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 陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

今日の消耗品

2005-11-30 22:09:10 | weblog
プリンタのインクというのは、どうしてあんなに早くなくなるのだろう。あんまりあっけなくなってしまうので、ちょっと印刷を控えでもしたなら、こんどはインクが目詰まりを起こして、ヘッドクリーニングが必要になってしまう。ところがこのクリーニングがまた、えらくインクを食うというシロモノなのだ。

おまけにこのプリンタのインクが高い。しょっちゅうなくなる黒などは、一瞬、カートリッジのなかに墨汁を入れてみたい誘惑にかられるのだが、いまのところ理性の働きによって(ほんまか)なんとか入れずにすませている。

わたしが父親から強奪していまも使っているパーカーの万年筆、これはカートリッジではなくコンバータタイプのもので、ビンから注入するとき不器用なわたしはいつも手をインクだらけにしてしまうのだけれど、この手間を考えても、カートリッジのスペアインクに較べれば、ビン入りのインクはずいぶんお買い得のように思える。プリンタのカートリッジもこんなふうにインクを注入できたら、いちいち買いに行かずにすむし(インク・カートリッジはそこらへんのスーパーやドラッグストアやコンビニにあるわけではなく、夜中に四十枚の原稿を印刷しようとして、祈るような気持ちで点滅するプリンタを見つめていると、三十八枚目の途中で赤いボタンに切り替わり、紙が半分だけはいったところで立ち往生、なんていうのは、悲惨以外のなにものでもない)、ほんとうにどんなにいいだろう。

プリンタのインク・カートリッジが高いのは、プリンタ本体の価格を下げるためのやむを得ない措置なのだ、という話を聞いたとき、なんだかなぁ、と思った。これではまるで無限に続くローンを気がつかないうちに組まされたようなものではないか。いくらプリンタがあっても、インクがなければタダの箱なのだ。小学生ふうに言うならば、「卑怯!」というところである。

それにしても、どうしてプリントアウトしなければならないのだろう。
原稿にしても、送信すればよいものがほとんどだし、かならずしもプリントアウトが必要なものはそれほど多くはないのだ。にもかかわらず、文章の推敲をするときも、事務連絡ではない、ちゃんと読みたいメールでも、あるいはWeb上の文章でも、どうもわたしはプリントアウトせずにはおれないようなのだ。ブラウザ上で十分なはずなのに。どうもそれでは落ち着かないし、どこか不安だ。

これで思い出すのが、ウチの母親だ。わたしが実家にいるころだから、もうずいぶん前の話なのだけれど、あるとき、このファックスは壊れている、という。じゃ、わたしがやってみるよ、と送信してみると、つつがなく送れる。大丈夫だよ。壊れてないよ。
「だって、わたしが書いた紙がこっちに残っているじゃない」

わたしは頭を抱えた。この人は、この紙が電話機の中を通って、さらに電線の中を通って、相手の家に届くと思っているのだろうか……。
確かに「郵便の早いの」と思っていたら、紙が相手の下に行かないというのは、不安なことなのかもしれない。
それを思うと、つい、なんでもかんでもプリントアウトし、それをファイルに納めて安心しているわたしは、母親のことを笑えない、というか、この母にしてこの娘あり、ということなのだろうか。

けれども、メールにしても、実際にどんなふうに届いているのか、わかるわけではない。pdf.の添付ファイルなら届くわたしのメーラーに、一太郎の添付ファイルが来たとき、メーラーは「危険な添付ファイルが来たぞ」とばかり、勝手に弾いてしまったことがある。
そういうときの弾かれたファイルは、いったいどこに行ってしまうのだろう。「電子の海の藻屑と消えてしまった」と言ってしまうのだけれど、ほんとうにそんなものがあるわけではない。日高敏隆の言葉を借りれば「イリュージョン」、目には見えないけれど、概念によって構築される世界なのだ。そうしてすぐ目詰まりを起こすプリンタのノズルが、イリュージョンの世界を目に見えるものに変換する、一種の魔法の装置なのだろう。

ところで最近の音楽配信システムというのを、わたしはまだ利用したことがない。何か、CDという実体がないものを購入する、というのが、どうも不安なのだ。ハードディスクはある日突然、おぞましい音を立ててクラッシュする(※「電脳的非日常」参照)。そうなると、一切のデータは消失する。電子の海の藻屑と消えてしまうのだ。

やはり大切なものは「モノ」として、手元に置いておきたい。その手触りを確かめてみたいのだ。
これは、わたしだけの感覚ではないだろう、と思う。だから、インク・カートリッジがどんなにクソ高くても、売れるのだ。

重要なのは、その時々に必ずなんらかの認識があったということである。その認識はその後改められ、変化しているから、人びとが信じていたのはひとつのイリュージョンにすぎなかったということになろう。けれど、それなしに、その人びとの世界は構築され得なかったのである。
日高敏隆『動物と人間の世界認識』筑摩書房


ほんの動物 その6.

2005-11-29 22:23:46 | 
6.それでも、一緒に生きていく

知り合いに犬を飼っている人がいる。飼い始めて間もない頃、「ほんとうにかわいくてかわいくてたまらない。子供よりずっとかわいい。いままでこんなにかわいいと思ったことがない」と繰り返しいうのを聞いたことがある。いまでもこの人から来る年賀状は、犬の写真だ。

愛猫がいなくなり、「ノラがゐなくなつてから、今日で三十五日目である。今日は帰るかと待つてゐて日が過ぎ、毎日晩になつた。猫の事その事より自分の心が悲しいのだと思ひ返す。しかしさう云ふ風に考へなほして見ても同じ事で、何の慰めにもならない。ノラが帰らなくなつてから初めて今夜、思ひ切つて風呂に這入つた。非常に痩せてゐる。二貫目ぐらゐ減つてゐるかも知れない。衰弱で目がよく見えなくなつた」と書く内田百に対して、ここまで手放しで心情を垂れ流すがごとく書いて大丈夫なんだろうか、と、 一種の精神的な弛緩を感じる一方で、いや、逆に苛烈な百だからこそ、こういうことが書けるのだ、と思ったりもする。

レッシングの『老女と猫』は創作だけれど、わたしが新聞記事で読んだ元ホームレスの廃品回収業者のように、生きていくのがやっと、という状況であっても、犬や猫を飼っている人は少なくないのかもしれない。

たしかに、かつてわたしが猫を飼っていたとき、そうして、その猫が「わたしのもの」だったとき(※「金魚的日常リターンズ」参照)、その猫に感じていた気持ちは、やはり特別なものだった。

なぜ、動物はわたしたちのなかの特別な感情を揺さぶるのだろうか。
人間とはちがう外見。
言葉を話さないこと。
愛情を返してくれる(ように思える)こと。
やがて死ぬ存在であること。

けれども、なんとなくこれだけでは十分でないような気がする。

ここで、別の角度から考えてみよう。

Policeの歌に“見つめていたい”というのがある。
(※http://www.eigo21.com/03/pops/68.htmのサイトに原詞・訳詞が載っています。ここから曲を聴くこともできます)
“見つめていたい”というと、なんとなくロマンティックにも聞こえるのだが、原題は"Every breath you take" つまり「君が吐く息のひとつひとつを(ぼくは見ていたい)」ということで、見ようによっては、というかよらなくても、というか、とにかくかなりストーカーっぽい歌詞なのだ。

ただこの「君」が、猫だとしたらどうだろう。子猫がいる。一挙手一投足がかわいい。息をするたびに、小さい鼻の穴がふくらむところも、一声、にゃあ、となくところも、いつまで見ていても見飽きることがない。
もしこれが猫のことを歌った歌なら(多少苦しいところもあるけれど)、ストーカーの歌にはならない。

ジョン・ファウルズの小説に『コレクター』(小笠原豊樹訳 白水社Uブックス)というものがある。蝶のコレクションが趣味の主人公ファーディナンドは、偶然、サッカーくじ(訳文ではフットボール賭博となっているけれど)で大金を獲得することになる。

 ぼくの本心としては(すでにロンドンで一番上等な七つ道具を買ってあった)、どこか田舎へ出かけて、珍しい種類や、変種の蝶を採集し、立派な標本を作りたかった。つまり好きな場所に好きなだけ滞在して、毎日外へ出て、採集したり、写真を撮ったりしたい。伯母たちが発つ前に、ぼくは運転免許をとり、特製の自動車を手に入れた。ぼくが欲しい種類はたくさんある――たとえばキアゲハ、クロシジミ、ムラサキシタバ、それにギンボシヒョウモンとかウラギンヒョウモンとかヒョウモン属の珍種。たいていのコレクターが生涯に一度ぶつかるかどうかという種類だ。蛾にも欲しいのがある。できれば蛾も集めたいと思う。
 ぼくが言いたいのは、つまり、彼女をお客に呼ぶという考えが湧いたのは全く突然のことであって、金が手に入ったときから計画したことではないという点だ。

