陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

Amy Winehouse - Love is a Losing Game

2011-07-29 23:30:33 | weblog
死んだ人は急に立派な人になる。生きているあいだはスキャンダルばかりが取りざたされたミュージシャンが、死んだとたん、超絶的な技巧と独創的なメロディがほめそやされて、いつのまにそんな立派な人になったのかと驚くばかりだ。マイケル・ジャクソンを持ち上げるのもそろそろ一段落したかと思ったら、今度はエイミー・ワインハウスの番になったらしい。

生きている間は、泥酔した、クスリで逮捕された、豊胸手術をした、離婚した……という話ばかりが聞こえていたが、今度はほめ言葉を競っているかのようだ。どうやらわたしたちは、その人が生きている間なら平気で聞ける悪口も、おもしろがれるゴシップも、死んでしまったらもう聞きたくなくなるものらしい。

エイミー・ワインハウスは、生きていても、死んでしまっても、エイミー・ワインハウスであることには変わりはないのに。

彼女をこの世の外へ送り出したがっているのは、生きているわたしたちなのかもしれない。だから言葉はいらない。
もう一度、聴こう。
息づかいまでもが「歌」である彼女の声を。



* * *



Amy Winehouse - Love is a Losing Game


Love is a losing game
 (愛は勝ち目のないゲーム)


For you I was a flame
Love is a losing game
Five story fire as you came
Love is a losing game

 あなたを求めて、あたしは火のように燃えた
 愛なんて勝ち目がないゲームなのに
 あなたが近づいてくるたびに、五階まで届くほど
 愛なんて勝てっこないゲームなのに

Why do I wish I never played?
Oh, what a mess we made!
And now the final frame
Love is a losing game

 どうしてこんなゲーム、やらないでいようって思わなかったんだろう
 ほんと、ひどい話よね
 で、これが最終回
 愛は勝てっこないゲームね

Played out by the band
Love is a losing hand
It was more than I could stand
Love is a losing hand

 バンドが演ってた
 愛は分の悪い手札だって
 あたしじゃ持ちこたえられない
 愛は負けるしかないカードなんだって

Self-professed profound
Til the chips were down
Though you're a gambling man
Love is a losing hand

 深い人間のふりしても
 ここぞというときにはダメ
 あなたはばくち打ちだけど
 愛は勝ち目のない手札

Though I battle blind
Love is a faith resign
Memories mar my mind
Love is a faith resign

 あたしは目をつぶったまま戦ったけど
 愛は自信を失わせるもの
 思い出も心を傷つけるだけ
 愛は信念を損なわせるものだから

Over futile odds
And laughed at by the gods
And now the final frame
Love is a losing game

 途方もなくひどい賭け率だったから
 きっと物笑いの種ね
 で、これで最終回
 愛は勝ち目のないゲームね

* * *

もちろんほかにもいい歌はあるし、ソウルフルな深い声を心ゆくまで聴かせる曲もある。ビッグ・バンドっぽいジャズ・ボーカルも素敵だし、カバーの魅力も捨てがたい。それでも何かひとつ選ぶとしたら、やはりこの曲、それもオリジナルではない、キーボードだけをバックに歌うバージョンを選びたい。

低い豊かな声はエイミー・ワインハウスのボーカルの核だ。深みがあって力強いだけでなく、音の最後の部分が強烈なビブラートに支えられていて、緊迫感に満ちている。

声を張ったときの声が美しいシンガーは星の数ほどいるけれど、たいていはデクレシェンドでどんどん声がやせていき、ピアニシモくらいになると、声がスカスカになるか、やせ細るかのどちらかになってしまう。ところが彼女の声は、ささやくような声であってもまったくやせることがない。

