陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

『生きていたパスカル』の話

2009-08-31 23:06:28 | weblog
イタリアの劇作家ルイージ・ピランデッロの小説に『生きていたパスカル』という本がある。パスカルといっても、フランスの数学者でもあり哲学者でもあったブレーズ・パスカルとは直接の関係はない。

主人公はイタリアの田舎町に住むマッティーア・パスカルという人物である。
彼の父親は、その村に大きなオリーヴ畠や農園や家作を持つ地主だった。もっとも、土地の古老は、彼がその元手にしたのは、若い頃、賭け事で儲けた金である、若き日の父親に身ぐるみ剥がれたイギリス船の船長は、そのまま自殺してしまったのだ、と噂するのだった。

だが、主人公が五歳ときにこの父親は亡くなってしまう。残された母親と主人公と弟は、それでも気ままに日を過ごしていたが、主人公が成人するころには、財産の管理をしていた執事にすっかり財産を奪われてしまっていた。

貧乏になった主人公は、同じく貧しい土地の娘の元に転がり込むようにして、夫婦生活を送っている。義母というのがまた小うるさい女。主人公の母親をいびり倒し、それを見かねた伯母が母親を引き取った。主人公は地元の図書館に勤めながら、義母と嫁に責められながら日を送っている。

ある日伯母から小金をこっそりもらったのを幸い、すっかり家族に嫌気がさして家出したマッティーアは、モンテカルロに向かう。そこで思いがけなく八万二千リラという大金を手に入れる。この金を元手に、人手に渡った地所を買い戻し…と考えているとき、自分の村で自殺死体が発見され、自分と断定された記事を新聞で読む。

自由の身になった、と考えたマッティーアは、名前も改め、ローマの下宿でひっそりと暮らすようになる。ところがそこの下宿屋は、降霊術にはまっている老人、先頃亡くなった上の姉の娘婿、一家を切り盛りしている娘、気の狂った娘婿の弟、加えて老人にお金を奪われ、娘婿とどうやら関係のあるらしいオールドミスの下宿人と、なかなか入り組んだ人間関係で、マッティーアも次第にそれにからめとられていく。

なかでも、働き者の娘に好意を寄せられ、マッティーアの心も動く。けれども、マッティーアは法律上は死んだ人間だから、いかなる関係も築くことはできない。娘をその境遇から引き上げてやりたいとも思うのだが、戸籍がなく、過去を偽ったままでは、結婚するどころか家を構えることさえできない。いずれにしても不幸は眼に見えているからと、身を引き、自分は自殺したことを装って、村に戻る。

村に戻ってみると、自分の元妻は、自分の旧友と結婚している。結局そこすらも彼の居場所はなかった。彼は、母親を引き取ってくれた伯母さんの元に身を寄せ、亡くなった母が最後を過ごしたベッドで寝、家出前に勤めていた図書館にふたたび舞い戻る。大昔から修道院に集められた古い本を相手に、同じように大昔から図書館で働いている老人と、霊廟のような場所で日々を送るようになる。ときどき、訪れる人もない、自分の名が記された墓に詣りながら。

自分に起こった一切を老人の助けを借りながら書いた、というのが、この本である、という体裁を取っている。邦題は『生きていたパスカル』だが原題は "Il Fu Mattia Pascal"、すなわち「故マッティーア・パスカル」である。
 私たち(※マッティーアと図書館で働くドン・エリージョ)は長いあいだ、私の事件についていっしょに議論してきた。そして私は、このような事件からどんな収穫をひきだすことができるか、私にはどうしてもわからないと、何べんも彼に言ってきたものだった。

「とにかく、こういうことでしょうかな」と、彼はそれにたいして言うのだ。「つまり、法律のもとを離れても、また幸、不幸を問わず、われわれがわれわれである、その固有の特殊性から抜け出しては、われわれは、ねえ、パスカル君、生きてはゆけない――とね」

 しかし私がそこで彼の注意を喚起させるのは、私が法律のもとにも、また私自身の特殊性にも、まったく復帰してはいないということである。私の妻はポミーノ(※主人公の旧友)の妻であり、私が私にとって何ものであるのか、私にはまるで言えそうもない。
(ピランデッロ『生きていたパスカル』米川良夫訳 福武文庫)
そうして主人公が自分の墓に詣でる場面でこの作品は終わる。

とまあこういう話なのだが、この本を読んで何よりも感じるのは、社会から何かの拍子にはみ出てしまった人間は、生きることはもちろん、死ぬことすらできず、いったんはみ出してしまうと、もはや元に戻ることさえできない、ということである。

