陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

じんわりと忙しい…

2005-09-30 21:30:33 | weblog
えとえと、つぎの翻訳は、以前その一部を紹介したシャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』の続きをまたいくつか訳そうと思ってるんですが、前に訳した部分の推敲がまだ終わってないんです。これを訳したのは六月だったんだけど、なんだかんだ忙しく、ずっとほったらかしにしていました。

推敲っていう作業は途切れたらダメなところがあって、ここのところ時間を見つけてはやってるんですが、なかなかはかばかしく進みません。
本業の方もじんわり忙しくなってきて……。
ということで、今日は埋め草。つなぎネタです。サイトのほうにはのっけませんから、ここに見に来てくださった方はラッキー! かどうかはわかりませんが。

* * *


今日は仕事に行く前に病院に行って来ました。
別に重病で余命半年……なんてことではなくて、単なる定期検診だったんですが。
一応予約は取ってあるんですが、それでも結構待たされる。

待合室でアラン・ブースの『ニッポン縦断日記』(柴田京子訳 東京書籍)――どうでもいいんですが、これスポーツ・ノンフィクションと銘打たれたシリーズの一冊で、図書館の分類でもスポーツの項に分類されてるんです。どこがどうスポーツなんだか。そんなこととは無関係に、すごくおもしろい。いかにもイギリス人の旅行記、という感じがするし、それだけじゃなくて1980年代の日本に、まだこんな土地の匂いが色濃く残ってたなんて思いもしなかった――を読んでました。

ところが、目の前のおばあさんがふたり、大きな声で話してるんです。
「それでな、わたしは市役所へ行きましてん。住民票いうもんがありますやろ、教えてもらお、思いましてな。それが、最近は、なんでしたかな、あの、ぷ、ぷ、ぷらなんとかいうもんで、教えてくれはらしまへんねん・・・」
「そうそう、最近はなんでもそういう話になりますねん。こないだも地震、ありましたやろ。ひぇっ、立っとれへんくらいのめまいや、どないしよ、思いましたらな、それがあんた、地震ですねん・・・」(「このあいだ」地震なんてありましたっけ?)
「もう、あんた、七ヶ月分、家賃を踏み倒されたまま、泣き寝入りでっせ。一ヶ月六万八千円、いうのも、ほんまにぎりぎりの額で抑えてますねん。それが、四十七万六千円、パァになりましてん・・・」(思わずかけ算してしまったわたし……)
「ほんになぁ、そういうことはどないにもならしまへん。わたしなんか、血圧の薬、飲んでるさかいにこうやって普通に座って話もできますねん。ありがたいことやとは思います。でもな、めまいはどうもならんのですわ・・」

こういうの、ハイブリッド会話って言うんでしょうか。

つぎに検査を待っていたら、検査室の前では髪の毛がキンキラキンで眉のない、でもきれいな顔立ちの女の子が、悪名高い「ウンコ座り」をして、電話をかけていました。スリッパにジャージの上下で、どうやらここに入院している人みたいでした。

「なに言うとんじゃ、アホ、ボケェ、おまえのせいでなー、むっちゃ気分悪いわ」
わたしはこうした言葉遣いで人に接する人間を、身近に知らなかったので、ちょっとびっくりしてしまいました。別に聞くつもりはなかったんだけど、この子も声が大きかった。

「やっかましいわ、ボケ、ワシがなー、退院したら、湯水のように…」
金を使いまくってやる、というせりふを期待していて待ってたんです。
「働かせてやるからなぁ、覚えとけよ」
ぷっ、と思わず吹き出してしまいそうになりました。

いったいだれに電話してたんでしょうね。それにしても、「湯水のように働かせてやる」ですか。うーん、汗のイメージかな?

わたしのほうは異常なく、相も変わらずの一病息災といった感じでした。
ということで、それじゃ、また♪
がんばって『オハイオ』手をいれますねー。
またサイトのほうにも遊びに来てくださいね。

サイト更新しました

2005-09-29 22:17:51 | weblog
昨日までこちらに連載していた「買い物ブギ」、サイトにアップしました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/
ところでタイトルの「買い物ブギ」、なんとなくつけたんですが、わたしは聞いたことがないんです。関西弁の歌で、「おっちゃん、おっちゃん、これなんぼー」と始まるのだというのは知っているのですが。

文中に載せたPet Shop Boysの"Shopping"、なかなか内容とも合っていて、もうちょっと書いてもよかったんだけど、なにしろ古い曲(といっても、「買い物ブギ」ほどじゃないですが)だから、知ってる人も少ないだろうと思って、やめにしました。マドンナのマテリアル・ガールも、知ってる人は少ないかな。わたし、マリリン・モンローの映画のパロディになっているあのミュージック・ビデオが好きだったんですけどね。

さて、「おっちゃんおっちゃんこれなんぼ」の関西弁、といっても、京都のことばと大阪のことば、滋賀のことば、兵庫のことばはそれぞれに全然ちがいます。大阪でも、北と南ではまたちがうし。

わたしは会話の部分を書くときは、なるべくその人がしゃべったように書こうと努力してはいるのですが、大学になってから関西に来たので、やはり微妙にちがっているのだろうと思います。ただ、なるべく変ではないように、耳で聞いた音の響きを思い浮かべながら書くようにはしているのですが。

わたしは読むのも好きですが、人の話しているのを聞くのも大好きです。
声や、ちょっとした話し方にもやはりその人の一部があらわれていると思うんです。

ときどき、まえに聞いた声や音楽を頭の中でもういちど鳴らしてみることがあります。
音楽ならだいたいうまくいくんですが、人の声はどうやってもチューニングがうまくいかなくて、聞こえないときもあります。だけどうまく聞こえてくるときは、うれしいものです。

さて、うまくいったら明日から新しいネタが始められるかもしれません。
うまくいかなかったら……。まぁ、のぞいてみてください。たぶん、何か書いてると思います。
それじゃ、また。お元気で。

この話、したっけ 買い物ブギ その3.

2005-09-28 22:32:18 | weblog
3.花を買う

ミセス・ダロウェイは、お花はわたしが買ってくるわ、と言った。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』 丹治愛訳 集英社)



 ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』はこの言葉から始まる。

 ミセス・ダロウェイではないけれど、花を買うというのは、わたしにとって特別な行為だ。
 まず第一に、花は安いものではない。本のように買って残るというものでもないし、食べられるものでも、それを身につけることができるわけでも、生活が便利になるわけでもない。言ってみれば、何の役にもたたないものだ。ただ、部屋に花があるとないとでは、全然ちがう。わたしが思う一番贅沢な買い物が、お香を買うことと、この花を買うことだ。

 ただ、わたしはあまり普段から花を絶やさない、という生活をしているわけではない。いかにも園芸植物然とした切り花よりも、どちらかといえば木に咲く花のほうが好きだし、花を買うより、鉢植えを買ってきて育てるほうがコストパフォーマンスも高いような気がして(ついコスト・パフォーマンスを考えてしまう貧乏性のわたし…)、花よりも、小ぶりの木の鉢植えを買う機会の方が多いかもしれない。

 それでも、どうかした拍子に、ふっと花がほしくなることがある。何かのついでではなく、花を買おう、と思って花屋へ行き、カルヴィン・トムキンスの評伝のタイトル『優雅な生活が最高の復讐である』などを思い出しながら、あれか、これかと迷うのである。

 そうするうちに気がついた。多くの場合(もちろんそうでないこともあるのだけれど)わたしが花を買おうという気になるのは、相当に落ち込んだときなのだ。ゾシマ長老が言うように、悲しんで悲しんで、どこまでも悲しんで苦しんだ後、もうこれ以上落ち込むことができなくなるあたりまで落っこちて、さて、もう上向きになるしかないというころで、花でも買おうかな、という気分になるようなのだった。