ピアニシモで聞かせる、というのは、物理的に音を小さくしているわけではない。腹筋に力をいれて、横隔膜の底から声を押し出すようにして、口だけはささやく。だから大きな声で歌うよりよほど腹筋が必要とされるし、緊張を維持しながらそこからさらにデクレシェンドしていくためには、腹筋だけでなく、胸から背中、のどから唇にかけて、そうして顔も、指先も、筋肉に負担をかけるはずだ。「ささやくように歌う」という歌い方は、彼女の場合、朗々と歌い上げるシンガーよりもいっそう多くのエネルギーを費やすものだったのだろう。

エイミー・ワインハウスが亡くなったというニュースを聞いたとき、バレエの「赤い靴」を思い出した。踊りの好きな少女が、魔力を持った赤い靴を履いたとたん、踊りをやめることができなくなる。力つきても踊りやまず、最後に司祭に靴を脱がせてもらうのだが、死んでしまう、という話だ。

たぶん、彼女は最初から歌えたのだろう。懐の深いリズム感も、豊かな声量も、努力の成果、トレーニングのたまものというより、「歌ってみたらこんなふうに歌えた」という感じがする。ちょうど、赤い靴に足を入れてみたように、どうして自分が人より優れて歌えるのかもわからないまま、歌えてしまったのだ。

楽器なら、そんなわけにはいかない。楽器の場合、才能や肉体的な適不適という側面だけでなく、精魂傾けた献身が必要不可欠になってくる。けれどもそれが歌で、自分がどうしてうまく歌えるのか、自分でもその理由がよくわからないとき、人はその能力をもてあまし、やがてその能力に自分が吸い尽くされてしまうのかもしれない。

力つきて死んでしまったワインハウスは、それでも忘れられないいくつかのアルバムを残した。

わずか48小節でコードも四つしかない。歌詞も失われた愛を歌う、ごくありふれたラブソング。それでもここまで、歌は人の心を動かす。ただの歌に息を吹き込む人がいさえすれば。


視線を感じる不思議

2011-07-19 22:36:58 | weblog
食事をする店に入って席に通されると、すぐに店員さんがメニューとおしぼりと水を持ってくる。行きつけの店で食べるものもあらかじめ決めていれば、そこで注文をすればいいのだが、初めての店だったりすると、メニューを広げて検討しなければならない。

これがおいしそうだ、わたしはこっちにしよう、そう決めて、店員さんを探す。視線をとらえようと目で追っているうちに、たいていこちらに気がついて、すぐに来てくれる。ところが店が忙しかったりすると、それどころではないのか、目で追っても気がついてもらえない。仕方なしにこちらに顔を向けているときをとらえて、手を挙げることになる。

ところで、人の視線というのは、どうしてこんなふうに感じたりするものなのだろう。人が大勢いる中でも、自分をじっと見つめるたった一対の視線は、たとえ部屋の反対側からでも、隣の建物の窓からでも、不思議と気がつくものだ。極端な話、後ろから来る視線を感じてぱっと振り向けば、驚いたような視線とがっちり合って、なんとなくお互い気まずくなってしまうことだってある。昔からわたしは不思議だったのだけれど、人からの視線を感じるのは、どういったメカニズムなのだろう。

福岡伸一の『世界は分けてもわからない』には、「誰もが経験的に知っているこの不思議な知覚について、意外なことに生物学は未だ何の説明もできていない」とある。

とはいえ、この本にはちゃんと福岡先生の仮説が書かれている。簡単に言うと、「人間の眼が光る」からではないか。

魚の眼底の網膜の底には反射板があるのだそうだ。
 反射板にあたると光は文字通り跳ね返される。跳ね返された光は逆送し、もう一度、裏側から網膜に入る。つまり網膜は前と後ろから同じ映像を受け取ることになる。ここで起こっていることは、情報の倍増である。つまり、反射板とは光増幅装置なのだ。なぜこのようなものが魚に備わっているのか。おそらくそれは、光が届きにくい深い海で生息する生物が進化の途上で獲得した特別な仕掛けなのであろう。
(p.28 福岡伸一『世界は分けてもわからない』講談社現代新書)