図書館で本を借りるにしても、レンタルビデオ屋でDVDを借りるにしても、古本屋で本を売るにしても、定期券を買うにしても、銀行で口座を開くにしても、わたしたちは必ずIDカードの提示を求められる。社員証や運転免許証、保険証、パスポート、そうしたものがなければそういうことは何一つできない。生まれたときに交付された出生証明書で社会の一員として登録され、以降つねに「わたしが誰であるか」は、それを参照されるのである。

ところで、わたしがこの本のことを最初に知ったのは、松本清張の小説『生けるパスカル』でだった。かなり詳細に作品が紹介されているのだが、最後の場面がどういうわけかハッピーエンドになっているのだ。

確かにこの作品を下敷きにして犯行計画を立てる人物を主人公にしているのだから、ハッピーエンドにならなくては、そもそもの小説が成り立たないのかもしれない。だが、原作では主人公は「故マッティーア・パスカル」として、すでに死んでしまった作家たちの残した書籍に埋もれて、生と死のはざまで生きている。死を待つだけの日々を、ハッピーエンドと強弁するのはいかがなものか、と思うのである。

自分が自分であること。
それを証明してくれるのは、自分以外の人である。親がまず届け出をし、そこから社会システムの一員として認知される。それがなければ、「自分」は何者でもない。
何らかのエラーが起こり、システムから弾き出されてしまうと、もはやその人抜きで、社会は動き出してしまう。そうなると、たとえ戸籍が回復されたとしても、その人の居場所はなくなってしまい、死ぬことすらできなくなってしまうのだ。

この話を明日ももう少し。



選挙って何だっけ

2009-08-30 23:03:03 | weblog
毛穴の詰まったような顔、という言い方をしてわかってもらえるだろうか。

ペナントレースも終盤戦にさしかかり、優勝チームを追いかけている二番手のチームが、ある日のゲームで敗色濃厚、最終回の攻撃でバッターボックスに立つ選手の顔がアップになる。妙に顔色が悪く、脂っぽく、しかも毛穴の詰まったような顔になっている。そんな選手は絶対に打てない。

試験前の受験生でも、たまにそんな顔になっている子がいるし、オリンピックでもそんな顔を見かける。おそらく「ばくち打ち」というのも、そんな顔をしているのではあるまいか。

緊張というのともちょっとちがう、とにかく毛穴が詰まって、呼吸はおそらく浅くなり、血液の循環も悪くなっているんだろうなあ、という顔だ。おそらくそうなってしまうと自分の身体を思い通り動かすこともできず、頭も普段通りに働くことはないだろう。

昨日、駅前で衆議院選挙の候補者が街頭演説をしているのを見かけた。見事なまでに毛穴の詰まった顔をして、割れてかすれた声を張り上げて、自分の名前ばかり繰りかえしていた。だが、その人は、いわゆる「追い風に乗っている」側の人で、おそらく当選するのはその人であろうという評判だったのだ。

それを見ながら、たとえ「当確」と目されていても、実際のところ、候補者には結果が出るまではわからないのだ、ということがよくわかった。どれだけ前評判が高くても、「追い風」だの何だのと言われようとも、当選するかどうかわからないからこそ、そこまで追い込まれ、煮詰まった顔になっていたのだろう。

街頭演説すれば、人は立ち止まったり、立ち止まらなかったりする。宣伝カーの窓から手を振れば、手を振り返す人もいれば、無視して通り過ぎる人もいる。やかましいと露骨に顔をしかめる人もいるかもしれない。

自分は当選するのか、落選するのか。

民意というのはいったい何なのだろう。
人びとのまなざしや、表情から読みとろうとすればするほど、候補者はいよいよわからなくなり、追いつめられていくのかもしれない。握手をして、握り返した相手の力のこめ具合に、自分への支持を読みとろうにも、候補者は気まぐれだ。別の候補者が街頭に立てば、そちらの候補者と握手するかもしれない。

以前は選挙といえば、宣伝カーで自分の名前を繰りかえすことしかしない候補者が不思議だった。なぜ政治にたいするビジョンなり、政策なりを訴えないのだろうかと。

だが、政策で支持・不支持が決まるなら、そもそも選挙運動をするまでもないのだ。あるいは、政党の支持・不支持で各候補者の当選・落選が決まるのであれば。

現実の選挙はどうなるかわからない。個々の人びとが一体誰を選ぶのか、誰にもそれはわからない。だからこそ、名前をひたすら繰りかえし、考えなくても(あるいは、何も考えないで)その名前を書いてもらえるように、なおも繰りかえし、お願いを続けるのだろう。

