自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

地域ミュージアムで考える(76)

2018-01-10 | 随想

ミュージアムの展示を充実させたくて,昆虫コーナーを模様替えしているところです。といっても,これまで単に写真を掲示していたのをちょっと工夫して,「これ,なあに」と問いかけるスタイルで,来館者が触って確める展示方式に変えるというものです。

このアイデアはスタッフの提案で,作業はわたしがコツコツ行っています。写真はこれまでに自分で撮りためたものを使用する予定です。

来館者が掲示写真を見ていらっしゃる風景で,とても印象に残った例を2つばかり。

その1。頭を紹介するコーナーで。幼児連れのお母さんとの会話。子どもさんが写真に見入って,あれこれ呟いているときに通りかかりました。声を掛けるとお母さんいわく,「この子,虫が大好きで,こんな写真がお気に入り。じっと見入っています」と。 

 

 

その2。卵から幼虫が,そして蛹から成虫が誕生する場面を紹介するコーナーで。ご年配の方いわく,「これ,いのちの宇宙ですね。いいなあ」と。このことばで,本コーナーの名を「いのちの小宇宙」と決めました。

 

ファイルに入れた写真を裏返せるように吊るしています。

 

予想してから裏返すと,正解がわかります。ここにごく簡単な解説を付すことにしています。

 

仕上がったら,報告しますね。 

 


冬,虫の目写真(12) ~タンポポ,晴れ(続)~

2018-01-09 | 植物

久し振りにカメラを手にして河川敷に行きました。もちろん,写真撮影のためです。運がよければ越冬中の昆虫にあえるかなと,淡い期待を抱いていましたが,寒すぎてそれは無理でした。

河川敷は草が刈られた状態のままで,草丈は低いまま。そこで目に付いたのはセイヨウタンポポの花の元気よさ。

 

同じ花を縦向きに撮りました。気温より地表温度がいく分高いとみえて,地面すれすれに咲いています。厳しい寒さに耐える知恵なのでしょう。

 

それでも,綿毛ができると,風を受けようとしてすこしは上に向かって伸びます。 

 

乾いた風が吹いて来て,陽を浴びて,綿毛が大きく開きます。

 

総苞が大きく反り返って,種子が見えます。飛行の準備ができたようです。地表では次々に花が咲き続けます。冬でも。セイヨウタンポポは季節を選ばず一年をとおして咲くのです。 

 

セイヨウタンポポはまことにたくましい限りです。

 


1月7日の虫たち

2018-01-08 | 生物

1月7日。今年初めて虫と出合った日となりました。隣家の畑に咲く白菊の花を見ると,そこにツマグロキンバエが! びっくり,びっくり。気温7℃ほど。

 

 

食餌に現れたのです。環境への適応性はかなりのものと見られます。

 

足元を動く昆虫が目に留まりました。ホソハリカメムシです。止まることなく,すこしずつ歩いています。 

 

日差しを受け,カメムシは結構気持ちよさそう。

 

傍にあるブロックにいたのがアワフキムシのなかま。コンクリートに張り付くようにしてじっとしていました。

 

驚いたことにクモが数匹。このクモはピョ~ンと跳びました。餌を探しているのです。逃げることも追いかけることも上手だと見ました。あとで調べると,どうやらハエトリグモの一種でヤマジハエトリのよう。ハエが好物なのでしょう。 

 

時間を置いてから再び菊の花を見ました。するとハナバエのなかまが一匹! 

 

 

寒いなら寒いなりに,うまく生き抜いている昆虫たちの様子が見えてきました。そこにも<食べる><食べられる>という厳しい関係が存在しているのです。冬の花から目が離せません。 

 


七草の日

2018-01-07 | 日記

1月7日(日)。朝は晴れ,後曇り空。快晴。風がほとんどなく気持ちがすっきりする日でした。休暇を取って朝からトンドの準備手伝い。左義長用の笹を伐り出すのです。トンドは一週間後。

今日は七草粥の日でした。ここのところ出勤が続き,事前に採集に行けませんでした。それで日中,田に探しに出かけました。恒例の採集なので,どこに何があるか承知しています。スーパーでも手に入りますが,田舎に住んでいるのに,それで済ますのはなんとも惜しい気がします。「野に出でて若菜摘む」という雰囲気を味わうのがいいですね。なんだかほんものの季節を匂うような。

 

 

今年,探すのに苦労したのはハハコグサでした。大抵は,小さな株が他にちらほらと生えているのに,まったく見当たらず。もうダメかなと思って,知人の畑を歩いていたらいくぶん古い株がポツンと一つ。かたちだけでもそれを使うことに。 

 

他はいくらでもありました。セリ。これは稲の切り株のそばにたくさん。

 

結果,七草が勢ぞろい。夜,お粥を作りました。これで無病息災といけばよいのですが。しっかりお祈りしていただきました。

 


ツクバネの実生栽培(1)

2018-01-06 | 植物

12月25日(月)。過日採集したツクバネの種子を蒔きました。一年振りに実生に挑戦します。今回はしっかり世話をしようと思っています。蒔いたところは下記のとおりです。

