陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

暑いときにはコワイ本 その5.

2005-07-31 22:19:14 | 
3.自分がコワイ

その昔、わたしはたまたまビデオ屋で『シャイニング』と『モスキート・コースト』、二本のビデオを借りて、続けて観た。
二本目の『モスキート・コースト』を観ながら、ひっくり返りそうになってしまった。
これは、同じ物語ではないか!

1.理想主義的で影響力の強い父親、優しい母親、賢い長男という家族構成の一家が、文明社会から隔絶された新天地に移住する。
2.パラダイスであるはずのその地で、父親は少しずつ精神の平衡を欠いていく。
3.長男は一家を守るため、結果として父親を死に追いやり、家長として文明社会に復帰する。

スティーヴン・キングの原作の『シャイニング』、わたしはこの作品の根底には、エリザベス・ボウエンの『猫は跳ぶ』があると思っているのだが、一般的には「幽霊屋敷もの」に分類されるべき作品だろう。原作の怖さの中心は、あくまでも山奥のホテルの不気味さ、そこに残る人の怨念の禍々しさで、そうした場所に、父親は呑み込まれていくのだ。

映画が強調するのは、次第に狂気に陥っていく父親の姿だ。その結果、映画のホテルは、不安感を煽る舞台にはなっているけれど、そこから恐怖は放射されてはいかない。

いっぽう、『モスキート・コースト』、これはホラーではまったくないのだが、映画はこんなに穏やかに描いちゃいけない、といいたくなるほど、物語の大筋は同じでも、原作は格段にシビアだ。後にユナ・ボマーが現れてアメリカを震撼させたけれど、わたしがユナ・ボマーのニュースを聞いて、まず思い出したのは、『モスキート・コースト』の父親だった。文明に対する感じ方も、結局は白人至上主義的なところも、ひどく似たものに思えたのだった。

さて、この「父親がコワイ」系列の物語はほかにないだろうか、と考えたら、やはり昨日もあげた夏目漱石の夢十夜』の第三夜に行きつく。

背中におぶった六つの子供は、自分を「御父さん」と呼ぶし、確かに自分の子のようだ。ところが言葉遣いは対等だし、どうやら何もかも見通しているようでもある。

 何だか厭になった。早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。
「もう少し行くと解る。――ちょうどこんな晩だったな」と背中で独言のように云っている。
「何が」と際どい声を出して聞いた。
「何がって、知ってるじゃないか」と子供は嘲けるように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれども判然とは分らない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。
 雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。(夏目漱石『夢十夜』)

この子供は、いったい何者なんだろう。
背中の子供は「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言う。
自分は百年前に、人を殺したのだ。

ここに、一種の〈父親殺し〉の物語を読みとることができる。
自分が背負っているのは、かつて自分が殺した父親である。それは同時に、自分の子でもある。
自分のなかには、拒むこともできない、父親の血が流れ込み、そうしてそれは否応なく、自分の子にも受け継がれていく。父祖を持ち、子孫へと受け継ぐこの「血」というものは、見方を変えればひどく不気味なものではないか。

『モスキート・コースト』でも、『シャイニング』でも、社会から隔絶された場所で父親はどうして精神のバランスを欠いていくのだろうか?
社会の中で生きているときには外に向けられていた意識が、自分の秘密の部分、普段、向き合うことをしなかった部分と向き合ったためではないのか。

自分の内にある、わけのわからないもの。
もしかしたら、百年前に人を殺した、その記憶かもしれない。そのくらい、得体の知れない、わけのわからないもの。
そうして、自分のなかに流れ込んでいる、父祖代々受け継がれてきた「血」。

自分に流れ込んできた「血」に向き合ったとき、それが受け容れがたいものであれば、それは、さらに自分を経て、受け継がれていく次の世代の「血」に、怒りの矛先は向かうのではあるまいか。
コワイお父さんが息子に向かっていくのは、血を途絶えさせるためなのだ。

コワイのは、自分なのだ。
自分を襲おうとする禍々しいものは、幽霊や悪魔として、自分の外側にあるものではない。
たとえ何か「出た」としても、それが「出た」のは、自分がそこにいるからなのだ。

***

ツヴェタン・トドロフは、超自然現象を扱う物語を三つのカテゴリーに分類している。
1.驚異:合理的に説明しようのない、超自然現象が起こる。
2.怪奇:合理的説明が可能なもの。
3.幻想:合理的な説明と、超自然現象の間で、物語は決定不可能。

そうしてトドロフがあげる「幻想」の例は、先にもあげた『ねじの回転』だ。
「驚異」の物語と読めば、幽霊は実在し、家庭教師の娘は、超自然の悪を向こうに回して、雄々しく闘う存在である。
「怪奇」の物語と読めば、幽霊は娘の病んだ精神の生み出したもので、それによって子供を死に追いやったことになる。
そうして、「幻想」とは、曖昧なもの、そのどちらともとれるものである。

『ねじの回転』ばかりでなく、『黄色い壁紙』もその系譜に属する。

わたしたちが怖い、と感じるのは、1よりも2よりも、3ではあるまいか。
たとえ、いくら怖い描写がなされていても、それなりに説明がついて(たとえ合理的でなくても)、話にけりがつきさえすれば、すっきりと終わることができる。本をぱたんと閉じて、普段の生活に戻ることができる。

けれども、どちらともつかない物語、決定不可能なまま、揺れている物語は、わたしたちを落ち着かせることはない。

しかもその怖さが、外側から来るものではないとしたら。
本を閉じて終わりにしようにも、そんなことはできないのだ。

(この項おわり)

暑いときにはコワイ本 その4.

2005-07-30 22:21:14 | 
2.子供がコワイ ~後編~

では、怖いことをする子供は、怖いのだろうか?
まず、あらかじめ断っておくと、わたしの場合、子供の領分を侵そうとする大人に対して、非常に理性的ではない部分での、反発というか、激しい憤り、みたいなものがあって、大人になってもその部分が未だ克服できていないような気がする。だからこの部分に対しては、あまりニュートラルなものではないことを理解してほしいのだけれど。

殺人を犯す子供、というのは、ミステリやホラーにはいくつか出てくるのだが、わたしの感想でいうと、そういう子供はあまり怖くはない。むしろ多くの場合、その子は周囲によって追い詰められ、その結果、自分が崩壊するか、相手を崩壊させるかしかなくなるところまで行き、その解決策としての殺人、ということになる。このとき読む側は子供のほうに感情移入してしまっているので、その殺人は、逆に一種のカタルシスなのだ。

その代表的な作品が、サキの『スレドニ・ヴァシター』(この作品では、主人公が手を下すわけではないが)であり、パトリシア・ハイスミスの『すっぽん』(『幻想と怪奇 1.」所収 ハヤカワ文庫)だろう。 

ここでは、その短編『すっぽん』を紹介する。

ヴィクターは絵本の挿絵を描いている母親とふたりで暮らしている十一歳の少年である。
この母親というのが困った女で、ヴィクターに、昔の絵本に出てくるヨーロッパの貴族の男の子のような格好をさせたがる。おかげで寒いなか、半ズボンにハイソックス、という格好のヴィクターは、外にも出ていけないし、周囲にもバカにされて、友だちもできない。母親にどんなに訴えても、彼女はいつも上の空だ。

その母親がある日、生きたスッポンを買ってきた。それでスープを作るのだという。ヴィクターはつかのま、スッポンと一緒に遊ぶ。スッポンは何を食べるんだろう? レタスはどうかな。

 ヴィクターは途方に暮れ、台所の中を見まわした。やがて、居間の床に日が射し込んでいるのに気づくと、彼は鉢を持ち上げて居間へはこび入れ、スッポンの背中に日が当たるように鉢をおいた。亀やなんかはみんな日光が好きなんだ、とヴィクターは思った。彼は横向きになって床に寝そべり、頬杖をついた。
 スッポンは一瞬彼を見つめたが、やがて非常にゆっくりと、用心しいしい脚をのばして前へすすみ、鉢の丸い境目にぶてうかると右へ曲がった。浅い水からからだが半分だけ飛び出した。
 どうやら外へ出たいらしい。ヴィクターは片手でスッポンの両脇をつかんで言った。「さあ、外へ出て少し散歩してもいいよ」