選挙って何なのだろう。


サイト更新しました

2009-08-29 23:34:43 | weblog
「鶏的思考的日常vol.27」をアップしました。
なんと去年の秋のログ。金融不安のニュースが連日報道されていて、わけのわからない不安感が日々煽られていたような頃だったことを思い出します。

あの「百年に一度」の大合唱はどこへいってしまったんでしょう。

インフルエンザにしても、ひところ、道行く人が全員マスクをしていたのに、当時よりはるかに感染者は増えているというのに、いまはマスクをしている人すら見かけません。

不安というものは、つくづく実体がないものだ、と思います。
実体がないからこそ、簡単に煽られる。実体がないからこそ、簡単に通り過ぎてしまう。

考えるべきこと、解決に向けて何ごとかしなければならないことは、そんな不安とは無縁のものでしょう。

そのときどきに書いたことを「いま」の光に当てて書き直す。
わたしの書いたささやかなあれこれが、みなさまの「そのとき」を思い出すよすがになればうれしいと思います。

ええ、過去ログ、鶏的思考ばっかりじゃありません。続々書き直していきますので、どうぞお暇なときにでもおつきあいのほど。


http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

身体でわかる、身体で話す

2009-08-27 23:12:35 | weblog
昨日まで二日に渡って書いてきたのは、わたしたちが相手の話を理解できるのは、わたしと相手が身体を持った存在だからだ、ということである。わたしたちは、「理解」というのは、相手の言葉を耳で聞いて、その意味を把握することであるように考えているけれど、実際はそうではない。表情や身ぶりがあるからこそ、本来なら音声でしかない言葉が意味を結ぶのである。

わたしたちの身体は、向き合う相手の身体と共鳴する。だからこそ、同じ話をしようとしても、相手によってその話は否応なく変わっていくし、相手次第で弾んだり、盛り上がらなかったりもする。これまで考えたことすらなかったことが、自分の口からひょいと出てくるのも、そこに相手の身体があるからなのである。

そう考えていくと、会話というものが、およそ情報交換とは異なるものであることがわかってくる。つまらないインタビューとおもしろいインタビューの差はそこにある。つまらないインタビューしかできないインタビュアーは、あらかじめ決まった質問しかしない。相手の返事を受けとれば、そこからさらに掘り下げていくことなく、つぎ、そのつぎ、と箇条書きのように質問をつなげていくだけだ。これでは対面する意味がない。アンケート用紙を渡して、それに書いてもらえば十分だ。けれども、おもしろいインタビューであれば、相手の答えを受け、そこからまた質問が生まれていく。だからこそ話は深まっていくし、思いがけない話を聞くこともできる。

こう考えていくと、人と人が話をすることが、書いた文章のやりとりと、どう異なっているかがわかってくる。
話し合う人は、相手の身ぶりや表情に応じて、自分の言葉がちょうど化学変化を起こすように変わっていくのに対して、書かれた言葉は変わらない。

相手の身ぶりにも表情にも変化を起こさない話もある。相手と会話をするのではなく、自分の話を相手に聞かせようとする人の話は、すっかりできあがってしまっているために、ほとんど変わらない。聞き手はそれを拝聴するしかない。このような一方通行は、ほとんど会話とは呼べないだろう。

だが、非公式な雑談ならともかく、わたしたちは自分の意見を持つことが大切、と言われ、公式の場では、ぐらつかない、書き言葉のような話をするように求められる。その最たるものが会議なのだろう。「~について」の意見が求められ、自分の意見を述べ、批判に対しては、さらに批判で応える。そこではもはや自分が変化することはない。

わたしたちの身体は、本来、相手に共鳴するようになっている。その身体に従って、会話を続けていけば、意識しないでも合意は形成されるはずだ。対面で話すときに比べれば、大勢で話す方が合意を形成するのはむずかしいだろうし、親しい人間に比べて相手がそれほど親しくなければ、やはりむずかしいだろう。けれども『忘れられた日本人』に出てきた対馬の村での寄り合いは、時間をかけながら、雑談のように思いつくことをすべて話し、相手の話に触発されて、自分も話に加わることで、時間をかけながら参加者全員の合意を形成しようとした。わたしたちの先祖はこういうやり方を取っていた、ということは、知っておいた方がいい。



身体があるから理解もできる

2009-08-26 22:51:20 | weblog
身体があるから理解もできる

昨日も見てきたように、わたしたちは身体を媒介にして他人を理解している。「相手の心を読む」という言い方があるが、わたしたちが「読んで」いるのは、心ではなくて、表情や声の調子を含めた相手の身体なのである。