相手が蝶ならば良かった。あるいは、猫でも犬でも。けれどもファーディナンドは女性を好きになり、手放したくなくなってしまった。そこからこの暴力と暴力にさらされる側、支配するものとされるものが、絶えず役割を交替し、微妙に交錯する不思議なドラマが始まっていく(のだけれど、この話と関係ないのでここではふれない)。

動物なら許されることが、人間では許されない。それはなぜか。
それは、人間はそれぞれの歴史があり、つながりがあり、生活があり、そうしたさまざまな社会的存在であるからなのだ。動物のように、自分が思うままに勝手に別の場所に連れて行ったり、もらったり、もらわれたりするわけにはいかない。言葉を換えれば、それぞれに「自前の物語」を持った存在だからだ。

もういちど、昨日書いた火事で亡くなった廃品回収業者のことを考えてみる。
わたしたちはその人の代わりに、その人が飼っていた犬が死んだとしたら、おそらくその犬を見たことはなくても、犬のことを思い、涙を流すかもしれない。

それは、その動物を一種の「白紙」とみなして、そこに自由に「物語」を書き込むことができるからではないのか。
ところが、生きている人間は白紙ではない。それぞれが自前の物語を備えた人間であり、その物語についてはわたしたちが受け入れるか、拒むかしかない。
他者を理解しようと思った場合、その他者の物語を自分の内側に取り込み、自分の物語として一緒に織り上げていくか、あるいは拒み、排除するしかない。

そうした意味で、動物を受け入れることは、ある種、たやすいことなのだ。

同時に、動物であれ、人間であれ、他者を自分の内に取り込もうとすることは、程度の差こそあれ、一種の狂気を伴ったものではないか、と思うのだ。
内田百も、レッシングの描く老女も、常識的な行動とは言い難い。それでも、わたしたちがその気持ちを理解できるのは、あるいはPoliceの歌がヒットしたのは、たとえそれがストーカー的であっても、わたしたちが十分に理解できる心情だからではあるまいか(実行に移すかどうかはさておいて)。

おそらく、自分ではない他者を愛するというのは、常識を、日常の平凡なありかたを逸脱した行為なのだろう。
日常生活では、やらなければならないことが続き、仕事で頭が一杯となって、考えるゆとりもない。自分が申し分なく理解されているという感じはなく、深い満足を覚えることも、相手と自分の願望がぴったり重なることもない。けれども、そこに動物であれ、人間であれ、愛するものがいるとき、この不透明でどんよりした日常生活に、裂け目が入る。相手のためにする自分の行動は、義務ではなく喜びになり、相手のすがたを見ているだけで心は満たされる。そうして、このときが続かないことを知りながら、「いま」ときが永遠であることを祈らずにはいられない。

ある暑い夏の一日、夫がコーン入りのアイスクリームを買ったときだった。最初にそれを一口食べたとき、夫は愛犬がじっと見守っているのに気づいた。そこで、どうせ残りは犬にむさぼり食われてしまうだろうと思いながらも、夫は愛犬にコーンをさしだした。ところが、一同がびっくりしたことには、犬は夫がしたのとそっくりおなじに、コーンのアイスクリームを少量だけうやうやしくなめとった。そこで夫がもう一口なめ、もう一度コーンをさしだすと、犬はまたすこしなめた。こうして彼らは順ぐりにアイスクリームをなめ、やがてコーンのふちまできた。ここで夫はコーンを一口かじった。犬はそのようすを見まもっていた。残りは犬がぺろりとのみこんでしまうだろうと予想した夫は、これが最後のつもりで、犬にコーンをさしだした。ところが犬はくちびるをめくりあげ、小さな門歯をむきだしにすると、根っこをすこしだけ上品にかじりとった。さらに二回、夫と犬とはかわるがわるコーンをかじり、最後に小さな先端だけが残った。

 信じられないって? いや、そうとも言いきれない。八年間というもの、夫とこの犬とは、信頼と相互の恩愛の絆をつくりあげてきた。どちらも相手にたいして不当な要求はせず、相手を下に見たり、自分が主人顔をすることもなく、たいがいはそれぞれ相手のいる前で、自分のしたいことをしてきた。

 こういう条件のもとでこそ――当事者双方がたがいに対等であると考えている、こうした環境のもとでこそ――かかる情景が生みだされうる。自ら考えて行動する犬、過剰な訓練によって自発性をつぶされていない犬、行動の指針として、自らの観察力と想像力に頼ることのできる犬、そういう犬だけが、共有の一形態として交互にひとつのものを食べあう、そういったきわめて人間的な作法を理解しうるのである。……

 で、残ったコーンの先端はだれが食べたかって? 夫が食べた。犬はその最後の順番を夫に譲ったのである。

 犬には思考や感情があるだろうか? もちろん、ある。もしなかったら、この世に犬というものはそんざいしなかったろう。
(エリザベス・M・トーマス『犬たちの隠された生活』深町真理子訳 草思社)


(この項終わり)

ほんの動物 その5.

2005-11-28 22:52:39 | 
5.人間優先ということ

近所に野良猫が七~八匹集まっている公園がある。「猫に餌をやらないでください」「外猫飼い厳禁」書いた看板がいくつも出ているのだけれど、あまり効果はないのだろう。たまに側を通っても、なるべく眼を合わさないようにはしているのだけれど、おそらく看板の効果もなく、餌付けしている人間が少なからずいるようで、すぐにこちらに寄ってくる。

去年だか一昨年だかに十匹以上いて、駆除してもらったという話を聞いたのだが、またどこからか集まってきたのか、捨てる人間がいるのか、いつのまにかまた増えつつあるようだ。「外猫飼い」とは不思議な言葉だけれど、文字通り、自分の家ではなく、外で飼う、つまり野良猫に餌付けしているということだ。そういう人間は、この先どうなるか、考えたりはしないのだろうか。

イギリスの植民地だった南ローデシアの農場で少女期を過ごしたドリス・レッシングは、『なんといったって猫』(深町真理子訳 晶文社)のなかで、子供時代の強烈な体験を語っている。

家にはいつもたくさんの猫がいたのだ。七十マイル離れたソールズベリより近くには、獣医はひとりもいなかった。わたしの覚えているかぎりにおいて、猫が“医者にかかった”ことは一度もない――とくに雌猫の場合は。猫がいることは、たくさんの子猫がたびたび生まれることを意味する。だれかがもらい手のない子猫を始末しなければならない。おそらくは、家事使用人、あるいは台所働きのアフリカ人にでも任されていたのだろうか。何度と亡く、ブラヤ・イエナ(殺しておしまい!)という言葉を聞いた記憶がある。傷ついたり弱ったりした家畜や家禽――ブラヤ・イエナ!

 けれども、家には散弾銃というものがあり、連発拳銃もあった。そしてそれらを使うのは母の役目だった。……

 こういういきさつを考えると、いっそうわからなくなるある出来事がある。ある週末に、わたしと父とが約四十匹の猫とともに家にとりのこされたことがあるが、どうしてそういう恐ろしい事態に立ちいたったのかということである。
 その出来事について、わたしが説明らしい説明として思いだせるのは、こういう意見だけだ――「かあさんはきゅうに気が弱くなって、子猫を溺れ死にさせるのに耐えられなくなったのさ」……

 一年たらず、母が調停者として、仲裁人として、自然の妥当な増殖行為と妥当でないそれとの均衡を保つ役割を放棄しただけで、結果的にわが家のなかにも、家のまわりの小屋にも、農場周辺の藪のなかにも、猫がはびこることになった。猫、あらゆる年齢の猫、飼いならされたのと、野生のと、その中間のさまざまな段階の猫、毛のはげちょろけの、目のただれたの、奇形の、あるいは不具の猫。なお悪いことに、おなかの大きな猫も半ダース近くいた。ここ数週間のうちに、わが家が百匹もの猫の戦場と化すことは目に見えていたが、それを阻止する手だてはなかった。……