その1。植木鉢が3つ。いずれにも親木があります。まずマンサク。

 

次にモミジ。これは苗木を買ってきました。

 

おしまいはブットレア。

その2。露地に3カ所。親木はモミジが2カ所。

 

それに黒ロウバイが1カ所。でも,ここは日当たりがよいので環境は今一つ。

 

その3。育苗箱。培養土を入れ,そこに種子を並べて置きました。

なお,用土は赤玉土と腐葉土,種蒔き培養土を混ぜたものを使いました。土が乾くのがよくないらしいので,気をつけようと思います。

 


地域ミュージアムで考える(75)

2018-01-05 | 随想

勤務するミュージアムで,わたしが担当する講座があります。そのときの名札は“自然となかよしおじさん”と書いたものを使います。これは今に限ったことでなく,現職時代(学校)から一貫していた姿勢です。このことばが自分に合っていると感じているので,このブログもまた“自然となかよしおじさん”を冠しています。

 

誰もが使うような肩書付きの名札はわたしには合っていないなあと,つくづく思います。まったく! 子の前に立っていかにも教師っぽく振舞うって,窮屈この上ない話だと痛感していました。だからといって,ちゃらんぽらんに振舞うわけでなく,それなりに常識は踏まえてのこと。先生と呼ばれる世界に身を置く者はそれに値する資質を身に付けようしなければどうしようもありません。その自覚なくして,指導者たることは子に対して不遜なことです。わたしは自分を“先生”付けして自称する呑気さは持てないできました。この思い,今も変わりません。

あんまり格式ばったところに自分を置きたくないものですから,子どもと接しているときは今も,“おじさん”でい続けています。「目線をぐっと下げて,子と同じ高さで対話しなくちゃ」。これが子どものこころとふれ合う出発点です。こころの持ち方をこうしていると,じつにリラックスして人と向き合えます。

このことにちなんでこの間,ミュージアムのある公園で愉快な経験をしました。

 

公園を歩いているとき,若い女性3人のグループとすれ違いました。瞬間,先方がわたしを見てすぐさま,「〇〇先生! 校長先生!」と,叫んだのです。びっくりしました。なにしろ突然名前を呼ばれたものですから。さらに「“自然となかよしおじさん”でしょう?」と確めようとしてきました。

3人はわたしが現職のとき,関わった児童だったのです。その顔がよみがえって来ました。名までも! そういえば,担任お二人との共同作戦で“縄文おじさん”を演じて授業づくりに加わった,強烈で懐かしい思い出があります。6学年の社会科授業で,担任とスクラムを組んで実践したたのしいひとときでした。

3人はこうもいいました。「校長先生の名前はぜったいに忘れられない。ふつうの先生じゃなかったもの」「こんな変わった先生はほかに一人もなかった」「朝会の話も覚えているし,下校のときに,指名してみんなの前で一日の一口感想をいわせたでしょう。それもよく覚えています」と。

「もう一人,〇〇さんが今日は来ていません。今度4人でミュージアムに来ますから」。おしまいに,このことばを残して帰って行きました。なんと健やかに育っていることでしょう。「わぁー,大きくなったなあ」という印象を抱きながら,しばし会話に没入。“ふつうでない”ということばがわたしのこころを愉快にしました。こころを揺さぶる再会に感謝。 

 


冬,虫の目写真(11) ~アメリカセンダングサ~

2018-01-04 | 植物

植物は動物のように自在に動き回ることができない生きものなので,分布を広げるための戦略にあの手この手を駆使しています。

露わになった種子が動物のからだを頼りにして,遠くに運んでもらう作戦もその一つ。いわゆる“引っ付き虫”“くっ付き虫”と呼ばれるものです。より確実に運んでもらうには,簡単に落下しないしくみを発達させなくてはなりません。

そういえば,野で撮影していると引っ付き虫にやられて,散々な目に遭うことが度々あります。引っ付き虫の目から見れば,「大成功!」「しめたー!」と拍手喝采したくなる瞬間なのです。人間なら始末ができますが,野生動物やら家畜類ともなるとなるがままです。ということは,分布域を相当に広げることが可能になるということです。

河川敷で,その種子を写してみました。種子の目線で,今後の行方を思ってみるのは愉快な話です。今日はアメリカセンダングサが被写体です。

朝日を浴びて種が輝きます。先端の二股突起が散布仲介者を待ち受けます。撮影時,わたしも仲介者になってしまいました。落ちてしまった種子もあります。無事に育つでしょうか。

 

昼,別の場所で。種子の密集風景です。恐る恐る近寄って撮影しました。

 

晴れ渡った青空目がけて,種子たちがパァーッと開いています。気持ちよさそう!

 

国道脇に生えたアメリカセンダングサを撮りました。一株は一つの種子から育ったもの。こんなに成長して,いったい何倍の種子を生産するのでしょう。どれだけ多くを生産しても,自然界で生き残れるのは常識的にいえば,種子一個から一粒だけ。きびしい!