夕刻、おつかいを頼まれたヴィクターが、家に戻ってみると、母親が大鍋に湯を沸かしている。なんとかスッポンを助け出すことはできないか。必死でスッポンを外に連れ出す口実を探すヴィクターの目の前で、母親はスッポンを煮立っている湯の中に投げ込んだ。

 これはなんだろう? この音はなんだろう?
 ヴィクターはあんぐり口をあけたまま、鍋の内側にはげしく脚をたたきつけているスッポンをまじまじと見つめた。スッポンは口をあけ、その目は一瞬ヴィクターの顔をまっすぐに見返した。その顔は苦痛にのけぞり、ひらいた口は煮えたぎる湯の下に沈み――それで万事おわりだった。
……
 彼は母親をじっと見つめた。母が手を伸ばしかけると、彼は一歩あとじさりした。スッポンのあんぐりあいた口を思い浮かべると、彼の目はとつぜん涙でいっぱいになった。スッポンは悲鳴を上げていたんだが、お湯の煮えたぎる音で聞こえなかったんだ。あのときスッポンはこちらを見上げたけど、助けてもらいたかったんだ。それなのに、ぼくは手をさしのべようともしなかった。ぼくはママにだまされたんだ……。彼はふたたびあとじさりした。「いやッ、さわらないでッ!」
 母親はすぐさま、思い切り彼の頬をぴしゃりとたたいた。

夜中になってもヴィクターは眠れない。闇の中にスッポンの顔が、大きく浮かび上がってくるのだ。ここから出ていきたい。けれど、窓から飛び出して、空中を漂うことさえ、母親に押し留められるにちがいない。そう思ったヴィクターは、台所に行って、包丁を取り出す……。

とても悲しい結末だけれど、ヴィクターを思うと、胸が痛むことはあっても、怖くはならない。 
子供というのは、大なり小なり大人の理不尽さの犠牲になっているのだ。ときに家庭という密室での理不尽は、親にその意図がなかったとしても、子供のある部分を、確実に殺していく。
その子供は、同時にわたしたちが受けた理不尽さの代弁者でもあるのだ。たとえ子供が反撃に転じたとしても、どうしてそんな子を「怖い」と思えるだろうか。


さて、怖いと言えば、内田百。『冥途』のなかの一篇、『柳藻』に出てくる女の子は怖い。
これは従来から指摘されていることだが、夏目漱石の『夢十夜』の第三夜、「背負っている六歳の童子が百年前に自分が殺した目くら(原文ママ)であったことがわかって、急に重くなってしまう話」が、その核にある物語である。

お婆さんが女の子を連れて歩いている。「私」は、あとからついていく。女の子の手を引こうとすると、泣きそうな顔になって「私」を拒む。「私」は婆を打ち殺す。そうやって、女の子の手を引いて歩いていくうちに、女の子の手がだんだん冷たくなってくる。泣き声で、歌を歌い始めるのだが、その声は老婆のものだ。手を力いっぱい握りしめると、冷たい手がぽきりと折れる。女の子だと思ったら、老婆だった。

それだけの掌篇なのだが、これは怖い。荒涼とした不気味なイメージのなかに、不安と恐怖が詰め込まれている。
ストーリーや因果関係というものが、どれほど怖さを緩和するものなのか、このひどく空白の多い物語を読むと、逆によくわかるような気さえする。

ここでわたしたちがこの女の子が怖い、と思うのは、「私」が怖がっているからだ。「私」の恐怖を受け取って、読んでいる側も、ゾッとする(そして、この恐怖を感じない読者にとっては、この作品も何がなんだかよくわからないものだろう)。


さて、ここでもまとめてみよう。

1.子供の怖さが、邪悪、悪魔の化身などという生来的なものに根拠づけられているときは怖くない。
2.子供がたとえ怖い行動に出たとしても、追いつめられたためであった場合は、その子供は怖くない。
3.子供が周囲の大人や環境を写し出す鏡として働くとき、作中人物はその子供に恐怖を覚える。そのとき読者も怖くなる。

そう、子供そのものは怖くはないのだ。見ている大人が、その子供のなかに何を見るか、によって、怖さは決まってくる。

(この項つづく さて明日は何がコワイ、でしょう?)

暑いときにはコワイ本 その3.

2005-07-29 22:56:51 | 
2.子供がコワイ

ところで、『エクソシスト』って怖いですか?
わたしはあの映画の怖さが、いまひとつよくわからない。
音楽は実に怖いし、コンクリートの階段などのスタイリッシュなシーンのいくつかは認めるのだけれど、「悪魔に取り憑かれる子供」の怖さというものが、どうもよくわからないのだ。おそらくこれはやはりキリスト教的な感覚と密接に関連するものなのだろう。

『オーメン』も怖くなかった。
ストーリー展開はおもしろかったけれど、なんというか、「生まれつき邪悪な子供」というのにちっともリアリティを感じなかった。
邪悪さ、って、そんな単純なものなんだろうか。もっと入り組んで、わかりにくいものなんじゃないのだろうか。
『オーメン』はたぶん二作目だか三作目だかが出たときに、同時上映されていたのを父親と一緒に見に行ったのだ。
小学生で、残酷な描写とか怖い場面が出てくると、うひゃー、と父親の肩の後ろに隠れて、半分だけ目をのぞかして見ていたようなおぼろげな記憶がある。
けれど、当時でさえ、ダミアンが特殊な子供で、とりたてて怖い、とは思えなかった。
そこらへんにいる子供(自分も含めて)だって十分に残酷だし、嘘だって平気でつくし、悪いことだってする。そういうごく普通の子供とダミアンのちがい、というのが、はっきりとはわからなかった。
やはりこれも、キリスト教文化のなかで育つと、悪魔の子、というのは、文句なしに怖いという実感を持つようになるのだろうか。

けれども、怖い子供はいる。
わたしが怖い、と思ったのは、フィリップ・K・ディックの短編『変種第二号』(『ディック傑作集1『パーキー・パットの日々』所収 ハヤカワ文庫)だ。

ディックの作品(あるいはスティーヴン・キングの“デッド・ゾーン”)を読むと、'70年代のアメリカの気分みたいなものがよくわかる。米ソ間の全面核戦争の危機を常に孕んでいた冷戦時代というのが、なんとも陰鬱で、やりきれないものだったのかが色濃く反映しているのだ。

『変種第二号』も、米ソ間核戦争によって、廃墟と化した近未来の世界が舞台だ。

ヘンドリックス少佐率いるアメリカの一小隊は、灰燼や瓦礫の山の下に築いた掩蔽壕に身を隠している。そこが地球の前線司令部で、政府や軍隊は月基地(ムーン・ベース)に行ってしまった。地球に残された軍隊は、小隊ごとにバラバラにされて、廃墟や下水渠、穴蔵など、いられる限りのところに留まっていた。

先制攻撃でアメリカのほとんどを吹き飛ばしたソ連軍だったが、〈クロー〉の開発によって、戦局は一夜にして一変する。

 地面の向こうから小さな金属のようなものが、真昼の鈍い光にぱっと輝きながら現われた。金属の球体だった。ソ連兵を追って、飛ぶような足取りで丘を駆け上がる。それは小さかった。小型の種類だ。鋏(クロー)を体から突き出していたが、その鋭い二本の突起物は白刃と見まがうばかりに勢いよくまわっている。ソ連兵はその音を聞きつけた。さっと振り向くと、発砲した。球体はみじんに砕け散った。だがそのときはすでに次の球体が現われて、最初のを追っていた。ソ連兵は再び撃った。
 三つめの球体がカチッと音をたて、ブンブンと鋏を回転させながら、ソ連兵の脚に飛びついた。肩まで跳び上がった。回転する刃がソ連兵の喉に消えた。

