幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

ふたたびの〝ブッダ”と幸せ

2011年05月30日 00時56分03秒 | ひとりごと
 映画「ブッダ」を観た夜
眠る前に
夫の本棚から物色した本を読むことにした。

夫はいつも
なぜか(本当はその理由を知っているのだが…)
読みもしないような本をたくさん買ってくる。

で、もったいないのでそれを時々
私が読むことにしている。

そうすると、以外にも
その時の私に必要なものだったりするからこれが不思議だ。


神様は、一番使いやすい人を使って
その人に必要なものを与えてくださるというが
私の場合
自分ではあまり、
図書館にも本屋にも行かないので
夫を使って与えて下さっているのだろうと
勝手に解釈している。

それで、読む本がなくなると
時々
夫の本棚をあさるのだ。



さて、そんなわけで
この夜持ち出したのは

「個人主義」 KKベストセラーズ出版



たくさんの有名人が
定年前後のサラリーマンに向けて書いている「人生論」
みたいな短いエッセイ集。


はっきりいって
私にとってはあまり面白くなさそうな本だったが
生憎とこれぐらいしか読んでもいいかな
と思う本が見当たらなかったのだ。




お布団に入ってから
今夜の私に必要なものを、と祈って適当な場所を開いた。



と!!
出てきたのは
瀬戸内寂聴のお釈迦様のお話だった 




お釈迦様=ブッダ、だよね 



またまた、やっぱり共時性?!


私に彼女の小説{釈迦」を読みなさいということ?!



ま、それは私の問題として
その中にあったちょっとよい言葉。



〝50代、60代になれば〝老い”という苦しみを誰もが味わうけれども
 老いるということは枯れることじゃないんです。
 肉体の衰えは仕方ないけれど
 心は際限なく豊かになれる






賛成!!  

大賛成!!   




わたくし、このごろつくづく思うんです。


そりゃあ、
最近
物忘れは激しいし
体のあちこち衰えるし
肌のハリはないはシミは増えるはで
肉体的にはとてもさみしいけれど
心はどんどん軽くなり
いろんなことがうれしく楽しく味わえるようになっている。


これって、すごく素晴らしいことで
これが年を取るということならば
わたしは絶対若返りたくなんかないわ

って。




そしてさらに思うんです。

ああ、54年間生きてきて
今の私が一番楽しいし
今の私が一番スキ

って。




これって、最高の幸せではありません?!



あなただって、きっとそうなのだと思います。



もし、今のあなたがそうでないとするならば
それは
そんな自分に
あなた自身が気づこうとしていないだけではないでしょうか。




神様は、公平に
私に下さっている感覚を
あなたにも下さっているはずなのですから。 
  

ブッダと嫌味

2011年05月29日 23時21分39秒 | ひとりごと
 土曜日28日
暇だったので映画「ブッダ」を観てきた。

一緒に行った夫は

「チョーくだらんかった」 

と映画を馬鹿にした。



あんひとは「もののけ姫」を観たときも
すぐにグウグウと眠ったあげく

「ちょーつまらんかった!!」

と、いいよったばい   




ま、でも
かくいう私もわざわざ観に来るほどでもなかったな、
と、内心思っていたのけれど・・・・・



ただ、最後のナレーションに

「生病老死」、人は生まれながらにしてこの苦しみ背負っており
誰もこの苦しみから逃れることはできない、 云々

 思うがままにならないことを思うようにしようと望むところに苦しみが生まれる、云々

というのがあって
それは随分後にブッダが悟ることなのだが
この一言を改めて意識させてもらえたことだけでも
まあ、よかった、と思うことにしていた。



だのに、映画の冒頭の
「インドの兎」伝説〝なぜ月にはウサギがいるか”という部分さえ知らなかった夫が

「チョーくだらん!!
 観るほどのもんじゃあないな」

と言い切ったとき私はカチンときた。



つまらんとか、くだらんとか言った瞬間に
 それはつまらんくも、くだらんくもなるんだわい!!


 自分に起きている事象を
 〝苦しい”ととらえれば苦しいものになるし
 〝楽しい”ととらえれば楽しいものになる。

 苦しくするのも楽しくするのも己のとらえ方次第じゃ!!

 おまえさんは、自分の発したその言葉で、
 せっかく夫婦で見に来た映画と時間を
 〝無駄なつまらんもの”にしたことに気づいているんかい」 

と、どなりたくなった。




で、いやみたーっぷりに言い放ってやった。


「そうね、
 あなたは〝もののけ姫”のときも
 チョーつまらんかった、と言ったもんね。
     
 あなたに哲学的なものは無理ね」

と。




オホホホホ・・・

私って
それこそブッダの悟りには程遠い
チョー
嫌味なお・ん・な  

どこへ寄付する?!

2011年05月22日 16時26分34秒 | ひとりごと
 関東東北大地震に関しての募金活動が
あちこちでみうけられる。

「どこに寄付するのが、一番末端まで届くの?!」

私の周りの人々の素朴な疑問。


確かに誰でもそう思うでしょう。

私も、そう思ったから、
自分の大切なお金と気持ちを無駄にしたくなかったから、
きっと
直接
すぐに
被災者に
何らかの形で届けてくれるであろう「すたあと長田」に寄付した。


これは
「義捐金(義援金)」ではなく支援金

ボランティア活動に行く人たちの活動費や必要物資の購入費用になる。

けれど、残念ながら
税金の控除対象にはならない。


義捐金は2000円以上は控除の対象となるそうな。
その結果
2万円~4万円くらい寄付したとしても
結局は5000円ほど自腹を切っただけとなり
後は戻ってくる形になるらしい(数字は定かではありませんのであしからず )