魚ばかりではない。ネコを飼っている人は、暗闇で光るネコの目にぎょっとした経験があるだろう。これも魚の反射板のようなものが外から入ってくる光を反射するのだそうだ。フラッシュをたいてネコの写真を撮ると、その「反射」というのがよくわかる。

けれども光るのはネコばかりではない。人間だって赤眼になってしまう。あの「赤」はどこから来たのか。
赤眼の赤は、眼底の血管網の赤だ。……フラッシュ光を浴びた眼が赤く反射し、それがカメラのフィルムに写るということはつまり、人間だって視線の方向に光を放つことが可能だということである。フラッシュのような強い光でなくても、ヒトの眼は外界の光を捉えて、弱いながらも光を常に反射していると考えられる。そのような反射光に対して、ことさら私たちの眼は感受性が高いのではないか。もしそうであれば、それこそがとりもなおさず“視線”ということになる。(p.29-30)

この光を受けとるわたしたちの眼のメカニズムも不思議だ。文字を読んだり細かいものを見たりするときは、網膜の中央部の解像力が強いのだが、ごく弱い光の感受性は網膜の終演部、つまり眼の端で感じ取るのだという。

誰かがこちらを見ている。その眼が反射した光は、視線の先に向けられる。そうしてわたしたちは眼の縁でその光をとらえるのではないか……という仮説である。

そういえば、と思う。確かに視線に気がつくのは、自分が見ている先というより、眼の縁であるのかもしれない。

そう考えていくと、納得できる話があるのだ。
港千尋の『群衆論』の中に、「エキストラはなぜカメラを見てはいけないのか」という章がある。

ハリウッドでは、映画のために集めたエキストラに対して『バックグラウンド・アクターズ・マニュアル』という小冊子を配って、教育に努めているのだという(確かにエキストラがバックグラウンド=背景というのはよくわかる)。そのマニュアルには注意事項が山ほど書かれているのだが、繰り返し警告されている項目の最初に来るのが「撮影中には絶対にカメラを見るな」ということなのである(ほかには、時間に絶対に遅れるな、とか、俳優にサインを求めるな、といった、いかにもそれらしいものである)。そのマニュアルの著者は何度も繰り返す。
「忘れるな。あなたは背景なのだ。たったひとりのエキストラがカメラを見たおかげで、そのカット全部がぶちこわしになるのだ。とにかくカメラとのアイ・コンタクトだけは避けること」(p.257 港千尋『群衆論』)


なぜエキストラがカメラを見たら「ぶちこわし」になるのか、本書のなかではその点にふれられておらず、ずっと気になっていたのだが、わたしたちが自分に向けられた視線を捉えるのが、眼の中心部ではなく眼の縁であるとしたら、実に納得がいく。

映画を見ているとき、わたしたちは背景のエキストラに目を向けたりはしない。つねに中心人物を追いかける。つまり、網膜の中央部に写っているのは彼らの姿だ。ところがエキストラがカメラを見ると、そのエキストラの視線は、見ているわたしたちに向けられる。そうしてわたしたちの眼の縁が、人の眼から発せられる微弱な光に反応すると……わたしたちは思わずエキストラに眼をやってしまうのではないか。これは説得力のある説明ではないか!

それでもまだわからないことがある。真後ろの視線をどうして感じるのだろう。
人の視線が突き刺さるように痛く感じるときがあるかと思えば、逆に自分を励ますように思えるときもある。相手の表情を見る前に、誰の視線かもわからないうちに、視線自体の「気配」を感じてしまうのだ。
それはどうして?

