陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

楽しくないことが楽しい

2013-01-31 23:52:40 | weblog
「楽しくないことが楽しい」について、もう少し。

人が楽しさを感じるのは、さまざまな状況があるだろうが、そのひとつに「何かを思い通りにできる」ということがあるだろう。

それがゲームであっても、ダンスであっても、野球やサッカー、ピアノを弾くことであっても、ネコやキンギョを飼うことであっても、ベランダでハーブを育てることであっても同じなのだけれど、それらはすべて、わたしたちがその対象に働きかけ、対象を自分の願うように変化させようとする行為だ。

ゲームを先に進めたい。サッカーで強いシュートを打てるようになりたい。ショパンのエチュードを弾きたい。ネコと一緒に遊びたい。エサをやったり、練習を重ねたりして、わたしたちはその対象に働きかける。

このとき、「その対象」は鏡となって、わたしたち自身を規定する。「ゲームのコントローラーを握る自分」「サッカーのボールを蹴る自分」「ピアノの鍵盤に向かう自分」「ネコを育てる自分」…という具合に。ちょうど鏡に映った自分の姿を見るように、相手によって規定された「自分」を知ることになるのだ。

多くの場合、対象はなかなかこちらの思い通りにはならない。練習してもなかなか指は動いてくれないし、ネコはいうことを聞かないし、ハーブには虫がついてしまう。ゲームだって複雑な操作が要求されるから楽しいのであって、ボタンを押すだけで先へ進めるとしたら、それは単なる作業になってしまうだろう。

そうやって失敗を重ねながら働きかけを繰り返し、相手からの反応にこちらも反応していくことで、わたしたち自身が変わっていく。わたしたちは自分をそうやって少しずつ変化させながら、「思い通り」に近づいていくのだ。

「楽しくないこと」というのは、働きかけること自体に興味がない場合は別として、最初は興味を持って始めても、働きかけても働きかけても相手が一向に変わってくれない、ということだ。

相手に変化が見られないと、相手によって規定される「自分」も動いてはいかない。だから何か同じことの繰り返しに飽きてしまう。

それでも、働きかけを続けたとする。相手に変化は見られない。けれども、実は自分の側は決して同じではないのだ。まず何よりも「変化がない」という相手からの反応を受けて、「変化のない相手に働きかけを重ねる自分」に変わっている。そこからさらに働きかけを続けることで相手に対する知識は増えていくし、働きかけの熟練度もあがっていく。さらには「別の方法を試そうとする自分」や「かすかな変化に気がつく自分」に変わっていく。

つまり、見かけ上はどれだけ「変化」がなかったとしても、働きかけを続ける限り、自分が変わらないということはありえない。自分が変わらなかったとしたら、それはほんとうの意味で働きかけているのではなく、ただ惰性で繰り返しているだけだろう。

「楽しくないことが楽しい」というのは、この「容易には言うことを聞いてくれない相手に働きかけ続けることの楽しさ」にほかならない。「できる」ということは、「できる自分に自分が変わっていく」ということだ。「何かをする」ということは、働きかける対象を鏡にして、結局は自分を見つめるのにほかならない。

「好きなことをやりなさい」の罠

2013-01-26 23:54:11 | weblog
帰り道で、わたしの前を小学校の低学年ぐらいの女の子が自転車に乗って走っていた。頭の上でお団子にまとめた髪型、もこもこしたダウンの下から白いタイツをはいた細い足が、強い風にさからって、けんめいにペダルを踏んでいる。バレエ教室に通っているのだ。

わたしの子供時代はピアノやバレエというのは、女の子にとって今よりもっとありふれた習い事だったような気がする。小学校が私立だったこともあるのだろうが、ピアノを習っている子の方が学習塾に通っている子よりも多かったし、なかには月曜日と木曜日はピアノ、火曜日と金曜日はバレエ、水曜日は英語、土日は塾……と、毎日予定が埋まっている子までいた。

