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 陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

『象を撃つ』 ジョージ・オーウェル その3.

2005-03-31 22:21:00 | 翻訳
 わたしは道に立ったままためらっていた。象を見たとたん、撃ってはならない、とはっきり悟ったのだ。労役に使う象を撃つとは大変なこと、巨大で高価な機械を破壊するにも等しいことなのだ。そうしないですむのなら、避けたほうがいいのはあたりまえである。しかもこれくらいの距離を置いて見る象は、のんびりと草を食べていて、雌牛よりも危険なようには思えない。いま考えてもやはりそう思うのだが、そのときのわたしは、象の「さかり」は終わりかけている、これなら象使いが戻ってきてつかまえるまでのあいだ、悪さをすることもなくぶらぶらしているだけだろう、と考えたのだ。なによりも、象を撃つのなんてごめんだった。しばらく様子を見て、また暴れるようなことがないのを確かめたら、引き上げるとしよう。わたしはそう決心した。

 そのとき、ふと、ついてきた群衆をふりかえったのだ。おびただしい人群れだった。少なくとも二千はいて、さらに刻々と増えつつある。群衆は道の両側をはるか彼方まで埋めつくそうとしていた。わたしは派手な色の服の上に載った黄色い顔の海を見やった。どの顔も、象が撃たれると信じきって、このささやかな娯楽に興奮し、幸せそうな表情を浮かべている。こちらに向けた目は、手品を始めようとする奇術師でも見ているようだった。あんなやつなんか嫌いだが、魔法の銃を手にしているこの間だけは、見てやる値打ちがある、というのである。

とつぜん、結局は自分が象を撃たなければならなくなったことを悟った。人々がそれを望んでいる以上、わたしはそうせざるをえないのだ。否応なく、二千人の意志によって前に押し出されていくのを感じる。この瞬間、ライフルを手に立ちつくしているまさにそのとき、東洋における白人による支配の虚しさ、無益さを、わたしは初めて理解したのだった。ここにわたしがいる。銃を手にした白人が、武器を持たない原住民の群衆の前に立っている。いかにもこの劇の主役のように。けれども実際は、うしろの黄色い顔の意志に押されて右往左往する愚かな操り人形にすぎないのだった。この瞬間、わたしは悟った。白人は専制君主となったとき、自分自身の自由をみずから無効なものにするのだ、ということを。空疎な、ポーズをとるだけの張りぼて、類型的な旦那(サヒブ)になってしまうのだ、ということを。

だからこそ、支配するためには「原住民」に感心されるために我が身を捧げることがその条件となり、そのためには危機的状況のたびに「原住民」の期待にこたえなければならない。仮面をかぶっているうちに、顔が仮面に合ってくるのだ。わたしは象を撃たないわけにはいかなかった。ライフルを借りにやったとき、みずからをそうする羽目に追い込んでしまったのだった。サヒブはサヒブらしくふるまわなくてはならない。毅然とした態度で、迷うことなくきっぱりと事に当たらなくてはならないのだ。ライフルを携え、二千人の観衆を引き連れてここまでやってきながら、なにもせずに尻尾を巻いて引き下がる――いや、そんなことができるはずがなかった。群衆は嗤うにちがいない。そしてわたしの生活は、東洋における白人の生活の一切は、この嗤われまいとするための長い闘いだったのである。

 それでもわたしは象を撃ちたくなかった。象独特の老婆のような雰囲気を漂わせながら、ひとつかみの草を膝に一心にたたきつけているようすを、じっと見ていたのだ。こんな生き物を撃つのは、殺人にほかならないように思えた。動物を殺すことに神経質になるような年でもなかったが、象を撃ったことはなかったし、撃ちたいと思ったこともなかった(なんとなく大きい動物を殺すほうが罪深いように思えるものだ)。加えて、象の飼い主のことを考慮しておかなければならなかった。生きている象は少なくとも百ポンドの価値はある。だが死んだ象は象牙の値打ちだけ、おそらくは五ポンドかそこらだろう。だが、速やかに行動しなければならなかった。わたしはこういうことに詳しそうなビルマ人たち、わたしたちが来る前からそこにいた連中に、象がどんなようすだったか聞いてみた。答えはみんな同じだった。手出しをしなければ何もしないが、近づきすぎれば襲いかかるかもしれない。

 なにをすべきかは明白だった。象におよそ二十五メートルくらいまで近寄って、どうするか試してみるのだ。襲いかかってくるようなら、撃つまでのこと。何もしなければ象使いが戻ってくるまで放っておいても大丈夫、ということだ。だがそんなことはできないことも、よくわかっていた。わたしはライフルを撃つのがあまりうまくないし、地面はぬかるんでいるから、一歩ごとに足がめりこんでいくだろう。もし象が襲いかかってきて撃ちそこなうようなことにでもなれば、蒸気ローラーの下のひきがえるも同然ということになるだろう。けれどもこんなときでさえ、自分の身の安全はそれほど気にならず、うしろで見守っている黄色い顔ばかりが気になるのだった。群衆の注視を浴びていたわたしは、ひとりでいるときなら感じたはずの、通常の恐怖感はなかった。白人は「原住民」の前で怖がってはならない。だからたいていのとき、白人は恐怖を感じないのだ。わたしの頭にあったのは、もしへまをすれば二千人のビルマ人の目の前で、象に追いかけられ、つかまり、踏みにじられて、丘の上で見たインド人のように、歯をむきだした死体になってしまう、ということだけだった。そんなことになったら、嗤う連中も出てくるだろう。そんなことがあってはならないのだ。そのためには方法はひとつしかなかった。わたしは薬包を弾倉にこめ、狙いやすいように道に腹這いになった。

(次回最終回)

象を撃つ ――ジョージ・オーウェル その2.