こんな経験はないだろうか。
目の前で誰かが転ぶ。「危ない!」と、わたしたち自身の身体が硬直する。
人が梅干しを食べようとする。わたしたちの口のなかにも唾が溜まってくる。
あくびがうつる。
笑いかけられると、思わずこちらもほほえんでしまう。
目の前の人が上を見れば、つられてこちらも上を見てしまう。
映画を観ていて、殺人鬼が斧を振り回しながら現れる。その斧がざっくり、被害者の頭にめり込む瞬間、作り物とわかっていても、見ているわたしたちの脳天に、何か違和感を覚える。

「手のひらを向こう側に向けて左手を立て、中指と薬指のあいだを開いてくさび形を作った」

ここを読んで、実際にその手の形をやってみませんでしたか?
このように、わたしたちはほとんど意識することもなく、他人の身体動作を模倣してしまうのだ。こうした共鳴性は、生まれつきわたしたちに備わっている。
わたしたちの他人に対する理解は、身体のこの共鳴を基盤としているのだ。

だが、この共鳴というのは、たとえば「ぎっくり腰で動けない」という話を聞いて、「ああ、確かに自分も経験はあるが、あれは痛い」と感じるときのように、自分の経験を相手に投影させて理解しているのだろうか?

高校時代、部室に引き延ばした写真が貼ってあった。被写体の女の子の上唇は、下唇の下に引きこまれ、下唇は鼻の下に向かって突き出されている。愉快な表情の写真だったのだが、おかしいことにそれを見る人は、かならず自分も同じ表情をしているのだった。

写真の女の子の顔を真似ている人は、自分の顔を確かめながら、相手に似せようとしているわけではない。わたしたちは自分がどのような顔をしているかわからなくても、真似はできる、というか、真似をすることによって、自分が浮かべている表情を把握するのである。つまり、この共鳴は、自分のかつての経験を、相手に投影しているのではなく、相手の身体の状況に触発されて、こちらの身体が共鳴してしまうのである。

こう考えていけば、わたしたちが誰かと話をするときに、会話がここで終わる、と双方が快く合意するのでないかぎり、会話は適切なやり方で続けられなければならない、という了解事項を暗黙の内に持っている理由も想像がつきそうだ。つまり、会話をやめようと合意するのでないかぎり続けていくのは、それが慣習や礼儀だからではなく、あるいはその方が自分にとって有利だからでも理にかなっているからでもなく、わたしたちが身体を備えているからだ、と言えないだろうか。

呼びかけられれば振り返る。相手が自分に話しかければ、それに応える。相手の怒りはこちらの怒りを触発し、涙は涙を誘う。それはわたしたちが身体としてあるからだ。

けれども、こちらに向かってにこやかにほほえむアイドルのポスターは、かならずしもわたしたちの笑顔を誘発することはない。おそらくそれは、作り物の笑顔だからではなく(そういうこともあるだろうが)、やはり相手を直接に見知っているわけではないからだろう。

あるいはまた、見知らぬ人であっても、「すいません」と自分に直接呼びかければ立ち止まるが、テレビ画面の向こうから「助けて」と悲鳴が聞こえても、何とも思わない。それが自分に向けての呼びかけではないことを知っているからである。

わたしたちの身体は、こうだからこうだ、こういうときはこうした方がいい、などと判断する前に、話しかけられればそれに応えるようになっているのだ。

言葉と仕草

2009-08-25 22:35:54 | weblog
言葉と仕草

怒っている人が周囲にいると、わたしたちはほぼ確実にそれに気がつく。別に声を荒げたり、物を放り投げたり、ドアを叩きつけたりするばかりではない。たとえ普段と同じようにドアを閉めたとしても、微妙に荒かったり、とげとげしかったりする。怒っている人がひとりいるだけで、部屋全体の空気がぴりぴりしてしまうほどだ。

その人に「どうかした?」と聞いてみる。だが、それは怒っているかどうかを尋ねるためではなく、いったい何に腹を立てているのか知りたいからだ。たとえ「何でもない」と返事が返ってきても、まちがっても「何でもない」とは思わない。

わたしたちは言葉ではなくて、その人の動作のなかに「怒り」を読みとるのだ。
では、怒っている人の身ぶりの底(たとえば「心」のような場所)に「怒り」の核のようなものがあって、動作や言葉はまるでマリオネットのように、その「怒り」に操られているのだろうか。おそらくそうではない。怒りの動作やとげとげしい声が「怒り」そのものなのだ。