わたしの場合は四年生になるまでは、週に一回のピアノのレッスンだけだったが、正直、最初のうちはバレエの子がうらやましかった。ピアノは毎日練習しなければならないのに、バレエなら教室で稽古するだけだからいいなあ、と思っていたのだ。ところが友だちにそう言ってみたら、稽古場のバーがなくても、家で柔軟や基本姿勢の練習を毎日しなきゃならないの、と聞いて、結局どの習い事でも真剣にやろうと思えば、大変なのは一緒なのだと思ったものだった。

小さい頃からお稽古ごとを始めた子というのは、本人の意志とはまったく無関係であることがほとんどだろう。物心がつく前に、否応なしにピアノの前にすわらされ、練習を強いられる。あれこれ考え始める年代になっても、あまりに身になじみすぎていて、「何で自分はこんなことをしているのだろう」という疑問すら生まれない。

授業が終わると、掃除もそこそこに、かばんをまとめて急いで家に戻り、まっさきにピアノのふたを開ける。たいてい夜になると近所をはばかって練習などできなかったから、晩ご飯までのあいだが勝負だった。つぎのレッスンまでに、課題曲を十分に弾きこんでいなかったら、学校の先生などとは比べものにならないほど厳しいピアノの先生からの、容赦ない叱責が待っている。
「音をひとつ出しただけで、この間にどのくらい練習したかわかるのよ。そんなにやる気がないのなら、もう来なくていいのよ」と。
事実、レッスンの順番がわたしの前の子が、一度、一小節を弾くか弾かないかのうちに、「もう帰りなさい」とやめさせられて、泣きながら帰って行ったのも見たことがある。そんな話が親にでも行ったことなら、と見ていたわたしまで青ざめた。

そんなにやる気があったわけではないのだが、「レッスンをやめる」という選択肢は実際には与えられてはいなかった。「叱られることのないように」の一念で、指を間違えることなく適切な時間、適切な鍵盤を、適切な指できちんと押さえることができるよう、家に帰って練習を繰り返したものだった。

だがそれだけピアノの練習をやったからといって、どうにかなったということはまったくない。意味もなく絶対音感だけはついたものの、信号の音やサイレンが音階で聞こえたところで、何の役に立つこともなく、中学受験を機にやめてしまったわたしだけでなく、同じ先生に教わっていた他の子たちも、おそらくは音大にさえ進むことなく、どこかでやめていったように思う。

それでも、そんな練習がまったく無駄だったかというと、そうでもないような気がするのだ。

ピアノの練習にせよ、勉強にせよ、やって楽しいものではない。シャープが五つほどついている難曲を一度も間違えることなく弾けたときに「やった」と胸の内でガッツポーズをしてみたり、返却されたテストの点数を見てひそかにほくそ笑むことはあっても、そんなものは一瞬なのである。その一瞬のあとには、また練習しても練習しても出来なくて、悔し涙を流す日々が待っている。

それでも、楽しくなくても、その曲にすっかり飽きてしまっても、いやになっても、やり続ける。そうしているうちに、たとえばおもしろい映画を見たり、寝っ転がって時代小説やミステリを読んだり、気のあった友だちと話したり、旅行に行ったり、という楽しさとはちがう、なんというか、ほかのものでは味わえないような、変な言い方だけれども、「楽しくない」ことの「楽しさ」みたいなものが、ばくぜんとわかってくるのだ。ちょうど、子供のときはおいしくなかったオリーヴやムール貝やふきのとうのおいしさが、経験を重ねるうちに、いつのまにかわかってくるように。

こんな「楽しくないことの楽しさ」を知っている人なら、たとえば勉強でも仕事でも、「楽しくないからやらない」「やりたくないからやらない」「最初は楽しかったけれど、飽きてしまったからやりたくなくなった」と離れたり、やめてしまうということは少ないように思う。つまり、映画を見たり、遊んだり、の「楽しさ」を規準にすると、勉強や仕事や「やらなければならないこと」はどこまでいっても「楽しくない」。けれども「楽しくないことの楽しさ」を知っている人なら、たとえ出口が見えないような仕事でも、辛抱して、腰を据えて続けられるのではないか。