2005-03-30 22:28:07 | 翻訳
 そんなある日に起こった事件が、間接的なやりかたではあったけれども、いろいろなことをあきらかにしてくれたのだった。事件そのものは些細なできごとだったのだけれど、それまでに体験したどんなことより帝国主義というものの本質、専制政治を動かしているほんとうの動機を、垣間見ることができたのだ。

ある朝早く、町の反対側にある警察署の警部補から電話があって、象が一頭、市場で暴れているという。こちらに来て、なにか手を打ってもらえないだろうか。いったい何をすればいいのやら見当もつかなかったけれど、どんなふうになっているのか知りたくて、ポニーに乗って出向くことにした。ライフルは持っていったが、旧式の四四口径のウィンチェスター銃では、象を射殺するには非力すぎる、それでも銃声で脅すぐらいの役には立つのではないかと考えたのである。

とちゅうで大勢のビルマ人に呼び止められて、象がどうしたという話を聞かされた。もちろん野生の象ではなく、飼われている象に「さかり」がついたのだ。象は鎖でつながれていた、というのも通常、発情期に入った家畜用の象はそうすることが義務づけられていたからなのだが、昨夜、鎖をちぎって逃げ出したらしい。こういう状態になったときに言うことを聞かせられるのは、その象の象使いしかいないのだが、追いかけていったはいいが、方向がちがっていて、いまや十二時間もかかる場所にいるという。ところが象ときたら、突然町に戻ってきたのだ。

ビルマ人は武器を持つことができなかったから、どうすることもできない。竹作りの民家を一件壊し、牛を一頭殺し、露天の果物屋を襲撃して、売り物をむさぼった。おまけに町営のごみ回収車に出くわして、運転手が飛び出して逃げていくと、車をひっくりかえしてめちゃくちゃにしてしまった。

 ビルマ人の警部補とインド人の巡査が数名、象が現れたという区域で待っていた。非常に貧しい一帯で、棕櫚の葉で屋根を葺いたみすぼらしい竹の小屋の家並みは、丘の急斜面に入り組んだ迷路をつくりだしていた。雨季の初めの、雲の低く垂れ込める蒸し暑い朝だったのをいまでも覚えている。

象がどこへ行ったか、住民に聞き込みを開始したが、例によってなにひとつはっきりした情報は得られない。東洋ではいつもこうなのだ。遠くで聞いていればはっきりした話が、いつだって現場に近づくにつれ、曖昧になっていく。あっちへ行った、いやこっちだ、なかには象のことなんか聞いたこともない、ときっぱり言い放つ輩まで現れる。まったくの作り話だったのだ、と思いかけたそのとき、すこし離れたところから叫び声が聞こえてきた。

「子どもはこっちに来るんじゃない、さっさとあっちへ行け!」と苛立った怒鳴り声がしたかと思うと、小屋の陰から小枝を手にした老婆が現れ、裸の子どもたちを荒々しく追い立てる。その後ろからさらに何人かの女が、舌打ちし、叫びながら出てきた。子どもが見てはならないものがそこにあるのはあきらかだった。

わたしが小屋の裏手にまわってみると、男の死体がぬかるみに横たわっていた。インド人だ。色の黒いドラヴィダ族の苦力(クーリー)で、裸体に近く、ほんのいましがた命を落としたようだ。小屋の陰から現れた象が、いきなり襲いかかってきて、鼻でつかまえると背中に足をかけ、ぬかるみで踏みつけたのだという。雨季ということで地面は柔らかく、男の顔は三十センチちかくも泥のなかに埋まり、二メートル近く引きずられた溝ができていた。

男は両腕を横に広げてうつぶせに倒れ、首が鋭角に曲がっている。泥だらけの顔は、目をかっと見開き、歯をむき出しにして、耐え難い苦悶の表情を浮かべていた(余談ではあるが、死者の顔が安らかだ、などと言わないでもらいたい。わたしが見たことのある死体のほとんどは、怖ろしい形相だった)。巨大な獣の足でこすられたせいで、背中の皮はウサギの皮をはいだように、すっかりはぎとられてしまっていた。死体を目の当たりにしたわたしは、即座に近くの友人宅に使いをやって、象狩りに使うライフルを貸りに行かせた。ポニーはそのまえに送り返していた。象の臭いに怯えて暴れ、振り落とされでもしたらたまらない、と思ったからである。

 使いは数分もすると、ライフルと薬包を五発持って戻ってきたが、そのあいだにも、何人かのビルマ人が来て、象ならここから数百メートルほど先の、ふもとの水田にいると教えてくれた。わたしが歩き出すと、その地区の住民のほとんど全員が家から出てきてあとからついてくる。ライフルを見て、口々に象を撃つんだ、と叫んで大騒ぎをしだしたのだ。

象が家を壊したくらいでは、たいした関心も示さなかったのに、象を撃つとなると話は別らしい。イギリスの野次馬と同じく、ビルマ人にもちょっとしたみものだったのだ。加えてその肉もほしかったようだが。

