幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

願いは叶う 気を付けよう曖昧な願い

2012年09月22日 21時32分11秒 | 波動
 願いは叶う、というお話。
でも、願い方次第でラッキーにもアンラッキーにもなるというお話である。


 娘が長期で外国へ行くことになった。
で、一番の問題は“ミドリフグ”である。

 4年前の冬、酔った勢いで
ユーホーキャッチャーから救出してきた(娘はそういう表現をした)ミドリフグの“きなこ”
きなこ一人では可哀そうだということでペットショップで買ってきた“あんこ”
「寿命はだいたい三年」
という、どこで得たのかわからない彼女の情報を信じ
飼うことを許してしまった私。


 ところが彼らはいまだ健在なのである。
しかも、結構、意思疎通ができたりして可愛い。
大きさも、我が家に来たときの5倍以上にはなっているだろう。

 水は汽水。
専用の塩を使って作る。
冷暖房完備の機械が取り付けられている。

メダカでさえまともに飼育できなかった私とは違い、
娘は、とてもこまめに愛情を持って彼らの世話をしてきた。
その甲斐あっての今日の“健在”なのである。

私にはとてもそのまねはできないし、する気もない。


 というわけで。ここ一か月ほど
私はことあるごとに
「はやく、フグの貰い手を見つけなさいよ。
 何とかしなさいよ」
と言っていた。

すると彼女はいつも
「だいじょうぶだよ。
 なんとかなるよ」
と答えていた。

そのくせ、真剣には引き取り手を探してはいない。


 この「「なんとかしなさいよ」「なんとかなるよ」の繰り返し。
「なんとかなる」という曖昧な言葉。
これがどうも、宇宙のエネルギーに響いてしまった。



 一昨日
新鮮な魚の並ぶ店頭で
塩もみ済みの生の蛸を見つけた私たち。
今夜のおかずにしようと即購入。

ゆで上げてアツアツを食べようとしたのだが、
そのまえに、フグたちの分だけ
ほんの少し取り分けた。

「ゆでたものより生の方が喜ぶわよね」
と、私から言い出して、わざわざ生のまま彼らに与えた。

フグたちは喜んで食べた。
細かくちぎった生の蛸を三切れ、四切れと食らいつく。

が、突然きなこの様子がおかしくなった。
まるで、餅がのどに詰まった様な状態になった。

しかし、相手はわずか5センチほどの小さな魚。
どうしようもない。
心配しながらも放っておいた。


 それから2時間ほどが経過した。


「おかん!!きなこが死んでる。
 あんこも変!!」


 娘の悲痛な叫びが走った。
急いで駆け付けると
フグたちはすでに力なく水面に浮かびヒレさえ動かしていない。


きなこはもう死んだような状態だった。
あんこはまだ、かろうじて動いている。

 水からあげてみると
きなこもまだ生きてはいた。


でも、だからといって手の施しようもない。
やはり、そのままにしておくしかないのだ。


私たちは後悔した。


蛸を生でやるんじゃなかった。
せめて茹でていたら・・・


蛸なんか買ってくるんじゃなかった。
娘を一緒に買い物に連れて行くんじゃなかった。

・・・後悔しても始まらないことを悔やみさえした。




 その時、思ったのだ。


これって
もしかして
「何とかなる」
ということ?!

娘が外国に行く前にフグたちがいなくなって
「なんとかなった」
ということ?!





 えっ~~~~~?!
それはないでしょう?!