 この夏、まぁそんなふうなことがあり、そういった心理的経過をたどって八月も終わりに近くなった頃、花を買いに行ったのだった。
 何を買おうか、あれこれ目移りしていると、一隅に黄色いプラスティックの漬け物樽があるのに気がついた。近寄ってみると、水が張ってあり、平たくて丸い、絵本だとカエルが乗っていそうな、だが実際には薄くてカエルなど乗れそうもない、ユーモラスだけれど繊細な葉っぱがいくつも浮かんでいた。
「これ、睡蓮ですよね?」と、花屋のおじさんに聞いてみた。
「温帯性の睡蓮はこれが最後やね。夏も終わりやから」
「これから咲くんですか?」
「ここ、見てみ」
おじさんは水の中に手を突っ込んで、茎を引っ張り出した。ぐなりと曲がった茎の先に、緑色の萼に覆われた固いつぼみがついている。
「これがな、もうちょっと延びたら、水の上に顔を出すからな。そうしたら、待っとってみ。花咲きよるから」
「花、咲いた後も育てられます?」
「もちろん、ちゃんと世話してやったら、来年もまた咲くよ」
「ウチ、ベランダの結構が日差しきついんですけど」
「ああ、大丈夫。結構強いよ。ボウフラが湧くこともあるけど、鉢のなかでメダカや金魚、飼うたらええねん」

 金魚!?
 ウチには現在六台の水槽に、三十七匹の金魚が生息している(詳細は「金魚的日常」参照のこと。この記事を当時は68匹いたのだが、順調に里子に出すことに成功し、何匹かは死なしてしまい、現在の数に落ち着いている)。
 ベランダに睡蓮が咲く鉢があり、そのなかで金魚が泳いでいる図が脳裏に浮かんだ(断じて漬け物樽ではない)。

 物欲番長が降臨してきた気配を感じる。
おじさんにもわたしの背後の物欲番長の姿が見えたか、さらにこう続けた。
「いまからやったらそんなに暑い日も続かへんし、育てるのは簡単やで。水さえ切らさんようにしとったらええねんから」
「でも、これ、中に泥も入ってますよね。ちょっとわたしには持って帰れないなぁ」せめてもの抵抗を試みるわたしに、おじさんはこともなげに
「ええよ、これからねえちゃんとこへ持っていったるわ、ねえちゃん、帰るとこやろ、ついでに乗せていったるわ」と、あごをしゃくって表に停めてある軽トラックを示した。
「でも、わたし、自転車なんです」
「軽トラの後ろに積んでいったらええやんか」

 かつてアメリカでホストマザーがわたしに言ったことがある。
「どんなときでも帰るときは遠慮なく電話して。知らない人の車に乗るってことは、トランクの中に入らなきゃいけなくなるかもしれないってことなのよ」
「トランク?」
「あなたがbody(死体)になるかもしれない、ってこと。rapeではすまなくて」

 その言葉が頭をよぎる。だが、この花屋からウチまであっという間だし、外はまだ明るいし、人通りは多い道ばかりだ。おまけに軽トラにトランクはない。
その間も、わたしの背後にべったりと取り憑いた物欲番長は「買え~、買え~、買わないと後悔するぞ~、さっきおっちゃんも“最後”と言ってたじゃないか~」と囁き続けるのである。

「じゃ、お願いします」
こうして漬け物樽とわたしの自転車を後ろに乗せて、わたしは花屋の軽トラックに乗って帰っていったのだった。

 おじさんはベランダまで持ってきてくれて、ついでにベランダの鉢植え(というには大きくなりすぎたナツメの木)の剪定までしてくれた。金魚の飼育水がいい肥料になっているらしく、どれも青々と茂っている鉢植えを見ながら、おじさんは
「あんた、ほんまに育てるのうまいわ。大丈夫、来年も睡蓮、咲かせられるて」と太鼓判を押してくれた。どうやらわたしは食い詰めたら、金魚屋だけでなく、植木屋?にもなれるのかもしれない。

 毎日毎日、睡蓮の樽をのぞく日が続いた。水温を測ってみると、夕方でも優に30度を超えている。さすがにこの温度では金魚は育てられないだろう、と思って、漬け物樽に金魚を放流するのはあきらめた(この水量では、小型の金魚2匹ぐらいがせいぜいか)。

 そうして九月に入って数日が過ぎた頃、やっとつぼみが水面に顔を出してきた、と思うと、夕方帰ってみると、萼にはっきりと十文字の切れ目ができ、そこから中の白い花が顔をのぞかせていた。明日の朝か、そのつぎぐらいには咲きそうだ、と思うと、朝起きるのが楽しみだった。

 それから、二日後。
 毎朝、起きるとすぐベランダに出てみて、そこで日の出を眺めるのが日課のようになっていた。
 それからコーヒーをいれて、マグカップを持ってもういちどベランダに行く。今日あたりそろそろではないか、と思っていた。できれば仕事に行く前に咲いてくれたら。

 ほんの少し、開いていた。
 睡蓮は開くとき、音がするという。その瞬間はどうやら逃してしまったらしいのだけれど、閉じた手を開くように、ゆっくり、ゆっくりと咲いていくのには間に合ったのだった。

先の尖った花びらが開いていく。
白は寒色なのだということをあらためて思い出す。
胸の底が、しん、と冴えかえっていくような白だった。

自分の胸の中が溶け出していくようだった。
ずっと、ずっと、つらかった。
なによりも、自分で自分の気持ちをがんじがらめにしていたからつらかったのだ。
ずっと自分を責めていた。何がいけなかったんだろう、自分は何を間違えたのだろう、どこで失敗したのだろうとそれだけを考えていた、だがそれは、誤りが自分の側にあるとすることで、それを繕いさえすれば、自分が正しく考えて、正しく行動すれば、またそこからやり直せる、と、意識のどこかで思ったからだったのだ。
 けれど、おそらくそれはわたしの手の届かないところですでに終わってしまっていたのだ。なのに、わたしはそれを認めたくなくて、認めるかわりに自分を責めていたのだ。
だれでもない、わたしが、わたしを苦しめていたのだ。

睡蓮は、水の上に静かに咲いている。
だんだん冷えていくマグカップを両手ではさんで、わたしはすがるような気持ちで睡蓮の花を見ていた。

睡蓮はそれから七日間、開き続けた。最後の日は花びらの先にすこし色がついて、しぼんでいくのがわかった。それから、静かに水の中に返っていった。
その間、わたしは、文字通り、朝な夕な、睡蓮とともに過ごした。

おそらくそのときのことは、これから先、忘れることはないだろう。
こうして漬け物樽に入った睡蓮は、忘れられない買い物となったのだった。

* * *

4.これも買い物 ~かくて日は続く

 つい先日、わたしは書類を提出するために、市役所に行って証明書をもらってこなければならなかった。書式に記入し、窓口に出して、待つことしばし。名前を呼ばれたので寄っていくと、身分証明書の提示を求められた。

