死んだ人は急に立派な人になる。生きているあいだはスキャンダルばかりが取りざたされたミュージシャンが、死んだとたん、超絶的な技巧と独創的なメロディがほめそやされて、いつのまにそんな立派な人になったのかと驚くばかりだ。マイケル・ジャクソンを持ち上げるのもそろそろ一段落したかと思ったら、今度はエイミー・ワインハウスの番になったらしい。
生きている間は、泥酔した、クスリで逮捕された、豊胸手術をした、離婚した……という話ばかりが聞こえていたが、今度はほめ言葉を競っているかのようだ。どうやらわたしたちは、その人が生きている間なら平気で聞ける悪口も、おもしろがれるゴシップも、死んでしまったらもう聞きたくなくなるものらしい。
エイミー・ワインハウスは、生きていても、死んでしまっても、エイミー・ワインハウスであることには変わりはないのに。
彼女をこの世の外へ送り出したがっているのは、生きているわたしたちなのかもしれない。だから言葉はいらない。
もう一度、聴こう。
息づかいまでもが「歌」である彼女の声を。
* * *
Amy Winehouse - Love is a Losing Game
Love is a losing game
(愛は勝ち目のないゲーム)
For you I was a flame
Love is a losing game
Five story fire as you came
Love is a losing game
あなたを求めて、あたしは火のように燃えた
愛なんて勝ち目がないゲームなのに
あなたが近づいてくるたびに、五階まで届くほど
愛なんて勝てっこないゲームなのに
Why do I wish I never played?
Oh, what a mess we made!
And now the final frame
Love is a losing game
どうしてこんなゲーム、やらないでいようって思わなかったんだろう
ほんと、ひどい話よね
で、これが最終回
愛は勝てっこないゲームね
Played out by the band
Love is a losing hand
It was more than I could stand
Love is a losing hand
バンドが演ってた
愛は分の悪い手札だって
あたしじゃ持ちこたえられない
愛は負けるしかないカードなんだって
Self-professed profound
Til the chips were down
Though you're a gambling man
Love is a losing hand
深い人間のふりしても
ここぞというときにはダメ
あなたはばくち打ちだけど
愛は勝ち目のない手札
Though I battle blind
Love is a faith resign
Memories mar my mind
Love is a faith resign
あたしは目をつぶったまま戦ったけど
愛は自信を失わせるもの
思い出も心を傷つけるだけ
愛は信念を損なわせるものだから
Over futile odds
And laughed at by the gods
And now the final frame
Love is a losing game
途方もなくひどい賭け率だったから
きっと物笑いの種ね
で、これで最終回
愛は勝ち目のないゲームね
* * *
もちろんほかにもいい歌はあるし、ソウルフルな深い声を心ゆくまで聴かせる曲もある。ビッグ・バンドっぽいジャズ・ボーカルも素敵だし、カバーの魅力も捨てがたい。それでも何かひとつ選ぶとしたら、やはりこの曲、それもオリジナルではない、キーボードだけをバックに歌うバージョンを選びたい。
低い豊かな声はエイミー・ワインハウスのボーカルの核だ。深みがあって力強いだけでなく、音の最後の部分が強烈なビブラートに支えられていて、緊迫感に満ちている。
声を張ったときの声が美しいシンガーは星の数ほどいるけれど、たいていはデクレシェンドでどんどん声がやせていき、ピアニシモくらいになると、声がスカスカになるか、やせ細るかのどちらかになってしまう。ところが彼女の声は、ささやくような声であってもまったくやせることがない。
ピアニシモで聞かせる、というのは、物理的に音を小さくしているわけではない。腹筋に力をいれて、横隔膜の底から声を押し出すようにして、口だけはささやく。だから大きな声で歌うよりよほど腹筋が必要とされるし、緊張を維持しながらそこからさらにデクレシェンドしていくためには、腹筋だけでなく、胸から背中、のどから唇にかけて、そうして顔も、指先も、筋肉に負担をかけるはずだ。「ささやくように歌う」という歌い方は、彼女の場合、朗々と歌い上げるシンガーよりもいっそう多くのエネルギーを費やすものだったのだろう。
エイミー・ワインハウスが亡くなったというニュースを聞いたとき、バレエの「赤い靴」を思い出した。踊りの好きな少女が、魔力を持った赤い靴を履いたとたん、踊りをやめることができなくなる。力つきても踊りやまず、最後に司祭に靴を脱がせてもらうのだが、死んでしまう、という話だ。
たぶん、彼女は最初から歌えたのだろう。懐の深いリズム感も、豊かな声量も、努力の成果、トレーニングのたまものというより、「歌ってみたらこんなふうに歌えた」という感じがする。ちょうど、赤い靴に足を入れてみたように、どうして自分が人より優れて歌えるのかもわからないまま、歌えてしまったのだ。
楽器なら、そんなわけにはいかない。楽器の場合、才能や肉体的な適不適という側面だけでなく、精魂傾けた献身が必要不可欠になってくる。けれどもそれが歌で、自分がどうしてうまく歌えるのか、自分でもその理由がよくわからないとき、人はその能力をもてあまし、やがてその能力に自分が吸い尽くされてしまうのかもしれない。
力つきて死んでしまったワインハウスは、それでも忘れられないいくつかのアルバムを残した。
わずか48小節でコードも四つしかない。歌詞も失われた愛を歌う、ごくありふれたラブソング。それでもここまで、歌は人の心を動かす。ただの歌に息を吹き込む人がいさえすれば。
生きている間は、泥酔した、クスリで逮捕された、豊胸手術をした、離婚した……という話ばかりが聞こえていたが、今度はほめ言葉を競っているかのようだ。どうやらわたしたちは、その人が生きている間なら平気で聞ける悪口も、おもしろがれるゴシップも、死んでしまったらもう聞きたくなくなるものらしい。
エイミー・ワインハウスは、生きていても、死んでしまっても、エイミー・ワインハウスであることには変わりはないのに。
彼女をこの世の外へ送り出したがっているのは、生きているわたしたちなのかもしれない。だから言葉はいらない。
もう一度、聴こう。
息づかいまでもが「歌」である彼女の声を。
* * *
Amy Winehouse - Love is a Losing Game
Love is a losing game
(愛は勝ち目のないゲーム)
For you I was a flame
Love is a losing game
Five story fire as you came
Love is a losing game
あなたを求めて、あたしは火のように燃えた
愛なんて勝ち目がないゲームなのに
あなたが近づいてくるたびに、五階まで届くほど
愛なんて勝てっこないゲームなのに
Why do I wish I never played?