わたしたちの眼が、人の眼から発する光をとらえている、というだけでは説明がつかないことがまだまだありそうだ。



書くことはこわいこと

2011-07-17 23:26:12 | weblog
その昔、とある教会の神父さんだか牧師さんだか、そこに出入りしている関係者だかが(とまあ、あえて曖昧に書いているわけですが)女性信者に対してセクシャル・ハラスメントをいて、当該の女性から訴えられたという出来事が新聞報道されたことがあった。

もちろん当該の教会に通っている信者の方々が驚いたことは言うまでもない。けれども信者ではないわたしがもっと驚いたのは、そんな教会とは縁もゆかりもない、遠方の、しかもキリスト教とも関係のなさそうな人からの批判が、後日、新聞の投書欄に載ったことだった。

新聞には事件の概略が書いてあったが、関係者から聞いたところでは、実際のところはずいぶん込み入った話のようだった。そうでなくともこの手の問題はデリケートなものである。同じ出来事でも、どこからそれを見るかによって「事実」とされることもずいぶん変わってくる。そのため、興味本位で端からあれこれと論評するようなことをすると、かならずといっていいほど誰かを傷つけることになってしまうものだ。身内だけでする無責任な噂話ならともかく、新聞の投書欄という公的な場での発言をしようと思えば、よほど確証がなくてはなるまいに、と変な気がした。

ところが自分の正しさを毛頭疑っていないその投書子は、当該人物に対する批判ばかりでなく、教会やひいては現代の聖職者全般、キリスト教そのものに対してまで厳しい言葉を浴びせていた。被害者の知り合いでもなく、信者ですらない人が、どうしてそんなに腹を立てているのかわたしにはよくわからなかったのだけれども、わざわざ文章を作って、それを封に入れて切手を貼って投函するには、どこから湧いて出たにせよ、それだけの怒りがあったからこそ可能だったのかもしれない。

その出来事から十年あまりが過ぎて、世の中はさほど変わってはいないような気がするけれど、たったひとつ、情報伝達機器だけは大幅に発達を遂げた。以前は自分の意見を公にしようと思えば、評論家や作家や大学教授などを別にすれば、多くの人は新聞の投書欄や雑誌の投稿欄を利用するしかなかったのだが、いまではブログやツイッターなどによって、簡単に「自分の意見」を公開することができるようになった。

その結果、同種の事件――聖職者や教職にある者、公務員や政治家、はたまたしかるべき地位にある人によるハラスメント――が報道されるたびに、例の投書とよく似た怒りのコメントを、当時の数十倍……どころではない、相当な量で目にするようになってしまった。

「よく似たコメント」といっても、投書欄や投稿欄に載ろうと思えば、そのまえに採用されなければならない。採用されるためには、自分の手前勝手な正義感によりかかって文章を書き殴るわけにはいかないのだ。

考えてみれば、わたしも十代の頃は学習雑誌やZ会(ちなみにこれは大学受験の通信添削。高校時代のわたしは勉強の方は軽く流して、解答・解説のあとに数ページを割いてある「会員のページ」欄に掲載されようと知恵をしぼっていた)の会報にせっせと投稿していたものだ。ただ、掲載してもらおうと思えば、選者に採用してもらわなければならない。つまり、選者の共感を得ることが必要不可欠なのである。

自分がおもしろいと感じるように、人にもおもしろいと思ってもらえるか。少なくとも目を通す価値のあるものか。選者による審査をくぐり抜けるために、書き終えた段階で、他人の目になって、できるだけ公平に見ようと努める。そうしてみると、自分が「気分」だけで、何を言おうとしているのか曖昧なまま、平気で書いていることが少なくないのに気がついたものだった。

それだけのプロセスを経ても、採用されることもあれば落選することもあった。掲載されるのは、たいがい、よく書けた、と内心自信があるものより、どちらかといえば当たり障りのないものの方が多かったように記憶しているのだが、それは掲載紙の性格というより、そうやっても自分のバイアスから自由になることはむずかしかったということなのだろうか。