確かに、動作と気持ちが裏腹な場合はある。たとえば太宰治の短篇には、完璧な嘘で人を騙す女性がでてくる「嘘」という作品がある。

太宰を思わせる、津軽に疎開してきた作家が、幼なじみの地元の名誉職(市会議員かなにかであろうか)の話を聞く。

戦争中、嫁をもらったばかりの若い百姓が徴兵される。ところが彼は入隊せず、脱走してしまった。そこで名誉職は、その若い百姓の家を訪れる。そこには彼の新妻がいる。

名誉職は嫁に事情を話す。悪いようにはしないから、彼が戻ってきたら、すぐに自分に知らせてほしい。

 嫁は、顔色もかえず、縫い物をつづけながら黙って聞いていましたが、その時、肩で深く息をついて、
「なんぼう、馬鹿だかのう。」と言って、左手の甲で涙を拭きました。

そのとき馬小屋の方から咳払いが聞こえてきた。
名誉職はぎょっとして、馬小屋にかくまっているのではないか、と問いつめる。
 私のあわてて騒ぐ様子が、よっぽど滑稽なものだったと見えて、嫁は、膝の上の縫い物をわきにのけ、顔を膝に押しつけるようにして、うふふふと笑い咽んでしまいました。しばらくして顔を挙げ、笑いをこらえているように、下唇を噛んで、ぽっと湯上りくらいに赤らんでいる顔を仰向けて、乱れた髪を掻きあげ、それから、急にまじめになって私のほうにまっすぐに向き直り、
「安心してけせ。わたしも、馬鹿でごいせん。来たら来たと、かならずあなたのところさ、知らせに行きます。その時は、どうか、よろしくお願いします。」

涙をこぼしたり、笑ったり、まじめな顔で頭を下げたりするこの嫁は、二日前から夫をかくまっていたのだ。

だが、名誉職がこの嫁に騙されたのは、嫁の動作に心情が現れていると感じたからだ。「私は、あの嫁には呆れてしまいました」と名誉職が言うのは、わたしたちの仕草は感情をそのまま表現する、つまり、仕草と感情は同じものだと考えているからこそなのだ。

小さな子供ならいざしらず、現実にわたしたちは、社会関係のなかであまり自分の感情や欲望を剥きだしにすることはない。だから、わたしたちは相手のちょっとした表情の変化や動作から相手の感情や思いを読みとろうとする。わたしたちが読んでいるのは、「心」ではなくて、相手の表情や仕草なのである。

言葉にしてもおなじことだ。わたしたちはその声音やちょっとした言い方の変化で「それはどういうこと?」という言葉が、文字通りの疑問か、反論か、非難か、怒っているのか、悲しんでいるのかを理解しようとしているのだ。

漂泊の思い止まず

2009-08-22 09:51:04 | weblog
先日、中学生になったばかりの男の子が、「人生って旅みたいだね」と言った。とっさに引退時に「人生とは旅であり、旅とは人生である」と言って失笑を買った(のではなかったっけ?)サッカー選手のことを思いだしたのだが、相手の真剣そのものの顔を見て、あわててそれを飲み込んだ。

もうすぐティーンエイジャーの世界に入ろうとするその子は、自分の来し方を振り返って、「旅みたい」という比喩と巡り会ったのらしい。彼は「旅」という一語を発見したこと、それによって、小学校を卒業し、新しい世界に入って三ヶ月を過ごした自分の世界が一点に焦点化できたことを、ちょうど「水」という言葉を発見したヘレン・ケラーのように、喜んで、顔を輝かせていたのだ。

「旅」というのは、あまりに手垢がつきすぎて、ある程度の年齢を過ぎれば、使うのがはばかられるような比喩である。だが、それは逆に言うと、誰もがこの言葉から連想されるイメージ、ひとところに定着するのではなく、知らないところに行き、知らない世界を見る、ということに、どうしようもなく心を引かれてきたから、あらためて口にすることに気恥ずかしさを覚えるまでに、多くの人によって使われてきたのだろう。

芭蕉は

 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

と、「旅人」という比喩を時間になぞらえて使っている。歳月の中を生きる人を「旅人」となぞらえるかわりに、時間の方を「旅人」と逆転させることで、新鮮な感動を生み、その効果はいまなお生きているわけだ。こう考えると、芭蕉の時代から、すでに人が「旅人」である、という隠喩は、一般的なものだったのかもしれない。

だが、旅と日常とはどうちがうのだろう。

わたしたちはたとえ「仮の宿」であっても、どこかに定着せずには生活を営んでいけない。出張も、最初に確保するのは、泊まる場所だ。つまり、ものを入れようと思ったら、袋の底は閉じていなければならないように、何にせよ行動するためには、一方で、留まる場所がなくてはならないということなのだろう。

袋の綴じ目がしっかりしていれば、よりたくさんのものを詰めることができる。けれども同じ袋のままでは、そのうち飽きてしまう。いつか袋が一杯になるかもしれない。

だから、ときに小さな袋、綴じ目もきゃしゃで、ほんの一度か二度使えば充分のような袋がほしくなる。また大きな袋に戻っていくために。あるいは、新しい、自分に合ったしっかりした袋を見つけるために。あるいは、自分が小さな袋になって、風に吹かれていくために。