「ありがとうございました」窓口のおねえさんはIDを返してくれると、一枚の紙切れを差し出し、こう言った。
「三百円、いただきます」

 え? お金、いるの?
 実は市役所に着く前に、ある場所に立ち寄り、思いがけない買い物をし、銀行に行くつもりでたいして現金を持っていなかったわたしは、財布をはたいた直後だったのだ(何を買ったのかものすごく話したいのだけれど、これを話し始めると、とんでもない方向に話が逸れるので、この話はまたいつか)。まぁいいや、あとで銀行に行くんだから、と思いながら市役所に来たのだけれど、まさかここでお金がいるとは思わなかった。
 そういえば、以前戸籍抄本を取ったときも、住民票を取ったときも、お金を払ったような気がする。読んだ本の中身は決して忘れない(これはウソ、最近は全然ダメ)わたしなのだが、こういう記憶は全然残らない。

 とにかく、小銭入れに残ったなけなしの百円玉と十円玉、五円玉一円玉総動員すると……286円……。14円、足りない(涙)。
 値切るわけにはいかないし(一瞬、カード使えますか? と聞いてみようかと思った)、Oh,my gosh! と天を仰いだ瞬間、自分がたったいま、市役所の建物に入る前に、銀行のキャッシュ・ディスペンサーの横を通ってきたのを思い出す。
「すいませんっっ。ちょっと待ってくださいっ」
おねえさんに頭を下げて、走ってお金をおろしてきたのだった。300円の持ち合わせがない市民が証明書を取りに来たことに、おねえさんもさぞ驚いたことだろう。

 うーん、それにしても、300円というのは、どういった性格の費用なんだろう。
市役所を後にしながら、わたしの頭のなかではニール・テナントが"We're buying and selling your history"(きみの経歴をぼくたちは売ったり買ったりできるのさ―"Shopping" by Pet Sho Boys)と歌い始めていた。
 
 ううむ、わたしのhistoryは300円。それさえも買えなかったわたし……。
 
 ♪We're S・H・O・P・P・I・N・G、we're shopping♪

 人生何が起ころうと、ショッピングだけは続けていこう。ショッピングとはつまり、好奇心が旺盛で、生きていて、先の楽しみがある、ということだ。
(ポール・ラドニック『これいただくわ』小川高義訳 白水社)

(この項終わり)

この話、したっけ 買い物ブギ その2.

2005-09-27 21:37:55 | weblog
買い物ブギ その2.
2.服を買う

 買い物というと、婦女子として生まれたからには「服を買う」という重大な問題と向き合わないですますわけにはいかない。

 えらく大仰な言い方をしてしまうのは、わたしは未だにこの問題と、虚心坦懐に向き合うことができないからなのだ。

 この点に関しては、ジョイス・メイナードがわたしの気持ちを代弁してくれている。

 どうして人間はちゃんと服を着てないとしっくりした感じになれないのだろう。ひどい時には日に六度も服を変え、部屋中ぬぎすてた服でちらかして、手をかえ品をかえやってみて、どうやらやっと自分の姿に満足する。ところが、それから二時間ほど経って、窓ガラスに映った自分の姿を見ると、四苦八苦して作りあげた自分のイメージが消えてしまっているのに気づくのだ。また着替えなければならなくなる。わたしは気にしないですむような顔がほしいのだ。……なにも美人になりたいなんていうのではない。十人並みであればいい。絶えず気にかけてなくてもいい、見た目に感じのいい顔がほしいのだ。

 こんな話をすると典型的なノイローゼではないかと思われるに違いない。でも、これはだれだって考えていることなのだから、“異常”だときめつけるわけにはいかないだろう。もともとわたしたちの社会の生活様式が、美容ということを重視させるようにしてきたのだ。服装デザイナー、ヘアドレッサー、デパートの仕入れ担当者、雑誌編集者、こういう人たちはみんな、はっきりとは意識していないにしても、わたしたち女性が自分たちの自然の姿こそいちばん“好ましい”のだろ思うようになる日が突然やってきて、ついにファッションの横暴な支配から逃れることになるのではないかと恐れているのだ。たえず新製品を作り出して、わたしたちがその日に到達するのに手を貸しながら、彼らはこれまでその日がくるのを少しずつ先へさきへとのばしてきた。ファッションがこんなに早く変わっていくのだから、流行に遅れないようにしてるだけでも難しい。ただじっとしてるだけというわけにはいかないのだ。いつだってつぎつぎに新しいすてきなモデルが現れてきて、前のファッションはたちまちすたれてしまう。……

わたしたちのこの不安定な状態こそ、美容産業が当てにもしまた助長しているものなのだ。わたしたちはいつまでもあと一歩というところで抜け出すことのできない地獄の辺土に生きているようなものなのだ。化粧品やドレスを買うのも、ヘアカットやダイエットをするのも、どれもこれもそれでわたしたちがなにか安心できる気持になって、鏡を見てニッコリすることができるようになりはすまいかと思うからなのだ。(『19歳にとって人生とは』枡田啓介訳 ハヤカワ文庫)


 高校から私服となったわたしは、中学の重たいジャンパースカートと別れたその瞬間から、この「地獄の辺土」をさまよう羽目に陥った。

 とにかく何を着るか決めなくてはならない。折しも当時はバブルまっただ中、DCブランドの全盛期で、バーゲンともなると丸井のまわりで徹夜する人間があふれるような時代、ユニクロもなければGAPもない時代だった。

 とはいえそこは高校生である。服を買うためにバイトさせてほしい、なんて口にでもしようものなら、廊下に正座して、三日三晩説教を食らう覚悟が必要(しかもそれで許可がでるわけではない)な家に育ったわたしは、圧倒的に限られた予算内でなんとか算段するか、母親がイトーヨーカ堂で買ってくる服で我慢するかしかないのだった。

 毎日『オリーブ』(これは雑誌の名前です、念のため)を眺めては、延々と歩き回って、少しでもそれに近いもの、それふうに見えるものを探す。一枚のシャツを買うために、いったいどれほどの苦労をしたことだろう。

 ただ、そういうことをしていても、ちっとも楽しくはなかった。まがいものはまがいものだし、どうしても落ち着かない。我慢ならずにちがう服に変え、「日に六度服も服を変え」ながら、なんと自分はバカなことをして時間を無駄にしているのだろう、とイライラしたし、歩き回ったあげく、うまくバーゲンに間に合って、なんとか予算とデザインの折り合いがつくシャツを買えたとしても、その時間にできたほかのこと、映画を観たって良かったし、絵を描いたって良かったし、もちろん本を読んだってよかったのだ、なのにわたしときたら、何をしていたんだろう……、と思うと、自己嫌悪が募ってどうしようもない気分になるのが常だった。

 そうしてある日、一切のことから下りることに決めたのだ。
「いちぬけた」のである。

 まず、服の全体の枚数を決めた。持つのは必要最小限でいいじゃないか。シャツは長袖半袖三枚ずつ、ジーンズ一本、スカートはプリーツとタータンチェックのラップスカート、トレーナーを二枚、セーターを二枚、カーディガン、ベスト、あとはジャケットとコート。
 そのかわり、ある程度値は張っても、自分の気に入ったものを買う(これは親に頭を下げて買ってもらう)。そのために購入計画書(ブランドと予算も明記の上)を作成し、親に費用を負担してもらう、というスタイルを作っていったのである。

 いまだにわたしはこの規則(内容は多少変わってきているが)を遵守している(もちろんいまは自分の懐を痛めているわけだが)。ギンガムチェックのシャツの袖口がすりきれてきたら、またギンガムチェックのシャツを買ってくる。赤がモスグリーンになったり、チェックの目が細かくなったり粗くなったりすることはあっても、同じ店で、同じものを買う。
 しかも、たいそう物持ちのいいわたしの服は、なかなか痛まないのである。毎日洗濯したとしても、シャツなんてたいがい五年はすり切れたりしない。ということは、五年は同じ服を着ているし、世代交代したとしても、他人にはわからないぐらいの変化でしかない。