 とうとう最後に、猫たちはかりあつめられて、一室に入れられた。父が第一次世界大戦の遺物の連発拳銃を持って、その部屋にはいった。散弾銃よりもこのほうが確実だというのだった。やがて銃声が二度、三度、四度、五度と鳴りわたった。まだとらえられていない猫たちは、自らの運命をさとってか、追いまわされながら藪のいたるところでけたたましくわめきたて、あばれまわった。途中で一度、父は真っ青な顔をして、くちびるを腹だたしげにかたくひきむすび、目をうるませて部屋から出てきた。そして吐いた。それからひとしきり悪態をついたあと、もう一度部屋にとってかえし、また銃声がつづいた。やがてようやく父は出てきた。使用人たちが入れかわりにはいっていって、死骸を運びだし、古井戸に捨てにいった。……父は煙草を巻いていた。その手はいまだにふるえていた。父は目を上げて母を見、そして言った。
「二度とこんなことはなくすべきだ」
 そして、二度とおなじことはなかった、とわたしは思う。

人間の生活をつつがなく回していくためには、どこかで線を引かなければならない。アニマル・ライツという言葉も近年、耳にするようになった。動物愛護の精神は、非常にもっともだし、結構なことだけれど、動物の権利と人間の権利のどちらかを優先しなければならない場面はかならず起こる。そのとき、人間の権利のほうが優先されなければならない。

猫を飼おうと思えば、たとえそれが「不自然」であろうと、避妊手術を施さなければならないし、何らかの事情で飼えなくなり、引き取り手も見つからなければ、飼い主はその責任において、最終的な「処置」を施さなければならない。
それをエゴと呼ぼうが、人間の勝手と言おうが、人間が生きていくことのほうが、優先されなければならない。そのことはわたしたちが生きる社会の大原則のはずだ。

ところが、かならずしもそうとばかりは言えないような気がするのだ。

昔、新聞でこんな話を読んだことがある。
廃品回収をしながら、駅だか公園だかで寝泊まりしているホームレスの男性がいた。苦しい生活にもかかわらず、犬を飼っていた。
この人物が自立できるよう、ある教会の牧師が保証人になって、家を借りる手助けをした。
ところがある夜、この家から火が出た。犬は危険を知らせようとワンワン吠え、近所の人や消防が駆けつけた。火は無事消し止めたけれど、その男性は煙に巻かれて亡くなった。

新聞にその記事が載ると、あちこちからその犬を貰い受けたいという申し出が殺到し、その中からある一軒に貰われていった。

いかにも「いい話」ふうに新聞に書いてあるのが、ものすごく奇妙に思えた。
人間の「引き取り手」はいなくても、犬の引き取り手ならいくらでもいる、ということに。

あるいは、学校で飼えなくなったウサギを生き埋めにした校長がかつていたけれど、残酷だ、とそれはそれはたいそうな叩かれようだった。確かにその手段が適切だったかどうかという問題はあるけれど、現実に、だれかが処分しなければならなかったかもしれないのだ。

この一種ヒステリックな反応を眼にしたとき、わたしが思い出したのはローレンス・ブロックの短編『動物収容所にて』(『ローレンス・ブロック傑作集1 おかしなことを聞くね』所収 田口俊樹訳 ハヤカワ文庫)である。

主人公が勤務する動物収容所は、ペットとして飼えなくなった犬だけでなく、ほかにもニワトリやアヒル、ポニーやブタを飼っている。そこで生まれた子羊が、近所の子供に殺されてしまった。主人公と上司のウィルは寝ずの番をして、忍び込んでくる子供を捕まえる。

 ウィルが考えていることはだいたい察しがつく。まずはじめに、少年のような心優しい子供が動物殺しの犯人などとはこちらが考えていないと思い込ませる。犯人は他のだれかで、彼はそんな悪質ないたずらとは無関係の善良な第三者なのだ。そして、本来なら彼が受けるべき報いがどんなものであるかをじっくりと教えてやる――きつい仕置きと重い罰とを。そうして自分の犯した罪の重大さをよくよく悟らせたところで、この収容所への敵意を愛着に変えさせるのだ。……

「さてと、ここが焼却炉だ」ウィルはひとわたり案内してから言った。
「ゴミ用のかい?」
「以前はな。しかしいまは公害なるとかで市の環境基準がやかましくてやたらにはゴミを燃やせなくなってしまった。そこでもっぱら死んだ動物を消却するのに使っている」……

少年はふっと思案した。
「ねえ、まだ生きてる動物をあのなかに入れたらどうなるのかなあ?」
「そう、それはじつに興味深い質問だね……生きたままこの中で焼き殺したりすることは残酷だからね」
「わかってるよ。ただ、ちょっとどんな風かなって想像してみたんだ」
「しかし、相手が残忍な子羊殺しの小僧の場合はまた話が別だ」言うが早いか少年の襟首とズボンの尻を両手でつかむや、ウィルはそのまま少年を頭から焼却炉のなかに放り込んだ。……
「ちょっとやりすぎじゃないのかな」ぼくは声をかけた。…
「これだけこっぴどくおどしておけば、もう二度と動物にいたずらしようなんて気は起こさなくなるだろうな」
「おどしだって?」ウィルの顔に、これまでぼくが見たこともないような表情が浮かんだ。
「おれがおどしでこんなことをしたと思っているのか?」
 ウィルは手を伸ばしてスイッチを入れた。

このブラック・ユーモアふうの味わいの作品はこれで終わるのだが、このウィルのような行動を現実にとるかどうかは別として、動物の命は人間と同じ尊さを持つのだ、と主張することの行き着く先は、こういうことになるのではあるまいか。

動物虐待や、無責任にペットを捨てることは論外であるにしても、やはり、人間が生きていくために、食べるために、生活をつつがなく回していくために、動物の命を犠牲にしなくてはならないことがある。少なくともこのことをしっかりとわきまえておこう。そのうえで、そうならなくてもすむように、最善の方途を探ろう。一時的な愛着や感傷に引かれないようにしよう。現実にわたしたちができることは、その程度のことなのかもしれないけれど。

(この項つづく)

ほんの動物 その4.

2005-11-27 21:54:08 | 
4.殺さなくては生きていけない

「家畜に愛情を感じたことはないのかい?」私はピーターにたずねた。
「ないね」彼は即座に答えた。だがこんな話を聞かせてくれた。
「一頭の雄の子牛がいたんだ。名前はミッキー。兄のマイケルが死んだ二、三日後に生まれたんで、兄貴にちなんでそう名づけたのさ。なんだかまるでペットみたいになってたよ。ブリジットはそいつを馬がわりにして背中にまたがって遊んでいた。だが、いよいよミッキーを手放す時がやってきた。自分の牧場の未経産牛に種付けさせるのにほしがってた男に売ることになったのさ」
「もし君がまだミッキーを飼っていたら、その肉を食べることができるかい?」
「ああもちろん。問題ないね。なぜミッキーがここにいるのか俺にはその理由がわかっているから」
(ピーター・ローベンハイム『私の牛がハンバーガーになるまで ―牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語』石井礼子訳 日本教文社)

普段、スーパーで、薄くスライスされパック包装された肉を買ってくるわたしは、それがかつては生きていた牛や豚や鶏だった、と意識することもない。最近ではあらかじめ細かく切り分けられていて、直接手でさわらなくても調理できる状態にまでなっている肉や、下ごしらえがすみ、えらや内臓の下処理の必要のない魚も少なくない。自分がほんの数日前まで、生きていた動物や魚を食べているのだ、という実感は、薄れるばかりだ。

そうして、ともに暮らす動物として意識にのぼるのは、あくまでもペットであり、家畜ではない。けれども、実際のところ、わたしと一番密接な生き物は、こうした食肉にされる家畜や、海で、あるいは養殖された魚なのだろう。

家畜を飼っている人々はどのように感じているのだろう。日々世話をしてやる生き物が、まもなく殺され、解体され、食肉にされるということを十分に知り、それを仕事としてやっている人々は。たとえ名前をつけず、番号で呼んだとしても、情が移ったりはしないのだろうか。

ロバート・ニュートン・ペックの『豚の死なない日』(金原瑞人訳 白水社)の主人公のロバートは十三歳の少年である。父親は、農場の仕事の傍ら、豚のと殺を生業としている。

 父さんはかがんで、パッチワークのキルトをぼくの首のところまでかけてくれた。父さんの手がにおう。今日も豚を殺してきたんだ。強いにおいが父さんの手にしみついている。すえた死のにおいだ。父さんは朝から晩まで、ほとんどいつもこのにおいをさせている。けれど道曜日になると、下着だけになって、キッチンの流し場に立ち、石けんをとかしたお湯に膝までつかる。そうして豚と死を洗い落とすのだ。