だれも、死んでくれ、殺してくれなどと願った覚えはないよ~~~~

と、言い訳してももう遅かった。



「なんとかなる」という
曖昧なことばを私たちは何度も繰り返した。
その結果、宇宙のエネルギーは
こういうかたちで「「何とか」してくれたに過ぎないのだ。





 ああ、なぜ、もっと、きちんと願わなかったのだろう。

「娘が外国に行く前に
 とてもいいフグの引き取り手が見つかりました
 おかげさまです、ありがとうございました。
 フグたちは大切にされ、寿命を全うすることができました」

と、なぜ、祈らなかったのだろう。



 ああ、そういえば、
宇宙ののエネルギーは善悪の判断はできない
んだった。
良いも悪いも願われたことを実現してくれるのだった。

だから、願うときには具体的に誤解のないように願いなさい
と、何かの本に書いてあったではないか。


 


 それは、こういう事だったのだ。

思いもよらぬ悲惨な方法で
宇宙は願いをかなえてくれたことになるのだ。


 


 自分たちの浅はかさが招いた家族(?)の“死”に面し
後悔と懺悔の念で気持ちは重くなる一方だった。



「ああ、神様ごめんなさい。
 あやふやな願いを送ってしまってごめんなさい。
 彼らに罪はありません。
 どうか、蛸を吐き出させて下さい。
 彼らを助けてください」




 


 翌日、6時。

 気になってすぐに見に行った。


 二匹は水槽の隅にかたまって浮いていた。

すでにヒレは動いていない。
体色もまるで腐ったようにきたないし
目の玉もどんよりしていた。

昨日替えたばかりの水もなんだか白濁して気持ち悪く見える。




「ねえ、あの子たち死んでるよ。
 おまけに、腐りかけてるみたいだよ。
 気が悪くなるから
 早く起きて、始末しなさいな。
 放っておいたら可哀そうだよ」


そんな私の言葉を受けて
娘はきなこを埋めてやろうと
網ですくった。




と!!

きなこが動いた!!



 娘曰く

「わしゃぁ、まだ死んではおらんぞ・・・
 埋めてくれるな」

そう
必死で叫んでいた、・・・らしい。




 よくよく見ると
蛸の小さなかけらが
水底にいくつも沈んでいる。


「蛸、自力で吐いたんだ!!

 ということは、もしかしたら
 水を変えれば助かるかもしれないよ。
 だってこの水、すごく気持ち悪いもの。

 とにかく早く新しい汽水を作って
 そこへ移したあげたら?!」



「ここまで、憔悴してるんだもの。
 もう駄目だよ」

そう言いながらも、娘はバケツに汽水を作り
彼らを移した。


30分後

ふぐたちは見事に蘇った。 

半日後。

体色も、元のきれいな黄緑色に戻り
まるで何もなかったかのように泳いでいた。
さすが
ユーホーキャッチャーから救い出されただけのことはある。

素晴らしい生命力だ。




 神様、願いを聞き届けてくださってありがとうございます。


 今度はちゃんと

「出発までに良い貰い手が見つかりました。
 ありがとうございました」

と祈ることにしよう。




カフェ 杏(あん) オーナー語録 その2

2012年09月07日 18時46分26秒 | ひとりごと
 お店の後ろにあるオーナーの畑に野生のサルがやってきた。

 野菜の支柱の上に座ってかぼちゃをかじっている。


「あ、サルだ!!

 おかあさーん、サルがお母さんのかぼちゃ食べてるよ!!」


 お店を手伝っているオーナーの娘さんが大きな声で叫んだ。
たまたま、二階で別の仕事をしていたオーナーがすぐさま窓からのぞく。

と、同時に奇妙な声で叫びだした。

「キィーーーーーッ、キィッ」


「え?!何?!サルのなき真似?」

「うん、サル語なんだって。
 本人は“あっち行け!!”って言っているつもりらしいけれど
 サルには“おいでおいで”って聞こえているみたい・・・」

 と、娘さんは笑う。


「おかあさん、お母さんのかぼちゃ、食べちゃってるよ」

「ああ、いいのいいの、あれはサルのために採って置いといた物だから」


 よくみれば、畑のわきの見晴らしの良いところに
かぼちゃが2,3個並べられている。
イマイチな出来の物をわざと目に付くところに置いておいたらしい。
サルも自分でむしり取るよりは楽な方を選ぶのか。
その中の一つにかぶりついていたようだ。

