「宮古島初旅行記」その②宮古島史跡巡り&宮古上布

2010年09月08日 06時00分00秒 | 沖縄現地情報

▲<「仲宗根豊見親の墓」15世紀末~16世紀初頭に宮古を統治した、仲宗根豊見親の親真誉之豊見親のために築造したと伝えられる墓>

池間島を後にして、県道83号を南下し、宮古島の中心街「平良(ヒララ)市街」へ向かう。

市街手前にある「大和井(ヤマトゥガア)」を見学する。
  
▲<左、大和井の手前にある「ブトゥラ井」、中央「大和井(ヤマトゥガア)」入口、右「大和井」の石組みが素晴らしい!1720年頃の堀年で、一部の上層役人だけが使用したとの伝承ある宮古唯一の井戸>

妻が、市役所の近くにある「エコハウス」を見学している間に、私は、宮古港側にある「アントマ墓」→「仲宗根豊見親墓」→「知利真良豊見親の墓」→「人頭税石」→「蔵元跡」→「漲水御嶽」→「漲水石畳道」を見学する。
 
▲<左「アントマ墓」仲宗根豊見親を元祖とする忠導氏ゆかりの墓で、同氏の継室だけを葬った。右「知利真良豊見親の墓」仲宗根豊見親の三男の墓、1745~1762年まで平良の頭職を勤め造林業や宮古で瓦を初めて製造した>

▲<「人頭税石(ニントウゼイセキ)」143㎝の石柱。15~50歳の男女が課税された>
 
▲<左「漲水御嶽」宮古創世神話などがある宮古最高の御嶽八重山のオヤケアカハチの乱平定出陣にさいして戦勝祈願し、凱旋記念に築いた。右「漲水石畳道」漲水御嶽から祥雲寺に伸びる石畳の跡(一部が残っている)>

第二市役所が、市立図書館仮施設になっているので、少し宮古島の情報を入手に行く。

※街角に建てられている史跡案内看板「平良(ピサラ)綾道(アヤンツ)マップ」の印刷物が市役所にある事を後で知る。それを先にもらった方が解りやすく解説もあり有効です。

市役所で、妻を拾ってペンションへ帰る。
ナビが付いてないので、途中解らない所へ迷い込んでしまった。
途中にあったコンビニで、ビールを買って、再度、午前中通った道に戻り、そこから逆に走ってやっと帰る事が出来た。

いったんペンションで休憩してから、夕方に再度、市役所のそばにあった「宮古織物事業協同組合」へ宮古上布を見学に行く。
  
▲<一階が展示室・売店、二階が作業場になっていて当日も6名の女性が織っていた>

※次回「南西楽園シギラリゾート地区」&「うえのドイツ文化村体験記」へ続く