なんというか、わたし自身はそうした意味で、幼いころの経験にずいぶん助けられているように思うのだ。

絵や音楽や演劇など、いわゆる「好きなこと」を仕事にしている人がいる。
趣味でやるなら楽しい活動だけれど、それを仕事にしている人にとっては、「楽しい」というレベルではすまないことだろう。もちろん、「楽しさ」「やって良かった」と感じる一瞬がないわけではないだろうけれど、ほんとうにそんなものは一瞬で、ダメ出しされても、叩かれても、かならずしも自分の意に沿わなくても、それが仕事ならただただ黙々とやるしかない。けれどもそんな「楽しくないこと」を通じてしか、人の成長はないように思う。

「好きなことをやりなさい」という言い方があるけれども、「好き」だの「嫌い」だのというのは、うつろっていくものだ。「あのときは好きなような気がしたけれど、ほんとうはそれほどでもなかった」と、多くの人はいつしかそのことから離れていく。そんな「好き」を繰り返しても、あとには何も残らないのではないか。

ほんとうに言うのなら、「好きなことをやりなさい」ではなく、「楽しくないことが楽しいってわかるまでやってごらん」ではないのか、とわたしは思うのだ。

日本で一番?遅い年頭のごあいさつ

2013-01-09 23:16:35 | weblog
年が明けて十日あまりが過ぎて、いまさら年頭の挨拶というのも奇妙な話ですが、懸案のアリス・マンローが一区切りついたので、やはりここから始めましょう。

あけましておめでとうございます。

旧年中は、できるだけ毎日更新しようと思ってはいたものの、なかなかまとまった時間がとれず、更新もとぎれがちになっていたんですが、それでも訪問してくださって、ほんとうにありがとうございました。



シモーヌ・ヴェーユの『ヴェーユの哲学講義』のなかに、

「時間は、人間存在にとっての気がかりのなかでもっとも深刻でもっとも悲劇的なものです。あるいは唯一の悲劇的なものだと言えるかもしれません」

という一節があります。

わたしがヴェーユを最初に読んだのが、二十歳前だったということもあって、当時は「時間が悲劇的」ということが、どうにもピンと来ませんでした。その頃、寮の隣の部屋の子が、ユーミンの「時はいつの日にも 大切な友だち 過ぎてゆく昨日を 物語に変える」という歌を毎日聞いていて、なるほど、〈昨日〉を〈物語に変える〉というのはうまい言い方だなあ、と感心していましたから、それもあって、「大切な友だち」の時間が、そんなに悲劇的なものだとは思えなかったのです。



暮れに、映画の『レ・ミゼラブル』を観に行きました。
感動的な歌が続くなかで、登場人物の一人、マリウスが "Empty Chairs At Empty Tables" という歌を歌う場面に、ことのほか深く胸を衝かれました。

六月蜂起がバリケードの陥落とともに終焉し、パンや職が平等に分け与えられる世界を求めて立ち上がった同志は、みんな死んでしまいます。けれども、ジャン・ヴァルジャンのおかげで生きながらえたマリウスは、曲のタイトルの通り、空っぽのテーブルや空っぽの椅子を見て、悲しみの涙を流しながら、生きている自分を許してくれ、と歌うのです。

机や椅子ばかりでなく、本来なら何でもないただの物が、その物とは不釣り合いなほど、強い感情を引き起こすことがあります。本の間にしおりがわりに挟んでいた一枚の葉っぱや、服から落ちたボタン。そうしたただの「物」が悲しいのは、思い出の引き金になる、というだけではない。小学生のまだ低学年の頃だったけれど、幼稚園にあがる前の夏に着ていた、薄い青緑色のワンピースがタンスの底から出てきて、自分がどれだけこの色が好きだったかを思い出し、自分がもう二度とこの服が着られないことに感じた、身を圧倒するほどの悲しさを、いまでもよく覚えています。一枚の服がどうしてこんなに悲しいのか、不思議でしょうがありませんでした。