わたしはなんとなく不安な心持ちだった。象を撃つつもりなどなかった――ライフルを借りにやったのは、単に万一の場合に我が身を守るためだったにすぎない――し、群衆が後ろからついてくるというのは、どんな場合でもあまり気持ちのいいものではない。ライフルを肩にかけ、馬鹿づらをさげ、実際に馬鹿になったような気分で丘を降りていくわたしの後ろに、押し合いへし合いしながらついてくる群衆は、増えていくばかりだった。

丘のふもと、家並みが途切れると、砂利道に出た。その先は何キロにも渡って、荒れた泥田が続いている。田起こしが始まってもいないのに、雨季の最初の雨でぬかるみになり、点々と雑草が生えていた。象は道路から80メートルほど離れたところに、こちらに左側を向けて立っていた。近づく群衆にも目もくれず、雑草のかたまりをむしっては、膝に叩きつけて泥を落とし、口に押し込んでいる。

(この項つづく)

『象を撃つ』――ジョージ・オーウェル その1.

2005-03-29 21:28:11 | 翻訳
今日からジョージ・オーウェルのエッセイ『象を撃つ』の翻訳をお届けします。
原文はhttp://whitewolf.newcastle.edu.au/words/authors/O/OrwellGeorge/essay/shootingelephant.html
で読むことができます。

* * *

象を撃つ   ジョージ・オーウェル




南ビルマのモウルメインでわたしは非常に多くの人から憎まれていた。人生でたった一度だけ、そんなことになるほどの重要人物になったのである。わたしはその町にある派出所の警官だったが、とくにこれといって目的もない、いやがらせのようなかたちであらわれる反ヨーロッパ感情にはひどく苦い思いをさせられた。

暴動を起こそうとする気骨のある人間はいないくせに、ヨーロッパ系の女性がひとりで市場を歩いてでもいれば、だれかがかならず噛んでいるビンロウの汁をその服に吐きかける。警官であるわたしなど恰好の標的で、そうしても危害が及ばないと思えばかならず嫌がらせをしかけてくるのだった。サッカーのときにすばしっこいビルマ人に足をかけられても、審判(これまたビルマ人)はそっぽを向いているし、観衆はどっと笑い転げる。

そのようなことは一度や二度ではすまなかった。しまいには、どこへいっても出くわす若い連中の嘲るようなにやにや笑いを浮かべた黄色い顔と、後ろのほう、十分に距離をおいたあたりから浴びせかけられる野次に、すっかりまいってしまっていたのだ。なかでも最悪なのが、若い仏教の僧侶たちだった。町には何千という僧侶がいたが、だれひとりとして、町角に突っ立ってヨーロッパ人を嘲る以外にすることがないようだった。

こうしたことのために、わたしは混乱し、動揺していた。というのも、当時、わたしは帝国主義は悪で、この仕事を放り出すのなんか、早ければ早いほどいい、と心を決めていたからなのだ。理屈の上では――もちろん密かにそう思っていただけだったのだが――わたしは完全にビルマ人の側に立っていて、彼らを抑圧している大英帝国には反旗を翻していた。実際にやっている仕事となると、おそらくは口に出すこともできないほど激しく憎んでいたのだ。

警官のような職に就いていると、帝国の醜悪なやりくちを間近に見ることとなる。悪臭の充満する監獄の檻につめこまれたみじめな囚人たちや、長期刑囚たちの怯えた灰色の顔、竹の棒で打たれた男たちの傷だらけの尻。なにもかもが耐えがたいほどの罪悪感となって、わたしをさいなんだ。けれどもわたしには広い視野でものごとを見ることができなかった。未だ若く、教育もなく、東洋にいるイギリス人ひとりひとりに課せられた有無を言わせぬ沈黙のなかで、自分の問題を考え抜かなければならなかったのだ。

大英帝国が死に瀕していることも知らなかったし、ましてそれに取って替わろうとしている新興の帝国主義国家群と較べれば、英国のほうがはるかにましだ、ということなど、理解できるはずもないのだった。わかっていたことは、ただ、自分が仕える帝国にたいする嫌悪と、仕事を妨害しようとする悪意に満ちた獣たちとのあいだで板挟みになっている、ということだけだった。心の一部では、英国の植民地支配を、強固な専制支配である、抑圧された人々の意志を、半永久的に踏みつけにするものだと思いながら、別のところでは、僧侶たちのはらわたに銃剣を突き刺してやれたらこれほど愉快なことはないだろう、と思っている。こうした感情は、帝国主義にあってはごくありきたりの副産物なのである。だれでもいい、インド在住のイギリス人役人を非番のときにつかまえて聞いてみるといい。

(この項つづく)

この話、したっけ ――小説のなかの「他者」と現実の「他者」その5.――

2005-03-23 19:35:06 | 
最初の方で出てきたミユキちゃん(仮名)は、恋に落ちると、いつも「運命的な出逢い」を感じる、と言っていたものだった。運命的な出逢いというのは、人によってはずいぶんゴロゴロ転がっているものだなー、とおもしろがっていたのだけれど、いま考えてみると、それも非常に納得のいく話で、おもしろがったりして悪かったと思う。ごめんね、ミユキちゃん(仮名)。