 日曜日の朝の父さんは最高にいいにおいがする。シェーカーの礼拝で、ぼくは父さんの隣りにすわる。いつも使っている大きな茶色の石けんのにおいだ。ときどき、町で売っているポマードのにおいがすることもある。だけど生活のために豚を殺すときには、日曜日の朝のようにいいにおいというわけにはいかない。

 そんなときの父さんは、つらい仕事のにおいがする。

ロバートは牛のお産を助けたお礼に、子豚をもらう。ピンキーと名前をつけてそれはそれはかわいがってやるのだけれど、やがて子供を産むはずのピンキーは、不妊症だったことがわかる。餌をたくさん食べるピンキーを、ペットとして飼う余裕など、一家にはない。

「ロバート、やるぞ」
 ぼくは何をやるのかきかなかった。きかなくてもわかっていた。……

 ぼくは道具をいくつかと、骨をひくのに使う鋸を持つと、父さんについて物置を出 て、牛小屋の南側にまわった。ソロモンがキャプスタンで運んでくれた古いトウモロコシ箱――つまりピンキ-の家がある場所だ。ピンキ-は中で眠っていた。清潔なわらの上で、体を丸めてぬくぬくと寝ている。やさしい、温かなにおいがする。
 「おいで、ピンキ-」ぼくはできるだけ明るい声で呼ぼうとした。「朝だよ」しか し喉がつまって、言葉が出てこない。足でそっとつついてみるが、起きてこない。し かたなく棒でたたくと、ようやく立ち上がった。ピンキ-はぼくのそばにきて、脚に 鼻面をこすりつけた。くるっと巻いたしっぽを振っている。一日が始まったことを喜 んでいるようだ。豚は鈍感で、しっぽなんて振らないんだ、という人もいる。だけど 少なくとも、ピンキ-にはぼくがだれだかわかっているし、しっぽもぼくをわかって いるのだ。

「父さん、ぼくにはできないよ」
「できるできないの問題じゃない。ロバ-ト、やらなければならないんだ」
 ぼくが立ち上がって離れると、父さんはピンキ-の頭のほうに近づいた。ピンキ- は降りつもったばかりの雪の中に立って、ぼくの足元をみている。父さんがバ-ルを 握り直し、頭上高く振り上げる。ぼくは目を閉じ、ピンキ-のかわりに悲鳴をあげて やろうと口を開いた。そして待った。待っていると、ついにその音がぼくの耳を打っ た。

 ぐしゃっというすさまじい音。鉄の一撃が豚の頭を砕く音だ。その瞬間、ぼくは父 さんを憎んだ……父さんに殺された数えきれないほどの豚にかわって、ぼくは父さ んを憎んだ。
「ぐずぐずするな」父さんがいった。
 ぼくは目を開けてピンキ-のそばにいった。ピンキ-は雪の中に倒れていた。まだ 動いているし、息もあるが、起きあがれない。ぼくはその体を仰向けに転がすと、上 にまたがって立ち、前脚をつかんでまっすぐに持ちあげた。父さんは左手で、鼻先が 地面につくまでピンキ-のあごを横向きに押さえつけ、右手で刃の曲がったずんぐり した包丁をかまえた。そして喉に包丁を深々と突きたてると、まっすぐに手前に引い た。頸動脈が切れて、泡のまじった血が吹き出し、洪水のように流れてくる。ぼくの 長靴にもピンキ-の血がかかる。ぼくはかけだして、泣き叫びたかった。しかしじっと立ったまま、ピンキ-のばたつく足をつかんでいた。

 あたりは静まりかえっている。まるでクリスマスの朝みたいだ。父さんがピンキ- をさばくあいだ、ぼくは両足をしっかり持ちあげていた。血はあとからあとから流れ 出してくる。ぼくたちの足元の雪の上に熱い血が流れ、湯気を立てている。
 ピンキ-が死の間際のけいれんをおこしているのが両足から伝わってくる。目をそ むけずにはいられなかった。父さんは手を休めない。ぼくはピンキ-の足をつかんだ まま、古いトウモロコシ箱をみつめた。ピンキ-の家だったところだ。……

 父さんは信じられないほど荒い息をしていた。こんなにすばやく仕事をする人はみたことがない。手は凍りつきそうなほど冷たいだろうに、休まず働き続けている。手袋もしていない。ついにその手が止まり、ぼくを肉の塊から引き離すと、自分のほうを向かせた。ぼくはピンキーに背を向けて立った。父さんはすぐ目の前に立っていた。汗まみれで、体中から湯気が立っている。ぼくはもうがまんができなかった。ピンキーのことが頭に浮かんできた。ぼくの大切な、大きくてきれいで真っ白なピンキー。どこにでもついてきたピンキー。ぼくのたったひとつの宝物だったピンキー。この世でたったひとつ、「これはぼくのだよ」そういって指さすことのできたものだったのに。ピンキーはもういない。そこには血の海があるだけだ。ぼくは泣いた。

「ああ、父さん。胸がつぶれそうだよ」
「わしもだ」父さんがいった。「だが、よくやった。おまえはもう一人前だ」……
「これが大人になるということだ。これが、やらなければならないことをやるということだ」

ローベンハイムの『私の牛が…』によると、アメリカでは年間4500万頭、一日に12万3000頭、一時間に5000頭が、と畜解体され、肉になっているという。
冒頭であげたローベンハイムのルポルタージュに登場するピーターは、「家畜に愛情を感じたことはないのかい?」という問いに、「ないね」と即答するけれど、このヴェテランの飼育業者でさえ、複雑な感情を抱いていることがうかがえる。それでも、それが「やらなければならないこと」である以上、「やらなければならない」のだ。

わたしたちは、どこかで線をひかなければならない。自分が生きるために、ほかの生き物を殺さなくてはならないのだ。

おそらくそれは、一個人が家畜がかわいそうだから、といってヴェジタリアンになればすむ、といった単純な問題ではない。あるいは、わたしの子牛がかわいそうだから、処理場に連れて行かないことにした、という問題でもないのだ。たとえ自分がヴェジタリアンになったにせよ、食肉を続けている人間が多数存在する以上、と殺解体に携わる人々や、そうされることを前提として育てる人々に、「生きるために殺す」ことを、押しつけていることに変わりはない。

少なくとも、わたしたちは、自分が生きるために、ほかの生き物を殺しているのだ、ということを知っておく必要があるだろう。牛乳は、蛇口をひねって出てくるわけではないことも。通常三百五日の泌乳期間が終わり、ミルクを産出しなくなった牝牛も、食肉にされていくことも。

そうした牛や豚や鶏は、身近にいれば、まちがいなく、わたしたちが心を通わせ、愛情を抱くようになる生き物なのだ。

(この項続く)

ほんの動物 その3.

2005-11-26 22:24:45 | 
3.ペットにはならない動物たち

人間とともに暮らしていても、わたしたちがふだんまったく意識しない動物たちがいる。そのなかには食肉にされる動物たちも含まれるだろう。

 一九六〇年の夏休みのこと、私たち一家はニューヨーク州路ロチェスターの郊外の家からカリフォルニアまで旅をした。当時私は七歳。それは旅行の四日目、アイオワあたりでの出来事だった。父が運転する青いビュイックの後部座席から、草をはむ牛の大群が見えた。なぜあんなにたくさん牛がいるのか、私は隣りにすわる姉のジェーンにたずねた。
「あれがみんなハンバーガーになるのよ」とジェーンは言った。
父の横にいる母が振り向いて、「ジェーン、しーっ!」
私は姉にどうやって牛がハンバーガーになるのか聞いてみた。
「うーん、農家の人が作ってくれるの」彼女の返事はあいまいだった。
「じゃあ、牛をどうするの?」
「列車に乗せるの」
「それから?」
その時母が割って入った。「ピーター、車のナンバープレートでビンゴゲームやらない?」
(ピーター・ローベンハイム『私の牛がハンバーガーになるまで ―牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語』石井礼子訳 日本教文社)

ジャーナリストの著者ローベンハイムは、この子供のときからの疑問である「列車に乗せ」られたあとの牛がどういう経路をたどってハンバーガーになるのか、その一部始終を見届けるために、自分でも実際に三頭の子牛を飼うことにする。