やがて、わたしはこう思うようになりました。
「物」は、ただ物としてあるだけではなく、いつだって自分を含めた「人」と結びついたかたちで存在します。

そうしてまた、そこに「ある」物や「いる」人をわたしたちは見ることができます。けれども、わたしたちは「いない」人を直接に知覚することはできません。

ところが「物と結びついた人」の「物」だけが残っているのを見たとき、わたしたちは初めて、それまでそこにいたはずの人が、いまはもういない、ということを、直接、まのあたりにしている。その「物」と結びついていたときの自分や誰かはもういないのだ、ということを、「物」を通じて、はっきりと「見て」しまうのです。
ほんとうは「物」が悲しいのではなく、悲しいのは「そのとき」にはそこにいた人が、「いま」はもういないことが悲しいのだけれど、実際、わたしたちには、その「不在」をそういうかたちでしか認識できない。そうして、この「不在」とは、時が過ぎた、ということにほかなりません。

その意味で、「時間」は「唯一の悲劇的なもの」なのでしょう。

時は、いやおうなく過ぎていきます。わたしたちがいま、ばくぜんと「自分のもの」と信じている、さまざまなものや人間関係や自分自身のありようも、いつかはまちがいなく自分から切り離されてしまい、取り戻そうと思っても、二度と自分のものにはならない。この自分自身さえ、いやおうなく変わってしまい、決して過去の自分には戻れません。

なのに。

なのに、わたしたちは誕生日が来ると、おめでとう、と言い、年が改まると、おめでとう、と言います。悲劇的なもののはずなのに、時間が過ぎていくことを、どうして喜ぶのでしょう。

それは、おそらく何かを失う、ということは、別の新しいものを手に入れる、ということだから。過去の自分を失う、ということは、新しい自分を手に入れる、ということだから。

竜宮城に行った浦島太郎のように、過ぎてゆく時間に目をつぶり、何か、それを忘れさせてくれるものに夢中になる、というやり方もあります。けれども、時間の過ごし方はそれだけではありません。過ぎてゆく時間のなかで、何かを続けていくこと。積み重ねていくこと。そうすれば、何ものかは残っていきます。

未来は、先にあるものではありません。未来は、足下にある。たとえ、今日手に入れたものを、明日、失うことになるにせよ。手に入れた記憶は確かにわたしのうちに刻まれていきます。

がんばっていきましょう。
どうか今年も 「ghostbuster's book web.」 とブログ「陰陽師的日常」よろしくお願いします。

いや、今年はもうちょっと更新します(笑)。

あけまして おめでとう
あたらしいとし おめでとう
きょうも あしたも あさっても
ずっと ずっと 1ねんじゅう
300と65にち
よい日でありますように


なかがわりえことやまわきゆりこ
『ぐりとぐらの1ねんかん』


アリス・マンロー「局面」 その12.

2013-01-05 23:35:02 | 翻訳
その12


 ドーリーは運転席の反対側の最前列の席にすわっていた。フロントガラス越しに見晴らしのよい席だ。だからドーリーがただひとりの乗客、運転手を除いては、ただひとり、ピックアップトラックが間道からスピードも落とさずに飛びだしてきたのも、そのトラックの車体がぐらっと大きく揺れたかと思うと、日曜の朝のからっぽのハイウェイを目の前で横切り側溝に突っ込んだのも、何もかも目撃したのだった。それからさらに奇妙なものをまのあたりにしたのだ。トラックの運転手が宙を飛んだのである。一瞬のことだったが、ひどくゆっくりとした、ばかげたほど優雅な動きだった。そうしてハイウェイの反対側、舗装部分の縁の砂利が敷いてあるところに投げ出された。

 ほかの乗客には、どうしてバスの運転手が突然、不快な急ブレーキをかけたのかわからなかった。最初、ドーリーが思ったのは、どうしてあの人、飛びだしたんだろう、ということだった。若い男、というかまだ男の子という感じだったが、きっとハンドルを握ったまま眠り込んでいたにちがいない。その男の子がどうしてトラックを飛びだして、あんなに優雅に宙を舞ったのだろう?