 着るものに関しては、間違いなく相当な変人の道を歩んでいることは、自分でもわかっている。

 ときに、こんなに頑なな態度ではなく、どうしてもっと自由に洋服を買ったり選んだりを楽しむことができないのだろう、と思うと悲しくもなる。
 ただ、いったん考え始めると、またふたたび地獄の辺土に逆戻りしそうで、それが怖いのである。

 いまではわたしもコートは二枚持っている。だが、その一枚、グローバーオールのダッフルコートを買ったのは、88年の冬だ。なんとわたしは15年以上着ていることになる。
 
 数年前のこと、トッグルの麻ひもがよれてぼろぼろになったので(それ以前には、自分で繕っていたのだが、それもきかないくらいよれてしまったのだ)買った店に持っていって、修繕ができるかどうか尋ねた。すると店の人に「ウチもここでグローバーオール扱い出して長いですけど、そういうご要望出されたのは、お客様が初めてです」とえらく感激の面もちで言われ、無事、修繕してもらえたのだった(以来、毎年バーゲンの通知が届くのだけれど、以来そこにはいっていない)。
 日々の手入れさえきちんとしておけば、型が崩れることもないし、染みもついてない。最近では、もうひとつのコートを着ることの方が多くなっているのだけれど、なんとかわたしの下で成人させてやりたい気持ちでいっぱいだ。

 ただ、こういう生活をしていると、何を着ようか悩むことはないし(悩みようがない、とも言う)買い物にも悩まない。

 悩まない、ということは、選択から下りる、ということでもあるのだ。はたしてこれを「買い物」と呼ぶかどうかはどもかく。 

(明日で最終回。さて明日はいったい何を買うでしょう?)

この話、したっけ 買い物ブギ その1.

2005-09-26 21:37:19 | weblog
買い物ブギ その1.

―だってわたしたちは物質的な世界に生きているのだから(マドンナ)―

 知人何人かで話をしていたとき、こういった女性がいた。
「百均に行くとね、いつも使うのは千円までって決めてるんだけど、それでも、わー、十個もものが買えるんだって思うと、うれしくなってくるの」

 巷に百均がどっとあふれだしたころに聞いた話だから、すでにもう五年ぐらい前になると思うのだけれど、これを聞いてなるほどなぁと思ったことがいまだに忘れられない。

 この言葉は買い物という行為の楽しみが、「ほしいものを手に入れる」ということではないことをよく表している。
 売り場であれかこれか迷い、選択し、それを持っていってレジでお金を払う。その一連のプロセスが楽しいのだ。選ばれたものは、もちろん「百円でこんな(いい)ものが手に入った」という意味づけもされるのだろうけれど、それ自身の価値など、多くは二義的なものだ。結局は、実際には必要のないものを、「あれかこれか」と選択することが楽しいのだろう。

 一方、食料品や洗剤や石けんなどの日用品を買うことは、まったく楽しいことではない。そこには選択の余地がきわめて限られているし、必ず何かを買わなければならない。
 肉にしようか、魚にしようか、大根にするかキャベツにするか、ティッシュペーパーはネピアがいいか、クリネックスにするか、はたまたスコッティにしようか、迷ったところで知れている。所詮は生活に必要なものを買わなければならない、一種の「買い出し」にほかならない。

 わたしにとって、百均はあくまでも焼けこげてしまった菜箸とか、シンクを洗うタワシを買い替えに行く場所、スーパーよりもちょっと安い日用品を買いに行く場所で、たとえ千円が百円でも当面必要のないものを買う気にはならないのだが、百均がはやるのも、ちょっと小洒落た雑貨屋がはやるのも、あるいは郊外のホームセンターや大規模なショッピングモールが、一家総出ででかける休みの日の娯楽となりうるのも、「買い出し」ではなく、「さしあたって必要のないものを、選択し、いかに自分に必要と意味づけることができるかを考えて楽しむ」という意味で、娯楽であり、アソビなのだろうと思う。

 わたしが心躍らせる買い物というと、それはもちろん本を買うことであり、CDを買うことであり、画材を含む文房具を買うことだ。そういう店に行けば、足を踏み入れただけでワクワクしてしまうし、そこの品揃えが自分の好みに近ければ、もう嬉しくてたまらくなって、自然と顔がほころんでしまう(その昔、アメリカの本屋に入ると、店にいる人が、書店員といわず、ほかの客といわず、みんなわたしに笑いかけてくれるのが不思議でしょうがなかった。いったいなんでだろう、と思っていたら、一緒に行った子が「それはアナタがニコニコしてるからよ」と教えてくれた。アメリカ人というのは、笑いかけられたら、笑い返してくれるfriendlyな人々なのだという。わたしはただ本屋に好きな本がたくさんあったのがうれしくて相好を崩していただけなのに……。おそらく日本でも同じ顔をしているにちがいないのだが、笑い返してもらった経験はないなぁ…。えっ?気持ちワルイって? 誰? そんなこと言うのは)。

 必ずしも買わなくてもいい。本は見つけたときに買わないと、あっという間に店頭から消えてしまう今日この頃なので、ほとんどの場合、買ってしまうのだけれど、それ以外のものは、あー、これいいな、ほしいな、と思っても、だいたい一ヶ月くらいは冷却期間を置くことにしている。ほとんど毎週のように見に行き(笑)、まだほしいか自問自答しながら、覚悟を決めて買う。この期間は何とも言えず、楽しい。そうやって手に入れたものは、心ゆくまで味わい尽くしたくなる。こういう買い物は、やはり至福のひとときだ。

 学生の頃だ。当時つきあっていた彼氏と本屋で待ち合わせをしていた。待ち合わせの時間には昔から妙に神経質だったわたしは、本屋ということもあって、少し早めに出かけていった。ふと書棚を見ると、ずっと探していた本があった。古本屋を相当探さなければ見つからないのではないか、と思っていた、売れ筋でもなければ新しくもない本である。いまのようにWeb上の古書サイトを検索して本を探す、などということが考えられなかったころの話である。わたしは「これは、買わなければ!」と思った。安くはない本だったが、幸い、余分にお金も持っていた(だってデートだったんだもん)。そうして、急いでレジに向かい、お金を払うと「これは、読まなければ!」と一目散に走って帰っていった。
 
 寮の自室で一心不乱に読んでいたところ、ドアをノックする音がする。もうじゃまくさいなー、と思って出てみると、上級生が「電話だよ、アンタ、呼んでも全然下りて来ないから、いないのかと思った」と言う。中断させられた不機嫌もあらわに「何の用?」と出たところ、相手は待ち合わせた当の相手だった……。

 いや、その彼氏とどうなったかは、ご想像にお任せします(それ以前にも一度、美術展に一緒に行って、置き去りにして帰ってしまったことがある。わたしは美術展に行くと、順路通りに行かず、行ったり来たり戻ったり、中を縦横無尽に歩き回る癖があるので、人と一緒に行くと必ず別行動になってしまうのだ。そこで見たもので頭がいっぱいになってしまうと、忘れてひとりで帰って来ちゃったりするんですね、これが…)。

(さて、買い物をめぐる話は、明日も続きます)

サイト更新しました

2005-09-24 21:41:04 | weblog
サイト、更新しました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

疲れました。
自分が何を書いているか、よくわからない状態になっています。

今日、久しぶりに寄ってみようと思ったら、駅前のCD屋が携帯屋になっていました。
わたしが聴いてみたくなるようなCDは、あまり置いてない店ではあったのだけれど、それでもときどき寄ってはいたんです。そこでCDを買ったこともないわたしが言うのもヘンな話なのだけれど、小綺麗な携帯電話を並べた店になっているのを見ると、複雑な気分です。