最初はのろかったクローも、どんどん品種改良が進み、大型化し、さまざまな機能を持つようになっていった。
掩蔽壕にいるソ連兵が、外気に当たったり、斥候に出たりしようと掩蔽壕に忍び込む。ひとつ入り込めば、あといくつもがそれに続き、あっという間に一個小隊は全滅する。

クローはいまでは修理も自分たちでやり、地下のオートメーション機械が、新しいクローを型に合わせて作り出していた。アメリカ兵は手首に金属板のバンド「タブ」をつけているから大丈夫だが、もしそれをなくしてしまえば、ソ連兵、アメリカ兵にかかわらず、あっという間に餌食になってしまうのだ。

ヘンドリックスの掩蔽壕に、ソ連兵がひとりだけでやってくる。クローに見つかり、主人公たちの目の前で、ズタズタにされたが、手には会談を希望するメッセージを握っていた。

ヘンドリックスは、罠かもしれないこの誘いに応じて、廃墟の中をソ連軍基地まで歩いていくことになる。

崩れた物陰から人影が現われた。

 ヘンドリックスはまばたきした。「止まれ!」
 少年は立ち止まった。ヘンドリックスは銃をおろした。少年は黙って立ったままヘンドリックスを見つめている。小柄で、年もそれほどいっていない。おそらく八歳ぐらいか。しかしはっきりとはわからない。生き残った子供のほとんどは発育不良だ。少年は汚れてぼろぼろになった、色あせたセーターにショート・パンツという姿だった。髪の毛は長く、もじゃもじゃだ。茶色の髪。顔にかぶさり、耳をおおっている。両腕になにかをかかえていた。
「持っているのはなんだい?」ヘンドリックスは鋭く尋ねた。
 少年はそれを差し出した。ぬいぐるみのクマ、テディ・ベアだった。少年は大きな目をしていたが、表情がなかった。

子供の名はディヴィッド、ディヴィッドの両親は六年前、爆弾で死に、ほかの者たちと一緒に生きていたが、その仲間も死んで、ディヴィッドひとりが残されたのだという。そうして、ヘンドリックスに、一緒に連れて行って、と頼むのだ。

 ヘンドリックスは少年を見おろした。この子は変だ、ろくに口もきかない。内気だ。だがこの子たち、生き残った子供たちはおよそこうなのだ。おとなしい。平静だ。奇妙な諦観のようなものが彼らの心を捕らえている。なにがあっても驚かない。何事もあるがままに受けとめる。彼らには、道徳的にも肉体的にも、期待すべき規範、物事の道理などというものはもはやないのだった。社会的ならわし、その人の習慣、すべて判断の決め手となるものが消失してしまったのである。ただ残酷な体験だけが残った。

汚れたテディ・ベアを抱きしめて歩くディヴィッドは、ひどく奇妙だ。
「どうしてわたしに出会ったんだ」
「ぼくは待ってたんだ…(略)…生きものを捕らえようと思って」
「どんな生きものだ?」
「食べられるもの」
そういうくせに、ヘンドリックスが勧める食事には、手をつけようともしない。

ディヴィッドとヘンドリックスの道行きは、ストーリー全体のなかでも、前半の三分の一ぐらいを占めるに過ぎない。
けれど、このディヴィッドは、怖い。
読み進むにつれて、まちがいなく、この静かな少年は、何か禍々しいものにちがいない、と思う。

突然、三人のソ連兵が現われて、一斉に発砲してくる。だが、狙ったのはヘンドリックスではなく、ディヴィッドのほうだった。
このディヴィッドは、クローの変種第三号だったのだ。
第一号は、傷病兵の格好をして現われ、ソ連軍の北翼を全滅させた。そして、その掩蔽壕では、発砲してきた三人以外の全員が、変種第三号、ディヴィッドに殺戮されていたのだ。

ここから話は変種第二号がいったいだれの姿をしているのかを巡るミステリの様相を呈してくるのだが、最後にファイナルストライク(あっと思わせるオチ)が待っているので、ここではそれには触れない。

とにかくこのぼろぼろのぬいぐるみを抱えたディヴィッドが怖いのだ。
ディヴィッドは、クローの変種第三号だ。機械だ。けれど、人間の姿をしている。ほんとうに、ディヴィッドと、人間の間に線を引けるのか。アメリカが開発していなければ、ソ連が開発していただろう、という正当化をしながら生み出したクローを開発した科学者は、人間の側と言えるのか。あるいは、廃墟に取り残されたのが、本物の子供だとして、その子はまぎれもなく人間の側と言えるのか。

ディックの多くの作品と同じ「人間と人間にあらざるものの境界」の曖昧さが、ここでも重要なテーマとなっている。
ディヴィッドの怖さは、人間の怖さに通じる。
そうしてもうひとつ、こうしたディヴィッドそっくりの子供を、わたしたちは実際に、どこかで目にしていないだろうか。そういう怖さだ。

(この項つづく)

暑いときにはコワイ本 その2.

2005-07-28 22:35:19 | 
1.先生がコワイ ――後編――

『ねじの回転』は、良く読まないと、何が起こっているのかさえわからないほど微妙ではあるのだが、作品のなかにゴーストストーリーである、とはっきり書かれている。
タイトルの「ねじ」とは、昔の拷問のための道具で、親指をねじで一締めして、「さあ、吐け」、それでも白状しなければ、さらにもう一締め。そのたび拷問されている人間は悲鳴をあげる。聞いているひとが悲鳴をあげるような、怖い話についての比喩表現なのだ。

日本ではもっぱら夏の風物誌の観がある怪談だけれど、イギリスでは昔、クリスマス・イブに怪談をするならわしがあった、という。クリスマス休暇を英国郊外の、古い屋敷で過ごしている友人たちが、怪談をする。この『ねじの回転』は、そのときに出た怪談のひとつ、二十年ほど前に死んだ女性の手記を朗読する、という形で話が始まる。

二十歳になる貧しい田舎牧師の娘が、家庭教師に応募する。
ハンサムな紳士が出てきて、両親に死に別れた小さな甥と姪がエセックスの古い屋敷に住んでいる。子供の家庭教師が死んで、その後任になってほしい、と言われる。

ただし、条件がひとつ。どんな問題が起こったにせよ、私(その紳士)に相談せず、自分で解決し、お金は弁護士から受け取るように。

家庭教師としての、娘の新しい生活が始まる。
二人の子供のうち、兄のマイルズはあどけない、かわいい少年、というよりまだずっと幼い男の子。前任の家庭教師が死んだ後、寄宿舎に入れられたのだが、学校ではもう預かれない、という手紙とともに家に帰されている。
妹のフローラも、ラファエロの描く天使のよう。

ある日娘が庭を散歩していると、屋敷の塔の上に男の姿が見える。この屋敷の人間ではないようだ。

女中頭のミセズ・クローズに聞くと、どんな男だったか? と問い返される。
帽子をかぶらず(当時、外で無帽の人間は、紳士ではないと見なされることになった)、赤毛で、目鼻立ちが整って、あごひげをはやし、眉は黒っぽく弓形で、眼は小さくて、じっと動かない。
ミセズ・クローズは驚いて、それはロンドンの紳士がここにいた頃、身の周りの世話をしていた召使いのピーター・クイントだ、けれどもクイントは事故で死んだのだ、と。

また別の日、娘がこんどはフローラと庭にいたとき、池の向こうにこちらを見ている女に気がつく。娘はこの女が前任の家庭教師、ミス・ジェスルだと確信する。
どうやらクイントとジェスルは恋仲だったらしい。その死も、定かではないのだけれど、醜聞めいたものであったようだ。

こうして娘は何度もクイントとジェスルの幽霊に会うことになる。クイントとジェスルは何をしに出てきたのか? 娘は考える。クイントは、マイルズ少年の魂を堕落させるために(そのたくらみが成功したからこそ、マイルズは寄宿舎から帰されたのだ!)、そうしてジェスルはフローラの魂を奪うために出てきたにちがいない。