予定に組み込まれ、スケジュールも決まった旅行は、「旅」とは呼べないものかもしれない。それでも、小さな袋であることには変わりはない。入道雲が鱗雲に変わるころ、わたしは小さな袋を持っていく。大きな袋につめる物を探しに。

ということで、ブログは月曜日まで休みます。
いま引っ張っている話は(こんなに引っ張る予定じゃなかったんですが…)、帰ってから再開します。

そのかんはコメントくださっても反映されません。
申し訳ありませんがご了承ください。

ということで、みなさまどうぞお元気で。

会話のなかの「含み」

2009-08-21 10:14:42 | weblog
会話のなかの「含み」

たとえばわたしが軽い気持ちで、会話のつなぎに「明日は晴れるかな」とAさんに聞いてみたとする。ところがAさんは、パソコンを立ち上げ、気象情報のサイトにアクセスし、予想天気図をもとに詳細な予報を教えてくれたとする。

このような状態は、おそらく先に挙げた「量の原則」と「様態の原則」の逸脱にあたるだろう。それでもわたしはその説明をおもしろく感じ、さらにいくつかの質問をして、会話は盛り上がるかもしれない。

このように、原則に反するようなふるまいをしたからといって、かならずすぐに会話が中断してしまうとはかぎらない。つまり、

「そろそろ行かなくちゃ」
「わかった。じゃあ、またね」

「その件に関してはどうかよろしくお願いいたします」
「わかりました。こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします」

というふうに、会話がここで終わる、ということに、双方が快く合意するのでないかぎり、会話は適切なやり方で続けられなければならない、というある種の了解事項を、暗黙の内にしているからにほかならない。

ところがそろそろ行かなければならないし、こちらはそろそろ会話をうち切りたいようなときでも、相手が楽しそうに話し続けていたら、じりじりしながらもそれをいきなり中断させてしまうような事態を、できるだけ回避しようとするだろう。

逆に、会話の最中に立ちあがって「わたし、帰る」という人がいたら、「自分は気に障ることを言ったのだろうか」と考えてしまうだろう。つまり、これまでの会話を振り返って、相手の予想外の行動の「理由」をそこから引き出そうとする。

「さっき自分が言った“ばっかみたい”という言葉が気に障ったのではないか。軽い冗談のつもりだったのに……」

「調子が悪くなったのかもしれない。そう言えば顔色が悪かったからな」

このように、こちらからすると、予期していない相手の行動の「理由」を、わたしたちが会話から引き出すことを、グライスは会話の「含み」と呼ぶ。

たとえば、わたしはある人と家にいるとする。部屋は冷房が効きすぎて、わたしには少し寒い。だが、相手の家ではあるし、相手はこのくらいの室温が心地よいのかもしれない。そこでわたしは
「冷房を切ってもらえませんか」と言う代わりに「冷房がよく効いてますね」と言う。

冷房が効いているのはお互い、よくわかっている。だからここでは何の情報も含まれていないという意味で「量の原則」からは逸脱している。だが、相手は、わざわざわかっていることをあえて言うのは、何か意味があるのだろうと推測して「寒いですか? じゃ、冷房を切って、窓を開けましょうか」と言う。

そのことによって、わたしは「冷房を切ってもらえませんか」と言ったのと同じ結果が得られる。だが、「冷房を切ってもらえませんか」というのが、そのままの、直接的な言い方であるのに対して、「冷房がよく効いてますね」というのは文字通りの意味ではなく、相手に意味を引き出してもらおうとする、つまり「含み」を介して行われる表現なのである。

「様態の原則」では、自分の意図はできるだけ明らかに伝えることが期待される、というものだった。ところがこの「含み」のある表現は、聞いた方が相手の意図をさぐらなければならない、という意味で、この原則から逸脱していることになる。

けれども聞いている側は、どうしてわざわざそんな言い方をするのか、と考える。
「寒いから冷房を切ってください」というべきところを、「冷房がよく効いてますね」と言う。
相手がいまの状態が心地よければ「そうでしょう、外は暑いですからね、暑い日にはエアコンをガンガンに効かせた部屋にいるのが一番です」と伝わらないかもしれない。だが、自分はそれならばあきらめる、相手にこうしてほしい、と要請するつもりはない、という表現なのである。つまり意味で、押しつけがましくない表現、従って、丁寧な表現と受けとられるのだ。