携帯屋って、やたら多くないですか?
そんなに儲かる商売なのかな。

わたしなんて、いま使ってる携帯、五年目です(物持ちがいいんです)。カメラつきじゃありません(笑)。電話が何度もかかってくると、ちょっとヤバいんですが(電池がなくなっちゃうから)、ひっそりと社会の片隅で生きているわたしには、それほど不都合はありません。

だけど、こんなにあっちもこっちも携帯屋になってしまうと、いったい誰がそんなに買ってるんだろう、って思わずにはいられません。

もうね、仕事中、携帯が鳴って話が中断するのは、あきらめの境地です。また鳴ってるよ、早く出なよ、ってなもんです。

みんな繋がっていたいのかな、って。
ただ、人間はどうしたって孤独なもんだし、それを認めることだって、カッコ悪いもんじゃないと思うんですけどね。

あ、ほんと、だらしのない文章だわ。
そういうことで、それじゃ、また♪
サイトのほうも、のぞいてみてくださいね。
良かったら、感想聞かせてください。

現状報告

2005-09-23 21:58:22 | weblog
昨日まで続けていた「絵本のたのしみ」、いま手を入れている最中です。なんでこんなにいっぱい書いちゃったんだろうというぐらい長い……。
「絵本」のくくりで書くのに多少ムリがあるネタも詰め込んでますし……。
ともかくがんばって明日にはアップできるようにしたいと思ってます。

ところで今日はお彼岸でしたね。
秋分ということで、日の出を見ようかと思ってベランダに出てみたのですが、曇っていて日の出はまったく見ることができませんでした。
だいたいわたしは早起きで、目覚ましなんてかけなくてもたいがい五時には眼が覚めるのですが、夏が過ぎていまの時期になると、起きてもまだ暗いのです。そこで照明のスイッチを入れるのですが、なんとなく、朝、電気をつけるというのはイヤなもの。起きるともう明るい夏の方が好きです。

そういえば、子供の頃はお彼岸といえば、新幹線に乗って父親の実家に行っていたのを思い出します。
昔は山の斜面だったのですが、わたしが生まれた頃には山全体が宅地造成されて、色とりどりのマッチ箱のような小綺麗な家が建ち並ぶなかを抜けていって、その一番奥に墓地がありました。コンクリートの塀に囲まれて、日当たりも良く、えらく明るいお墓でした。山の斜面は見晴らしがよく、遠くに小さな海も見えました。
そこで、わたしが会ったこともない、生まれるはるか以前に死んでしまった「ご先祖様」に「こんなに大きくなりました」とご挨拶して、花を供えてお線香をあげて帰ったのを、いまでもよく覚えています。

いまではお彼岸といっても、お墓参りに行くわけでもなく、幸い仕事が休みだったので、公園に行きました。てくてく歩いたり、木陰で本を読んだり。このところ、ちょっと疲れていたので、いいお休みになりました。

帰りがけ、道路沿いに点々とある小さな田圃はすっかり黄金色になっていました。
そういえば、カエルが啼く中を帰った初夏の日もあったことを思い出しました。
季節はこんなふうに流れていくんですね。
今日はまだまだ暑かったけれど、お彼岸を過ぎると秋らしくなるんでしょう。
何か、そのなかで取り残されてしまったような、自分ひとりはずっと夏の中にいたいような、そんな気も少しします。

ということで、もう少し手を入れることにします。
明日あたり、サイトのほう、のぞいてみてください。
それじゃ、また♪

絵本のたのしみ 6.

2005-09-22 21:58:54 | 
6.せっかくめぐり逢えたのだから
―コミュニケーションという観点から『わたしとあそんで』を読んでみる―

わたしとあそんで

「ああ わたしは いま、とっても うれしいの。
 とびきり うれしいの」(女の子)
マリー・ホール・エッツ 
『わたしとあそんで』(福音館書店)


この本の裏表紙に「読んであげるなら 3才から じぶんで読むなら 小学校初級むき」とあるのだけれど、この対象年齢の設定のしかたがよくわからなくて、出版社のサイトに行ってみた。

なんと「 野原にとびだした女の子と、バッタやカエルなどの小さな動物との交流を、このうえなくあたたかくうたいあげた絵本。生きとし生けるものが共感しあえる世界を、静かに語りかけています」なんだそうだ。
驚いた。
そんな本だとは、いままで一度も思ったことがなかった……。orz

ということで、今回も、超独断的に「子供にはもったいない」「お子様には分かってたまるか」という観点から読んでいきます。

今回は内容的には前回と続いている。誤解ときたら、つぎは、わかりあうことだ。

まず、絵について。
どういうわけかアマゾンの写真ではピンク系の色になっているのだけれど、この本は表紙も中の背景も、ネープルス・イエロー(Webの色見本の色とは少しちがう。ベージュが少し入ったクリーム色という感じ。とても暖かな色だ)。絵の背景も、色指定ではなく、白い紙に透明水彩で均一に塗られている。細部は黒いコンテで描かれ、女の子や動物の部分はパステルで彩色されている。色数は少ない。女の子の肌のペール・オレンジ、髪の毛のレモン色、あとは動物に使われている茶色、そうして、紙の白が印象的に使われている。
以前に紹介した『もりのなか』でもそうなのだけれど、これだけの色と線で、これだけ豊かな世界を創造できるエッツの画力というのは、すごいものだなと思う。

話は非常に単純だ。
「わたし」は原っぱに遊びに行く。

「ばったが 一ぴき、くさの はに とまって、むちゅうで
あさごはんを たべていました。
「ばったさん、あそびましょ。」わたしが つかまえようとすると、
ばったは ぴょんと とんでいってしまいました」

女の子はこうして、かえるに会い、かめに会い、りすやかけすやうさぎやへびに会う。
そのたびに、「あそびましょ」と言うのだが、みんなにげていってしまう。

「だあれも だあれも あそんでくれないので、わたしは
ちちくさを とって、 たねを ぷっと ふきとばしました。
それから いけの そばの いしに こしかけて、みずすましが
みずに すじを ひくのを みていました」

静かにしている女の子のまわりに、さっき会った動物たちが、しだいに戻ってくる。

「わたしが そのまま おとを たてずに じっとしていると、だあれも
だあれも もう こわがってにげたりは しませんでした」

すると、子ジカがやってきて、女の子の方を見ている。
女の子はそれでもじっとしていると、シカはもっと近寄って、女の子の頬をなめる。

「ああ わたしは いま、とっても うれしいの。
とびきり うれしいの。
なぜって、みんなが みんなが わたしと あそんでくれるんですもの」

* * *


まず、女の子は原っぱに行く。
後ろに小さく家が見える。
絵で見る限りこの子は六歳ぐらいだろうか。
ともかく、女の子が「その子」である、というだけで、一方的に愛情が与えられていた、家から離れて、新しい秩序の中に入っていこうとするのだ。

そこで「他者」と新たに関係を築いていくためには、これまでのように一方的に愛情を与えられるのではなくて、お互いに愛情を与え合っていかなければならない。

ところが女の子には、まだそのことがよくわからない。
だから、これまでのように、まず自分の欲求を口に出してみる。

「わたしとあそんで」
そうして「他者」を自分の側につなぎ止めておこうとする。

ところが当然「他者」は、自分の欲求になど応えてはくれない。
「他者」というのは、「自分の思い」とは無関係な存在だからだ。

女の子は、さまざまな「他者」に出会って、自分の欲求を繰り返す。みんな逃げていく。
そこで「自分の思い」は、自分の中でこそ、万能であるけれど、一歩外へ出た瞬間に、まったく無力なものになっていく、ということを、思い知らされるのだ。