なんとしても幼いふたりを守らなければ。

ところが娘の目には、次第に、この幼い兄妹さえも、幽霊とぐるになっているように思えてくる。そうして、幽霊に立ち向かおうとする娘は、フローラを狂気の淵に追いやっていく。そしてマイルズは……。


「彼なの?」
わたしは、あくまで確証を握ろうと決心していたので、敢然と彼に挑戦した。
「彼って、だれのことです?」
「ピーター・クイント――畜生!」
 ひきつった顔に哀願の色をうかべて、マイルズはふたたび部屋を見回した。
「お前、どこにいるんだい?」
 ついに最後の降伏のしるしであるその名前を口に出し、それをわたしの彼に対する献身への贈物にしてくれたマイルズのあの言葉は、いまもこの耳に残っている。
「いまはもう、あんな男なんか、どうだっていいでしょう――これからはもう、ずっと、あんな男、どうだっていいでしょう? あなたは、わたしのものよ」わたしは、あのけだものを罵った。「でも、あの男は、永久にあなたを失ったのよ!」それから、わたしは、自分の業績を見せびらかそうとして、マイルズに言った。「そら、あそこに、あそこに!」

 だが、マイルズは、すでにサッと後に向きなおり、またしても目をらんらんと輝かしてあたりを睨んでいたが、目に見えるものは、ただ、静かな真昼の陽光だけだった。わたしは得意だったが、彼は視力を失った打撃(※注:この部分はおそらく誤訳。喪失の打撃、ぐらいに読んでください)に、奈落の底に投げ込まれる動物のような悲鳴をあげた。
 わたしは、やにわに彼を抱きすくめて正気にかえらせた。それはまるで、奈落に転落する寸前に捕まえたようなものだった。わたしは彼を捕まえた。そうだ。しっかり抱きしめた――どんなにかはげしい情熱をこめて。でも、しばらくするとわたしは、自分の抱きしめているものが、本当は何だったか判りはじめた。わたし達は、静かな真昼にただ二人きりだった。そして、悪霊を払いのけられた彼の可愛い心臓は、鼓動の音が止んでいた。
(『ねじの回転』蕗沢忠枝訳 新潮文庫)
 

こうして、この物語は幕を閉じるのだが、実にこの作品は微妙な話なのだ。
ひとつの見方として、家庭教師の娘が、精神の平衡を次第に欠いていき、幻を見るようになったのだ、クイントとジェスルの亡霊など、もとより存在せず、幼い子供達もこの娘が手をかけたのだ、というのがある。
ところが、そうとばかりも言い切れないところもある。
非常に微妙、というのはそういうところで、実にどちらでもとれるように、ヘンリー・ジェイムズは隅々まで念入りにこの物語を仕立て上げているのである。

どう読むか、というのは、ひとそれぞれなのだが、ここでは「先生がコワイ」という括りから、もういちどこの物語を見てみたい。

つまり、この娘の哀れさは、なによりも『ジェイン・エア』にはなれないことにある。
娘はふたりの子供の叔父である紳士に恋心を抱く。ところが紆余曲折ののち結ばれるどころか、たったの二回しか会うことさえできない。

娘が見たクイントの幽霊は、紳士のパロディ、ジェスルの幽霊は自分自身のパロディである、と柴田元幸は『アメリカ文学のレッスン』(講談社現代新書)のなかで指摘している。娘が描いた淡い恋物語は、幽霊達にパロディ化され、醜い現実として、眼前につきつけられてしまうのだ。

娘はロマンティックな恋物語を夢に見、それが実現しなかったために徐々に精神の平衡を欠いていったのだろうか? それとも、だからこそ、ほかの人間には見えない幽霊を見ることができたのか?
実に、さまざまに読める作品なのである。


さて、『グリフォン』『青炎抄』『ねじの回転』の三つを通してみると、
コワイ先生というのは
1.比較的若い女性から若さを失いつつある女性が、
2.恋愛の可能性からは切り離されて、
3.精神の平衡状態を欠いていく
とまとめることができるだろう。

大人が相手のときは、その先生たちはその部分を現すことはない。というのも、彼女たちは一面未熟な部分(イノセントな部分と言い換えてもいいかもしれない)は残していても、日常生活を送ることができるくらいには、社会的に成熟しているからだ。

ところが子供達を前にすると、大人と相対しているときには現れない部分が出てくる。
未熟な部分が剥き出しになるのだ。

2→3に移行する、というのは、なんというか若干文句のひとつも言いたくなるところなのだが、伝統的に、こうした物語の系譜はある。たとえばフォークナーの『エミリーにバラを』にしても、基本は同じだろう。
別に恋愛の可能性から切り離されたぐらいで、精神状態のバランスを欠くこともないだろう、と思ったりもするのだが、それは当時、女性の自己実現というものが、極めて限定された領域でしかなかったことなどを考え合わせる必要がある。

加えて、先生というのは、一面、貧しい雇われの身であり(笑:実感がひしひしと……)、それでいて、子供達に対しては指導者として相対さなければならない、という側面がある。
特に社会経験の少ない若い女性が、こうした両方向からの圧力を受けて、精神状態が不安定になっていく、というのは、非常によくわかるような気がする。

それを目の当たりにした子供の側はどうなのか。
『グリフォン』のように、その先生が見せてくれる世界をおもしろがっていれば、怖がりさえしなければ、怖い結果にはならない。
脅えて泣くぐらいでも、まだ大丈夫。
けれども、その先生の世界に巻き込まれてしまったなら……。マイルズのように、命を落とすことになるのかもしれないのだ。
 
先生は、コワイ。
コワイ先生には、気をつけよう。

(この項つづく)

暑いときにはコワイ本 その1.

2005-07-27 22:38:33 | 
1.先生がコワイ

まず、ホラー小説ではないのだけれど、奇妙な味わいの短編の紹介から。

チャールズ・バクスターの『グリフォン』(『安全ネットを突き抜けて』所収 早川書房)に出てくる先生は、なんだかとっても奇妙な先生だ。

語り手はミシガン州のスモールタウンの小学生。10歳ぐらいの男の子だ。
担任の先生が風邪をひき、代わりの先生がやってくる。
金色の細い髪をシニョンに結って、金縁メガネをかけている。なによりも特徴的なのは、唇の両側から顎にかけて、立てにまっすぐ二本の線が刻まれていること。ちょうど「ピノキオ」のように。

このピノキオのようなミス・フェレンチは、自己紹介からして奇妙なもの。
祖父はハンガリーの王子で、母親はフランダース生まれのピアニスト、「王冠を戴いた人々」の前で演奏したこともある、という。それが「理由は言いませんが、わたしたち一家はデトロイトに移る運命になり」、今日ここへやってきた、と。

一時間目のリーディングの授業こそあたりまえのものだったけれど、二時間目の算数で、ある生徒が「6×11=68」と答えても訂正しない。それどころか、間違いを指摘する子どもたちに対して「6×11=68」というのは「代理の事実」と考えてはどうかしら、と言うのである。

彼女の授業はどんどん奇妙なものになっていく。地理の時間、『遠くの国とそこで暮らす人々』の教科書を出した子どもたちを前にして、エジプトの灌漑の話の代わりに、エジプト人の信仰における魂の移動について話し始めるのだ。その魂はオオアリかクルミの木のどちらかになって土に返る、と。自分がエジプトに行ったときは、サーカスで働いていた老人に、檻に入れられた、半分は鳥で半分はライオンの形をした怪獣をこっそり見せてもらった。その名前はグリフォン、そうして黒板に大きな字でGRYPHONと書く。

学校が終わって、帰りのスクールバスでは、ミス・フェレンチが嘘つきかどうかをめぐって大騒ぎになる。
「半分ライオンで半分鳥の怪獣なんて見たことあるか?」
主人公は咄嗟に作り話を作って相手をやりこめるけれど、家に帰って辞書を引っ張り出さずにはいられない。Gryphon――Gryffinの異形綴り――『ワシの頭と翼、ライオンの胴体を持つ摩訶不思議な怪獣』。ほんとうだったんだ。

