苫米地 英人(とまべちひでと)という人の本を読んだ。
読んだのは三週間ほど前で
本のタイトルはすでに忘れている。
「お金から解放される○○○・・・」というような感じだったと思うのだが。
内容としては
今の経済社会の仕組み、
これからの流れの兆候などで
郵便貯金は危ないとか
ドルはもうだめだとか、
ま、中丸薫(なかまるかおる)を読んだことがあれば
そうびっくりする話ではないのだが、
それらの中に
かなりショックで
今も忘れられない言葉が、一つだけ存在していた。
それは
「この地球上の99・9%の人々が総奴隷なのである」
ということだった。
フリーメイソンと呼ばれる特別階級の人たちの存在。
東インド会社設立以来
この地球上での経済を
牛耳っているほんの一部の特権階級。
この日本の首相たちはもちろんのこと
アメリカの大統領さえも
彼らの忠実な部下でしかなく
一見、民衆が選んでいるように見えて、
実はすべて
フリーメイソンたちの意のまま
彼らの都合の良いように仕組まれているという事実。
北朝鮮のことも
アルカイダのことも
全ては彼らを儲けさせるためであり
彼らのために
この地球上から戦争はけっして無くなりはしないということ、
などなど
中丸薫の本によって知らされた当初は
衝撃と怒りと失望でいっぱいになってしまった。
けれども
そんな不公平かつ「悪」を
なぜこの大宇宙が許しているのか・・・
それを思えば
怒りや失望を幾分拭い去ることができた。
が、苫米地が表現した「奴隷」という言葉は
今更ながらに私を傷つけた。
年収が三千万、五千万のいわゆる高収入と思われる人々でさえ
奴隷をなお一層奴隷として自縛する為の奴隷の見本である
と彼は言うのだ。
確かにそうかもしれない。
フリーメイソンたちが手にしている巨万の富に比べれば
高々一億ぐらいはスズメの涙ほどにもならないのだろうから。
そんな社会が漫然とまかり通っていること自体が腹立たしいではないか。
しかも、ほとんどの人々はそれに気付いてさえいないのだから。
中丸薫はもう随分前に
「闇の権力」という本でそのことを書いている。
明治天皇の孫、つまり、日本のプリンセスという立場の彼女が書いている本が
果たしてどこまで真実を述べているのか
それさえも私にはわかりかねるけれど
しかし、けっして、根も葉もないことではないだろう。
ただ、
彼女の本の中には
フリーメイソンの力は書かれているものの
私たちが彼らにとって家畜同然であり、いわゆる「奴隷」であるというような
痛烈な言葉はなかった。
それゆえに、まだ救いがあったのだ。
ところが苫米地はその言葉を私たちに突き付けている。
そして、自らを「奴隷」から解放するためには
「お金」という自縛を解き放て、と主張しているのだ。
読み終えてしばらくは虚しかった。
人を人とは見ない人たちが存在していて
その人々がこの地球上のすべての富と権力を所有しており
私たちは虫けら同然の奴隷として
日々、吸い上げられている。
しかも、それはどうしようもない事実・・・などと知ってしまえば
胸に湧き上がるのは
ただ、虚しさのみだった。
が、しばらくしてから思ったのだ。
宇宙から見れば人間の歴史の時間のなんと短いことか。
そんな短い時間の中で
人間全体の魂のレベルをアップするために
陰と陽のすべての経験が与えられている。
今までは暗く重く、「悪」のはびこりやすいエネルギーだったけれども
それも「陰」の部分として体験する必要のあってのこと。
ゆえに、神(宇宙)はその存在を許してきたのだろう。
万物全てが流転するという習わしから考えれば
そのエネルギーさえもいつかは変化するのだ。
フリーメイソンの権力が続いている期間だって
宇宙の存在時間から見れば
ほんの一瞬のこと。
何らかの意味と必要性があっていまだ存続を許されているものの
必要でなくなったときには
必ず、それは消滅するに違いないのだ。
「盛者必衰の理」なのだから。
だったら、小さな泡である私が
それを憂う必要などどこにあろうか。
私は私の「泡」をただ全うすればよいだけのこと。
さらには
私がなぜ
フリーメイソンの一員として生まれなかったか、ということにも
意味があるに違いない。
きっと、彼らの魂とはそぐわないからだろう。
だとすれば、それは喜ばしきことではないか。
自分たち以外は人とは思わないような者に生れ落ちず本当に良かった!!
と
自分をほめたくなった。
そうして極め付け!!