A「かしこそうなお坊ちゃんですね。ウチのバカ息子に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい」
B「とんでもない。お宅の元気なお坊ちゃんにくらべたら、ウチの子はもうおとなしくって。男の子は元気なのが一番ですよ」

たとえばこの会話は、双方ともに含みの多い会話といえる。
話者Aが。ほんとうに自分の子供を「バカ」と思っているか、それにくらべて相手の子供が優れていると考えているかどうかはよくわからない。「謙虚さ」が含まれているのか、「追従」が含まれているのか、「皮肉」が含まれているのか、それとも文字通りの意味なのか、両人が置かれている状況や「その人がどのような人か」に応じて流動的である。
だが、「文字通りの意味」の割合と「含み」の割合は反比例すると考えてよいだろう。

では、わたしたちはどうやってこの「文字通りの意味」と「含み」を見分けているのだろうか。

(この項つづく)


どういったものが「話し合い」なんだろう

2009-08-19 23:20:19 | weblog
そもそも「話し合い」というのはどういったものをさすのだろう。

たとえば漱石の『こころ』のなかで、のちに「先生」と呼ばれることになる手記での「わたし」と「K」の対決場面は話し合いではない(青空文庫の『こころ』のページはいまアクセスが集中しているようで、さっきから何度やってみてもハングアップしてしまうので、引用はまた後ほど)。

つぎにあげるのは、太宰治の『お伽草子』の「瘤取り」で、山中で鬼どもを相手にびっくりするような経験をしたおじいさんが家へ帰ってくる場面である。おじいさんはおばあさん相手に、自分が世にも珍しい経験をした話を聞かせたくてたまらない。
 家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
(「お伽草子」)

おじいさんは話をしかけても、お婆さんの方がその話に応えてくれない。そのためにここでは話し合いどころか会話にすらなっていない。

「話し合い」というのは、何よりも、まず会話だ。ふたりから数人の人間が共同でおこなうものだ。だが、
「×号室に新しく人が越してきたんだって」
「あら、そう。どんな人だった?」
と続いていく雑談を「話し合い」とは呼びにくい。

情報の交換や、何ごとかに向けての意思統一、あるいは決定、というように、何らかの目的がある場合に「話し合い」という言葉が使われると言えよう。そうして、話し合う人は、その目的が達成できるように、意識的・無意識的に協力する。つまり、話し合いとは、対話者による協同作業なのである。

協同作業というのなら、話し合いに参加する人びとが守らなければならない原則があるのではないか。その原則について考えたのがポール・グライスである。グライスは会話者が遵守するものと期待される原則を、つぎの四つにまとめている。(『論理と会話』)

1.量の原則:会話者には適当な量の情報を提供することが期待される。
 グライスは「特定の段階で四本のネジが必要になったら、私が期待するのは、あなたが二本でも六本でもなく四本のネジを手渡してくれることである」と言っている。
たしかにわたしたちは、答えるときに相手がどの程度のことを知りたがっているかを推し量る。「ダンゴムシは昆虫かどうか」と聞かれたとき、相手が小学生なら、「節足動物門昆虫網ではなく節足動物門甲殻亜門軟甲綱 」という代わりに「昆虫ではなくて、カニの仲間なんだよ」と言うだろう。

2.質の原則:会話者には真実の情報を提供することが期待される。
「あなたの助けを借りてケーキを作っているときに、材料の砂糖が必要になれば、私はあなたに塩を手渡してもらおうとは期待しない」
事実、オオカミ少年(ケンではなく、「オオカミが来た、オオカミが来た」と嘘をつく子の方)は、やがて誰も話し相手にしなくなる。

3.関係の原則:関係のある情報を提供することが期待される。
「ケーキの材料を交ぜているとき、私が手渡してほしいのはよい本ではないし、オーブンクロスでさえない」
自分の疑問と関係のない答えを返してくる相手には、わたしたちはたいてい腹を立てるものだ。

4.様態の原則:明晰な情報を提供することが期待される。
ここでは内容ではなく、表現のやり方が問題になっている。その内容や場面にふさわしい表現の仕方で、適度な手早さで実行されてほしい。たとえば、「蜂に刺された!」と言う人は、「すぐに水で洗って!」とか、「病院に行く?」とかという即座の反応であって、「この場合、何が最も適切な処置であろうか」と考えこむことでもなければ、「蜂にさされるなんて、不注意だからだ」という批判でもない。

グライスは、以上の四つは「原則」であって、規則ではない、という。というのも、規則ならそこから逸脱した場合、会話として受け入れてもらえないことになってしまう。けれども、原則だから、たとえ逸脱しても、その人が自動的に排除されるということはない。だが、この原則に従わなければ、コミュニケーションをおこなう上で、いろいろと不都合なことが起こってくるらしいのだ。