つぎの日のミス・フェレンチの話も、いよいよわけがわからない。ベートーヴェンは耳が聞こえた、合衆国の初代大統領はワシントンではなかった、あるいは地球の反対側にあるとてつもなく大きな宝石の話。厚い雲に覆われた金星の、その雲の下には天使が住んでいる。
「あなたたち子供は、こういう秘密を聞くのが大好きよね」
確かに先生の話を聞くのはリーディングの読解問題をやるより楽しかった。
「死は存在しないのです」とミス・フェレンチ。ただ形が変わるだけ。だから怖れてはいけません。わたしはこの眼で真実を見た。だって神さまがここにキスをしてくれたから。そう言って、口の両端からまっすぐ下に刻まれている二本の線を指した。

ある日この先生は教室にタロットカードを持ってくる。「みなさんの運勢を占ってあげましょう」と言うのだ。
「そうね、悪くはないわ。特別高い教育を受けることはなさそうだけど。たぶん結婚は早いでしょう。子供はたくさんできるわ。何か暗い、わびしいものが見えるけれど、それが何であるのかはわかりません。主婦としての苦労、ただそれだけのことかもしれないわね。まあ、たいていの場合、あなたはとてもうまくやっていけそうね」

なかに『死神』のカードをひいたウェインがいた。
「これは?」「これはね、ウェイン、あなたはもうじき死ぬということです」それからミス・フェレンチはこう続ける。「でも、怖れることはありません。ほんとうに死ぬのではないのですから。ただ変化するだけ」

ところがこのウェインは、校長先生にこのできごとを言いつける。ミス・フェレンチは学校を去っていく。
主人公は「言いつけやがって」「弱虫!」と殴りつけ、ふたりは取っ組み合いの大喧嘩になる。

最後の場面はこの子どもたちが、何の秘密もない先生のクラスに押し込められ、このかん、ちゃんと勉強してきたかどうかのテストが来週あるだろう、という予告で物語は終わる。

もちろんさまざまに読める短編だ。
ひとつ言えるのは、子どもは確かにこうした奇妙さを愛するのだ、ということはよくわかる。
ありきたりのことしか言わない、つまらない先生ではなく、不思議な世界を垣間見せてくれる大人がいたら、すっかり夢中になってしまうのも不思議はない。


ところが、このミス・フェレンチと、どこか通じるものがあるのだが、内田百の『青炎抄』の二、「桑屋敷」に出てくる先生は、ひどく怖い。

長い土塀が続く荒れ果てた屋敷で、女先生は、はじめのうちは狂人のお兄さんと一緒に暮らしていたのだが、いつの間にかお兄さんはいなくなって、女先生はひとりで暮らすようになる。


 少し赤みを帯びた昼の稲妻が、頻りに薄暗い家の中を走る大夕立の中で、女先生は漆が剥げかかっている黒塗りの箪笥の前に中腰になり、一つずつ抽斗を開けて、その中を掻き廻した。
 雷の尾が、どしんどしんと云う様な響きになって、古い家の根太に伝わり、戸障子をぴりぴりと慄わせたが、女先生は丸で聞こえぬ風で、抽斗の中に突っ込んだ自分の手許ばかりに気を配った。古ぼけた鞘の長い刀を取り出し、一たん手に取ったけれど、その儘また抽斗の奥の着物の下に押し込んだ。
 ひどい雨になって、家の中の方方に雨漏りがしたが、まだ降り続くと思った中途で、急に止まったような上がり方で、夕方の空が少し明るくなった。風が落ちて、広い荒れ庭に動いている物は何もない。女先生は縁側近く坐り込んだ儘、何処と云う事もなく一心に見つめている。
 
 晩の支度もせず、灯りも点さずに、じっとそうしている内に段段暗くなって、桑の樹の葉末に、かすかな薄明かりが残っているばかりとなった頃、不意に縁側に腰を掛けた男があった。
 女先生は家老の息子かと思ったが、そうではなくて、丸で知らない大きな男であった。女先生の立ち上がりそうな気配を見ると、その男は縁側を離れて、桑畑の中へ行きかけたが、何かに躓いて、暗い地面にのめった。
 女先生には、暗い中でその男の足許までもはっきり見えた。躓いたのは大きな石ころであって、その転がった後に深い穴があいた。穴の底から、白い犬ころが五つも六つも飛び出して来て、そこにのめっている男の顔や身体にまぶれついている。
 女先生は可笑しくなって、一人で暗い縁側で笑い続けた。


 教室では一年生の子ども相手に、幽霊はいない、と話をする。ところが子どものほうは、お話よりも、先生の方が怖いので、泣き出す女の子が出てくる。


「それでは、今度はおもしろい、おかしいお話をして上げましょうね。『もる』のお話をいたしましょう。雨の降る晩に虎と狼が出て来て、貧乏人のお家をねらって居りました。おばあさんが溜息をついて『ほんとに、もる程こわい物はない、虎狼より、もるがこわい』と申しますと、丁度その時、表と裏口とから這入ろうとしていた虎と狼も、びっくりしましたよ。もると云うけだものはそんなに強いのか。それではこんな所にぐずぐずしていては危いと考えて、虎も狼も一目散に逃げてしまいました。皆さん解りましたか。虎狼より『もる』がこわい。ほほほ。『もる』って、どんなけだものでしょうねえ。ほほほ、ほほほ」
 さっきの子供はまだ泣き続けているのに、女先生は教壇の上で、一人で止まりがつかない様に笑い転げている。

 
遠足で全学年が出かけて、ひと気のなくなった学校に、ついていかなかった女先生は、いつもどおり袴をつけて、手には大事そうに、風呂敷に包んだ細長い物を大事そうに抱えてやってくる。教室をぶらぶら歩き、隣の校舎の幼稚園で園児達のお遊戯を見るのだった。翌日の代休にも、同じように女先生は学校にやってくる。


 学校が始まっても女先生が来ないので、小使が迎えに行ってみると、女先生はお化粧をして、両膝を紐でくくって死んでいた。傍らに長い刀が抜き放ってあったので、咽喉でも突くつもりであったらしいと思われたが、刀に血はついていなかった。
 それで女先生の家系は死に絶えてしまった。長い土塀で桑畑をかこった屋敷が、あんなに荒れ果てるまでには、私共の知る様になってから後の、兄さんの狂死以前に、お父さんやお母さんや、まだその先祖に何か恐ろしい事が続いたに違いないと思われるけれど、古い事なので私共には解らない。


この箇所は、ここで終わるのだが、気配や雰囲気は満ち満ちているけれど、実際何がどうなのかはよくわからない。ただ、怖い。よくわからないけれど、怖い。

このどこか哀れさを感じさせる女先生に近いのが、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』の女家庭教師だ。

この女性についてはまた明日。

(この項つづく)

この話、したっけ

2005-07-26 22:32:56 | weblog
この話、したっけ 
――ビートルズを聴いたころ――

 初めて聴いたビートルズの曲が何だったか、まったく記憶にない。
'70年代初めに生まれたわたしがものごごろつくころには、ビートルズなんてまともに聴かなくても何かしらの断片はしょっちゅう耳に入ってきていたし、なんとなく“知っている曲”もずいぶんあった。
ビートルズという名前を聞いても、別にありがたくもなんともなかったし、ピアノの先生のところにあった〈ポピュラー曲集〉のなかにも"Let It Be"や"ミッシェル"の楽譜があって、普段弾いている曲に較べると段違いに簡単なそうした曲を弾いてみても別にどうということもなく、はるかにバッハの「平均律」の無機質さのほうがカッコイイと思っていた。もちろん無機質さ、というボキャブラリはまだ持ち合わせてはいなかったのだけれど。

 中学に入ると、学校ではほぼ毎月、図書委員会主催の「レコード鑑賞会」が開かれていた。まだCDというものが一般的ではなかった'80年代半ばの話だ。
音楽室にある、設置した当時の価格で二百万しただとか特注だとかいう噂の巨大なスピーカーで、要は上級生が持ってきたレコードをみんなで聴きましょう、ということなのだった。
わたしはその「レコード鑑賞会」で、"天国への階段"や"移民の歌"を聴き、"ポセイドンの目覚め"を聴き、"吹けよ風、呼べよ嵐"を聴き、"危機"を聴いた。