「奴隷だからと言って
何から何まで不幸であるわけではないではないか。
奴隷にだって
幸せはちゃんと存在している!!」
「どんな環境でも、幸せであればそれでよいではないか。
幸せ以外に、何に価値があるというのか!!」
と、思ってしまったのだ。
こうして、苫米地に揺さぶられた私の思いは
平静を取り戻した。
・・・さて、
あなたも、苫米地 英人、お読みになってみませんか。
読み終えたとき、何をどう考えるか、ご興味あれば、です。
読んだのは三週間ほど前で
本のタイトルはすでに忘れている。
「お金から解放される○○○・・・」というような感じだったと思うのだが。
内容としては
今の経済社会の仕組み、
これからの流れの兆候などで
郵便貯金は危ないとか
ドルはもうだめだとか、
ま、中丸薫(なかまるかおる)を読んだことがあれば
そうびっくりする話ではないのだが、
それらの中に
かなりショックで
今も忘れられない言葉が、一つだけ存在していた。
それは
「この地球上の99・9%の人々が総奴隷なのである」
ということだった。
フリーメイソンと呼ばれる特別階級の人たちの存在。
東インド会社設立以来
この地球上での経済を
牛耳っているほんの一部の特権階級。
この日本の首相たちはもちろんのこと
アメリカの大統領さえも
彼らの忠実な部下でしかなく
一見、民衆が選んでいるように見えて、
実はすべて
フリーメイソンたちの意のまま
彼らの都合の良いように仕組まれているという事実。
北朝鮮のことも
アルカイダのことも
全ては彼らを儲けさせるためであり
彼らのために
この地球上から戦争はけっして無くなりはしないということ、
などなど
中丸薫の本によって知らされた当初は
衝撃と怒りと失望でいっぱいになってしまった。
けれども
そんな不公平かつ「悪」を
なぜこの大宇宙が許しているのか・・・
それを思えば
怒りや失望を幾分拭い去ることができた。
が、苫米地が表現した「奴隷」という言葉は
今更ながらに私を傷つけた。
年収が三千万、五千万のいわゆる高収入と思われる人々でさえ
奴隷をなお一層奴隷として自縛する為の奴隷の見本である
と彼は言うのだ。
確かにそうかもしれない。
フリーメイソンたちが手にしている巨万の富に比べれば
高々一億ぐらいはスズメの涙ほどにもならないのだろうから。
そんな社会が漫然とまかり通っていること自体が腹立たしいではないか。
しかも、ほとんどの人々はそれに気付いてさえいないのだから。
中丸薫はもう随分前に
「闇の権力」という本でそのことを書いている。
明治天皇の孫、つまり、日本のプリンセスという立場の彼女が書いている本が
果たしてどこまで真実を述べているのか
それさえも私にはわかりかねるけれど
しかし、けっして、根も葉もないことではないだろう。
ただ、
彼女の本の中には
フリーメイソンの力は書かれているものの
私たちが彼らにとって家畜同然であり、いわゆる「奴隷」であるというような
痛烈な言葉はなかった。
それゆえに、まだ救いがあったのだ。
ところが苫米地はその言葉を私たちに突き付けている。
そして、自らを「奴隷」から解放するためには
「お金」という自縛を解き放て、と主張しているのだ。
読み終えてしばらくは虚しかった。
人を人とは見ない人たちが存在していて
その人々がこの地球上のすべての富と権力を所有しており
私たちは虫けら同然の奴隷として
日々、吸い上げられている。
しかも、それはどうしようもない事実・・・などと知ってしまえば
胸に湧き上がるのは
ただ、虚しさのみだった。
が、しばらくしてから思ったのだ。
宇宙から見れば人間の歴史の時間のなんと短いことか。
そんな短い時間の中で
人間全体の魂のレベルをアップするために
陰と陽のすべての経験が与えられている。
今までは暗く重く、「悪」のはびこりやすいエネルギーだったけれども
それも「陰」の部分として体験する必要のあってのこと。
ゆえに、神(宇宙)はその存在を許してきたのだろう。
万物全てが流転するという習わしから考えれば
そのエネルギーさえもいつかは変化するのだ。
フリーメイソンの権力が続いている期間だって
宇宙の存在時間から見れば
ほんの一瞬のこと。
何らかの意味と必要性があっていまだ存続を許されているものの
必要でなくなったときには
必ず、それは消滅するに違いないのだ。
「盛者必衰の理」なのだから。
だったら、小さな泡である私が
それを憂う必要などどこにあろうか。
私は私の「泡」をただ全うすればよいだけのこと。
さらには
私がなぜ
フリーメイソンの一員として生まれなかったか、ということにも
意味があるに違いない。
きっと、彼らの魂とはそぐわないからだろう。
だとすれば、それは喜ばしきことではないか。
自分たち以外は人とは思わないような者に生れ落ちず本当に良かった!!
と
自分をほめたくなった。
そうして極め付け!!
「奴隷だからと言って
何から何まで不幸であるわけではないではないか。
奴隷にだって
幸せはちゃんと存在している!!」
「どんな環境でも、幸せであればそれでよいではないか。
幸せ以外に、何に価値があるというのか!!」
と、思ってしまったのだ。
こうして、苫米地に揺さぶられた私の思いは
平静を取り戻した。
・・・さて、
あなたも、苫米地 英人、お読みになってみませんか。
読み終えたとき、何をどう考えるか、ご興味あれば、です。