彼女の声にびっくりして、それを抱えて山の方へと逃げて行った。


 丸くて茶色い背中は午後の太陽にピカピカと輝き
とても美しい毛並だった。
動物園にいるサルを美しいなどと思ったことはないのだが
かぼちゃを抱えて帰っていく姿は
なんだか、とてもかわいくて美しかった。


「そうなの、きれいでしょ?!ここのサル。
 めちゃ、毛並みがいいの。
 動物園のサルよりきれいでかわいいの。
 やっぱり、ストレスがないからかなぁ。

 この間なんか、団体で来たんだけれど
 みんなそれぞれに赤ちゃんがぶら下がっていて
 左手に赤ちゃん、右手にかぼちゃ、って
 そりゃぁ、かわいかったよ!!」

 と、娘さんは、楽しそうに教えてくれた。



 せっかく作った野菜をサルが持っていくというのに
この親子の余裕はどこから来るのだろう。

それがいわゆる「出荷する」商売物ではないからなのか。
それを取られても、食べる物には困らないからなのか。

それにしても、フツーなら、やっぱり腹を立てるのではないだろうか。

彼女たちの会話の中には
腹を立てる言葉や
サルを罵倒する言葉はひとつもでてこないのだ。




 なんだか、こちらまでほんわかしてくる。



 ちょっと前の里山の人々は
ちゃんと動物にも分け前を与えていたという話を思い出した。


カフェ 杏(あん) オーナー語録

2012年09月07日 18時08分38秒 | ひとりごと
 私の住む愛知県は岡崎市、額田町というところに
「杏(あん)」というカフェがある。

 山間の超ど田舎で
大きな窓の前には里山の風景が広がり
青空も市内より澄んでいて美しい。
時々、野生のサルが見られたりしちゃってとっても楽しいのだ。

 でも、だからと言って
お店まで田舎風ではない。
おしゃれな現代和風の都会的な設計になっている。

 そのカフェのオーナーが私は大好きだ。
全てが「お客様第一」
いらした方にはいつまでもゆっくりしていってもらう。
自分で作った自然農法のお野菜を
たっぷり食べてもらいたい。

 それが彼女のコンセプト。
お客様が喜べばお店も喜ぶ。
それで充分、らしい。

 だから、使う油は太白のごま油とバージンオリーブオイル。
味噌や梅干しももちろん自家製。
その梅や紫蘇まで自然栽培の自家製なのだ。
調味料だってすべてこだわって
一般家庭でももったいなくて使えないようなものを使っている。
 どう見たって採算は合わない。
少なくとももうけは出ない、様な気がする。

 彼女は言う。

「借金、いーっぱいだけれど
 いいのよ、いざとなれば年金全部つぎ込むから。
 いままで、いっぱい納めてきたんだもの。
 おかげさまで、住む家と畑はあるもの。
 それだけあれば、生きていけるよ。

 お金なんて残したって仕様がないんだからね。
 お金は、持ってるだけで使わなかったら泥になっちゃうんだよ」

「畳の上で死のうが、橋の下で死のうが
 そんなことはどっちでもいいの。
 大切なのは死んだときどこへ行きたいかなの
 そのために自分はどんなふうに生きるか、
 そこをぶれさせさえしなければいいのよ」

「だめだよ、思ったことはすぐやらなくっちゃ!!
 人間明日なんてわかんないんだからね。

 打たなきゃ響かないんだよ




 これらの言葉を私は全て知っている。
でも、できていない。
知っていることと、できていることでは雲泥の差。


 彼女といると楽しくなってくる。
小さなことなど、どうでもよくなってくる。

 出会えてよかった。感謝である。



 

みんながメンターになろうよ

2012年09月06日 09時44分12秒 | ひとりごと
 メンターという言葉をご存知ですか。

 誰かに強く影響を与える人。

誰かが「この人と出会って私の考え方は変わった。私の人生が変わった」と
思ってくれるようなひと。

子どもたちがあんな大人になりたい!!あんな仕事をしたい!!と思うような
キラキラと楽しく働いている大人。

そんな人たちのことをメンターというのだそうです。

 

 あなたは、だれかに「あんな風に生きたい」と思われるような生き方をしていますか?
あなたは
「お父さんやお母さんのような大人になりたい」
とお子さんに思われていますか?