いまでもよく覚えている。
階段教室だった音楽室は、壁一面に、音が拡散するように木のリブが打ちつけてあり、防音のためにひらべったい窓が高いところについていただけの、昼間でも薄暗い教室だった。
前には高さ2mを越す巨大なスピーカーがふたつ。
多くの高校生、中学に入ったばかりのわたしから見れば、とんでもなく大人に見える高校生の、それもほとんどが男子生徒ばかりのなかに混じって、わたしは後ろの壁、モーツアルトやベートーベンの肖像画がかかっているすぐ近くの隅っこで、身体を丸くして、圧倒的な音を受けとめようとしていた。

それまで聴いていたものとはまるっきりちがう音楽。
全身の毛穴がカッと開き、そこから音が入ってくる。音は身体の奥底へずんずんと降りていき、腰椎のあたりに留まり、そこを揺さぶっていくのだ。全身がバラバラになり、たゆたい、そうして、またもういちど自分が組み換えられていくような。
初めて耳にする音楽を全身で浴びながら、わたしはそんなふうなことを考えていた。

そういうなかで聴いたビートルズのベスト盤は、えらくかわいらしいというか何というか、何にも感じられない、要するに、スカみたいだったのだ。
言ってみれば、ビートルズは相も変わらず、〈ポピュラー曲集〉に収められた、昔の曲のひとつに過ぎなかった。

そののち、古本屋で見つけた文庫本『19歳にとって人生とは』(ジョイス・メイナード ハヤカワ文庫)のなかで、わたしはこんな一節を見つける。
 
 ほんのわずかの間だけれど、わたしにはビートルズというのが何者だか知らなかった時期があったのを覚えている。わたし(※注 ジョイス・メイナードは'53年生まれ)と同年輩のものたちが、そういう時期があったといえる最後の世代だろう。ビートルズが突然わたしたちの意識に現われてきたとき、まだ十二歳ではなく八、九歳だったものたちにとっては、ビートルズはいつも自分たちの生活と切り離せなかったような気がするに違いない。……
 わたしはまだビートルズのいなかった生活を覚えているので、また、わたしたちが一緒に年をとってきたような気がするので、若い新しいファンたちがあの最初のアルバムを聴いたりさらにひどい場合には、ビートルズを見限ってもっと下手くそなニセ物に乗りかえたりしているのを見ると、自分の独占物をおかされているような気がする。……
 ビートルズがわたしたちに与えてくれたのは音楽だけではなかった。それはたくさんあったと思うのだ。まず第一に、ビートルズは年のいかない若者を歴史のなかに、すくなくともジャーナリズムの歴史のなかに位置づけてくれた。ビートルズがいたあいだ、わたしたちはある種の力をもったのだ。行動することができたのだ。ビートルズの出現は、わたしたちにはじめて“若者”は力だという実感を与えてくれた。反戦集会を開き、ジョンソンに再出馬を思いとどまらせ、バングラデシュ支援のために二百万ドルを集めることができたけれど、これにはおとなの手はなにも借りなかった。そのお返しに、ビートルズがわたしたちに与えてくれた名誉のお返しに、わたしたちも彼らに名声を与えてやったのだ。

 この本がアメリカで出版されたのは1973年。
そのころ、メイナードは既にJ.D.サリンジャーと同棲していたのだが、わたしがこの事実を知って仰天するのは、それから十年以上あとのことで、この話には関係ない。
英語に興味を持ち、アメリカを知りたいと思っていた当時のわたしは、自分も19歳になったらこんなふうな文章を雑誌に発表したりすることができるようになるんだろうか、と漠然と思いながら、この本に描かれた、わたしが生まれる前のアメリカを、何度も何度も、ほとんど暗記できるほど読み返したものだった。

 こうしてわたしはメイナードの目で、もういちどビートルズを見るようになる。どうしてもメイナードが言うように〈抱きしめたい〉を聴いて、「すばらしいゾクゾクするような感じ」はしなかったのだが。

 ウォークマンを初めて聴かせてもらったときの驚きは、いまでもよく覚えている。
検索してみると、ウォークマンの発売は1979年ということだが、わたしの人生に登場したのは、80年代も半ばを過ぎてのことだ。教室で、わたしの後ろにすわっていたタカハシくん(仮名)が、「これ、いいぜ」と聴かせてくれたのだ。
タカハシくんが言ったのは、ハービー・ハンコックの"Watermelon Man"のことだったのだが、わたしはウォークマンのほうにぶっ飛んだ。

 もちろんそれ以前にも、ヘッドフォンで音楽を聴いたことは何度となくあった。
けれども教室移動のときに"Watermelon man"を聴きながら歩くと、あたりの風景が一変するのだ。そんな経験は初めてだった。空の色がちがい、植え込みの木の輪郭が、ふだんよりくっきりとして見え、構内の隅に停めてある教官の車の色さえも、鮮やかに見えた。
これはすごい!
仕方がないので涙を飲んで返したけれど、ほんとうはいつまでもいつまでも聴いていたかったのだった。

 それからわたしは「英語の勉強をするから」と親を騙して、ウォークマンを手に入れるようになる。
近所の「貸しレコード屋」でせっせとレコードを借りてきては(傷がついているのも多かったけれど)、カセットテープにダビングするのを繰り返した。

 そのころ、ふたたびビートルズを聴くようになっていた。

 わたしがマイケル・ハーの『ディスパッチズ』を読んだのは、翻訳が出てから、大学へ入ってからだったけれど、この本のことは、青山南の『ホテルカリフォルニア以降』のなかで知っていて、なんとか読みたいものだ、と思っていた。

 一介の映画記者でしかなかったハーが、なにをどうやって、ヴェトナム特派記者の仕事を手にしたのかは知らない。『ニュー・ジャーナリズム』の編者トム・ウルフによれば、「アメリカ化したサイゴン」の姿を、軽いタッチで、ややシニカルに書くのが、ハーに課せられたそもそもの仕事だったという。
 ところが時期がまずかった。六八年の正月は、ヴェトコンが一挙に攻勢にでた、いわゆるテト攻勢のときで、「アメリカ化したサイゴン」といったテーマの風流な取材は、それ自体、バカげたものでしかなくなっていた。

……そこでハーは、ケサンに向かう。米軍がヴェトコンに完全包囲され、あわや全滅かと思われた、ヴェトナム戦争の大きな転回点となった地だ。ハーの乗った飛行機は撃墜され、かれはかろうじて一命をとりとめる。そして、再度ケサンへ。さらに、またケサンへ。とはいえ、ケサンでハーのすることといえば、ただ塹壕に他の米兵と身をひそめて、米軍のヘリコプターが迎えにくるのを待つだけのことだった。

「そこで、丘をみつめ、丘にたれこめている死や不可思議のことを考えているうちに、わたしは、じつに奇異でスリリングな幻影をみた。目にみえているとおもえるものは、たしかにみてはいた。自分の立っているところからみえる地面とか、動く人影とか、舞いあがるヘリコプターとか、その向うの丘とかだ。しかし、同時に、別なものもみえてきた。それは、地面であり、軍隊であり、わたし自身の姿だったが、向こう側の丘の有利な地点からみえているように自分の目にもみえてきたのだった。そんな二重の影像を、わたしはなんどもみた」

 そのときだった、とハーは書いている。

「わたしの頭のなかでは、くりかえし、がんがんと、ひどく不吉な言葉が鳴りひびいていた。それは数日前にはじめて聴いた歌の歌詞だった――魔法のように不思議な巡業(マジカル・ミステリー・ツアー)が、おまえたちを、連れ去ろうと待ちかまえている……連れ去りにやってくる……連れ去りに、連れ去りに……これはケサンの歌だ、とわたしはそのとき分かった。そして、いまもって、それはケサンの歌だ」