何世代か前まではあらゆる文化圏の人々が食べ物の出所と密に接し、それをよく理解していた。しかし今のアメリカを例にとれば、農業に従事しているのは国民のわずか二パーセント足らずで、それを知る者は皆無に等しい状態だ。……
もし“牛”と“ハンバーガー”という隔たった二つの点を結び、生きた動物が食べ物になる過程を間近で観察するとしたら、自分の中でいったい何が起きるだろう? 食用の動物を育てる人々に会い、彼らの仕事を観察し、人の胃袋を満たすために働くことを生産者がどう感じているかを知ったとしたら? そうして、子どもの頃から強く心をとらえ、それと同時に不安や脅威の対象となっていたプロセスを正しく理解できたら、自分はどう変わるのだろうか。

ところが、受精から出産に立ち会った子牛たちを買い取り、そうして飼育場に預ける。ピーター・ヴォングリスはよその牧場で働きながら、副業に十数頭の子牛を飼い、肉を売り出し、一部は自家用にする、ということをやっている人物である。

筆者は子牛の様子を見に行きながら、ピーターを始めとする飼育場や牧場の人々との絆が深まるだけでなく、手ずから餌を食べさせ、なつかれることで、子牛に対する愛情までも強くなっていく。そうして一年半が過ぎ、半年後に迫った決断、すなわち自分の子牛を食肉処理場に送ることを迷うようになる。

 ピーターは去勢牛を飼育する。どんなに疲れていようと毎日世話をし、暑い日も寒い日も飲み水を切らさぬよう心をくだき、彼の労苦のたまものである穀物やコーンを牛に与える。彼は牛を溺愛したり愛玩動物のように扱ったりはしないものの、意図的に虐げるようなまねもしない。そして時が来ると牛を所定の場所に連れていく。そこでは年季を積んだ作業者たちが手際よく牛をしとめ、その体を巧みに肉へとさばいていく。こうしてピーターは自分の家族に食物を運ぶ。牛はそのための媒介なのだ。きちんと仕事をやりおおせれば、彼は冷蔵庫に肉をたくわえることができる。

 これが、工業化がすすむ以前の、そして今でもピーターや他の畜産従事者が実践している、この国の食肉生産のすがたなのだ。私は今まで、そのすがたをはっきりと認識していなかったのかもしれない。この事実に気づいた時、私に深い安らぎがおとずれた。ピーターをはじめとする農業関係者に抱いていた敬意と、彼らの生活の根幹的な部分に対する理解とが一つにつながったからである。

結局ローベンハイムは二頭の牛(買い取った牛のうち、一頭は途中で死んでしまう)を処理場に送ることはせず、死ぬまで面倒を見てくれる「ファーム・サンクチュアリ」に送ることにする。
「私の牛」はハンバーガーにならなかったのである。

***

食肉牛がどのように「種付け」されて、育てられているか、ばかりでなく、「食物を作る」という行為が神聖なものに繋がっている、という指摘、あるいは食肉牛に対して、抗生物質や成長ホルモンを与えることにしても、単純に善し悪しで片づけられない問題を含んでいるということも、さまざまな点で教えられることの多い本ではあった。

それでも、わたしはローベンハイムの下した結論に、なんとなく割り切れない思いが残ってしまう。
なんというか、二頭の牛が助かってヨカッタ、と素直に喜べない気持ちがある。

理屈抜きに、私は二頭の牛に死んでほしくない、肉になってほしくないと思ったのだ。
 ナンバー7とナンバー8の肉が誰かの役に立つのは事実だろう。生きるため、家族を養うため二頭を食べなければならないのなら、私は殺す。だが幸い私の場合はそうではない。長女がそうであるように、私の家族は肉がなくても生きていける。

一種のアメリカ人の典型を、わたしはここに見てしまう。疑問に思えば解明に乗り出そうとする軽いフットワークも、できるだけ偏見を持つまい、とする態度も、さまざまな人に意見を聞いていこうとするフレンドリーな態度も、そうして、最終的には自分の優位さを背景に、自分の価値判断を押し切ってしまうところも。

このよくわからない違和感の正体は、あとでもういちど考えてみたい。

(この項つづく)

ほんの動物 その2.

2005-11-25 22:27:34 | 
2.すてきな相棒

『怒りの葡萄』『二十日鼠と人間』『気まぐれバス』などの作品を発表し、アメリカの「国民的作家」と呼ばれるまでに評価の高まったスタインベックは、五十八歳のとき、キャンピングカーに乗って、祖国アメリカ再発見の旅に出る。その旅行記が『チャーリーとの旅 ――アメリカを求めて』(大前正臣訳 サイマル出版会)である。

白状するが、私もここでバカげた不安にとりつかれた。つれはなし、無名の人間として、家族や友人や仲間の助けを受けないで一人でいるのは、何年ぶりだろうか。実際には危険なことはない。ただもう、さびしいのである。何よりも心もとなく、荒涼とした感じなのである。
 そこで私は同行者をつれてゆくことにした。チャーリーという名前のフランス生まれの老プードル犬である。

このチャーリーは、見知らぬ人に対しては外交官となり、不審な人物が近づけば大声で吠えて危険を知らせる。なにしろ賢いので、ゴミ屑を漁っても、ちゃんと宝物を嗅ぎ分ける。大作家は、チャーリーが拾い上げた紙くずをのばして、それが裁判所命令であることを確かめ、本来のもちぬしの生活のありようをこと細かに想像し、アメリカ人像をまたひとつ、組み立てていくのである。

もちろん、チャーリーはつねに作家の期待に応えてくれるわけではない。南オレゴンの高さ900メートルを超すアメリカ杉の巨木を見せようとしたときは……。

 私は道をそれ、この神のような巨木から五〇フィート以内の近さに近寄った。枝を見るためには、顔をあおむけ、垂直に見上げねばならない。これこそ待ちに待った時であった。私は後ろのドアを開き、チャーリーを外に出し、立ったまま黙ってチャーリーを見守った。というのは、これこそ犬の夢見る最高の天かもしれないからである。
 チャーリーはクンクン鼻を鳴らし、首輪をふった。草のもとまでぶらぶら歩き、若木にじゃれ、小川のほとりへいって水を飲み、それから、何をしようかとあたりを見まわした。

「チャーリーよ」私は呼んだ。「ごらん!」私は“おじいさん”を指さした。チャーリーは尾をふったが、また水を飲んだ。私はいった。「なるほどね。顔をもっと上げないから、枝が見えないんだな。それで木だとわからないんだな」。私はチャーリーのもとまでぶらぶら歩き、鼻面をグイと立てた。「いいかね、チャーリー。これは木のなかの木だよ。これは探究のきわみの果てさ」

 チャーリーはけたたましくくしゃみをした。どんな犬でも鼻をあまり高く上げると、くしゃみをする。私は、チャーリーに激しい怒りと憎しみを感じた。大事にしてきた計画を、ありがたく味わわないやつ、ぶちこわしにするやつにたいして感ずる怒りと憎しみである。私はチャーリーを引きずって、大木のもとまでつれてゆき、鼻面を幹の肌にこすりつけた。チャーリーは冷ややかに私を見つめたが、私をゆるし、ハシバミの茂みにぶらぶら歩いていった。
「悪意か冗談でチャーリーがあんなことをやったのなら、たちどころに殺していただろうな。こいつは探り出さずにはおかないからな」私は独り言をいった。

チャーリーとスタインベックの関係は、飼い犬とその主人という関係をはるかに越えて、まさに相棒というにふさわしい。

たったひとりの家族、という場合もある。ドリス・レッシングの短編『老女と猫』(『猫好きに捧げるショート・ストーリーズ』所収 大社淑子訳)は胸が痛くなるような話だ。

ロンドンに住むヘティは二十世紀と一緒に誕生した。建設労働者だった夫は第二次世界大戦直後に亡くなり、あとは女手ひとつで四人の子供を育てた。子供たちが巣立ったあとは、小さな公営アパートで一人暮らし。古着をただ同然で巻き上げ、それを行商しながら生活する。

子供たちが古着のぼろ売りを恥ずかしがって、母親にかまわないでほしいと考えていることがひとたびわかると、彼女はそれを受け入れた。そして、いつも乱暴に笑い飛ばしてしまう苦々しい気持ちは、クリスマスのようなときだけ胸に湧きあがってきた。そんなとき、彼女は猫にむかって歌ったり、念仏のように語りかけたりする。「この性悪の老いぼれ猫ちゃん、汚い年寄り雄猫ちゃん、おまえなんかはお呼びじゃないよ。そうだろ、ティビィ、お呼びじゃないよ。おまえはただの野良猫で、老いぼれ泥棒猫にすぎないからね。ヘイ、ティブス、ティブス、ティブス」

