幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

私たちは奴隷?!

2011年08月31日 23時15分22秒 | ひとりごと
 苫米地 英人(とまべちひでと)という人の本を読んだ。
読んだのは三週間ほど前で
本のタイトルはすでに忘れている。

「お金から解放される○○○・・・」というような感じだったと思うのだが。


内容としては
今の経済社会の仕組み、
これからの流れの兆候などで
郵便貯金は危ないとか
ドルはもうだめだとか、
ま、中丸薫(なかまるかおる)を読んだことがあれば
そうびっくりする話ではないのだが、
それらの中に
かなりショックで
今も忘れられない言葉が、一つだけ存在していた。


それは
「この地球上の99・9%の人々が総奴隷なのである」
ということだった。



 フリーメイソンと呼ばれる特別階級の人たちの存在。

東インド会社設立以来
この地球上での経済を
牛耳っているほんの一部の特権階級。

この日本の首相たちはもちろんのこと
アメリカの大統領さえも
彼らの忠実な部下でしかなく
一見、民衆が選んでいるように見えて、
実はすべて
フリーメイソンたちの意のまま
彼らの都合の良いように仕組まれているという事実。


北朝鮮のことも
アルカイダのことも
全ては彼らを儲けさせるためであり
彼らのために
この地球上から戦争はけっして無くなりはしないということ、
などなど
中丸薫の本によって知らされた当初は
衝撃と怒りと失望でいっぱいになってしまった。


けれども
そんな不公平かつ「悪」を
なぜこの大宇宙が許しているのか・・・
それを思えば
怒りや失望を幾分拭い去ることができた。



 が、苫米地が表現した「奴隷」という言葉は
今更ながらに私を傷つけた。

年収が三千万、五千万のいわゆる高収入と思われる人々でさえ
奴隷をなお一層奴隷として自縛する為の奴隷の見本である
と彼は言うのだ。

確かにそうかもしれない。

フリーメイソンたちが手にしている巨万の富に比べれば
高々一億ぐらいはスズメの涙ほどにもならないのだろうから。


そんな社会が漫然とまかり通っていること自体が腹立たしいではないか。
しかも、ほとんどの人々はそれに気付いてさえいないのだから。


中丸薫はもう随分前に
「闇の権力」という本でそのことを書いている。

明治天皇の孫、つまり、日本のプリンセスという立場の彼女が書いている本が
果たしてどこまで真実を述べているのか
それさえも私にはわかりかねるけれど
しかし、けっして、根も葉もないことではないだろう。


ただ、
彼女の本の中には
フリーメイソンの力は書かれているものの
私たちが彼らにとって家畜同然であり、いわゆる「奴隷」であるというような
痛烈な言葉はなかった。

それゆえに、まだ救いがあったのだ。


ところが苫米地はその言葉を私たちに突き付けている。

そして、自らを「奴隷」から解放するためには
「お金」という自縛を解き放て、と主張しているのだ。



 

 読み終えてしばらくは虚しかった。

人を人とは見ない人たちが存在していて
その人々がこの地球上のすべての富と権力を所有しており
私たちは虫けら同然の奴隷として
日々、吸い上げられている。
しかも、それはどうしようもない事実・・・などと知ってしまえば
胸に湧き上がるのは
ただ、虚しさのみだった。




 が、しばらくしてから思ったのだ。


宇宙から見れば人間の歴史の時間のなんと短いことか。
そんな短い時間の中で
人間全体の魂のレベルをアップするために
陰と陽のすべての経験が与えられている。


今までは暗く重く、「悪」のはびこりやすいエネルギーだったけれども
それも「陰」の部分として体験する必要のあってのこと。
ゆえに、神(宇宙)はその存在を許してきたのだろう。



