富山の新鮮な魚が売り物という回転寿司が地元にオープンした。
なんでもテレビで取り上げられていたとかで
近くに住んでいるわたしは、
場所や内容を知り合いにたずねられ、
リサーチすることを請け負ってしまった
そもそもが、回転寿司を好まない私は
行ってびっくり!!
見てびっくり!!
なんと、注文はタッチパネル
いまどきみんなそうなんだとか・・・
しかし、カウンターの前方、やや高めのところへと仰向き
タッチパネルで注文するなんぞや
もうその段階で、食欲は損なわれてしまった。
オープンしたてで、夕食時ともなれば
客は順番待ちをしている。
機械から押し出される番号札をとり、
館内どころか館外にも聞こえるような
大きな呼び出しマイクの声が広い館内に
始終響き渡っている。
なんだかまるで、混んだサービスエリアの食堂にいるような雰囲気だった
やがて、タッチパネルで注文した寿司(?)は
新幹線、もしくはサーキットカーに乗せられてやっきた。
そして目の前のカウンターの上に止まりブザーが鳴る。
それを自分で取って食べるのだ。
話には聞いていたが、なんとも味気ない。
「こどもたちはよろこぶよ」
なんて、そんな子供たちにして欲しくない
オマケに
寿司飯はだらんとしてしまりなく、
いわゆる上手な職人が握ったときの「気」が全く入っていない。
ま、あたりまえのことか、機械が固めるだけなのだから
しかし、これではうたい文句の「こしひかり」がかわいそう
お米だって、おいしいご飯になってこそ昇華できるというもの。
ネタは・・・?と言えば、
すでに、お店の空気で食欲をなくしてしまった私は
紋甲いかと、ホタテを一個ずつしか食べなかった
ので、なんともコメントしかねる、
が、
その二つについては新鮮は新鮮だったように思うものの
既存の回転寿司とそんなに違いがあるかと問われれば・・・・・
あまり利用しないので、わからない
ただ、はっきりといえるのは
握りずしというものはシャリとネタとの調和あってのものでしょう!!
すくなくとも
このシャリではわたしは二度と食べたくはありません、
と言う感じだった。
それにしても、もし
このようなお店が世間で成り立っているとするならば
人間もどんどん家畜化しているということなのか。
いつかどこかで目にした、牛だったか鳥だったかの飼育場のえさやりの光景が重なってしかたない。
人手を省く為に
ラインに沿って餌は勝手に運ばれ
そのラインに沿って並んでいる家畜たちは
そこへ顔を突っ込んでいっせいに食べるのだ
みんなが食べる姿を見て思った。
ああ、これは食事をしているのではないな、
「エサ」をあさっているのだ・・・と。
一方では「食育」などという言葉さえ飛び交っていると言うのに
子供を育てる大人たちがこんな「エサ」場を作り、連れて行く、
ということに
憂いを感じる私は「古い」と片付けられてしまうのだろうか。
どういわれようが
「食べること」が「生きかた」でさえあると思っている私にとって
これは食物への冒涜であるとともに
人間性への冒涜でもあり
子育ての大切さをないがしろにする以外の何者でもないような気がしてならない。
なんでもテレビで取り上げられていたとかで
近くに住んでいるわたしは、
場所や内容を知り合いにたずねられ、
リサーチすることを請け負ってしまった
そもそもが、回転寿司を好まない私は
行ってびっくり!!
見てびっくり!!
なんと、注文はタッチパネル
いまどきみんなそうなんだとか・・・
しかし、カウンターの前方、やや高めのところへと仰向き
タッチパネルで注文するなんぞや
もうその段階で、食欲は損なわれてしまった。
オープンしたてで、夕食時ともなれば
客は順番待ちをしている。
機械から押し出される番号札をとり、
館内どころか館外にも聞こえるような
大きな呼び出しマイクの声が広い館内に
始終響き渡っている。
なんだかまるで、混んだサービスエリアの食堂にいるような雰囲気だった
やがて、タッチパネルで注文した寿司(?)は
新幹線、もしくはサーキットカーに乗せられてやっきた。
そして目の前のカウンターの上に止まりブザーが鳴る。
それを自分で取って食べるのだ。
話には聞いていたが、なんとも味気ない。
「こどもたちはよろこぶよ」
なんて、そんな子供たちにして欲しくない
オマケに
寿司飯はだらんとしてしまりなく、
いわゆる上手な職人が握ったときの「気」が全く入っていない。
ま、あたりまえのことか、機械が固めるだけなのだから
しかし、これではうたい文句の「こしひかり」がかわいそう
お米だって、おいしいご飯になってこそ昇華できるというもの。
ネタは・・・?と言えば、
すでに、お店の空気で食欲をなくしてしまった私は
紋甲いかと、ホタテを一個ずつしか食べなかった
ので、なんともコメントしかねる、
が、
その二つについては新鮮は新鮮だったように思うものの
既存の回転寿司とそんなに違いがあるかと問われれば・・・・・
あまり利用しないので、わからない
ただ、はっきりといえるのは
握りずしというものはシャリとネタとの調和あってのものでしょう!!
すくなくとも
このシャリではわたしは二度と食べたくはありません、
と言う感じだった。
それにしても、もし
このようなお店が世間で成り立っているとするならば
人間もどんどん家畜化しているということなのか。
いつかどこかで目にした、牛だったか鳥だったかの飼育場のえさやりの光景が重なってしかたない。
人手を省く為に
ラインに沿って餌は勝手に運ばれ
そのラインに沿って並んでいる家畜たちは
そこへ顔を突っ込んでいっせいに食べるのだ
みんなが食べる姿を見て思った。
ああ、これは食事をしているのではないな、
「エサ」をあさっているのだ・・・と。
一方では「食育」などという言葉さえ飛び交っていると言うのに
子供を育てる大人たちがこんな「エサ」場を作り、連れて行く、
ということに
憂いを感じる私は「古い」と片付けられてしまうのだろうか。
どういわれようが
「食べること」が「生きかた」でさえあると思っている私にとって
これは食物への冒涜であるとともに
人間性への冒涜でもあり
子育ての大切さをないがしろにする以外の何者でもないような気がしてならない。