つまり、好きだ、と思うことは、相手を発見することだ。
これまで相手の顔など、何十回、何百回見てきたかわからないけれど、それはほんとうに「見」たのではなかった、「類型」というフィルターを通して見ていたのにすぎない。
「ほんとうの宮崎君(仮名)」を見たのは、いまが初めてだ。
そういう意味で、発見したのだし、たとえ昨日まで毎日会っていたとしても、そんな会い方とはまるっきりちがう、文字通り「運命的な出逢い」というものを、今日、初めてしたのだ。

わたしたちは他者を見るとき、いつも何らかの類型をおこない、自分なりに意味づけつつ、その意味を通して相手を見ている。自分にとって、「ひとことで十分」の相手は「ひとこと」で片付けるし、もう少し意味づけが必要なら、そのリストは長いものになる。

けれども恋に落ちたら、相手のことを書き連ねたリストがどれだけ長くなっても、まだまだ足りない、どうやっても言い尽くせない部分があるような気がする。だから、相手のことがわからない、と思う。

わたしたちは、実は、他者のことなどわからないのだ。「他人の痛みを感じる」というフレーズがあるけれど、これはひどく矛盾した話だ。感じることができた時点で、すでにそれは自分の痛みになってしまう。感じることができないから、他人の痛みなのだ。
けれど、相手の発言や、動作、行動を見て、自分がこれまで会ったり、本で読んだりしながらストックしてきた人間の類型にあてはめて、わかった気になっている。
ほとんどの他者はそれで十分なのだ。
そこへ十分ではない他者が現れた。

宮崎君のことばは何を意味しているのだろう。
宮崎君のあの行動にはどういう意味があるんだろう。
あのときわたしがああ言って、宮崎君がこう答える前に、少し間があったけれど、その間はどういう意味があるんだろう。

そして、この問いは、結局はひとつの問いに繋がっていく。
宮崎君は、わたしのことを好きなんだろうか。

ここで、もうひとりの類型化しきれない人間が出てくる。
それは自分自身だ。
どれほどのことばをついやしても、自分に語って聞かせるストーリーは終わりにはならない。
適当なところで見切りをつけて、受け容れやすいものが見つかり、他者にも承認してもらったあたりで普段は納得しているけれど、ほんとうはそんなものではない、とどこかで思っている。
類型ではない、この世にたったひとりしかいないあなたに、この世でたったひとりしかいないわたしを認めてほしいと願う、それが恋愛ということなのではあるまいか。
もっと知りたい。もっと知ってほしい。そばにいても決してわかりあえないがゆえに「距離を感じる」。
それゆえに、これまでにないほどに、孤独になっていく。

さて、もう一度、フォースターに戻ろう。

作者は知っていることを全部言うとはかぎりません。わかりきったこともたくさん隠されているかもしれません。しかしとにかく作者は、登場人物のすべてが説明されるわけではないが、そうしようと思えばすべてを説明できる、という印象を読者に与えます。そして読者はこの印象ゆえに、現実の人生ではけっしてお目にかかれない種類のリアリティーを感じることになるのです。
 現実の人生ではお目にかかれないというのは、つまり、現実の人間同士のつきあいにはつねに不明瞭なものがつきまとうということです。……お互いを完全に理解しあうことなど幻想にすぎません。しかし小説では、われわれは登場人物という人間を完全に理解することができます。そしていわゆる読書の喜びとは別に、われわれはここで、現実の人間の不明瞭さにたいする不満を解消できます。……彼女たち(※小説の登場人物)は、秘められた心の生活が見える人間なのです。あるいは、見えるかもしれない人間なのです。そしてわれわれは、秘められた心の生活が見えない人間なのです。
 われわれは悪人が登場する小説も楽しく読めますが、これも理由は同じです。小説は、現実の人間よりも理解しやすくて扱いやすい人間をわれわれに示してくれるのです。そして、人間に対する洞察力がついたという幻想をわれわれに与えてくれるのです。

小説は、恋愛について語り、恋愛に対するあこがれをかきたて、恋愛のシナリオを仕立て上げる。「恋をしている」という状態があると、わたしたちを信じこませ、その一方で、そんなものは幻想だ、とうち消してもみる。
フォースターが言うように、確かに小説を読んでも、他者を、自分をも理解できるようにはならないだろう。
それでも、類型の網の目はより細かなものになり、他者や自分を見る眼はより深さを増していく。そうやって、またふたたび、この未知なる他者と向かい合い、未知なる自分を抱えて生きていく慰めとエネルギーを与えてくれるのではあるまいか。

(この項終わり)

この話、したっけ ――小説のなかの「他者」と現実の「他者」その4.――

2005-03-22 18:40:53 | 

わたしはなくしてしまった

なくしたって なにを?

どこかで見かけましたか?

見かけたって なにを?