万物全てが流転するという習わしから考えれば
そのエネルギーさえもいつかは変化するのだ。


フリーメイソンの権力が続いている期間だって
宇宙の存在時間から見れば
ほんの一瞬のこと。


何らかの意味と必要性があっていまだ存続を許されているものの
必要でなくなったときには
必ず、それは消滅するに違いないのだ。

「盛者必衰の理」なのだから。



だったら、小さな泡である私が
それを憂う必要などどこにあろうか。
私は私の「泡」をただ全うすればよいだけのこと。




さらには
私がなぜ
フリーメイソンの一員として生まれなかったか、ということにも
意味があるに違いない。


きっと、彼らの魂とはそぐわないからだろう。
だとすれば、それは喜ばしきことではないか。


自分たち以外は人とは思わないような者に生れ落ちず本当に良かった!!

自分をほめたくなった。




そうして極め付け!!


「奴隷だからと言って
 何から何まで不幸であるわけではないではないか。

 奴隷にだって
 幸せはちゃんと存在している!!」


「どんな環境でも、幸せであればそれでよいではないか。
 幸せ以外に、何に価値があるというのか!!」

と、思ってしまったのだ。


こうして、苫米地に揺さぶられた私の思いは
平静を取り戻した。





・・・さて、
あなたも、苫米地 英人、お読みになってみませんか。

読み終えたとき、何をどう考えるか、ご興味あれば、です。


古典に学ぶ

2011年08月31日 21時26分07秒 | ひとりごと
 ゆく河の流れは絶えずして
しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは
かつ消えかつ結びて
久しくとどまる例(ためし)なし。
世の中の人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

                  鴨 長明 「方丈記」

 ご存じ、中学校で暗記させられるような有名な文章である。

もうひとつ。


 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。

                   平家物語 巻一

 


 学校で暗記させられた時には
面倒で、無意味に思えたものだが
今、この年になり
この言葉の意味をしみじみと味わえるようになると
あの「暗記」学習も無駄ではないなぁ、と思ったりする。

なんせ、この年になってからの暗記は並大抵のことではないから
記憶力のよい若いうちに覚えてしまうのが一番に違いないのだ。




 ま、そんなことはさておき、
この二つに共通している「万物流転」の信条。

この世のものはすべてが変化し、何一つ「永久」などはないという
この真実。

まさに、宇宙の法則そのものである。



ただ、今のエネルギーと微妙に食い違うのは
そのやや暗い「無常感」だろうか。


両者においては
「栄枯盛衰」、どんなに栄華を誇っても必ずいつかは滅びてしまうという
悲しさやはかなさのほうが色濃く感じられる。


確かにそれは事実であり
だからこそ
今、どんなに成功していても有頂天になってはいけないと
自分を戒めなくてはならないのだけれど
けれど
「万物流転」はけっして
はかなく悲しいことばかりではないのだ。


逆に考えれば

その苦しみが
その悲しみが
同じ重さで
同じ状態で
いつまでも続くということは絶対にないということなのである。


つまり

どんな苦労や悲劇も
必ず終わる時が来る、


ということだ。



だから、
今起きていることが「幸せではない」状態であるとしても
いつかはそれも、薄れて、終わってくれるということなのだ。


・・・と、気付けば

「なーんだ、じゃあ、その時のくるのを待てば
 必ず何とかなるじゃん!!」

と、思えはしないだろうか。



今、どんなに大変と思うことでも
過ぎてしまえば
すべてたいしたことではなくなってしまう。

その大変を経験したという事実が残るだけ。




 鴨長明はさらに言う。


「いにしへ見し人は、二三十人が中(うち)に
 わづかにひとりふたりなり。
 朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、
 ただ水の泡にぞ似たりける。」



・・・そう、覚えていたい。

「ただ水の泡にぞ似たりける」



私たちは大宇宙の
膨大なる時間から見れば
水の泡のようなもの。


バブルだよ、バブル!!