「このバスの真ん前の車が」と運転手が乗客に説明した。なんとか落ち着いて、はっきりと話そうとしていたが、声は驚きでふるえていた。恐れおののいているかのようなふるえがあった。「道路を横切って溝に突っこんだんです。できるだけ早く出発しますが、それまでどうかバスの外にお出にならないでください」

 運転手の言葉が聞こえなかったかのように、あるいは役に立てる特別な資格があるかのように、ドーリーは運転手に続いてバスをおりた。運転手もそれをとがめたりはしなかった。

「この馬鹿野郎が」一緒に道を渡りながら、運転手は言ったが、その声には、いまは怒りといらだちしかなかった。「馬鹿なガキが。まったくこんな話があるか」

 若い男は仰向けになったまま、両手両足を投げ出していた。ちょうど雪が降ったときに天使の型をつける人のように。雪の代わりに周囲にあるのは砂利だったが。目が半開きだった。まだほんとうに若くて、まだひげをそる必要もないのに、背ばかり伸びてしまった男の子だった。おそらく、運転免許さえ持っていないにちがいない。

 運転手は自分の携帯で話していた。

「21号線のベイフィールドから南2キロほど行ったところです。道路の東側にいます」

 男の子の頭の下、耳元のあたりから、ピンク色をした泡が少しずつ拡がっていく。どう見ても血のようではなく、なんだかイチゴジャムを作っているときにすくい取るあくのようだった。

 ドーリーは男の子の横にしゃがんだ。胸に手を置いてみる。動いていない。かがんで耳を寄せた。男の子のシャツから、だれかがかけて間もないアイロンのにおいがする。

 息をしていない。

 けれどもなめらかな首に指先でふれると、脈は感じられた。

 ドーリーは前に聞いたことを思い出した。ロイドが教えてくれたのだ。ロイドがその場にいないときに、子供が事故に遭った場合に備えて。舌だ。舌が喉の奥に落ちこんで、気道をふさいでしまうのだ。ドーリーは片手の指先を男の子の額に当て、もう一方の手の二本の指をあごの下に当てた。額を下げて、あごを持ち上げ、気道を確保する。軽く、ぐらつかないようにかたむけて。

 自力呼吸していなければ、ドーリーが息を吹き込んでやらなければならない。

 鼻をつまんで、大きく息を吸いこむと、自分の口を相手の口でぴったりふさぎ、息を吹きこんだ。二回吹きこんで、確認。二回吹きこんで、確認。

 バスの運転手とはちがう男の声がした。通りかかったドライバーが車を停めたのだろう。
「この毛布を頭の下に入れた方がいいですか?」

ドーリーはきっぱりと首を横に振った。ほかにも思い出したことがあったのだ。被害者は動かしてはならない。脊髄を損傷してしまう恐れがあるから。ドーリーは少年の口をおおった。暖かく、生き生きとした皮膚を押す。息を吹きこみ、待つ。さらに息を吹きこみ、待つ。すると、湿気を含んだ空気がドーリーの顔をなでたような気がした。

 バスの運転手が何か言ったが、そちらに目を遣る余裕はない。今度ははっきりと感じた。男の子の口から息がもれた。広げた手を男の子の胸にじかにのせると、最初のうち、自分の手が上下するのが、自分の手がふるえているせいなのか、そうではないのか、わからなかった。