 わたしはウォークマンで"マジカル・ミステリー・ツアー"を聴きながら、ハーが見たケサンを、車窓に流れていく中央線沿線の街並みの向こうに、見ようとしていた。

 そのとき聴いていたビートルズは、もはや音楽室で聴いたベスト盤のビートルズではなかった。メイナードのビートルズでもなかった。もちろん、ハーのビートルズでもない。それにはほど遠い。
 それでもわたしはティム・オブライエンを読み、生井英考の『ジャングル・クルーズにうってつけの日』を読み、ネルソン・デミルの『誓約』を読み、なんとかヴェトナムを理解しようとしていたのだった。"マジカル・ミステリー・ツアー"はそのための足がかりのひとつだったのだ。

 おそらく、そのころから漠然と思うようになったではないかと思う。
どうしたって、そのときのそのときの自分のありようでしか音楽を聴けないのだ、と。
ビートルズが変わったわけではない。わたしが生まれる前からビートルズの曲はそこにあったのだし、変わりなく流れていた。けれども受け取るわたしが、変わっていったのだ。

たいがいのことは、目の前にある。
要は、それに気がつくかどうか、なのだ。

(この項おわり)

シャーロット・パーキンス・ギルマン 『黄色い壁紙』ノート

2005-07-23 19:03:25 | 翻訳
この文章はサイトのほうにも掲載しました。
ええ、使い廻しです(笑)。
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1.作家について


作者のシャーロット・パーキンス・ギルマンは1860年生まれ。アメリカ建国以来、多くの自由主義的な宗教家や作家を輩出したビーチャー一族(ちなみに『アンクル・トムの小屋』を著したストウ夫人も一族の出身である)の末裔として、ニュー・イングランドの名家、ビーチャー家に生まれる。


ただし、シャーロットが生まれた時期は、一族に往時の面影はなく、父親はシャーロットが四歳の時に家を出、一家は貧困に陥ったため、シャーロット自身も四年間の学校教育しか受けていない。


1881年、彼女が21歳の時、風景画家であるチャールズ・ステットソンに紹介され、24歳で結婚、間もなく女の子を出産する。


ところがこの出産を前後し、シャーロットは鬱病に罹る。そののちサナトリウムに入院することになるのだが、そこでのおもな治療は、あらゆる肉体的・知的な活動を禁止する、というものだった。


一ヶ月後、シャーロットは極度の神経衰弱に陥り、夫と娘の元に帰る。そののち1888年、シャーロットは夫と別れ、娘を連れてカリフォルニアに移住。そこで彼女の精神状態は、劇的に好転する。


シャーロットが作家活動に入ったのは、1890年代である。
シャーロット・パーキンス・ギルマンの代表作として名高いこの『黄色い壁紙』は、当時の一流文芸誌『アトランティック・マンスリー』に掲載される予定だった。


ところが当時の編集長ホレス・スカッダーは「自分が感じたmiserableな感情を、ほかの人間に味会わせることなど、とうてい容認できない」として、掲載を断るのである。


結局1892年の『ニュー・イングランド・マガジン』に掲載される。
発表直後から大きな反響が巻き起こり、ボストン在住の医師は「こんな小説は書かれるべきではなかった。読んだ者はみな、まちがいなく正気を失ってしまう」と抗議したらしい。


そののち、詩集や、1898年に『女性と経済』(原題"Women and Economics")を発表。この作品は七カ国語に翻訳され(日本では未訳)、国際的に高名な作家となる。


1900年、従兄弟のヒュートン・ギルマンと結婚、それから三十年近くに渡って、作家として多くの書を著す。なかでも1916年に出版された"Herland"(強いて訳せば「彼女の土地」とでもいうことになるのだろうか)は、フェミニズム的ユートピアを描いた作品と言われている(未見のため詳細は不明)。


1932年、乳癌を患っていることが判明。三年後、75歳で自殺する。


今日では、フェミニズム運動に関わった最も重要な著述家のひとり、という評価のされかたをしており、ある女性団体が行った1993年の調査では、20世紀にもっとも大きな影響を与えた女性のうちの第六位に選ばれている。



2.作品について


最初期の作品である『黄色い壁紙』は、こうしたシャーロット・パーキンス・ギルマンの実生活をもとに書かれたものだ。


ギルマン自身が語るところによれば、その徹底した「安静療法」のために、彼女の精神状態は、ほとんどボーダーラインまでいった、という。そののち、賢明な友人の忠告を容れて、一切の療法を止め、仕事と、日常生活、家事や育児を始めた。すると力がよみがえってきた、と彼女は書いている。


彼女はこの『黄色い壁紙』を、まず自分に安静療法を課した医師に送った。ところがその医者は、その療法こそが患者を狂気に追い込むものであるということを、決して認めようとはしなかった、という。


だが後年、この医師も、親しい友人に、自分はあの本を読んで、治療法を改めた、と語ったらしい。


ギルマンは「なぜわたしは『黄色い壁紙』を書いたか」(1913)という一文を、このことばで締めくくっている。


「わたしは人を狂わせるためにこの書を書いたのではない。そうではなくて、狂気に追いやられそうな人々を救うために書いたのだ。そして、その効果は実際にあった」


* * *


今日では、この作品はもっぱらフェミニズム的な観点から読まれ、解釈されている。


19世紀後半の、中流階級の女性は、夫の監視下におかれ、使用人の監督と、家事と育児以外のしごとは認められていなかった。徹底して保護される反面、与えられた自由というのは、非常にささやかなもの。
たとえばケイト・ショパンの『めざめ』なども、こうした当時の女性、自立を求めながら得られず、崩壊していく女性が描かれている(こちらはまったくホラー的な要素はない)。


……いや、いいんですけどね。わたしはあんまりそういう読み方が好きじゃないってだけで。ごめんなさい、フェミニズムの活動家のみなさん、石を投げないでください。


ただ、これは「狂気」か「超自然」か、というと、もちろん「狂気」のほうにウェイトがかかっているのは言うまでもないのだけれど、やはり「超自然」という要素をまったく読みとばしてしまうと、それはちょっともったいないような気がするのだ。


壁に、こすれた筋がついている。
その筋がなんでついたかは、お読みになったみなさんは、よくおわかりでしょう。
だが、だれがつけたんだろう?
なんでその部屋はそんなに荒れていたのか?
その部屋には、確かに子どもたちがいたのだ。その子どもたちはどうなったのか。
荒れた温室は?
どうして長い間、借り手がいなかったのか?


なにか、でたのかも。


後ろ、ちょっと気になりませんか?


向こうでカサカサ、って音が聞こえたみたいじゃない?


振り向いても大丈夫?


そこに……。




女が這っていたりして。



(この項終わり 新ネタ考えてない……)

シャーロット・ギルマン 『黄色い壁紙』 その10.

2005-07-20 22:26:42 | 翻訳
 それだけでなく、この壁紙には、ほかにも何かがあった――臭いだ。部屋に入った瞬間から、その臭いには気がついていたが、風が良く通って、日が差し込んでいさえすれば、それほどひどくはなかった。だが、一週間も、霧と雨が続いているいまは、窓を開けていようが閉じていようが、臭いはどこにもいかなかった。

 この臭いは、家中にしみこんでいる。

 ダイニングルームをただよい、居間にまでついてきて、玄関ホールに潜み、階段に横たわってわたしを待ちかまえているのだ。

 わたしの髪のなかにも潜り込む。

 車に乗るときでさえ、急に顔の向きを変えて不意打ちを食らわせてやる――と、あの臭いがするのだ。

 それにしても妙な臭いだ。 この臭いが何に似ているか、何時間も考えた。

 悪臭、ではない――最初のうちは。ひどく微かな、そこはかとない臭い、けれどもこれほど持続する臭いをわたしは知らない。

 湿っぽい天気のときは耐え難く、夜中に目が覚めると、身体の上におおいかぶさっていたりする。

 最初のうちは気に障ってしょうがなかった。屋敷に火をつけようかと真剣に思ったぐらいだ――そうすれば、臭いをつかまえられる。

 いまはずいぶん慣れた。臭いのことでわたしが思うのは、壁紙の色にそっくりだ、ということ。黄色い臭いなのだ。

 壁には非常に奇妙なしるしがついている。低いところ、裾板の近くだ。一本の筋が部屋をぐるりと一周しているのだ。筋は、ベッドを除いたあらゆる家具の後ろ側にも、一本の長い、まっすぐで均質な染みのように続いている。あたかも何度も何度もこすったかのように。