その一瞬、存在はするものの
人生なんて、あっという間に終わってしまうのだ。


そして
そのあっと言う間の人生ですら
常に変化していくのだ。



必ず、
必ず事態は変わっていく。

良いも悪いも
必ず変化する。

 

それさえ忘れなければ
どんなことが起きても
絶望したり
自暴自棄になったりはせずに済むのではないだろうか。



変化するのは儚い事のみではない。

嬉しいほうにだって
良いほうにだって変化するのだから。

季節の移ろいに思うこと

2011年08月29日 09時39分35秒 | ひとりごと
 夏と秋
  行き交う空の通い路は
       かたへ 涼しき風の吹くらん   
           
                  おおこうちみつね
 

うる覚えなので、間違っていたらごめんなさい。
この時期になると思い出す歌です。


もうひとつ


 ひまわりが むこう向いて 泣いてるよ       
                                 作者 わかりません



これは、まだ若い頃に 新聞で写真入りで目にしたものです。


 季節はまちがいなく移っています。

震災だ、放射能だと
人間たちが右往左往しているなかで
何も言わず、でも、着々と
季節は自分の「時間」を流し続けています。

まぶしい日差しは透明感を増し、静かさを伴うようになってきました。

こんな秋を
「白秋」と表現した
昔の日本人の感性をすごいと思います。


庭の洋種ヤマゴボウの実が赤黒く実りだし
ヒヨドリや野鳩が
それをついばみに来ます。

静かな空気は彼らの羽音に波立ち
静かな中にもたくさんの生命の営みがあることを思い出させてくれます。

放射能に汚染されてもヤマゴボウの実は実り、熟しています。

たくさんの犠牲者が出たというのに
山鳩は今日もただ、無心に餌をついばむのです。



震災を起こしたのも自然であるならば
季節を営ませるのもまた自然です。


自然は、良いことにも不幸な事にも
ただ、淡々と
淡々と過ぎていくだけなのです。




 幼い頃私はよくアリの巣を壊しました。


せっせ、せっせと、いそしんでいるアリたちの巣の入り口を
ぐちゃぐちやに壊し、出入りできないようにしてしまうのです。


アリたちは突然の災難に大慌て!!

それこそ、右往左往し、たいへんな騒ぎとなります。

けれど、次の日
同じ巣を見てみれば
それは、すでに修繕されており
アリたちは、何事もなかったかのようにせっせ、せっせと働いていました。


子供心にもそんなアリたちを「すごい!!」と思いました。

私にもし、アリの言葉が聞き取れるならば
もしかしたら、彼らも
「たいへんだぁー!!」とか
「もう、だめだ」とか
愚痴っているのかもしれません。

でも、幸いに(???)それを聞き取れない私には
彼らの「あきらめず」「愚痴らず」「ただ、淡々と」行動する姿しか見えません。

それをこの年になった今も感動でみつめるばかりなのです。



震災があり、津波があり
放射能が漏れ、海も田畑も汚染され
食物の安全性はなお一層危ぶまれ、
水も、電気も、ガソリンも不足して・・・
思えば憂鬱の種ばかり。




それでも季節は廻り
それでも、動物たちは生きようとする

・・・のです。



 私たち人間も
この地球上に生かされている一つの命にすぎません。


何が起こったとしても
時間は流れ、季節はめぐるのです。

ならば、
その中で生かされている私たちも
ただ、淡々と
淡々と生きていくのが一番なのでしょう。


明日を憂いて今日を過ごせば
毎日が憂鬱の連続になるだけのこと。

恐れたり、憂いたりは
何一つ良いことをもたらしてはくれません。



ヒヨドリや鳩やアリのように
目の前のことを無心に
一生懸命尽くすことのほうが
どれほど「今を生きている」ことになるでしょう。


確かに人間は「考える葦」かもしれませんが
人間だけが「考えられる」からと言って
それを「憂うる」ことに使う必要はないのです。
「憂うる」の行き着くところは「絶望」「病」しかありません。

多くの著名人の「自死」がそれを物語っています。





 劇作家の宮本亜門氏の父上がおっしゃったとか。



「人生は短い。
 悩んでいる暇などない。

 悩まなければそれで済む」

幸せ、って?!