「原っぱ」には、自分の延長上である家とはちがう、「原っぱ」独自の秩序がある。その秩序の中で、「他者」と関係を築いていくためには、自分の側を秩序に合わせて、変えていかなければならない。

そこで、女の子は欲求を口に出し、態度に表すことをやめるのだ。
じっと息を殺して待つ。なにもしない。

実は、「他者」との関係を求めながら、なにもしないでいる、というのは、簡単なことではない。
「わたしを認めて」
「わたしを見て」
「わたしの話を聞いて」
「わたしを理解して」
こう言いながら近づいていけば、「他者」は自分の言うことを聞いてくれる、と思っている人が、あまりに多いような気がする。

自分の欲求に寄り添ってはくれない「他者」に、欲求を容れさせるために、声高にそれを言ったり、さまざまな戦略を用いたりすることと、自分を変えていくことは、根本的にちがうのだ。

女の子は、強引に捕まえるのでもなく、罠をしかけるのでもなく、餌をちらつかせるのでもなく、動物たちの秩序に合わせて自分を変えていく。自然に、自分が変わっていく。

すると、逃げていった動物たちが戻ってきてくれる。
それだけでなく、子ジカまでやってきてくれる。

ただ、現実にはこちらが自分を変えたところで、相手がそれを受け容れてくれるかどうかはわからない。行ってしまったカエルやウサギが戻ってきてくれるとは、限らないのだ。

だからこそ、女の子は「ああ わたしは いま、とってもうれしいの。とびきり うれしいの」と言って、ほんとうに幸せそうな顔をするのだ。

Pet Shop Boysの歌ではないのだけれど、いま、コミュニケーションというものは、かつてないほど簡単なものになっているように思われている。人と“知り合い”になることは、全然むずかしいことではないのだ。けれど、簡単に知り合いになって、それでどうするのだろう。「重い」関係を避けて、曖昧に、緩く繋がって、それでなんとなく暇つぶしをするように、淡い関係で空隙を埋めて、どうするのだろう。
それでこの女の子のように、「うれしい」ということができるのだろうか。

「他者」と関係を築いていくのは、簡単なことではない。
「自分の思い」は、自分の中でしか意味を持たない、「他者」はそれには応えてくれないかもしれない。
けれども、だからこそ、誤解しかできない「他者」との間に、奇跡のように橋がかかった瞬間というのが尊いものなのではないか。

「他者」とそうした深いコミュニケーションを求めていくことは、その大変さを引き受けてでも、必要なことだと思う。だってほんとうに、気持ちが通じた瞬間っていうのは「とびきりうれしい」ものだから。それほどうれしいことって、ほかにはないんじゃないだろうか。

(この項 終わり)

絵本のたのしみ 5.

2005-09-21 20:42:54 | 
5.誤解したらどうするか、誤解されたらどうするか

自分が実際に子供のときに読んだ記憶がある本は、それほど多くない。

持っていた本は覚えているし、愛着があった本も記憶にある。
なにより母親から「アンタは買い物に行くっていったら、かならず“あたしもー”ってついて来たがって、それだけならいいけど、“ぶたぶたくんみたいにリボン結んでー、ぶたぶたくんといっしょの買い物かごー”ってうるさくて大変だったわよ」といった具合に、思い出話として繰り返し聞かされて、好きだったのだと刷り込まれている本もある(『ぶたぶたくんのおかいもの』。この本をわたしが読んだのは、発行年月日から考えて、ハードカバーの本ではなく、姉のために購読していた月刊誌の「こどものとも」だったのだと思う)。

だが、読み終わったときの記憶が残っているのは、『ごんぎつね』一冊だけだ。

幼稚園児だった。家にあったのは、例によってかつては姉の絵本だったのだと思う。
読み終わると、じっとしておれなくなって、本を放り出して、部屋をぐるぐる走ったのだ。
部屋のまんなかに放り出した本と、たたみの上をすべりそうになりながら走るくつしたをはいた足裏の感覚と、ぐるぐるまわっていくカーテンの模様が、いまでもはっきり記憶にある。

おそらく、ショックを受けたのだ。ひどく動揺して、坐っていられなくなって、部屋を走り回ったのだと思う。たぶん、こんなふうに終わってはいけないと思ったのだ。

それからずっと避けてきて、ちゃんと読み返してみたのは、ほんの数年前のことだった。

「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
(新美南吉『ごん狐』
青空文庫)

 
読み返したとき、当時の気持ちがよくわかるように思った。
これはほんとうにひどい話だ。
ごんはまだいい。自分の命と引き替えにしたとはいえ、誤解が解けて、自分がしたことを認めてもらえたのだから。

なにがひどい、といって、これではあまりに兵十がかわいそうではないか。
これからさき、ひとりぼっちの寂しく貧しい生活に加えて、なんの罪もない、自分に栗やまつたけをもってきてくれた、唯一の友人になれるかもしれなかった存在(ほかの登場人物である加助は、つきあいはっても、寂しい生活を送っている兵十を、ちょっとのぞいてみることすらしない「近所の人」である)を殺した、という罪まで背負って生きていかなければならないのだ。

そう、これはイアーゴーの陰謀によって、妻デズデモーナを誤解し、死に追いやったオセロと同じなのだ(ちょっとちがうが)。
オセロのように悪意の介在があればまだしも、兵十にはそれすらない。ひとえに自分が誤解し、ごんを殺してしまったのである。誤解というのは、かくも恐ろしいできごとを引き起こす。

ここで、兵十がなぜごんを「またいたずらをしに来たな」と思ったのかというと、物語の冒頭で、せっかく捕ったうなぎを、ごんが盗んだからだ。
ごんとしてみれば、盗むつもりはなかった。ちょっといたずらがしてみたかっただけなのに、どうやらそのうなぎは、死の床にある兵十のおっかあが食べたがったものらしい。ごんはそうしたことを知らなかったのだ。

ごんは兵十が魚を捕っている特別な理由があることを知らなかった。日常的な仕事の一環と誤解した、と言い換えることもできる。つまり、誤解というのは、積み重なっていくものである、と理解できる。

オセロがデズデモーナの不貞の確証を得ようと、自分がかつてプレゼントしたハンカチを出せ、とつめよる場面でも、デズデモーナは無邪気にも、自分が不貞を疑われている当の相手のキャシオーの復職を訴える。これもデズデモーナがオセロの真意を誤解しているのである。
つまり、誤解するものは、誤解されている。誤解されているものは、同時に誤解している側でもあるのだ。

シェイクスピアの戯曲は、『オセロ』ばかりでなく、『リア王』にしても、『十二夜』にしても、『真夏の夜の夢』にしても、「誤解」がドラマを動かす大きな要素となっている。

なぜ戯曲では「誤解」が大きな役割を果たすかというと、それは小説にあるような心理描写がないからだ。登場人物の心理の一切はセリフとト書きで説明される。登場人物の行動の理由も、心情も、セリフと行動から理解するほかないのだ。当然、ここには誤解が生まれる。
 
 だが、戯曲のこうした特色は、何かのありようを思い出さないだろうか?
わたしたちが生きる日常生活そのものではないか。ちがうことといえば、戯曲では(多くの場合)、最後に「真実」が開かされるけれど、日常ではそれさえもない、ただ、その一点なのである。