公営アパートでは規則が変わって、猫を殺さなければならなくなる。ちょうど体調を崩して家賃も滞納していたヘティは、そこを出て、スラムに移る。
猫とヘティの平和な日々が五年ほど続いたけれど、スラムの一画が区画整理の対象となってしまった。気まぐれな福祉政策のおかげで養老院に入れることになったが、そこには猫を連れて行くことができないのだ。ほかの住人たちが養老院に移っても、ヘティだけはこっそりとそこに残った。猫が取ってきてくれる鳩を、なんとか火をおこし、料理して食べていたが、やがて本格的な冬が来、いよいよ工事も始まってしまう。

雪とみぞれが吹きこむ大きく開いた窓からは遠い、ふきさらしの部屋の比較的乾いた一隅に、彼女はもうひとつの――最後の――巣を作った。瓦礫のなかからプラスチックの被覆材の切れ端を見つけてきて、まずそれを敷き、湿気があがってこないようにした。それから、その上に二枚の毛布を広げ、毛布の上に古着の固まりを山のように積み重ねた。上に置くプラスチックの切れ端がもう一枚あったらいいのにと思ったが、その代わりに新聞紙を使った。彼女はその真ん中にもぐりこみ、手に近いところにパンを置いた。それからうとうとし、しばらく待ってから、パンを少しかじった。そして、雪が静かに降りこむさまを眺めた。ティビーは古着の山からのぞいている老いて青ざめた顔の近くにすわっていたが、前足を出して、その顔に触れた。彼はニャーニャーと鳴き、そわそわしていたが、やがて霜の降りた朝の戸外へ出て、鳩を持って帰ってきた。まだ少しもがいて羽をバタバタさせているこの鳥を、猫は老女のすぐそばに置いた。しかしヘティは、やっと暖まりかけたものの暖かくしておくのがむずかしい衣類の山から出るのが怖かった。実は、床から床板のかけらを剥がし、火を起こして、鳩の毛をむしり、焼くだけの時間、起きていられなかったのだ。それで、冷たい手を出して、猫を撫でてやった。

「ティビー、老いぼれちゃん、おまえはそれをわたしに持ってきてくれたんだね。ここにおいで、ここに入っておいで……」

ヘティは自分が見つけ出してもらい、病院に連れて行ってもらわなければ死んでしまうだろう、と思う。

 しかしそうなれば、かわいそうな猫はどうなる? 彼女は年取った動物のボサボサの頭を親指の付け根のふくらみでなでながら、つぶやいた。「ティビー、ティビー、あいつらはおまえを捕まえはしないよ。そうよ。おまえは大丈夫、ええ、わたしが面倒を見てあげるから」

そうしてヘティはそのまま死んでしまう。

こういう関係を見ていると、人間というのは愛情を向ける対象、自分を愛してくれる存在がなければ、生きていけないのではないのだ、食べること、暖かく暮らすことより、そうした存在は、かけがえのないものなのではないか、つまり生きるということと、ほとんど同じ価値があるのだとさえ思ってしまう。

やはりネコ、といえば内田百をあげないわけにはいかないだろう。
近所で生まれた子猫が、百のところに居着いてしまった。もともとが野良猫だからノラと名づけた。ところがそのノラがいなくなったのだ。引用は中公文庫『ノラや』より。

 三月二十九日金曜日(※二十七日の午後から帰ってこなくなっている)
 快晴夕ストーヴをたく。
 朝になつてもお天気になつても、ノラは帰つて来ない。ノラの事で頭が一ぱいで、今日の順序をどうしていいか解らない。夕方暗くなり掛かつても帰つて来ない。何事も座辺の片づけも手につかない。……

 三月三十日土曜日
 ……
 毎日私が泣いて淋しがるので、家内がだれかに代る代る来て貰つて一緒に御飯を食べる事にしてはどうかと云ふ。その気になつて今日は平山君に来て貰つた。
 食膳の上は、一献中はまぎれたが、彼が帰つた後、もうこの時刻では今夜もノラは帰つて来ないだらうと思ふ。可哀想で淋しくて堪らない。
 ノラが帰らぬ事で頭が一ぱいで、やり掛けた仕事の事も考へられないし、私の様な身体はこんな状態が続いてはもたないと思ふ。しかしどうしても自ら制する事が出来ない。

 四月六日土曜日
 ……
 朝日新聞の案内広告に猫探しの広告を出さうと思ふ。その文案を作つた。
 
 迷猫 麹町界隈薄赤の虎ブチに白
 尻尾は太く先が曲つてゐる
 お心当の方はお知らせ乞猫戻れば
 乍失礼呈薄謝三千円電33abcd

 四月二十六日金曜日
 晴曇晴曇。夜雨。
 今朝も昨日からの続きでくよくよして、涙が流れて困る。夕方近くなり、夜に入れば、一寸したはずみで又新らしく涙が出て、ノラがいつもゐた廊下を歩くだけで泣きたくなる。雨の音が一番いけない。

『ノラや』の初出が1957年だから、百68歳のときである。
わたしが初めてこの作品を読んだとき、一種異様な印象を受けた。百というと、腹を立ていきなり読んでいた新聞に火をつけたり、家を飛び出したり、非常に癇性な、激烈な性格のもちぬしという印象があったのだ。
正直、この手放しの嘆き悲しみよう、そうして、それをそのまま書き付ける百が、ちょっと心配になってくるようでもある。百の抱える狂気の別の現れとも言ってよいのかもしれないけれど、自分自身、正直、この『ノラや』はどう読んでいいものやら、よくわからない、できればあまり触れたくない百の作品でもある。

とりあえずここでもまとめてみよう。
動物と暮らす、ということは、動物と深いところで結びつく、ということでもある。その結びつきは、主体のある側面を反映したものとなる。

(この項続く)

ほんの動物 その1.

2005-11-24 21:26:54 | 
昔から思っていた。読者を泣かすことができる本を書こうと思えば、淡々と動物との暮らしを綴り、最後にその死を描けばよい、と。

確かに死というのは、E.M.フォースターが言うように、結末をつけるのに便利なものだ。わたしが最初に書いた小説では(八歳のときだったのでその点はご了承ください)、最後に悪人が登場人物全員を毒殺し、探偵に撃たれて死ぬ、というものだった。書き出しは順調だったのだけれど、登場人物を増やすことでストーリーを転がしていったため、どうにも収拾がつかなくなって、殺すことで一気に結末へ持っていったのである。だが、ノートにエンピツで書いた「小説」ならいざしらず、それなりの作品ともなると、人間の死を描くためには、そこに至るまでのプロセスが非常に重要になってくる。そういう部分がなおざりにされたものは(それでも感動したがり、泣きたがりの読者はずいぶん多いようだけれど、そういう人たちを除くと)、はっきり言って、読むのはたいそう辛い。

だが、動物の場合、わたしも含めて、どうもその基準が相当甘いような気がする。あっけなく心を動かされ、涙腺を刺激されるのだ。

なぜ、わたしたちは見ず知らずの動物の死に涙することができるのだろう。
英雄の死よりも、悲劇の王の死よりも、一匹の動物の死のほうが、胸が痛むのだろう。

本に現れる動物を見ながら、そのことを少し考えてみたい。

1.動物と暮らすということ

いきなり「動物」ではない本の話から始める。タイトルを見ると、それが何かはすぐわかる。引用するのは『いつかテディ・ベアが』(ローレンス・ブロック傑作集3『夜明けの光の中に』所収 田口俊樹訳)。

主人公の男性は中年の映画評論家。離婚歴があり、現在は一人暮らし。女性と気軽なつきあいを楽しんでいるのだが、その彼には秘密がある。ぬいぐるみのクマを抱いて寝ているのだ。

 こういったことには彼自身が驚いていた。動物のぬいぐるみを抱いて寝るというのは、ある日それを買いに行って、一緒に寝ることを意図して始めたことではなかった。そういうことをする大人もいるだろうし、それは別に変なこととは思わない。しかし、彼の場合はそうではなかった。まったくちがっていた。

つきあっていたガールフレンド、子供の頃に母親にぬいぐるみのクマを処分されたことがトラウマになっているらしい女性にプレゼントしようと買ったところ、その彼女にあっさりとふられてしまう。仕方なくクロゼットにしまっていたのだけれど、眠れぬ夜、ベッドに持っていくと、「妙に気持ちが安らいだ。それは実際妙な安らぎ方だったが、心地よさに変わりはなかった。」