Oh, what a mess we made!
And now the final frame
Love is a losing game
どうしてこんなゲーム、やらないでいようって思わなかったんだろう
ほんと、ひどい話よね
で、これが最終回
愛は勝てっこないゲームね
Played out by the band
Love is a losing hand
It was more than I could stand
Love is a losing hand
バンドが演ってた
愛は分の悪い手札だって
あたしじゃ持ちこたえられない
愛は負けるしかないカードなんだって
Self-professed profound
Til the chips were down
Though you're a gambling man
Love is a losing hand
深い人間のふりしても
ここぞというときにはダメ
あなたはばくち打ちだけど
愛は勝ち目のない手札
Though I battle blind
Love is a faith resign
Memories mar my mind
Love is a faith resign
あたしは目をつぶったまま戦ったけど
愛は自信を失わせるもの
思い出も心を傷つけるだけ
愛は信念を損なわせるものだから
Over futile odds
And laughed at by the gods
And now the final frame
Love is a losing game
途方もなくひどい賭け率だったから
きっと物笑いの種ね
で、これで最終回
愛は勝ち目のないゲームね
* * *
もちろんほかにもいい歌はあるし、ソウルフルな深い声を心ゆくまで聴かせる曲もある。ビッグ・バンドっぽいジャズ・ボーカルも素敵だし、カバーの魅力も捨てがたい。それでも何かひとつ選ぶとしたら、やはりこの曲、それもオリジナルではない、キーボードだけをバックに歌うバージョンを選びたい。
低い豊かな声はエイミー・ワインハウスのボーカルの核だ。深みがあって力強いだけでなく、音の最後の部分が強烈なビブラートに支えられていて、緊迫感に満ちている。
声を張ったときの声が美しいシンガーは星の数ほどいるけれど、たいていはデクレシェンドでどんどん声がやせていき、ピアニシモくらいになると、声がスカスカになるか、やせ細るかのどちらかになってしまう。ところが彼女の声は、ささやくような声であってもまったくやせることがない。
ピアニシモで聞かせる、というのは、物理的に音を小さくしているわけではない。腹筋に力をいれて、横隔膜の底から声を押し出すようにして、口だけはささやく。だから大きな声で歌うよりよほど腹筋が必要とされるし、緊張を維持しながらそこからさらにデクレシェンドしていくためには、腹筋だけでなく、胸から背中、のどから唇にかけて、そうして顔も、指先も、筋肉に負担をかけるはずだ。「ささやくように歌う」という歌い方は、彼女の場合、朗々と歌い上げるシンガーよりもいっそう多くのエネルギーを費やすものだったのだろう。
エイミー・ワインハウスが亡くなったというニュースを聞いたとき、バレエの「赤い靴」を思い出した。踊りの好きな少女が、魔力を持った赤い靴を履いたとたん、踊りをやめることができなくなる。力つきても踊りやまず、最後に司祭に靴を脱がせてもらうのだが、死んでしまう、という話だ。
たぶん、彼女は最初から歌えたのだろう。懐の深いリズム感も、豊かな声量も、努力の成果、トレーニングのたまものというより、「歌ってみたらこんなふうに歌えた」という感じがする。ちょうど、赤い靴に足を入れてみたように、どうして自分が人より優れて歌えるのかもわからないまま、歌えてしまったのだ。
楽器なら、そんなわけにはいかない。楽器の場合、才能や肉体的な適不適という側面だけでなく、精魂傾けた献身が必要不可欠になってくる。けれどもそれが歌で、自分がどうしてうまく歌えるのか、自分でもその理由がよくわからないとき、人はその能力をもてあまし、やがてその能力に自分が吸い尽くされてしまうのかもしれない。
力つきて死んでしまったワインハウスは、それでも忘れられないいくつかのアルバムを残した。
わずか48小節でコードも四つしかない。歌詞も失われた愛を歌う、ごくありふれたラブソング。それでもここまで、歌は人の心を動かす。ただの歌に息を吹き込む人がいさえすれば。