わたしの顔を

いいえ
(R.D.レイン『好き? 好き? 大好き?』村上光彦訳 みすず書房)

自分という物語の主人公である「自分」、自分自身にとっては究極の円球人物である「自分」のことを、わたしたちはどこまで知っているのだろう。

精神分析医のR.D.レインは『自己と他者』(志貴春彦・笠原嘉訳 みすず書房)のなかで、アイデンティティとは「自分が何者であるかを、自分に語って聞かせる説話(ストーリー)である」とした。
自分はこのような人間だ、という直接的な形をとるばかりでなく、~が好きだ、~と思う、と、普段「わたしは」という主語をつけずに考えるようなことがらであっても、~が好きだ、~と思う、と考えながら、実は自分自身のアイデンティティを確認しているのだ。ものごとについても、自分がやったことが、かくかくしかじかのことを引き起こした、という、自分を中心とした因果関係の物語として、理解し、把握している。

そうして、このことは自分のうちだけに留まることはない。さらにレインから引く。
「女性は、子供がなくては母親になれない。彼女は、自分に母親としてのアイデンティティを与えるためには、子供を必要とする。愛人のいない恋人は、自称恋人にすぎない。見方によって、悲劇でもあり喜劇でもある。〈アイデンティティ〉にはすべて、他者が必要である。誰か他者との関係において、また、関係を通して、自己というアイデンティティは現実化されるのである」

アイデンティティというストーリーは、自分が自分に語るだけでなく、他者との関係において承認されることが必要なのである。
ひところさかんに言われた「自分探し」ということばも、自分が自分に語って納得のいくストーリー、それが他者にも承認されうる「望ましい」ストーリー探しにほかならない。
あるいは心理テストや血液型占いが決してすたれることがないのも、自分を広く受け容れやすいことば(たとえば「A型だから几帳面」)で類型化し、自分で納得し、他者に承認してもらおうとしているから、と考えることができよう。

この「自分が何者であるかを主人公が見つけていく」というストーリーは昔から、文学の大きなテーマだった。主人公が成長して行くにつれて、みずからの人格を深めていく「教養小説」というジャンルもあるし、『ボヴァリー夫人』で主人公のエマはロマンス小説を読むなかから「自分を見つけ」ようとする。『偉大なギャツビー』には、愛のために壮大な自画像を描きながら、その愛を手にしようと行動したときから崩壊していく主人公が描かれる。

ここで疑問になってくるのは、わたしたちが自分を主人公にした物語を紡ぐ、ということを、大昔から続けているから、そうしたことが文学の大きなテーマとなっていったのか、逆に、文学の大きなテーマだから、わたしたちにとって、自分が何か、というストーリーが重要になってくるのか、ということだ。

前者であることはあたりまえ、と思うかもしれない。だが、文学作品を読むことで、明治時代の学生たちは「自我とは何か」考えるようになったし、維新前には存在しなかった「恋愛」について思い煩うようになったのである。
実はこのことは非常に大きな問題につながっていくので、ここでは扱わない。
とりあえずここでは、文学というものは、わたしたちがアイデンティティという物語を紡いでいく上で、非常に重要な役割を果たしている、というだけに留めておく。

さて、ここで、決して類型化できない人間がわたしたちの物語に登場する。
その話は、明日。

(たぶん明日で終わる予定)

この話、したっけ ――小説のなかの「他者」と現実の「他者」その3.――

2005-03-21 23:05:12 | 
ナタリー・サロートは『不信の時代』(白井浩司訳 紀伊国屋書店)でこのように述べている。

 読者は――小説家の場合も同じであって、緊張感を失うとすぐにそうなるのだが――長い間の修練の結果、日常生活の便利さから、かれ自身それに気づかずに類型を行なうのである。鈴が鳴ると唾液を分泌するパブロフの犬のように、読者はほんのちょっとした手がかりをつかまえては、作中人物をこね上げてしまうのである。……
 作中人物が安易な生気とほんとうらしさを獲得するときに、それらが支柱の役割をはたす心理状態は、その深い真実性を失うのである。読者が注意を散らして作中人物に気を奪われることは避けなければならない。そのためには、読者の手からあらゆる手がかりを奪い取ってしまうべきである。そうでないと、読者は生来の傾向から、自らの意思に反してうっかりそれを掴んでしまい、まやかしものをこね上げることになるのだから。
 ここに、作中人物が今日では、もはや己れ自身の影にすぎない理由がある。作中人物があまりにも容易に見わけられる特徴を、小説家は、いやいやながら作中人物に与えるのである。肉体上の外観、挙措、動作、感動、日常的感情などがそうであるが、それらはすでに長い間研究され、知られているので、作中人物にたやすく生命感を与えるのに役立つと同時に、読者に取っつきやすい手掛りを与えることにもなる。今日では、どうしても作中人物に持ってもらわなければならない名前でさえも、小説家にとっては困惑の種なのである。ジッドはかれの作中人物に対して苗字を使うのを避けている。それは、作中人物を読者の世界とあまりにも似かよった世界の中に、一気にしっかりと移し植える危険があるからである。かれは普段あまり使われない名の方を好んで使う。カフカの主人公にとっては、ただひとつの頭文字、すなわち、カフカ自身の頭文字Kだけが名前のすべてである。

ここではふたつのことに注目してほしい。
まず、わたしたちは日常的に、人に対して「類型を行っている」という指摘。
そうして、その類型によって、「勝手にまやかしものをこね上げる」という指摘。
作者はこうして読者が登場人物を類型に当てはめ、その類型にしたがってありがちな物語を作ろうとするのを防ぐために、登場人物の手がかりを消すことさえあるのだ。

作者はこの類型化を意識的におこなうこともある。
ここでまたフォースターに戻ろう。

フォースターは、小説の登場人物は、扁平人物と円球人物に分かれる、という(中野訳では「平面人物」「立体人物」と訳されているが、ここでは"flat character""round character"の原意に近い「円球」を、さらに円球対応するものとして「扁平」を当てた)。