2011年08月21日 14時19分33秒 | ひとりごと
 私のブログのタイトルは
「しあわせになろうね」

そして私はお仕事の一つとして
「スピリチュアルレッスン 幸せの早道」を運営している。


 その参加者たちに
「あなたが考える幸せってなんですか」
と、問うてみた。


健康であること、家族がみんな息災であること
経済的に安定していて暮らしに困らない事
悩みがないこと
好きなことができる状態であること

などなど
たいていの人が
同じようなことを答えた。

そして、まあまあ、ほどほどに自分は幸せであると答えた。


しかし、
私から見れば
AさんはあきらかにBさんより経済的レベルは上である。
CさんはAさんより、より多くの海外旅行や豪華なランチを楽しんでいる。

となれば
Cさんは幸せであることは間違いないが
Bさんはもしかしたら
AさんやCさんより不幸せということなのか。


でも、そのCさんは息子さんのことで悩んでいるし
Bさんは食が細くてAさんより楽しめない。


そうであるならば、Bさんも不幸だし
Cさんだって不幸なのではないか。



「じゃあ、Aさん、あなたは不幸ですか?」
と尋ねると
頭を傾け、しばらく答えに詰まりながらも
「いえ、不幸というほどではありません」
と言った。


Bさん、Cさんも反応は同じだった。




 今度は逆に
「私は今、左半身が不自由ですけれど
 と、いうことは私は不幸なのですか?」
と尋ねてみた。

彼女らは口をそろえて
「いいえ」
と答える。



確かに、私は自分のことを不幸だなどとは微塵も思わない。

軽度の脊髄管狭窄症で身体の不自由さと痛みを伴いはするが
だからと言って不幸だとは思はない。

もちろん、健康に越したことはない。
胃腸も丈夫で何を食べてもOK、
足腰も健康でどんな道だってだいじょうぶ、
・・・に越したことはないのだが
残念ながら今はそれを与えられてはいない。

それでも、私は決して不幸ではないし
むしろ幸せだと思っている。



ご存じの通り
夫とうまくかみ合わず
日々、悶々とし
「離婚」という言葉をいつも抱えて歩いてはいるものの
だからと言って
決して不幸なんかではありはしない。

たとえ、離婚したとしたって
それさえも私を不幸にすることはできない。


なぜなら
どんな状態になっても
私自身が自分のことを「不幸」だとは思はないからだ。



「幸せ」ってなに?!

と、問い詰めて問い詰めていくと
自分の思っている「幸せ」がいかにあいまいなものかがわかってくる。


「不幸」もまたしかり。

今、私は本当に不幸なの?!
これが、本当の「不幸」ってことなの?!

と、問い詰めていくと
心は必ず「NO]とこたえる。



結局
どんなことも、どんな状態も
本人が「不幸」と判断すれば即「不幸」になりうるし
「幸せ」と思えば「幸せ」になれるということなのだ。


目の前の事象はただ一つ。

ただ、それを自分がどう思うか、というだけのことなのだ。

たいへん

2011年08月20日 08時12分38秒 | ひとりごと
 お久しぶりです。

昨夜遅く、自宅に戻ってきました。
8月3日に家を出て
福井の美代子さんと一泊二日の時間を過ごし
そのあと、ず~~~~~~っと、実家でした。

長いはずなのに
全然長くない17日間でした。


 実家は田舎なので
することが山のようにあります。

下半身の不自由な父と
上半身が不自由な母なのですから
二人を足せば一人前で丁度いいと思うのですが
実際にはそんな簡単なものではなく
やはり〝不自由な老人が二人”なのでした。