ところがこうしたブログやホームページとなると、そういう他人による評価を経ないまま、公になってしまう。もちろんアップする前に何度か読み返すのだが、それでも誤字脱字、文章のねじれさえ見逃してしまうのだから、自分の考えのぬるいところ、あやふやなところなど、書いているときの気分のままでは、なかなか気がつかない。その結果、自分が何を書こうとしているのか見極める前に、気分だけでキーボードを叩いて、公開して、人目にさらしてしまうわけだ。

情報伝達機器の発達が、自分の無内容を暴露する結果にしかなっていない。

そんなことにならないためには、いったん書いているときの熱を逃がしてやる必要があるのだろう。
時間を置くと、気分だけで書くべき中身にないことに気がつく。そうなると、結局書きかけた記事も流してしまうことになるのだが、それはそれで仕方のないことだ。自分が「何を」書きたいのか、自分をキーボードに向かわせたのは「気分」だけで、その「何を」は空っぽだったということなのだから。

こんなことを書いている自分が、かつての投書子のことを批判できるのか。自信はないけれど、とりあえずその問いを忘れない限り、まあ、どうにかなるのではないか、とは思っているのだが。




竹槍と宇宙船

2011-07-05 22:54:14 | weblog
タイトルも何も覚えていないのだが、大昔に読んだ星新一のショートショートにこんな話があった。宇宙船が着陸して、中から宇宙人が現れた。地球ではどう対応すべきか態度を決めかねているうちに、宇宙人に犬が飛びかかってしまい、宇宙人は即座に犬を殺した。なんという攻撃的な宇宙人だろう、これはまちがいなく地球に害をなす宇宙人にちがいない、と地球人たちがレーザー銃で反撃したところ、宇宙人たちはあっけなく全滅してしまった。

おそるおそる近寄ってみると、彼らの持っている武器は、竹槍のようなもの。こんな武器で地球までやって来るとは……といぶかしみながら宇宙船を調べてみると、地球のレベルでは分解することも、動力機関を調べることすらできない。とにかく高度なテクノロジーがうかがえるのだが、それがどんなものかすらもわからないのだ。だが、試しに運転装置をさわってみると、きわめて容易に乗りこなすことができた。地球人もあっという間に運転に習熟し、今度はそれに搭乗して宇宙に乗り出すことになった。

その超ハイテク宇宙船は、地球外生命体のいる星を発見する。地球人たちは勇躍、その星に降りていった。ところがその星の人びとは敵対的で、いきなり攻撃してくる。地球人もレーザー銃で防戦しながら移動していくと、落とし穴に落ち、地球人たちはあっけなく絶命してしまった。

その星の住民はいぶかしむ。こんなに原始的な罠にひっかかるような連中が、こんなに立派な宇宙船を建造し、操作するなんて。その星の生命体たちは宇宙船の探索を始めた。どうやらこれは自分たちにも動かせそうだ。今度はその星の生命体が宇宙船に乗り込む……。

竹槍ではなかったかもしれないし、落とし穴もちがったかもしれないが、ともかく、どちらもきわめて原始的な武器や罠だったのにはちがいない。なんにせよ、「宇宙船の使い回し」というアイデアがおもしろく、「宇宙船から降りてきたのは、宇宙船の建造を可能にする科学技術力とは無縁の人びとだった」というところにすっかり感心して、いまでもよく覚えている作品のひとつだ。

この話を思い出したのは、最近、携帯電話を新しくしたからである。必要に迫られて最低限度の機能だけは使えるようになったものの、わたしにとっての携帯電話とは、この話の宇宙船とまったく同じで、「それについて何も知らず、それにふさわしい技術にも欠けていて、使いこなすという状態とはほど遠いのに、とりあえず使っている」状態である。電話がかかってくれば出るし、メールがくれば読む。必要とあらばこちらから電話もかけ、返信もするが、それだけだ。まさにわたしの技術的スキルといったら、竹槍を持って宇宙船に乗っているレベルなのだろう(もっと下かも)。