しかし
義捐金はそれを配分する委員会に渡されるため
「公平性」を保たねばならず
それを考慮検討する故に
直接被災者に渡るのは随分後になる。


しかも
場合によっては
寄付した人の思いとは待ったく別の使われ方をしたりもするらしい。
(神戸の震災の時は義捐金の一部が瀬戸に掛かる橋のライトアップに使われたりしたらしい 
  ・・・まだまだ、支援の必要な人はたくさんいたのに・・・だそうだ)

さらに
残念な事には
大きな団体や企業が関わると
色々な利権が絡み

「あれ?!
 私のお金はどこへいったの・・・?????」

ってなことになりかねない。


第一
日本ユニセフ協会と
国連のユニセフ駐日代表部がべつものだ、って
どれくらいの人が知っているだろうか。


ちなみに’09年度の収支決算書よれば
日本ユニセフ協会は30億円を管理費や宣伝活動に使っているらしいのだが
宣伝をしているのはテレビ局とか新聞とか
つまりは協賛したところであり

「なあんだ、自分たちが儲かるようにお金を回してるだけジャン!!」

・・・などと思ってしまうような仕組みになっているらしい。


なんだか、悲しくなってしまう 


日本赤十字だって、きっとそんなとこだろう。


だとしたら、どこへ寄付したらいいの?????


って、最初の疑問に戻ってしまう。



ま、長期の支援という事を考えれば
親をなくした子供たちを支援するという意味であしなが育英会なんかも
ひとつの手かもしれない。


また、直接
被災地の自治体の口座に振り込むという方法もあるだろう。
これもちゃんと
税金の控除対象となるし・・・。



私の知り合いの会社経営者は
社員の実家が被災したため
社内で集めた募金にご自分のお金を足して
その人たちに全てを託したという。


これもひとつの方法だと思う。

「公平性」は公にお任せして
私たちは「ご縁」に随って「たった一人」であっても
何かをして差し上げられたならそれでよいのかもしれない。


本当に困っている人を
少しでも早く助けてあげたい、

・・・心ある人なら誰だってそう思うに違いない。


でも、
「確実に、末端に」
というのは、現状ではとても難しい。


だとしたら
自分が知っている範囲で
本当に信頼できるボランティア活動をしている人たちを支援する
「支援金」に回すほうが直接的なのかもしれない。
(税金の控除対象外でもよければのはなしだが。)



ただ、ここまで悩んでふと思う。

確かに死に金にはしたくない。
大切な気持ちとお金なのだから。

でも、それにこだわる事自体が「?」であり執着なのではないだろうか、
と。


お試しあれ その2

2011年05月17日 19時12分18秒 | 波動
 

「私はこの人のステキな面だけを受け取ります」


あるいは

「私はこの人の愛だけを受け取ります」


と強く決めて誰かに接してください。

接し始める前はもちろん
途中からでもかまいません。


そう決めてしばらくすると
その相手の態度が変わるのだそうです。


いままで
何だかいや~な感じだった人も
だんだんとそうではなくなり
しまいにはとてもよい状況になるのだそうです。


昨日読んだ本に書いてありました。


確かにそうだと、私は思います。


同じ人なのにAさんはいい人だといい
Bさんはあまり好きではない、と言うような場合
単に見方が違うだけではなく
こちらの思いによって
お相手の態度が変わるかららしいのです。



だから
「私はこの人のいいところばかりを受け取るわ」
と自分が決めれば
結果はその通りになるのだそうです。



これはおそらく
素粒子同士の関わり方がかわるからなのでしょうね。



ぜひぜひ
お試しあれ    

お試しあれ  その1

2011年05月17日 18時29分41秒 | 波動
まず
背中をしゃんと伸ばし
腰の上に背骨をきちんと乗せて
姿勢よく座ります。



次に
目を閉じて
腹式呼吸で深呼吸をし、気持ちを落ち着けます。


自分の中が静かになるまで
それを続けてください。

やがて
静まったように感じたら
目を閉じたまま
眉間に意識を集中してください。


その眉間を中心に
大きな明るい光の玉をイメージしましょう。


大きな光の玉がイメージできたなら
今度は胸の辺りから
ピンク色の愛の光を引っ張り出し
眉間にある光の玉と
そのピンクの光を一緒にして
左手の手のひらに載せてください。

左手の上でその光を燦然と輝かせてくださいね。





さて
今度は
右手に自分の中にあるマイナーな思いを一つ一つ吐き出す作業をします。


誰かへの怒り。

泣きたいほどの自己嫌悪。

捨てきれない後悔。

なんでもよいのです。
現在の事でも、過去の事でも
そう、子供の頃のこだわりでもかまいません。
とにかく自分の中にある厭な感情を
ひとつひとつ右手の上へ乗せていきましょう。


どんどん
たくさん
思いつく限り乗せてしまってください。


不思議な事に
このマイナーな思いは
どれもどす黒い色をしているはずです。

どう頑張ったって
ピンクや黄色にはならないから、ホント不思議です。





さあ、いよいよです。


左手の明るく愛に満ちた光と
右手のどす黒いマイナーな思いを
自分のまん前に持ってきて
グチュグチュとひとつに混ぜてください。


たくさんの黒い思いは
おおきな光に包み込まれ
真ん中の方でだんだん小さく薄くなっていきます。


なかなかそうならない人は
その光を搗き立てのお餅のように四方へ伸ばし
それで黒い思いをくるんでください。



さらに
その思いを飲み込、浄化した光が
ますます大きく、強く、光り輝く姿をイメージしてください。

そして
それを
胸の中へと吸い込んでください。



ここまで終えて初めて
目を、静かにあけてかまいません。





・・・・・いかがですか、ご気分は?





あなたの中を
あなた自身の力で浄化する方法のひとつです。


お役に立てば幸いです。