たとえば『坊っちゃん』に登場する「赤シャツ」「野だいこ」「うらなり」「山嵐」といったニックネームを持つ人物たちは、ニックネームどおりに一語で要約できる人物である。「赤シャツ」だったら、赤いシャツを着た気取り屋で、策を弄して同僚の婚約者を奪うイヤな人物、「野だいこ」はおべっか使い、というように。こうした人物が「扁平人物」である。

それに対して主人公の「坊っちゃん」はひと言で要約できない。最初に登場してくるときに背負っている「一本気」という言葉だけでは要約しきれない、さまざまな側面がストーリーの進展につれてあきらかになってくる。
このような人物が「円球人物」なのだ。

「円球人物であるかどうかの規準は、それがわれわれを納得させながら、驚かせることができるかどうかです。もしそれが少しも驚かさないなら、扁平です。納得させないなら、扁平のくせに丸いふりをしているのです。円球人物は人生――小説中の人生ですが――の測りがたさを身辺に漂わせています」(『小説の諸相』 フォースター著作集8 みすず書房)


実生活においても、わたしたちは自分以外の人間に対して、ある種の類型化をおこなっている。円球人物である自分の周囲に存在する人々は、そのふくらみに多少の差はあるにせよ、一種の扁平なのである。それが「他者を理解する」ということであり、類型に従って物語を作っていく、ということが、「他者の行動を予測する」ということなのである。

(この項つづく)

この話、したっけ ――小説のなかの「他者」と現実の「他者」その2.――

2005-03-20 19:27:21 | 
先日、阪急電車に乗ったときのこと。
始発の河原町で、後ろの席にふたりの中年とおぼしい女性が乗りこんできた。
「あ~、座れたわ、この時間に席取れたんはラッキーやったな」
「ほんまにそうやな、ここからずっと立ってなあかん、いうたら大変やもんな」
あたりをはばからぬその声を聞きつつ、『小説と警察』をカバンのなかから出しかけていたわたしは、いやな予感に襲われた。
案の定、ぺちゃくちゃとおしゃべりを始めたその声のでかいこと。『月長石』に関するミラーの考察がどうしても頭に入っていかない。同じところを二度、三度、ふっと意識が逸れて、パラグラフを二つ、三つ戻って読んでいたりする。
やがてふたりの会話は、芸能人Aと芸能人Bの離婚の原因についての考察に移っていった。AとBの性格の分析から始まり、芸能活動、生い立ち、家族環境、ありとあらゆる観点からの検討は、まさに微に入り細を穿つもの。
議論が進むにつれて
「それはちがうて……」
「そら、アンタ、なんもわかってへんで……」
といくつかの対立点を孕み、前で聞いているわたしをハラハラさせる(含嘘)場面もあったが、終点に近づくにつれ、ふたりの見解も「離婚の原因はAとBの育ちのちがい」というところに落ち着いたようで、端で聞いていたわたしも、物語の結末を見届けたような気分になって、満足して電車を降りることができた。ただ件のAとBをまったく知らず、梅田駅構内を歩いているうちにその名前さえ失念してしまったのだが。

1927年、E.M.フォースターはケンブリッジ大学でおこなった連続講義のなかで、聴衆に向かってこう問いかけた。
「小説の登場人物は現実の人間とどこが違うのでしょうか」

この問いにはっきりと答えられるにせよ、答えられないにせよ、わたしたちは小説の登場人物と現実の人間を混同することはない。

けれども、芸能人というのはどうなのだろう。確かに生身の人間ではあるのだけれど、メディアに現れるときはあくまでも「芸能人A」、つまり芸能界という舞台の、登場人物のひとりとして現れる。わたしたちが目にするのは、あくまでも登場人物として、なのである。ところが多くの場合、そのことは意図的に曖昧にされる。

さて、フォースターはそのちがいをどのように説明しているのだろうか。
まずフォースターはアランの『芸術論集』を引用する(引用はフォースター全集8からの孫引用)

小説における虚構の要素とは、作り話の要素ではなく、むしろ、登場人物の考えが行為に発展する場合のその発展の仕方である。現実の人生では、小説に見られるような発展の仕方はぜったいにしないのである。……歴史は外的原因を重視し、宿命論に支配されている。しかし小説では、すべてにおいて、人間の内的原因が重視され、宿命論は存在しない。小説の支配的感情は宿命論ではなく、すべてのことが人間の内的原因によって生ずるという考え方である。小説においては、情熱も犯罪も不幸もすべて人間の内的原因によって生ずるのである。

つまり、ことばを換えれば、小説の登場人物の行動は、すべてその心情的動機によって説明がつく、ということなのだ。それが小説の虚構の要素なのだ、ということである。
そのうえで、フォースターは現実の人間と、登場人物のちがいをこう説明する。

現実の人生では、人間はお互いに完全に理解しあうことはありえません。相手の心がすべてわかることもありえません。自分の胸の内をすべて告白することもありえません。われわれは表面に現れた言葉や表情や身振りによって、お互いにだいたいのところを理解しあうだけです。そして(親密な交わりも含めて)、現実の人間同士のつきあいに必要な土台としてはこれで十分です。しかし小説の登場人物は、もし作者がそうしたいと思えば、読者によって完全に理解されることが可能です。外的生活だけでなく内的生活もすべて読者の目にさらすことができます。歴史上の人物や自分の友達よりも小説の登場人物のほうがはっきり見えるような気がするのはこのためです。