先日もちょっと書いたラッダイト運動ではないが、新しい技術というのは、人の必要から生まれるものではない。「必要は発明の母」ではないのだ。発明とは必要とは無関係なもので、発明されたあとから、半ば無理矢理に使い道が考え出されるのである。

その無理矢理の使い道のうち、あるものは定着し、あるものは廃れる。定着が一定のレベルを越えて普及すると、それを使うことが「便利」になり、使わないことが「不便」になる。「不便」という状況が生まれ、その発明は「必要不可欠のもの」となる。つまり、「必要はあとから生み出される」のである。

確かあれは湾岸戦争の年だったから90年のことだ。その年、わたしは知り合いが小型のショルダーバッグのようなものを肩から提げているのを初めて見た。「これは携帯電話だ」と教えてくれた。わたしが「なんでそんなものが必要なの?」と聞くと、「これがあると、ポケベルは必要ないじゃないか。ポケベルが鳴っても、公衆電話を探さなくてすむんだぞ」

それから二年後、そのころわたしは小劇団が好きで、いろんなお芝居を見に、あちこちのホールや劇場に通っていた。次第に行く先々で顔見知りができるようになり、中には花束を贈ったり、いろんな差し入れをしたり、チケットをさばくのを手伝ったりするような、ちょっと年上の人たちのグループとも親しくなった。その中に、好きな役者に携帯電話を「貸した」と話をしている人がいたのだ。その人は、たいそうお金持ちの人で、花束にしてもプレゼントにしても、話題になるくらい豪華なものを贈っていたのだが、そのうちに相手といつでも話ができるように、十一万(どういうわけかわたしはその数字をはっきりと覚えている)払って、相手の名義で携帯電話を契約してあげてたのだという。公演が終わると、得意げにバッグから自分の携帯を取り出し(そのころはいまのスマートフォンくらいの大きさにまでなっていたように思う)、「良かったよ~」などと話をしていたものだ。11万が二台で22万かあ、22万あったら、スピーカーを買った方がいいなあ、などと思っていたことを覚えている。つまり、その頃のわたしにとって、携帯電話というのは、まったく必要なものではなかったのだ。

ところが十年を経て、緊急連絡は「電話連絡網」ではなく、携帯メールで一斉送信されてくる。相手と連絡をとることができない、という事態は、いつの間にか前提とされなくなってしまった。連絡がつかない状態、携帯電話がない状態、使えない状態というのは、大変に困った状態となってしまった。

普及が一定の閾値に達した段階で、携帯電話は「必要」なもの、「ないとその人ばかりでなくその人に関係するすべての人にとって不便きわまるもの」となっていったのだ。携帯電話がいったいどんな仕組みなのかも、一向に知らないまま。まるで星新一の宇宙船を乗り回している地球人と同じではないか。

実はわたしたちの使っている「便利なもの」というのは、たいていこの「宇宙船」と同じだ。たったひとつちがうのは、自分は知らなくても、それについて「よく知っている人」がどこかにいる、と思えることだ。故障すればカスタマーセンターに連絡すればいい。そこには「元通りにしてくれる」人がいる。

けれども、ほんとうにそれで大丈夫なのだろうか。
たとえば電気。
わたしたちはほとんど、電気がどういうプロセスを経て手元に届いているか一向に知らないまま、それを平気で使ってきた。
もしかしたらそれは、竹槍を持って宇宙船に乗り込むのと同じようなものだったのではあるまいか。



「よくわからない日本」のわたし

2011-07-03 23:09:21 | weblog
もう少しナウマンと鴎外の話を続ける。

ナウマンは、日本の開化は「外人の為に逼迫せられて、止むことを得ず、此状を成せるなり」と言った、と鴎外は『独逸日記』に記しているのだが、その講演は実際のところどんなものだたのだろうか。実はそれとほぼ同一の内容を、ナウマンは後日新聞に発表しているようなのだ。鴎外が公開論争を挑んだのは、この記事である。