 

自動車が通り過ぎるたびに,種子が揺れます。揺れることですこしは株から離れたところに落ちるでしょう。それも分布域を多少なりとも広げる作戦につながっているのでしょうか。

 

アメリカセンダングサの花を思い浮かべると,いちばん印象に残る訪花昆虫はキタキチョウです。わたしが見た株でも,結実にずいぶん貢献したはず。レンズを通して植物を見ていると,生きもののいのちや相互のつながりを強く感じます。 

 


カラスガイを採りに

2018-01-03 | 日記

1月3日(水)。曇りがちで,ときにはみぞれ混じりの雨が降ったり小雪が降ったり。一昨日・昨日とちがい,「おお,寒っ!」と何度も震える一日でした。そんな中,恒例の初詣で2つの神社に出かけました。

 


移動時,カラスガイを採取しました。これもわたしには冬の恒例行事。ミュージアムに置いている水槽に入れるのです。水槽では郷土の魚を飼育しています。その中にタナゴがたくさんいるのですが,夏になるとカラスガイが水温上昇で全滅するために毎年冬に入れなくてはなりません。タナゴはカラスガイと共生関係にあって,貝の体内に産卵するというユニークな生態の持ち主。カラスガイがいないのでは寂しいでしょう。

カラスガイは水深がかなりある水底で棲息しています。それで,ふつうに考えると冬に採取するの不可能です。おまけに泥の中にいるので見つけにくいし,採りたくても採れません。なのに,行き先の川ではすべてがクリアできるのです。というのはこの時期になると堰止めの堰が倒されて水が流れてしまい,川底が現れてそこに降りられるからなのです。長靴を履けば簡単! 

 

貝は手を水にわずかに入れるだけで採れます。 採るというより“拾う”感じ。

 

今日も期待どおりの成果でした。年初からハッピーな気分に浸れました。おまけに,大きなシジミもいくつか。

 

これで,ミュージアムの水槽はいくぶん刺激的な展示になるでしょう。タナゴも大喜びするはず。

 


超接写がたのしい冬(4) ~霜~

2018-01-02 | 自然一般

霜は水の固体。分子構造のなせる巧みによってできた結晶構造にはなかなか味わい深いものがあります。それは雪の結晶にもつながる巧みです。

極寒の朝,草や枯草にある霜を超近接で撮影してみました。まずはリュウノヒゲで。整った柱状形を見ていると,規則正しい凍り方を繰り返していったあとが感じられます。中は空洞ですね。

 

長さにはそれぞれちがいがあります。成長する様子を動画で撮ればおもしろそう。 

 

ホトケノザの葉を見ているうちに,こんなに整った六角形が視野に入って来ました。自然の妙です。

 

落ちていたハチの巣に付いた霜。短くて,先が鋭く尖っています。霜ができる環境が同じだと,当たり前ながら似通った結晶ができることがわかります。

 

タンポポの綿毛で見かけた真ん丸い霜は……。列をつくった行儀よさ(?)に感心!

 

霜の結晶は雪のそれと同じようにおもしろい姿をしています。もっと記事にしていくつもりです。 

 


お世話になります,2018年

2018-01-01 | 日記

新しい年,2018年が始まりました。快晴の,穏やかな朝を迎え,気がぐっと引き締まりました。この穏やかさが世の平和を告げていたらよいのですが……。皆様方にとっても穏やかな年になりますように。

早朝,地元神社に初詣で参拝。昨秋の超大型台風で倒壊した本殿に向かってむらの安泰を祈ったものの,再建にはなんと多難な道が待ち受けていることか。

 

朝の風景を撮って帰宅。

 

今年にかけるとくべつな決意があるわけではありませんが,それでも目標意識だけはいつだって失っちゃダめだなと自分にいい聞かせています。失うのは意欲の喪失であって,生きがいを見捨てることにつながります。

むらの高齢者のなかで,お手本のような方があります。間もなく96歳のおじいさん。毎月旅行に出かけ,毎日普通車を運転し,畑仕事に精を出していらっしゃいます。自動車は過日買い替えられた高級車。どこかでおもしろそうなイベントがあるとわかれば,カメラを手にそこを訪ねるという気持ちの若さには驚き入ります。

その姿を拝見していると,意欲は生きる張りだなあと痛感します。目標は意欲を持続させます。お手本に倣いつつ,張りを心地よく持続させたいなあ。

わたしはミュージアムづくりをたのしむほか,写真という表現道具をとおして,いのちとの出会いの一瞬一瞬をよりドラマチックに切り取りたいと思います。いのちをただ対象化するのでなく,それと同化して息遣いする気分に浸れたらなあ。この気持ち,昨年より強いです。

 

今年も,“自分ならでは”の開拓者精神を生きるエネルギーにしていくつもりです。2018年さん,よろしくね。そして,本ブログを訪れてくださっている皆様,引き続きお付き合いのほどをよろしくお願い申し上げます。