 朝は5時に起きて畑と屋敷内の草むしり。


10時頃に家に入り
シャワーを浴びて一服し
そのあと掃除洗濯、蒲団干し。

すぐにお昼になって
昼食の準備や後片付け。

しばらく休んで
母を買い物に連れて行き
夕食の準備を済ませてから
また、外仕事。

夕飯を済ませ、台所をきれいに片付けたあと、
自室にこもって
岡崎から持ち帰った仕事をする。

だいたい、そんな日課でした。

ここへ、時々は
病院への送り迎え
墓掃除
などの諸用が入ります。


 そんな多忙な中に
松の木の剪定という作業が入り込みました。

ずっと母がしてきた仕事なのですが
今年は母の手の状態がますますひどくなり
とても木の枝を切るというようなことが出来なくなってしまったからです。


先回、娘と帰った時
梅をはじめとする何本かの木は彼女が剪定してくれました。


でも、松が残っていたのです。
しかも、二本。


勿論、私に松の剪定の経験などあろうはずもありません。

我が家の粗末な庭の、いい加減な木々でさえ
近頃は庭師さんに任せきりです。


まして、〝松”

素人にできるはずはありません

・・・と
いったんは思ったのですが
もともと、
ずっと、母が剪定してきた松なので、大したものではないという気安さと
庭師さんにお願いすると
一本15000円は支払う、と聞いて
思わず「欲」を出してしまいました。


両方で三万円は高い!!もったいない!!


母にできるものが、私にできないはずはない

という単純な考えで
近所の庭師さんに頼むという母をおさえ
勝手にやり始めてしまったのです。



 やってみてわかりました。


「松」の剪定は普通の木以上に時間がかかります。
一本15000円は技術と時間を考えれば当然の報酬だ、ということを実感しました。



かなりの時間と根気のいる仕事でした。


やりかたはわからないわ、時間はかかるわ、病んでいる左半身は疲れ自由が利かなくなってくるわ・・・

そりゃあ、もう、たいへん



と、言いたいところですが
さにあらず!!

これが結構、おもしろかったのです  



折から暑い日々でしたので
早朝から9時過ぎまでと
夕方、日が落ち始めた頃から暗くなるまでという
短時間集中型でトライしました。

そのため
二本の松を剪定するのに3日もかかってしまいましたが
剪定しながら
「私、この作業、嫌いじゃないな」
と感じていました。

むしろ好きでした。
なんだか気持ち良さを感じるくらいでした。 


それはきっと
「剪定」という作業が
ただ、一心に、枝葉を見詰めて
どこを落とし、どこを残すかという
選定作業であり
それを誤りなく行うには
他ごとは考えずに
ただ、ひたすら
「夢中」、つまり「無」にらなければならないからでしょう。

剪定=選定
夢中=無中

無=我を無くす=気持ち良い

ということだったのではないでしょうか。



ちなみに、草むしりにも同じことが言えました。

畑一面の草をみて

「ひぇ~~~、たいへん!!」

と、思ってしまえば途端に憂鬱になります。

しかも、草を取りながら
「嫌だ」とか「面倒」だとか思ったりすれば
それは、とても大変な重労働になってしまうのです。

けれど、そんなことは一切思わずに
ただ淡々と開始し
手をかけた草を
根っこごときれいに抜き取る事だけに集中したならば
頭や心の中はとたんに「無」の状態になり
大変でもなんでもなくなります。