小堀桂一郎著『若き日の森鴎外』の中に、その全文が紹介されているのだが、ここではその中から該当箇所を引用してみる。原文は旧字体だが、読みやすさを考えて(というか、実はわたしが旧字体をわざわざ探すのが面倒なだけなのだが)ここでは当用漢字を当てる。

 最初の日本発見者が南日本(※鉄砲の種子島伝来のことを指す)に到着して到る所でねんごろな歓迎を受けたときには、火薬のもたらした驚きが有利な口添え役となった。一八五三年にアメリカの公使ペリーが浦賀にやってきて修好通商条約の草案を手交するという事件が起こった。ペリーは一年の間を置いて再び来航し、蒸気と電気とで日本人の気をひいた。電信と鉄道とはメンデス・ピントの火縄銃に劣らぬ効果を発揮した。しかし日本人が新発明の品々の印象に魅了され、内的な要求に迫られてヨーロッパ文明に接近しようとしたのだと判断するならば早合点というものであろう。(…略…)

日本がヨーロッパ文明に帰依したという事象を日本の自主的な発展の成果であると見做すことはできない。外邦からの不断の圧力がなかったとしたら修好通商条約の締結は実現しなかったであろう。通例日本人は自己の不完全性を意識したゆえにヨーロッパ人を優越者と認めてこれに接近しはじめたのだという見解が行われている。そしてこの接近的態度はこの国民の優秀な素質と治世の証拠であると見做されている。だがこのような見解は当を得たものではない。この国は内から開国したのではなく、外からの力で開国させられたのである。日本人は次第に激しくなってくる諸外国の通商交易への要求に屈したまでであり、そしてそれも決して流血沙汰なしに成就し得たわけではないのだ。「帝(みかど)」の政権が回復されたとき、人々は国家組織を新たに編成し直す必要に直面した。このときに当たって西欧の国家の諸制度をそのまま導入模倣するより以上に好都合なことがあったろうか。無批判的模倣という原則は今でもなお一般に通用している。そういうわけでこの国の歴史が進歩発展の途上にあることは否定し難いにせよ、同時に数多くの失敗や新興事業の挫折を記録していることも少しもいぶかるにはあたらないのである。
(E.ナウマン『日本列島の地と民』 小堀桂一郎『若き日の森鴎外』からの孫引き)

ここでナウマンが「内からの開国」「外からの開国」と言っているのは、漱石のいう「外発的」「内発的」とほぼ同様の意味と見てよいだろう。

それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾(つぼみ)が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。
(夏目漱石「現代日本の開化」

ただ、ここで「外発的」「内発的」という言葉に、わたしはどうしてもひっかかるのである。

たとえばイギリスの産業革命は、ふつうに考えれば「内発的開化」と言えるだろう。けれども、同時に産業革命当時、ラッダイト運動が起こっている。

ネッド・ラッドというと、ひどく語調がよくて、マザー・グースにでも出てきそうな名前だが、実際はそうではない。世界史が好きな人なら知っているかもしれないが、イギリスの産業革命の時代の労働者で、かの「ラッダイト運動」の名前の由来ともなった人物である。

ところがこの人がほんとうに実在したものかどうか、確かな資料が残っているわけではない。ちょうど日本で江戸時代、佐倉藩の名主、佐倉惣五郎がほんとうに自らと妻子の命をひきかえにして直訴をしたのかどうか、伝承として後世に伝えられてはいても、それを裏付ける資料がないのと同様、このネッド・ラッドが果たしてほんとうに18世紀末、イギリスに実在したかどうかは定かではないらしい。佐倉惣五郎というより、信憑性という意味ではむしろ鼠小僧次郎吉に近い存在なのかもしれない。