明日はそのことをもう少し見てみる。

話し合うことについて考える

2009-08-18 23:19:57 | weblog
現実の会議というのは、かならずしも、本来の会議の目的、すなわちみんなで話し合い、話し合うことによって、みんなの同意を取りつけるために行われてばかりはいないような気がする。

実際、重要な会議であればあるほど、会議を招集する側は、あらかじめ意見調整をおこない、強硬な反対意見を述べそうな人物に対しては、説明をしておき、あるいは反対意見そのものを想定して、それに対してはどう応えるか検討しておくもののようだ。

結局、実際の会議というのは、討議ではなく、確認のため、さらにそれをふまえて実行段階に移す際の役割決定のために行うことが少なくない。
そうした話し合いの場ではなく、手続きとしての会議で反対意見が出ようものなら、多くの場合、紛糾する。こちらの方向へ決定を誘導しようということがあらかじめ決まっているので、それに真っ向から逆らう意見を汲みとることは難しい。仮に受け入れたとしても、大筋には関係のないことにとどまる。

あらかじめどう持っていくか、質疑応答までもがシミュレイトされている会議では、反対意見を聞きながら、そこから何かを産み出すことができるような、創造的な会議というのは、いまの世の中ではなかなかむずかしいのだろうか。

宮本常一の『忘れられた日本人』のなかに、こんな「寄り合い」の風景が描かれる。
対馬にある海岸沿いの村、古くはクジラ漁をしていた村に宮本が訪れた。朝早くホラ貝が鳴り、寄り合いの招集がかけられる。朝から始まった寄り合いは、夜になっても終わらず、明け方まで続き、つぎの日も続いていく。

宮本は、その村に伝わる古文書を貸してほしいと頼みに行ったのだが、容易なことでは話は進まない。
「九学会連合の対馬の調査に来た先生が、伊奈のことをしらべるためにやって来て、伊奈の古いことを知るには古い証文類が是非とも必要だというのだが、貸していいものだろうかどうだろうか」と区長からきり出すと、「いままで貸し出したことは一度もないし、村の大事な証拠書類だからみんなでよく話しあおう」ということになって、話題は他の協議事項にうつった。そのうち昔のことをよく知っている老人が、「昔この村一番の旧家でもあり身分も高い給人(郷士)の家の主人が死んで、その子のまだ幼いのがあとをついだ。するとその親戚にあたる老人が来て、旧家に伝わる御判物をみせてくれといって持っていった。そしてどのように返してくれとたのんでも老人はかえさず、やがて自分の家を村一番の旧家のようにしてしまった」という話をした。それについて、それと関連あるような話がみんなの間にひとわたりせられてそのまま話題は他にうつった。しばらくしてからまた、古文書の話になり、「村の帳箱の中に古い書きつけがはいっているという話はきいていたが、われわれは中味を見たのは今が初めてであり、この書きつけがあるのでよいことをしたという話もきかない。そういうものを他人に見せて役に立つものなら見せてはどうだろう」というものがあった。するとまたひとしきり、家にしまってあるものを見る眼がある人にみせたらたいへんよいことがあったという、いろんな世間話がつづいてまた別の話になった。
(宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫)

わたしはこれを読んで、笑ってしまったのだが、実際、古文書を見たくて、しかもそこより先にも訪れなければならない予定地のあった宮本がどんな思いでその寄り合いの話を聞いていたかを想像すると、とてもではないけれど笑い話ではないのだ。

この寄り合いの方式は、二百年近いまえの記録があるという。世間話のようでもあるが、それぞれが決めようとする意識はある。だからどんなむずかしい話でも、たいてい三日でかたがつくらしい。
気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得いくまで話しあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈を言うのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういうことなのであろう。

これが書かれたのは昭和三十四年とある。このころにはもはや、このような寄り合いの情景も、きわめてめずらしいものであったのだろう。

確かに効率とは無縁の形式で、実際こんな会議が開かれたことなら、わたしたちは正直、たまったものではないと思うにちがいない。そうではあるけれど、それぞれが自分の考えを、過去の経験や自分が聞いたことを参照しながら提出している。それを考えると、非常に優れた会議なのかもしれないと思うのである。

あらかじめすべてが決まっていて、シャンシャンと手を打つ手続きだけの会議では、参加者は単に頭数のひとつに過ぎないし、関心をもって議論することもむずかしい。その結果、結論が出ても、自分とはどこまでいっても無関係としか感じられない。会議が無意味になっていって、結局こまるのはわたしたちなのに。

どうしたらわたしたちはもっとうまく合意を形成していくことができるのだろう。
そのことを少し考えてみたい。