 そう、そうよ。

 本物の呼吸だ。気道が開いたのだ。自力で呼吸している。この子は息をしているのだ。

「それをこの子にかけてあげて」ドーリーは毛布を持っている男に言った。「この子を暖かくしてあげなくちゃ」

「生きているのか?」バスの運転手が、ドーリーの方へ体をかがめた。

 ドーリーはうなずいた。指先はふたたび脈を探りあてていた。おぞましいピンクのそれはもう流れてはいない。深刻なものではなかったのかもしれない。脳から出てきたようなものでは。

「お客さんひとりのために、バスはそのままにしておけないんだが」と運転手は言った。「もうすでに定刻からずいぶん遅れてしまってるから」

 毛布を持ってきてくれたドライバーが言った。「行っていいよ。あとはぼくが引き継ごう」

 静かに。静かにしてよ。ドーリーはそう言いたかった。この子の体が集中しなきゃならないんだから。息をするっていう大切な仕事をわからなくなってしまわないように、助けてあげなきゃいけないんだから、そのためには静かさが何よりも必要なような気がするの。

 いまでは、ぎこちないけれど安定した呼気が、胸の内で快く、従順に続いている。がんばれ。がんばれ。

「お客さん、聞こえたでしょう? この人がここに残って、この坊やを見てくれるんだそうですよ」バスの運転手が言った。「救急車も出来るだけ早く、こっちに来るって」

「行ってちょうだい」ドーリーは言った。「救急車に一緒に乗せてもらって街へ行って、それから運転手さんを探して、夜、このバスが戻るときに乗って帰るから」

 バスの運転手はドーリーの話を聞くために、腰をかがめなくてはならなかった。ドーリーは顔も上げず、さっさと行ってちょうだい、と言わんばかりの口調だった。まるで呼吸が何よりも大切なのは、自分自身であるかのように。

「ほんとにいいんですか」と運転手はたずねた。

 いいんです。

「ロンドンへ行かなきゃならないんじゃないんですか?」

 いいえ。




The End




※後日手を入れてサイトにアップします。お楽しみに。






アリス・マンロー「局面」 その11.

2013-01-03 22:22:40 | 翻訳
その11.


 だからドーリーは、ミセス・サンズに近寄るまいとした。

 確かにドーリーもロイドの頭がおかしいとは思った。しかも、彼の書いている文面からは、おなじみの自慢めかした響きさえ聞こえてくる。だから返事は書かなかった。そうして何日かが過ぎ、何週間かが過ぎていった。ドーリーは自分の意見を変えたわけではなかったが、彼の書いていたこと、まるで神秘のように書いていたことは、ずっと頭から離れなかった。そうしているうちに、おりにふれ、たとえば浴室の鏡にスプレーしたり、シーツをぴんと張ったりしているさなかに、ある感覚が胸をよぎるようになった。

ほとんど二年ものあいだ、ドーリーはふつうみんなを幸せな気持ちにしてくれるようなもの、たとえば良い天気であるとか、満開の花とか、パンの焼ける匂いとかといったものを、意識に留めることさえせずにいたのだった。いまだそうした自然にわいてくる幸福感と呼べるようなものはどこにもなかったけれど、それがどんなものだったか、その名残りのようなものが心にきざすことがあるのだ。天気とも花とも関係ない。子供たちが彼のいう「地平」にいる、という考えが、こうやっていつのまにかひっそりと寄り添ってきて、はじめてドーリーの胸に、痛みではなく明るい気持ちをもたらしたのだった。

 あの出来事が起こってからずっと、子供たちへの思いは、ドーリーにとって、のど元に刺さったナイフのように、一刻も早く引き抜かなければならない、取り除かなければならないものだった。名前も危険だ。もし子供たちの誰かに似た響きの名前を耳にするや、それも引き抜かなければならない。子供たちの声や、金切り声、走ってモーテルのプールへ行ったりそこから戻ったりするぱたぱたという足音さえも、門を閉じるように、耳をぴしゃりとふさいで払いのけなければならなかった。いま、変わったのは、身の回りでそうした危険が持ち上がったらすぐ、逃げ込める避難場所ができた、ということだ。