ともかく、史実に基づいた正確な話がしたいわけではないので、ネッド・ラッドがいたということにして、話を進める。

ネッド・ラッドは19世紀初頭、イギリスの靴下織り機工場で働いていた、腕のよい織工だった。ところが産業革命の波が彼の工場にも押し寄せて、自動織機が導入されてしまった。機械化が進めば熟練工など必要ない。気の毒にネッドは職場から放り出されてしまった。路頭に迷ったネッドは、同じ憂き目に遭った織工仲間と一緒に、こいつさえなければ、と、憎き機械を片端から破壊して回ったのである。

この暴動はあちこちに飛び火した。そうして1813年にイギリス政府は「首謀者」と目された十七人の男を絞首刑にした。ネッド・ラッドの実在はさておき、彼らの代表者が絞首刑に処せられたのは事実なのである。世界史の教科書にもハンマーを持って機械をたたき壊している男たちの姿を描いた挿絵が載っていたが、まさかそれが、死罪に値する重罪とみなされたとはわたしも最近まで知らなかったのだが、このことが明らかにしているのは、ラッダイト運動が、機械化に取り残された、ごく一部の無知蒙昧の輩の起こした騒動ではなかったということなのだ。

熟練労働者は、機械化を望んでいなかった(事実、彼らの多くは解雇され、新たな労働力として白羽の矢が立ったのは、子供たちだった)。資本家の側が機械化を望んだだけである。そうして彼らの代表である政府は、労働者たちを死刑にしてまで、機械化を推し進めたかったのだ。

果たしてこれが「内発的」と呼べるのだろうか。ひとくくりにできる「イギリス人」など、どこにもいないのではあるまいか。

ナウマンの論文を読んで、奇妙な印象を受けてしまうのは、何よりも彼が「機械化」を「文明」と考え、「文明の進歩」を良いものである、と手放しで褒め称えている点だろう。けれどもそれはナウマンが別に「誤っている」わけではなく(それを言うなら、日本が西洋に後れをとっていることに苦しんでいる鴎外も漱石も同じ「間違い」を犯しているということになる)、それから百年あまりを経たいまのわたしたちがそういう考え方をしない、というだけに過ぎない。

わたしたちは産業化された社会が、手つかずの自然をそのまま残している社会より「優れている」とは考えないし、むしろ技術の進歩に対しては「行き過ぎているのではないか」と懸念を抱いているだろう。環境破壊の視点などは十九世紀にはなかったのだ。

おそらく資本主義の初期の段階での「イギリス人」とは、おそらく蒸気機関を発明し、それを工場に導入し、そこから利益を得ながらさらに工場を拡張し、資本を蓄積する人びとだったのだろう。その意味でネッド・ラッドは「イギリス人」にカウントされていなかったのではあるまいか。

二十一世紀のわたしたちは、さまざまな人びとが社会を構成していることを知っている。それぞれに立場も違えば考え方も異なる、ということも知っている。技術が進んだ地域の人びとが「進んで」いるわけでもなく、軍事大国が「偉い」とも思っていない。

にもかかわらず、「日本人」というくくりを、未だに平気でしているのではないだろうか。「西洋人」という言葉遣いはさすがにしないけれど、「アメリカでは…」「フランス人は…」「ヨーロッパでは…」「それに対して日本/日本人は…」という言い方は、いまなおわたしたちを縛っているのではないか。

「日本はナントカである」
「日本人はカントカである」

鴎外は日本の技術が未熟であり、日本人はさして優秀でも進取の気性に富んでいるわけでもない、と言われて腹を立てた。というのも、彼は名実ともに、「日本人代表」としてその場にいたわけである。

けれども、多くの場合、いまのわたしたちが「日本人代表」として、諸外国の人びとに対して面と向かっているわけではないはずだ。鴎外や漱石のように〈自分は日本人である〉と思うところの〈自分〉を、何とかしてうち立てようと苦闘しているわけではないのだ。にもかかわらず「日本人はナントカである」「日本はカントカである」というのは、どうもちがうような気がする。

少なくとも、わたしは「日本人はナントカである」「日本ではカントカである」という断言だけでもやめようと思っているのである。