さらに
抜き取る草に

「ごめんね、あなただって一生懸命に生きているのにね」

「ありがとうね、きれいに抜けてくれて」

などと、思いをかけながら対峙しているうちに
気持ちはどんどん穏やかになってきたのでした。


このことは、以前に雪かきをしたときにも思いました。



 目の前の作業に心を集中して淡々と行う。

そうしているうちに
「無」の状態になり
一種の「瞑想」状態となっていくのではないでしょうか。

で、なんだか
とても気持ち良くなるのではないでしょうか。


ああ、だから、これが
禅宗で一番大切とされる「作務」の修行なんだな・・・と
心底納得できたのです。



きっと
全てのことがそうなのでしょうね。


大変だ、困った、嫌だ、辛い・・・
と、思った瞬間にそれは大変であり、困ったことであり、嫌で、辛いことになるのでしょう。

でも、そう思いさえしなければ
どんなことでも
何一つ、たいへんなことも、困ったことも、辛いことさえもなくなってしまうに違いありません。





 わたしが、目まぐるしく立ち働く姿を見て
母は常に

「たいへんだから、もうやめな」

と、声をかけてきました。
娘が疲れることへの思いやり、ですよね。


そうして、たびたび

「悪いね、お前にばかり大変な思いをさせて」

と、詫びてきました。

「みんなに迷惑かけて、申し訳ない」

「去年はできたのに今年はできなくなってしまって情けない」

と、何度も何度も言いました。


「ありがとう」や「助かるよ」と言われれば
素直に「どういたしまして」と答える私でしたが
「たいへん」とか「情けない」とかを何回も繰り返し
謝ったり、愚痴ったりばかりの母に
なんだかイライラしてしまいました。


年を取ればできなくなることが増えるのは当たり前。

できなくなったら、助けてもらえばよいのです。

やろうとしないのは許せませんが、できないのは仕方ありません。

出来なくなってしまったことを愚痴ってなんになるというのでしょう。
それよりも
まだできることに感謝し
手助けしてもらえることを素直に喜んでくれたほうがどれだけ嬉しいか。



「だいじょうぶ!! 全然大変じゃあないから」

と応えると

「そやかて、忙しい思いをさせて、たいへんやわ」

と、言い返す母。




・・・彼女は若い頃から
ずっと「たいへん」で生きてきた人でした。



来客があるときは
接客の準備が「たいへん」

畑仕事もしなければならないから「たいへん」

仕事にも行かなきゃならないのに家事もしなければいけなくて「たいへん」


たいへん、たいへん、忙しい、忙しい、

そのくせ、のらりくらりはしていられない。

自分で仕事を作ってしまう。



だったら
自分が働くのが好きなタイプであることを認め
働けることに感謝し
それを楽しんだほうがどれほど幸せな事か。

だのに彼女はいつも
自分の言葉で自分を縛り
自分を忙しくて大変な人にしてしまうのでした。


そんな母の口癖を聴いて育った私は
お祭りなどでお客様をお迎えすることは「たいへん」で
出来れば避けたいこと。


畑を作るのは「たいへん」で
苦労の多いこと。

女が仕事をするのは
負担が多くて「たいへん」なこと、

と、しっかりインプットされてしまっていたのです。
そして
生きることは大変な事と勘違いしてしまっていたのです。



でも、実際にはそうではない見方がありました。


お客様をお迎えすることはワクワクすることにも置き換えられました。

作物を作ることは「育てる」「収穫する」という楽しみが伴いました。

外で働くことにはそれなりの「充実感」がありました。


松の剪定だって楽しいのです。

いろいろなことを続けてしなければならなくても
「忙しい」と思いさえしなければちっとも忙しくはありません。
ただ、淡々とこなしていくだけのこと。


そのメリットを
母は口にすることをしてこなかったのです。
そして
デメリットだけを口にし
自他に苦労を意識させる生き方をして来たのでした。





80歳を過ぎた老人にいまさら・・・とは思いながら
あまりしつこく言う母に
つい、私は声を荒げて強く言ってしまいました。



「お母さんみたいに、なんでも〝たいへん”と思うから
 すべてが大変で嫌なことになってしまうんでしょう

 物事は〝大変と思うから大変”なのであって
 〝大変と思わなければちっとも大変ではない”の


黙ってしまった母。

年寄りに
ちょっときつかったかな、
と、心配していると
しばらくして
母はおもむろに言いました。


「そやかて、そんなふうには思えんわ、
 たいへんなものはたいへんや・・・」    




  はい、お疲れ様  

一生、そうやって
苦労して生きなはれ。