自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

ヤマトシジミの産卵行動

2016-04-25 | ヤマトシジミ

自宅庭にある植木鉢にカタバミがたくさん生えています。草引きをせずに放っているので,すくすくと育っています。

そこにヤマトシジミが産卵に訪れました。鉢の横を通りかかったときに偶然目にしたのですが,そのとき,ヤマトシジミは葉の上を歩いて移動していました。「これは産卵行動だな」と思って立ち止まっていると,そのとおり! 大急ぎで家からコンデジを持ち出して撮影開始です。

ちょうど,腹部を大きく曲げ葉の裏側に卵を産み付ける姿勢をしました。 

 
しばらくして舞い上がると,また鉢に戻って来て別の茎にとまりました。そうして同じように産卵を始めたのです。あくまで葉の裏に産み付ける姿勢です。

 
産み終えると,また舞い上がりました。戻ってきてほしいなと願っていたら,戻ってきてくれました。ふしぎ! そうしてまた卵を産み付けたのです。ここは安全な場所だと判断したのでしょう。


チョウが去った後,卵を確認しました。きれいな幾何学模様の,あのなつかしい卵がポツンと産み付けられていました。 


産付時間がはっきりしているので,できれば孵化までを追ってみたいと思います。 

 


カラスノエンドウと昆虫たち(続々)

2016-04-25 | 昆虫と花

食べる,だからウンコをする。産む,だから殖える。変わる,だから成長し,やがて死を迎える。息をする,だから生きていける。そうした生物的事実は生きもの一般に当てはまります。生態を見つめるというのは,そうした諸々の様相を具体的に,的確にとらえるということです。とらえた情報を分析し,総合していけば,より生々しい生態に近づいていけます。

研究者でもないわたしがこんなことを書くのは,ヒトも昆虫も同じ生きものだよっていう基本的事実を見失いたくないからです。見失いかけると,ついつい「おらが人間」意識がもたげかけます。こわい,こわい。要するに,これがわたしの見方・考え方・感じ方の原点なのです。

昆虫でない虫も同様です。その1つ,クモを取り上げます。クモは網を張るかどうかは別にして,あらゆるところに進出しています。環境への適応性がとても大きいともいえます。そのクモの捕食行動を見ていると,ハンターとしての自負心のようなものが伝わってくる感じがします。

カラスノエンドウを見ていて,目にとまったのがコハナグモがハエのなかまを捕らえている衝撃的なシーン。

画像に収めようとして,左手で茎を持ち,コンデジを左手に乗せてブレないようにして撮りました。そうしている間も,クモはけっして獲物を放そうとしません。わたしの動作を警戒してか,避けるような動きをみせたものの,あくまで「放さないぞ」っていう決意のようなものが伝わってきたのです。

 

別の茎では,クモのカップルが出来上がっていました。ワキグロサツマノミダマシです。からだの大きさや色がずいぶん違っていますが,互いに排除しようという雰囲気はまるでありません。たぶん,オス(左)とメスなのでしょう。


食べられる昆虫は食べる虫のいのちを支えます。食べた側の虫はいつ,外敵に襲われるかわかりません。「食べる・食べられる」関係から離れて暮らせる生きものは何一ついません。花はそうした事象がたっぷり展開する舞台です。