日、ぼくは運動場の門のところで立ち、孤独感と満たされない思いを味わっていた。すると、背の高い上級生の女の子が話しかけてきた。色の黒い、ふっくらとした顔をして、黒い髪を左右で結わえている。

「おちびさん、あんた、なんて名前?」

ぼくは自分の名前を言った。

「学校に入ったばっかりなの?」

「うん」

「学校は気に入った?」

「ううん、大きらい」ぼくは心の底からそう言った。「ほかの子はまともにつづりも書けないし、先生はおしゃべりだし」

 こういうのも悪くないな、と思いながら、ぼくは話を始めた。ぼくが続けている冒険旅行や執筆中の本、主要都市各駅の汽車の発車時刻といった話題に、その女の子は熱心に耳を傾けてくれた。ぼくの話にたいそう興味を引かれた様子だったので、放課後また会おうよ、もっと話を聞かせてあげるよ、と言った。

 ぼくは約束を守る男だ。昼ごはんを食べて、冒険旅行の続きをする代わりに、学校の女子部に戻ってあの子が出てくるのを待った。どうやら向こうもぼくがいたのがうれしかったらしい。ぼくの手を引いて、家へ連れて行ってくれた。その子の家は、ガーディナー・ヒルズにあり、家並みを隠すほど繁る並木の続く、勾配のきつい、なんだか気取った郊外の道を上っていった。てっぺんのある小さな家に、三人姉妹のひとりとして住んでいるということだった。ほかにジョン・ジョーという弟がいたが、去年車に轢かれて亡くなったのだと教えてくれた。

「ねえねえ、わたしが誰を連れてきたと思う?」一緒に台所に入りながらその子が言うと、背の高い、痩せた女の人がにぎやかに迎えてくれた。ユーナと一緒にご飯を食べていって、と言う。ユーナというのがその子の名前だった。ぼくは食事は断ったが、ユーナが食べているあいだ、コンロのそばにすわって、ユーナのお母さんにもぼくのことを話してあげた。お母さんもユーナと同じくらい、ぼくの話が気に入ってくれたようだった。食事が終わると、ユーナはぼくを家の裏手の原っぱへ連れ出して散歩した。



(この項つづく)