 わたしたちは他者を理解しようとするとき、戯曲と同じように、いくつかの言葉や行動をつないで、「物語」を作って、そうすることで理解しようとしている。

けれども、自分の心情すら、わたしたちははっきりと理解しているわけではない。

『ハムレット』をもとにした志賀直哉の『クローディアスの日記』は、この「誤解」と「真実」のぶれを描いたものだ。

当初、クローディアスはハムレットから父王の暗殺の疑いをかけられ、このように書く。

……乃公(おれ)が何時貴様の父を毒殺した?
 誰がそれを見た? 見た者は誰だ? 一人でもそういう人間があるか? 一体貴様の頭は何からそんな考を得た? (志賀直哉『クローディアスの日記』『清兵衛と瓢箪・網走まで』所収 新潮文庫)

しかし、そのうち、このようなことを思い出してしまう。

眼を開くと何時かランプは消えて闇の中で兄がうめいている。然しその時直ぐ魘されているのだなと心附いた。いやに凄い、首でも絞められるような声だ。自分も気味が悪くなった。自分は起してやろうと起きかえって夜着から半分体を出そうとした。その時どうしたのか不意に不思議な想像がふッと浮んだ。自分は驚いた。それは兄の夢の中でその咽を絞めているものは自分に相違ない、こういう想像であった。すると暗い中にまざまざと自分の恐ろしい形相が浮んで来た。自分には同時にその心持まで想い浮んだ。

自分の心の内さえ、どのようにも言えるのである。いったいどれが「ありのまま」の自分の姿なのか、自分にさえわからない。まして、他者を「正しく」理解することなど、ありえない。

他者を理解しようとするかぎり、それは誤解を積み重ねていくことでしかない。そうした意味で、誤解は、理解のひとつのありよう、というか、誤解することでしか理解することはできないと言っていいだろう。

ただ、ここで問題になってくるのは、誤解をされるのは苦しい、ということだ。
誤解されている側からしてみれば、「あらゆる理解は誤解である」といってすまされる問題ではない。

* * *


もう話は果てしなく『ごんぎつね』からずれてきているのだが、続ける。

1972年、アメリカで「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」の表紙を、18歳の女の子、ジョイス・メイナードが飾った(これはそのときの写真ではないけれど、ほぼ同時期のもの)。

『十八歳の自叙伝』は、才気あふれる文章と、この少女のかわいらしさが相まって、大変な評判になる。
彼女が在籍していたイエールの寮には、何百通というファンレターが届いたが、そのなかに、J.D.サリンジャーからのものがあった。

サリンジャーとメイナードの文通が始まる。

<あなたはわたしを過大評価しています>わたしは書いた。
 そうではないよ、と彼は答えた。きみは素晴らしい人生を創造する女性だ。誰も真似できないような。世界を従える女性だ。
(ジョイス・メイナード『ライ麦畑の迷路を抜けて』東京創元社)


こうして、メイナードはイエールを引き払い、サリンジャーとの同棲生活に入る。
厳しい食餌制限を課し、瞑想を中心とするサリンジャーの生活に、メイナードはなんとかあわせようとし、サリンジャーの期待に応えようとする。だが、どれだけ努力しても、メイナードは肉体的に、サリンジャーを受け入れることができない。結局、サリンジャーはメイナードに出ていくように、一方的に告げることになる。

苦しい年月を経て、別の男性と結婚し、出産したメイナードは、小説を書く。そうして、出版されたその本をサリンジャーに送る。

「ジェリー・サリンジャーだ」彼は名乗った。心臓をナイフでひと突きされたようだった。彼だとわからないとでも、思っているのだろうか。「きみが送ってきた本を読んだ……この……きみが小説と読んでいるしろものを……。ぼくがこれを見たがるとなぜ思ったのか、想像もつかない」その口調は、腐った肉のことでも話題にしているかのようだった。
「あなたが気に入るかもしれないと思ったの」わたしは言った。
「吐き気がするよ。うんざりだ。きみがここに送りつけてきたものは、ゴミだ」
「どこがいけないの? あなたは自分が愛しているもののことを書けといったわ」
「愛している? ばか言っちゃいけない。恥を知らないのか? こいつは、下品で卑劣なこじつけ以外のなにものでもない」

メイナードがサリンジャーとの日々を含めて、半生を回想した『ライ麦畑の迷路を抜けて』(野口百合子訳 東京創元社)を読んでいると、サリンジャーがメイナードのなかに見ようとしたものに思いをはせずにはいられない。
最初から、メイナードはずっとメイナードだったのだ。「下品で卑劣なこじつけ」を書いたのも、才気にあふれる「自叙伝」を書いたのも、同じメイナードだ。
おそらくサリンジャーが見たかったのは、メイナードにごく一部を負ってはいたのかもしれないけれど、メイナードの外見をした「エズミ」(『エズミに捧ぐ』『ナイン・ストーリーズ』所収)であり、「フィービー」(『ライ麦畑でつかまえて』)であったのではないだろうか。

ひとは誰でも、他者に自分を理解してほしいと思う。
とおりいっぺんのつきあいなら、他者が自分のことをどれほど誤解しているか、わかることはない。けれど、それを越えて、深く関わり合おうとするとき、他者が紡いだ「自分の物語」が、自分が紡いだ「自分の物語」と食い違うことに気がつく。そのとき、ひとは苦しむ。深く関わる、ということは、とりもなおさず深い理解を求めているからなのだ。過大評価であろうが、過小評価であろうが、同じこと。サリンジャーの例を見てもあきらかなように、過大評価は容易に逆転する。

ここでもういちどシェイクスピアに戻ろう。
誤解がもとで起こった悲劇というと、まず思い出すのは、やはり『リア王』だろう。
「誰が一番この父の事を思うておるか、それが知りたい。最大の贈物はその者に与えられよう」(福田恆存訳 新潮文庫)

ゴネリル、リーガンがそれぞれ美辞麗句を並べたてて王を喜ばせるのに対し、コーディーリアは「申し上げる事は何も」(引用同)としか言わないのだ。

コーディーリアは父親が誤解していることを知っている。それでも、頑なといえるまでに、自分の言葉を翻そうとしないのはなぜか。
おそらくそれは、甘い、口当たりの良い言葉で、自分の愛情を口にすることは、自分の愛情を汚すことであるし、父王に対する侮辱であるとも考えているからだ。

コーディーリアの気持ちはよくわかる。それでも、誤解を解こうとしないということは、父を誤解の内に取り残すということだ。コーディーリアは、自分の愛情の理解を、愛情を向けた当の相手にすら求めようとしない。それは、愛情といえるのだろうか?

リア王はその愚かさのために、王位を追われる。けれども、愚かさに追いやったのは、コーディーリアでもあるのだ。

さて、冒頭の問いに戻ろう。
誤解したらどうするか、誤解されたらどうするか。

ほんとうは、わたし自身、その答えを教えてほしいぐらいなのだけれど。

以前、別のところでリチャード・パワーズの『舞踏会に向かう三人の農夫』の一節を引いた。同じ箇所をもういちど引いてみよう。

他人を理解することは、おのれの自己像を修正することと不可分だ。ふたつのプロセスはたがいに呑み込みあう。

わたしたちは、他者を理解することはできない。誤解することができるだけだ。けれども、理解しようとするなかで、言葉を換えれば、深く関わっていこうとするなかで、自分の誤解を休むことなく修正し続ける。それは、自分の見方を改めることだ。愛情、尊敬、相手のことを知りたいという気持ち、どのような言葉でそれを呼んでもかまわないのだが、相手と深く関わっていきたいという思いは、自分が、自分の見方を改める、そのたびごとに、少しずつ変わっていく。そうして、それはとりもなおさず、自分自身が変わっていく、自己像を修正していく、ということではないのだろうか。

ごんからずいぶん遠くへ離れてしまったけれど、やはり、兵十の誤りは、ごんを殺してしまったことにあるだろう。殺してしまった相手とは、もう関わることはできない。
そのひとと、関わることができない。誤解を、少しでも正しい理解へと近づけることはできない。だから、ひとは「他者」を殺してはいけない。

(次回 最終回)

絵本のたのしみ 4.

