ヒイラギ日記 ~Holy Holly's Diary~

小粒でも ぴりりと辛い 博士な日々。

よい子のハッキング

2006-10-03 22:41:25 | ゲーム研究

ここ3日ほどハッカーとなって夜な夜な暗躍していたので、グアム静養の成果もどこへやら、一気に眼精疲労&肩凝り復活。いかん、いかん。

・・・などと物騒な書き出しですが、勿論バーチャルな世界の話。うたぐりつつ衝動買いしてしまったゲーム『プロジェクトハッカー 覚醒』、なかなか楽しめます。

難易度の高いゲーム部分の直前にセーブポイントがなかったり、すぐにピンとくるようなことでも手順を踏まないと次の会話に進めなかったり、ところどころ不満はあるものの、そこそこ当たり前のスキルで最後まで行ける作りになっています。

ストーリー展開や登場人物の設定はうまくできているので、これで主人公が自動的にやってくれちゃうハッキング部分も簡単なゲームにするとかして、もう少し“学び”の要素が入れば、ハッカー技術入門のトレーニング教材としても楽しめるものになるんじゃないかなぁ。たぶんハッキングとクラッキングとの境目が難しいんでしょうけど。

平和主義者なので、戦わなければならないようなRPGは基本的に好きではないのですが、戦い方がハッキングだと、一貫してゲーム感覚でいられる、ということにも気づきました。そしてふと、あぁこれがデジタルゲームの良いところであり悪いところなのだ、と実感したのです。

『プロジェクトハッカー』はコンピュータ犯罪を解決するゲームだということがハッキリしているから、「一貫してゲーム感覚でいられる」で済んでいるわけですよね。ストーリー的にも犯罪に立ち向かう立場でロールプレイするようになっているし。

でもこれが、マフィアどうしの抗争ゲームとかだったら?

デジタルゲームを通してそういう世界を体験することが、痛みを感じない方法でなら何をやってもいい、という感覚を助長することになるかも知れません。たとえ画面の動きに合わせてバイブレーションなんかが伝わるような工夫を凝らしたところで、たとえば血みどろの暴力シーンの痛みやむごさがそのまま現実に再現されるわけでもなくて、やっぱりバーチャルな感覚としてしか認識できないのですから。

そう考えると、私たちの幼少時、周りの大人たちが子どもの成長に合わせておもちゃや図書を与えてくれたように、店先やインターネット上に氾濫しているデジタルゲームやデジタルコンテンツだって、やっぱり大人たちが子どもの年齢や心の成長に合うものを慎重に選んで与える必要がありますよね。

長い休みになると「学校推薦図書」のリストが配られたみたいに、「学校推薦ゲーム」のリストが出回るくらい、質の高いゲームが市民権を得られる世の中に、そのうちなるのかなぁ・・・。

コメント
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