以来、そのクマと一緒に寝るようになってしまう。

 ある晩、彼はクマの夢を見た。
 彼が夢を見るのは珍しいことで、見たとしても曖昧で断片的なものが多いのだが、この夢は鮮明で実に詳細な夢だった。まるで映画を見ているかのように、彼の心の網膜に映し出された。ただ映画とちがうのは、彼自身がその中に出てくることだった。
『ピグマリオン』(…)と『蛙のプリンス』を足して二で割ったような、魔法にかけられたクマが出てくる夢だった。そのクマは人間の不変の愛を勝ち取ることができれば、クマでいることから解き放たれ、愛してくれた人間の理想的なパ-トナ-となることができる。そのことを知った彼はクマを愛し、クマを抱いて眠る。そして眼覚めると彼の腕の中には、そう、まさに夢の女がいるというものだった。

 そのあとほんとうに眼が覚めた。彼が必死に抱きしめていたのは、もちろんいつものぬいぐるみのクマだった。ああ、よかった、と彼は思った。
 なぜならそれは悪夢だったからだ。彼はクマが何かに変わってしまうことを少しも望んではいなかった。たとえ夢の女に変わるとしても。
 彼は起き出してベッドを整え、クマを寝かすと、クマの顎の下を軽くつついて言った。
「おい、変わるんじゃないぞ」

わたしたちが動物と暮らすようになるときも、こんな経過をたどることが多い。偶然から始まった共同生活も、いざ始まってみると、次第にこの「心地よさ」が生まれてくる。
わたしたちが動物と暮らして楽しいのは、それが動物だからだ。そのふわふわとした毛や、こちらを見つめる眼、しっぽなのだ。

ぬいぐるみのクマは生きてはいない、それにくらべて一緒に暮らすイヌやネコは生きている。たしかにそういう違いはある。けれど、イヌやネコは、飼い主であるわたしたちを「愛して」いるのだろうか?

アメリカの人類学者、エリザベス・マーシャル・トーマスは、ネコと人間の関係について、このように考察している。

 じつのところ、猫と人間を結ぶきずなはさまざまにある。そのもっとも重要で、おそらくもっともわかりやすいきずなが、所有の関係である。わたしたちはほかのあらゆる所有物とおなじように、猫を所有する――彼らは、わたしたちが好き勝手にできるものなのだ。……しかし興味深いことに、わたしたちが人間の所有原則に従って猫を所有すると同時に、猫は猫の所有原則に従ってわたしたちを所有している。野生の猫がテリトリーとそこに住むネズミやシカの狩猟権とを所有するように、家猫も人間の住居とそこにいる人間にかんする権利を所有するのだ。人間が家猫の獲物にならないのは事実としても、わたしたちはネズミの群れ以上にかんたんに食糧を提供する。だからこそ猫はわたしたちの家に尿をかけてマーキングをおこない、わたしたちの体に臭腺を軽くこすりつけるのだ。 ……

人間と猫を結ぶ第二のきずなは、おそらくもっとも基本的な、親と子の関係である。猫を子どものように扱う人は大勢いて、それが猫の大きな魅力になってもいる。…人間の赤ん坊とおなじように、猫は高い声、小さな顎、大きな目、そして短い毛の立った頭をもっている。そんな聴覚と視覚からの刺激が、わたしたち人間の親心をくすぐることになる。

 そしてわたしたちが猫を子どもとして扱うとすれば、彼らのほうもわたしたちを親とみなして接する。人間の大人の身長は、猫の顔の位置とほぼおなじ膝から上で成猫の体のおよそ三倍はある。それはすなわち、成猫から見ると、大まかに言って親猫と子の体の比率に相当する。……

 しかし人間が親で猫が子どもという図式は、ものごとの半分しか説明していない。猫の目からすると、自分たちのほうが親で、飼い主はその子どもでもあるのだ。……

 獲物を家の中まで運んできて人間の飼い主に見せるとき、猫たちは教育を買ってでているのだろう。おそらく彼らはわたしたちに食べさせたいのだ。そしてわたしたちを教育するつもりなのだ。……

 わたしたちは何歳ぐらいに思われているのだろう。……わたしたちはひとり立ちにはまだ早い、青年期の若者とみなされているのだろう。そうであれば、不思議はない。わたしたちはきっと、救いがたいほど不器用ではないにしても、未熟者であり礼儀知らずとも思われているにちがいない。
(エリザベス・マーシャル・トーマス『猫たちの隠された生活』木村博江訳 草思社)


わたしたちは動物を「所有」している、と思っている。けれども、逆に彼らから見れば、所有され、保護されている存在でもあるのだ。

動かないぬいぐるみのクマとはちがって、生きたネコはさまざまなリアクションを取る。予期せぬ行動は、わたしたちを飽きさせない。
もうひとつ、決定的にちがうことがある。
長田弘『ねこに未来はない』(晶文社)にはこのような一節がある。

もしねこを飼うという行為にどこか他のひとの介入をゆるさない濃密な親密さがあるとすれば、その親密さは、おそらく、いつかじぶんとねことのあいだになにげなく、あっけなく、唐突にひび割れのようにあらわれるだろうはっきりとした隔絶を予感している飼い主たちのくぐもった感情に、正しくみあったものであるにちがいありません。

ネコばかりではない。あらゆる動物の飼い主は、いつかかならず来る「別れ」を意識のうちに織り込みながら、その「別れ」ができるだけ遅くなることを祈りながら、ともに暮らす。

けれども、そうしたちがいはあるにせよ、動物と暮らすことの基本的な楽しさというのは、ブロックが描写した二点、
・人間とは別種の外見、触感をもったものと暮らすことの楽しさ
・愛情を求めることができる存在がいることの楽しさ
にあると言えるのではあるまいか。

(この項つづく)

サイト更新しました

2005-11-20 22:13:54 | weblog
「仕事―葬儀業から見た人間研究」アップしました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/
ブログ掲載時のものに相当手をいれています。ずいぶん読みやすくなった、と自分では思っています。いくつか大きな誤訳も見つけたし。

訳したもののなかでも、相当好きな部類に属する文章なのですが、どうでしょうか。思い入れが強いものって、いつもながら、決してデキがよくない。ただ、少なくとも初めて訳したころよりは、格段にうまくなっています(笑)。比較するものが低すぎるから、当たり前の話ではあるんですが。これを訳すに至ったあれやこれやの経緯は、翻訳の末尾のノートに書いてありますから、どうかそちらを。

***

日曜日の夜というと、実家では父が靴を磨くのが常でした。
玄関ではなく、自室に新聞紙を広げて、ステレオで低く室内楽を流していました。

革靴から、まずひもをほどいて抜いて、古い歯ブラシでほこりを丹念に落とす。それから乾いた布でざっと拭いた後、クリーナーで丁寧に汚れを落としていく。それから靴墨をほんの少量つけて、ブラシを勢いよく動かしていく。最後にシューキーパーをはめて。

小さい頃、その様子を見るのが好きでした。
頼みこんで磨かせてもらったこともあります。
自分の小さな手にはめた靴の大きさと重さに驚いたことを、いまでもよく覚えています。

わたしの場合、土、日と仕事で月曜日が休みなので、いまは明日から新しい週が始まるという感覚はないのですが、それでもその週しっかり働いてくれた靴を、やはり日曜日になると磨きたくなります。
この靴墨のにおいも、刷毛の感触も、靴磨きはやらなければならない仕事、というより、一種の楽しみのような気がする。

普段は「縦のものを横にもしない」と母に文句を言われていた父が、それだけはやっていたのも、おそらくはそれが楽しかったからなのだろうと思います。
わたしは玄関のところに腰をおろして磨くのですが、やはり音楽は聴きたい。さて、これから何をかけようか。

***

さて、翻訳の推敲、忙しいし、体調は芳しくないし、のなかできつきつだったんですが、なんとかあがってヨカッタヨカッタ。
明日からちょっと出かけてきます。旅行でも何でもないんですが、それでもちょっとうれしい。遠足の前の子供の心境です。i-Podにも新しい音楽をつめたし(もう三百曲以上入ってるんですが)

帰ってくるのは水曜日。23日にはなんとか新しいネタをお届けしたいと思いますので、そのころまたのぞいてみてください。

それじゃ、また♪
みなさま、お変わりなきよう。
リンチの感想、これはほんとうに知りたいです。よろしくお願いします。

今日の文房具

2005-11-19 22:35:12 | weblog
いつのまにかどんなメモ書きでも、文章を作るときは、まずパソコンを起動させるようなヘビー・ユーザーになってしまったのだけれど、本を読むときは、鉛筆書きでノートを作っていく。このノートは覚え書き、というか、道筋を作るためのものだから、文章のところもあれば、箇条書きもあり、ところどころ図が混じっていたりする。