 誰がその場所を与えてくれたのだろう。ミセス・サンズでないことは確かだ。クリネックスの箱を、ひかえめながら手近においた机の横に腰を下ろして過ごした時間でもない。

 ロイドが与えてくれたのだ。ロイド。おぞましい男。隔離され、気の狂った人間が。

 あなたまで頭がおかしくなったのね、とでもなんでも、言いたければ言うがいい。けれども、彼の語ることがほんとうだという可能性は、まったく皆無なのだろうか? あちら側に行ったということは。あんなことをした人間がたどった行路で見た光景が、何の意味もない、といったいだれに言えるだろう?

 こうした思いつきがいつのまにかドーリーの頭の中に入り込んでしまい、しかも根を下ろしてしまった。


* * *

 いろんな人がいるけど、いまはロイド以外にわたしが一緒にすごすべき人はいないと思うんです。それ以外に、わたしにどんな使い道があるっていうんですか――ドーリーはそう誰かに、おそらくミセス・サンズに、言っているような気がした。せめてあの人の言うことに耳を傾けないんだったら、何のためにわたしはここにいるんですか?

「許す」なんて言うつもりはありません、と頭の中でミセス・サンズに言った。それは絶対に言いません。そんなこと、絶対に言えない。

 でも、考えてみてください。あたしだってあの人と同じように、起こったことのせいで閉め出されてしまってませんか? あのことを知ってる人はだれも、あたしにそばに来てほしくない。あたしにできるのはただ、誰も耐えられないようなことを、思い出させてしまう、ってだけなんです。

 外見を変えるなんて、実際には不可能なんです。頭を黄色くして逆立ててみたって、哀れなだけ。


* * *


 気がつけば、ドーリーはまたハイウェイを進むバスに乗っていた。母親が亡くなって間もない頃の夜のことがよみがえってくる。こっそり抜け出しては、ロイドに会いに行っていた。当時、母親の友だちの家に泊めてもらっていたのだが、いつも行き先は嘘をついていた。その友だちの名前、母の友だちの名前を思い出した。ローリーだ。

 今となってはいったい誰が、子供たちの名前を思い出してくれるのだろう。あの子たちの目の色を? ミセス・サンズは、子供たちのことに言及しなければならなくなると、「子供たち」とさえ呼ばなかった。「あなたの家族」というのだ。みんないっしょにひっくるめて。

 あのとき、ローリーに嘘をついてロイドに会いに行く途中、ドーリーは罪悪感など少しももたなかった。ただ、これこそ運命だ、運命に従うのだ、という感覚があっただけだった。彼と一緒にいること、そうして彼を理解しようとすることこそが、自分がこの世に生まれてきたたったひとつの意味だと感じていた。

 いや、いまはそのときとはちがう。同じではない。




(この項つづく)



アリス・マンロー「局面」 その10.

2013-01-01 23:41:38 | 翻訳

 君が帰ってからずっと、君のことを考えているんだ、ドーリー。そして、君を失望させてしまったことを後悔している。君が向かい側にすわっていると、どうも私は外見以上に感情的になってしまっているようだ。君を前にして感情的になる権利などないのだが。君こそ、私に対して感情的になる権利があるのに、いつも自分を抑制しているのだから。だから前言を撤回することにする。結局、話すより書く方がいいだろうという結論に至ったのだ。

 どこから始めたら良いだろう。

 天国は存在する。
 
 というのはひとつの考え方だが、私は天国だの地獄だのといったことは信じていないので、うまい方法とはいえない。私にとって、そういう種類の話はいつだって世迷い言にすぎない。だから、いまそんな話を持ち出しても、ひどく異様なだけだ。