 ・・・わたし?!

 私は残念ながら

「あなたたちを見ていると結婚したくなくなるわ」

 と、娘に言わせてしまうような夫婦関係しか持てていません。

 全く、反省しきりですが、

“人は気付いた時から変わることができる生き物”
だそうですから
少しずつ少しずつ
娘の気持ちを変えうるように
夫との関係を創り直さねばならないなぁと思っています。



 誰が見ていなくても自分が見ています。
自分が今、何を考え何をしているのか、
それを、子どもたちに見られて影響を与えるとしたとき
ほんの少しも恥ずかしさや後ろめたさを持たずにいられるか。

 それをいつも意識しながら、これからの「おとな」としての自分を
生きたいと思います。

 そして、できればその生き様が
だれかの「メンター」となれるなら
この世に生きた甲斐もあるかな、と思ったりしています。


 働くは「傍楽」なのです。
周りの人が楽しくなるようなそんな働き方をしたいと思います。

大切なのは「喜働力」だそうです。

どんな仕事にも誇りと楽しみを見つけ
喜々として、きらきらきらきら、一生懸命に働いていたいです。



 先日、「なにわのメンター」こと通称ナニメン、喜働会会長 吉井雅之氏の
お話を聞かせていただいて思ったことでした。

お元気様

2012年09月05日 17時33分37秒 | 波動
 言葉は人生を変える。

 脳科学的に言ってもそれは間違いないそうだ。
毎日毎日無意識に口にする言葉を脳は全てキャッチして
その言葉に従って潜在意識を創り出す。

 私たちは0,3%の顕在意識と99,7%の潜在意識によって波動を創り出し
その波動がいろいろなものと共鳴して現実を呼び寄せるらしい。
これは全ての人に共通することで
頭が良いとか悪いとか、そんなことは全く関係ないらしい。


 だから、毎日どんな言葉を口に出すかで現実が変化し
人生そのものに影響を与えるというのだ。


 そのことを講演してくださった方がおっしゃった。


「職場でよく使う“お疲れ様”という言葉も、やめたほうが良いですよね。
 慰労しているつもりだとは思いますが
 その言葉を聞いて脳は“ああ、俺って疲れてるんだ。そうか、疲れてるんだ”
 と、インプットしてしまうんですよね。
 で、そのあと、どんどんお疲れモードのホルモンを出そうとするんですよ。

 “お疲れ様”ではなく“お元気様”とか“お幸せ様”
 と声掛けしてあげた方が
 かけられた方もかけた方もぐっとよくなるんですよ。


 そうそう、脳は人称を理解しません。その点も気を付けてく ださい。
 自分が口にしたことは
 たとえ相手に言ったことだとしても
 自分のことだと理解してしまいますからね。


 だから、誰かの悪口や愚痴を言うと
 それを自分のことだと思って
 どんどんその状態になるように頑張っちゃうんですよ。
 気が付いたら自分がその内容の通りになってたりする。

  逆に誰かを褒めたりすると、それもまた自分のことだと勘違いして
 そのようになろうとするんですよ。
 そしていつかはそうなるんですね」



 この講演を聞いた翌日から
我が家では
「おかえりなさい。お元気様」
とか、
「風邪気味で、身体も心も絶好調!!」
なんていう、まるで隠語のようなやり取りが展開されている。


 わたしたち、超すなおでしょう?!