もちろん鉛筆はかならずステッドラーを使う。一本130円で、どこにでも打っているわけではないのだけれど、固さといい、書き心地といい、これに慣れてしまうと、ほかのエンピツはちょっと使いたくなくなる。

ステッドラーを使い始めたのは、高校時代、絵を習いに行くようになってからだ。そこでまず最初に渡されたのが、この鉛筆だった。
青いボディ、先は黒で、青と黒の境に白い線が一本入っている。機能的な、美しいデザインだと思った。
それまで鉛筆といったら、母親が安売りの時に大量に買ってくるアズキ色のユニで、削るときはジャーッと電動鉛筆削りに突っ込むだけ。それも小学校も高学年ぐらいからは、ずっとシャープペンシルばかり使っていた。

美術教室で最初に教わったのが、小刀で鉛筆を削ることだった。エンピツを削るどころが、小刀を持つことさえ初めてで、元々不器用だったわたしはたいそう苦労した。小刀はこわいくらいによく切れ、鉛筆に刃を当てると、吸い込まれるように中に刃先が食い込んでいく。刃を倒して、斜めに削っていく力の加減がむずかしかった。二ヶ月ぐらい、鉛筆を削っては、直線を引く、というのを繰り返した。

そのうち、鉛筆もなんとかうまく削れるようになった。鉛筆削りに突っ込んだときのように、円錐形に先端を尖らせるばかりではない。芯だけを長く残す削りかたや、先をぎりぎりまで、針の先のように尖らせるコツを、少しずつ身につけていった。鉛筆を削っていくときの、木の匂いも好きだった。そこではみんなが削った削り屑を集めて、小さな皿の中で燃やしていた。テレピン油やペインティングオイルなどの胸の悪くなるような臭いのなかで、その木くずの燃える香ばしい匂いが立ちのぼってくると、なんともいえず、良い心持ちになるのだった。

よくドローイングというと、4Bとか6Bとかの、芯の太い、柔らかい鉛筆を使うと思われがちだけれど、普段のデッサンで使うのはHBから2Hぐらいの、どちらかというと固めのものだ。このほうが手の延長上にある道具として、別の言い方をすれば、手の運動を伝える道具としての鉛筆として、使いやすいのだ。むしろ柔らかくなればなるほど、手首の力の抜きかたや肘や腕の使い方はむずかしくなる。鉛筆のスタンダードの固さがHBであることも、意味がないわけではないのだ。

インクで書いたものは、退色しやすいし、日にさらしていれば、そのうち読めなくなる。けれど鉛筆は、こすれることはあっても、退色するということはない。その当時のスケッチブックがいまでも残っているけれど、昨日描いた、といってもよいほどの、生々しい線だ。レポートなどが鉛筆書きは不可、となっている理由に、こすれる、薄くなる、と書いてあるけれど、むしろ消して書き換えることが容易であることや、非公式、略式である、といったイメージによるためではないだろうか。そんなにカンタンにこすれて読めなくなるのなら、センター試験など、大変なことになる。

絵を描かなくなって久しいけれど、未だにステッドラーは画材屋か東急ハンズに行って一ダースずつ買ってくる。鉛筆を削るのは、もちろん小刀だ。さすがに削り屑を集めて燃やすことはしないけれど、木くずの一片を手にとって鼻に当ててみると、やはりそれは木の匂いで、ステッドラーが製造されたドイツの、鉛筆になる前の木の姿を想像したりする。

今日の備忘録

2005-11-18 22:45:27 | weblog
うちの冷蔵庫の前には寸分の隙もなく、というか、重なり合って層をなす、さまざまなメモが磁石で留めてある。この間、足りなくなったので、百均で新たに六個入りを買ってきたのだが、それもすっかり使い切ってしまった。つまり、冷蔵庫のドアには、二十個あまりの磁石が貼り付けてある、ということである。冷蔵庫が肩こりなら、ずいぶんありがたいと思ってくれているにちがいない。

・まず場所を取っているのがカレンダー。
わたしは白川静の『漢字暦』が好きで、毎年これを楽しみに買っているのだけれど、もちろんそれは見る、というか、読むためのカレンダー(月ごとに漢字を取り上げ、その字源が紹介されている。11月は「文」、「「文」とは、慶弔のときに顔や胸などに加えられる呪飾(まじないの文様)で、これによって人は聖化され、死者の霊は永生を獲得するのである。すなわちそれは新しい世界への加入の儀礼である。…」というように、その文字の説明がなされている。ほんとうにこれは読んでいて楽しい)なので、こんなところには貼らない。

冷蔵庫に貼るのは小ぶりのカレンダーなのだけれど、びっしりと書き込みがしてあって、読もうと思えば顔を近づけて、ときには矢印の先をたどっていかなければならない。る。それでも、基本的に仕事の予定と病院の予約以外は書き込まないことに決めているのだ。つまり、最優先事項ということだ。それでも、なんだかんだと月も半ばになると、びっしりと字で埋まってしまう。

・その脇に、ゴミカレンダー。
さすがにゴミの日は覚えているけれど、細かい分別がわからないとき、参考になる。たとえば乾電池は何ゴミだっけ、スプレーはどうやって出すんだっけ、というときにそれを見るが、このゴミカレンダーは大きいので、その上にいっぱい小さなメモが重なってしまう。そういうときには、ここらへんか、とアタリをつけて、メモの下をのぞきこまなければならない。

・アパートのおしらせ。
共有部分の工事や断水のお知らせなど、毎月来るたびに貼っているのだが、いま見てみたら九月のまま、「残暑厳しい折」という書き出しで始まっている。十月、十一月と、なぜ新しいお知らせが貼ってないのか(来ていないということは、まず考えられない)わたしにはその理由はわからない。

・クリップで留めた病院のレシート。
これは医療控除を受けるために取っているのだが、こんなところへ置いておかずに、ちゃんと封筒にでもしまっておかなければならないのだ。そう思いながら時間がなくて、つい、もらってくるたびにここにはさんで、そのたびに、封筒にでもしまっておかなければ……、と思っている。そのうちレシートの重さで、磁石が滑り落ちるようになるまでには、なんとか片づけたいものだ。

・クリーニング屋の引換券が四枚。
実は、帰りに取ってこよう、と考えて、持っていくのを忘れるために溜まっていくのだ。夏物のワンピース、というのも貼ってあるが、もちろんとっくにタンスにしまってある。

・図書館の貸し出し記録が五枚。
一週間に二回は行って、そのたびに借りたり、延長したりしているので、いったいどれがいま手元にあるか、この記録を見ても絶対にわからない。

・マケドニアとシンガポールのポストカード。
目に入るたび、マケドニアと言わない、もっと近くでいいから、あー、どっか行きたい、と思う。

・キース・ヘリングのバースデーカード。ろくろっ首のミッキーマウスが楽しい。

・ピザの割引チケット。
期限切れ。考えてみたら宅配ピザなんて一年以上注文してない。

・銀のエンジェル。
これは半年くらい前に、森永チョコボールをもらって開けたら、銀のエンジェルが出てきた(スゴイでしょ)。うれしくなって、記念に冷蔵庫の前に貼っておいた。

・土井晩翠の詩のプリントアウト(就職記念)。

・単四乾電池を買う、と書いたメモ(この間、閉店間際にかけこんだ)。

・換気扇の掃除、と書いたメモ(まだやってない)。

・価格の比較と調査(ヨドバシ)と書いたメモ。
いったい何を比較しようと思ったのだろう……。

・使用済みカートリッジを持っていく(ヨドバシor Sofmap)、と書いたメモ。
これはプリンターのカートリッジを交換するたびに、持って行かなくちゃ、と思って溜めているのだが、もう十個以上溜まってしまって、シンクの下、ポリ袋に入って、邪魔でしょうがないのだけれど、出かけるときはなぜか絶対に思い出さない。

・毛布を繕うこと。
これは底の方からいま掘り出した。去年の春、毛布を洗って片づけるときに気がついたのだ。洗ったときはもう暑くなっていて、暑いさなかに毛布を繕うのが考えただけでイヤで、メモを書いておいたのを思い出した。ということは、寒くなったから毛布を出そうと思っていたのだが、その端っこがほころびている、ということだ。

……それはね、一日が三十時間くらいあったら、毛布を繕うこともできると思うの。冷蔵庫の前のピンナップを整理することも。
どう考えても、そんな時間は、逆立ちしても出てこない。
毛布、出すのやめようかな……。