小説を読んでいて、非常にリアリティに満ちた登場人物に出会うことがある。
「まるで実際に生きているようだ」「こんな人物をわたしは知っている」「××にそっくりだ」「ああ、こんな人と現実に出会えたらな」
実はそういうことを感じることができるのは、熟達した作者が、細部までゆるがせにせず、その登場人物を創り上げているからなのである。登場人物がリアルなのは、現実の人間に似ているからではなく、作者がリアルに創り上げているからなのである。

芸能人の場合は、小説よりは不十分な「物語」だ。けれども、生身の人間がそれを演じることで、さらに物語の不十分な部分は、さまざまな情報をもとに、視聴者の側が物語を補っていく。そうして物語を完全なものにしていくのである。

もちろん、登場人物がいつもいつもわかりやすいとは限らない。それはなぜか。
実は作者が容易には見つけられないように、それを隠しているからなのである。
そのことに関しては、また明日(たぶん)。
(この項つづく)

この話、したっけ ――小説のなかの「他者」と現実の「他者」――

2005-03-19 18:56:08 | 
(※タイトルが大袈裟なわりには、中味は他愛のないものです)


 愛。小説のなかで愛が途方もなくのさばっていることは、みなさんもよくご存じのとおりです。そしてそれが小説に害をなし、小説を単純なものにしているというわたしの意見にも、たぶん同意してくださるでしょう。なぜ愛という経験だけが、しかも、性というかたちをとった愛だけが、なぜこんなに大量に小説の世界に移植されたのでしょう。漠然と小説というものを考えると、すぐに男女の恋愛が頭に浮かびます――結ばれたいと望み、そしてたぶんめでたく結ばれる男女の恋愛です。しかし漠然と自分の人生や、まわりの人たちの人生を考えると、現実の人生はこんなものではないと誰もが思うはずです。もっとずっと複雑なものだと誰もが思うはずです。(E.M.フォースター 『小説の諸相』)



高校一年のときの現国の授業で、小野先生(仮名)は
「君ら、恋の定義を知ってるか」
と聞いた。
「相手との間に距離を感じたら、それが恋だ」
そして古今集のなかからこの歌を教えてくれた。

夕暮れは 雲のはたてにものぞ思ふ 天つ空なる人を恋ふとて

「天つ空なる」は身分のはるかに高い人、という意味ではなく、たとえ隣にいたとしても、それこそ雲の彼方にいるように思える、それが恋している、ということだ、と。

そのことばは感じやすい(笑)年代であった当時のわたしたちに、すっと浸透していったようだ。
それが証拠に、二年後、こんどは漢文を受け持った小野先生が、前にぼくが言ったことの何を覚えているか、と聞いたとき、わたしの前にいた豊田君(仮名)、読んだことのあるブンガクなんて、教科書に載っていた『こころ』と『舞姫』だけ、大学入学後はその体格を見込まれてアメフト部に勧誘された豊田君、その広い背中を遮蔽物として、授業中、先生の目を盗んで本を読むのにわたしが大いに利用させてもらった豊田君が
「先生は、相手に距離を感じたら、それが恋だ、って言いました」
と言ったことにも現れているのではあるまいか。

もちろんそのことばはわたしのなかにもひっかかり、以来「距離を感じる」とはどういうことなのだろう、と、考えることになる。

もうひとつ、「距離を感じる」とは別にひっかかったことばがある。
同じ時期、仲の良かったミユキちゃん(仮名)、彼女はめったやたらと惚れっぽい子で、たいがい誰かに恋をしていた。昨日までなんともなかった宮崎君(仮名)が、ある日、いきなり特別な存在、この世にふたりといない、かけがえのない存在になる。そうして溜息交じりに
「宮崎君、って何を考えてるんだろう。ほんと、謎だわ」と言うことになる。先週までは、キャハハ、ミヤザキってバカ~、何てわっかりやすいヤツなんだろう、と笑っていたのに。その宮崎君が渡辺君(仮名)になり、安達君(仮名)になることはあっても、いつもいつも好きになる相手は、不思議で謎で何を考えているか分からない未知の存在だった。

どうして好きな相手の心は「わからない」のだろう。
どうして好きになると、相手との間に距離を感じるのだろう。

後年、そのわたしの疑問に答えを出してくれたのは、E.M.フォースターの『小説の諸相』(『E.M.フォースター著作集8』中野康司訳 みすず書房)である。

(この項つづく)

サイト更新のお知らせ

2005-03-18 20:07:21 | weblog
P.G.ウッドハウス『階上の男』の翻訳をサイトにアップしました。
全文一気に読むことができます。

***

画像は「春の水槽」、この水槽は窓際に置いているため、水草が繁る繁る。
すぐジャングルのようになります。
密林のなかを気持ちよさそうに?泳ぐキンギョたち。
実は水槽もかなりコケが生えていて、そのうちまたキレイにしなきゃいけないんですが。

明日あたりから(この「あたり」が曲者)また新しい連載を始める予定です。

P.G.ウッドハウスを襲った災難

2005-03-17 21:49:53 | 翻訳
昨日ちょっとふれた『オーウェル評論集』を読んでいたら、非常におもしろかったので、もう少しウッドハウスについて書いてみたい。以下、引用はすべて同書(小野寺健編訳 岩波文庫)による。