 こんな筋がどうしてついたのか、だれがつけたのか、いったい何のために? ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる……目が回ってしまう。

* * *



 とうとう見つけた。

 夜の間、ずっと見張っていると、変わるときがあるのを、わたしはとうとう見つけたのだ。

 表面の模様が、確かに動くのだ――それもそのはず、その奥にいる女が揺さぶっているのだ。

 ときどき、その向こうにものすごくたくさんの女がいるような気がするが、また別のときは、たったひとりのような気もする。女は素早く這い回っていて、そのためにあたりが揺さぶられているのだ。

 明るい場所では、女は静かにしているけれど、影になった部分では、鉄格子をつかんでひどく揺さぶっているのだ。

 女はいつもよじのぼって侵入しようとしている。けれどもだれも模様を乗り越えることはできない。つまり模様が抑えつけているのだ。だからこそ模様には、たくさんの頭がついているのだろう。

 女たちは越えてこようとする、そうして模様が女たちを抑えつけ、逆さまにすると、女たちは白目を剥く。

 頭を何かで覆うか、取り払うかすると、壁紙の俗悪さも、半減するはずだ。

(明日―たぶん―怒濤の最終回)

シャーロット・ギルマン 『黄色い壁紙』 その9.

2005-07-19 18:33:47 | 翻訳
「よく聞きたまえ。頼むよ、ぼくと、ぼくたちの子どものために、それから、きみ自身のために、ほんの一瞬だって、そうしたことを考えちゃいけないよ。きみみたいな気質の人間にとって、これほど危険で、しかも心奪われることはない。そんな考えは、根も葉もない、ばかげた空想でしかない。どうしてきみは、ぼくの言うことを医者の見解として信頼してくれない?」

 そうまで言われると、当然わたしも自分の言い分を引っ込めざるをえなくなり、やがてわたしたちはやすむことにした。夫はわたしがさきに眠ってしまったと思ったようだが、ほんとうはベッドに横になったまま何時間も、表面の模様と背後の模様が、一体となってか、それとも別々にかはともかく、ほんとうに動いたかどうか、判断をくだそうとしていたのだ。

 いまのように日の光の中で見る模様は、まとまりに欠け、法則性を無視しており、正常な頭の働きを絶えず掻き乱そうとするものだ。

 色合いは、見るもおぞましいく、どこまでも不確かで、見ているといらいらするようなものだが、模様となると、拷問としかいいようがなかった。

 パターンがわかった、と思っても、つづきを追っていくと、まったく思いもかけない具合にひっくりかえり、いったいどうなっているんだ、ということになる。模様は、見る者の頬を張り、打ちのめし、踏みつけにする。まるで悪夢のように。

 うわっつらはけばけばしいアラベスク、一種のキノコを思い出させる。つなぎ目にキノコの生えている、はてしないキノコの列を、発芽し、菌糸を伸ばしていく終わりのない渦巻きを思い浮かべることができたなら、模様の感じはそれにちかいかもしれない。

 そう見える、こともある。

 この壁紙には際立った特徴がひとつある。わたし以外にだれも気がついていないのだが、光の変化によって、模様も変わっていくのだ。

 東の窓から朝日が照らすと――わたしはいつも、朝一番の、長く伸びたまっすぐな光をじっと見る――壁紙は、ちょっと信じがたいほど、すばやく変わっていく。

 だから、常に監視している。

 月明かりのもとでは――空に月さえ出ていれば、一晩中差し込んでくる――同じ壁紙とは思えない。

 夜には、どんな種類の光でも、薄暮でも、ロウソクでも、ランプでも、そして最悪なのは、月光なのだが、模様は鉄格子に変わるのだ。表面の模様のことだ。そうして、その奥にいる女が、はっきりと浮かび上がってくる。

 長いこと、奥に何が見えているのか、ぼんやりとした表面下の模様がわからないでいたのだが、いまならはっきりとわかる。女がひとり、いるのだ。

 日の光の下では、女は息を潜めて、目立たずにいる。模様が女を抑えつけて静かにさせているのだと思う。ひどく不思議なことだけれど。模様を見ながらわたしは何時間でもじっとしている。

 いまではほとんど、横になっている。ジョンは、きみはそうしたほうがいい、できるだけ眠るといい、と言う。

 事実、ジョンは毎食後、わたしに一時間ほど横になる習慣をつけるように言っていたのだから。

 まちがいなく、それは大変悪い習慣だ。だからわたしは眠らないでいたのだ。

 しかもわたしは策略を覚えた。だからわたしが眠ってなどいないことを、だれにも言わないようにしている。金輪際言うものか。

 こうした策略を働いているせいで、ジョンが少し、怖くなってきた。

 ジョンはときどき変だし、ジェニーでさえ奇妙な様子のことがある。

 ときどきそうしたことが、科学的仮説のように頭に浮かぶ――もしかしたら、壁紙のせいかもしれない。

 わたしはジョンを見張るようになった。わたしが見ていることに気がついていないジョンや、どうということもない理由で、急に部屋に入ってくるジョンを。そうしているうちに、ジョンが壁紙を見つめている現場を、何度となく捕まえたのだ! ジェニーもそうだった。一度など、壁紙に手を置いていたところを目撃することができたのだ。

 わたしが部屋にいることを知らないジェニーは、わたしが低い、とても小さな声で、できるだけ何気ない様子で、壁紙に何をしているの、と聞いてみた――ジェニーときたら、盗みの現場を見つかりでもしたように、ギョッとすると、振り向きざま、たいそう腹を立てた様子で、なんでわたしのことを脅かしたりするのよ、と言ったのだった。

 それから、壁紙にさわると、なんでも染みがついてしまうわ、と言ったのだった。あなたの服にも、ジョンの服にもみんな、黄色い染みがついてるの。もっと気をつけてくれなくちゃ。

 ずいぶんと疚しいところなどなさそうな言い種ではないか。けれどわたしはジェニーが模様を調べていたのはわかっているし、わたし以外のだれにも、そんなことはさせるものか、と決めていたのだ。

* * *


 毎日が、前よりずっとおもしろいものになった。待ち受けるもの、楽しみにしているもの、見守らなくてはならないものができたのだ。前よりずっと食べるようになったし、前よりずっと落ち着いてきた。

 ジョンはわたしが良くなっているのを見て、とても喜んだ。この間など、笑いながら、壁紙がそのままなのに、元気になったじゃないか、と言ったのだ。

 わたしは笑ってはぐらかした。壁紙があるから元気になったのだ、などと言うつもりなど、毛頭なかったからだ――そんなことをすると、わたしを馬鹿にするに決まっている。ひょっとしたら、わたしをよそへやろうと思うかもしれない。

 壁紙を確かめるまでは、ここを離れるわけにはいかないのだ。もう一週間以上あるし、それだけあれば十分だろう。

* * *


 ほんとうに、ずいぶん調子はよくなってきた。夜はあまり寝ないようにしている。なにしろどうなっていくか、見守るのが楽しくてならない。そのかわり、昼のほとんどを眠っている。

 昼間の壁紙は、退屈で、得体の知れないものだ。

 見るたびに、新しいキノコがいくつも顔をのぞかせ、全体を覆う黄色い影が濃くなっている。いつもしっかり数えていようと思うのだけれど、キノコの数を数え続けることができない。

 それにしても、壁紙は奇妙な黄色だ。これまでにわたしが目にしたあらゆる黄色いものを思わせる――もちろんキンポウゲのようにきれいなものではなく、古く、汚れて、悪くなったあげく黄色くなったものだ。

(この項つづく)