2005-09-20 22:33:02 | 
4.『キスなんてだいきらい』を読んで、カッコいいオトナを目指す

キスなんてだいきらい


「おふくろさんに あんなこと いうもんじゃない。
はずかしいと おもえよ。」(タクシーの運転手)
トミー・ウンゲラー
『キスなんてだいきらい』
文化出版局


ある年代になると、母親がうっとうしくてたまらなくなる。
向こうはこちらの気持ちなどおかまいなしに、まったくこれまでと同じように接してきて、それにはいっそう我慢がならなくなる。

向こうとしてみれば、相も変わらずの子供にちがいはなくても、こちらとしては、おむつを変えてもらったころでもなければ、迷子になって酒屋で保護された三歳児でもない(どういうわけかわたしには異様にはっきりとこのときの記憶がある。脳裏に浮かぶアスファルトの地面が恐ろしく低いのだ)、たとえ小さなころの記憶があったとしても、そのころの自分と、いまの自分が地続きであるとは思えない年頃、昨日、いきなり十三歳として生まれてきたような気でいる年頃なのだ。

『キスなんてだいきらい』の主人公ネコ、パイパー・ポウはいったい何歳ぐらいなんだろう。ともかく「トキ」がどんな形をしているのか調べてみたくて、目覚まし時計を壊すぐらいの年齢なのだ。

このパイパーのおかあさん
「はやく きて おすわり ぼうや、
この つぶしネズミをおあがり、ぼうや。
ほら ニシンの ほねも ヒワの フライもあってよ。
あんたの ために つくったのよ、ぼうや。」
とまぁ万事がこんな感じ。

それに対してパイパーが「ぼうや、ぼうやっていうなよ、たべるきが しなくなっちまう。」などとでも言おうものなら、ぐすんぐすんと泣き出し、
「いいこと、あたしが しんだりしたら
あんた なんにも たべられなくなるのよ。どう おもって?」
などと脅し始めるのだ。

パイパーを送っていきながら、お父さんがけんかの原因を聞く。
「あんまり こどもあつかいするんだもの。」というパイパーに、
「そうせずに いられないのさ。おれの おふくろも おれの おやじの おふくろも そんなふうだった。まあ、いいこに なっててやれよ。
「おれも おまえぐらいの としごろには おまえそっくりだった。
はなんか みがかなかったぜ。はっはっはっ。
ブラシで せんめんだいを こすって みんなをだましてた。
ただし、はいしゃだけは だませなかったね」
とにかくこのお父さんのセリフがカッコいい。

ところがこの前の、朝ご飯のシーン、パイパーとお母さんが言い争っているその現場に、実はお父さんもしっかり坐っているのだ。
現場に立ち会いながら、ずっとだまって、
「うるさい、いいかげんで だまれ。」とパイパーに命令しかしない。
言い争いの理由だって、知っているにもかかわらず、パイパーと話をするために、そういうふうに切り出しているのだ。

こう考えていくと、カッコいい男というのは、奥さんの前では成立しないものなのかもしれない。

さて、学校でのパイパーは、問題児。頭がいいから成績はいいんだけれど、先生のカバンにはクモを入れておくわ、女の子のえりくびに、工作ののりはつっこむわ、授業をつぶすためにかんしゃくだまは投げるわ……。

その日も組一番のワルと取っ組み合いの大げんかで、左耳がちぎれかけるほどの大けがをしてしまう。
そのケンカ相手といっしょに衛生室へ行きがてら、きっちりケンカ相手は「じょうとう」の葉巻をくれて、ふたりはトイレで一服。こうして仲直りも成立する。

衛生室にいる看護婦さん、この人がまたカッコいいおばさんだ。
「あんたの おいたは ちゃんと わかってるよ。
わるい子だね。あたしの くすりとだなに
いつぞや ヘビを いれといたわね。
いいこと、こんど やったら この耳を
ぜんぶ ぬいつぶしてやるから」
お手柔らかなことはいっさいしないクロットさんは、悲鳴をあげるパイパーをよそに、耳をガシガシ縫いつけると、包帯でぐるぐるまきにし、
「いかすわ。それで あかい リボンと ヒイラギでも つければ、
まるで クリスマス・プレゼントみたい」
と笑うのだ。

この姿を見つけたパイパーのお母さん、ショックを受けてパイパーを抱きしめ、キス攻めにする。そうでなくてもキスされるのが嫌いなパイパーは、くやしいのなんの。
大声でわめく。
「ひとまえで キスするなよ。
キス。なんでも キス。
いやなんだ。きらいなんだ」

それを聞いていたタクシーの運転手はこういう。
「おふくろさんに あんなこと いうもんじゃない。
はずかしいと おもえよ。」

それを聞いたお母さん、「そうよ、まったくだわ」と、怒ったあげく、ぴしゃり、とパイパーの口を叩いてしまう。

初めてのびんたに、お母さんもパイパーもショックを受けてしまって、せっかく食事に行ってもふたりはろくすっぽ食べることもできない。

そのあと学校に戻ったパイパーは、ロッカーに隠し持っていたかんしゃくだまをクラスメイトに売りつけて、お金をこしらえ、帰りがけ、黄色いバラを買う。

そうしてそれを持って帰って、テーブルに置く。

「まあ、きれい、びっくりしたわ。
これ あたしに くれるの?」
「そうだよ。でも ありがとうの キスだけはごめんだ」
「そんなに いやなら しないように するわ。」
ポーかあさんは にっこり やくそく。
「そうしてください。」パイパーも にっこり。
ぼうやに キスなんか しない。
かあさんに キスなんか しない。

このセリフでこの話は幕を閉じるのだが、うん、何かいい話(心温まる、という意味では断じてなくて)を読んだなぁ、という気がしてくる本だ。

つまり、カッコいいことが言える人っていうのは、ほんとうにカッコいいんだ、っていうこと。そうして、そのカッコよさ、というのは、付け焼き刃ではなくて、生き方そのものがカッコいいところから来るんだろうな、ということ。
だから、タクシーの運転手みたいに、あんなことがサラッと言えるんだろう。

人間、生きていこうと思えば、金太郎飴みたいにその人のどこをとってもカッコいい、というわけにはいかない。それでも、一本ビシッと筋が通っていたら、大丈夫、カッコよくなれるんだ、と思う。

そうした意味で、このお母さん、大きくなっていくパイパーと、なかなか向き合えないのだけれど、それでも愛していて、ほんとうにベタベタに、一途に愛していて、うーん、これは大人になろうとしている子供にとっては相当迷惑ではあるのだけれど、それはそれでカッコいいのかもしれない。
パイパーだってそれは認めているのだ。

親と子というのはむずかしい。たとえ親はひたすら子供のことしか考えていなかったとしても、大きくなっていこうとする子供にとっては、押さえつけようとする圧力でしかないときだってある。押さえつけようとするものは、はねのけていかなくてはならない。それが親であったとしても。親をはねのけることで、自分も傷つけることになったとしても。

そういうとき、まわりにカッコいいオトナ、お手本になるオトナがいてくれたら、子供はずいぶん救われるんじゃないだろうか。

(この項つづく)