1940年初夏、59歳のウッドハウスはパリの別荘にいた。1920年代からすでに押しも押されぬ人気作家で、すでに多くの富と名声を手にしていた。

フランスに侵攻してきたドイツ軍は、わざわざそのウッドハウスを逮捕・連行したのである。それから一年ほど続いた自宅拘禁が解かれたあとも、ドイツ軍の監視下におかれた。

そうして1941年の6月から7月にかけて、ドイツのラジオを通じて「非政治的な放送」をおこなった。
その内容は、以下のようなものだったらしい。

 わたしは政治に関心をもったことがない。好戦的感情というものとはおよそ縁がないのだ。どこかの国にたいして好戦的な感情を抱きかけると、とたんに、なかなかの人物に出会う。その男と遊びにでかけることになって、戦闘的な思想や感情は消えてしまうのだ。


 彼らはちょっと前にわれわれをずらりと並べてみて、名案を思いついたのだ。とにかく、彼らはわれわれをこの地方の精神病院に入れた。わたしはそこに四十二週間いた。拘禁状態のことならいくら礼賛してもいい。なにしろ飲みに行けないから本が読める。一番こまるのは長いあいだ家に帰れないこと。妻と再会するときには、この男は安全ですという診断書でも持って行ったほうがよさそうだ。


 戦前のわたしは、英国人であることをいつもささやかな誇りとしていた。だがこの英国人の収容所というか陳列所といった場所で何ヶ月も暮らしてみた今では、かならずしもはっきりとは……。ドイツ側に望むのはただローフ型のパンをくれることと、正門にマスケット銃を持って立っている方たちには横を向いていてもらって、あとはわたしにまかせてくれることである。そのお返しにはインドと、わたしの書名入りの著書一揃いをさしあげ、ポテトの薄切りをラジエーターで調理する秘訣を教えてもいい。この申し入れの有効期限は来週の水曜までとする。

ところがこのウッドハウスの言ったことは、イギリスで大変な問題となった。「売国奴」「総統(※ヒトラー)崇拝」とまで呼ばれ、ドイツの政治宣伝に協力した、と非難が巻き起こったのである。
BBCではウッドハウスの叙情詩の放送は中止され、さらに1944年12月、国家反逆罪で裁判にかけろ、という要求まで、国会で出る。
それに対して、ジョージ・オーウェルが1945年に弁護したのが『P.G.ウッドハウス弁護』という文章なのである。
オーウェルはまず、ウッドハウスには政治意識というものがまるっきり欠落していた、ということを、数多くの著作から明らかにしていく。

さらに、有名な作品のほとんどが、1925年以前に書かれたものであることを指摘する。
しかも、その時代でさえ、彼の登場人物たちは、時代遅れであった、ということも。
確かに、『階上の男』を取ってみても、小道具に電話やタクシーが出てくるのが、奇妙な気さえする。もっと古い、金持ちでブラブラしているビル・ベイツなど、それこそ19世紀の人物といっても不思議はないのだ。

そうした時代感覚の鈍さ、政治意識の欠落から考えて、ウッドハウスが対独協力者であった、という批判ほど的外れなものはない、という。

ウッドハウスを登場させたドイツ側には、はっきりとした目的があった。
ソ連侵攻を目前にして、アメリカの参戦をできるだけ遅らせたかったのだ。
そのためにアメリカでも人気のあった(ただし、アメリカでの人気は、イギリス紳士を風刺した作家、として、イギリス人とはちがう受け取られ方をしていた)ウッドハウスを、ラジオに登場させ、そののち釈放することで、自分たちの行動を「騎士道精神に満ちたもの」と宣伝することをねらった。

一方、イギリス側で、ウッドハウス批判の大合唱が始まったのも、やはり思惑がらみであった。
当時のイギリスは、上流階級が信用を失い、民衆たちはソッポを向き始めていたころだった。そのとき、収入の多い金持ちのひとりであるウッドハウス、けれども社会体制に影響を及ぼす怖れのまったくない、資産階級の一員ではない、一代限りの金持ちであるウッドハウスは、支配者側にとって、格好の生け贄でもあったのである。

オーウェルはウッドハウス批判の愚かしさを訴える。第二次世界大戦以降、何よりも嫌悪すべきものは、売国奴狩りである、と。生け贄にされたウッドハウス批判の矛を収めろ、という。

もし追いつめてアメリカへ逃げこまれ、英国の市民権を放棄されでもしたら、さいごにひどい恥をかくのはわれわれなのである。そんなことより、危急存亡のときに国民の士気をくじいた人間を本気で罰したいというのなら、追及に価する犯人はもっと祖国に近いところにいくらでも潜んでいるのだ。

事実ウッドハウスは1945年にはアメリカへ渡り、市民権を得ている。
ウッドハウスがみずからにふりかかった災難について書いた資料は見つからないし、事実、書いていないのかもしれない。ただ、きわめてイギリス的であり、古い時代の体現者でもあったウッドハウス、故国から石を持って追われ、しかも擁護しているオーウェルからは、愛されつつも、人の良い老大家、一種の化石扱いされている。
いつの時代も、そしてどこの国でもこうしたことは起こっているけれど、その渦中にあったウッドハウス、人の良い叔父さんのようなウッドハウスは、どう思っていたのだろう、と思う。

※なお、昨日『階上の男』が映画化されている、と書いたのは誤りでした。お詫びして訂正しておきます。