一般的な話なのですが,これからのミュージアムを考えると,「ある(在る)ミュージアム」から「いる(要る)ミュージアム」への発想転換が急がれているように思います。わたしの勤務しているミュージアムもしかり,です。
一昔も二昔も前は,箱物づくりと揶揄される程に文化的建築物が次々とつくられました。地方に音楽や絵画をメインにした建物が乱立しました。ここも,そこも,あそこも,……,とにかくそんなふうなでき方でした。自治体はそれを文化発信の拠点にしようと意図していたのでしょうが,結果はジリ貧。結局,今では多くの施設が来館者が減り続けて維持管理に苦しんでいます。閉館を余儀なくされるところもあります。それは各種のテーマパークがたどった行く末と似通ったところがあります。
当たり前ながら,箱物を維持するにはたいへんな労力がいるはず。少子高齢社会が進行する真っ只中,このたいへんさが切実に浮かび上がっています。来館者増に向けた仕掛け,魅力ある事業内容の創造,あれこれ腐心が続きます。
結局,施設が「ある(在る)」ことの価値から「いる(要る」ことを重視した価値へ移行する展望に欠けていたのだろうと,わたしは勝手に想像しています。はじめは「ある」こと自体が,珍しさも手伝って集客要素になりましたが,先細るのは予想できていたはず。先見者がいたら,展望をしっかり開いていく仕組みづくりが進んでいたでしょうに。それには,施設が地域のなかに分け入るという発想・姿勢が必要だったのです。運営に成功している施設は,その努力を惜しんではいません。施設が地域に入らずにでんと構えていて「さあ,いらっしゃい!」と唱える,いわば“待ちの姿勢”“上から目線”では,ほとんどなにも改善されないでしょう。
すくなくとも,地域に愛され,地域が必要と感じる施設への脱却を目指さなくっちゃ。いくら「いる」と感じてもらえても,大きな施設は小さな施設以上のたいへんさを抱え込む覚悟がいります。大きくても小さくても,「おらがまちのミュージアム」としての誇りを持っていただくには,地域へのはたらきかけを日常的に地道に,そしてときには大胆に行っていかなくてはならないでしょう。
地方の足腰をどう鍛えるか,これは地域にとって死活問題,大課題。そこにミュージアムがどうかかわれるか,これはミュージアムで汗を流す者が追求する使命,大課題。まちづくり,地域づくり,人づくりに積極的に寄与できないミュージアムは失格です。
民間でいえば,消費者・利用者の目線に立っていかに企業努力を重ねるか,です。市民の目線,庶民感覚です。この目線の立ち方がとても大事な視点だと思うのです。
地方では人口が確実に減っています。その先,激減します。そんな時代を迎えても,なおこのミュージアムは必要だと思っていただける学び・憩い・活動の場づくりを求めていかなくっちゃ。では,どんな仕掛けができるか。そんなふうに,今思って検討しているところです。