 では、こういうのはどうだろう。私は子供たちに会っている。

 会って、話もしている。

 なあ。君はいま何を考えている? きっと、あの人、ほんとにおかしくなったんだわ、とでも思っているのだろうか。そうでなければ、夢を見ただけなのに、夢だとわからずにいるんだわ、夢を見ているときと、目覚めているときの区別がついてないのね、と。

だが、これだけは言っておきたい。確かにちがいはわきまえているのだし、その上で、子供たちがいるということをちゃんと理解して書いている。私がいうのは、子供たちは存在している、ということで、生きているという意味ではない。生きているというのは、われわれのいるこの地平にいるという意味だが、何も彼らが同じ地平にいると言っているわけではないのだ。実際、彼らはここにはいない。けれども、存在しているのは確かで、もう一つ別の地平――もしかしたら地平は無数にあるのかもしれないのだが、とにかくこことはちがう地平――があるにちがいないのだ。私にわかっているのは、子供たちのいる地平に自分がたどりついたということだ。おそらくひとりきり、自分が考えなければならないことを、来る日も来る日も考え続けたから、見いだせたのだろう。あんな苦しみと孤独のあと、恩寵が、この報いにいたる道が開かれたのだ。この私、世間のものの見方からするならば、これほど恩寵から遠い人間もいまいと思われているのに。

 さて、もし君がここまでこの手紙を引き裂かずに読んできたのなら、おそらく知りたいことがあるにちがいない。子供たちのようすがどうだったか、といったことだ。元気でいたよ。ほんとうに幸せそうで、きちんとしていた。良くないことの記憶は少しもなさそうだった。もしかしたら、少し大きくなっていたのかもしれないが、その点に関してはなんとも言えない。それぞれの段階に応じて理解しているようだった。まだ話せなかったディミトリが、話ができるようになっていた。子供たちがいた部屋は、どこかで見たことのあるような部屋だった。我が家のようでもあったが、もっと広々としていて立派だった。子供たちに、どんなふうに世話をしてもらってるのか、と聞いてみたところ、笑って、自分たちでできるよ、といったことを答えていた。そう言ったのはサーシャじゃなかっただろうか。ときどき一緒にしゃべりだすのか、もしかしたら単に私が別々に聞くことができなかっただけなのかもしれないのだが、それでも彼らの特徴はそれぞれはっきりしていて、とにかく私はうれしかった。

 どうか私の頭がおかしいと結論づけないでほしい。この話をすると、そう思われるのではないかと心配で、話したくはなかったのだ。ある時期、狂っていたことはあったが、ちょうど熊の毛がはえかわるように、私も自分の狂気をふりすててしまったのだ。いや、ヘビの脱皮と言った方が良かっただろうか。もしそうしていなければ、サーシャやバーバラ・アンやディミトリとふたたび結びつけるような能力を持つことはなかっただろう。

いまとなっては君にもこんなチャンスが認められればよいのに、と思う。ふさわしい人間というなら、私なんかよりも君の方がはるかにふさわしいのだから。だが、君はむずかしいかもしれないな。君は私より、ずっと世間と深く関わり合いながら生活しているのだから。だが、少なくとも情報――というか、事実なら与えてやれる。君に私が見たものを伝えてやることで、君の心が軽くなることを願っている。


 ドーリーはミセス・サンズがもしこの手紙を読んだとしたら、いったい何と言い、何を思うだろう、と考えた。ミセス・サンズは、あたりまえのことだが、慎重に対処するはずだ。狂っていると即断するのではなく、慎重に、やさしくドーリーをその方向に誘導していくのだろう。もしかしたら、誘導しているとさえ言えないかもしれない――単に混乱からドーリーを引き離して、最初から自分はこう考えていたと思えるような結論に、ドーリーが直面しなければならないようにする、というだけのことだ。ドーリーは、危険なたわごと――ミセス・サンズの言葉だ――を頭の中からすべて閉め出さなければならないのだろう。



(この項つづく)